聖書一日一章

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1日 新約・ヨハネ一三章
 イエスは、「新しい戒めを与える」と言われた。
 「あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(三四)。
 しかし、この御教えのどこが新しいのであろうか。人を愛することなら、旧約聖書のレビ記ですでに、
 「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(一九・一八)
 と教えられている。隣人愛の教えなら、旧約聖書ですでに説かれていたことである。
 けれども、イエスのこの御教えは、全くのところ新しい。その新しさは、「わたしがあなたがたを愛したように」という点にある。
 イエスは、至高の愛の模範を示されたのである。イエスの愛は、仕える愛であった。弟子たちの足を洗われたあの洗足(五)に見られるように、彼は人々に仕えられたのである。
 さらに、その仕える愛の頂点が、あの十字架であった。
 私たちも、主イエスにならい、仕える愛を日常生活で実践したいものである。洗足の心をもって、人に仕えるのである。
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2日 旧約・ヨシュア一九章
 ゼブルン(一〇)と、ナフタリ(三二)の地は、ガリラヤ湖の西岸に位置し、のちに「ガリラヤ」と呼ばれたところである。
 この地は、紀元前七二一年にアッシリヤ捕囚にあって辱めを受けたが、のちにキリストが最初の伝道をなした地として光栄を受けた。それについて、紀元前八世紀に預言者イザヤはこう預言していた。
 「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地ははずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。・・・・ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり・・・・」(イザ九・一〜七、マタ四・一二〜一六)。
 イエスがお育ちになった町ナザレは、ガリラヤ地方――昔のゼブルンの地にあった。またイエスは、ゼブルンとナフタリの地で最初の伝道をされた。
 たとえ過去に辱めを受けたことがあっても、神を愛する者には、やがて光栄なことが起こるのである。
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3日 旧約・ヨシュア二〇章
 すでに民数記三五・九〜三四、申命記一九・一〜一三で定められていた「逃れの町」が、ここで実際に設置される。これは殺意がなく、あやまって殺人を犯してしまった者を、復讐者から保護するためのものであった。
 殺人者は、調査がすむまで逃れの町にとどまる。もし故意の殺人と判明すれば、裁きのために引き渡される。しかしそうでない場合は、逃れの町にいることができた。
 逃れの町の規定は、古代イスラエルにおいて、人権がいかに尊重されていたかを示すものである。あらゆる人間の人権が尊重されていた。
 今日アメリカでは、犯罪が起きたとき、容疑者は、容疑を受けた時点から弁護士を呼ぶ権利が与えられる。検察が取り調べをしている最中も、弁護士がかたわらにいることができる。
 しかし日本ではそうではない。容疑者は拘置所に閉じこめられ、起訴が確定するまで、検察から何日も密室で取り調べを受ける。この間、弁護士は立ち会うことすらできない。
 起訴がなされて初めて、弁護士が付き添うことができる。人権保護について、私たちは再検討すべきではないだろうか。
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4日 新約・第二テモテ二章
 神は全能と言われるが、神にできないことがある。それは不真実になることである(一三)。
 神はうそを言うことができない。神はつねに、私たちに対して真実であられる。神が「義」であるとは、真実であるということである。神は聖書で約束したことを、必ず果たされる。
 中国に伝道に行った宣教師ハドソン・テーラーは、ある時、聖書の言っていることがすべて、一つ残らず真実であると受け取って行動してみよう、と決心した。彼の周囲には、聖書があたかも真実でないかのように行動している自称クリスチャンが多かったのである。
 しかしテーラーは、聖書をすべて真実と受け取って行動することを、生涯続けた。彼は、決して裏切られることがなかったと言っている。実際、彼の宣教は多くの実を結び、今も中国には、迫害の中でも多くのクリスチャンがいる。
