聖書一日一章

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1日 旧約・第一列王一五章
 南王国ユダの王となったアサは、「ダビデのように主の目にかなうことを行なった」(一一)。彼は神殿男娼を国から追放し、偶像を打ち砕いた。
 しかしアサ王は、はじめは良かったものの、老年は若干の失敗をしている。彼は北王国の王バシャの来襲にあうと、神殿や王宮の金銀を持ち出し、アラム王ベン・ハダデに助けを求めた(一八)。
 アサは、神により頼まず、肉の心で行動したのである。歴代誌にこれに関する並行記事があり、そこではアサは、預言者から、
 「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした」(二歴代一六・七)
 と叱責されている。またアサは、これにより数々の戦争に巻き込まれた。
 孤児院をつくって愛を実践した祈りの人ジョージ・ミュラーは、「主よ、どうか私が罪深い老人として死ぬことがありませんように」と祈るのを日課としていた。
 私たちは年を重ねても、はじめの確信を最後まで持ち続けたい。そして、以前の信仰よりもさらに優れた、練られた信仰を持って主のみもとに召されていきたいものである。
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2日 旧約・第一列王一六章
 アハブは、北王国イスラエルにおける最悪の王であった(三〇)。
 アハブは、偶像バアルの礼拝を民に広め、バアルの祭壇を築いた。彼はバアル教の宣教師となり、バアル文化の建設者となったわけである。
 アハブは政略結婚により、シドン人の王の娘イゼベルをめとっていた。イゼベルは熱心なバアル崇拝者であり、夫アハブを意のままに操った(二一・二五)。
 イゼベルはまた、主の預言者たちを殺し、預言者エリヤの命をつけねらった人物としても知られている(一八・四、二一・一六〜二六)。
 アハブや、イゼベルの名は、以後もユダヤ人の間で悪名高く語り継がれた。イゼベルの名は、新約聖書・ヨハネ黙示録二・二〇にも出てくる。彼女の名は、悪女の代名詞とされている。
 三四節によると、アハブの時代に、ヒエルという人物がエリコの街を再建したが、そのとき彼は長子と末子を失ったという(三四)。これは、ヨシュア記六・二六の言葉の成就であった。
 当時、もし聖書の言葉が尊ばれていたら、この悲劇は起こらなかった。しかし、彼らは神のみことばを地に投げ捨てていたのである。
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3日 新約・第一ペテロ一章
 キリストの使徒ペテロは、「たましいの救い」について語っている。
 私たちは、キリストの十字架の「血のそそぎかけ」(二)によって、義認を得る。罪を赦され、神の前に義と認められる。
 また、キリストの復活によって、私たちは新生する(三)。永遠の命を得、神の子となるのである。
 しかしこのことが起こるためには、人間側の条件もそろわなければならない。それは「信仰」である。
 「あなたがたは・・・・信仰の結果である、たましいの救いを得ている」(九)。
 信仰とは、主イエス・キリストを愛し、信じることである(八)。また、「真理に従う」(二二)ことである。
 五節では、「終わりの時に現わされるように用意されている救いをいただく」と言われ、救いは未来に属するとされている。しかし九節においては、「たましいの救いを得ている」と言われ、救いは現在のものとされている。
 私たちはすでに、神が与えられた救いの所有者になっているが、それを完全に味わうのは、まだ未来においてなのである。
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4日 旧約・第一列王記一七章
 ここで預言者エリヤが登場する。 エリヤは、アハブ王の迫害をのがれるため、ケリテ川のほとりに身を隠していた。神はエリヤを養うため、ある母子家庭を用意された。
 その母子は非常に貧しかった。食糧は明日までもたないと思われた。しかし、母子がエリヤの言うとおりにすると、主の祝福がのぞみ、「かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった」(一六)。
 これと同じ経験をしたクリスチャンは少なくない。食糧が明日までもたないと思われるような状況の中で、必要なだけのものが日々与えられるのである。
 ジョージ・ミュラーの孤児院は、その典型的な例として有名である。貧しいその時代において、孤児院の食糧は明日には底をつくと思われることが度々であった。しかしそのつど、必要な食糧等が寄付され、孤児たちの食卓にのぼった。
