聖書一日一章

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1日 旧約・創世記四六章
 イスラエル(ヤコブ)は、家族の者たち総勢七〇人で、エジプトに向けて南下した。途中、神は幻の中にイスラエルに現われ、彼と共にいること、またやがてエジプトから導き上ることを彼に告げられた(四)。
ヨセフは、イスラエルがことのほか愛していた子である。イスラエルは彼を見たとき、感激のあまり「もう今、私は死んでもよい」(三九)と言った。
 ヨセフは、こののちも五年は続くはずのききんからイスラエル一家が守られ、エジプトでしばらく暮らせるよう、様々な気配りのもとに準備をした。
 エジプトは、イスラエル一家にとって永住の地ではなかったし、安住の地でもなかった。そこは神が「あなたがたに与える」と約束された地でもなかった。しかし、ききんからのがれるために、彼らはエジプトに滞在するほかなかったのである。
 イスラエル一家は、こうしてエジプトの地で、他国に寄留者となるという経験を持つ。これはイスラエルの人々にとって、非常に重要な経験となるのである。
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2日 新約・一コリント七章
 パウロは、単なる禁欲主義者ではなかった。肉体的情熱が燃えているのにそれを無理に否定するよりは、結婚するほうが自然であり、それは罪ではない、と彼は述べた(九)。
 彼はここで、結婚や離婚の問題について、具体的な教えを述べている。彼は、一般的には離婚を禁じた。夫婦の片方が信者で片方が不信者という場合も、不信者側が一緒にいることを承知しているなら、離婚してはならないとしている(一二〜一四)。
 しかし、パウロは一つの場合に限り、離婚を容認している。それは、信者でないほうの者が自ら離れていく場合である(一五前)。結婚関係を続けるにせよ、離婚するにせよ、その究極的目的は平和を得ることだからである(一五後)。
 パウロはまた、当時存在していた奴隷制についても言及している。彼は、
 「しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。・・・・人間の奴隷となってはいけません」(二一〜二三)
 と教えた。これはあのリンカーンが、奴隷解放のために生涯を捧げる、との決心をするもととなった御言葉である。
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3日 旧約・創世記四七章
 ヨセフは、賢明かつ寛大な政治を行なった。
 ヨセフは、ききんに苦しむ他国の人々を、無理に征服しようとはしなかった。彼は代金の銀と引き換えに、彼らに食物を与えた。
 やがて人々に銀がなくなると、ヨセフは家畜との交換を行なった。家畜もなくなると、人々は自ら、パロ(ファラオともいう。エジプト王の称号)の奴隷となると申し出てきた。小作人になる、ということである。
 これに対し、ヨセフは寛大な対応をした。彼は、収穫の五分の一――二〇%を税としたが、これは古代社会の税率が四〇〜六〇%であったことを考えると、いかに寛大であったかがわかる(二四)。また、種は無償で与えられた(二三)。
 ヨセフも、ヤコブも、エジプトで高い地位と物質的繁栄の中にあった。しかし彼らの心は、常に、神がお与えになった約束の地カナンに向いていた(二九〜三〇)。
 ヤコブは死後、ヨセフの手により、カナンの地に葬られた(五〇・六)。ヨセフの骨も、約四〇〇年後の出エジプトの際、モーセによってカナンの地へ携えて行かれる(五〇・二五、出エ一三・一九)。
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4日 新約・マタイ二四章
 イエスが語られた終わりの日の前兆のうち、一四節までの事柄は、今日の世界にすでに見られることである。
 すなわち、にせキリスト、にせ預言者、戦争、戦争のうわさ、世界大戦、民族紛争の多発、迫害、愛が冷えること――これらはみな二〇世紀になって顕著になった。
 しかし、一五節の事柄は、まだである。これはエルサレムのユダヤ教神殿が、やがて荒らされてそこに偶像が立てられるとの預言で、その時が来ればキリスト再臨の時は近いことを示す。
 けれども、エルサレムにはまだユダヤ教神殿は建てられていない。エルサレムの「神殿の丘」には、今日イスラム教の建築物があるだけである。