 信仰とは、神の真実に賭けることである。あなたは神の真実を、どこまで信じているだろうか。
 神は今も、私たちにとって一番良いことをなされている。私たちは神の真実を、一日のあらゆる時間において信じてよいのである。
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5日 旧約・ヨシュア二一章
 「主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した」(四五)。
 これが、主に従う者に与えられる報酬である。主はご自身に従う者に、約束したすべての良いことを果たされる。
 イスラエルの人々は、日々、これを彼らの実生活の中で体験した。地上の現実の生活の中で体験したのである。
 真の宗教は、単に死後の祝福を説くものではない。それは、今の現実の生において力を持つものである。
 日本の仏教は「葬式仏教」と言われて久しい。念仏宗では「厭離穢土、欣求浄土」といって、現実の世界を厭い嫌うことを教える。
 それに対しキリスト教は、現実の世界を力強く切り開いていく生命力を与えるものである。それは死後の祝福も説くが、同時に地上の生に対する祝福ももたらす。
 地上の生において神の祝福を得たいと思うなら、神に従わなければならない。従うことなしに、祝福はない。
 神に従うことは、真の自分を発見する道である。自分に死に、神に従うとき、私たちは真の自分を発見する。
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6日 旧約・ヨシュア二二章
 ルベン、ガド、またマナセの半部族は、ヨルダン川の東に割当地を与えられていたが、カナン占領のために、ヨルダンの西にやって来ていた。
 彼らはカナン占領の目的を果たしたので、ヨルダンの東に帰った。彼らはそこで一つの祭壇を築いた(一〇)。しかし、律法には次のように規定されていた。
 「全焼のいけにえを、かって気ままな場所でささげないように気をつけなさい。ただ主があなたの部族の一つのうちに選ぶその場所で・・・・ささげ」(申命一二・一三〜一四)。
 だから、もし彼らの築いた祭壇が全焼のいけにえを捧げるためのものであったなら、それは主に背いたことになる。
 イスラエル人はピネハスを派遣し、それについて調査させた。その結果、祭壇はいけにえのためのものではなく、イスラエルの民であることを示すための証拠として造られたことがわかった。
 イスラエルは安心し、満足した。そして彼らを滅ぼそうと攻めていくことを、とりやめた。
 この出来事は、イスラエルの人々が、民族のきずな以上に主に従うことを重要視したことを示している。
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7日 新約・ヨハネ一四章
 主イエスが天に帰られたのは、私たちのために「住まい」を備えに行くためであった(二)。そして天の住まいを備えたら、また来て、私たちをそこに迎えてくださる(三)。
 イエスが二千年前にこの地上に来られたことにも目的があったが、その後天に帰られたことにも、目的があったのである。
 「住まい」は、英訳(欽定訳)では、mansions である。日本には「マンション」と名づけられた建て物がたくさんある。建物のオーナーがそういう名をつけるのだが、アメリカ人などがそうした建て物を見ると、「あれはマンションではないよ。アパートだよ」という。
 英語でマンションといえば、大邸宅とか館をいうのである。それは大きく快適な豪邸をいう。
 私たちのために天で用意されているのは、大きく快適な豪邸である。それは美しいもので満たされ、神の愛で満ちている。そこには楽しく幸福な生活がある。
 とはいえ、その豪邸に独りで住むとすれば寂しい。私たちは地上で、肉親や兄弟姉妹、また出来る限り多くの友に伝道して、天国でも共に住みたいものである。
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8日 旧約・ヨシュア二三章
 「あなたがたは、十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい」(一一)。
 主を愛する者は、主の戒めを守る。私たちは神の命じられたことを、注意深く、右にも左にもそれないように守り行なわなければならない、と言われている。
 これは、旧約時代だけのことであろうか。そうではない。主イエスは、私たちクリスチャンに言われた。
 「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです」(ヨハ一四・一五)。
 「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです」(ヨハ一五・一〇)。