 その背後には、ミュラーの祈りがあった。祈りを聞かれる神は、必要な時に必要なものをお与えになった。「かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならない」という経験は、クリスチャンにとって非常に貴重である。
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5日 旧約・第一列王記一八章
 北王国イスラエルの王アハブと、その妻イゼベルは、イスラエル史上最悪の罪を積み重ねていた。彼らは主の預言者たちを殺していたのである(四)。
 しかし、彼らに思い知らせるために、主はエリヤを遣わされた。
 エリヤはまず、ヤハウェとバアルのどちらが真の神かを人々に示すために、一大イベントを提案した。それは、火をもって答える神を真の神とするというものであった。
 提案は受け入れられ、カルメル山に、エリヤと、バアルの預言者たち四五〇人と、民衆が集まった。
 バアルの預言者たちは、「剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけた」(二八)。これはバアル宗教の性格を表すものである。
 今日も、東南アジアや、アフリカ等の未開地域には、自分の身を傷つけて恍惚状態に入る宗教がある。しかしヤハウェ宗教においては、身を傷つけることを決してしない。
 火をもって答えたのは、エリヤの神であった。エリヤは民に命じてバアルの預言者達を捕らえ、彼らを全員殺した。モーセの律法には、偽預言者は殺されなければならないと規定されていた(申命一八・二〇)。エリヤはそれを執行したのである。
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6日 新約・使徒一八章
 パウロは、「一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった」(一八)。
 これは、ナジル人の誓願であろう。ナジル人の誓願を立てたものは、ある期間にわたって髪を切ってはならないが、期間が終わると髪をそって、それを神の前で焼いてささげた(民数六・一八)。
 ナジル人の誓願は、自分の生涯を神にささげることを表すものであった。誓願を立てた者は、身を常に清く保ち、すべてにわたって自制した。これは男でも女でも同様である。
 パウロは、さらに神に用いられる者となるために、献身を新たにしていたのである。私たちも、神に用いられるためには、自分の身を神にささげる必要がある。
 これは必ずしも牧師や宣教師にならなければならない、という意味ではない。しかし私たちは、いかなる職業についている場合でも、生き方において主に対する献身を示すべきなのである。
 キリストを信じる者は誰でも救われる。しかし、神の栄光を現わす者は、ただ自分の身と心を神に全くささげた人々である。
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7日 旧約・第一列王記一九章
 預言者エリヤの活躍を聞かされている私たちは、とかく彼を、弱さを知らない豪傑、また完全無欠な人物と思いやすい。
 しかし本章において、エリヤは自分の弱さをのぞかせている。彼は「私は先祖たちにまさっていませんから」と言った(四)。そして悪女イゼベルの迫害の前に、ふるえおののいていたのである。
 けれども、神の力は弱さのうちに完全に現われる。自分の弱さを知って神により頼む人こそ、神に豊かに用いられる。
 神は、かつてモーセに十戒を授けたあのホレブ山(シナイ山)において、エリヤに語りかけられた。それは「かすかな細い声」(一二)であった。
 私たちも、自分の弱さを覚えて祈っているとき、「かすかな細い声」を聞くことがある。偉大な真理は、しばしば静けさの中に語られる。神はしばしば、静寂の中に来られる。
 エリヤは、神に従う者は自分しか残っていない、と言った。しかし実際には、バアルにひざをかがめない七千人のレムナント(残りの民)が存在していた(一八)。エリヤは孤独ではなかったのである。そして何より、神が彼と共におられた。
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8日 旧約・第一列王記二〇章
 アハブ王は、ベン・ハダデを聖絶せずに去らせた。これは、かつてサウルがアガグを聖絶しなかった罪と同じである(一サム一五・八)。
 その後、預言者の一人が、アハブに悔改めを迫るために遣わされた。預言者はアハブのもとへ行く前に、「主の命令によって」(三五)、同僚の預言者に「私を打ってくれ」と言った。しかし、同僚は彼を打つことをしなかったために死んだ。
