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1日 旧約・申命記三二章
「主は岩」(四)であると言われ、神の堅固さ、絶対性、力、安全等は、岩にたとえられている。
かつてダビデ王も、神を、
「わが神、わが寄り頼む岩」(詩篇一八・二)
と呼んだ。私たちは「岩」なる神を人生の土台とすることにより、人生はゆるぎないものとなる。
イエスは、「岩の上に家を建てた賢い人」と「砂の上に家を建てた愚かな人」の話をなさったことがある。「岩」という言葉で、イエスはじつは神を意味されているのである。
また、預言者ダニエルは、イエスを「人手によらずに切り出された石」と呼んだ(ダニ二・三四)。イエスを、岩なる神から切り出された「石」と表現したのである。
預言者イザヤは、イエスを「試みを経た石」と呼んでいる。
「見よ。わたし(神)は、シオンに一つの石を礎として据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない」(イザ二八・一六)。
イエスは十字架の「試み」を経て、教会の「礎」の石となられたのである。
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2日 新約・ヨハネ八章
律法学者とパリサイ人は、姦淫の現行犯でつかまえられた女をひっぱってきて、イエスを試そうとした(三)。彼らはイエスを告発する理由を得るために、この女をダシに使ったのである。
もしイエスが、「この女を石打ちにしてはならない」と言えば、イエスはモーセの律法を犯すことになる。一方、「石打ちにして殺しなさい」と言えば、イエスを救い主として信じる人々を裏切ることになる。
どちらに答えても、イエスは不利な立場に追い込まれた。
イエスは地面に何かを書いておられた。何を書いておられたのだろうか。しかし、書いておられたことが重要なのではない。重要なのはむしろ、この間イエスが女に視線をお向けにならなかったことである。
人間にとって、自分を見られないことが、何よりの思いやりである場合がある。女はこの告発のやりとりの中で、人々のさらし者になり、人々の卑しむ視線をあびて、もう充分に裁かれていた。
しかしイエスだけは、この女に視線を向けられなかった。そして人々が出て行った時、彼女に、今後は「世の光」なるご自身だけを見つめて歩んでいくよう諭された(一二)。
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3日 旧約・申命記三三章
「しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民」(二九)
とモーセは言った。これは、イスラエルの民ひとりひとりも、同感であったろう。
彼らは、荒野流浪の四〇年間において、様々な苦労をした。しかし、それでも主が共におられるという幸いは、多くの苦労にはるかにまさるものだったのである。
私たちも彼らと同じく、
「しあわせなキリスト者たちよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民」
と告白する。私たちも苦労が多いが、それも、やがて私たちに現わされようとしている祝福に比べれば、とるに足りない。
私たちはこの地上に、神の使徒として遣わされている。私たちは独りではない。神が共におられる。「永遠の腕が下に」(二七)あるのである。
モーセや、イスラエル民族が、どこにいくにも神と共にあり、神に支えられて生きたことを覚えよう。あの時の神は、今、あなたの神でもあられる。
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4日 旧約・申命記三四章
モーセは、主が「顔と顔とを合わせて選び出された」(一〇)預言者であった。この直接的な選びは、モーセを他の預言者と区別するものであった。
「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった」(一〇)。
しかし、この一四〇〇年後、モーセのような預言者、いやモーセ以上の預言者が地上に現われた。
イエス・キリストは、神の御子であり、救い主であるが、「預言者」でもあられる(マタ一三・五七)。
イエスが五千人の人々に給食された奇跡は、人々にイエスを「第二のモーセ」と思わせるものであった。
かつてモーセがマナを与えたように、イエスは人々にご自身という「いのちのパン」を与えられる(ヨハ六・五〇)。またモーセが岩から水を出したように、岩なるイエスは人々に聖霊という「いのちの水」を与えられる(ヨハ七・三八)。
