聖書一日一章

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1日 旧約・エゼキエル三三章
 たとえ正しい人であっても、
 「もし彼が自分の正しさに拠り頼み、不正をするなら、彼の正しい行ないは何一つ覚えられず、彼は自分の行なった不正によって死ななければならない」(一三)
 と言われている。清く正しく生きていても、もし「自分は正しい」と高ぶって、一つでも不正を行なうなら、その人はその一つの不正によって滅びる、というのである。行ないの正しさによって救われようとするなら、完全でなければならない。
 これは、律法の行ないによっては救われない、という新約聖書の言葉を私たちに思い起こさせる。また、
 「悪者の悪も、彼がその悪から立ち返るとき、その悪は彼を倒すことはできない」(一二)
 と言われている。たとえどんなにひどい悪人であっても、悔い改めて神への信仰に立ち返るなら救われる。過去のどんな罪悪もその人を倒すことはできない、というのである。
 これはまさに信仰義認の教えである。罪悪の多さが滅びを決定するのではない。行ないの正しさが救いを決定するのでもない。ただ神に対する「態度」(二〇)――神に対する信仰によって、私たちは救われるのである。
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2日 新約・Tペテロ三章
 「柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人柄を飾りにしなさい」(四)。
 これは、女性に対して言われた御言葉であるが、男性に対しても同様にあてはまる。
 世の多くの人は、外面的な飾りを追い求めている。女性は、衣服やバッグ、アクセサリーなどのためには、お金を惜しみなく使っている。男性も、車や、持ち物など、目に見えるもののためにお金を惜しみなく使っている。
 しかし、本当の飾り、人間の本当の魅力は、人柄にこそある。預言者サムエルを生んだ母ハンナのように、敬虔な人柄は周囲に光をもたらす(Tサム一章)。あの偉大なモーセも、たいへん温和な人柄であった。
 「モーセという人は、地上の誰にもまさって非常に謙遜であった」(民数一二・三)。
 これは新改訳だが、口語訳では「モーセは、その人となり柔和なこと・・・・」となっている。
 じつは「柔和」とは、謙遜で、へり下った人柄をいうのである(マタ一一・二九)。柔和な人は、へらへらしている人のことではなく、決して高ぶらない、傲慢にならない人なのである。
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3日 旧約・エゼキエル三四章
 
イスラエルの指導者たちは「牧者たち」、イスラエルの民は「羊」と呼ばれている。
 イスラエルの牧者たちは、その羊たちを養わなかった。羊たちは散らされ、獣のえじきになってしまった。
 そのため神は、ご自身で羊を捜し出し、羊の世話をする、と言われる(一一)。
 「わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる」(二三)
 この「ひとりの牧者」とは、バビロン捕囚からの解放後の指導者たちを総称する表現とも思われるが、究極的にはイエス・キリストをさす。
 羊たちを牧するこの牧者は、象徴的に「ダビデ」とも呼ばれている。文字通りのダビデではない。文字通りのダビデは、エゼキエルよりも四〇〇年前も人である。
 「わたしのしもべダビデ」は、ダビデの子(子孫)イエスのことである。ダビデの王座を永遠に堅く立て、永遠の国――神の国を築き上げるメシヤ・イエスのことである。
 「ヤハウェであるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデは、あなたがたの間で君主となる」(二四)。
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4日 旧約・エゼキエル三五章
 
「セイルの山」(二)は、死海南端からアカバ湾に向かって延びる山脈である。そこには当時、エドム人たちが住んでいた。
 エドム人は、昔からイスラエル人とは仲が悪かった。
 エドム人は、バビロン帝国がイスラエルの地を征服してイスラエルを荒れ果てさせたとき、それを見て「喜んだ」(一五)。他人の不幸を見て喜んだのである。彼らにとっては「他人の不幸は蜜の味」だったのであろう。
 しかし、そのような者は神の怒りを受ける。神はエドム人に言われた。
 「おまえは、イスラエルの家の相続地が荒れ果てたのを喜んだが、わたしはおまえに同じようにしよう」(一五)。
 「わたしはおまえを永遠に荒れ果てさせる。おまえの町々は回復しない」(九)。
 実際、この地は二〇世紀の今日も荒廃したままである。それはイスラエルの地が今は緑多い肥沃な地に回復したことと、全く対照的である。
 神の裁きは峻厳である。私たちは神の裁きが下るのを見たとき、「いい気味だ」と思ってはいけない。むしろ、敬虔に神と人の間の破れ口に立ち、とりなす者となろう。
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5日 新約・使徒二〇章
 