 イエスは戒めを守れ、と言われるのである。これは律法主義であろうか。そうではない。信仰には、行動――行ないが伴うのである。
 行ないのない信仰は、死んだものである。信仰は、思いの中だけでなく、言葉と行動、そして全生活の中になければならない。
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9日 旧約・ヨシュア二四章
 「イスラエルは、ヨシュアの生きている間、また、ヨシュアのあとまで生き残って、主がイスラエルに行なわれたすべてのわざを知っていた長老たちの生きている間、主に仕えていた」(三一)。
 イスラエルの民は、ヨシュアや長老たちの生きている間は、主の教えに背くことはなかった。しかし彼らが死に、世代が交代すると、やがて堕落することになる。
 それが、このあとの「士師時代」である。ヨシュアの死後のこの時代において、民は堕落と回復を繰り返すことになる。
 自分の子どもたちにまで信仰をしっかり継承させていくことは、なかなか大変なことである。しかし、たとえ困難なことであっても、それを最善の努力を払って行なっていくことが、私たちに求められている。
「私と私の家とは主に仕える」(一五)
 とヨシュアは言った。彼は、自分の子や孫たちがいつまでも主に仕えていってくれるよう、つねに主に祈っていたに違いない。
 私たちも、家族の救いのために、とりなしの祈りをやめてはならない。
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10日 新約・第二テモ三章
 「聖書はすべて神の霊感によるもので・・・・」(一六)。
 旧・新約聖書は約四〇人の人々を記者として記されたが、そこには「神の霊感」が働いていた。
 「神の霊感による」は、神の息によるという意味で、ちょうどアダムに神の息が吹き込まれて彼が生きた者となったように、聖書は神の息、すなわち聖霊に動かされた人々によって記され、生ける書となった。
 神は、これらの人が聖書を書くとき、聖霊によって導き、彼らの個性を用いながらも、神の言葉を誤りなく書けるように守られたのである。
 キリストは、聖書が一言一句、誤りのないものであると証言された(マタ五・一八)。
 一方パウロは、同じ節の中で、旧約の申命記の言葉と新約のルカ福音書の言葉を、どちらも聖書として引用している(一テモ五・一八)。またペテロは、パウロの手紙を、聖書と同様の権威あるものとして扱っている(二ペテ三・一六)。
 このように、旧・新約聖書は、神の霊感を受けて書かれた、誤りなき啓示の書である。ただし、誤りのないのは原本だけで、写本や翻訳には人間的誤りがあり得る。
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11日 旧約・士師記一章
 士師記は、ヨシュアの死から預言者サムエルの誕生までの、約三百年のイスラエルの歴史を扱ったものである。
 この時代、イスラエルは何度も失敗を繰り返す。すなわちイスラエルは、滅ぼされずに残っていたカナンの先住民と妥協し、その偶像礼拝や不道徳を取り入れてしまう。
 すると彼らに、神の裁きが下る。イスラエルは神にあわれみを求めて叫ぶ。神は民の祈りにこたえ、「さばきつかさ」(士師)と呼ばれる救助者をつかわし、彼らを救出される。
 士師時代には、このパターンが繰り返される。罪――裁き――叫び――救いというパターンである。
 士師記には、一二人のさばきつかさ(士師)が出てくる。彼らは政治的・軍事的指導者であった。中には女性もおり、祭司や預言者もいた。
 本書一章をみると、ヨシュアの死後、イスラエルはカナンの民を完全には追い出さず、しだいに妥協の道を歩んでいったことがわかる。この妥協は、イスラエルにとって、わなとなった。
イスラエルには、やがて偶像崇拝や不道徳が入り込み、神の祝福を失うことになるのである。
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12日 旧約・士師記二章
 イスラエルの民はやがて堕落して、「バアルとアシュタロテに仕えた」(一三)。
 これらは多神教の神々である。バアルは、最高神エルとその妻アシェラの間に生まれた子で、アシュタロテはバアルの妻であった。
 「バアル」は、フェニキアを中心に周辺諸国に広がっていた太陽神で、肥沃をつかさどる神とあがめられ、秋と冬の雨をもたらすとされた。
 バアルは嵐の神でもあり、牛の角のある兜をかぶり、鎚矛と電光を放って武装している姿に描かれている。バアルは人身牛頭の神であった。
 これは、「牛頭天王」と言われ荒い性格の神とされた日本神道のスサノウノカミに似ている。それでスサノウの起源はバアルである、という学者もいる。
