いやしを浸透させる祈り
ソーキング・プレイヤー(SOAKING PRAYER)について
いやしの祈りは誰でもできる。
フランシス・マクナット神父
渇いていた大地の上に小雨が降り、その大地の乾きがいやされて、水に潤うまでは、しばらくの時間が必要でしょう。
私がいうソーキング・プレイヤー[soaking
prayer(いやしを)浸透させる祈り]とは、そのように、病人の患部に癒しの力が浸透していくために、祈りにある程度の時間をかけることをいいます。
それは小雨のように優しい祈りですが、確実にいやしを浸透させ、生命を潤していきます。
いやしの祈りにおける時間的要素
病人に按手(あんしゅ)して(手を置いて)祈るとき、神の力と愛が現われるために、しばしばある程度の時間をかける必要のあることがあります。
私が、癒しの祈りの時間的要素について初めて思わされたのは、数年前、関節炎で手足が痛み、よく動かないと悩む方々のために祈ったときのことでした。
ヒーリング・クルセード(癒しの集会)などで劇的にいやされる人々のように、その人々も瞬時に完全にいやされて欲しいと、私は期待しました。しかし私が個人的に彼らのために祈っても、わずかな変化が見られるだけだったのです。
指が少しまっすぐになったとか、手首や指がもう少し曲がるようになったとか、痛みが若干消えたとかはありました。ある程度のことはあったのですが、いずれも完全な癒しまでは行かなかったのです。
彼らの痛みが若干和らいだことを、神に感謝致します。しかし、まだ病人は完全には癒されていません。どうしてでしょうか。
明らかに、祈りにもっと時間をかける必要があったのです。私は、時間をかけて執拗に祈るべきことをお教えになった主イエスの御言葉を、思い起こします。ルカ一一・九に、
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」
と言われています。この句の直前に、何が語られているでしょうか。
それは、真夜中に友人宅に行って「パンを貸してくれ」と執拗に頼み続けた人の話です。その人は、友人の玄関先で「パンを貸してくれ」と言います。しかし友人はドアの向こうから、
「面倒をかけないでくれ。もう寝ているから」
と言って断ります。そうやって断られても、その人はドアの外で頼み続けたのです。
このたとえを通して、イエスは私たちにこうお教えになりました。
「あなたがたに言いますが、彼は友達だからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起きあがって、必要なものを与えるでしょう」(ルカ一一・八)
と。
多くの説教が、「求めなさい。そうすれば与えられます」の聖句をもとに語られます。しかし、ひとことだけ祈って求める祈りを教えられることがあります。
「一言祈れば、もうそれで充分なのです。それ以上言うのは不信仰なことですよ」
といった具合です。けれども、イエスは、この真夜中に来た人の話を通して、時間をかけて何度も執拗に祈るべき祈りもあることを、お教えになっているのです。
イエスはまた、ひとりのやもめが裁判官の所に行って、何度も何度も頼み込んだという話をされました。そのために裁判官は、ついにそのやもめの訴えを取り上げたのです。
この話を語られたあと、イエスはこう教えられました。
「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のために、さばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをして下さいます。しかし、人の子(キリスト)が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」(ルカ一八・七、八)。
神が私たちの祈りに、すぐにはお答えにならないこともあるのだと、主イエスはお教えになりました。私たちはときに夜昼叫び求めて、忍耐して神の答えを待ち望む必要があるのです。
主はまた、祈りの答えが遅くなることが、しばしば神の御力に対する私たちの信仰の衰退につながることを懸念しておられます。
これらのたとえを通して、イエスは私たちに、祈り続けるべきことをお教えになっています。一度祈るだけとか、一言祈るだけでは充分でない場合もあるのだと、お教えになっているのです。
牢獄の聖女アガタを癒す聖ペテロ。ランフランコ画。
――いやしの祈りにおいて、按手と、
ソーキング・プレイヤーが重要である。
何度も執拗に祈り求める
