仏教の「仏」と
キリスト教の「神」
どこがどう違うのか
東大寺の大仏=大ビルシャナ仏。
仏教はしだいに「永遠の仏」を説くようになった
仏教における「仏」は、もともと「(真理に)目覚めた人」という意味でした。はじめ「仏」とは、導師シャカ(釈迦)のことであり、人々から尊敬された一人の人間を示す言葉でした。
ところが後世になると、仏教は"多仏思想"になりました。「大ビルシャナ仏」(大日如来)や「阿弥陀仏」といった"永遠的存在者としての仏"の思想も現われてきます。
はじめは無神論的であった仏教も、やがて"永遠に実在されるおかた"の存在を認めるようなかたちに、変貌していったのです。
「覚者」シャカ
シャカ(本名ゴータマ・シッダルタ)は、紀元前六世紀頃、インド・ネパール地方の小国であった釈迦国に、王子として生まれました。
彼は、物質的には恵まれた生活を送っていました。しかし二九歳のとき、生・老・病・死という人生の苦を思って悩み、妻子を捨てて出家しました。
彼は六年間にわたって、苦行を中心とする宗教的修行に専念し、解決を模索しました。しかしついに、苦行の無意味さに気づき、極端な苦行に偏らず、かつ極端な快楽にもおぼれない、「中道」を歩むことを決意します。
以後、彼は、自分の悟りに基づいて教えを説き始め、人々から「ブッダ」と呼ばれました。これは、インドの古典語のサンスクリット語で、「(真理に)目覚めた人」という意味です。
この「ブッダ」に漢字をあてたのが「仏陀」で、その略称が「仏」です。これはもともと、宗教的聖者を呼ぶ一般的な語であったのですが、後世になって仏教の専門語になりました。
「仏陀」(仏)は、シャカに対する尊称であり、一人の"人間"を指す言葉だったのです。
ブッダ(仏陀、仏)は、もともと
人間釈迦に対する尊称だった
ところが後世になると、「大ビルシャナ仏」(大日如来)や、「阿弥陀仏(あみだぶつ)」といった、"永遠に存在する仏"の思想が出てきます。こうした「仏」は、もはや単なる人間ではありません。人間とは別の世界に住む、人間を超えた存在です。
これは、たいへんな変わりようです。というのは、シャカ自身は、そのような超人間的な存在者に関することは、全く語らなかったからです。
仏教初期の経典によると、シャカは一般的には、永遠的存在者が存在するか否かについて「無記」の態度をとりました。これは「どちらとも答えない」ということです。
しかし根本的には、シャカの思想は"無神論的"であったと思われます。彼の思想は、
「苦」(人生は苦である)
「無常」(すべてのものは移り変わる)
「無我」(世界のすべての存在や現象には、とらえられるべき実体はない・・霊魂の存在の否定)
「涅槃(ねはん)」(すべての執着心を断てば、苦悩に満ちた輪廻(りんね)の世界の生まれ変わりから解放され、生存から脱することができる)
の四つが、おもなものです。彼の思想は、有神論的世界観とは調和しません。彼は「無常無我」でない世界・・永遠に実在する世界があるとは語らなかったのです。
けれども、永遠的存在者に関して"黙して語らない"、あるいは否定的な考えを示すシャカの思想に、満足しきれなかった人は仏教徒の中にも多くいたようです。そのため仏教は、そののち時代を経るにつれ、思想的に大きく変遷していきました。
種子がやがて元の姿とは似ても似つかない草木になっていくように、仏教は時代とともに、創始者シャカの説いたものとは、かなり異なったものへと変わっていったのです。
事実、「永遠の仏」の存在を説いているのは大乗仏教の方であって、小乗仏教では、そのような仏は説きません。仏教伝道協会の出版物には、こう書かれています。
「大乗仏教の場合、歴史上の仏である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ=シャカ)の背後に、様々な永遠の仏の存在が説かれるようになる。たとえば、阿弥陀仏、大日如来、(大)ビルシャナ仏、薬師如来、久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦牟尼仏といった仏が、各宗派の崇拝の対象とか、教主として説かれている」
はじめ無神論的であった仏教は、のちに"有神論的"になっていったのです。
大ビルシャナ仏とは
ここで、とくに大ビルシャナ仏、阿弥陀仏、また釈迦牟尼仏(シャカ)を取り上げ、それらがどのような仏なのか見てみましょう。まず、大ビルシャナ仏とはどんな仏でしょうか。