 一方アシュタロテは豊饒・多産・愛・快楽の女神とされ、その祭儀においては、時に性の解放という、非常に不道徳な要素も含まれていた。
 アシュタロテは、のちにギリシャではアフロディテ、ローマではヴィーナスと呼ばれる愛の神となった。日本神道の女神アマテラスオオミカミも、アシュタロテまたその母神アシェラの影響のもとにある、とする学者もいる。
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13日 新約・ヨハネ一五章
 「実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶために、刈り込みをなさいます」(二)。
 庭木の手入れをしたことのある者なら、誰でも知っているように、時々適切な刈り込みをすると、しない時よりも花や実が多くできる。
 私たちの人生においても、より多くの実をならすために、神が「刈り込み」をなさることがある。
 私たちはときおり、自分の進む道が幾通りかあったのに、その選択枝の幾つかがふさがれて、人生がある一つの方向に導かれていると感じることがある。それは私たちがより多くの実をならすために、神が余計な枝の刈り込みをなさっているからである。
 刈り込みがされるときは、痛みがともなう。自分自身はそちらに進みたかったのにと、くやしく思うこともあろう。また、刈り込みがされると、一時は自分が小さくされたように感じることもある。
 しかし、やがてそれはより多くの実を結ぶ、りっぱな枝となるのである。私たちは祈りの生活を送っていると、神の刈り込みがあったとき、それが神の刈り込みだとわかるものである。
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14日 旧約・士師記三章
 聖書において「さばく」は、しばしば「統治する」の意味で使われる。
 「彼はイスラエルをさばき・・・・」(一〇)とある言葉も、士師がイスラエルを統治したの意味で、刑罰を与えたの意味ではない。
 「主の霊が彼の上にあった」(一〇)。
 聖霊は、士師オテニエルの上にあった。それはオテニエルが、神に対して従順な人物だったからである。
 聖霊は、神に対して従順な者の上にのみ臨む。単に「主よ、主よ」と言う者に聖霊が宿るのではなく、神の御心を行なう者に聖霊は宿る。
 聖霊が宿ると、その人の心の自由な働きが奪われて、神の操り人形のようになるのであろうか。そうではない。聖霊は、その人の心の働きを自由に守ったうえで、その人のなすことを栄えさせ、成功させてくださるのである。
 だから、聖霊が宿ったからといって、必ずしも神がかりの恍惚状態になるとは限らない。そういう場合もあるが、そうでない場合のほうがはるかに多い。
 聖霊は私たちの心の自由を奪うことなく、従う私たちを導かれるのである。
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15日 旧約・士師記四章
 女預言者デボラは、
 「主はシセラを、ひとりの女の手に売り渡される」(九)
 と語った。彼女の言葉通り、カナンの将軍シセラは、ひとりのか弱い女性ヤエルの手により、天幕の中で死んだ(二一)。
 女預言者デボラは、家庭においては妻であり、彼女には夫がいた(四)。しかし彼女は夫よりも、社会的には重要な役を担っていた。
 しばしば妻のほうが、夫よりも社会的に高い地位につくことがある。それでも、夫婦は互いの立場を尊重し、家庭を大切にしながら、互いの仕事を高め合うべきである。
 女性ながらイギリスで首相を長く務めたサッチャー元首相には、夫がいた。妻のほうが、夫よりも社会的に重要な地位にいたわけである。
 しかし、彼女が長く首相の重責を果たせたのは、夫が彼女の立場と仕事を尊重し、それを助け、高めたからである。またサッチャー首相も、多忙のなか家庭をかえりみることを忘れず、妻としての役目も常に果たしていた。
 夫婦は、いかなる社会的務めを負う場合でも、互いの立場を尊重し、高め合いたいものである。
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16日 新約・第二テモ四章
 「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、しっかりやりなさい」(二)。
 今の日本は、みことばを宣べ伝えるために、良い時にあるのか悪い時にあるのか。
 つまらない新興宗教は伸びているのに、なぜキリスト教はあまり伸びないのか、という不満の声も聞こえてくる。これは時が悪いからか。
