聖書一日一章

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1日 新約・使徒七章
 ステパノに向かって怒った人々の態度は、ちょうどアベルのことで怒ったカインの態度と同じである。
 カインの捧げ物が受け入れられず、カインがふてくされた時、神は彼に言われた。
 「なぜあなたは憤っているのか。・・・・あなたが正しく行なったのであれば受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないなら・・・・」。
 議会の人々の場合も、本当に彼らが正しい行ないをしていたのなら、ステパノの話を聞いて怒る必要は全くなかった。しかし、彼らが怒ったということは、彼らの行ないが正しくなかったということである。
 ステパノの話した内容は、死刑にされるようなものではない。にもかかわらず彼は死刑にされた。「石で打ち殺した」(五八)とは、当時のユダヤの死刑の方法であった。
 ステパノの殉教の際の態度は、十字架上のイエスのようにりっぱであった。彼は、迫害する者のためにとりなしをしたのである(六〇)。
 いつの時代においても、クリスチャンの殉教者は彼のようにりっぱであった。日本でも、豊臣秀吉のもと長崎で磔刑になった二六人のキリシタンの殉教の様子も、同様にりっぱなものであった。
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2日 旧約・一サム三〇章
 当時のパレスチナは、ちょうど日本の戦国時代のようで、様々の勢力が群雄割拠し、互いに襲ったり襲われたりしていた。
 ダビデがペリシテ人の地に戻ってみると、なんと、そこは廃虚と化していた。男たちの留守をいいことに、アマレク人がそこを襲撃し、火で焼き払っていたのである。
 ダビデの妻や子どもたちも、連れ去られていた。ダビデは意気消沈し、泣き崩れたが、主を仰いで奮い立った。主がダビデと共におられたので、ダビデは奪い去られた人々や財産を取り戻すことができた。
 そのとき、意地の悪い家来たちは、疲れきって川を渡らずにとどまっていた者たちには分け前をあげるべきでないと言った。しかしダビデは、
 「主が私たちに賜った物を、そのようにしてはならない」(二三)
 と言って、彼らにも同じ分け前を与えた。
 ダビデは主に栄光を帰し、さらに自分の部下に対してこのように公平かつ適正な気配りを示した。ダビデがこうした広い心を持っていたから、神は彼と共におられ、また部下も彼について行ったのである。
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3日 旧約・第一サム三一章
 サウル王の死は、無惨なものであった。彼は、ペリシテ人のなぶり者にされるのを恐れて、ついに自刃して果てた(四)。
 その後、彼の遺体はペリシテ人によって首を切られ、さらしものにされた。サウルは堕落し、悪におちいっていたとはいえ、イスラエルの王がこのような最期を遂げたかと思うと、私たちも胸が痛まずにはおれない。
 イスラエルは、神がお選びになった民である。もし私たちが何かの目的で誰かを選んだとすれば、私たちは選んだその人を溺愛し、その人が堕落したような際にも、つい大目に見てしまうことがないだろうか。
 しかし、イスラエルをお選びになった神は、イスラエルの罪を決して大目には見てくださらなかった。むしろ、他の民族に対してと同様、厳しい態度で臨まれた。
 サウルが無惨な死に方をしたのは、そのためである。
 サウルは死の際に、平安をもって死ぬことができなかった。私たちは死の際に、天国の平安をもって死ねるだろうか。
 主に従って生きよう。
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4日 新約・ヘブル九章
 地上に造られた幕屋(神殿)は、天上にある幕屋(神殿)の「型」であり、「影」である。
 ヨハネ黙示録には、天上に神殿があると言われている。
 「それから、天にある神の神殿が開かれた。神殿の中に契約の箱が見えた・・・・」(一一・一九)。
 イエス・キリストは、この天上の神殿の至聖所に入り、私たちのために永遠の贖いを全うしてくださった。それは、
 「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはない」(二二)
 からである。イエスは私たちの赦しのために、ご自身の尊い血潮を流してくださったのである。
 あなたの罪の赦しは、こうして、もうすでに完全に成就している。あとは、あなたがそれを受け入れ、イエス・キリストとつねに一体になって生きていけばよい。