「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった」(七)。
 「週の初めの日」とは日曜日である。このことから私たちは、日曜日に礼拝のための集会を持つ習慣は、初代教会のときに始まっていたことを知る(Tコリ一六・二も参照)。
 旧約時代、安息日は週の最後の日――土曜日であり、人々はその日に礼拝を持っていた。しかし初代教会は、礼拝の集いの日を日曜日に変更したのである。
 その理由は、キリストの復活の日が日曜日だったということだけではない。ペンテコステの聖霊降臨日、すなわち教会の誕生日が、日曜日だったからである。
 ペンテコステは、キリストの復活から、最初の日を数えに入れて五〇日目であり、日曜日なのである(レビ二三・一五〜一六)。
 そのため、礼拝の集いは、以後日曜日に持たれるようになった。それは神の導きと、使徒たちの権威のもとに定められたことであった。
 セブンスデー・アドベンティストの人々は、日曜礼拝は聖書的でないとして、土曜日に礼拝の集いを持っている。しかし、日曜礼拝は聖書的であって、初代教会以来の伝統なのである。
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6日 旧約・エゼキエル三六章
 バビロン捕囚によって、イスラエルの地は荒廃したが、神はここで「イスラエルの全家」(一〇)――一二部族の回復を語られる。すなわち北王国イスラエルと、南王国ユダの両方である。
 「わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れていく」(二四)。
 この預言の第一段階は、南王国のユダヤ人がバビロンから帰還したときに成就した。
 しかし、彼らユダヤ人はそののち紀元七〇年になって、再びイスラエルの地から追放され、世界に離散した。けれども、二〇世紀になって彼らは祖国に帰還。祖国を再建した。これが、預言の成就の第二段階であろう。
 第三段階は、まだ未来に属しているように思われる。そのときには、北王国の失われたイスラエル一〇部族も回復すると思われる。
 第三段階の成就の時には、イスラエルの地はエデンの園のように美しくなる(三五)。もはや偶像の汚れはない。人々は神の霊に歩み、神の御教えを行なう(二七)。これは千年王国の光景のようである。
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7日 旧約・エゼキエル三七章
 エゼキエルが、主の霊によって見せられた「干からびた骨」の預言的幻は、イスラエルの回復に関するものであった。
 「人の子よ。これらの骨はイスラエルの全家である」(一一)。
 これらの骨は、イスラエルの一二部族――南王国ユダだけでなく北王国イスラエルをも表していた。
 その骨が、神の幻の中で互いにつながり、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がおおい、息が入って生き返ったように、これら二つの国は、やがて回復して一つの国となり、「ひとりの王」(二二)のもとに繁栄する。
 その「ひとりの王」とは、象徴的に「ダビデ」とも呼ばれるメシヤ・イエスのことである。
 これは究極的に、千年王国(黙示二〇・六)の時に成就するであろう。
 重要なのは、このイスラエル回復の預言が、南王国ユダだけでなく、北王国イスラエルにも関するものである、ということである。
 北王国イスラエルの失われた一〇部族は、どのようにして回復するのだろうか。文字通りに回復するのか。それとも、霊的な意味での回復なのか――それはまだ、神秘に属している。
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8日 新約・Tペテロ四章
