創造論(科学的創造論) 創造科学

宇宙の年齢

それは進化論者が言ってきたような膨大な時間を経ていない


超新星は、宇宙がきわめて若いことを示す。写真は、かに星雲。
1054年の超新星爆発によって出来たもので、今も拡大中。


超新星は宇宙が若い証拠

 ここで、宇宙がきわめて若いことを示す一つの重要な証拠を見てみましょう。それは「超新星」に関する研究です。
 超新星とは、突如ものすごいエネルギーで爆発し、非常に明るく輝き出す星をいいます。
 「超新星」というと"新しい星が誕生するのか"と思う方もいるかもしれませんが、これは誕生というよりはむしろ、星の最期の姿です。
 太陽よりはるかに重い星が自己崩壊し、爆発して周囲に飛び散り、非常に明るく輝くという、終末期の星の姿なのです。
 この超新星に関する最近の研究結果は、宇宙が従来進化論者によって言われていた一五〇億年というような年齢では決してなく、むしろ非常に若いものであることを、示しています。
 超新星の有名な例の一つは、西暦一〇五四年に超新星爆発を起こして誕生した「かに星雲」(牡牛座にある)です。
 現在の「かに星雲」の雲のように広がって見える物質は、かつての超新星爆発で周囲に飛び散った星の残骸です。飛び散った残骸が、雲のように見えているのです。
 一〇五四年の超新星爆発のときの光は、非常に明るく、地球上の人々が肉眼で観測できました。昼間でもそれを見ることができ、数週間にわたって輝いていたと、当時の記録にあります。
 また、つい最近でも、超新星爆発が見られたと報道され、話題になりました。
 超新星は、どのようにして起こるのでしょうか。
 ふつう私たちが夜空に見る輝く星――「恒星」はみな、巨大なガスの塊です。これらの星は、核融合反応によって、光を発し続けています。
 核融合の燃料がある限りは、星は安定して存在し続けます。星は重力によって収縮しようとしますが、星の内部の核における巨大な核融合エネルギーが外向きに発せられているので、それらがつり合い、バランスを保って、星は安定して存在し続けます。
 ところが、核において核融合の燃料が切れると、もはや収縮しようとする重力の巨大な力を制しきれなくなります。これが星の寿命なのですが、星の寿命は重い星ほど短くなります。
 寿命が来ると、まず星の核がつぶれ、つぎに核の外側部分も、追って突然収縮してきます。それは非常に急激な速度であって、二秒程度で収縮してしまい、中心近くで激しくぶつかり合います。
 そのため、この星は大爆発を起こすのです。周囲に物質を飛び散らし、非常に明るい光を放って死にます。このときの華々しく見える姿が、超新星と言われているものなのです。
 さて、超新星はどのような意味で、宇宙がきわめて若いことを示しているのでしょうか。
 天文学者によると、私たちの銀河もそうですが、一つの銀河内では平均二五年に一回程度の割合で超新星爆発が見られる、とされています。
 超新星は、理論上、最初の爆発を起こしてから約三〇〇年間は、「第一ステージ」と呼ばれる状態にあります。
 これは爆発による星の残骸が、高速で周囲に飛び散っていく期間です。第一ステージにある超新星は、天文学者により、私たちの銀河内に五個観測されています。
 第一ステージのあと、超新星は「第二ステージ」に入ります。これは爆発の三百年後に始まって、一二万年後に至るまで続きます
 先の「かに星雲」も、第二ステージに入って間もない時期にあるわけです。この期間、超新星の残骸物質は広がり続けながら、非常に強い電磁波を放射します。
 しかし、熱エネルギーはほとんど失われることがありません。第二ステージの超新星は、天文学者によって、私たちの銀河内に約二〇〇個観測されています。
 そののち、第二ステージが終わって「第三ステージ」になると、広がり続ける残骸物質は、熱エネルギーを失い始めます。
 「第三ステージ」は最終的な姿で、理論上、超新星爆発の一二万年後に始まり、一〇〇万年後まで、ないしは六〇〇万年後まで続きます。
 では天文学者は、第三ステージに入った超新星を、いくつ発見したでしょうか。
 それがゼロなのです。どこを探しても全く発見されていません。
 進化論者は、宇宙の誕生は約一五〇億年前、また我々の銀河は約一〇〇億年前に誕生したと主張しています。そうした長い時間が本当にあったのであれば、当然、今から一二万年以上前に超新星爆発を起こして広がった第三ステージの残骸が、銀河内に数多く見いだされるはずです。
 計算では、五〇〇〇個以上発見されるはずなのです。ところが、どこを探しても一つも発見されません。
 この事実は、進化論者を当惑させています。たとえば、進化論の天文学者クラークとキャスウェルは、
 「多く存在するはずの超新星の残骸が、なぜ発見されないのか」
 と言い、「失われた残骸のミステリー」と呼んでいます(Clark and Caswell, 1976. Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, 174:267.Cited in Ref.1.)。
 しかし、この事実は、聖書の創造論には全く矛盾しません。
 聖書によれば――とくに聖書を最も文字通りに解釈した考えによれば、宇宙の創造は約六〇〇〇年前です。そうならば、第三ステージの超新星がどこにも見いだされないのは、当然のことと理解されます。
 宇宙は創造されてからまだ間もないために、超新星が第三ステージに達するまでの時間がなかったのです。
 これは第二ステージの超新星に関しても同様です。
 もし、宇宙が進化論者の言うような長い時間を経ているとすると、第二ステージ――つまり三〇〇年〜一二万年の段階の超新星が、二〇〇〇個以上発見される計算なのです。ところが実際には、わずかに二〇〇個観測されているだけです。
 実際の観測結果は、進化論者の主張に大きく反しています。しかし、この結果は、宇宙の創造を約六〇〇〇年前とする創造論にはよく一致します。
 今から約六〇〇〇年前に宇宙が創造されたとすると、第二ステージの超新星の実際の観測結果――二〇〇個という数字は、創造論の立場からは納得のいく数字なのです。
 宇宙は進化論者のいうような長い年月を経ているのではなく、むしろ非常に若いと考えたほうが、理にかなっています。オーストラリアの創造科学財団(CSF)の著名な科学者、ジョナサン・サーファティ博士はこう述べています。
 「各ステージの超新星の数は、宇宙が若いか、それとも長い年月を経ているかを知る上で、非常に優れた指標です。・・・・超新星の残骸が少ないことは、神による宇宙創造が最近であったことを示しています」(Creation ex nihilo, Vol. 19 No. 3 pp.46-47, 1997)