 あなたがイエスと一体となって生きていく限り、罪の赦しも永遠の命も神の子の特権も、みなあなたのものである。あなたは、イエスが神から祝福を受けるように、祝福を受けるであろう。
 今日も、祈りの中で主イエスと心を一つにしよう。
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5日 旧約・第二サム一章
 サウルの死の際の状況に関して、第一サムエル三一章と、第二サムエル一章の間に相違点が見られる。
 この相違点を説明する第一の解釈は、こうである。サウルと道具持ちが自決したのち、そこにアマレク人がやってきた。彼が見ると、サウルにはまだ息があって、ひどいけいれんが始まっていた。そこでアマレク人は、サウルの「私を殺してくれ」という願いにより、サウルを安楽死させるため、とどめを刺した。
 しかし第二の解釈はこうである。
 サウルと道具持ちが共に死んだのち、そこにアマレク人がやって来たが、アマレク人はサウルの死んでいるのを見て、ある事を思いついた。
 サウルは、ダビデをさんざんに苦しめた男である。もしそのサウルを自分が殺したと言えば、ダビデはきっと喜び、自分を高い地位に迎えてくれるに違いない・・・・。
 アマレク人は、自分がサウルを殺したと告げて、ダビデにとりいろうと計ったのである。しかし、ダビデの反応は、彼が期待したものとは全く違った。
 アマレク人は、自分のついたウソのために処刑されたのである。(この第二の解釈が正しいことについては、四章一〇節を参照)。
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6日 旧約・第二サム二章
 ダビデは、自分の身の振り方について、主に伺いをたてた(一)。これはおそらく、大祭司の持つエポデについているウリムとトンミムによって神意を伺った、ということであろう(一サム二八・六、三〇・七〜八)。
 かつてアブラハムやモーセに対し、神は直接ご自身の御言葉で語られた。しかしダビデの時代には、神は預言者を通して語るか、夢を通して語るか、または大祭司のウリムとトンミムを通して御心を示されていた。
 今日の時代においてはどうか。神は一般的に、聖書を通して私たちに語られるのである。
 ダビデは主のみこころを求め、それに忠実に行動した。もし彼が、終生そのような態度を保ったなら、後に見るような失敗は犯さなかったであろう。
 サウルの将軍であったアブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテを立てて王とした(九)。これは主に背く行為である。
 アブネルはまた、一時のたわむれに発して(一四)、ユダ族との間に大激戦を起こすに至った。「愚かな者は、戯れ事のように悪を行なう」(箴言一〇・二三)のである。
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7日 新約・使徒の働き八章
 教会に対する迫害が始まったため、クリスチャンの多くが周辺の地方に散らされた(一)。じつはこれによって、キリスト教の爆発的な拡大が始まる。
 迫害は、キリスト教を押さえつけるどころか、むしろ、しばしばキリスト教を爆発的に拡大させる火つけ役ともなるのである。
 シモンは、魔術を行なって「自分は偉大な者だと話していた」(九)。おそらく自分が神の化身だとか、メシヤだとか話していたのであろう。
 しかし、シモンの奇跡に比べると、キリストの使徒たちの行なう奇跡は、質と量において段違いに素晴らしかった。それはシモン自身が驚いたことが証明している(一三)。シモンの奇跡は、タネのある手品や、サクラを使ったものだったのかも知れない。
 今日も、インドのある宗教の教祖は、空中からネックレスなどを「物質化」して出し、信者に与えるなどの奇跡を見せて信者を集め、自分を「神の化身」だと言っている。
 しかし、本当の奇跡を行なう者は、決して自分を「神の化身」と言ったり、偉大な者のようには言わない。むしろ、自分を低くし、神とキリストにすべての栄光を帰すのである。
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8日 旧約・第二サム三章
 古代においては、王のそばめと通じることは、自分を王位継承者と主張するに等しかった(七)。
 アブネルは、サウル王のそばめと通じていた。それを知ったイシュ・ボシェテは、アブネルをそしった。
 しかしアブネルは、自分の不義を悔い改めるのではなく、むしろ自分の忠義を恩にきせて、イシュ・ボシェテに対して怒った。その結果アブネルは、イシュ・ボシェテと仲たがいし、ダビデ側に寝返った。