 「死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのです」(六)。
 「死後にも福音を聞いて救われる機会がある」という考えを否定する人々は、この「死んだ人々」とは一般的な死人のことではなく、死んだキリスト者のことだ、と主張する。
 生きている間に福音を聞いてキリスト者として死んだ人々という意味だ、というのだが、これはまことに奇妙な意見である。もしこの人々がキリスト者なら、彼らが福音に接していたのは当たり前だから、この聖句は全く意味のない言葉を書き連ねたものということになる。
 また、この節の一つ前の五節にも、「死んだ人々」という言葉がある。
 「生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し・・・・」。
 この「死んだ人々」が、キリスト者ではなく一般的な死者をさしていることは、誰の目にも明らかであろう。だからすぐ後の六節の「死んだ人々」も、一般的な死者をさしていると考えるべきである。
 「死んだ人々」は、三章一九節の「捕らわれの霊」のことであろう(この問題に関して、レムナント出版刊『聖書にみる死後の世界』に詳しい論議がある)。
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9日 旧約エゼキエル三八章
 これは千年王国の前、患難時代の最後のハルマゲドンの戦いの時に、関連しているものであろう。
 「ゴグ」「マゴグ」の名は、黙示録にも、千年王国後にイスラエルに攻め寄せている勢力として記されている。しかし黙示録の「ゴグ」「マゴグ」と、エゼキエル三八章の「ゴグ」「マゴグ」は別の勢力である。
 なぜなら、黙示録のは「地の四方にある諸国の民」(二〇・八)だが、エゼキエル書のは「北」(三八・一五)の勢力だからである。
 彼らは終末の時代に、「一つの国に侵入する」。「この国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる」(八)。
 すなわち、彼らが侵略する「一つの国」とはイスラエルである。一九四八年に回復し、そこで国家再建事業を進めているイスラエルである。
 「彼らはみな安心して住んでいる」(八)――イスラエルでは、そのときにはすでにアラブとの争いも一段落し、平和ムードにあるであろう。
 北の勢力は、そのような時に、イスラエルに侵略軍をさし向ける。しかし、その軍隊は、神の裁きの前に滅び去る。
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10日 旧約エゼキエル三九章
 「ゴグ」や「マゴグ」「メシェク」「トバル」が、実際にどの民族をさすかについては、幾つかの説がある。しかしエゼキエルは、彼らはイスラエルから見て「北の果ての国」である、と述べている。
 世界地図を見ればすぐわかるが、イスラエルから北に経線をまっすぐ伸ばしていけば、その線はモスクワ市内を通る。エゼキエルが「北の果ての国」と記したとき、現在ロシアとして知られている地域を心に浮かべていたことは、明らかである。
 「ゴグ」「マゴグ」は大軍をひきいて、終末の時代にイスラエルに侵入するが、神の御手によって完敗する。彼らの武器は七年の間まきとされ(九)、彼らの死体の埋葬には七ヶ月もかかる(一二)。
 ゴグ、マゴグの敗北とともに、あらゆる種類の鳥や獣が集まって、彼らの死体の肉を食べるであろう(一七)。黙示録にも、ハルマゲドンの戦いののち、「すべての鳥が彼らの肉を飽きるほどに食べた」(一九・二一)と記されている。
 ゴグ、マゴグは、終末の独裁者「獣」に率いられてハルマゲドンの地に集結する大軍勢の中でも、おそらく中心的な勢力と思われる。
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11日 新約・使徒二一章
 