 ユダヤ人は今も、やがてユダヤ教神殿が建てられることを盛んに願っている。彼らはこれを「第三神殿」と呼んでいる。第一神殿はソロモン時代の神殿、第二神殿はゼルバベル、およびそれを修復増築したヘロデ時代の神殿のことである。
 第三神殿が建てられる日が来れば、さらに、それが荒らされる日が来れば、キリスト再臨の日は間近である。
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5日 旧約・創世記四八章
 ヤコブは、愛妻ラケルを「ベツレヘムへの道」のかたわらに葬った(七)。これは彼らの生涯を、あのベツレヘムに降誕されたキリストに結びつける、象徴的な出来事である。
 ヤコブの生涯もラケルの生涯も、救い主キリストの降誕を、はるか先にのぞむものだった。じつは彼らの生涯自体が、「ベツレヘムへの道」を歩むものだったのである。
 では私たちの生涯は、何への道を歩むものか。それは、やがてエルサレムに立たれる再来のキリストへの道なのである。
 さて、ヤコブはヨセフの子を見ると、彼らを祝福しようとした(九)。ヨセフは、長子マナセをヤコブの右に、次子エフライムを左に着かせた。それは当時の社会常識だった。
 しかしヤコブは、手を交差して右手をエフライムに、左手をマナセに置いた。長子の祝福は、弟エフライムのものとなった。
 こうして、イシマエルに代わるイサク、またエサウに代わるヤコブと同様、再び長子でないものが長子の特権を得た。ヤコブが、手を交差して祝福したのは神からのものであり、預言的意味があったのである。
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6日 新約・一コリント八章
 当時のコリント町では、偶像にささげた肉の残りは、市場で売られていた。そのような肉を買ったり食べたりしてよいだろうか、ということで、コリントのキリスト者たちは悩んでいた。その問題に対してパウロが回答したのが、この章である。
 パウロはまず、私たちには父なる神のみがおられることを、再確認している。また私たちには、唯一の主なるキリストがおられるだけである(六)。
 パウロはさらに、愛による自由の原則を述べる。食べることは自由である。しかし肉を食べることに、宗教的御利益はない(八)。
 また、偶像にささげた肉を食べることは、兄弟姉妹へのつまずきとなることもある。だからパウロは、もし肉を食べることが兄弟へのつまずきとなるなら、自分は食べない、と言っている(一三)。
 食べることによって汚れるからではない。兄弟をつまずかせないために、食べないのである。愛はしばしば、自発的に自分の自由を抑制する。
 ここにも、愛を基準に物事を判断するという、パウロの考え方があらわれている。
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7日 旧約・創世記四九章
 ヤコブの一二人の子らは、のちにイスラエルの一二部族を形成する。ここでヤコブは、その子らを集め、彼らについて預言する。
 シメオンとレビが叱責されているのは(五)、妹ディナのために報復したあの残虐行為(三四・二五〜三一)のゆえである。そして、
 「私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう」(七)
 と言われている。これは、のちにシメオン族がユダ族の中に散らされたこと、およびレビ族が各部族の中に散らされたことを指している。
 またユダについては、ユダの子孫の中からキリストが降誕されることが暗に預言されている。「統治者の杖はその足の間を離れることはない」(一〇)は、キリストによって最終的な成就を見たものである。
 ユダの子孫から現われる「シロ」(一〇)は「平和(をもたらす者)」の意味で、キリストのことである。「ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う」のである。
 ヤコブはこのように、自分の子ユダの子孫から偉大な救い主が現われることを、神からの霊感によって予期していた。
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8日 新約・マタイ二五章
 これらのたとえは、いずれもキリストの再臨の時に関するものである。
 「花婿」(六)とは、再臨のキリストのこと。キリストは、少し「遅れて」来られるが(五)、必ず来られるから、私たちはいつも霊的な目を覚ましておかなければならない。
 彼は来られると、私たちに預けたタラント(賜物)を私たちがどのように用いたかについて、一人一人に尋ねられる(一四〜三〇)。私たちは、神から授けられたそれぞれのタラントを、無駄にしてはならないのである。