 ところが、アブネルはダビデ側ともうまくいかなかった。彼はダビデの家臣ヨアブの恨みを買っていたので(三〇)、ヨアブの手により暗殺されてしまった。
 ヨアブの行為も責むべきものであったが、これによりアブネルは自分の罪の報いを身に受けたのである。
 一方、ダビデは寛容に物事に対処した。アブネルはもともとダビデに対し反勢力を築いた張本人であり、重臣アサエルを殺した人物であるのに(二・二三)、ダビデは彼が降伏してくると彼を受け入れ、彼が死ぬとその死を嘆いた。
 ダビデはアブネルのために断食し、サウルやヨナタンの死の時のように、アブネルのために哀悼の歌までつくった。
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9日 旧約・第二サム四章
 サウルの子イシュ・ボシェテは、ダビデに対する反勢力として存在していた。バアナとレカブは、このイシュ・ボシェテを暗殺すればダビデはきっと喜んでくれる、と勘違いしていた。
 これはかつて、サウルを殺したのは自分だと言えばダビデはきっと喜んでくれる、と勘違いしていたあのアマレク人と一緒である(一・一〇)。
イシュ・ボシェテは、ダビデに対する反勢力ではあったが、同じイスラエル人であり、同胞であった。ダビデはイスラエル内にこのような対立が存在することを、深く憂いていた。
 できることなら、イシュ・ボシェテの勢力と平和のうちに統合を果たしたいと、ダビデは望んでいた。ところが、それがイシュ・ボシェテの暗殺というような流血の事態におちいってしまった。これをどうして悲しまずにいられよう。
 またダビデにとっては、主君を裏切り暗殺するなどということは、最もひどい悪の一つであった。主君を裏切る家臣は、たとえ自分のもとに置いておいても、いつまた主君を裏切るかわからないのである。
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10日 新約・ヘブル一〇章
 旧約の律法に示されたすべての祭儀は、来たるべきキリストの救いをあらわす予型であり、「影」であった。
 神のご計画は、キリストにおいて完全な成就を見た。キリストは、私たちの救いの根源である。
 かつて江戸後期の俳人・小林一茶は、次のような辞世の句を残した。
 「たらいからたらいへ移る ちんぷんかんぷん」
 最初の「たらい」は赤ん坊を洗う「産湯」であり、次の「たらい」は、死んだ人の体を洗い清める「湯潅」のことである。人生とはたらいからたらいへ移るだけのもので、ちんぷんかんぷんだと彼は言ったのである。
 しかし、私たちは、主イエスにより人生の本当の意味を教えられた。人生とは、神と共に生きるためにある。私たちが神の栄光を現わす生き方をなし、神が私たちを喜び、また私たちが神を喜んで生きるところに、人生の目的がある。
 私たちは、地上の生を終えたあと天上の生に入り、再び万物更新の時に復活して、新しい生に入る。これが、イエスによる救いである。小林一茶にも、これを知ってもらいたかった。
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11日 旧約・第二サム五章
 エルサレムにはエブス人が居座っており、ダビデに対し「めしいや足なえでさえ、あなたを追い出せる」と言って嘲笑した(六)。
 しかしダビデは屈せず、エルサレムを攻め取った。八節の「ダビデが憎む足なえとめしい」とは、エブス人のことである。ダビデはエブス人を、「足なえとめしい」と呼んだのである。
 また、「このため『めしいや足なえは宮に入ってはならない』と言われている」とあるが、聖所にはもともと、めしいや足なえなど体に欠陥のある者は、入ることを禁じられていた。つまり、ここでは言葉の遊びでこう言われているのであろう。
 神はダビデを栄えさせ、その王国を盛んにされた。しかし、すでにこの頃より、ダビデの失敗の萌芽が見られる。
 ダビデはエルサレムで、さらに多くのそばめたちと、妻たちをめとった。これは決して賢明なことではなかった。
 ダビデはのちに、自分の息子に謀反を起こされ、深い痛手を負うことになる。彼が多くのそばめと妻を持ったことは、そうした家庭内の争いと、権力闘争を増やしたのである。
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12日 旧約・第二サム六章
 ダビデは、キリヤテ・エアリムのアビナダブの家に永く置かれていた神の箱――契約の箱を、エルサレムに迎え入れようとした。
 その志しは良かったが、その方法はまずかった。律法によれば、神の箱はレビ族中のケハテの子孫が、かつぎ棒をもって肩にかついで運ぶべきであった(民数四・四〜六)。