「大ビルシャナ仏? 聞いたことがない」
なんて言わないでください。あの東大寺の大仏がそうです。
仏教には、よく知られているように「顕教(けんきょう)」と「密教」がありますが、「大ビルシャナ仏」は顕教での呼び名で、密教ではこれを「大日如来」と呼びます。
「ビルシャナ」は太陽を意味するので、「大ビルシャナ」と「大日」は、同じです。また、「仏」と「如来」は全くの同義語ですから、「大ビルシャナ仏」と「大日如来」は、同じ仏なのです。ただ、伝統的に違う名で呼んでいるだけです。
「大ビルシャナ仏」(大日如来)について、仏教の解説者として知られる、ひろさちや氏(気象大学校教授)は、次のように説明しています。
「仏教では……宇宙の中心に、真理そのものである仏が、どっかとましますと考えています。わたしは、このような仏を『宇宙仏』と呼んでいます。宇宙の中心にまします仏であると同時に、宇宙そのものであるような仏だからです。
この宇宙仏は、ユダヤ教でいうヤーウェ、キリスト教でいうゴッド、イスラム教のアッラーと似ていないでもありません。この宇宙仏に、顕教のほうでは名前をつけて、『大ビルシャナ仏』と呼んでいます」
・・この文章について、誤解のないように一言注釈を加えておくと、神の名が「ユダヤ教ではヤーウェ、キリスト教ではゴッド」という説明は、適切ではありません。
ユダヤ教でもキリスト教でも、神の御名(固有名詞)は「ヤーウェ」です。「神」という普通名詞を英語で言うと、「ゴッド」なのです。ですから先の言葉は、
「……この宇宙仏は、ユダヤ教やキリスト教のヤーウェ、イスラム教のアッラーと似ていないでもありません」
と言ったほうが、より適切でしょう。
それはともかく、仏教はこのように、いつの間にか「宇宙仏」、すなわち宇宙の真理そのものであるような"おかた"の存在を説くようになりました。
この仏は、永遠に存在し、滅びることのない、真理そのものである仏です。これは名は「仏」でも、聖書の示す「神」(天の父なる神)に、かなり近づいたものと言えるでしょう。
こうした永遠的存在者としての仏の思想は、いかにして生まれたのでしょうか。
「永遠の仏」思想の誕生
永遠の仏の思想は、シャカの死後五、六百年たって、紀元一世紀頃から、涅槃文学の中でしだいに確立していきました。
紀元一世紀と言えば、キリストの十二弟子の一人であったトマスが、インド方面に伝道し、インドにキリスト教の影響が及んでいった時代と、期を一にしています。
使徒トマスはインドの西南部、マラバール地方に、七つの教会を建てました。現在でも、聖トマス教会のあるケララ州では、住民の約二五パーセントがキリスト信者です。
トマスがインドに伝道に来て、そののち中国方面にも伝道に行ったことは、今日では多くの歴史学者が認めています。そして彼はインドに戻り、そこで死にました。
使徒トマスの墓[インド、チェンナイ(旧マドラス)]
また、当時インドには、「ゾロアスター教」の影響も及んでいました。ゾロアスター教は、紀元前六世紀頃に、ペルシャのゾロアスターが唱えた教えです。
ゾロアスターは、それまで多神教的であったペルシャの宗教を、拝一神教的にするように努力しました。彼は、永遠の神のもとで善の勢力と悪の勢力が闘争を繰り広げているのだという思想を展開し、やがて救い主が現われて、最終的に歴史は、善の勢力の勝利をもって終わるとしました。
ペルシャでゾロアスターが活動した時代は、イスラエルで預言者イザヤが唯一の聖なる神を高揚し、救い主キリストの出現とその勝利を預言した時代(紀元前八世紀)より、少し後のことでした。しかしペルシャはインドに近かったこともあって、ゾロアスター教の「永遠の神」の思想は、インドに強い影響を与えました。
実際、ペルシャ語とインドのサンスクリット語とは、言語的にも近縁関係にあります。また紀元前の時代から、インド西北部はペルシャ帝国の版図の一部となっていて、文化的影響を強く受けていました。
このように、大乗仏教の大ビルシャナ仏(大日如来)等の「永遠の仏」の思想は、キリスト教やゾロアスター教をはじめとする他宗教との混合、あるいはそれらに対抗するものとして生まれたものであることは確実です。
それは、当時民衆の間にあった太陽信仰とも結びついて、広まっていったのでしょう。そして後世になって、経典化されたのです。
阿弥陀仏とは?