 キリストはまた、最終的に人を天国と地獄に分ける権威を持って来られる(三一〜四六)。
 ここで、天国に迎えられる人々が何を行なった人々であるか、私たちは注目しなければならない。彼らは、信仰を実践して愛を行なった人々である(三五〜四〇)。
 ノーベル平和賞を授賞したあのマザーテレサが、死に逝く貧しい人々のために看護を行なっている背景には、この四〇節の御言葉がある。すなわち、隣り人になした一つ一つの愛の行ないは、キリストになしたことと同じなのである。
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9日 旧約・創世記五〇章
 ヨセフは兄弟たちに、
 「あなたがたは私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのためのはからいとなさいました」(二〇)
 と言った。兄弟たちがヨセフに悪を計ったのは、彼らの自由意志によるものであったが、神はそれを許容し、良いことのためのはからいとされた。
 神の前には、この世的な善や悪は乗り越えられている。神の「善」は、地上の善悪の上を行くものなのである。ヨセフは、そのことに目が開かれていた。彼は、
 「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを」(ロマ八・二八)
 知っていた。神の導きに目の開かれている人にとっては、すべては最終的に益とされるのである。
 ヨセフは、死の間際に、イスラエルの子らの出エジプトを預言した(二四)。彼はまた、その出エジプトの時、自分の遺体をカナンへ携えて行ってくれるように頼んだ。
 そしてこの約束は、約四〇〇年の歳月を越えて、出エジプトの際に果たされた(出エ一三・一九)。
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10日 新約・一コリント九章
 パウロは、働いている教会から生活費を受ける権利があったが、その権利を用いず、自分で他の仕事をして生活費をかせいだ(一五)。彼は、天幕作りを職業としていたのである(使徒一八・三)。
 パウロは、そうした仕事をしながら、福音宣教をしていた。彼は、忙しく福音のために働いたが、同時に他の仕事も持っていたのである。
 しかし、パウロは他の者にはそのことを強制しなかった。福音のために働く者が、福音の働きから生活費を得ることは当然だ、と彼は言った(一四、マタ一〇・一〇)。
 パウロは、つねに自由な考えで行動していたのである。自分の場合は、他の職も持ちながら伝道したほうがより多くの実を得られる、と彼には思えたから、彼はそうしたに過ぎない。
 彼の行動は、つねに自由で、自発的であった。彼は真の思索人らしく行動し、真の行動人らしく思索した。
 彼はユダヤ人に対してはユダヤ人のようになり、弱い人に対しては弱い人のようになり、この世の職を持つ人に対しては、職を持つ人と同じようになって伝道したのである。
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11日 旧約・出エジプト一章
 「パロ」(ファラオ)というのは、人の固有名詞ではなく、エジプトの王の称号である。日本で言えば、テンノウ(天皇)にあたる。
 昭和天皇は天皇・裕仁といったが、「天皇」が称号で、「裕仁」が固有名詞である。時代が移り変わっても、「天皇」という称号は変わらない。しかし、誰が天皇かということは変わる。同様に、ヨセフ在世時の「パロ」と、イスラエル人を奴隷化した「パロ」とは、別人である。
 ヨセフの死後に現われたパロは、イスラエル人(ヘブル人)を奴隷化し、彼らを苦しめた。今日エジプトへ旅行する者は、エジプトの壮大な古代文明を目にするが、その一部は、奴隷となったイスラエル人によって建てられたのである。
 神は、イスラエル人がエジプトで奴隷となるのを、しばらくの間許容された。それは、のちにイスラエル人の「出エジプト」という壮大な出来事を通じて、ご自身の栄光を現わすためであった。
 神はまた、キリストによる救いの予型として、出エジプトという出来事を起こされる。その予型のために、神はイスラエル人が奴隷化するのを、しばらくの間許容されたのである。
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12日 新約・マタイ二六章
 主イエスは、ご自分が「過越の祭」の最中に十字架の死を遂げることを、予告された(二)。