紀元五八年の六月頃、パウロはエルサレムに到着した(二〇・一六)。彼の回心後五度目のエルサレム訪問である。
 その期間に、パウロはすでに多くの異邦人をキリスト信仰に導いていたから、不信仰なユダヤ人はますますパウロを憎んでいた。
 宮すなわちエルサレム神殿での、誓願を果たす一週の期間が終わろうとしていたとき、あるユダヤ人が、宮の中にいるパウロと異邦人を見て、わめき立てた。
 パウロは、野犬の群のように集まって来た暴徒たちに襲われ、殺されかかった。しかし、ローマ兵がそこに現われ、パウロを救った。
 パウロは、ギリシャ語もヘブル語も知っていたから、ローマ兵にはギリシャ語で話し(三七)、ユダヤ人にはヘブル語で話した。
 パウロは、エルサレムの群衆に対してヘブル語で大声で話そうとするとき、「兵営」の「階段の上」に立った(三七、四〇)。兵営に通じるこの階段は、二八年前に総督ピラトが主イエスを死刑にした、あの場所である。
 パウロは、このとき殉教の死をも覚悟していた。死をも恐れてはいなかった――われらの主のためなら。
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12日 旧約エゼキエル四〇章
 
これは、再建された神殿に関する預言的幻である。
 この預言的幻は、バビロンからの帰還に際しては成就しなかった。この神殿は、ゼルバベルの再建した神殿とは異なるからである。
 今日ユダヤ人は、かつてのソロモンが造った神殿を「第一神殿」と呼んでいる。第一神殿はバビロン軍によって破壊されたが、バビロン捕囚後になってゼルバベルがこれを再建し、またローマ時代にはヘロデによって改修・増築された。これが「第二神殿」である。
 第二神殿は、紀元七〇年にローマ軍に破壊された。その後、一九四八年にイスラエル共和国が建国されたが、ユダヤ人は、やがてそこに再びユダヤ教徒のための神殿が再建されると信じている。彼らはこの将来再建される神殿を、「第三神殿」と呼んでいる。
 本章に述べられているのは、この第三神殿なのかも知れない。そこでは再び動物のいけにえが捧げられる、と述べられている(三九)。
 千年王国の神殿なら、そのようなことはない。クリスチャンは動物犠牲をしない。しかし、ユダヤ人は第三神殿において、動物犠牲を捧げるであろう。
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13日 旧約エゼキエル四一章
 
前章に続いて、再建された未来の神殿の様子が示される。本堂、至聖所、壁、脇間、神殿の周囲、聖域の建物、回廊、彫刻、「主の前にある机」(二二)、とびらなどに関して記されている。
 この神殿の長さと幅は、「一〇〇キュビト」であった(一三〜一五)。
 預言者エゼキエルによれば、この「一キュビトは、普通の一キュビトに一手幅を足した長さであった」(四〇・五)。バビロンでは、普通の一キュビト(約四四センチ)に、一手幅約七・四センチを足した単位が使われていた。
 すると、この一キュビトは五一・四センチとなる。一〇〇キュビトは、五一・四メートルで、この神殿は通常の大きさのものである。
 神殿に関してこれほど細部に至るまで詳しく記されていることから見て、この未来の神殿は、霊的な意味においてではなく、実際に、目に見えるかたちで出現するものと考えられる。
 聖書の預言には、過去においてすでに成就したもの、現在成就しつつあるもの、また未来に成就するはずのものの、三つがある。神殿に関するこの預言は、未来に成就するはずの預言である。
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14日 新約・Tペテロ五章
 「あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい」(三)。
 教会の指導者は、教会を支配するのではなく、むしろ群れの模範となることを第一に心がけるべきである。
 聞くところでは、ある教会では、教会員は決して他の教会の集会に出席しないように教えているという。
 その教会では、教会員はそこの牧師のメッセージだけを聞くべきで、決して他の牧師のメッセージを聞いたり、キリスト教書店で勝手に本を買って読んだりしてはいけないのだ、という。
 すべて牧師がそう教えているらしい。悲しいことである。どうしてある人々は、教会と信者を支配しようとするのか。
 こうした教会では、信者に対するしめつけが強く、信者はどんどん逃げていくだけである。実際、その教会でも、信者がどんどん減っているという。
 そして、そうした教会では「さばきの霊」が満ちていて、牧師が信者をさばいたり、信者が牧師をさばいたりで、たとえ未信者が入ってきても、つまずいて帰るだけなのである。
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15日 旧約エゼキエル四二章
 
