比較宗教(仏教とキリスト教)

仏教の「慈悲」
キリスト教の「愛」

慈悲とは何か。愛とは何か。


中風の人をいやされるキリスト


 最近、日本で行われたある意識調査によると、
「あなたが人生で一番大切にしているものは、何ですか」
 との問いに対し、一番多かったのは「愛」で、二位は「誠実」という結果が出ていました。
 以前は「誠実」のほうが若干多かったのに、最近では逆転して、「愛」が一位になったのだそうです。


愛」の意味は変わった

 では、「愛とは何ですか」と問うならば、日本人の多くはどのように答えるでしょうか。
「恋愛」「人を好きになること」「慕うこと」「かわいがること」なども答えもあるでしょうが、それだけでなく、
「人を思いやること」
 という答えも返ってくるでしょう。あるいは、
「人に親切にすること」
 という答えも返ってくるでしょう。「愛とは人を思いやることだ」とは、今日多くの日本人が持つに至った理解です。ところが、昔の日本には、「愛」という言葉にそのような意味はありませんでした。
 じつは仏教には、慈しみを意味する「慈悲」と、愛欲・愛着を意味する「愛」という言葉があります。仏教の「愛」は、異性、お金、名声などへの「執着心」の意味なのです。
 仏教の「愛」は、欲望の一種であり、煩悩の一つにすぎません。そのため、仏教では「愛」を否定しています。『法句経』にこう書かれています。
「愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ず。愛を離れたる人に憂いなし、なんぞ恐れあらんや」
 この「愛」は、執着心の意味です。仏教では、「愛を離れること」が理想なのです。
 ですからかつての日本人は、この仏教の「愛」概念にしたがって、「愛」に否定的な意味しか見ていませんでした。それが明治時代の頃から、しだいに「愛」という言葉の意味が、少しずつ変わってきました。
 今日では、愛とは「人を思いやることだ」「人生において最も大切なものだ」などの捉え方を、多くの日本人がしています。「愛」に、積極的な新しい意味を見ているのです。
 これはじつは、キリスト教の影響によるものなのです。
 キリスト教においては、人に対して良いことをなすことを、「愛」と呼んでいます。今日の日本人が、「愛」に肯定的・積極的な意味を見るようになった背景には、このキリスト教の愛の思想が影響しているからです。
 かつて江戸時代において、「愛」は「愛着・執着・愛執」の意味しかありませんでしたから、キリシタンはキリスト教の「愛」(原語アガペー)を、「大切」「思い」「懇切」等と訳していました。
 明治になると、クリスチャンたちは「愛」の語を、「和訳聖書」の中でも、説教の中でも、堂々と使うようになりました。その結果、日本語の意味そのものに変化が起こったのです。
 しかし、「愛」の新しい意味がすぐ広まったわけではありません。はじめの頃は、大変だったようです。
 実際、こんなエピソードもありました。明治時代に宣教師が、聴衆に対して大声で、
「神は愛なり!」
 と叫ぶと、思わず噴き出してしまった人々がいたそうです。その人々はまだ、仏教的な「愛」の理解しか持っていなかったのでしょう。
 このように仏教の「愛」と、キリスト教の「愛」では、意味が大きく違っています。
 キリスト教の「愛」と比べられるものは、仏教においては、「慈悲」でしょう。そこで仏教の「慈悲」と、キリスト教の「愛」とを対比して考えてみましょう。
(仏教の「愛」は、新約聖書でいう「エロスの愛」、仏教の「慈悲」は新約聖書でいう「アガペーの愛」に相当すると考え、両者を比較してもよい)