伝統的なカトリック教会で育った方々は、このことはよくわかっておられるかも知れません――いや、わかっていすぎて、いくら祈っても何も起こらないと、あきらめておられる方もいるのではないでしょうか。
一方、ペンテコステ系のグループで祈りを学んだ方々などは、即座に答えが与えられるのだと信じるために、もし病人が即座にいやされなかったりすると、それは信仰が足りないからだとか思われるかも知れません。
即座にいやされるというのは、瞬間的に、完全な健康体にまで回復することをいいます。
先の関節炎の方々の話に戻りましょう。この方々のために私が祈ったとき、わずかですが向上が見られました。少し祈って向上があったというのは、もっと祈ればさらに向上する、ということです。
粗雑な例ですけれども、もし一〇分ほど祈って一〇%のいやしがあったとすれば、さらに四〇分祈れば、さらに四〇%のいやしがあることになるでしょう。計五〇%の回復となるかも知れません。
じつはこの単純なことが、私にとっては、今までに読んだことのないような新しい発見だったのです。
しかし、新しい発見には新しい難題も、つきものです。病人のために長い時間をとって祈るのは、とくに集会中は無理な場合が多いのです。
私は、祈りの時間的要素について学べば学ぶほど、しばしば、どうしたらよいかと困ってしまうことがありました。夜の集会などで、もう一〇時を回っているというのに、祈りを受けたいという人々の長蛇の列ができるのを見ると、「急がなくては」と思ってしまうのです。
深刻な病状に悩む方々を見ると、充分な時間をかけて祈っていないことが、たいへんに申し訳なく思いました。
しかし、やがて私は知るようになったのです。たとえ、その方々が今晩いやされないとしても、後日いやされるかも知れません。
とくに、ほかにもその方々のために祈る人々が現われて、ソーキング・プレイヤー(いやしを浸透させる祈り)を続けた場合は、なおさらです。
私が祈ったことが、そのソーキング・プレイヤーの最初となるなら、そのソーキング・プレイヤーを続けてくれる他の人々がいればよいのです。
これは決して、信仰の欠如ではありません。私は病気の方々に、さらに時間をかけて祈ってくれる誰かを捜すように、勧めています。
集会でいやしのために祈ってもらうと少し回復したが、まだ完全ではないというなら、きっともっと祈れば完全になるでしょう。私が祈ったときいやしが始まったならば、他の人の祈りは、それを完成させるのです。
こうして、私はソーキング・プレイヤーをするよう、人々に教えるようになりました。親は子どものために、夫は妻のために、妻は夫のために祈るように。また、短い祈りでは治らなかった病気のためには、時間をかけて毎日祈るように、勧めています。
知恵遅れというような障害は、即座にいやされることが少ないでしょう。しかし、親が何ヶ月、あるいは何年もかけてソーキング・プレイヤーをし、子どもを祈りの内にひたすなら、しだいに向上し、徐々にいやされていくことが多いのです。
イスラエルの受胎告知教会のステンドグラスより
ソーキング・プレイヤーの仕方
ソーキング・プレイヤーは、時間をかける祈りなので、その仕方を覚えておくことは有益です。
まず、単純に、普通の仕方で、その人に手を置いて、病気がいやされるように祈ります。
つぎに、いやされたという手応えがたとえなくても、按手を続けて、病人をリラックスさせます。
ソーキング・プレイヤーは、ちょうど祈祷会をもつ時に似ています。祈祷会は、はじめのお祈りに始まり、讃美したり、讃美の間にしばしば黙祷や沈黙があったり、また声を出してお祈りしたり、ということを繰り返します。
その祈りの最中、神の命と力は、、やさしく患部に作用し続けるのです。もし何人かで病人のために祈るのであれば、代わる代わる祈るのが良いでしょう。
一時間祈ったら、一〇分ほどコーヒー・ブレイクをとって休憩してから、また祈りを続けても、ちっともかまいません。
時間の許す限り、祈りを続けることができます。もし祈る人が五〜六人程度いるなら、一人あたり一〇分くらいずつ祈って、次々に続けると良いでしょう。
あるいは、同じ場所に集まることができないなら、時間を決めて、それぞれがいる場所で、ある人は一〇分、ある人は一時間――それは聖霊の導きと祈る人の意志によりますが――病気の人のために代わる代わる連祷するのも良いでしょう。
私は、ソーキング・プレイヤーはしばしば放射線治療に似ている、と思っています。神の力によるいやしの放射線が、長い時間、患部に当てられれば当てられるほど、病気の部分は消え去っていくのです。