 しかしダビデは、かつぎ棒によってではなく、「車に載せて」運びだした(三)。そのためにデコボコ道にさしかかったとき、神の箱はひっくり返りそうになってしまった。
 ウザは不用意にも、ケハテの子孫でさえ触れてはならない箱を、手で押さえた。ウザはアビナダブの家の子で、箱に慣れ親しんでいたためであろうが、箱に不用意に触れると死ぬと律法にも警告されていた(民数四・一五)。神の聖は現われ、ウザは死んだ。
 このことは、ダビデに恐れを起こさせた。ダビデは箱を、途中のオベデ・エドムの家にとどめておいた。そのためオベデ・エドムの家のすべてのものが祝福された。
 ダビデはそれを見て、箱を再びエルサレムに運ぼうとしたが、このときは箱にかつぎ棒を通し、それを肩にかつがせた(一三)。
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13日 新約・使徒の働き九章
 サウロ――のちの名をパウロは、クリスチャンたちを迫害していた。彼はパリサイ派ユダヤ教徒であり、その教義への熱心から、クリスチャンたちを迫害していたのである。
 サウロ自身は、イエス・キリストに会ったことも、見たこともなかった。だから、彼にはイエス・キリスト個人を迫害しているという意識は、全くなかった。彼はただ、クリスチャンたちを迫害していたのである。
 ところが、ダマスコへの途上で主イエスがサウロに現われ、
 「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」(四)
 と言われた。「なぜクリスチャンたちを迫害するのか」ではなく、なぜ「わたしを」迫害するのか、とイエスは言われたのである。
 クリスチャンたちを迫害することは、イエスご自身を迫害することであった。またサウロは、このとき初めて、主イエスというおかたに一対一で直面させられた。
 無神論者や求道者がイエスを信じるのは、イエスご自身の存在に彼らが直面させられた時である。私たちは、彼らがイエスご自身と出会えるように祈らなければならない。
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14日 旧約・第二サム七章
 神のために神殿を建てるとの志しは、はじめダビデが持った。しかしダビデは多くの血を流した戦争の人であったので、神は彼には神殿建築の事業をお許しにならなかった。神は神殿建築の事業を、ダビデの子ソロモンに許される(一三)。
 神はまたダビデに、「はるか先のこと」(一九)までお告げになった。
 「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(一六)。
 この言葉は、のちにダビデの子孫からキリストがお生まれになり、永遠の王座を確立されたことによって、究極の成就を見ることになる。
 ダビデは、神の御言葉を預言者から聞くと、へり下って神に敬虔な祈りをささげた。彼は、
 「神、主よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに・・・・」(一九)
 と祈った。ダビデは決して、自分を「偉い人間」とは思わなかった。主の恵みがなければ、彼も無に等しいのである。ダビデはそれをよく知っていた。
 世の中には、口は謙遜でも、心では傲慢な人が少なくない。しかし、ダビデはそうではなかった。
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15日 旧約・第二サム八章
 ダビデ以前のパレスチナは、都市ごとにイスラエル人が住んでいたり、異邦人が住んでいたりした。ダビデは、パレスチナに住んでいる異邦人を征服し、全土をその支配下におくことに成功しつつあった。
 かつて神はヨシュアに、パレスチナの全異邦人を征服するよう命じられた。それはヨシュアの時代や士師時代の長きにわたって完全には果たされなかった。しかし約四〇〇年の歳月を経て、ようやくダビデの時代になって、それが果たされようとしていた。
 ダビデは行く先々で勝利をおさめた。これは神より与えられた勝利であった。
 「主は、ダビデの行く先々で彼に勝利を与えられた」(六、一四)
 と二度にわたって記されている。これらの勝利はみな主から与えられたものだったから、ダビデは高慢になることができなかった。
 私たちの人生は戦いに満ちている。私たちは多くの苦難や、試練、困難と戦わなければならない。しかし勝利は主から来る。私たちの背後には、つねに天の力があることをおぼえよう。
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16日 新約・ヘブル一一章