仏教ははじめ積極的な慈悲の教えを持っていなかった

 仏教徒は、「慈悲」とは"苦を抜き楽を与えること"である、と説明しています。慈悲とは、他の人の不幸を抜き去り、それに替えて幸福を与えることです。
 この慈悲の教えは、はじめから仏教の中心的な教えだったのでしょうか。
 どうもそうではないようです。「慈悲」が盛んに言われだしたのは、大乗仏教の時代になってからです。シャカの説いた原始仏教においては、「慈悲」は中心的な教えではありませんでした。
 それどころか、「慈悲」が実際に説かれることは、きわめてまれでした。
 シャカの原始仏教、および小乗仏教は、「出家」主義の仏教です。それは出家した者だけが救われる、という教えです。
 出家主義の仏教では、他の人々との関わり合いは、重視されません。ですからそこに「慈悲」という考えが入り込む余地は、ありませんでした。
 仏教の考え方を説明するために、よく次のようなたとえが使われます。
 ここに、幅の広い、流れの急な川があったとしましょう。川のこちら側(此岸)は、私たちのいる迷いの世界であり、煩悩の世界です。
 川を渡った向こう岸(彼岸)は、悟りの世界、あるいは生死の苦しみの消え去った静けさの境地です。仏教では、この彼岸を「涅槃」と呼んでいます。
 仏教の目的は、人々がこの川を渡って、彼岸である涅槃に達することです。
 どうすれば川を渡れるでしょうか。最も普通の渡り方は、泳いで渡ることです。


仏教の目的は、彼岸(涅槃)に達することだが、
それには川を渡る必要がある

 泳いで渡るには、まず"裸"にならなければなりません。金銀をリュックサックに一杯詰め込んで渡るわけにはいきません。そんなことをしたら、沈んで溺れ死んでしまいます。
 また、家族と共に渡ることも困難です。流れが急なので、自分一人泳いで渡るのがやっとなのです。それに、一人にしても渡れる保証はありません。彼岸は、きわめて遠いからです。
 この"裸になって、財産を捨てて、妻子を捨てて、自分一人で"ということが「出家」です。つまり出家しなければ、彼岸に渡って救われる可能性はないのです。これが原始仏教の考えであり、小乗仏教の考えです。
 こうした出家主義によると、自分一人しか救われません。ですから、他の人をかまっている余裕はないのです。慈悲を施している余裕はありません。
 しかし、のちに興起した大乗仏教の人々は、こうした出家主義の仏教を「独善的」だと批判し、彼らを「小乗」と呼びました。
「あなたがたの教えは小さい」
 と言ったわけです。そして自分たちの仏教は「大乗」(大きな乗り物)だ、と主張しました。
 自分たちの教えこそ、大きな"船"のように、たくさんの人を向こう岸に運べる"乗り物"だ、というわけです。大乗仏教の成立は、一世紀頃です。
 大乗仏教においては、「在家信者」、つまり出家していない信者にも、彼岸に渡れる可能性があるとされています。なぜなら、自分自身がこの世で厳しい修行をしなくとも、すべての人を"慈しんでおられる仏"の功徳(恵み)によって、私たちは救われる、と考えるからです。
 仏は、在家信者も慈しんでおられ、在家の者も彼岸に渡れるように望んでおられる、という考えです。
 こうして初めて、「慈悲」という考えが登場したのです。


