聖書一日一章

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1日 旧約・第二列王一三章
 預言者エリシャは、老年になったとみえ、やがて死ぬ病にかかって床についていた(一四)。
 あれほど目ざましい癒しの奇跡をなしたエリシャである。しかし彼は病気になった。それは彼の奇跡は彼自身の力ではなく、神からのものだったからである。
 エリシャ自身には何の力もなかった。だから寿命が来れば、彼も普通の人と同じく病にかかって死んだ。
 しかし、エリシャが葬られたとき、あとでエリシャの墓に投げ入れられた人が生き返ったという(二一)。神に生きた人は、肉体の死後も大きな影響を与える。
 神に生きたウェスレーや、ムーディ、フィニーらは、すでに世を去っている。しかし今日も、彼らの書いた書物や説教を通して、数多くの人が救われている。永遠の命を受けているのである。
 またある人々は、イエス・キリストのことを、もう死んで、いない人物と思っている。しかし今日も、キリストに心の手を伸ばして触れる人は、誰でも魂の新生を経験し、永遠の命に入る。
 私たちも、神に生きるなら、その影響は長く残るであろう。
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2日 旧約・第二列王一四章
 南王国ユダのアマツヤ王は、はじめは良く、終わりは悪かった。
 アマツヤは主の目にかなうことを行なったが、エドム人を打ち破ったときに慢心し、堕落した。第二歴代誌二五・一四によると、彼はエドムから偶像を持ち帰り、自分たちの神として立てた。
 そのためその後のアマツヤは、神の祝福を失った。彼は北王国イスラエルに戦いをいどんだが、散々な目にあって敗北した(一二)。
 神を愛する者は祝福されるが、神を捨てる者は捨てられる。
 一方、北王国イスラエルでは、ヤロブアムが王となった。彼は、北王国の初代の王ヤロブアムとは別人である。
 彼は多くの悪を行なった。しかし当時の北王国の民衆の苦しみがあまりに激しくなったので、神はあわれみをかけて、ヤロブアムによって北王国の繁栄を取り戻された(二五〜二七)。
 ヤロブアムの時代の道徳的退廃については、当時の預言者アモスの書に詳しい。ヤロブアムの罪に対する刑罰は、彼の生きている間はあまり激しくなかったが、彼はその分、死後に刑罰を受けたのである。
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3日 新約・第二ペテロ一章
 「あなたがたはあらゆる努力をして、信仰には徳を・・・」(五〜七)。
 私たちが魂の救いを得るためには、努力は必要ない。単に神の救いを受け入れれば良い。
 しかし、私たちが大人の信仰者になるためには、「あらゆる努力をして」信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛(フィラデルフィア)には愛(アガペー)を加えなくてはならない。
 神は、私たちが神の子として成長するために、努力を求めておられるのである。それは私たちが、
 「神のご性質にあずかる者となるため」(四)
 である。私たちの究極の目的は、「神に似た者になる」ことにある。
 その最高の模範が、イエス・キリストである。私たちはイエス・キリストにならうことにより、神に近づく。神の子らしい神の子になるのである。
 私たちは、見つめ、あこがれる対象に感化されるものである。私たちが主イエスを見つめ、つねにあこがれて歩むなら、私たちはやがて主イエスに似た者となり、さらに神に似た者に変えられていくであろう。
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4日 旧約・第二列王記一五章
 ヤロブアム二世のあと、北王国イスラエルでは、王の暗殺が繰り返された(一〇)。
 北王国は、積み上げた多くの罪のために、主の恵みを失い、暗黒の中に閉ざされていたのである。
 弱体化した北王国イスラエルは、ついに隣国アッシリヤ帝国の侵略を受けた。北王国の北部および東部は占領され、その住民はアッシリヤに捕らえ移された(二九)。
 ただし、北王国の中心であるサマリヤの地は、占領をまぬがれた。これが紀元前七三四年に起こった、いわゆる「ガリラヤ捕囚」の出来事である。
 その後一三年たち、紀元前七二一年になると、サマリヤもアッシリヤ帝国に占領され、捕囚となる。これが北王国の「アッシリヤ捕囚」であり、一七章に記されている。
つまり、私たちがここに読むのは、北王国イスラエルの末期の姿なのである。
 当時は、ホセア、イザヤ、ミカなど、多くの偉大な預言者たちが北王国に警告を与え続けていた。しかし、人々はそれに耳を傾けなかった。