 信仰とは、現実世界がいかにあろうと、神の約束を確信し、まだ見ていない事実――すなわち神がこれからなそうとしておられることを信じて歩むことである。
 旧約の聖徒たちは、みなこの信仰の模範であった。私たちは地上では「旅人であり寄留者」(一三)にすぎない。私たちは天の故郷に向かって歩き続けているのである。
 この地上の旅において、私たちはどんな足跡を残せるだろうか。神は、ご自身を信じる者を、必ずや正しい祝福された道に導いてくださる。私たちはその神の導きに従って、歩んで行くのである。
 私たちの今していることは、私たちが天に帰ってから良き思い出となることであろうか。私たちはつねにそのようなことを考えながら、この地上の旅を過ごしていきたい。
 旧約の聖徒たちをはじめ、先に天国に帰った人々は、神およびキリストと共に、天国から地上の私たちを見守ってくれている。私たちはそうした聖徒たちとも、やがて会うのである。
 信仰とは、まだ見ていないそうした事実を確信して、この地上の生を歩んでいくことである。
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17日 旧約・第二サム九章
 古代オリエントでは、王朝が代わると、前王朝の一族は皆殺しにされるのが常であった。しかしダビデは、前王朝のサウルの家の者で生き残っている者がいれば、その者に恵みを施したいと考えた(一)。
 ダビデのもとに一人の者が連れて来られた。それはサウルの子ヨナタンの子メフィボシェテであった。メフィボシェテは両足共なえていた。
 ダビデは彼に、サウルの地所を全部返したうえ、王の食卓でいつも食事をすることを許した。メフィボシェテは、
 「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか」(八)
 と言った。これは、かつてダビデ自身が神に向かって言った言葉と同様のものである(七・一八)。
 私たちも、死んだ犬のような者であった。しかし神によって救われ、天国の地所を与えられ、王なる神の食卓に招かれている。これは何という恵みであろう。
 メフィボシェテが、ヨナタンの子であるという理由で恵みを受けたように、私たちも、主イエスによって生み出された者であるという理由で、神の恵みを受けているのである。
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18日 旧約・第二サム一〇章
 「アモン人の王」(一)とは、ナハシュのことである。かつてダビデは、サウルから逃げていたとき、彼のもとで保護を受けたのであった。
 ダビデは恩を忘れない人であった。ナハシュが死ぬと、ダビデはその子ハヌンに慰問使団を派遣した。
 ところがハヌンは、その好意を受けてはくれなかった。そればかりか、つかさたちが彼らはスパイだろうと告げるのを聞いて、ダビデの使者たちをひどく辱めた。
 使者たちは、男の栄誉のしるしであるひげを半分剃り落とされ、さらには衣を尻のあたりで切り落とされた。当時のイスラエル人はスボンをはかなかったから、彼らの下半身はむき出しにされたのである。
 これは使者たちにとって、たいへんな屈辱であった。
 ハヌンはこの愚行をなしたために、結局ダビデの怒りを恐れ、戦いの準備をせねばならないはめになった。人の親切を悪意に解したり、人の好意を疑ったりする者は、かえってあとで苦しむことになる。
 前章でメフィボシェテは、ダビデの好意を受け入れて大きな恵みを得た。反対にハヌンは、ダビデの好意を疑った結果、災いをこうむったのである。
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19日 新約・使徒一〇章
 このときまで、キリスト教伝道はユダヤ人の間に限られていた。
 しかし神は、敬虔な異邦人コルネリオと、ユダヤ人使徒ペテロの双方に幻を見せ、さらに二人を出会わせることをされた。これによって神は、異邦人伝道のみこころを示されたのである。
 異邦人伝道が始まったのは、時が来たからである。イスラエル民族は、メシヤを全世界に来たらせるために選ばれ、育成された民族であった。そのイスラエルに、ついにメシヤが降誕され、使徒たちが訓練された。
 だから神は、この時に至って異邦人伝道を始められたのである。こののち、福音は全世界に伝えられていく。私たちは二〇世紀にあって、福音が全世界に伝えられつつあるのを知っている。
 福音は全世界を一周し、今やそれはユダヤ人に戻ってきている。日本や世界各地に、イスラエルを愛する会や、ユダヤ人への伝道団体が出来ている。