神殿の内庭や外庭、回廊等も含めた神殿全体の敷地の大きさは、長さも幅も「五百さお」であった(一五〜二〇)。
 一さおは、六キュビト――約三・一メートルであるから、「五百さお」は約一五五〇メートルである。これはかなり大きい敷地である。
 神殿はその敷地に、整然としたかたちで建てられる。そこには祭司たちが仕え、最も神聖な所とされる。
 クリスチャンは、神殿や祭司については、話には聞いていても実際のものを見たことがないから、こうした預言を読んでも、すぐにはピンとこない。
 しかし、こうした神殿が、実際に未来に現われるであろう。ユダヤ人は第三神殿の建設に対し、なみなみならぬ望みを持っているし、時が来れば、すみやかに建設されるに違いない。
 そこでは、旧約時代さながらに動物犠牲も行なわれるであろう。もしこれがユダヤ人の建設する第三神殿ならば、それは終末の患難時代において、全世界の注視の的となるはずである。
 それは来たるべきイエス・キリストの再臨の時が近づいたという予兆の一つでもある。
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16日 旧約エゼキエル四三章
 預言者エゼキエルは、神からの預言的幻のうちに、将来再建される神殿の姿を見たが、さらに、その神殿の中に主の栄光が入ってくるのを見た(四〜五)。
 主の栄光は、「東」の門から入ってきた。東は、太陽の昇る方向である。朝が明けて、太陽が昇ってくると、光がさし込むように、主の栄光が神殿に入ってきたのである。
 神は語られた。
 「人の子よ。ここはわたしの玉座のある所、わたしの足の踏む所、わたしが永遠にイスラエルの子らの中で住む所である」(七)。
 神は神殿の建物の中にすっぽり入ってしまわれる方ではなく、宇宙に偏在される方であるが、神は神殿にご自身の「玉座」を置き、そこをご自身の「足の踏む所」として、ご臨在を最も強く現わされる。
 神はこの将来の目に見える神殿以外にも、もう一つ神殿を持っておられる。それはキリスト者という神殿である。「私たちは生ける神の宮なのです」(Uコリ六・一六)。
 神は、その宮にとこしえまでも住まわれる。あなたのうちには、神の聖霊が宿っている。神のご臨在のもとに、きよく歩もう。
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17日 新約・使徒の働き二二章
 パウロは、ダマスコへの途上で、天からの「光」を見た(六)。つぎに、声を聞いた。キリストご自身の御声である(七)。
 しばらくして、パウロはキリストご自身のお姿も見た。
 「宮で祈っていますと、夢ごこちになり、主を見たのです」(一七、一八)
 と彼は語っている。さらにその後、「肉体のままであったか、肉体を離れてであったかはわからないが、第三の天にまで引き上げられた」(Uコリ一二・二)という経験もしたようである。
 神はパウロに、段階的に、天の奥義をお示しになった。パウロは神からの特別な啓示にあずかり、使徒職に召されたのである。アナニヤが、パウロにこう語っている。
 「私たちの先祖の神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方(キリスト)を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです」(一四)。
 これは神の選びによる。私たちも、神の選びと召しの中にあるが、各自に対する神の御計画は様々である。
 あなたも、神のある御計画のために召されている。神の召し(召命)に生きよう。
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18日 旧約エゼキエル四四章
 
神殿の東向きの門は、閉じたままにされた(一)。それは、そこから主が入られたからであり、また、すでに神殿に入った主の栄光が外に出ていかないためである。
 これは、将来再建される神殿に関しての記述である。しかし、現在のエルサレムにおいても、その東向きの門が閉じたままにされていることは興味深い。
 現在のエルサレム城壁の東の門――「黄金の門」とも呼ばれる門は、かたく閉じられている。それは、かつて主イエスがエルサレムの東側の地からやって来て(マタ二一・一)、ろばに乗って、エルサレムの東の門を通って入られたからである。
 そのとき、主の栄光がエルサレムにはいったのである。
 エルサレム城壁は、かつて紀元七〇年にローマ軍によって破壊されたが、一五二四年にオスマン帝国のスレイマンによって再建された。彼はこのとき、エルサレム城壁の東の門を閉じたままにした。それは現在も閉じたままである。
 エゼキエル書によれば、終末の時代に再建される神殿においても、東の門は閉じたままにされるであろう。
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19日 旧約エゼキエル四五章
 
将来、イスラエルの一二部族がパレスチナに回復するとき、その地のある区域が奉納地として主にささげられることが命じられる(一)。
 (具体的な一二部族の割り当て地は、四七章になって示される。)
 イスラエル人は、整然と割り当てられた地に住み、神と共に歩む。神は彼らに、ご自身の御教えを守ることを求めておられる。
 暴虐と暴行を取り除くこと、重税の禁止、正しい計りを用いること、つまり不正の禁止、等を述べておられる。
 一月一日の元日に聖所をきよめること、また、一月一四日(の夕暮れ、すなわち一五日)に過越の祭りを行なうべき事、また七月一五日からの仮庵の祭りも行なうべきこと、なども述べられている。
 今日日本人は、一月一日の元日を祝うが、旧暦だった昔は、正月は一月一五日が中心であった。
 さらに、七月一五日の「お盆」も、今日は仏教行事とされているが、じつは日本には仏教が入って来る以前から、このときに祭りがあったのである。
 そうしたことを思うとき、エゼキエル書のこの記述には、親近感が感じられる。
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20日 新約・Uペテロ一章
 