モーセは杖をもって人々を導き、紅海の水を分けた。同様にイエスは、再臨されるとき、「鉄の杖」をもって人々を御国に導かれるのである(黙示一九・一五)。
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5日 新約・第一テモテ三章
「監督」(一)は、「長老」のことで、教会のリーダー的な人物をさす。「執事」(八)は、その補佐をする役員である。
監督および執事は、「ひとりの妻の夫である」ことが望まれた。つまり、結婚している必要があった。
この言葉から見ると、神父やシスター等に独身を要求しているカトリックの教理は、聖書の教えから遠いように思える。次章の三節でも、「結婚することを禁じたり」することは神の教えではない、と述べられている。
もちろん、自発的に独身であることを選んだ人は、それなりに意味がある。しかし、独身であることを教会リーダーの資格と規定することは、決して聖書的ではない。
シャカの説いた原始仏教では、仏弟子は、みな独身であることが要求された。結婚している者は、出家して、妻子を捨て、単身になることが要求された。
これはシャカが、結婚生活は修行の敵と考えていたからである。しかし、キリスト教にはこのような考え方はない。
私たちは、独身でも既婚でも、同様に神に仕えることができるのである。
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6日 旧約・ヨシュア記一章
「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている」(三)。
「与えている」は、完了形である。神の摂理においては、すでにカナン占領は成就しているのである。
では、人間の意志や力はもういらないのか。そうではない。神はヨシュアに、
「強くあれ。雄々しくあれ」(六)
と命じられた。人間側では、強い意志と実行力が必要なのである。
信仰とは、そういうものである。私たちは人々の救いを祈る。祈りの中で、人々が救われることを信じ、神の約束をにぎるまで祈る。
では、神の約束をにぎれば、もう何もしなくてよいのか。そうではない。神の約束が現実化するまで、私たちは努力を重ねなくてはならない。
神の約束があるから、その努力は必ず実を結ぶ。神の側では事はすでに成就しているのだが、それを現実の世界に現わすために、私たちは働かねばならないのである。
信仰生活とは、目に見えない世界ですでに成就していることを、目に見える世界にもたらそうとする歩みである。
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7日 旧約・ヨシュア記二章
イスラエルの斥候をかくまったラハブは、売春婦であった(一)。
ラハブは、エリコの町にもはや未練はなかったようである。エリコをはじめカナンの町々は、多くの悪で満ちていたから(レビ一八章)、そこは彼女にとっても、安息の街ではなかったに違いない。
ラハブは、売春のほかに生活の手段がなかったので、やむを得ずそれをしていたのかもしれない。
彼女は斥候に対して、主への信仰を告白した。彼女は告白の中で、ヤハウェ(主)という神の御名を用いている。またヤハウェが「上は天、下は地において神であられる」(一一)と告白している。
ラハブは、斥候から主について聞き、その話を信じたのであろう。イスラエル民族がエジプトから集団で出てきたことは、エリコの住民にも伝えられていたから、斥候の話には信憑性があったのである。
ラハブは、社会の底辺で暮らしていた女性であった。しかしイスラエル民族は、彼女に対しても誠実を尽くす。すなわち、エリコを攻めるとき、ラハブとその家族は約束どおり救出するのである。
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8日 新約・ヨハネ九章
仏教徒には、誰かが不幸な境遇に生まれると、それはその人の前世の行ないが悪かったからだ、という考え方がある。いわゆる業(ごう)、また因果応報と呼ばれるものである。
またユダヤ教徒には、誰かが不幸な境遇に生まれると、それはその人、あるいはその人の両親が罪を犯したからだという考え方があった。しかしイエスは、「生まれつきの盲人」(一)に関して言われた。
「この人が罪を犯したのでも、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです」(三)。
私たちは、不幸な境遇に生まれると、それを「宿命」と考えやすい。しかしイエスは、そう考えてはならないと言われる。イエスは、
「神のわざが現われるため」