 「過越」とは、紀元前一四五〇年頃、イスラエルの民の出エジプトの際に起きた出来事である。その時、エジプトに神の裁きが下されたのだが、「過越の小羊」をほふってその血を家のかもいと柱に塗っていたイスラエルの人々の家は、その裁きが「過ぎ越して」いった。
 これは実は、イエスによってもたらされる救いの予型である。神はやがて、全世界に裁きを下される。しかし、「過越の小羊」なるキリストの血潮をいただいている人々の上を、その裁きは過ぎ越して行く。
 だから、イエスは過越の祭の最中に、十字架の死を遂げなければならなかった。ほかの日ではいけないのである。これは彼が真の「過越の小羊」であることを、私たちに証しするためであった。
祭司長や民の長老たちは、すでにイエスを殺そうと計画していたが、
 「祭の間はいけない」(五)
 と話していた。けれども、結局イエスは、ご自身の予告通り過越の祭の最中、過越の小羊がほふられるその時刻に、十字架の死を遂げられるのである。
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13日 旧約・出エジプト二章
 モーセは、神のくすしい摂理によって、エジプトの王女の息子となった(一〇)。
 モーセは、エジプトのあらゆる学問をおさめ、富と権力の中枢にいた。しかし、彼が大人になったある日、彼は乳母となっていた実の母、ないしはパロの娘から、自分がヘブル人であることを秘かに告げられたに違いない。
 モーセはそののち、同胞がエジプト人に虐待されているのを見た。彼のヘブル人としての血はさわぎ、彼はエジプト人を殺してしまった。
 しかし、そのことも同胞にはすんなりと受け入れられていないことが、翌日の出来事で明らかになった(一四)。彼の人間的な行動は、実を結ばなかったのである。
 しかも、モーセがエジプトに対する反逆者であり、やっかい者であることは、パロにも知られてしまった。パロはモーセを殺そうとした。そのためモーセは、パロからのがれ、ミデヤンの地に行って住んだ。
 この時のモーセは、人生の失敗者であり、敗残者である。もはや彼は、富と権力の絶頂からころげ落ちたのである。しかしこのモーセを、やがて神は、出エジプトの指導者として立てられる。
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14日 新約・一コリ一〇章
 かつて肉によるイスラエルは、モーセに率いられてエジプトを脱出したのち、カナンの地に入るまでの四〇年間、荒野をさまよった。イスラエル民族のこの荒野の流浪時代は、教会時代の一つの予型である。
 私たちクリスチャンは、キリストの十字架によって、罪と滅びからのエクソダス(出エジプト、脱出)を行なった。そしてやがてキリスト再来の時になって、輝かしい約束の御国に入るであろう。
 それまでの教会時代において、私たちは荒野のようなこの世にあって、訓練を受けている。
 その際私たちは、試練にあうときも、つぶやかないようにしなければならない(一〇)。かつて荒野にあってつぶやいたイスラエルの人々は、滅ぼされたのである。
 私たちは、つぶやくのではなく、いかなる時も神の御旨に信頼し、神に感謝して歩んで行こう。そうすれば、神は私たちの前に道を開かれる。
 この荒野のような人生において、神は私たちと共におられるのである。
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15日 旧約・出エジプト三章
 ミデヤンの地での四〇年の後、モーセが八〇歳の時、神はモーセにご自身を現わされた。
 八〇歳と言えば、社会的にはすでに引退の歳である。しかしモーセは、ミデヤンの地での四〇年に、自分一人では何もできないことを学んだ。
 神は今や、八〇歳の彼にご自身を現わされ、社会的にはもはや何の力もないこの老年の男を、出エジプトの指導者として任命される。
 神は、ご自身の御名をモーセにお示しになった。「わたしは『わたしはある』という者である」(一四)――何という力強い御名であろう。
 これは「神は過去に存在し、現在存在し、未来永遠に存在する」の意味であると言われる。またそれは、神の御名を現わす聖四文字ヤハウェに由来すると言われている。
 真の実在であるこのかたが共におられるとき、私たちは何も恐れる必要がない。神を畏れる者は、他の何をも恐れない。
 モーセは、一二〇歳で死ぬまで、こののちの四〇年間を神の霊に燃やされて生きる。彼が見たあの「燃え尽きない柴」(三)は、こののちのモーセ自身の姿でもあったのだ。