使徒ペテロは、かつてあの変貌の山でキリストの御姿が変わり、光り輝いた時(マタ一七・五)のことを思い出して、こう語っている。
 「キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。『これはわたしの愛する子。わたしの喜ぶ者である』。私たちは聖なる山で主イエスと共にいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです」(一七〜一八)。
 この変貌の山での出来事は、ペテロにとって、キリスト観を根底から変える決定的な出来事であった。それまでのペテロの心には、イエス・キリストは、偉大な教師あるいは預言者ではあっても、私たちと同じ朽ちるべき人間の一人という理解があったかも知れない。
 しかし、変貌の山で見たキリストは、そのような朽ちるべき人間ではなく、永遠の、子なる神としてのキリストであった(三)。
 また、「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である」という父なる神ご自身からの御言葉は、イエスこそ、神ご自身によって立てられた救い主であられるという、明白な確証だったのである。
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21日 旧約エゼキエル四六章
 
「君主は、彼らがはいるとき、一緒に入り、彼らが出るとき、一緒に出なければならない」(一〇)。
 君主と民とは、礼拝の場所は異なっていたが、同時に出入りすべきであった。
 君臣主従の地位に区別があり、その間にはおのずから秩序があるが、両者は神の前に平等であり、同じ行動をとるべきとされた。
 君主はまた、民から相続地を奪ってはならないと命じられている(一八)。君主は、横暴をするためにその地位に上げられたのではなく、民の代表として主の近くに仕えるために立てられた者だからである。
 教会においても、牧師や伝道者は、信徒を支配するために立てられたのではなく、模範を示して一緒に主に仕えるために立てられたのだということを、覚えなければならない。
 指導者は常に、人々と「一緒に入り」、人々と「一緒に出なければならない」。真の指導者は、人々の先頭に立ち、背中で人々をひっぱっていく。
 口であれこれと人々を個人批判したり、個人攻撃するのではない。むしろ自ら模範を示して、ひっぱっていく。人をひきつける力を背中に持てたら、一人前の指導者である。
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22日 旧約エゼキエル四七章
 神殿から流れ出る水は川となり、その川の周囲は肥沃な地となる(一二)。
 将来建てられる第三神殿は、患難時代に一時「獣」によって汚されるが、そののち清められ、千年王国に至って、本章に記されたような非常に麗しい所となるのであろう。
 将来、――それが近未来なのか千年王国時代なのかは、はっきりしないが――イスラエルの一二部族は、パレスチナにそれぞれの割り当て地を持つ(二一)。
 この新しいイスラエルの国は、大きさを言えば、かつてのダビデやソロモンの所領地ほどの大きさはない。大まかにいって、地中海の東海岸の南半分の面積であり、南北約六五〇キロ、東西約一六〇キロである。
 北端はレバノンのあたりまで、東端はヨルダン川まで、西端は地中海まで、南端はメリバテ・カデシュ(カデシュ・バルネアのこと?)やアカバ湾あたりまである。これは、現在のイスラエル共和国とほぼ同じである。
 現在のイスラエル共和国は、このエゼキエル書の預言の成就の初期段階である、と思える。
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23日 新約・使徒二三章
 大祭司アナニヤ(在位四八〜五八年頃)は、傲慢で、威張っていたと言われる。彼は、パウロが大胆に語ったのを見て、怒ってパウロの口を打たせた。
 するとパウロは、「律法にそむいて、私を打てと命じるのですか」(三)と言った。ユダヤの律法によると、被告は有罪と決定されるまでは保護されるはずだったから、打つことは違法だ、の意味である。
 すると、そばに立っている者が、「あなたは神の大祭司をののしるのか」と言ったので、パウロは、「私は彼が大祭司だとは知らなかった」と言った。これは「あのような人物が大祭司だとは知らなかった」という皮肉であろう。
 パウロはまた、自分はパリサイ人で、「死者の復活」の望みのことでさばきを受けているのだと、語った。この言葉によって、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。
 これはパウロが意図してやったことである。議会を混乱におとしいれることにより、さらなる弁明の機会が与えられるからである。
 パウロは、主イエスの教えられたように、「蛇のようにさとく、鳩のように素直に」行動した。
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24日 旧約エゼキエル四八章
 新しいイスラエルの地は、分割されて、一二の部族に割り当てられる。
 この割り当て方は、横割り(東西)に境界線を引くものであった。だから北の端にダンがおり、その南側に接してアシェル、その南にナフタリ、マナセ、エフライム、ルベン、ユダ、ベニヤミン、シメオン、イッサカル、ゼブルン、ガドという順になっている。
 ユダとベニヤミンの間には、聖なる奉納地がある。その中央には神殿があり、また「町」がある。聖なる奉納地には、レビ人が住んで、そこで仕える。
 「町」すなわち都エルサレムは、正方形の城壁に囲まれていて、東西南北に三つずつ門がある(三〇〜三五)。合計一二の門があるわけで、イスラエルの一二部族の名が記されている。この預言は、将来のエルサレムに関するものである。