だと言われるのである。これは神の見地から見たものである。人のいかなる境遇も、神の栄光を現わす場となり得る。
私たちはイエスを知るとき、自分のいかなる境遇も善なるものに変え得ることを知る。万事を益とされる神(ロマ八・二八)によって、真の宿命転換がはかられるのである。
不幸と見えるものに、しばしば幸福の種が宿っている。
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9日 旧約・ヨシュア記三章
カナンの地は、ヨルダン川の向こうに広がっていた。
「(契約の)箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき」(一五)
ヨルダン川の水は上流でせきをなして立ち、川底はかわいて、そこに道ができた。
これは四〇年前の紅海渡渉の時と同じだ、と思われるかも知れない。しかし、じつは重要な点で違いがある。
紅海渡渉の時は、「モーセが手を海の上に差し伸ばすと」(出エ一四・二一)、海が分かれた。これはモーセの信仰によるものであった。
しかしヨルダン川渡渉は、そうではなかった。契約の箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、はじめて水がせき止められた。これは民の信仰によったのである。
しかも、彼らが足を水に踏みいれるまで、水はせき止められなかった。奇跡を見る以前に、信じて踏み出す行動が要求されたのである。それは、より多くの信仰が必要であった。
私たちの人生においても、このようにより高い段階の信仰が要求されることがある。実際に事が起きる前に、それが起きることを信じて行動に出ることを、要求されることがあるのである。
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10日 旧約・ヨシュア四章
一二個の石を立てたのは、ヨルダン川の水がせきとめられたことの証拠とするためではなく、「記念」とするためであった(七)。
記念に石を立てて柱とすることは、かつてヤコブもベテルで行なった(創世二八・一八)。ヨシュアはまた、カナンを征服したのちに、民が神の言葉を聞いたしるしとして、主の聖所の樫の木の下に大きな石を立てている(ヨシ二四・二六)。
こうした風習は、じつは日本においても見られる。
日本の初代天皇と言われる神武天皇は、大和の鳥見(とみ)の山麓に石をめぐらして壇を築き、神を祭ったと伝えられている。今日も日本の各地に、石を立てて柱としたものや、石を積み上げて柱としたものがある。
また、日本では神を数えるときに、「一柱の神」「二柱の神」というように、柱という言葉を用いる。これも、ヤコブやヨシュアの立てた石の柱が思い起こされて、興味深い。
石を立てることは、古来日本においても、神を覚えることであった。だから私たちは、イスラエル民族が神を覚えるために石を立てて記念としたという記事に、何か深い親密感を抱かずにはいられない。
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11日 新約・第一テモ四章
テモテは若かったが、パウロは彼に、
「年が若いからといって誰にも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい」(一二)
とすすめた。
テモテはルステラの出身で、おそらくパウロの第一回伝道旅行のときに信仰に入った。彼の父はギリシャ人で、母と祖母はユダヤ人であった(使徒一六・一、二テモ一・五)。
テモテは、信者の間で「評判の良い人」(使徒一六・二)であり、パウロの伝道旅行にも同行した。伝承によれば、テモテはやがてエペソの監督となり、のちに殉教した。
パウロはテモテを、「信仰による真実のわが子テモテ」(一・二)と呼び、彼を愛した。テモテはパウロの教えに従い、信者の模範となった。
彼はつねに、神の言葉に聞き、神への敬虔のために心を鍛錬したのである(七)。
私たちもテモテのように、つねに聖書の御言葉を第一として、それに聞き従う生活を送りたいものである。
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12日 旧約・ヨシュア五章
これからカナンの諸民族と戦おうとするとき、ヨシュアの前に「ひとりの人」が現われた(一三)。彼は敵でも、また、ただの味方でもなかった。彼は、
「わたしは主の軍の将として今来たのだ」
と言った。彼は味方するただの「友」として来たのではなく、ヨシュア以下の全軍を指揮する総指令官として来たのである。
この「ひとりの人」は、「抜き身の剣を手に持って」現われた。彼をキリストと解する向きもあるが、このような場面で現われるのは、一般的には御使いである。