 神の怒りはついに燃え上がり、彼らは神の審判を受けて、異国の地に捕らえ移されたのである。
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5日 旧約・第二列王記一六章
 北王国イスラエルが末期的罪を犯しているとき、南王国ユダにも、最悪の王が現われた。アハズである。
 「彼は・・・・自分の子供に火の中をくぐらせることまでした」(三)とは、偶像神モレクに対する礼拝儀式を行なったことを意味する。
 アハズはまた、異国の軍隊の来襲を受けたとき主に助けを求めず、かえって大国アッシリヤに貢ぎ物を送って助けを求めた。しかも貢ぎ物は主の宮からも取り出された(八)。
 アハズはさらに、アッシリヤにおもねるため、アッシリヤの偶像教の祭壇形式をも輸入した(一〇)。彼はヤハウェの宮の祭壇を移して、偶像教の祭壇を中心に据えた。
 また洗盤を移して、アッシリヤ王のために宮の一部を模様変えした。しかし偶像の神々は「彼を、また全イスラエルをつまずかせるものとなった」(二歴代二八・二三)。
 私たちには、一つの祭壇がある。それはキリストの十字架という祭壇である。十字架こそ、私たちがその上に捧げられた犠牲のゆえに恵みを受ける所である。
 もし十字架の福音を捨てて、世的な思想や異端神学をこれに代える者は、アハズと同じ罪を犯すのである。
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6日 新約・使徒二三章
 主イエスは夜、パウロのそばに立って、
 「あなたは・・・・ローマでもあかしをしなければならない」(一一)
 と言われた。
 パウロは、どのようにしてローマに導かれたのか。それは、迫害を通してであった。ユダヤ人によるパウロ殺害の計画が知られたため、パウロは総督ペリクスのもとへ送られた。
 ペリクスは、カイザリヤに駐在したローマ総督である(在任は紀元五二〜五八年頃)。パウロはこうしてローマ人にあかしする機会を得、さらに、これがきっかけとなって、やがてローマに行くようになる。
 今日の私たちが主の導きを受けるときも、同じようなことがある。辛いことが次々に起こって、「主はなぜ私をこんな目に会わせられるのだろう」と思うことがある。しかし、主はあなたを、ご自身の計画に基づいて導いておられるのである。
 あなたが祈っているなら、やがて主によるその摂理と、その目的が見えてくるであろう。神はあなたの周囲で、またあなたの内で、働いておられるのである。
 これは、神の永遠のご計画にそったことなのである。
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7日 旧約・第二列王記一七章
 北王国イスラエルは、ついに大国アッシリヤの怒りを買い、占領され、その民はアッシリヤに捕らえ移された(六)。これがいわゆる北王国の「アッシリヤ捕囚」である(紀元前七二一年)。
 こののち一〇〇年以上たって、やがて南王国ユダも、「バビロン捕囚」を経験する。しかし南王国の民は、しばらくして捕囚先から帰還して、国を再建する。
 こうした南王国とは対照的に、北王国イスラエルは、アッシリヤに捕囚になったのち帰還することなく、そのまま離散してしまう。彼らは預言によれば、世の終わりが間近になった時代まで回復しない。
 彼らは一体どうやって回復するのか。これがいわゆる「イスラエルの失われた十部族」の問題として、しばしば話題になるものである。
 北王国イスラエルの人々は、「むなしいものに従って歩んだので、自分たちもむなしいものとなった」(一五)。何に従って歩むかが、私たちの人生を良いものともし、悪いものともする。
 真の幸福をつかむ道は、きわめて単純である。主に従うところに、幸福はついてくる。
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8日 旧約・第二列王記一八章
 ヒゼキヤは、最悪の王アハズを父として生まれたが、信仰深い善い王であった。彼は、国内から偶像を取り除いた。
 北王国が捕囚されたのを見たことも、ヒゼキヤにとっては大きな警戒となり、偶像を除くための刺激となったに違いない。また、彼の時代に預言者イザヤがいたことも、彼に大きな感化を与えたと思われる(一九・二)。
 ヒゼキヤは、一時はアッシリヤを恐れて貢ぎ物を納めたこともあった(一五)。そうしたことを見ると、彼にも弱さがあった。しかし、やがて次章において、彼は失いかけていた信仰を回復する。
 当時、民は「モーセの作った青銅の蛇」を拝んでいた(四)。これは七百年ほど前、出エジプトをした民が荒野で毒蛇にかまれて死のうとしていたとき、モーセが民を救うために青銅で作った像である(民数二一・八)。
 その青銅の蛇の像が、記念として長く保存されていたのだが、やがて偶像崇拝の傾向のある民によって偶像化され、拝まれるようになっていた。ヒゼキヤは、これをも思い切って破壊した。