 イスラエルに住むあるクリスチャンから聞いたところによると、今日メシアニック・ジュー(ユダヤ人のクリスチャン)になる人々が増え、盛んに活動をするようになっているという。
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20日 旧約・第二サム一一章
 ダビデはイスラエルの英雄であった。しかし聖書は、彼の犯した罪を隠すことをしない。
 世の人は英雄について記すとき、その美点ばかりを記すことが多い。しかし聖書は、聖徒と言われた人物の犯した恐ろしい罪をも、露骨に記す。これは聖書が、神の霊感によって記された神の書であることを示す一つの証拠でもある。
 ダビデはその日、戦闘に参加しておらず、エルサレムで夕暮れまで昼寝していた(二)。緊張を持続する者は誘惑に対してすきを与えないが、安逸をむさぼる者は、たやすく誘惑に陥る。
 ダビデは、バテ・シェバが他人の妻であることを知りながら、彼女と寝て、姦淫を犯した。彼女はみごもった。そこでダビデは、彼女の妊娠が自分によるものであることを隠すために、彼女の夫を家に帰らせようとした。
 それがうまくいかないことがわかると、ダビデはなんと、夫ウリヤを激戦の最前線に送り、敵の真正面に出して故意に死なせた。
 一連の事柄は、王の権威をもって命じれば、いともたやすく行なえることであった。しかし、これは主の御前に大きな罪となった。
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21日 旧約・第二サム一二章
 神は預言者ナタンを遣わして、ダビデを悔改めに導かれた。
 ナタンの個人伝道は、まことに妙を得ている。はじめにたとえ話を語り、次に短刀直入にダビデの行なったことを言い当て、悔改めを迫る。
 とはいえ、ダビデは王の権威を持った人物である。ダビデがもし家来に、ナタンを捕らえて監禁せよと言えば、家来はきっとそうしたであろう。
 しかし、ナタンの前にダビデはひざまずき、即座に悔い改めた。「私は主に対して罪を犯した」(一三)。言葉は短くても、深刻な真実の悔改めは、神によって知られる。
 赦しも即座に続いた。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。・・・・」。
 しかし、ダビデの罪は赦されたものの、罪の恐ろしさを教えるために、神はダビデの家に災いの起こることを許された。こののち、ダビデの家には次々と災いが起こっていく。バテ・シェバの最初の子は死に、その他の妻たちにも災いが続く。
 けれども、その中でもダビデは真実な悔改めと、神への信仰を示した。彼の悔改めの心情については、詩篇五一篇、また三二篇等によくあらわれている。
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22日 新約・ヘブル一二章
 「訓練と思って耐え忍びなさい」(七)。
 ときに私たちは、クリスチャンになって以後もなぜ苦難があり、悩みがあるのかと思う。いやクリスチャンになってからのほうが、いっそう苦しみや悩みが増えた、と思うことすらある。
 しかし、神は言われる。訓練と思って耐え忍びなさい、と。「神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか」と(七)。
 苦しみや悩みを通してしかわからない世界、というものがある。神はそうした世界を教えようとしておられるのである。
 もし私たちが、ただ安逸な生活にあるならば、私たちはそのはじめには幸福と感じても、やがて堕落し、神からそれていってしまうのではないだろうか。
 神は私たちを愛し、その成長を願うゆえに、時に苦難や悩みを与えられる。それは私たちを清め、さらに神ご自身を求めさせるためである。
 しかし神は、耐えきれないほどの苦しみを与えることは、決してなさらない。必ず、試練と共に、それから逃れる道も備えてくださるのである。
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23日 旧約・第二サム一三章
 ダビデは、個人としては罪を赦され、その魂は神に回復したが、父としてまた王として、多くの苦い杯を飲まなければならなかった。
 彼の家庭に、また王国に悲劇が起こり始めた。本章の出来事は、そのはじめである。
 アムノンは、タマルとは異母兄妹であった。しかし彼女を恋い慕い、無理に彼女と寝て、これをはずかしめた。ところが事が終わってみると、アムノンは以前タマルを恋い慕っていた思いにもまさって、彼女をひどく憎むようになった(一五)。
 不純な恋は、少しのことで憎しみに変わる。
 アムノンのしたことは、律法によれば死刑にされるべきものであった(レビ一八・九、二九)。しかしダビデは、それを知りながら怒っただけで、それ以上のことはしなかった。