御使いは、かつてバラムの前に、抜き身の剣を手に持って現われた(民数二二・三一)。またダビデにも、抜き身の剣を持って現われている(一歴代二一・一六)。
私たちの人生の戦いにおいても、しばしば神およびキリストから遣わされた天使が、指導にあたってくれている。彼らは目に見えないところで、神のみこころにそって事が起こるように導き、働きの栄光はすべて神に帰す。
彼らは多くの場合、表には出ないで、神およびキリストの働きを前面に出す。
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13日 旧約・ヨシュア六章
「民が・・・・大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた」(二〇)。
このくずれ落ちた跡は、考古学者たちの手によって発掘されている。
エルサレムの英国考古学研究所のガースタング博士は、一九二九〜一九三六年にエリコを発掘し、この町がヨシュアの時代に相当する前一四〇〇年頃に破壊されたことを示す跡を発見した。博士は、外側の城壁は外側に倒れ、内側の城壁と家屋を引きずって丘腹にずれ落ちている事実を発見した。博士は、これは地震による倒壊と考えている。イスラエルの民がときの声をあげたとき、神は地震を用い、城壁をくずされたのかもしれない。
また城壁にそって建てられた家屋や、倉庫は、みな強力な火によって焼かれていた。これは、「彼らは町とその中のすべてのものを火で焼いた」(二四)という記事を裏づけるものである。
「エリコの再建を企てる者は、主の前にのろわれよ」(二六)。
これは、エリコを城壁の町として再建する者はのろわれるとの意味であるが、こののろいは約五百年後にベテル人ヒエルがエリコを城壁の町として再建したとき、文字通り成就した(一列王一六・三四)。
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14日 新約・ヨハネ一〇章
イエスは、ご自身を「羊の門」といい、また「良い牧者」と言われている(七、一一)。
ユダヤでは、羊飼いはしばしば夜、羊を入れた柵の入り口に横たわって寝て、自分自身がその「門」となることがある。それは狼など外敵が来たときに、すぐに対処できるためである。
イエスがご自身を「羊の門」また「良い牧者」と言われたことには、そういう意味がある。
「この囲いに属さない他の羊」(一六)とは、異邦人クリスチャンたちのことである。イエスは、在世中はイスラエルの中しか伝道されなかったが、異邦人伝道の展望は持っておられた。
ユダヤ人クリスチャン、および異邦人クリスチャンは、イエスに導かれて「一つの群れ、ひとりの牧者」となるのである。
イエスはまた、ご自分の意志で十字架の死を遂げるのであり、また復活するのである、とも述べられた(一八)。イエスは十字架の死を覚悟しておられた。
それは十字架なくして私たちの救いはないこと、また、十字架なくして栄光はないことを、彼が知っておられたからである。
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15日 旧約・ヨシュア七章
アカンは、聖絶のものを聖絶せず、盗み、自分の家に隠し持っていた。この一人の罪が、イスラエル民族全体に大敗北をもたらした。
もしアカンが、くじが自分を引き当てる以前に進み出て、罪を告白していたら、彼は赦されたかもしれない。しかし彼は、自分にくじが引き当てられて、ようやく罪を告白した(二〇)。
アカンは死刑になった。その方法は、民の全員が彼に石を投げるというものであった。この刑の執行方法は、今日のように人知れずなされる刑とは違い、民の一人一人の心に深い痛みをもたらしたに違いない。
民の中に、喜んで石を投げる者は一人もいなかったであろう。私たちはみな、アカンと同じように、一歩間違えば重大な罪を犯しかねない弱い人間なのである。
そのような人間たちが、自らの手で刑の執行に参加しなければならない。参加した一人一人は、罪の重さを認識させられたのである。
神のわざをなす時には、とくに聖さが要求される。イスラエル民族はそのことを、大きな犠牲の上に学ばねばならなかった。
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16日 旧約・ヨシュア八章
アイの町とベテルの町は、約二・五キロ離れている。イスラエルは、これら二つの町を聖絶した。
二つの町は一九三四年に、考古学者W・F・オルブライト博士の一隊によって発掘されたが、それらは、ヨシュアの侵入と時を同じくする頃に「特別乱暴に荒らされ」「ものすごい火事」によって破壊されていた。