 これは彼の勇気ある決断であった。
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9日 新約・第二ペテロ二章
 イスラエルの中には、しばしば、にせ預言者が現われた。同様に教会の中にも、しばしば「にせ教師」が現われる(一)。彼らは「滅びをもたらす異端」をひそかに持ち込む。
 教会は、二つのものに注意しなければならない。それは世俗化と、異端である。教会は、外部からの迫害や反対によって破壊されることはないが、内部の世俗化と異端は容易に教会を破壊する。
 異端は、多くの場合、聖書の言葉に「私的解釈を施す」ことから生じる(一・二〇)。聖書を、聖書全体から解釈しないで、一部分だけ取り出してそれを自分の思想に都合よく解釈するから、間違った解釈となるのである。
 私たちは、自分の思想を広めるために聖書の御言葉を利用してはならない。反対に、聖書の御言葉によって自分の思想が変えられ、正されるようでなければならない。
 聖書は、つねに全体から解釈する必要がある。聖書の最良の注解書は聖書である。
 多くの人は、聖書を理解しようと、聖書の解説書や注解書を読みすぎる。私たちは、解説書や注解書を読む以上に、聖書自体を、穴のあくほどに読むべきである。
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10日 旧約・第二列王記一九章
 考古学者らは、古代のアッシリヤ帝国の王たちが功績を記した年譜を発見している。
 その中には、ヘブル人の王の名が一〇人出てくる。ヒゼキヤ王もその一人である。アッシリヤ王の年譜は、聖書の記述を確証し、補足するのに役立っている。
 アッシリヤ人は好戦的であり、その軍隊の残虐さは広く知られていた。彼らは、生きたまま捕虜の皮をはいだり、手、足、鼻、耳をそいだり、目をくりぬいたり、舌を引き抜いたり、人の頭蓋骨で山を築き上げたりした。これらはすべて、人々に恐怖心を抱かせるためであった。
 アッシリヤは、ヒゼキヤ王に対して使いを送り、無条件降伏を迫った。ヒゼキヤは、一時は恐怖と悲しみにふるえたが、信仰によってそれを乗り越え、奮い立った。
 神はその信仰に答え、アッシリヤの軍勢を打ち破られた。「主の使いが出ていって、アッシリヤの陣営で一八万五千人を打ち殺した」(三五)のである。
 ある者はこれについて、猛烈な疫病が天使によってもたらされたのだと見ている。いずれにしても、神の特別な介入があったのである。
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11日 旧約・第二列王記二〇章
 神は本章において、三つの「延期」をなされている。一つ目はヒゼキヤ王の死期である。神は彼の寿命を、「一五年」延期された。
 二つ目は日時計である。神はその影を「一〇度」戻し、その日、定められた時刻の来るのを若干遅らせられた(紀元前七〇一年)。
 そして三つ目は、南王国ユダの捕囚の時期である。このときすでに北王国は、紀元前七三四年の「ガリラヤ捕囚」、および七二一年の捕囚によって、アッシリヤへ捕囚となっていた。南王国も北王国と同じく、捕囚にされてしかるべきであった。
 しかし神は、忠実に歩んだヒゼキヤ王のゆえに、南王国の捕囚の時期を、北王国よりも先に延ばされる。
 南王国の捕囚は、バビロン帝国により、紀元前六〇六年の第一次捕囚に始まって五八一年の第四次捕囚まで、四回に分けて行なわれた。
 第一次バビロン捕囚は、あの日時計の出来事(紀元前七〇一年)からほぼ「一〇〇年後」のことであった。また第四次バビロン捕囚は、北王国の最初の捕囚(ガリラヤ捕囚)からほぼ「一五〇年後」であった。
 私たちはここに、「一〇度」また「一五年」という数字との対応関係を発見するのである。
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12日 新約・使徒の働き二四章
 ペリクスは、多年にわたってパレスチナのローマ総督であった。管轄下には多くのキリスト者がいたので、キリスト者については詳しい知識を持っていた。
 ペリクスは、使徒パウロから深い印象を受けた。彼はパウロの語る信仰に興味を示した。
 しかし、ペリクスは貪欲な人物であり、このためにキリストを受け入れることができなかった。また、パウロを放免することもできなかった(二六〜二七)。貪欲は、永遠の命への道を妨げる。
 一方、パウロはキリストのためには何もかも捨てて、その福音のために働いていた。彼は、物質的に豊かな生活も、長生きできるような平穏な生活もみな、ただ人々の魂を救いに導くために捨てていたのである。