 いや、時が悪いからではなく、これは日本のクリスチャンの多くが、神の子どもにはなっているのに、キリストの弟子として生きていないからではないか。
 多くのクリスチャンは、自分が救われて神の子になれた喜びを抱いている。しかし、クリスチャンは神の子であると同時に、キリストの弟子として訓練されなければならない。
 弟子は、師のなすことをつねによく見て、師に似た者になろうとする。パウロやテモテは、そうしたキリストの弟子としての意識を持って生きた。
 弟子は、キリストと同じように愛に生きて、命がけで宣教しようとする。私たちには、そうした弟子としての意識と生活が、まだ欠けているのではないか。
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17日 旧約・士師記五章
 イスラエルの人々はつねに、神がこれまで自分たちになしてくださったことを具体的に思い起こし、「主をほめたたえよ」と言って主を讃美した。
 私たちもつねに、主がなしてきてくださったことを一つ一つ思い起こし、讃美と感謝をささげるべきであろう。
 教会においても、もっと各人の証しの時が持たれ、主のなさったことを思い起こす時が与えられるべきであると思われる。
 説教だけの教会は決して伸びない。集会において信者の証しが盛んに持たれない教会は、信者が生き生きしていない。
 他宗教の話で恐縮だが、日本で創価学会がなぜ伸びたか。それは毎週信者の家庭で持たれる「座談会」で、各人の体験談が盛んに語られ、一人一人が喜びのうちに発言する機会をもっていたからである。
 キリスト教会でも、家庭集会が盛んで、証しが活発に持たれる教会は伸びている。それは主のなさったことを一つ一つ思い起こし、讃美し、感謝を捧げているからである。
 讃美と感謝の中に、主は住まわれる。
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18日 旧約・士師記六章
 ギデオンの前に現われたのは、主の御使い、すなわち天使であった(一一)。
 しかし天使が「わたし」と言うとき、その「わたし」は天使自身ではなく、神ご自身である(一四)。ギデオンも、天使と話しているとき、じつは天使と話しているのではなく、神と話していた(一三)。
 すなわち、天使は神の口となっているのである。天使は神の言葉を話すとき、「神はこう言われる」とは言わない。あたかも神ご自身であるかのように「わたしは・・・・」と言う。
 このことから、かつてアブラハムに現われたあの「三人の人」(創世一八・二)も、すべて天使であったことがわかる。
 天使は、ギデオンと語り終えると、彼のもとを去った。しかし、そのあともギデオンは、神と会話を持っている(二二〜二三)。
 ギデオンはこのとき、誰もいない所に向かって話していることになる。しかしすでに彼は、目で見なくとも主の臨在を感じることができるようになっていた。
 主は見えずとも、共におられる。私たちに必要なのは、この真理を体得することである。
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19日 新約・ヨハネ一六章
 「わたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ない」(七)
 と主イエスは言われた。
 聖霊は、イエスの昇天後、神から、イエスを通して私たちクリスチャンに注がれたものである(使徒二・三三)。だから、聖霊がクリスチャンに注がれるためには、イエスがいったん神のもとに上げられる必要があった。
 こうして神は聖霊を、イエスという一種のフィルターを通して、全クリスチャンに注がれたのである。
 このイエスは、十字架の死と復活を経験されたイエスである。すなわち、私たちは聖霊を受けることにより、イエスの十字架死と復活にあずかる。
 私たちはその死と復活とに、霊的に一体化され、新しい生命に生きる者とされる。
 イエスは天におられるが、私たちは聖霊により、イエスの聖潔、愛、力、命、喜び、平安にあずかる。聖霊は、私たちをイエスに一体化させるための「助け主」なのである。
 私たちは「聖霊の交わり」により、イエスと一体化する。これが救いなのである。
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20日 旧約・士師記七章
 ギデオンは、神に対して何度か、しるしを求めている。
 前章で彼は、自分が話している相手が神ご自身であることを知るために、しるしを求めた(一七)。
 さらに、自分が救助者として立てられたというしるしを、羊の毛の露に求めた(三七)。この羊の毛については、どんなしるしが欲しいかを、自分から指定したのである。