オルブライト博士は、パレスチナのどこでもこんなめちゃくちゃな火災の跡は見たことがない、と言っている。
こうした聖絶行為は、残酷な侵略戦争と思う人もいるかもしれない。しかし、モーセは申命記九・五で、
「あなたが彼らの地を所有することができるのは、あなたが正しいからではない。・・・・これらの国々が悪いために、あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追いだそうとしておられるのだ」
と言っている。カナン占領は、カナンへの審判だったのである。
そのためにイスラエル民族が用いられたが、これはひとえに神のご主権による。だから、後にイスラエル民族が堕落したときには、神は今度はバビロン帝国を用いて、イスラエルに裁きを下されるのである。
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17日 新約・第一テモ五章
テモテは、禁酒をしていたようである。実際、酒によっぱらうこと――酩酊は、罪や愚かな行為の機会となりやすいから、当時のクリスチャンをはじめ、今日のクリスチャンも、酒を飲まない者が多い。
しかしパウロは、テモテの胃の弱いのに配慮して、少量のぶどう酒を飲むことを勧めた(二三)。
ここに、パウロの融通無碍の人生哲学がある。彼は酩酊を禁止したが、一切の酒を飲んではいけない、とまでは言わなかった。
実際、少量の酒は健康によいことが、今日の医学においても実証されている。では「少量の酒」とはどのくらいの量で、何ccを言うのか。
それは、酔っぱらわない程度の量である。その量は人によって違うから、必ずしも何ccと言うことはできない。
飲んでよい量と、飲んではいけない量との境界は、きわめてファジィ(あいまい)である。しかし、それで良いと思われる。
「一滴も飲んではいけない」とか「何cc以上飲んではいけない」とかは、律法主義であろう。福音に生きる者は、神の教えを基本に、細かいことは各々が祈りのうちに判断していくのである。
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18日 旧約・ヨシュア九章
ギブオンのヒビ人たちは、イスラエルと盟約を結んで自由な身分で生き延びようとしたが、結局奴隷となってしまった(二一)。
しかし、今回の出来事には、イスラエル側にも失敗があった。盟約は、どこの民と結ぶにせよ、イスラエルにとって非常に重要なことである。にもかかわらずヨシュアは、このことで主の指示をあおがなかった。
かつてモーセも、失敗を犯したことがある。彼は不適切な言葉を吐いて、主の怒りを招き、カナンの地に入れなくなった(民数二〇・一二)。
いかに偉大な指導者も、完璧ではない。失敗を犯すことがある。しかし本当に偉大な指導者は、その失敗の経験を生かして、二度と同じ失敗をしないものである。
ヨシュアは今回のことで、主の指示をあおぐことの重要性を、再認識させられたに違いない。また、盟約を結ぶとき、ギブオンの人々に、
「もしあなたがたの言うことが本当でないなら、盟約は解かれる」
という但し書きをつけておけば、こんな苦労はしなくてよかった、と見る向きもあるだろう。
イスラエルの指導者たちは、エリコやアイのことがうまくいったので、油断していたのである。
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19日 旧約・ヨシュ一〇章
ヨシュアに率いられたイスラエルは、次々にカナンの町々を征服し、そこにあるものを聖絶していった。
この光景は、終末の時代に起こるとされる「ハルマゲドンの戦い」を想起させるものである。
その日、再臨のキリストと天の軍勢は、地上の悪の勢力と戦い、次々に征服し、占領し、そこにあるものを聖絶する(黙示一九・一一〜二一)。
じつは、このハルマゲドンの戦いの一つの予型が、ヨシュアによるカナン征服なのである。
ヨシュアとその民は、約束の地カナンから悪しき民を一掃して、その地を継いだ。そのように再臨のキリストとその民は、やがてこの地上から悪を一掃し、約束の千年王国においてこの地上を継ぐであろう。
また、ヨシュアとイエスは、じつは同じ名前である。イエスをヘブル名でいうとヨシュアであり、ヨシュアをギリシャ名でいうとイエスなのである。
これは金(きん)の韓国名がキムであり、キムの日本名が金(きん)であるのに似ている。
ヨシュアは、ある意味では再臨のキリストの予型的人物なのである。
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20日 新約・ヨハネ一一章
「イエスは涙を流された」(三五)。