 パウロは、福音のため、また人々の魂のために働くことに喜びを覚えていた。彼はなぜそうできたのか。それは彼が、本当の幸福をつかんでいたからである。
 本当に幸福な人は、こういう生き方ができる。真の幸福は、自分のために生きることの中にはない。それは真理、および神と人への愛に生きることの中にある。
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13日 旧約・第二列王二一章
 ヒゼキヤは善い王であったが、その子マナセは、最悪の王となった。善い王の子が、なぜ悪い王となったのか。
 ヒゼキヤが改革を進めたとき、彼は国内の偶像崇拝勢力を完全に一掃できたわけではなかった。ヒゼキヤの改革に反抗する反対勢力も、まだ存在していたに違いない。
 反対勢力はそれまで、ヒゼキヤと預言者イザヤの存在とによって抑えられていた。しかし、彼らはやがてマナセを自分たちのグループに取り込み、偶像崇拝勢力を復活させた。
 この背後にはまた、ヒゼキヤの子に対する教育の問題もあったと思われる。前章によればヒゼキヤは、「自分が生きている間は平和で安全ではなかろうかと思った」(一九)。彼は後継者の教育に、充分力を注がなかったのではないか。
 そのためマナセは、南王国史上最悪の王となってしまった。彼は偶像を広めたばかりか、罪のない者の血を多量に流し、神の聖徒たちを殺した。伝説によれば、預言者イザヤもその殉教者の一人であった。
 しかし歴代誌によると、マナセは後に悔い改めている。彼は悔い改めて、自分の作った偶像を破壊したのである(二歴代三三・一五)。
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14日 旧約・第二列王二二章
 ヨシヤは、わずか八歳で王となった。第二歴代誌によると、彼は一五歳で神を求めることを始めた(三四・三)。そして南王国史上、ヒゼキヤに並ぶ最も善い王となった。
 ヨシヤ王は、破損していた主の神殿を修理させた。そのとき、律法の書が見つかった(八)。
 神を求める者には、御言葉が与えられる。このとき見つかった書物は、モーセが八〇〇年前に記した「モーセ五書」(旧約聖書の最初の五巻)である。
 それが読み上げられると、イスラエル民族に当時臨んでいた災いが神の律法を捨てたためであることが、いまさらのように明らかにされた。災いはすべて、律法の書の中に預言されていたのである。
 律法の書は、この時まで神殿の奥深く大切にしまわれていた。人々は、その存在すら忘れていた。
 しかし、律法の書はただ大切に保管しているだけでは、何の役にも立たない。それは、保管するために与えられたのではない。
 神の御言葉は、心の中に刻まれてこそ、力を発揮する。それは心の中で、常に高らかに読み聞かせられていなければ、幸福をもたらす力とはなり得ないのである。
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15日 新約・第二ペテロ三章
 本章は、「進化論と創造論」の問題に関しても重要な章である。
 四節の「何事も創造の初めからのままではないか」――創造の初めから何事も自然界に大きな変化はなかったではないか、とは、いわゆる「斉一説」の考え方である。
 斉一説は、地球の誕生から現在に至るまで激変はなかったとするもので、進化論はこの考えに基づいて構築されてきた。進化論の理論的柱は、斉一説なのである。
 斉一説が終末の時代に勢力を持つことを、聖書は予期していたわけである(三〜四)。
 しかし、聖書は続けて言っている。「こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち・・・・当時の世界は・・・・洪水におおわれて滅びました」(五〜六)。
 聖書は、地球の過去に全世界的なノアの大洪水という激変があったと伝えている。私たちは斉一説ではなく、激変説に立つべきだ、と聖書は言っているのである。
 今日、多くのクリスチャン科学者たちにより、激変説に基づく科学的創造論が展開されている。彼らは、創造論の方が進化論よりもはるかに科学的事実をよく説明することを、明らかにしている。
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16日 旧約・第二列王二三章
 南王国ユダのヨシヤ王は、民の間に敢然と宗教改革を行なった。ヨシヤは、主の律法を民に読み聞かせ、偶像とそれに関連するものをみな国の中から取り除いた。
 バアルや、アシェラ、モレク、トフェテ、ケモシュ、太陽崇拝、天の万象崇拝、神殿男娼の家、また偶像崇拝の温床である高き所を壊し、偶像に仕える祭司たちを排除した。
 さらにヨシヤは、改革の手をサマリヤにも伸ばした。彼はベテルにある偶像の祭壇を、その上で人の骨を焼くことによって汚した。