 そのためにダビデは、より大きな災いを経験しなければならないことになる。アブシャロムが私怨からアムノンを殺し、王国に反逆したのである。
 罪は罪を生み、ダビデの心は苦痛に次ぐ苦痛をもって刺された。犯すまじきは罪である。私たちは慢心に注意し、内的生活をきよく保たなければならない。
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24日 旧約・第二サム一四章
 ダビデは、息子アブシャロムがその兄弟アムノンを殺したことで、アブシャロムを憎んでいた。
 ダビデの家臣ヨアブは、それを知り、なんとか二人の仲を仲裁しようと考えた。ヨアブは知恵をめぐらし、女を使って、アブシャロムをエルサレムに引き戻してくれるよう、ダビデに願わせた。
 ダビデは女の願いを聞き入れ、アブシャロムをエルサレムに連れて来た。しかし、ダビデは決して彼に会おうとはしない。その後二年間にわたり、ダビデはアブシャロムに会わなかった。
 ダビデはこのとき、憎しみを捨て、親として、また私人としてアブシャロムに何事かをすべきであった。また王としては、すなわち公人としては、アブシャロムを裁判にかけるべきだったのである。
 ところがダビデは、ただ放置しているだけで、何もしなかった。彼は、このことを考えたくなかったのである。たしかに、状況は困難であった。しかし、ダビデは神の導きを求めるべきであった。
 この間、アブシャロムはただ不満をつのらせていた。彼はこののち、悪巧みをはかり、ダビデに対して謀反を起こすことになる。
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25日 新約・使徒一一章
 「キリスト者」(二六)すなわちクリスチャンという名は、自分たちがつけた名ではなく、むしろ町の人が彼らを見て呼んだ呼び名、あるいはあだ名であった。
 かつて一七世紀に、ジョージ・フォックスに従った者たちは、神の威光に震えながら祈ったので、町の人々は彼らを「クウェーカー」(震える者)と呼んだ。それは彼らへの嘲笑的な呼び名であったが、のちにそれが彼らの通称となった。
 また一八世紀に、ジョン・ウェスレーに従った者たちは、厳格な生活を送ったので、町の人々は彼らを皮肉って「メソジスト」(方法論者、几帳面屋)と呼んだ。しかしウェスレーは、それを自分たちの通称として喜んで採用した。
 ある程度の勢力をもったグループは、やがて町の人々から呼び名、あるいはあだ名をつけられるものである。それはまた、そのグループが他とは明確に区別されるような顕著な特長を持っている、ということでもある。
 初代教会の人々は、自分の栄光を求めるのではなく、キリストを宣べ伝え、キリストにすべての栄光を帰した。だから彼らは「キリスト者」と呼ばれたのである。
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26日 旧約・第二サム一五章
 アブシャロムは、巧みにイスラエル人をだまし、その心を盗んで自分になびかせた(六)。
 そのためアブシャロムが謀反を起こしたとき、彼にくみする民は非常に多かった(一二)。ダビデのもとで議官をしていたアヒトフェルでさえ、アブシャロムにくみした。
 ダビデは、エルサレムの都から逃げださなければならないほどであった。ダビデは都を出て、オリーブ山に向かい、その坂を泣きながら登った。
 ダビデはこの時の心境を、詩篇四一・九に表した。これは、のちのキリストが弟子ユダに裏切られた時の心境の予言でもある。
 ダビデが、息子アブシャロムや家臣アヒトフェルに裏切られたように、イエスは弟子ユダに裏切られた。また、裏切られたときダビデがオリーブ山を登ったように、イエスも裏切られた時オリーブ山に登って祈られた。
 このようにダビデの生涯は、ある面でイエスの生涯の予型となった。ダビデの生涯は、イエスの生涯の予型的性格を合わせ持っていたのである。ダビデの詩篇の多くがイエスの生涯とかかわりを持って見られるのは、そこに理由がある。
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27日 旧約・第二サム一六章
 サウルの一族の一人、ベニヤミン人シムイがダビデにのろいの言葉をあびせた時、ダビデはそれをただ甘んじて受けた(一〇)。
 ダビデは今回の災いが、もともとは自分の罪に発したことを知っていた。だから、のろいの言葉を受けたとき、それを主からの懲らしめの言葉と思って、反発することをしなかった。