祈るほど、腫れや腫瘍がだんだん消えていくのを、見ることができます。
もちろん、病院の放射線治療には、副作用があります。細胞の悪い部分を破壊するだけでなく、良い細胞にも悪影響を与えてしまうのです。
そのために一回の放射線照射時間は、良い細胞にあまりダメージを与えない程度の短い時間に限られています。それが何度も繰り返されるのです。
しかし、ソーキング・プレイヤーでは、そのような副作用を心配する必要がありません。あなたは何時間祈ってもよいのです。
もし何かの制限があるとすれば、きっとそれはあなたの体力でしょう。ソーキング・プレイヤーは、体力を消耗します。それゆえ、しばしば休みながら続ける必要があるのです。
ソーキング・プレイヤーは、決して、ぶっ続けで祈らなければならない、というようなものではありません。時々休憩したり、または別のことをしながら、断続的に祈ってもよいのです。
親が、病気の子のために毎日五分ずつ祈ったり、または私たちが一週間に一度、病気の友を覚えて一五分間祈るのも良いのです。
決心して、長く時間をとり、集中して全身全霊をあげて祈る時を特別に持つことも、ときには必要でしょう。たとえば何人かが集まり、ある日の午後、あるいはその日一日全部を使って、多発性硬化症の友のために祈る、というような時もあるでしょう。
私たちが、ある人のために特別に時間を裂いて祈るべきだ、という思いや示しが与えられることがあります。しかし、そうやって非常に長い時間祈ったのに、ほとんど何も起こらないというような場合があるでしょう。
こんなとき、祈ってもらった人は、せっかく皆にこんなに祈ってもらったのに申し訳ない、と思うことでしょう。みんなの期待に添えなかった、と感じてしまうのです。
ですから、私は普通、ある時間祈ったあとは、いやしの兆候が見られ始めた場合に限って、その祈りをさらに続けるようにしています。
いやしの兆候が見られるというのは、さらに続けて祈れば、そのいやしが完全なものになるというしるしと考えるからです。
たとえば、腫れが少しひいたとか、痛みがひいたとかは、いやしの兆候となります。この兆候は、祈りの最中には全く見られなかったのに、祈り終わって数時間たってから初めて見られることがあります。
あるいは、その人が家に帰ってから見られた、というような場合もあります。
祈っているときにだけ、病状の回復や向上の兆候が見られる、という場合もあります。何故なのかは、私もわかりません。しかし、これらは私の経験です。
神のなさることを自分勝手に判断しないことが、大切でしょう。いつも、神のみわざに対して心をオープンにしておくことです。
ローマ・カトリックのある修道士(イスラエル)
バニー・ディターマンの例
一九七五年の六月に、オレゴン州で開かれた修養会でのことでした。
私たちのグループは、バニー・ディターマンという、十代の魅力的な女性のために祈りました。彼女は、脊柱側湾症といって、背骨がS字型に曲がってしまう、ひどい病気にかかっていました。
バニーの母親は看護婦で、私たちのグループに参加していました。私たちがバニーのために一〇分ほど祈ったあと、バニーの母は、看護婦としての知識を働かせて患部を観察し、少し変化が現われたと言いました。
それで、私たちは引き続き二時間ほど祈ったのです。祈りの終わり頃には、背骨の上のほうの湾曲は、ほとんど真っ直ぐになっていました。
その後二日間、バニーの友人たちもグループにたくさん参加して、さらに祈りを続けました。日に一時間ずつ祈りました。
修養会の終わりには、バニーの背骨は八〇%かた良くなっているように、見受けられました。
修養会が終わったあとも、彼女の母、また友人たちが祈り続けました。やがて、彼女の首につけていた添え木が不要になりました。彼女の背骨は、九〇%かた良くなったのです。
脊柱側湾症というのは、悪くなることはあっても、良くなることはないと言われている病気です。この病気を持つ患者に対して医者ができる最善のことは、背骨に対する負担を減らして、病気の進行を遅くすることだけです。
私たちがなぜこれほどに祈りに時間を費やすのか、と質問される方もいます。主イエスは、たった一言で病人をいやされたではないかと。
しかし、主イエスでさえ、盲人の目を開く際には二度祈られたことがあります(マコ八・二二〜二六)。また、彼は私たちに、昼も夜も叫び求め続けることをお教えになりました。
私自身の経験からしても、祈りに時間をかけることは、しばしば非常に本質的なことであるように思えます。実際、それで病人がいやされているのです!