 人の骨が焼かれた祭壇は汚れたものとされ、もはや礼拝の場所とはならなかったからである。
 ヨシヤはこうして、偶像の祭壇を排除した。これは約三〇〇年も前に、無名の一預言者がヨシヤの名まであげて明白に預言したことの、成就であった(一列王一三・三)。
 しかし、ヨシヤがここまでしたにもかかわらず、偶像崇拝や悪は完全には消えなかった。それはヨシヤの後継者エホアハズやエホヤキムが、再び「主の目の前に悪を行なった」という記述から知れる(三二)。
 偶像は排除されたが、民の中にある偶像崇拝の心は、まだ完全には排除されていなかったのである。
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17日 旧約・第二列王二四章
 これは南王国ユダの「バビロン捕囚」に関して記したものである。
 バビロン捕囚は、四回に分けて行なわれた。
 第一次バビロン捕囚は、紀元前六〇六年のことであった。バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムに攻めてきて、ユダの王エホヤキムを捕らえて連れ去ったのである(一)。
 つぎに第二次捕囚は、紀元前五九七年であった。そのときネブカデネザルが再び来て、神殿と王宮の宝物をことごとく盗み去った。またユダの王エホヤキンや、王子、役人等、主要人物たち約一万名を捕囚として連れ去った(一〇〜一六)。
 これら第一次捕囚と第二次捕囚を記したのが、本章である。第三次以降は次章以後になる。
 第三次捕囚は、紀元前五八六年であった。このときは神殿が焼かれ、エルサレムの町も焼かれ、城壁は崩される。エルサレムは壊滅するのである。ゼデキヤ王の目はえぐられ、他の八三二人の捕囚と共にバビロンへ連れ去られた。
 最後に第四次捕囚は、紀元前五八一年であった。バビロン軍はまた来て、さらに七四五人を連れ去るのである(エレ五二・三〇)。
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18日 新約・使徒二五章
 フェストは、ローマの州総督ペリクスの後任であった。
 このとき、ユダヤ人はパウロを殺そうと謀り、一方でフェストはユダヤ人の歓心を買おうとしていた。パウロはやむを得ず、自分のローマ市民権を用い、カイザルすなわちローマ皇帝に上訴した。
 この時のローマ皇帝は、あの悪名高いネロであった。
 数日してから、アグリッパ王とベルニケがそこにやって来た。アグリッパ王とは、ヘロデ・アグリッパ二世のことである。
 彼は、一六年前に使徒ヤコブを殺したヘロデ・アグリッパ一世の息子であった。またパプテスマのヨハネを殺し、キリストを嘲笑したヘロデ・アンティパスの孫でもある。さらに彼は、キリストを殺そうとしてベツレヘムの幼子たちを虐殺したヘロデ大王の曾孫にあたる。
 一方ベルニケは、このアグリッパ王の姉妹であった。彼女は妻のように彼と共に生活していた。絶世の美人であった彼女は、すでに二人の王と結婚したことがあった。このときは、自分の兄弟の妻として帰ってきていた。
 こうした人物たちの前に、使徒パウロは単身で立ったのである。
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19日 旧約・第二列王二五章
 これはイスラエル民族における南王国ユダの、第三次バビロン捕囚の出来事である。
 バビロン帝国は、歴史学の上では「新バビロニア帝国」とも呼ばれる(紀元前六〇六〜五三六年)。この国は、それまで君臨していたアッシリヤ帝国を打ち破り、支配権を世界に伸ばしていた。
 バビロン帝国は、西方に進出してユダを滅ぼし、エジプトをも制圧した。ネブカデネザルは、バビロン帝国を世界最大の国家にまで拡張させた、史上最強の専制君主である。
 バビロン帝国の繁栄は、「バビロンの空中庭園」でも有名である。ネブカデネザルは、バビロン市を想像を絶するほど壮大なものにした。
 ユダは、その大国バビロンを前にして、ひとたまりもなかった。ユダは滅亡し、神殿は破壊された。ユダの地に残ったのは、貧民の一部だけであった(一二)。
 かつて、出エジプトをしてきたイスラエルの民は、罪に満ちたカナンの地に入り、その地の民を聖絶した。それはカナンの民に対する神の審判であった。しかし、いまやイスラエルが堕落したとき、神はバビロン帝国を用いて、今度はイスラエルの民に審判を下されたのである。
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20日 旧約・第一歴代誌一章
「歴代誌」は、第一と第二に分けられているが、元来は一つの書物であった。
 この書は、サムエル記や列王記とだいたい同時代の歴史を記している。しかし、それらの扱っていない多くの事柄をも記述している。
 歴代誌の著者はエズラではないか、と言われている。とすればこの書は、紀元前四四〇年頃に記された。