 それは同僚が「主の命令によって」(三五)命じられたその言葉に従わなかったからである。私たちはここに、主に従うことの重要性を見る。
 この体験は、アハブのもとへ行こうとしていた預言者にとっても、大きな教訓となったに違いない。
 さて、預言者はアハブの前で、自分が命令に背いて捕虜を取り逃がした人物であるかのように言った。するとアハブは「あなたは・・・・裁かれる」(四〇)と言った。
 預言者はそこで、この人物とは実はアハブのことであると示した(四二)。しかし、アハブはそれを聞いて悔い改めるどころか、「怒った」。
 かつて、預言者ナタンに罪を指摘されたダビデは、即座に悔い改めた。しかしアハブは悔い改めず、かえって神に敵対したのである。
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9日 新約・第一ペテロ二章
 「あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい」(一六)。
 私たちは、「自由人」であると同時に、「神の奴隷」である。
 宗教改革者マルチン・ルターは、次のように言っている。
 「キリスト者は、すべてのものの上に立つ自由な君主であって、何びとにも従属しない。キリスト者はまた、すべてのものに奉仕するしもべであって、何びとにも従属する」(キリスト者の自由)。
 キリスト者は、何びとにも従属しない自由人であり君主であるが、同時に、すべての人に奉仕するしもべである。また、神によって解放された自由人であると同時に、神に仕える奴隷なのである。
 私たちは、神の奴隷であるから、神の教えに従って、人からの強制によらずに自発的に物事に対処する。つまり、神の奴隷となることは、人の間で真の自由人となることなのである。
 多くの人は、神の奴隷となろうとしないので、人間や因習や迷信の奴隷となっている。しかし真理に従う者には、真の自由がある。
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10日 旧約・第一列王記二一章
 北王国イスラエルの王アハブは、妻イゼベルと共に、「忌み嫌うべきことを大いに行なった」(二六)。
 預言者エリヤは、アハブに預言の言葉を告げ、神の審判を予告した。アハブは、一時的ではあったが悔改めを示した。すると神は、
 「彼の生きている間は、わざわいを下さない」
 と言って、あわれみを施された。ここに私たちは、神の忍耐深さを見る。新約聖書にも、
 「(神は)あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(二ペテ三・九)
 と記されている。
 私たちはつねに、自分たちも神の忍耐深さと憐れみのゆえに生きながらえていることを、思い起こさなければならない。もし神に忍耐がなかったなら、私たちはとっくに滅ぼされていたことであろう。
 「主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るにおそく、恵みとまことに富む」(出エ三四・六)
 かたである。私たちはこのかたを、あがめ、畏れ、愛し、また感謝しつつ歩んでいくべきである。
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11日 旧約・第一列王記二二章
 預言者ミカヤは、北王国イスラエルの王アハブに対し、「攻め上って勝利を得なさい・・・・」と言った(一五)。
 しかしミカヤは、「主はこう仰せられます」という前置きをつけていない。彼は、アハブおかかえの預言者たちの言葉を、おそらく嘲笑的な口調でまねて、こう言い放ったのである。それでアハブも、ミカヤの言葉には何か別の意図があると感じた(一六)。
ミカヤは次に、「主のことばを聞きなさい」と言い、アハブを戦死させるのが主のご計画であると告げた(一九)。アハブはそれを本気にしなかったようだが、内心では恐れて、「変装して」戦いに出向いた。
 戦場で、アラムの兵士が「何げなく」放った矢が、アハブに当たり、彼はやがて息絶えた。この矢は、人々の感覚からすれば偶然のものであったが、その背後には主の御使いの働きがあった。こうして、アハブに対する審判が下された。
 アハブおかかえの預言者たちがなした預言も、結局偽りのものとなった。これは、彼らがアハブの耳に聞こえのいい預言しかしない者たちであったので、主がすでに彼らを御前から退けておられたからである。
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12日 新約・使徒一九章