もし誰か他の人が、非常に重い慢性病であっても、たった一言でいやすことができるなら、私はそれを主のみわざとして心から喜びたいと思います。
しかし、一人がそのような能力を持つことよりも、多くの普通のクリスチャンたちがいやしの御わざに参加できることのほうが、もっと素晴らしいことと思います。
イエスの命は、イエスの弟子たちすべての内に働いています。もちろん、将来はもっと短い時間内にいやしが起こるかも知れませんが、ソーキング・プレイヤーはどんな初心者でも始められる祈りなのです。
いやしの祈りは、特別な聖人だけのものではありません。それはイエスの弟子たちの誰もが、できる祈りなのです。
私に言えることは、たとえ、いやしに関するエキスパート的な伝道者が祈っても、即座にはいやされない病気もある、ということです。
しかし一方で、多くの病気やケガが、普通のクリスチャンたちの連綿として続けたソーキング・プレイヤーによって、いやされています。ある程度の時間はかかっても、実際にいやされているのです。
病院での治療のために何週間も、あるいは何か月も通うことに比べれば、八時間の祈りは、本当に短いと言えるのではないでしょうか。
ある人が、進行性のリューマチのために二〇年間苦しんでいたが、週に一回のソーキング・プレイヤーを六か月間続けた結果、いやされたとすれば、それも本当に短い期間です。
ソーキング・プレイヤーによる治療は、痛みを伴いません。何十万円もの支払いを病院にすることもありません。
ソーキング・プレイヤーのために多くの時間とエネルギーを費やさなければならなかったとしても、それによって友がいやされるのを見ることができるなら、それは私にとってこの上ない喜びです。私はただ、神に感謝をささげます。
盲人を癒すキリスト(フィアゼッラ画)
リサ・スカーブローの例
ソーキング・プレイヤー(いやしを浸透させる祈り)が、実際にどのような働きを見せるかを知るために、さらに二つの実例を取り上げてみたいと思います。
はじめに、リサ・スカーブローの場合です。彼女の場合、何が起ころうとしていたのか、私には全くわかりませんでした。何も起こっていないようにさえ思えたのです。
しかし実際は、顕著ないやしが、徐々に進行していました。彼女のいやしが如何にして起こったかを知ることは、ソーキング・プレイヤーの秘訣を知る上で、私たちにたいへん参考になると思います。
彼女は、この原稿を書いている時点で、八歳半の女の子です。
二歳半だったときに、彼女は医者から脳腫瘍ではないかという、診断を受けました。しかし、その後二年半にわたる検査を通して、神経性の難病であると診断されました。
六年間にわたって病状は悪化し続け、ついに彼女はしゃべれなくなりました。視力を失い、筋力も低下しました。寝たきりになって、いつもチューブにつながれた生活となったのです。
彼女の背骨はひどく曲がり、そのために左の肋骨部分が張って、突き出ていました。また、この背骨の曲がりにより、右足が五センチほど、左足より短くなっていました。
私たちは彼女のために、断続的なソーキング・プレイヤーを一週間ほど続けました。
じつはその間、彼女の母、エリゼ・スカーブロー夫人は、ずっと日記をつけていました。以下は、夫人が私に見せてくれた日記の中から、引用させていただいたものです。
「一九七六年四月二二日(木)
ドミニック・タンブレロ神父が、ビショップ・リンチ高校で開かれていたドミニコ派の修養会の最後の日のミサ(礼拝)に、リサと私をさそってくれた。
ミサのあと、マクナット神父、タンブレロ神父、またボブ・カヴナー兄が、リサにオリーブ油を注いで祈ってくれた。
一〇分ほど祈ったが、リサの背骨の元の部分が、二センチほど伸びた。
マクナット神父は、翌朝私の家に来て、再びリサのために祈ってくれた。
四月二三日(金)午前
ボブ・カヴナー兄とマクナット神父が、空港に行く途中、うちに立ち寄ってくれた。私たちの祈りのグループのメンバーも、数人来てくれた。