 将来のこの都の大きさは、一辺が「四五〇〇キュビト」、すなわち約二・三キロと言われている。この大きさは、一辺が二二二〇キロもある新エルサレムに比べると、はるかに小さい。
 エゼキエル書に記すこのエルサレムは、千年王国時代のエルサレムの姿であるように思える。
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25日 旧約・ダニエル書一章
 本書は、預言者ダニエルによって記された。ダニエルはユダ族出身で、おそらく王族の一人であった。
 前六〇六年にバビロンの王ネブカデネザルがエルサレムを侵略した際、すなわち第一次バビロン捕囚の際に、ダニエルはバビロンに連れて行かれた(六)。その時、彼はまだ少年であった。
 その後ダニエルは、バビロンの宮廷で仕えた。またバビロンがペルシャ王クロスに滅ぼされてからは、少なくともクロスの治世第三年まではそこにいた。
 つまり、ダニエルの人生のほとんどは、異国の地でのものであった。しかし、彼はどこにあっても、真のユダヤ人として生きた。
 彼の信仰は妥協的ではなかった。
 王宮のごちそうには、モーセの律法で禁じられた汚れた物があった。また王宮のごちそうは偶像にささげられていたから、それを食べることは偶像礼拝に加担することになる。
 そのような時、信仰者はどうすればよいのか。ダニエルは、知恵をもってそれに対処した。
 この日本は、クリスチャンにとっては異国の地のようなものである。ダニエルの生き方には学ぶべき点が多い。
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26日 新約・Uペテロ二章
 新改訳の五節で「地獄」と訳された言葉は、原語ではタルタルスで、口語訳のように「下界」、または「よみ」と訳したほうがよい。
 「地獄」(ゲヘナ)は最終的な刑罰の場所をいう。しかし、タルタルスは、「さばきの時(世の終わりの最後の審判)まで・・・・閉じこめ」られている場所と言われているから(五)、一時的な留置場のようなものである。
 それはよみ(ハデス)の中でも最下層の場所と考えることができる。
 よみ(ハデス)は幾つかの場所に分かれており、「罪を犯した御使いたち」は、そのよみの最下層のタルタルスに入れられている。人間の未信者は、死後、よみ(ハデス)の他の場所に、それぞれ生前の行ないに応じて入れられている(ルカ一六章)。
 未信者は、最後の審判の法廷の時まで、そこに留め置かれる。
 「主は・・・・不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置くことを心得ておられる」(九)。
 未信者は、今よみで、各自にふさわしい懲罰のもとに置かれている。しかし、それは彼らの最終的状態ではない。最終的行き先は、「さばきの日」――世の終わりの最後の審判の法廷で決まるのである。
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27日 旧約・ダニエル書二章
 バビロンの王ネブカデネザルは、夢を見た。ふつうの夢なら、すぐ忘れてしまうが、その夢はあまりに鮮明で、意味のある夢と感じられた。王はその解き明かしを願った。
 その夢は神からの預言的夢であった。それは将来起こることを、象徴的かつ視覚的な形で示した預言的な夢だったのである。
 預言的夢を解き明かしたのは、ダニエルだった。彼は王から夢の内容を聞くことなく、夢がどのようなものであったかを言い当てた。
 その上で解き明かしを行なったから、王はその解き明かしが真実であると確信することができた。
 解き明かしによれば、その夢は、バビロン帝国に続いて中東世界に起こる世界帝国の、興亡に関する預言であった。人の形をした「大きな像」とは、人間世界を視覚化したものだったのである。
 バビロン帝国(金)のあとに、ペルシャ(銀)、またギリシャ(青銅)が起こる。さらに、その次の「鉄と粘土の足」はローマ帝国、また分裂後の東西ローマ帝国である。「一つの石」(三四)はキリスト、「永遠の国」(四四)は、キリストによって建てられるキリストの御国をさす。
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28日 旧約・ダニエル書三章
 バビロンの王ネブカデネザルは、巨大な金の偶像を造り、民にそれを拝ませた。それを拝まない者は火刑に処する、との言葉をもって。
 ところが、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、その偶像を拝まなかった。この三人は、第一次バビロン捕囚の時に、ダニエルと共にバビロンに連れ去られたユダヤ人である(一・六、七)。
 彼らは、王の前で言い放った。
 「王よ、神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知下さい。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません」(一七、一八)。
 何と不敵な信仰であろう。
 王は怒り、彼らを縛って、火の燃える炉に投げ込ませた。ところが、見ると、三人は火の中を、なわを解かれた状態で歩いていた。いや、そこにいたのは、なんと三人ではなく、四人であった。
 「神は御使いを送って」(二八)、彼らを火のただ中で守られた、とネブカデネザルは言った。すなわち、第四の者は天使である。
 しかし、第四の者は受肉以前のキリストと考える人々もいる。
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29日 新約・使徒の働き二四章
 