 著者は、歴代誌を記すにあたって多くの古代資料を用いている。サムエル、ナタン、ガド、エフーの言行録をはじめ、王たちの書、また創世記や、イザヤ書など、聖書中の幾つかの書物も用いている。
 歴代誌は、アダム以来の系図を記すことから始まっている。系図は聖書を読み始めたばかりの方々には、退屈なものに見えるかも知れない。しかし少しわかってくると、これほど興味をそそられるものも少ない。
 たとえば五〜二三節に、ノアの子孫たちの名が記されている。これらの名は、諸民族の起源を調べるうえで非常に貴重である。
 今日の民族学や人類学の知識は、この系図の伝えるところと基本的に一致している。またこの系図をもとに、各民族の起源に関して有力なヒントが与えられることも多い。
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21日 新約・第一ヨハネ一章
 キリストは、「いのちのことば」「いのち」また「永遠のいのち」と呼ばれている。
 さらに、「御父および御子イエス・キリストと(私たちとの)交わり」ということが言われている(三)。
 私たちの永遠の命は、御父および御子との「交わり」の中にある。御父と御子が永遠の命の源泉であるから、このかたと私たちが愛と生命において交わることが、私たちの永遠の命なのである。
 だから、この深い交わりなくして、私たちに永遠の命はない。
 交わりをさらに深くするものは、愛であり、信仰である。逆に、交わりをさまたげるものは、罪である。もし罪を犯すなら、交わりがさまたげられる。だから私たちは、罪を告白し、悔い改めて赦していただかなければならない。
 神は悔い改める者を、必ず赦してくださる。それは神が「真実で正しい方」だからである(九)。もし悔い改めたのに赦さないとすれば、それはもはや正しい神ではない。
 しかし、神は真実で正しい方であるから、悔い改めるなら必ず赦してくださる。交わりを回復してくださるのである。信仰とは、この神の真実を信頼することである。
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22日 旧約・第一歴代誌二章
 本章の系図は、イスラエル(ヤコブ)の子ユダの子孫について、詳しく記したものである。
 イスラエルの他の子らの子孫についてはあとで記されるが、まずユダ族から詳しく記されている。これはユダ族が王家の部族だからである。
 ユダ族からダビデ王が出、ソロモン王が出た。また南王国ユダは、ユダ族の国である。この国は堕落して、定められた期間バビロンに捕囚となるが、やがて神のあわれみを受けて回復する。
 またしばらくすると、ダビデの子孫としてキリストが降誕される。だから、ユダの子孫について系図を残すことは、重要なことであった。
 しかし、ユダ族はキリストを世に迎える部族とされたものの、決して潔癖な部族ではなかった。
 ユダの長子エルは、主の前に悪を行なったので、主によって殺された(三)。またヨシュアがアイの町を攻略したとき、ユダの子孫アカン(アカル)は聖絶のもののことで罪を犯し、イスラエルに敗北をもたらした(七)。
 ユダの部族も、他の部族と同様、罪にまみれていた。キリストはまさしく、罪の世界のただ中に降誕されたのである。
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23日 旧約・第一歴代誌三章
 本章の系図は、ダビデの子孫についてのものである。
 すでにサムエル記や列王記を読んできた私たちは、ここに記された人々の多くに関して、彼らがどのような人物であったかを知っている。
 アムノン、アブシャロム、ソロモン、バテ・シェバ(バテ・シュア)、レハブアム、アハズヤ、アハズ、ヒゼキヤ、マナセ、ヨシヤ・・・・みな私たちには、なじみの名である。
 しかし、私たちの知らない名も多くある。バビロン捕囚以後の人々は、特にそうである(一七〜)。
 彼らについては、名だけが記されている。しかし実際には、その名において数多くの物語があった。
 彼らはどのような生涯を送ったのか。それはわからない。けれども彼らもまた、私たちと同じ人間であり、時代は違うものの、私たちと同じような喜怒哀楽を経験したに違いない。
 人類の歴史は、連綿とつづられた数多くの人々の生涯の積み重ねである。私たちは、その一部、またそこにつづられた一本の糸に過ぎない。
 しかし、神に生きた人々の生涯は、単にこの地上だけに終わるものではない。それは神の国にまで続き、そこで栄光に輝くのである。
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24日 新約・使徒二六章
 パウロがキリストによって「奉仕者また証人」に任命されたのは、人々の、