これは新約聖書中、最も短い節であり、同時に最も意味の深い節でもある。
イエスはなぜ涙を流されたのか。死んだラザロの姉妹マリヤや、人々が泣いているのを見て、「もらい泣き」したのか。
そうではない。イエスはラザロをよみがえらせるために、ここに来られたのである(一一〜一五)。イエスは泣くのではなく、マリヤに対して、誇らしげにこう言うこともできた。
「マリヤよ。私はラザロをよみがえらせに来た。彼はもうすぐ生き返るのだ。だから泣くことはない」。
しかし、イエスは誇らしげな言葉を言うこともなく、むしろ「涙を流された」。
これは、死が人間の世界を支配し、人間に深い苦悩をもたらしている現実を見て、「霊の憤りを覚え」(三三)、すなわち怒りを感じ、涙を流されたのである。
昔の哲学者の中には、死を友のように考える人々がいた。仏教においては、輪廻転生を信じるから、死は人生の一部と見なされる。
しかしキリスト教においては、死は克服されるべき最後の「敵」なのである(一コリ一五・五四〜五五)。
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21日 旧約・ヨシュ一一章
「アナク人」はほとんど聖絶された、と記されている(二一〜二二)。
アナク人は、かつてイスラエルの斥候がカナンを偵察して、
「私たちが見た民はみな、背の高い者たちだ。私たちは・・・・ネフィリム人のアナク人を見た」(民数一三・三三)
と言った人々である。アナク人は背の高い民で、イスラエルの斥候には、ちょうど昔の日本人がアメリカ人を見た時のように、大柄に見えた。
イスラエルがそのように恐れたアナク人であったが、彼らは神とイスラエルの前に征服された。
「ネフィリム人のアナク人」と言われているが、ネフィリムとは、ノアの大洪水以前にいた巨人のことである(創世六・四)。
彼らは大洪水の時に滅びた。しかし、その記憶は大洪水以後の世界にも言い伝えられ、人々は巨人を見れば「ネフィリム(のようだ)」と呼んでいたのである。
アナク人は、ネフィリムを思わせるような大柄な人々であったので、イスラエルの斥候は彼らを「ネフィリム人のアナク人」と呼んだ。しかし、そうした彼らも征服されたのである。
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22日 旧約・ヨシュ一二章
当時のカナンは、都市ごとに王がおり、数々の都市国家が乱立していた。イスラエルは、それらの都市国家を占領したのである。
ヨシュアは、神に従いながら、これらの町々を一つ一つ征服していった。
私たちクリスチャンにおいても、征服しなければならないものがあるのではないか。
それは自分自身の心である。どうやって征服するのか。神に従うことによって征服するのである。治めがたきは人の心であるが、私たちは自分自身の心から、罪を一つ一つ聖絶しなければならない。
「罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである」(創世四・七)。
ヨシュアは、三一人の王を征服した(二四)。私たちが征服すべき心の罪は、いくつあるか。
あなたは、かつて信仰を持ったとき、自分が悔い改めた罪がいくつあっただろうか。それらは、今日聖絶されているだろうか。
私たちは祈り、神に従うことによって、それらを征服し、聖絶しなければならない。
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23日 新約・第一テモ六章
聖書の中に、「金銭は、あらゆる悪の根である」と書かれていると思っている人が、意外にも多い。しかし、聖書はそのようなことを記していない。聖書はこう記している。
「金銭を愛することは、あらゆる悪の根である」(一〇)。
悪の根とされているのは、金銭そのものではなく、「金銭を愛すること」である。金銭への愛(フィリア)、すなわち金銭への欲望や執着心が、問題とされているのである。
金銭自体は、良いものである。しかし金銭を愛すると、人の心に罪が忍び寄る。大切なのは、金銭を愛することではなく、愛のために金銭を用いることである。
金銭に生きるのではなく、金銭を生かすことである。だからこう言われている。
「この世で富んでいる人たちに命じなさい。・・・・人の益をはかり、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように」(一七〜一八)。
金持ちになることは禁じられていない。しかし富は、死後にまで持っていくことはできない。富んでいる人は、死ぬ前に、貧しい人々その他のために自分の富を活用しなければならない。