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16日 新約・マタイ二七章
 弟子ユダは、イエスを売ったことを「後悔した」(三)。彼は「悔い改めた」のではない。後悔し、絶望したのである。
 「悔改め」が、体の向きを一八〇度変えて生き方を変えることなら、「後悔」は、単に後ろを「振り向く」だけである。後ろを振り向くだけなら、そこに希望はない。
 ユダが自分のなしたことに絶望し、自殺したのは、まことに残念である。しかし、自殺するほどの気があるなら、彼は危険を犯してでも、キリストの十字架のもとへ行って、主に赦しを乞うべきであった。
そうすれば、主は彼に赦しを与え、彼は永遠の命に入ったであろう。彼を滅ぼしたものは、彼の裏切りではない。絶望が彼を滅ぼしたのである。
 キリストの十字架の両隣りには、あとふたり、希望のない人がいた。両隣りの盗賊は最初、ふたりともイエスをののしっていた(四四)。彼らは、自分にも社会にもイエスにも希望を持っていなかったのである。
 しかしルカ福音書によると、彼らのうちの一人は、そののちイエスに希望を見いだし、十字架上でイエスを信じた。彼は絶望せず、ひるがえってイエスの赦しを信じたのである。
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17日 旧約・出エジプト四章
 モーセに与えられた第一のしるしは、杖が蛇になり、それをつかむと杖に戻るということであった(四)。
 蛇は、アダムとエバを惑わしたサタンの代名詞である。その蛇をも自由にあやつることは、サタンに打ち勝つ力を持つことを表している。
 第二のしるしは、彼の手がらい病に犯され、また元に戻るというものであった(七)。
 らい病は、奴隷状態にあるイスラエルの民を象徴しているのであろう。神は、奴隷状態にあるイスラエルの民を、再び健全な状態に戻されるのである。
 第三のしるしは、ナイル川の水が血に変わることであった(九)。
 ナイルは、エジプトではあらゆる良いものと、繁栄の象徴であった。それが血に変わることは、エジプトの神々をも滅ぼす力を持つことを、表していたのである。
 これらのしるしを見ながら、モーセは「どうかほかの人を遣わしてください」と言った(一三)。自分には任が重すぎると思ったのであろう。
 しかし、イスラエルの民の出エジプトは、モーセが自分でするのではない。それは神がなさるわざなのである。
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18日 新約・一コリ一一章
 初代教会では、主の晩餐とともに愛餐を行なっていた。各自が食べ物を持参し、分け合って食べるのである。
 しかしコリント教会では、富んでいる者は貧しい人に分け与えず、自分だけが満腹していた(二一)。これでは、集まりは益どころか害である、とパウロは言っている(一七)。
 これはおそらく当時のコリントで、富んでいる者が食物を貧しい人に分け与える、という習慣がほとんどなかったからであろう。しかしキリスト者は、そうした風習を、打ち破っていかなければならないのである。
 私たちは、聖書の中で愛を学んだ。しかしその愛が具体的にどういうことなのかを、私たちは自分の生活の中で、日々学んでいかなければならない。
 私たちの教会の中でも、愛の原則に照らして、もっと改良できることはないだろうか。もっと私たちの交わりを有意義なものとし、私たちの心を主に向ける集まりの形があるのではないだろうか。
 そうしたものを、祈りを通して示されたいものである。
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19日 旧約・出エジプト五章
 パロはかたくなになり、イスラエル人を去らせようとはしてくれない。それどころか、パロはイスラエル人への労役を重くし、わらを与えずにレンガを作らせるようになった。
 わらを与えられなくなったイスラエル人は、わらの代わりに集めた刈り株で、レンガを作った(一二)。刈り株入りのこのレンガは、考古学者たちによって発掘されている。
イスラエル人は、モーセが来てから、かえって苦しい状況に追い込まれた恰好だ。彼らは、モーセに対して不満を言い出し始める(二三)。
 神はなぜ、パロの心をかたくなにされたのか。それは、脱出すべきイスラエル人も、神の前にまだ訓練されなければならなかったからである。彼らは、神の時を待つことを、学ばなければならなかった。
 私たちも、苦難にあったとき、「神はなぜもっと早く助け出してくださらないのか」と思うことがある。しかし、神の御思いは私たちの思いよりも高い。神には、ご自身の最善の時がある。