 ダビデのこのいさぎよい清い心は、今回の災いと暗黒の中に輝く一筋の光明であった。ダビデがこののち救われ、再び主によって高く上げられることになるのは、彼にこの真実な心があったからである。
 ダビデ自身、もし主に対して真の悔改めを示せば、主は必ずや自分を災いから救い出してくださると信じていた。彼は言った。
 「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう」(一二)。
 ダビデは、主の真実に信頼していたのである。
 クリスチャンでも、罪は犯す。しかし、罪を犯したとき、どのような悔改めを示すかが大切である。私たちは、ダビデの態度に学ぶことが多いのではないだろうか。
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28日 新約・ヘブル一三章
 「私は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」(五)。
 あるクリスチャンは、クリスチャンになったがゆえに友人からなじられ、あざけられたために、ひどい苦しみと孤独を経験した。その苦しみにあるとき、彼は、
 「私はもう信仰を捨てる。もう教会へは行かない」
 と涙の中で思った。しかし、自分では神を捨てたと思っていたものの、神のほうが彼を捨ててはおられなかった。
 苦しみの中で彼に慰めと力を与えてくれたのは、やはり、それまで親しんでいた聖書の言葉であり、神の言葉であった。
 苦しみがある程度一段落したとき、彼は自分のそれまでの人生を振り返ってみた。すると、自分は神を捨てたと思っていたのに、神は苦しみの中でもいつも横にいて、手をさし伸べていてくださったと彼には感じられた。
 苦しみのためにふらふらになったときも、完全に倒れてしまわないよう横でささえてくださっていたのは、神であった。これに気づいたとき、彼は神に立ち返り、二度と信仰からそれることはなかった。
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29日 旧約・第二サム一七章
 ダビデ攻撃のために、アヒトフェルのはかりごとの方が、戦略としてはずっと優れていた。もしアヒトフェルの戦略が通っていたならば、ダビデは窮地に追い込まれ、実際に殺されていたかもしれない。
 しかし、アヒトフェルの戦略は退けられ、フシャイの戦略が採用された。それは「主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ち壊そうと決めておられたからであった」(一四)。
 ここに、歴史と神の関係が明確に示されている。ある人々は、人間には自由意志というものはなく、人間の意志はすべて神によってあやつられていると思っている。
 しかしこの考えは、聖書の教えるところではない。人間には自由意志がある。しかし、神は各人の自由意志によって動く人間界に、ときおり「介入」をなして、その人間界がある一定の方向に行くよう、摂理によって導きをされるのである。
 つまり、人間の自由意志による意志決定が、ある方向に向かうよう、ときおりその環境や状況をご自身のご計画に従って摂理されることがあるのである。
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30日 旧約・第二サム一八章
 「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ」(五)
 というダビデの言葉は、わが子を思う寛容な、罪を赦す親心のあらわれであった。これは背いた罪人をなお愛し、寛容をもって扱ってくださる神の心にも似ている。
 しかし、ヨアブはこのようなダビデの気持ちをよそに、アブシャロムを一撃をもって殺し、無惨にもその遺体を深い穴に投げ込んで、その上に石の山を積み上げた。
 ヨアブは私怨もあってそうしたのかも知れないが、それにしても同情がなさ過ぎる。ヨアブの行動は王の心とは一致せず、しばしば王の心を痛めた。このようなヨアブだったから、彼がのちに王の晩年に及んで反逆にくみしたのも不思議ではない(一列王一・七)。
 アブシャロムは生前、自分の名を残すために記念碑を残していた(一八)。彼は自分が英雄として語り継がれることを欲したが、反逆者として後世に伝えられた。彼は取るに足らない者であった。しかしダビデは、アブシャロムのために言った。
 「ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに」(三三)
 これは罪人の代わりに死んで下さったキリストの御心をも思わせる。
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