 「目を開いて、暗闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたし(キリスト)を信じる信仰によって彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるため」(一八)
 であった。これはパウロに語られた言葉であるが、私たち各自にも語られていると考えてよい。
 なぜなら、クリスチャンは全員が、主キリストの「奉仕者」また「証人」として立てられているからである。
 すべてのクリスチャンは、キリストのみわざと愛のために奉仕する奉仕者であり、キリストの福音を証しする「証人」である。
 私たちがお仕えすべきかたは、キリストである。私たちの主は、キリストである。「クリスチャン」とは「キリストのもの」という意味なのである。
 私たちは日々、キリストにお仕えして歩んでいるであろうか。
 私たちはともすれば、自分に仕え、自分を主としてしまう者たちである。今日このとき、しばらく静まって、祈りつつ、自分の歩むべき道について考えよう。
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25日 旧約・第一歴代誌四章
 歴代誌の著者は、こうした系図を、昔からの歴史資料を調べて記した。
 二二節に、「この記録は古い」という言葉がある。紀元前の時代に、数多くの歴史資料が存在していたのである。
 当時はまだ紙はなかったが、人々は粘土板や、石板、木などに文字を彫ったり、獣皮やパピルスに文字を記した。
 アラビヤ人やユダヤ人の間には、大洪水以前のエノクが文字の発明者で、彼は多くの書物を書き残したとの伝説がある。
 また古代バビロニアの王は、「私は大洪水の前の時代の書き物を読むのを好んだ」と記している。
 バビロニアの地(メソポタミヤ)では、考古学者によって多くの古代図書館が発見されている。その地の古代都市アッカドや、ラガシュ、ニップルでは、紀元前三〇〇〇年頃の粘土板の古代碑文が、それぞれ三〜六万枚も発見されている。
 それらの古代書物の内容は、歴史、法律、科学、宗教、文学など多種多様である。
 ユダヤ人も、きわめて早くから古代の記録を残していたのである。
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26日 旧約・第一歴代誌五章
 「ユダは、彼の兄弟たちにまさる者となり、君たる者も彼から出るのであるが・・・・」(二)。
 「君たる者」とは、ユダ族から出る王ダビデや、究極的にはその子孫として降誕される真の王イエス・キリストをさしている。
 歴代誌は、一〜九章の系図に始まり、南王国の歴史を記している。先の列王記が北王国と南王国の歴史を並行して記したのに対し、歴代誌の一〇章以降は、その叙述を南王国に限っている。
 それは南王国が、ダビデの王系をひく国であり、やがてはキリストの降誕を迎えるからである。それで歴代誌では、ダビデの系統がたどられる。
 系図よりなる最初の九章は、霊的な目的のためには、必ずしも聖書の他の箇所のように頻繁に読む必要はないであろう。しかし、系図は旧約聖書の骨格をなすもので、聖書全体を一つにまとめ合わせるという重要な意味を持っている。
 それは聖書に統一性を与え、聖書を伝説ではなく、真に歴史書とするのである。
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27日 新約・第一ヨハネ二章
 「世と世の欲とは滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます」(一七)。
 多くの人は、欲望を満たし、欲望を充足させることによって幸福を得ようとしている。しかし、欲望の充足による幸福は、一時的であり、刹那的である。
 しかし、キリストを信じ、クリスチャンとなって神の子とされた者たちは、別の幸福を知っている。
 それは、「神のみこころを行なう」ことによる幸福である。この幸福はとこしえまでも続き、決して消え去ることがない。
 あるクリスチャンは、障害者の子どもを持っていた。彼はその子を通して、人を愛するとはどういうことかを学んだ。
 彼は電器店を経営しながら、その収益で、自分の住む町に福祉施設をつくった。また日本の各地の教会に、自分でつくったトラクト(伝道文書)を送り、伝道活動を助けた。
 そのトラクトは、数多くの外国語にも訳され、海外でも用いられた。彼のトラクトを通して救われた者は、数知れない。
 彼は、神のみこころを求めたのである。それを行なうことによって、彼には永遠の幸福が与えられた。
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28日 旧約・第一歴代誌六章