私たちは、リサの背骨の曲がり方がよくわかるように、その上の皮膚に赤いマーカーでしるしをつけた。
二〇分ほど祈って、背骨の曲がり方を調べてみた。曲がり具合が、内側に二センチほど戻っていた。右足も、五、六ミリ下がって、長くなった。
主よ、あなたを讃美します。
ボブ・カヴナー兄とマクナット神父は空港へ向かったが、その後も祈りのグループのメンバーたちが残って、リサのために祈りを続けてくれた。
四月二三日午後
この午後、リサの右足が、ほんの少しだけれども、さらに下がったことに気づいた。
みなが代わる代わるリサの所に来て、夜まで祈ってくれた。
リサは、体を平らにして腹ばいでも寝れるようになった――以前はこれができなかったのに。
四月二四日(土)
祈りのグループのメンバーが、また来てくれた。
リサの首の付近の背骨が、いくぶん真っ直ぐになったようだ。以前の彼女の首の骨は、もっと曲がっていた。
左胸の肋骨部分の出っ張りも、幾分ひいたように見える。
四月二五日(日)
ビショップ・リンチでの祈祷会に、リサを連れていった。祈祷会の最中に一人の男性が来て、リサのために祈らせて下さいとおっしゃった。私はうなずいた。
祈祷会の終わりに私たちは、「アレルヤ、天の父よ」を歌った。すると、ボブ・カヴナー兄が「もう一度歌いましょう」と言い、歌っている間、私たちは主の御教えを思った。
また大きいことであっても、小さいことであっても、各自、心に思っていることを祈った。私は、私の首に腕を巻きつけているリサのことを思い、祈っていた。
彼女を直接見はしなかったが、私は自分の手をそっと、リサの胸に置いた。私の手がふるえ始め、何か暖かいものを感じた。やがて熱いほどになり、そのために手がうずくように感じた。
さきほどリサのために祈ってくれたあの男性が、私の表情に気づいたようだった。何かが起ころうとしていることを、察知したのだろうか。もう一度私の所に来て、リサの胸に置いている私の手の上に、自分の手を置き、祈り始めてくれた。
私は自分の手を動かせなくなってしまった。肋骨の突き出たリサの脇腹部分が、まるで枕のようにやわらかくなったように感じた。その後、それは平らになった。
多くの兄弟姉妹が、起ころうとしていることに気づき、私の周囲に寄ってきて、祈ってくれた。
また、あの男性が、なぜ自分からリサの所に来て祈ろうと思ったのかを、話してくれた。彼が祈祷会に来て、リサを初めて見たとき、主が彼の心に彼女の名は「リシャ」だと示し、彼女の所に行って祈るよう彼に命じられたのだという。
・・・・これは私にとって、大きな喜びだった。
四月二六日(月)
祈りのグループの四人が、リサのために祈ってくれた。その間、私はリサの首の後ろに手を当てて、マッサージをしていた。
再び私の手に熱が感じられ、私の指がうずき始めた。思わず親指で、リサの喉もとをマッサージしていた。
この日から、首の骨がしだいに真っ直ぐになっていった。
四月二九日(木)
リサの背骨の曲がり具合が、少しずつ回復しつつあるように思える。ただ非常にゆっくりだから、その場では全く気づかないものである。
今日も、祈りのグループの兄弟姉妹たちと共に、いつもの祈りを続ける。
四月二三日以来のことだが、リサは毎日、聖餐の恵みを受けている」。
エルサレム南西郊外の美しい山里エンカレム。
いやしの祈りは誰もが参加できる
お気づきのように、リサの例は、病気の進行をゆっくり逆行させていく祈りの力を示しています。
祈りが、病気の進行を止めるのです。そして、祈りはさらに病気のいやしへと進みます。リサは、その途上の状況です。
また、彼女を覚えて周囲のクリスチャンたちが祈り合っている姿は、たいへんに美しい光景です。彼女の母親自身が、その祈りを通して、大きな力を得ています。
彼らは、誰か有名ないやしの大伝道者が町に来るのを、待つ必要はないのです。リサの周囲で祈っている人たちはみな、イエスが生きて彼ら一人一人の内に現実に働いておられることを、知っているのです。