 私たちはしばしば、忍耐して、神の時を待たなければならないのである。
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20日 新約・マタイ二八章
 かつてディビッド・リビングストン(一八一三〜一八七三年)は、宣教師また探検家として、当時暗黒大陸と言われていたアフリカに渡った。彼は奥地を探索し、ビクトリア滝など多くの地理的発見をなし、また命がけで、奥地の土人にキリストの御言葉を伝えた。
 リビングストンがしばらくのアフリカ宣教と探検ののち、本国イギリスに帰ったときのことであった。彼は講演に招かれ、講壇に上がった。
 聴衆は、講壇に上がった彼の顔や肉体に、多くの傷があるのを見て驚いた。それはアフリカでの彼の激しい闘いを物語っていた。リビングストンは、マタイ二八・二〇の御言葉を引用して、こう語った。
 「みなさんは、アフリカでの私を支えた力は一体何であったか、とお思いでしょう。それは、キリストが言われた『見よ、私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである』という御言葉でした」。
 リビングストンは、今も生きておられるキリストと共に、彼の事業をなした。キリストは復活して、今も生きておられる。彼はすべての弟子と、いつも共におられて、共に事業をなしてくださるのである。
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21日 旧約・出エジプト六章
 モーセがエジプトに来てから、イスラエル人の労役はかえって重くなり、もはやイスラエル人は落胆と激しい労役のため、モーセに聞こうとしなかった(九)。
 私たちは、「主が共におられる」と確信して何か事業をしたりするとき、しばしば大きな困難に直面することがある。しかも祈れば祈るほど、困難が大きくなるように見えることさえある。
 しかし困難が大きいほど、それを解決される主のみわざは大きい。モーセの前に立ちはだかった困難も、そうであった。モーセの前の困難が大きければ大きいほど、主のなさるみわざは大きいのである。
 モーセとその兄アロンは、イスラエル民族のレビ族の出身である。父はアムラム、母はヨケベデといった(二〇)。
 モーセは、「口べた」であった(一二)。彼はエジプト人の中で教育を受けたから、エジプト語は達者だったであろうが、ヘブル語はそれほどうまくなかったに違いない。それもあって、彼は「口べた」と言ったのであろう。
 モーセは、決して完璧な人物ではなかった。しかし神は口べたな彼のために、兄アロンを補佐とされた。
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22日 新約・一コリ一二章
 御霊の賜物の現われは、人によっていろいろである。三〇節に言われているように、すべての信者が、いやしの賜物を持っているわけではない。また、すべての信者が異言を語るわけではない。
 ある人には奇跡を行なう力、ある人には異言、ある人には預言、ある人には知恵の言葉を語る力、ある人には深い愛が、同一の御霊によって与えられる(一〇)。
 御霊は一つだが、御霊の賜物の現われは、いろいろなのである。御霊は、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を与えて下さる。
 私たちは、すべての賜物を持っている必要はない。私たちはみな一つのキリストの体に属する各器官である(二七)。それぞれの役割を果たすに必要な賜物を、持っていればよい。
 私たちは、自分の置かれた状況で、主のために何ができるかを熟考すべきである。そして主のみこころなら、主はあなたに、必要な賜物を与えてくださる。だから私たちは、神からの御霊による賜物を、熱心に求めるべきである。
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23日 旧約・出エジプト七章
 神は、モーセをパロに対して「神とし」、アロンをモーセの「預言者」のようにされた(一)。この「神」とは、主権者の意味である。
 モーセは、パロの前に何の武器も持たずに現われた。モーセが持っているのは、一本の杖だけである。
 身なりも貧しく、背後に軍隊を率いているわけでもない。その彼が、強力な軍隊と富を背後に持つパロの前に現われ、主権者としてふるまったのである。
 蛇となったアロンの杖が、呪術者たちの蛇を飲み込んだことは(一二)、主の教えがエジプトの宗教よりも、はるかに高いことを意味している。