 「主がネブカデネザルの手によってユダとエルサレムとを捕らえ移したとき・・・・」(一五)
 南王国ユダのバビロン捕囚は、神ご自身から出たことであった。それは、神ご自身がユダに対して下された審判なのである。
 バビロンの王ネブカデネザルは、神への信仰からユダを征服したわけではない。ユダに対する神の審判という使命をもって彼らの捕囚をなしたわけでもない。
 しかし、歴史に介入される神は、人の思いを越えて出来事を導かれる。
 歴代誌は、ダビデの王国からバビロン捕囚までを記す。この書は、バビロン捕囚というユダの歴史における最大の恥辱的出来事を、神から出たものとして受けとめるのである。
 私たちの人生においても、神が、私たちへの懲らしめとして、しばしば失敗や、挫折など、恥辱に渡されることがないだろうか。
 私たちはそうしたとき、心は暗黒に沈む。しかし、それが神から出た懲らしめであると知り、その背後には実は神の大いなる愛があると知るとき、私たちは悔い改めて、再出発することができるのである。
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29日 旧約・第一歴代誌七章
 ここに記された系図のある部分は、以前私たちが読んだ出エジプト記等のものと同じである。しかし、歴代誌では出エジプト記等よりも、部分的にはずっと詳しいことにまで記述が及んでいる。
 さらに、この後読んでいく一〇章以降の記述においても、ある場合は列王記に記された歴史よりもずっと詳しいことが記されている。
 列王記と歴代誌は、ほぼ同じ時代のことを扱っている。しかし、同じ時代の歴史書がなぜ二つ、聖書の中に組み込まれたのか。
 それは、反復することによって、重要さが強調されているのである。少なくとも、私たちは聖書のこの部分、またこの時代のことを無視してはならない。
 歴代誌は、系図を記したのち、すなわち過去の歴史に立ったのち、イスラエル民族の堕落時代のことを詳しく記していく。そこには、私たちに対する重要な教訓が数多く含まれている。
 未来は、過去の歴史の反省の上に立つ。一個人の人生においても、そうである。堕落時代のことを、しっかり反省し悔い改めたうえで、未来の人生が切り開かれるのである。
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30日 新約・使徒二七章
 パウロはローマ皇帝に上訴していたので、ローマへ向かうことになった。一行は船に乗り、一路イタリヤへ出帆したが、途中ひどい嵐に遭遇した。
 船員は途方にくれ、絶望的状況に追い込まれた。ローマの百人隊長も、どうしていいかわからずにいた。パウロは囚人であったが、彼らを励まし、力づけた。
 百人隊長ははじめ、「パウロの言葉よりも航海士や船長のほうを信用した」(一一)。しかし嵐が終わる頃には、パウロは百人隊長から信頼を勝ち得ていた(四三)。
 真実に神に生きる者は、人々の信頼を得る。そういう人は無信仰者の間でさえ、大きな信頼を勝ち得るのである。
 常に真実な生き方をすること――これはクリスチャンにとって大きな力である。
 私たちは神に対しても、人に対しても、自分に対しても、偽って生きてはならない。普段から、真実に、また誠実に生きることを心がけることである。
 人生には、ときに嵐がやってくる。しかし、真実に生きている人間は、そうしたときも平常心でいることができる。
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31日 旧約・第一歴代誌八章
 「キシュはサウルを生み、サウルはヨナタン・・・・を生んだ」(三三)。
 イスラエル初代の王サウルは、神の前に罪を犯し、悔改めが不充分だったために神から退けられた。彼は、不幸な後半生を送り、ついには悲惨な最期を遂げた。
 しかし一方で、彼の子ヨナタンは神のみこころにかなった人であり、ダビデの無二の親友であった。彼の名は今日も、友情の模範として語り継がれている。
 結局、人がどう生きるかは、その人個人の意思による。父がどうだったから、母がどうだったからではない。
 私たちは自分の人生の責任を、父や母や環境のせいにすることはできない。自分の人生を豊かにするのも、貧しくするのも、結局は自分である。
 私たちは生まれたときに、それぞれの環境下に置かれる。そこからどのようにして自分の人生を築き上げるかは、神が私たち一人一人にお与えになった宿題なのである。
 その宿題をやり遂げるために、神は素晴らしい教科書、あるいは人生の参考書を与えてくださっている。それが聖書である。また主イエスは、常に私たちと共にいて、人生の切り開き方を教えてくださるのである。
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