もう一つ重要なことは、リサの病気の症状は体のあちこちに現われているにもかかわらず、いやしはまず、背骨から始まったことです。
私がこの原稿を書いている時点では、まだ手足の麻痺はいやされていません。ただ、テキサス州の医者が先日(一九七六年一二月一五日)私に知らせてくれたところによると、リサの視力は回復し始めたとのことです。
この種のいやしは、しばしば体のどこか一部から始まります。それは、病気の影響を極度には受けていない部分から始まることが多いようです。そうした部分では、病気からの回復の兆候も現われやすいからでしょう。
私は、誰かのいやしのためにしばらく祈ったときは、その人に、何か起こったか聞くことにしています。もし、少しでも何かが起こり始めたなら、すでに神のみわざが開始されているのですから、私はさらに祈りに打ち込むようにしています。
以前、拙著『病のいやし』の本の中で、私はシスター・アヴィナの例について書きました。私たちは、彼女のひざのために祈ったのです。
ところが、そのとき私たちは知らなかったのですが、彼女は顔の部分にも病気を持っていました。ひざの前に、それがまずいやされてしまったのです。
イエスは、「わたしは父がしておられることを見て行なう」(ヨハ五・一九)と言われました。これが主イエスのご行動の原則でした。ですから、私もできることなら、神が何をなしておられるのか、をまず知りたいと思います。
または、神が何をなしたいと思っておられるのかを、知りたいのです。自分自身で、「神は病気の人のためにこのように働くべきだ」とか勝手に判断するのではなく、神のなさることをまず見てから、自分の行動も決めたいと思ったのです。
私はまずしばらくのあいだ祈ったら、何が起きているのか見きわめることにしました。もし何かが起こり始めたなら、さらにそれに沿って祈るのです。
また、たとえ何も起こらないとしても、その結果を受け入れることを学ぶことは必要です。
そのとき、自分の祈りが失敗したとか思ってはいけません。また、病気の人に、何か申し訳ないというような気持ちを与えないようにしましょう。
テレサ・パチーノの例
つぎに、足がなえて歩けなかったテレサ・パチーノの例を見てみたいと思います。
テレサのいやしは、私がこれまでに見たソーキング・プレイヤーによるいやしの中でも、最も顕著なものでした。
それは一九七五年の二月、南米コロンビアで開かれた修養会の後で起きました。
アルフォンソ・ウライブ司教が、私を招いて下さって、そこで司祭たちのための修養会が開かれたのです。カルロス・アルデュナット神父、シスター・ジーン・ヒル、ウイリアム・キャラガン夫人、また通訳のアルバート・デル・コーラル氏らも同行しました。
その修養会は司祭向けのものでしたが、一般の人たちも、祈ってもらうためにたくさん会場に来ていました。
最後の聖会が午後四時に終わり、そのあとキャラガン夫人、シスター・ジーンと、他の人々が、その若いコロンビア人女性、テレサのために祈っていました。
祈っていた一人が、私を呼びに来てくれました。彼は私をそこに連れていくと、テレサのなえた足を見せ、その足に何かが起ころうとしているようだと、教えてくれました。
なえて小さくなっていたその足が、祈ったら二〜三センチ伸びたというのです。私も祈りに参加しました。
テレサは、一九歳。彼女は、五歳のとき、沼に入って、先のとがったものを足で踏んでしまったことがありました。
そのとき負った傷に、適切な医療処置をしなかったために、それが化膿し、やがて骨にまで菌が達して、骨髄炎になってしまったのです。
その結果、彼女の右足はひざから下がなえ、ゆがんで、ねじれていました。そして右足は左足よりも、一五センチも短くなっていたのです。
また、足にきつく添えた添え木による傷も、随所に見受けられました。
私たちはやさしく、静かに二時間ほど祈りました。右足は二〜三センチほど伸びたようでした。
八人ほどが、代わる代わる、彼女の足に手を置いて祈りました。司教も祈りに参加しました。