慈悲が強調されるようになったのは大乗仏教になってから

 慈悲の仏の典型的な例は、やはり「阿弥陀仏」でしょう。
 仏教ではしだいに、宇宙のいたる所に仏が住んでいる、と考えるようになりました。はじめ無神論的だった仏教は、しだいに多神論(多仏論)になっていったのです。
 その無数にいる仏の中で、日本人によく知られてきた代表的な仏が、阿弥陀仏です。阿弥陀仏は、宇宙のはるか西方にある「極楽」という浄土に住んでいる、とされています。
 紀元一世紀頃にできた『大無量寿経』という仏典によると、阿弥陀仏は、「一五劫の昔」(なんと六四八億年も昔)には、地球上でひとりの人間でした。
 彼はある国の王でしたが、あるとき王座を捨て、出家して修行に出ました。彼は「五劫」もの間、輪廻しながらも修行し続け、善行を積み、ついにある大きな誓願を立てました
 それは、必ずやすべての人を救い、「浄土」に導こうというものです。もしその誓願が果たされないなら、成仏はすまい、と彼は堅く決心しました。
 そして今から「一〇劫」の昔に、彼はついに成仏した、というのです。ですからこの阿弥陀仏を信じてその名を唱える者は、だれでも浄土へ行くことができ、救われる(仏になる)というのが、念仏の教えです。
 つまり阿弥陀仏の「慈悲」と、功徳によって救われる、というものなのです。このように大乗仏教になって、仏教は有神論的になり、「慈悲の仏」というものが信仰されるようになったのです。
 また、「慈悲」の強調とともに、やがて「菩薩」ということも、盛んに強調されるようになりました。
「菩薩」とは、"仏の一歩手前にある人"をさす言葉です。仏を目指しながら、まだ仏になっていない人のことです。
 阿弥陀仏も、仏になる前は・・仏になることを目指しているときは、まだ「菩薩」でした。
 しかし突き詰めて考えてみると、仏になることを目指している人は皆、「菩薩」なのですから、大乗仏教に入信した者は、だれでも「菩薩」であるわけです。"あの人も、この人も、大乗仏教徒はみな菩薩だ"ということになります。
 阿弥陀仏は菩薩であるとき、すべての人に対する大慈悲心を起こして、仏になりました。ですから彼と同じように、私たちも慈悲の心を持って生きるなら、その功徳によって私たちも仏になれる、という考えが生じてきました。
 目を自分にだけ向けず、慈悲の心をもって、他の人にも目を向けるわけです。これは自分のことだけに心を奪われていた小乗仏教に比べると、大きな変化と言えるでしょう。
 仏教には、「因果応報」または「悪因悪果、善因善果」という言葉がありますが、これは、悪をなせばわが身に悪が返り、善をなせば善がわが身に返る、という教えです。
 ですから、もし慈悲という善の行為をなすなら、それはわが身にやがて良い事となって返ってくるでしょう。そして結局は、仏になるための「悟り」につながっていくでしょう。
 他の人に慈悲を行なうことによって、それが自分の成仏につながる、というわけです。自分が幸福になるために、他の人に幸福を分かち与え、幸福を与えつつ自分も幸福になる、という考えが生まれてきたのです。
 自分の完成のための修行と、他の人への慈悲の行為のどちらが欠けても、人間の本当の幸福はない、両者はつねに車の両輪のように進んでいかなければならない・・とくに日蓮宗などには、こうした考え方が強くあります。
 こうして仏教は、人間の幸福は、他の人を幸福にすることを抜きにしてはあり得ない、という認識を持つに至ったのです。


キリスト教の説く「愛」とは何か

 つぎに、キリスト教の「愛」について見てみましょう。
 「愛」の教えは、すでに旧約聖書の時代(キリスト以前)から説かれていました。シャカ誕生の約八〇〇年以上前・・紀元前一四〇〇年頃に記された旧約聖書の「レビ記」に、こう記されています。
「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(一九・一八)。
 これは自分の国の人々に対する「隣人愛」ですが、在留異国人に対する「隣人愛」についても、こう記されています。
在留異国人は、あなたがたにとって、あなたがたの国で生まれたひとりのようにしなければならない。あなたは彼をあなた自身のように愛しなさい」(一九・三四)
 隣人愛の教えは、すでに旧約聖書の時代から説かれていたのです。しかも「隣人」とは、自国人・外国人の別を問わない、とされました。私たちは、自国の人も、外国人も、難民も、国籍を越えて愛するべきなのです。
 隣人愛の教えの根底には、自分だけが幸福になるのではなく、他の人と共に幸福になることを求める姿勢があります。「自分を愛する」ことと「隣人を愛する」ことは、車の両輪のように、たえず共に進んでいかなければならないのです。
 自分を幸福にしようとする姿勢と隣人を幸福にしようとする姿勢の、どちらが欠けても人間の本当の幸福はあり得ません。これは仏教の「慈悲」にも、キリスト教の「愛」にも、共通する考えです。
 ただ注意すべきことは、「愛」の教えは聖書においては、当初から中心的な教えだった、ということです。それは、旧約時代においても新約時代においても、つねに中心的な教えでした。
 また、そこに説かれたものは当初から"積極的な愛"でした。たとえば、旧約聖書の「レビ記」にこう記されています。
「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。……貧しい者と在留異国人のために、それらを(食べられるよう)残しておかなければならない」(一九・九〜一〇)
 貧しい者を顧み、難民などの在留異国人にも、積極的に親切をしなさいという教えです。このように聖書は、大乗仏教が「慈悲」を説くより一千年以上前に、すでに、"積極的な愛"を説いていたのです。
 しかも、聖書の説く「愛」は、単なる慈悲よりもっと多くの内容を持っています。聖書の「愛」には、比類ない"お手本"があるのです。聖書は言っています。
「主(イエス)は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟(人々のこと)のためにいのちを捨てるべきである」(ヨハネの手紙第一、三・一六)
 聖書の「愛」には、イエス・キリストの愛という、比類ない"お手本"があるのです。キリストは今から約二千年前に、実際に世に来られ、至上の愛を実践されました。
 彼は、単に何かの経典の中に"何百億年も前にいた"と語られている、寓話上の人物ではありません。彼は私たちの知る歴史の中に現われ、実際に地上を歩まれ、人々のために尽くされたのです。
 イエス・キリストの実在は、単に聖書によってだけでなく、当時の歴史家の叙述によっても確認されています(西暦一世紀の歴史家であるヨセフス、タキトゥス、スエトニウスなど)。
 キリストは、「愛」とはどのようなことかを具体的に示されました。ですからもし、「愛」とは何かを知りたいなら、私たちはキリストに学ぶのが一番でしょう。
 キリストのうちにこそ、神の愛が満ち満ちており、最も優れたかたちで具現化されているからです。