使徒パウロは、未信者から、
 「この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり・・・・」(五)
 と非難された。「ペスト」は、伝染病の中でも、最も伝染力の強いものである。未信者から見ると、パウロの働きは、まるで「ペスト」のように猛威をふるう存在であった。
 伝道には、二つのタイプがある。第一のタイプは、愛を豊かに実践し、キリスト者とはすばらしい人たちだと思って下さった人たちに、やさしく、自然に福音を語っていく穏和な道である。
 第二のタイプは、異教や邪教邪説に対し、真っ向から福音の真理を語って、論争や、迫害、反対にも屈せず、力強く福音を押し進め、切り開いていく道である。
 パウロは、第二のタイプの伝道者で、開拓者的な人物であった。
 伝道には、これら両方のタイプが必要である。第二の、力強く福音を押し進める開拓者的な伝道者がいなければ、福音は決して大きな前進を見せない。
 また第一の、穏和な道を実践する伝道者もいなければ、福音は決して人々に根づかないのである。
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30日 旧約・ダニエル書四章
 
火の燃える炉における神のみわざを見たバビロンの王ネブカデネザルは、いと高き神ヤハウェの奇跡を讃美した(二)。
 とはいえ、彼がすぐに異教を捨てて、神ヤハウェだけに仕える敬虔な信者になったというわけではない。
 ネブカデネザルは、自分を偉大な者と自負して高慢になっていたし(三〇)、貧しい者をかえりみず(二七)、いまだ多くの罪にまみれていた。
 そのため、神は彼を、「七つの時」にわたって獣のような生き物に変えてしまわれた。王は獣のような体に変わり、獣の心を与えられて、牛のように草を食べた。
 この「七つの時」を、異端の「ものみの塔」では歴史上の長い期間と考えて、ここからキリスト再臨の日付を割り出した。しかし、これは横暴な解釈で、「七つの時」はキリスト再臨の日とは何の関係もない。
 「七つの時」――それが実際に何ヶ月だったのか何年だったのかはともかく、その期間は、ネブカデネザルの生涯のうちにすでに終わった。
 「その期間が終わったとき・・・・」(三四)とある。こののち、ネブカデネザルは、いと高き神ヤハウェの前に謙虚な者となった。
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31日 旧約・ダニエル書五章
 
「ベルシャツァル王」(一)は、ネブカデネザル王の孫にあたる。二節で、ネブカデネザルはベルシャツァルの「父」と呼ばれているが、これは祖先、あるいは祖父の意味である。
 バビロン帝国では、ネブカデネザル王の次にその子ナボニドス王(前五五〇〜五三六年)が治めたが、ナボニドスがテマに滞在中、ナボニドスの子ベルシャツァルが、バビロンの統治をまかされていた。
 ベルシャツァルは高ぶり、傲慢になって、エルサレム神殿の神聖な器を娯楽の飲み食いに用いた。彼は、祖父ネブカデネザルに起こった事柄を知っていながら、傲慢になった。そのため主の裁きを招き、バビロン帝国は彼を最後に崩壊する。
 突然、彼の前に人間の手の指が現われ、壁に物を書いた。それはベルシャツァル王とバビロン帝国の最期に関する、神からの預言の御言葉であった。
 預言者ダニエルは、そのときすでに八〇歳くらいの老齢に達していたが、壁の言葉を読解し、それを王に告げた。王はその後、ダニエルを第三の権力者の地位にあげた。
 やがて、王は死んだ。崩壊は突然やって来るのである。
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