 また本章に入ってギデオンは、ミデヤン人が渡されているというしるしを得るために、ミデヤン人の陣営にひそかに下って行った(一〇)。
 神はギデオンに対し、それらのしるしをお与えになった。
 ギデオンの生きた時代は、出エジプトから何世代かが過ぎ、奇跡の行なわれない時代となっていた。ギデオン自身、出エジプトの時の奇跡を見たわけではないし、何か他の奇跡を体験したこともなかった。
 ギデオンは、信仰的には初心者だったのである。それで、初心者らしく幾つかのしるしを求めた。
 彼は素直な性格だったので、神は彼に快くしるしをお与えになった。もし神の前に謙虚であることを忘れないなら、しるしを求めることは決して悪いことではないのである。
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21日 旧約・士師記八章
 ギデオンは金を集めて、
 「一つのエポデを作り、彼の町のオフラにそれを置いた。すると、イスラエルはみな、それを慕って、そこで淫行を行なった。それはギデオンとその一族にとって落とし穴となった」(二七)。
 エポデとは、大祭司が着る聖なる服の一つである。それは基本的には布地で出来ていた。
 しかしギデオンがつくったエポデは、おもに金で出来ていた。彼がそれに用いた金は「一七〇〇シュケル」(二六)――約二〇キロもあった。
 ギデオンは、りっぱなエポデを作りたいと思って金を用いたのかも知れないが、金は当時、人々が偶像を作る際に用いる材料であった。
 当時の偶像といえば、金きらきんのものだった。偶像に慣れ親しんでいたイスラエル人にとって、金のエポデは偶像のように見えた。
 「それを慕って、淫行を行なった」
 とは、偶像崇拝をしたことを意味する旧約聖書の常套句である。聖なるものであるはずのエポデが、偶像崇拝の道具、あるいは対象として拝まれてしまったのである。
 これはギデオンがなした、大きな失敗の一つである。
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22日 新約・テトス一章
 人は、信仰に入ったからといって、信仰に入る前の悪いくせや、他宗教の影響、様々な人間的思想の影響からすぐに抜け出るわけではない。
 日本人の場合でいえば、信仰に入ったからといって、それまでの人生で影響を受けていた仏教的な考え方や、神道的な考え方、物質至上主義などから、すぐに抜け出るわけではない。
 しばしば、そうした古い考え方が頭をもたげてくる。本章を読むと、どうやらクレテ人にも悪いくせがあったらしい(一二)。
 だから、人が真にキリスト教的な考え方と生き方を身につけるためには、伝道だけでなく、教育つまり訓練が必要である。
 人が一週間に一回、教会の礼拝に出席して一時間足らずの説教を聞くだけでは、これはなかなか難しい。
 説教を聞く以外にも、信仰を高め合う信徒同士の交わりや、信仰的良書を読むこと、祈り合うこと、証しすること、個人的に指導されること、などが必要である。
 使徒パウロは、そうした教育の必要を認識していた。私たちは、理想的に言えば毎日、様々な仕方で指導を受ける必要があるのである。
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23日 旧約・士師記九章
 士師時代は、一種の戦国時代であり、何が起こるかわからなかった。人々の道徳意識は低く、信仰深い人も少なかった。
 イスラエルは、外敵の異邦人とも戦わなければならなかったが、しばしば内部に問題をかかえ、内戦や、反乱、クーデターを起こした。アビメレクは、ギデオンがシェケムにいるそばめに産ませた子であった(八・三一)。ギデオンが多くの妻とそばめを持っていたことは、やがて一族の上に悲劇をもたらしたのである。
 ヨシュア記にはシェケムが占領されたという記録がない。おそらくシェケムのカナン人はまだ追い出されておらず、そこにはイスラエル人とカナン人が同居していたであろう。
 ギデオンがそこの女をそばめとし、子を産ませたことは、その不安定な政治的要素や、混合宗教の危険性を助長したのである。
 アビメレクは政治的権力を欲した。彼は反対勢力の粛正も行なった(五)。彼は神を恐れず、ただ権力欲にかられていたのである。
 英雄の子が悲劇を起こすことは、歴史の上でしばしば見られる。私たちは子どもの教育において、熱心に主の導きを祈らねばならない。
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24日 旧約・士師記一〇章
 偶像の神々は、私たちの欲望に対して無限にyesという。偶像は、人の欲望を象徴化したものである。
 主への信仰がしっかり根づいていなかったこの頃のイスラエルの民は、しばしば偶像の誘惑に負けて、それらを拝んだ(六)。