 パウロはエペソで、一二人の弟子たちに出会った。彼らはアポロの伝道の実であり、キリストを信じていたものの、聖霊についてはまだ何も知らなかった(二)。
 彼らはまた、ヨハネの悔改めのバプテスマを受けていたが、イエスの御名によるバプテスマを受けていなかった。これらのことを原因として、彼らには聖霊が力をもって下っていなかった。
 信者には、すでに聖霊が小さなタネのように宿っている(一コリ一二・三)。しかし聖霊が力をもって下ることは、また別のことである。
 弟子たちは、イエスの御名によってバプテスマを受け、さらに使徒パウロの按手を受けた。彼らはイエスに対する献身と、神への愛に満たされたであろう。すると、聖霊が力をもって彼らに下られた。
 初代教会において、聖霊は盛んに異言や預言の賜物を分与されたから、彼らも異言を語ったり、預言をしたりした。
 しかし、異言や預言の賜物のことが、ここで一番重要なのではない。一番重要なのは、信仰に入ったら、信者はみな愛と聖さと力に富むために聖霊の力強い注ぎを求めるべきだ、ということなのである。
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13日 旧約・第二列王記一章
 「エクロン」(二)は、ペリシテ人の五大都市の一つであって、バアル・ゼブブを守護神としていた。
 バアル・ゼブブは偶像であり、意味は「はえの主」。はえは疫病をもたらすと信じられていたから、「はえの主」は、はえの力を抑えて病気をなおす力がある、との信仰が民衆に広まっていたのである。
 これに似た信仰は、日本の稲荷神社などにもしばしば見られる。ある稲荷神社には、カエルの大きな像が大事そうに祭ってある。何のためかと聞けば、「無事にカエル」ように人を導く力があるのだという。
 真の神を知らないと、人間はどうしてこんなつまらない迷信を信じてしまうのであろうか。北王国イスラエルで新しく王となったアハズヤも、そうであった。
 彼は、自分が病気になったとき、ヤハウェ神に祈らず、バアル・ゼブブに頼った。彼は、そのために命を落としたのである。
 迷信は、決してささいなことではない。それはあるときは、非常に重大な過ちを人におかさせる。
 聖書の述べる真の神を知ることは、迷信による呪いから解放されることでもある。
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14日 旧約・第二列王記二章
エリシャはエリヤに、「あなたの霊の二つの分け前が私のものとなりますように」(九)と言った。
 「二つの分け前」とは、エリヤの霊の二倍という意味ではない。イスラエルでは相続のとき、長子は他の子達の二倍の分け前をもらうことになっていた(申命二一・一七)。つまりエリシャは、エリヤの正式な後継者となりたいと述べたのである。
 エリシャは、エリヤが昇天した後にエリヤの霊を受け、彼と同じ行為をしてみせた。これにより人々は、エリシャが後継者であることを直ちに認めるに至った(一五)。
 これはキリストの昇天後、キリストの霊がクリスチャンたちに注がれたことを予表する預言的出来事であった。ただしキリストの霊を受けられるのは、エリシャがエリヤに従ったように、キリストに従う者たちだけである。
 エリシャはその後、ベテルの町に行った(二三)。ベテルは、金の子牛の置かれた偶像崇拝の中心地であった(一列王一二・二九)。
 ベテルから出てきてエリシャをからかった四二人の子どもたちは死んだ。これは、罪に満ちたこの町において、神の裁きは子供達に対してさえ厳しく臨んだことを示している。
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15日 新約・第一ペテロ三章
 「もし神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよい」(一七)。
 私たちが経験する苦しみには、いろいろある。病気やケガによって苦しむこともあれば、罪を犯して苦しむこともある。私たちは、そうした苦しみから解放されなければならない。
 しかし、尊い苦しみというものがある。また味わうべき苦しみというものがある。それは善を行なって苦しむことである。
 私達はこれまで、善を実現するため、また福音を伝えるため、神のみこころを実現するために、産みの苦しみを経験したことがあるだろうか。
 もし私たちが自分のことだけを考え、利己的な生活に終始するなら、私たちはそうした苦しみを味わうことなく、ただ安穏として暮らすだけであろう。しかし、もしこの世で神のみこころを行なおうとするなら、私たちはしばしば強い反対にあい、苦しみの中に歩まなければならないときがある。
けれども、その苦しみはやがて大いなる祝福と、恵みと、輝かしい栄冠とをもって償われるのである。