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24日 旧約・ヨシュ一三章
占領すべき土地は、まだたくさん残っていた(一)。
神はヨシュアにすべてを占領させず、イスラエルの各世代に徐々に占領させるように、はかられた。これについては、申命記七・二二に言われている。
「あなたの神、主は、これらの国々を徐々にあなたの前から追い払われる。あなたは彼らをすぐに絶ち滅ぼすことはできない。野の獣が増してあなたを襲うことがないためである」。
カナンの占領は、約四〇〇年後のソロモン王の時代に至って完全なものとなる。その時に至るまで、イスラエルはカナンの占領地域を、徐々に拡大していくのである。
もしヨシュアの時代にすべての地域を占領し終わったら、イスラエルは慢心し、堕落が早まったであろう。
私たちの事業も、一挙にすべてがうまくいくことは少ない。もしそんなことがあれば、私たちは慢心し、すぐさま大きな失敗を招いて没落してしまうだろう。
私たちは、一挙にうまく行くことを期待するより、徐々に成功の階段を上っていくべきなのである。
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25日 旧約・ヨシュ一四章
かつて出エジプトをしたばかりのイスラエルが、カナンに斥候を送り、偵察してきたとき、「カナンを占領できる」と言ったのは、カレブとヨシュアだけであった。
当時大人だった者で、カナンに入った者は、彼ら二人だけであった。イスラエルがカナンに入って五年が経過し、カレブはすでに八五歳になっていた。
八五歳といえば、足元はおぼつかなくなり、痴呆も始まろうかという年である。しかしカレブは、四〇歳の時と同じように、なお壮健であった。彼は、
「主が私と共にいてくだされば・・・・私は彼らを追い払うことができましょう」(一二)
と言った。カレブは主に従い通したゆえに、肉体も精神も豊かな祝福の中にあったのである。
カレブは、主の約束通り自分に相続地を与えてくれるよう求め、それを得た。
私たちは、主が約束されたことを忘れず、覚えていなくてはならない。そして時が来れば、遠慮せず、その約束の実行を求めてよい。
主に従う者に対して、主は必ず約束を果たされるのである。
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26日 新約・ヨハネ一二章
一粒の種は、地に落ちると、やがて地中で種の殻を破って発芽し、根も出て植物らしい形に成長する。しかし、その頃には種は元の形を失い、消え去ってしまう。
種は死んでなくなるが、そこに新しく植物が成長し、やがて豊かな実を結ぶのである。これが、
「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(二四)
の意味である。
イエスは、この「一粒の麦」となられた。イエスがもし十字架上で死ななければ、それは元のままだが、もし死ねば、それを通してやがて多くの実が結ばれる。
イエスの死により、天国の門が開けられ、信仰による救いの道が人々のために開かれる。ただ一人の死により、多くの人が救われるのである。
これが、イエスという「一粒の麦」と、その死を通してもたらされた「多くの実」である。イエスはご自分の死を通して、やがて多くの人々の救いという豊かな実が結ばれることを、知っておられたのである。
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27日 旧約・ヨシュ一五章
ユダの部族には、地中海と死海の間の地域が割り当てられた。
この地域の北端には、のちに神の都とされる聖都エルサレムがあった。エルサレムには、エブス人が住んでいたが、イスラエルは彼らを追い払うことができなかった(六三)。エブス人は、王はヨシュアによって殺されたものの(一〇・二三)、イスラエルの中で異邦人として住んでいた。彼らはエルサレムに要害を築き、そこを中心に住んでいた。
やがてダビデ王がこの要害を占領したが、ダビデはエブス人を追い出すことはしなかった。なぜなら、その後ソロモン神殿の敷地となった打ち場を所有していたのが、エブス人だったからである。
ダビデはその敷地を、エブス人から買い取った(二サム二四・二四)。
その後ソロモンがイスラエル王国を治めたとき、ソロモンは、エブス人の生き残りを奴隷とした(一列王九・二〇〜二一)。
エブス人の他にも、エモリ人、ヘテ人、ペリジ人、ヒビ人の生き残りは、ソロモンのもとで奴隷となった。
このことは、そののちイスラエルの民が、アッシリヤ帝国やバビロン帝国のもとで奴隷となるまで続いた。