つぎに、「阿弥陀仏(あみだぶつ)」とはどんな仏でしょうか。
阿弥陀仏は、いわば"救い主"的な仏の代表格です。
仏教では、教祖シャカの死後、「仏はシャカひとりではない、たくさんいるのだ」という思想が起こりました。これは「過去七仏」の思想と呼ばれます。
シャカは初めて真理を悟った者なのではなく、シャカより前に六人の仏がいて、シャカは第七番目の仏なのだ、というのです。これが「過去七仏」の思想です(もっとも、その数は後にもっと増えましたが)。
これは"時間的に"考えたわけですが、同じようなことは"空間的にも"考えられました。つまり、仏はこの場所に限らず、宇宙のいたる所に現れたはずだ。西方のかなたにも、東方のかなたにも現れたはずだ、という考えです。
こうして信仰され始めたのが、「阿弥陀仏」や「薬師仏」です。阿弥陀仏は、西方のかなたにある「極楽浄土」、薬師仏は東方のかなたにある「浄瑠璃浄土(じょうるりじょうど)」に住んでいる仏とされました。また大ビルシャナ仏は、宇宙の中心に住んでいます。
仏教では、宇宙のいたる所に仏がいて、その仏の数と同じだけ浄土がある、とされているのです。こうして仏教は"多仏思想"になりました。
日本では、念仏の広まりとともに、とくに阿弥陀仏が有名になりました。
阿弥陀仏は、キリスト教で言えば受肉(降誕)以前のキリスト、あるいは昇天以後のキリストに、一部似ているところがあります。この仏を信じ、その名を唱えれば、凡夫・悪人でも阿弥陀仏の願力によって、極楽浄土(キリスト教で言えば天国)に往生できるというのです。
鎌倉の大仏は阿弥陀仏である
この思想は、
「イエス・キリストを信じ、その名を呼び求めれば、だれでもキリストの贖罪のみわざと、とりなしによって、天国に入ることができる」
というキリスト教の教えに、非常に近いものになっています。聖書には、
「主の御名を呼び求める者は誰でも救われる」(ロマ一〇・一三)
と記されているのです。
実際、多くの学者が、阿弥陀仏信仰の成立にはキリスト教の影響が大であった、と考えています。たとえば「アミダ」は「無量寿・無量光」を意味するサンスクリット語(アミターユース・アミターバー)から来ています。これは、無限の生命・無限の光という意味です。
この語について、浄土真宗の僧侶をやめてキリスト教の牧師になった経歴をもつ道籏泰誠(みちはたたいせい)師は、これは聖書のヨハネの福音書にある次の言葉を、借用したものに違いない、と述べています。
「この方(キリスト)にいのちがあった。このいのちは人の光であった」(ヨハネの福音書一・四)
この「いのち」と「光」が、「無量寿・無量光」に転化したのです。
実際、阿弥陀仏信仰の成立は、やはり紀元一世紀〜二世紀頃とされています。その頃インドでは、仏はシャカ一人ではなく、他の遠い国にも現れる、という思想が盛んになっていました。
そこで"西方の聖人"イエス・キリストのことを伝え聞いたとき、折衷思想を好むインド人が、"西方の仏"として取り入れたのでしょう。
シャカの神格化
つぎに、釈迦牟尼仏(シャカ)について見てみましょう。
仏教の開祖シャカは、後世になると、「久遠実成の仏」といって、永遠の昔から仏なのだ、と説かれるようになりました。
つまり、「人々はシャカは二九歳で出家して三五歳の時に悟りを開いたと思っているが、実はそうではない。シャカは本当は"永遠の昔に"悟りを開いて仏になったのだ。では、この世に生まれ、修行したのは何なのかというと、それは人々を導くための方便なのだ」というのです。
このような思想を説いているのが、有名な『法華経』です。こうして人間シャカは「永遠の仏」に昇格し、"神格化"されたのです。
これは、「永遠のキリスト」の教義の、いわば"仏教版"と言えるでしょう。実際、インドの高名な宗教学者アーマンド・シャー博士は、キリストの使徒トマスの福音に対抗して、シャカを聖人から救い主に昇格させたのが大乗仏教である、と言っています。
以上、私たちは「永遠の仏」として、大ビルシャナ仏(大日如来)、阿弥陀仏、また釈迦牟尼仏を見てきました。
仏教では、大ビルシャナ仏のような仏を「法身仏(ほっしんぶつ)」、阿弥陀仏のような仏を「報身仏(ほうじんぶつ)」、歴史上のシャカのような仏を「応身仏(おうじんぶつ)」と呼んでいます。