 また、エジプトの繁栄の象徴であるナイル川の水が血になったことは、エジプト人に大きな恐怖を与えたに違いない。
 しかし、パロの心はかたくななままだった。人は奇跡を見たからといって、神を信じるとは限らない。心の状態が悪ければ、人は何を見ても神を信じないのである。
 また心の状態が良ければ、人が神を信じるのに、必ずしも奇跡は必要ない。みことばを聞くだけで良いのである。
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24日 新約・マルコ一章
 イエスがバプテスマ(洗礼)を受けられたとき、「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」(一一)と天からの声があった。
 これは神ご自身から発せられた、御子の救い主としての職務への、確証である。
 かつてイスラエルの民は、モーセに率いられて出エジプトをし、紅海を渡った。紅海渡渉は、イスラエルの民にとって一種の「バプテスマ」であった、と聖書は言っている(一コリ一〇・二)。そして四〇年の荒野流浪ののち、彼らは約束の地カナンに入った。
 同様にイエスは、このときバプテスマを受けたのち、御霊に導かれて四〇日間の荒野の試練期間に入られた(一二)。そののち、主は公生涯に入られた。このようにしてイエスは、
 バプテスマ↓四〇日の荒野試練↓公生涯
 という一連の事柄によって、じつはかつてのイスラエルの路程を踏み直されたのである。
 それは、ご自身とイスラエルとを同化し、かつてのイスラエルの失敗を取り戻す、という意味も込められていた。
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25日 旧約・出エジプト八章
 神がエジプトに下された第一の災いであったナイルの血に続き、第二の災いは、かえるの群れであった。
 当時エジプト人は、かえるを豊饒のシンボルとし、かえるの頭を持ったヘクト神をお守りとしていた。そのかえるが、災害となって臨んできたのだから、たまったものではなかったろう。
 以前、ありが大繁殖して、巨大な群れとなり、じゅうたんのように地を覆いながら大移動して、人家を次々に襲っていく、という映画があった。このかえるの大集団も、そうした光景を思い起こさせるものである。
 エジプトへの第三の災いは、ぶよであった。「ぶよ」という訳語が正しいかどうかは、よく分かっていない。
 また続く第四の災いは、あぶであった。「あぶ」という訳語も、正しいかどうかよくわかっていない。七〇人訳では「いぬばえ」、シリヤ訳では「はえ」である。
 しかし、こうした災害の中でも、エジプト人の家とイスラエル人の家とは、完全に区別された(二三)。エジプト人の家には災害が及んだが、イスラエル人の家には及ばなかったのである。
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26日 新約・一コリ一三章
 アガペーの愛とは何か、パウロは具体的にその特長を語る。
 ここに四節から、「愛は・・・・」という言葉が連ねられているが、この「愛」の言葉の部分に、自分の名前を当てはめて読んでみるとよい。「○○は寛容であり、○○は親切です。・・・・」と読み、○○のところに自分の名前を入れるのである。
 そうすると、自分という人間がどういう人間か、よくわかってくる。恥ずかしくて、声を出しては読めないであろう。
 真の愛は、人間を根底から変える。人間性そのものが、愛によって性格づけられるとき、私たちはキリストに似た者となるのである。
 愛を学び、愛を知ることは、神を知ることである。私たちは、愛を通して神を知る。愛を深く知れば知るほど、私たちは神の御姿をよりはっきり見るようになるのである。
 私たちは、今は鏡にぼんやり映るようにしか神を見ていないが、やがて顔と顔を合わせて神を見るようになる(一二)。私たちは、完全な神との愛の関係に入り、愛の全き姿を見るであろう。愛は永遠に存続する。愛において成長できるよう祈ろう
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27日 旧約・出エジプト九章
 神がエジプトに下された第五の災いは、家畜への疫病だった。この疫病は「野にいる」家畜に下り(三)、野にいたエジプトの家畜は、ことごとく死んだ(六)。
 しかしどうも、小屋の中にいる家畜は死ななかったようだ。なぜなら、第七の雹の災いの際に、再び多くの家畜が死ぬことになるからである(一九)。