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28日 旧約・ヨシュ一六章
ヨセフ族、すなわちマナセとエフライムは、地中海とヨルダン川の間の地域を割り当てられた。
エフライムの割当地には、シロという町も属していた。ヨシュアはのちに、シロに会見の天幕(幕屋)を設置する(一八・一)。
カナン定着からサウル王即位までの士師時代には、シロで毎年主の祭が持たれた(士師二一・一九)。幕屋と契約の箱とは、サムエルの時代まで、そこにあった。
このように、エルサレムがイスラエルの中心地となる以前、シロはイスラエルの中心地であった。
しかし、やがてシロにおいて、罪が犯されるようになる。イスラエルはそこで偶像を拝むようになり、神の怒りを招くのである。
シロはやがてペリシテ人によって攻撃され、契約の箱も奪われる。契約の箱はのちに戻されるが、もはやシロには戻らない。
神はシロを見捨てられたのである。神は契約の箱を、やがてユダ族の地エルサレムに移される。神はご自身の中心摂理の土地を、エフライムからユダに移されるのである(詩篇七八・五六〜六八)。
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29日 新約・第二テモテ一章
「その方は、私のお任せしたものを、かの日のために守って下さることができると確信している」(一二)。
使徒パウロは、キリストに多くのものをお任せしていた。彼は自分の命を、また両親や兄弟の救いを、また自分が伝道した人々の救いの達成を、お任せしていた。
私たちも、キリストに多くのものをお任せすることができる。私たちが自分でできることには、限度がある。自分ですべきことは自分でし、お任せすべきものはお任せするのである。
「人事を尽くして天命を待つ」という心が、あるときは大切である。完成させてくださるのは、神なのである。
あなたにもきっと、自分の力だけではどうしようもないときがあるはずである。それを祈りのうちに主にゆだね、主にお任せしよう。主は、かの日のためにそれを守ってくださる。
とくにあなたは、自分の命と救いについて、主にお任せしなければならない。命と救いは、主でなければ守れないものである。主はあなたの信仰に応え、それを守ってくださる。
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30日 旧約・ヨシュ一七章
ヨセフ族は、自分たちは数が多いのだから、もっと多くの土地が欲しいと言った(一四)。
しかし彼らに割り当てられた地には、まだカナン人が住み、追い払われていなかった(一二)。もっと多くの土地が欲しいというなら、彼らを追い払うべきである。
ヨセフ族は、「彼らは鉄の戦車を持っています」と、言い訳を言った(一六)。カナン人は強いから追い払えない、というのである。
これに対するヨシュアの答えは、
「カナン人は・・・・強いのだから、あなたは彼らを追い払わなければならない」(一八)
であった。一方は強いから追い払えないと言い、一方は強いから追い払うべきだ、と言っている。
目の前にあるのは、同じ現実である。しかし信仰を持つ者と、持たない者とでは、同じ現実を見ても、考えが全く違ってくる。
あなたの前には、今どんな現実があるか。あなたは今それを、否定的な思いで眺めているか。それとも、信仰的・積極的な思いで見つめているか。
あなたが持つ思いで、結果は大きく違ってくる。
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31日 旧約・ヨシュ一八章
ベニヤミン族の割当地は、北のエフライムと南のユダに、はさまれた所にあった。そしてベニヤミンと、ユダの接する所には、エルサレムがあった(二八)。
ベニヤミンの割当地は小さかったが、そこはイスラエル民族がヨルダン川を越えて最初に入った地であり、最初に占領したエリコや、アイの町もそこにあった。丘陵地帯であるが、肥沃であった(古代史)。
ベニヤミン族は勇敢で、またどう猛であった。士師時代に、イスラエルがモアブ人の支配下にくだったとき、ベニヤミン族の勇士エフデは、イスラエルを救った(士師三・一五)。
ところが、のちにギベアで強姦事件が起き、そのことからベニヤミン族は全イスラエルと戦うという内戦を起こす。その結果、ベニヤミンはほとんど全滅の憂き目を見たのである(士師一九〜二一章)。
しかし、ベニヤミンは最初の王サウルを出し、長い間その家に忠実であった。その後はダビデ王に仕え、最後までユダ族と運命を共にした。使徒パウロは、ベニヤミン族の出身である(ピリ三・五)。
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