「法身仏」とは、"法"(真理)そのものを身とする仏ということで、形がなく、永遠に存在し、真理そのものであるような仏です。
「報身仏」とは、法身の"果報"または良い性質が現れた身の仏ということで、形なき法(真理)を具現化させ、形を持たせたような仏のことです。つまり、法身仏をもっと身近にしたような仏です。
また「応身仏」とは、時に"応じて"人々を救うために私たちの世界に現れる仏ということで、歴史上に現れた仏をいいます。歴史上のシャカがその代表であるわけです。
仏教の教理によると、これら「法身仏」「報身仏」「応身仏」は、三つの異なった仏というわけではなく、すべて一体であると言われるようになりました。どの一仏をあげても他の二仏はその中に含まれているとし、これを一身即三身、または三身即一といいます。
また、法身仏はキリスト教でいえば父なる神、報身仏は天国でのキリスト、応身仏は歴史上のキリストにあたりますから、「法・報・応の三身が一つである」という仏教の主張は、キリスト教の「神とキリストの一体論」の仏教版、あるいは仏教的な"焼き直し"であると言えるでしょう。
仏教は、初めは無神論的でした。しかし仏教学者・岩本裕教授も言っているように、「仏教は後になって多神論になり、最後には一神論的に展開していった」のです。
仏教からキリストへ
シャカの「苦、無常、無我、涅槃」の思想や、無神論的な立場だけでは満足できなかった多くの人々は、シャカの教えに、様々な思想をつけ加えることによって、仏教を発展させてきました。
人々は、キリスト教その他の宗教に影響され、あるいはそれに対抗するために、「永遠の仏」の思想を発展させてきました。そしていつの間にか、永遠の生命の本体としての"神的存在者"を、信じるようになったのです。
すなわち、人間が真摯に真理を追求していくなら、必ずや「永遠の神」の存在に行き着く、と私たちは考えてよいでしょう。聖書に、
「神は……人の心に永遠への思いを与えられた」(伝道者の書三・一一)
と書かれています。私たちの心には、永遠から永遠まで存在しておられる偉大な神を思う思いが、植えつけられているのです。
「永遠の神」を信じる信仰は、人間の真摯な求道から来る必然的な帰結です。仏教という名のもとに人々が本当に求めてきたものは、じつは仏教の中にではなく、聖書の示す「永遠の神」にこそあるのです。
つまり、大乗仏教が示している「永遠の仏」の思想は、聖書の示す「永遠の神」への信仰に至るための、一種の"入門"と考えればよいでしょう。
仏教の示す「永遠の仏」は、いまだ漠然とした、とらえどころのない存在者に過ぎません。しかし聖書は、「永遠の神」について私たちが知るべき知識を、余すところなく伝えています。
聖書によれば「永遠の神」は、天地万物を創造されたかたです。神は、その限りない御力によって万物を保っておられます。
神が創造者であるという真理は、人生において最も大切な真理の一つであり、私たちの信ずべき真理です。この神が、私たちを愛し、すべての者を慈しんでおられます。
また神は、じつにその愛を、ご自分の御子イエス・キリストにおいてあらわされました。
キリストは、永遠において神より生まれ出たかたであって、神と同質のおかたです。しかしキリストは、神を離れてあるのではなく、神と一体であって、神と存在を一つにしておられるのです。(神とキリストの一体性)。
神はキリストにおいて、形なきご自身のかたちを表し、その本質を私たちに如実に示されました。ですから聖書は、キリストを「神の本質の完全な現われ」(ヘブル人への手紙一・三)と呼んでいます。
キリストは「神の本質の完全な現われ」
この、神と共に永遠に存在されるキリストが、歴史上に人間となって出現されたのが、「ナザレのイエス」なのです(ナザレとはイエスの育たれた町の名)。
そして、イエス・キリストは今も、神と共に永遠に生きておられます。
私たちは、キリストを通して、神がどういうおかたであるかを知ることができます。キリストご自身、弟子たちに対して、
「わたしを見た者は、父(神)を見たのです」(ヨハネの福音書一四・九)
と言われました。私たちは、キリストの教え、行動、みわざ等を見ていくことによって、永遠の神がどのようなおかたであるかを、つぶさに知ることができるのです。
久保有政著
|