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16日 旧約・第二列王記三章
 北王国イスラエルの王となったヨラムは、バアルの石の柱を取り除くなど、良いことも行なった。しかし結局彼は中途半端で、ヤロブアムと同じ様な罪を犯し続けた(三)。
 ヨラムが王となると、モアブ民族が北王国イスラエルに反逆した。このときまで、モアブは北王国の圧迫下にあったのである。これは考古学者の発見した「モアブの碑石」と呼ばれる当時のモアブ側の記録にも記されている。
 さて、反逆したモアブを打つために、ヨラムは南王国ユダの王ヨシャパテと組んで、共同戦線をはった。
 しかしこのとき、彼らは二人とも主に対して祈っていない。祈らない者は力を得ない。彼らはやがて水不足の窮地におちいり、その後初めて預言者エリシャのもとに来た。
 エリシャは彼らに水を与え、モアブに対する勝利を約束した(一八)。
 確かに彼らは、モアブに対して勝利を得ることができた。しかし、モアブを征服することは出来なかった(二七)。北王国イスラエルの王ヨラムは、神に仕える態度が中途半端であった。そのためモアブ討伐も、結局、中途半端に終わってしまったのである。
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17日 旧約・第二列王記四章
 ここには、子供はいたがお金のなかった女と、お金はあったが子供のいなかった女とが出てくる。
 子供はいたがお金のなかった女が、自分の持つわずかの油(オリーブ油)を預言者に差し出すと、沢山の空の器が油で一杯にされた。今日も、自分の持つものがたとえわずかであっても、それを神の前に差し出す者はみな祝福で一杯にされる。
 女は、空の器を差し出した。同様に私たちは、神の前に空の器、つまり空の心を差し出さなければならない。そうすれば神は、そこに油――聖霊を満たされる。
 また私たちには、女と同様、ある種の負債がある。福音の証しと愛の行ないをなすべきとの負債である。
 女は、油の満たしを受けて負債を払い、その余分で生計を立てることができた。同様に私たちは、聖霊に満たされて負債を払い、さらに自分自身の生活も潤おすのである。
 一方、お金はあったが子供のなかった女は、神の人をもてなす善行のゆえに祝福を得て、子供を与えられた。自分の置かれた境遇において神を愛するなら、誰でも祝福される。
 神は彼らに対し、「あなたのために何をしたらよいか」(一三)と考えてくださるのである。
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18日 新約・使徒二〇章
 使徒パウロは、愛と謙遜の限りを尽くしながら主に仕え、福音のために働いた。
 彼は、人々に多くの勧めをなし、兄弟姉妹たちを励ました。彼は神に対する悔改めと、主イエスに対する信仰とをはっきり主張した。
 パウロはまた、地中海沿岸地方に渡って、総計約二万キロもの伝道旅行を繰り広げている。自動車も電車もない時代においてである。この距離は、地球を半周するものである。
 彼は途中、様々な苦難にあい、迫害を受けた。しかしその中でも、つねに神への愛と人々への愛に燃やされ、昼も夜も労苦した。
 彼はまた、自分の職業である天幕造りをして、しばしば生活費を得た(三四、一八・三、一テサ二・九)。彼は地上の職業もやめることなく、伝道したのである。
 彼の生活理念は、「受けるよりも与えるほうが幸いである」という主イエスの教えに基づいていた(三五)。彼は常に、弱い者、また、まだ救われていない者たちのために働いた。
 パウロの生きざまを見つめてみよう。そこには、私たちに今欠けているものが見えてくるのではないか。
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19日 旧約・第二列王記五章
 アラム国の将軍ナアマンは、エリシャのもとへ行けば自分のらい病をいやしてもらえると聞いて、エリシャの家までやって来た。
 ところが、ナアマンが家の入り口まで来ているというのに、エリシャは彼に会わず、ただ使いを出して、ヨルダン川で七たび身を洗いなさいと言わせるだけであった。ナアマンは怒って、立ち去ろうとした。
 それは彼が、自分の高い地位に対する野人エリシャの態度を無礼と感じ、思惑に反するあまりに単純な癒しの方法に失望したからである。
 高慢な人間は怒る。彼がらい病になっていたのは、この高慢が原因だったとも考えられる。エリシャがナアマンに会わなかったのは、この高慢を彼に悟らせるためであった。