 第六の災いは、うみの出る腫物であった。腫物は、呪法師たちにまでできた(一一)。
 続く第七の災いは、激しい雹であった。
 雹は、積乱雲などの不安定な気層の雲から降るため、雷を伴うことが多い。エジプト全土には、激しい雹と、火となった雷が空中から地に向かって走った(二三)。
 それはすさまじい光景であったろう。しかしこの時も、エジプト人の住む地区と、イスラエル人の住む地区は区別され、イスラエル人は災いを受けなかった(二六)。また
 「大麦は穂を出し・・・・」(三一)の言葉から、この災害が起きた時節は一月頃であったことが分かる。一月頃、大麦は穂を出し、二月には刈り入れをするのである。
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28日 新約・マルコ二章
 イエスは中風の人に、「あなたの罪は赦されました」と言われた(五)。律法学者たちはそれを聞いて、「神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう」と言ってつぶやいた。
 しかしイエスは、ご自分が神の権威を持っていることを示すために、中風の人を即座にいやされた。
 「あなたの罪は赦された」と、単に言葉でいうだけなら、誰にでもできるであろう。しかしイエスは、本当に罪を赦す権威を持っていることを示すために、いやしの奇跡をなされた。イエスはいやしによって、ご自分の神的権威を、人々に確証されたのである。
 イエスは、「神様、どうか彼をいやしてください」と祈願して彼をいやしたのではなかった。「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と命令形で語られたのである。イエスはご自身の権威で、事をなされた。
 イエスは、安息日(当時は土曜日)においても、多くのいやしをなされた。安息日にも善を行なうのは良いことだ、とのお考えからである。まことに「人の子(キリスト)は、安息日にも主」なのである(二八)。
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29日 旧約・出エジ一〇章
神がエジプトに下された第八の災いは、いなごの大群であった。
 この災いの頃になると、パロの心もかなり変わってきて、壮年の者たちだけなら行ってもよい、と言うようになった(一一)。
 しかし、モーセの求めたことは、壮年の者も、幼子も、老年の者も、家畜も、すべてがエジプトから出ていくことである。モーセは妥協しなかった。
 続く第九の災いは、三日間の暗黒であった。
 この時になると、パロは幼子も行ってよい、と言った。しかし家畜は許さなかった。エジプト人の持っていた家畜は、先の災いでかなり数が減っていたから、せめてイスラエル人の家畜だけでもとどめておきたかったのである。
 しかし、モーセはこれにも妥協しなかった。彼は家畜も連れていく、と言明した(二六)。モーセは、神のご命令に従ったのである。
 一方パロは、自らのかたくなさによって、さらに一つの災いを招くことになる。彼は、次に来る第十の災いによって、自分の愛する長男を失うのである。
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30日 新約・一コリ一四章
 初代教会においては、まだ聖書が今日のかたちのように編纂されていなかったので、それに代わる異言や預言など、神からの直接的な黙示や啓示が広く見られた。しかしパウロはここで、それらの賜物の用い方について、幾つかの注意をしている。
 「すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい」(四〇)また「すべてのことを、徳を高めるためにしなさい」(二六)が、この章のまとめである。
 異言を語るにしても、預言をするにしても、異言を解きあかすにしても、秩序をもって行なわなければならない。そして公の礼拝においては、とくに教会の徳を高めるようなしかたで、すべてが行なわれるべきである。
 コリント教会には、異言を話す信者も、話さない信者もいた。パウロは彼らに、
 「私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます」(五)
 と書き送った。パウロは、異言は解きあかされるのでないなら、預言の賜物のほうが優れている、と考えていたのである。
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