キリストの愛

 聖書は、キリストは永遠において神から生まれた神の御子であり、父なる神と一体のお方である、と述べています(ヨハネの福音書一〇・三〇、一四・九)。彼は、神を私たちに身近なかたとするために、神から来られたのです。
 キリストは、ユダヤの国の小村ベツレヘムにおいて、敬虔で質素な大工ヨセフと、その妻マリヤの家庭に降誕されました。ヨセフとマリヤは、ふだんはナザレの町に住んでいましたが、人口調査のために出身地ベツレヘムに戻りました。そこでキリストがお生まれになったのです。
 キリストの降誕のために神が選ばれた場所は、王宮でも、富豪の家でもなく、馬小屋の「飼い葉おけ」の中でした。旅館の客間はどこもいっぱいで、泊まるところがなかったのです。
 こうしてキリストは、人間の最も貧しい状態の中に、お生まれになりました。彼は私たちと同じようになられたのです。
 キリストは三〇歳の頃に伝道を開始され、約三年半にわたって、福音(神の良き知らせ)を説かれました。また貧しい者を助け、病人をいやし、弟子を訓練されました。
 しかしキリストの降誕された目的は、降誕されたその時代、その場所の人々を助けることだけではありませんでした。
 ご降誕の最大の目的は、全時代の、すべての人々に対して救いの道を開くことでした。世界に生まれてくるすべての人々が、信仰をもって神に立ち返り、罪と滅びから救われるための道を開くことだったのです。
 ですから、キリストはしばしば、ご自分が必ずエルサレムに行き、そこで十字架の死を遂げるであろう、と弟子たちに予告されました。聖書にはこう記されています。
「この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた」(マタイの福音書一六・二一)
 キリストの御思いの中には、つねに、十字架の死と復活があったのです。それはご自分の死と復活こそ、旧約聖書の中で何百年も前から預言されていた「罪と汚れとを清める一つの泉」(ゼカリヤ書一三・一)となることを、知っておられたからです。


十字架をにない、ゴルゴダの丘へ向かうキリスト
その受難は、私たちを罪と滅びから救うためだった

 旧約聖書は、キリストについてこう預言していました。
彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主(神)の御旨が彼の手によって栄える」(イザヤ書五三・一〇 紀元前七〇〇年頃の預言)。
 この「とがの供え物」とは"私たちの罪のための犠牲"ということです。キリストがご自分を、私たち人間の罪のための"犠牲の供え物"となすとき、「子孫を見ることができる」・・これは復活を暗示しています。
 また「命をながくすることができ」の「ながく」は、原語では「永遠に」と同じ言葉です。つまりキリストの死が、私たちの罪のための犠牲の供え物となるとき、彼は永遠に生き、「主(神)の御旨は彼の手によって栄える」というのです。
 キリストのご降誕は、このようにご自分が人々の罪のための犠牲となることを、目的としていました。キリストは、私たちを罪と滅びから救うために、自ら十字架にかかり、私たちの"身代わり"になられたのです。