 この背景には、当時はまだ文字による教育が行き届いていなかった、ということもある。当時はまだ学校というものがなく、律法の教育がなされていなかったのである。
 つまり人々のほとんどは、教育のない「愚民」であった。彼らは、ほんのささいなことで迷信に陥った。
 しかし、これはバビロン捕囚から帰還した後の時代(紀元前五世紀以後)になると、事情が違ってくる。以後イスラエルの民は、決して偶像崇拝に陥らなかったのである。
 これは、彼らがその頃から教育を重要視するようになったからである。
 今日も、ユダヤ人は、教育を非常に大切にしている。おそらく世界一、教育に力を入れている民族であろう。
 しかしそれは日本の学校のように、単に知識の詰め込みではない。彼らはまず、神の律法を子どもに教えるのである。
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25日 新約・ヨハネ一七章
 「永遠のいのちとは・・・・唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです」(三)。
 永遠の命は、神とキリストとを「知る」ことにある。聖書でいう「知る」は、単に知識として知ることではなく、相手と密接な関係に入ることをいう。
 たとえば、アダムは「その妻エバを知った」(創世四・一)と記されている。これは知識として知ったということではなく、性的な交わりを意味する。
 また、キリストは最後の審判において、不法な者に対しては「わたしはあなたがたを全然知らない」と言われる(マタ七・二三)。これは知識として知らないということでなく、関係がないの意味である。
 聖書の「知る」は、相手と密接な関係に入ることをいう。永遠の命は、人が神とキリストとの間に持つ密接な関係の中にあるのである。
 私たちは信仰によって、その密接な関係に入る。神も私たちの信仰にこたえ、その関係を愛と生命に満ちたものとされる。
 神とキリストとの、愛と生命の交わりが、私たちにとって「永遠の命」なのである。
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26日 旧約・士師記一一章
 エフタはおそらく、どうしてもアモン人に勝ちたいという思いから、主に誓願を立てたのであろう。
 しかし、その誓願の中身は軽率であった。彼は自分がもし無事に帰ってこれたら、動物でなく、人を全焼のいけにえとすると言ったのである(三一)。
 エフタが戦地から帰ってきたとき、その誓願は彼を苦しめることになった。誓願で言った「家の戸口から最初に迎えに出てきた」者は、自分の愛する娘だったからである。
 しかし、娘の信仰は、エフタの信仰にまさっていた。娘は「お口に出された通りのことを私にしてください」と言った(三六)。彼女は、イスラエルを救って下さった神に感謝するために、自分の命さえも差し出したのである。
 これは驚くべき信仰である。彼女は、二か月の猶予をもらって、自分が処女のまま死ぬことを友人と泣き悲しんだ。当時の女性にとって、子を残せないことは、とくにつらいことだったからである。
 彼女は、エフタの「ひとり子」であった(三四)。自己を犠牲に捧げた彼女の信仰は、神のひとり子イエス・キリストが十字架上でなさったことを、私たちに思い起こさせる。
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27日 旧約・士師記一二章
 「エフライム人」(一)は、イスラエルのエフライム族のことである。彼らはイスラエルの中心部に住み、誇りを持っていた。
 しかし、エフライム族は打算的で、エフタに難癖をつけた。かつて彼らは、ギデオンにも難癖をつけている(八・一)。
 ギデオンの時も、エフタの時も、エフライム族は初めは傍観して助けなかったのに、事が終わると「なぜ呼びかけてくれなかったのか」と言って不満をいう。
 しかも、エフタの家を焼き払って、エフタを殺すとまで言うのだから、これはエフタを怒らせた。このために内戦が始まった。
 こうした経緯を読むと、当時の人々の発想はレベルが低いという感じを受ける。しかし、だからといって、現代の人々のレベルが高いということではない。
 現代においても、「レベルが低いな」と感じさせることが多くないだろうか。人間は基本的に愚かな存在なのである。
 しかしそうした私たちのレベルを上げ、高潔さに向かわせる力が、信仰と愛の中にある。
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28日 新約・テトス二章
 「すべての点で自分自身が良いわざの模範となり・・・・」(七)。