その後、私たちは夕食をとり、再び彼女のもとに戻って、その夜さらに二時間ほど祈りました。すると、もう二〜三センチ足が伸びたように見えました。
また、ねじれていた足が、若干まっすぐになっていました。
その変化はたいへんゆっくりなので、祈っている時はわかりません。しかし、一〇分くらいごとに長さを比べてみると、明らかに変化が見受けられたのです。
翌日、私たちは、メディリンにあるアルバート・デル・コーラル兄の家に集まりました。ウライブ司教も来られました。
そして午前に二時間、また午後に二時間、テレサのために祈ったのです。この日、彼女の足はさらに二〜三センチ伸びました。
それで、この日の夕方には、右足と左足の長さの差は、すでに五センチほどに縮まっていました。そして、かつては健康な足の形ではなかったその右足が、明らかに普通の足の形に戻りつつあったのです。
右足のつま先も、かつては左足のつま先の半分くらいの大きさしかなかったのですが、今や同じ程度になっていました。わずかの時間内に、右足のつま先が、約二倍の大きさにまで成長したわけです。
ほかにも顕著な変化が幾つか見られ、私たちはそれによって、いやしにおける大切な秘訣を学ばされていました。
とくに、肉体的いやしと、精神的(霊的)いやしとの関係です。肉体的ないやしが進むためには、まず精神的ないやしも必要であることを、私たちは学ばされたのです。
じつはその日、午前また午後の祈りの時の二度にわたって、彼女の右足のいやしが、もうそれ以上進まなくなってしまったことがありました。
はじめに午前の時のこと、私たちは、テレサが自分の骨に起こったことで、母に対する苦々しい思いを持っていることに気づきました。
テレサの両親は貧しい人々でした。テレサがケガをしたとき、母親は病院に行かせるだけの費用がないと言って、病院に行くのをあきらめねばなりませんでした。
これはテレサには、自分に対する裏切り行為のように思えたのです。
私たちはテレサに、母をゆるすよう説得しました。そして彼女の苦々しい思いをいやすために、インナー・ヒーリング(内面的ないやし)の祈りをしたのです。
すると、テレサの足は再び成長し始め、肉体的ないやしが再開されました。
二度目は、午後の祈りの時でした。またもや、テレサの足のいやしの進行が止まってしまいました。
このとき発見したことは、テレサの兄弟の一人が、難破船で数年前にひどい傷を負っていたという事実でした。そのためにテレサは、その兄弟の「命が救われるなら、自分の足はこのままでもかまいません」という祈りを、神に捧げていたのです。
テレサは、自分の病がいやされてしまうことに、ある種の罪責感を感じていました。いやされてしまったら、かつて彼女が神に対して立てた誓いを破ることになってしまうと、感じていたのです。
ウライブ司教は彼女に語りかけ、神の御名のもとに彼女がそのような誓いから解放されるよう祈りました。またそう宣言して下さいました。
すると、彼女のいやしが再び進行し始めたのです。
盲人がいやされたシロアムの池
歩けるようになったテレサ
その日、祈りが終わったとき、彼女の右足にあった傷が、ただ二か所を除いては大分きれいになったことに、私たちは気づきました。
左右の足の長さはまだ若干違っていたものの、右足は少なくとも、地面に届く程度になりました。以前は、右足が短かったために、彼女は何年ものあいだ松葉杖を欠かせなかったのです。
テレサは、松葉杖なしで歩いてみたいと言いました。しかし私たちは、医者に見せてからにした方がよいと言いました。
アルバート兄は、彼女を医者に連れていってくれると言いました。彼はまた、彼女のために続けて祈るグループをつくってくれました。
ウライブ司教もまた、一週間に一度は彼女の家に立ち寄って、祈ると言って下さいました。
以来、彼女の右足は成長し続け、左足との差が一〜二センチ程度になるまで回復しました。普通の人の健康な足のように、まっすぐなものとなってきました。