 ナアマンは、自分のしもべの助言もあって思い直し、エリシャの言うとおりにした。すると彼のらい病はいやされた。また、ナアマンのその後の態度は、彼の高慢もいやされたことを示している(一七)。
 一方、ゲハジは、長年にわたって神の人エリシャのもとで寝食を共にしながら、金銭をむさぼり、らい病になってしまった。むさぼる者は、むさぼった所から、悪しき物を受け取るのである。
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20日 旧約・第二列王記六章
 サマリヤ、すなわち北王国イスラエルには、ひどいききんがあった(二五)。これは、イスラエルの王の犯した罪、また民の罪に対する神の裁きであった。
 実際エリシャは、このときのイスラエル王を「あの人殺し」と呼んでいる(三二)。王は、悪女イゼベルがしたと同じように、主の預言者たちを殺していたのであろう。
 イスラエル王はまた、エリシャをも嫌い、憎んでいた。王は、このききんもエリシャのせいだ、と思っていたようである(三一)。
 ききんがあまりにひどいために、人々の衣服さえ、ままならない状態であった。王でさえ、王服の下は荒布であった(三〇)。
 王は城壁の上を歩いていたとき、一人の女に出会ったが、聞けば彼女は空腹のゆえに子を食べたという。それほどに、ききんは深刻だった。
 しかし、母親が自分の子を食べるとは、よほどのことである。愛情のある母親なら、たとえ自分が死んでも、子に食べさせようとするのではないか。母が子を食べたとは、民衆の心も相当すさんでいたことを示している。
 この頃はまさに、イスラエル史上、最暗黒の時代だったのである。
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21日 新約・第一ペテロ四章
 「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」(八)。
 罪のない清い人になるには、二つの道がある。
 第一の道は、極力罪を犯さないように努めることである。また第二の道は、愛や善を積極的に行なう生活をすることである。
 第二の道は、一般に第一の道よりも早く、人をきよくする。なぜなら、「罪を犯すまい、犯すまい」と思っても、つい犯してしまうのが人間だからである。
 だからむしろ、愛や善を一心に願い、積極的に良い生活をして、罪に機会を与えないほうが、より効果的なのである。
 たとえば、部屋に暗闇があるとき、それをホウキではき出そうとしても無駄である。掃除機で吸い込もうとしても無駄である。暗闇を追い出すには、光を入れることである。
 あなたの心がキリストの愛に満たされているなら、あなたは罪を犯すことができない。愛は律法を全うする。
 だから、自分の内においてキリストに生きていただき、愛と善の生活をするなら、その人は真にきよくなるのである。
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22日 旧約・第二列王記七章
 らい病人たちは、食糧がなくて死に瀕していたが、アラム人たちの空の陣営において、食糧にあずかった。
 彼らは、満腹になると、
 「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう」(九)
 と言い、イスラエルの町へ行って食糧があると伝えた。その知らせは、町の人々にとって「良い知らせ」=福音となった。
 私たちクリスチャンは、いち早く霊的な糧にあずかり、救われた者たちである。私たちは、霊の糧に関する「良い知らせ」を持っている。
 ところが、もしその福音を人々に伝えるのをためらい、いつまでも何もしないでいるなら、私たちはきっと「罰を受けるだろう」。
 福音を伝えないことは、愛のない行為である。そればかりか、利己的行為ですらある。それは「自分だけが良ければいい」と言うのと同じなのである。
 私たちの周囲には、霊的な糧の存在を知らないばかりに、滅びに瀕している人々が大勢いる。私たちのすべきことは明らかではないか。
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23日 旧約・第二列王記八章
 一〜六節は、ゲハジがらい病にかかる前の出来事であろう。時間的には四章と五章の間と思われる。
 次に、アラムの王ベン・ハダデが病気になったときの記事だが、エリシャがハザエルに言った言葉は、新改訳や口語訳では、
 「行って、『あなたは必ずなおる』と彼に告げなさい」(一〇)
 と訳されている。これはじつは、ヘブル語聖書の「異読注」を採用して訳したものである。しかし原文の「記録本文」では、
 「行って、『あなたは絶対なおらない」と告げなさい」