 自分から良いわざに励むことには不熱心だが、人の批判や陰口を言うことには熱心だ、という人は多い。しかし、人の陰口をいうよりも、むしろ自分を向上させ、自分から良いわざに励んだほうが、はるかに有益ではないだろうか。
 人の悪い点を探していると、きりがないのである。そんなひまがあるなら、むしろ自分の悪い点を探し、それを反省し、祈り、自己改革に励むほうが、はるかに幸福な人生を築けるに違いない。
 三浦綾子の小説「塩狩峠」の主人公のモデルとなった長野政雄は、そのような人であった。鉄道の庶務主任であった彼のまわりにも、クセの悪い人間は大勢いた。
 しかし長野政雄は、そうした人たちについて陰口を言うことは、決してなかったという。むしろ自分に対して厳格であり、祈りを通して自分の敬虔と愛を鍛錬していた。
 人によく思われたいと思ってそうしたのではない。そうではなく、神に喜んでいただける生活をしたいと思ったのである。
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29日 旧約・士師記一三章
 ナジル人とは、神に誓願を立てて、自分の身を聖別し、神にささげた者のことである。
 人生のある期間をナジル人として過ごす人もいれば、生涯ナジル人として過ごす人もいた。サムソンや、バプテスマのヨハネは、生涯のナジル人であった。
 天使は、サムソンの母となる女性――マノアの妻に現われ、サムソンの誕生に関して告げた。マノアの妻は、天使を見たことがなかったから、それが天使だとはわからなかった(一六)。
 彼女は初め、その天使を人だと思った(六)。しかしその姿はあまりにこうごうしく、畏怖を感じさせるものであった。
 天使は祭壇の炎とともに、天に上げられ、去って行った。そのとき夫妻は初めて、それが天使であることを知った。
 神が直接人に現われれば人は死んでしまうから、神は天使を遣わされる。その姿は人によく似ている。
 臨死体験者は、しばしば死後に明るい光に遭遇し、そこで天使に会ったとか、天使に導かれたという証言を行なっている。彼らの証言においても、天使は人の姿によく似ている。
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30日 旧約・士師記一四章
 サムソンは、決して高潔な人物ではなかった。彼は、並外れた力を持っていたが、野蛮で、わがままであった。
 しかし神は、ときに、わがままで野蛮な人物を通しても、ご自身の御旨を行なわれることがある。たとえば、かつてヤコブの子たちは、悪巧みを働いて兄弟ヨセフをエジプトに売ったが、後の日になってヨセフは自分の兄弟たちにこう言った。
 「あなたがたは私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らいとなさいました」(創世五〇・二〇)。
 神はペリシテ人を滅ぼすために、サムソンを用いようとされた。
 サムソンがペリシテ人の女を妻としたのも、アシュケロンのペリシテ人三〇人を打ち殺したのも(一九)、サムソンのわがままで野蛮な性格をあらわしている。しかし、そのようなサムソンを通して、神はご自身の御旨を行なわれた。
 神は、ペリシテ人を滅ぼそうと決意しておられたのである。それは彼らの間に見られる偶像崇拝と不道徳を、全地から絶やすためであった。サムソンは、そのための端緒であった(一三・五)。
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31日 新約・ヨハネ一八章
 イエスが「それはわたしです」と言われたとき、「彼らはあとずさりし、そして地に倒れた」(六)。
 「それはわたしです」は、英語では“I AM”であり、新約聖書の原語のギリシャ語ではエゴー・エイミである。
 当時のユダヤ人の多くは、「七〇人訳」と呼ばれる旧約聖書のギリシャ語訳に親しんでいた。「七〇人訳」では、出エジプト記三・一四の言葉、
 「わたしは『わたしはある』という者である」(I AM THAT I AM)
 に、エゴー・エイミが使われている。だからエゴー・エイミは、神性を伝える独特な響きを持っていた。しかもそれを、イエス・キリストご自身が威厳を持って言われたので、これを聞いた人々は「あとずさりして、地に倒れた」。
 これはキリストの神性を意味する。しかしエゴー・エイミという言葉から、キリストはヤハウェご自身であると考えることは、正しくない。
 キリストは、ご自身を父なる神ヤハウェと区別された(イザ六一・一、ルカ四・一三、「主」とはヤハウェである)。御子キリストは、父なる神と一体であり、父なる神と同様に「わたしはある」と言える真の実在者なのである。
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