ただ、医者に聞いたところでは、まだ右足の骨は弱く、もろいので、歩かないほうが良いとのことでした。
その後のテレサの状況について、アルバート兄がこう知らせてくれました。
「医者に行ってからまもなく、ウライブ司教と共に祈りのグループのメンバーが、彼女のためにさらに祈ろうと集まりました。
テレサの足に手を置いて祈ったとき、足の骨の部分が熱を帯びているのが感じられました。その後、その部分の腫れが非常に小さくなりました。
私たちは二時間ほど祈りました。ウライブ司教がテレサに、足を伸ばしてみるようにと言いました。
いつもだったら、これは非常に痛みの伴うことでした。しかし、テレサがためらいながらも足を伸ばしてみると、足はスッと、きわめて普通の形に伸びたのです。
ここ数年の彼女にはなかったことでした。しかも、足を動かしても痛みや不快感を感じないと、彼女は言いました。
私たちはこの上ない喜びに満たされ、深い感謝に包まれました。彼女の骨は、回復したように見えました。
でも私たちは、歩いてみる前にやはりまず医者に見せたほうがよいと、テレサに勧めました。
数日後、彼女は、一人ではなく二人の医者に自分の足を見てもらいました。二人とも、彼女の足が治ったと診断してくれたのです」(New Covenant magazine, April, 1976, p.27)。
こうしてテレサは、ついに、一四年間歩くことのできなかったその足で、再び歩きました――松葉杖なしで。
顕著なこのいやしのみわざが起こるために、いったい何時間のソーキング・プレイヤーがなされたでしょうか。それはよくわかりません。
いったい何人の人々が彼女のために祈ったかも、よくわかりません。
彼女の足が完璧になるまでには、さらに多くの祈りが必要なのも、事実です。しかし、彼女の足は日常生活ができるほどに回復しました。
かつては医者が不可能だと言ったことが、いまや現実に彼女の身の上に起こったのです。
祈りにおける時間的要素を、もし私たちが学ばなかったら、はたしてこのいやしは起こっただろうか、と私は思います。テレサのまわりで忍耐強く祈ったあの人々も、もしいなかったら、このいやしは起こらなかったのではないかと思います。
テレサのようないやしの例は、私たちにとってじつにエキサイティングなものです。彼女の足が真っ直ぐになり、また長さもそろって、いやされたとき、彼女が見せたあの感謝の涙は、それまでの何時間にもわたる祈りの苦闘を、ねぎらって余りあるものでした。
しかしあなたは、祈るときに――神からの特別な啓示でもない限りは――そのとき何が起こるか、あるいは起こらないかを知ることはできません。
ソーキング・プレイヤーはまた、しばしば大変に疲れるわざ(work)です。主イエスが、ご自分のなさることを「奇跡」とは呼ばずに、「(私が父の御名によって行なう)わざ――works」(ヨハ一〇・二五)と言われたのも、うなずけます。
ソーキング・プレイヤー(いやしを浸透させる祈り)について、これまでに私が学んだすべてのことは、祈りといやしについて非常に新しい思いを、私に与えてくれました。
かつて私は、よく身体障害者の方を見かけると、祈りだけでこの人が本当にいやされるのだろうかと、疑問に思ったものです。また、もしいやされることがあったとしても、そのチャンスはきわめて小さいのではないかと。
しかし今では、体に障害や病気を持つ方々を見ると、むしろ、なぜいやされていないのだろうかと不思議に思います。もし、その人のために忍耐強くソーキング・プレイヤーを続けてくれる人々が共にいたら、きっといやされるに違いないと、思うのです。
(フランシス・マクナット著『いやしの力』より。Father
Francis MacNutt, The Power To Heal, Bantam Books, USA)
久保有政訳(レムナント1997年10月号より)
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