 である。ヘブル語の「彼に」と、否定詞の「ない」はほとんど同じ発音で、つづり字も一字違っているだけである。「記録本文」に従って訳すべきとの意見もある。
 さて、エリシャは続いてハザエルを見つめていたが、やがて「泣き出した」(一一)。それはエリシャの霊の目に、ハザエルのたくらみと残酷さが見えたからである。
 のちに主イエスも、あるときエルサレムを見て「涙を流された」。それはエルサレムの滅亡が見えたからである。私たちは預言者ではないが、人々の行く末を霊の目で見て、涙する心は持つべきである。
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24日 新約・使徒二一章
 初代教会のアガポという預言者は、パウロが迫害されると預言した。しかしパウロは、
 「私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」(一三)
 と言った。
 パウロの信仰は、まことに戦闘的であった。彼は迫害をものともせず、むしろ迫害を、福音を語るための機会ととらえたのである。
 現代の日本では、当時のような迫害はない。それはある意味では、日本のキリスト教がまだ世の人から見れば、無視できるほどの小さな勢力でしかないということである。
 もし、無視できないほどの勢力になるなら、賛同者や救われる人もたくさん起こされるだろうが、一方では、必ずや反対や、迫害や、中傷が起こる。というのは、この世の生き方とキリスト教的な生き方とは、やはり異質だからである。
 大規模なリバイバルが起きれば、教会は世の中から必ず反対を受けるだろう。しかし、そうした反対にさらされるほどになったとき、日本のキリスト教は初めて一人前になったとも言えるであろう。
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25日 旧約・第二列王記九章
 エフーは、聖人ではなかったし、神を心から愛した人でもなかった(一〇・二八〜三一)。
 しかし、アハブ家の罪がはなはだしかったため、神はエフーを、アハブ家に審判を執行する人物として立てられた(二歴代二二・七)。
 当時、北王国イスラエルでは、アハブの子ヨラムが王となっていた。また、南王国ユダの王はアハズヤであったが、アハズヤは「アハブ家の婿」であった(八・二七)。彼も、アハブの家にならって主の前に悪を行なっていた。
 さてエフーは、アハブ家を滅ぼすためにクーデターを起こした。エフーはヨラムのもとにやって来て、ヨラムを殺した。
 ちょうどそこにはアハズヤも来ていた。それでアハズヤも、巻き添えを喰って死んだ(二七)。これはじつは神の摂理であった。
 「アハズヤがヨラムのもとに行くことによって滅びたのは、神から出たことであった」(二歴代二二・七)。
 またアハブの妻で、イスラエルに罪を広めたイゼベルも、その末路は悲惨であった。罪人はとうてい刑罰をまぬがれない。悔い改められない悪は、必ず裁かれるのである。
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26日 旧約・第二列王一〇章
 エフーは、アハブの家の者を皆殺しにし、バアルの宮や石の柱をこわし、バアルの信者を全員虐殺した。
 じつに残酷な行為であるが、これらはみな、神の摂理の中で彼らへの審判として行なわれたのである。
 エフーは、以上のことを非常な熱心をもってやり遂げた。たしかにそれは、一時は「主に対する熱心」(一六)から出たものであろう。
 しかし、エフーの熱心は純粋なものではなく、肉的なものであった。彼は、自分の権力を確立するために邪魔なアハブ家の者やバアル信者を、熱心に排除した。しかし、金の子牛礼拝に関してはそうではなかった。エフーは、「金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった」(二九)。
 金の子牛の偶像教は、エフーの権力確立のために特に不都合ではなかったのである。それでエフーは、主にも仕えたが、金の子牛にも仕えた。
 金の子牛は、肥沃の神であり、人間の欲望を象徴化したものであった。エフーにとって金の子牛は、自分の欲望を満たすものであった。
 肉的な信者は、真の神に仕えるだけでなく、欲望にも仕える。しかし二心の者は、真に神の栄光を現わすことはできない。
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27日 新約・第一ペテロ五章
 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」(七)。
 私たちは、思い煩いのために、むなしく時を過ごしてはならない。