神の愛は十字架においてあらわされた

 東京の日暮里に、ひとりのきれいな少女がいました。しかし彼女の母親は、顔にひどい火傷を負っていて、顔全体が赤く腫れ上がっていました。そのため友だちから、
「おまえのかあさんは、お化けだ」
 と言っていじめられ、毎日泣いて過ごしていました。
 少女は醜い母を嫌い、なにかと母に当たっていました。しかし母は、そんな子にもじっと耐えていました。
 ある日、少女は家の中で遊んでいるとき、たんすの中から一枚の古ぼけた写真を見つけました。写真には、仲の良さそうな男女の二人の姿が写っていました。
 男性のほうは若き日の父であると、すぐわかりました。しかし女性のほうは、知らない人です。写真を母のところに持っていって聞くと、母は涙ぐみ、しばらく黙っていました。
「これはお母さんよ」
 母は言いました。
「えっ、でも火傷がないじゃないの」
 驚く子に、母は説明し始めました。少女がまだ、一歳半の赤ん坊のときのことでした。赤ん坊が、あやまってストーブにぶつかり、その上の熱湯入りのやかんが倒れかけました。
 それを見た母親は、とっさに子を抱き上げて救いました。しかし熱湯は母親の顔に掛かり、母親は大火傷を負ったのです。
 少女はこれを聞いたとき、大きなショックを受けましたが、それ以来、母を誇りに思うようになりました。友だちに何を言われても、もう気にすることはありませんでした。
 自分がどんなに大きな愛によって守られたかを、知ったからです。キリストが私たちのために十字架上で犠牲になってくださったことは、このことに似ています。
 私たちはキリストに対して、
「どうぞ私たちの罪のために十字架にかかって、贖い(救い)をなしてください」
 と頼んだわけではありません。少女が母のなしたことを知らなかったように、私たちもキリストのなされたことを、聖書によって知らされるまでは、知りませんでした。
 しかしキリストは、私たちが罪のゆえに滅びに向かっていることを知っておられたので、自ら私たちのために犠牲となって、代わりに死んで下さったのです。聖書は、
「(キリストは)自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われましたそれは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(ペテロの手紙第一、二・二四)
 と言っています。このように大きな愛が、他にあるでしょうか。まことに、
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネの福音書一五・一三)
 キリストの十字架にこそ、神の愛が豊かにあらわされているのです。


インドのクリスチャンが描いた十字架のキリスト


互いに愛しあいなさい

 愛の教えは、旧約聖書の時代からありました。旧約聖書には、
「心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない」(申命記六・五)
 という教えと、
あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(レビ記一九・一八)
 という、二つの愛の教えが記されています。神と隣人を愛することにより、神・人・自分の愛の関係が完成され、私たちは救われるのです。
 しかしキリストは、十字架にかかられる以前に、弟子たちにこう言われました。
「わたしは、新しい戒めをあなたがたに与える、お互いに愛し合いなさいわたしがあなたがたを愛したように、あなたがたもお互いに愛し合いなさい」(ヨハネの福音書一三・三四)
 この教えのどこが「新しい」のでしょうか。隣人愛の教えなら、旧約聖書にすでに説かれていたことです。この教えの新しさは、
「わたしがあなたがたを愛したように」
 にあります。キリストは、隣人愛に"模範"を残されました。キリストにとって「愛」とは、隣人にとって最善であることを行なうことでした。
 キリストは、ご自分の愛を人々に注ぎ出され、ついにはご自分の命までも、注ぎ出されました。このキリストの愛によって、私たちは「愛」ということを知ったのです。
 ですから私たちが、キリストの愛を模範としてお互いに愛し合うなら、それによって私たちがキリストの弟子であることを、すべての人が認めるでしょう(ヨハネの福音書一三・三五)。

久保有政













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