 私たちには未来のことはわからない。しかしそれは、私たちが神に頼るためである。神が私たちのために思い煩ってくださるのだから、私たちはただ神に信頼して歩んでいくべきである。
 「あなたは善にして善を行なわれます」(詩篇一一九・六八口語訳)。
 親は子の将来を思い、一番いいようにしてくださる。私たちは親なる神の教えを守り、信頼して歩んでいこう。そうすれば、必ず晴れやかな日が来る。
 クヨクヨしても、決していいことはない。私たちに必要なのは、今日も自分のなすべきことをなし、いつも通り主を見上げて歩んでいくことである。
 主は、私たちに必要なものを、必要な時に満たしてくださる。ちょうど良いときに、一番良いかたちで満たしてくださるであろう。
 あなたをこれを信じるか。
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28日 旧約・第二列王一一章
 これは南王国ユダでの出来事である。南王国においてアハズヤ王の死後、彼の母アタルヤは、王の一族を皆殺しにし、自分が王位についた(三)。
 アタルヤ女王の誕生である。彼女は北王国イスラエルのアハブ王を父とし、イゼベルを母としていた人物である(八・一八、二六)。彼女は、母イゼベルの感化を受けた毒婦であった。
 もともとアタルヤは、南王国のヨシャパテ王が自分の子ヨラムの妻にと北王国から迎えた人なのであるが、それがそもそもの間違いであった。この縁組みのために、南王国がこうむった害ははかり知れない。
 しかし、アタルヤが王の一族を殺したとき、幼子ヨアシュだけは助けられて、からくも難をのがれた(二)。
 もしこのときヨアシュも殺されていたら、ダビデ家の血統は絶えたのである。そしてダビデの子孫キリストは、降誕されなかったであろう。私たちはここに神の保護を見る。
 ヨアシュを助けた人エホシェバは、祭司エホヤダの妻であった(二歴代二二・一一)。彼女の行為を受けて、夫である祭司エホヤダは、ヨアシュを王とするために立ち上がった。
 そしてヨアシュが王となった。
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29日 旧約・第二列王一二章
 当時、エルサレムの神殿は、悪女アタルヤとその子たちにより略奪され、破損されたままであった(二歴代二四・七)。南王国のヨアシュ王は、これを修復しようとした。
 ところが、祭司たちはそれに無頓着であり、納入金を自分の活動費等に使いこんでいる有り様であった。(七)。私たちは、神の宮がこわれているときに、自己の利益をはかってはならない。
 王ヨアシュと祭司エホヤダの監督のもとに、やがて神殿の工事は完了した。
 ヨアシュ王は、「祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも、主の目にかなうことを行なった」(二)。ところが彼は、祭司エホヤダの死後に堕落した。
 第二歴代誌二四・一七〜二二によると、ヨアシュは南王国の長老たちの感化を受けて、偶像アシェラに仕えるようになった。そのときエホヤダの子ゼカリヤが、彼を悔い改めさせようとした。しかしヨアシュは、神殿の庭でゼカリヤを殺してしまった。
 これはヨアシュの大きな罪となった。彼は家来たちの起こしたクーデターによって殺されたが(二〇)、これはそのことに原因がある。
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30日 新約・使徒二二章
 当時、ユダヤはローマ帝国の属国であった。ユダヤ人は、ローマ帝国内の被支配階級であり、三流市民に過ぎなかった。
 しかし、ローマの市民権を得ている者は別であった。ローマ市民は、一流の民とみなされた。
 ローマ市民権は、たとえ被支配階級の出身者であっても、功績等のある人々には特別に与えられた。パウロが「私は生まれながらの市民です」(二八)と言ったのは、パウロの父あるいは祖父が、何らかの理由でパウロの生まれる以前にローマ市民権を得ていたことを意味する。
 またローマ市民権は、多額の金で買うこともできた。「千人隊長」(二八)は、ローマ市民権の特権にあこがれて、それを多額の金で買ったのである。
 ローマ市民は、他の人々とは全く違うと言っていいほどの特権と、自由を与えられていた。古代ローマの政治家キケロは、こう言っている。
 「ローマ市民を縛るのは、犯罪を犯すことである。むち打つのは罪悪である。ローマ人を殺すのは、父親を殺す罪とほとんど同じである」。
 パウロは、ローマ市民とされていたことで命を救われた。これは神からの恵みであった。
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