各ステージの超新星の個数の計算
 これに関してもっとよく知りたい方々のために、もう少し詳しい計算を示しておきましょう。

@ 第一ステージの超新星
 まず、第一ステージの超新星に関して見てみましょう。
 これは爆発後三〇〇年間の状態です。超新星爆発の際に秒速約七〇〇〇キロメートルで飛び散った残骸は、この三〇〇年間に二三光年の広さにひろがります(一光年は光が一年かかって進む距離)。
 先に述べたように、私たちの銀河内で、超新星爆発は平均二五年に約一度の割合で起こります。すると、三〇〇年間に起こる超新星の数は、三〇〇÷二五=一二個となりますが、この一二個のすべてが地球から観測可能なわけではありません。
 天文学者によると、これらのうち約一九%が観測可能とのことです。一二個の一九%は、約二個です。つまり進化論でも創造論でも、第一ステージの超新星は私たちの銀河内に二個程度、あるいは二個前後観測されるはずとの計算となります。
 実際は、多少の誤差はあると考えられるので、一〜五個程度と考えてよいでしょう。実際観測されているのは五個ですから、これはその範囲内であると言えます。

A 第二ステージの超新星
 つぎに、第二ステージ――つまり三〇〇年後〜一二万年後までです。
 三〇〇年後に二三光年の大きさになった超新星の残骸は、一二万年後になると、さらに大きくなって三五〇光年の広さになります。
 もし、銀河が一〇〇億年もたっていると主張する進化論に立つと、一千年前に超新星爆発を起こしたものも、一万年前に超新星爆発を起こしたものも、一〇万年前に超新星爆発を起こしたものも、あらゆるサイズの第二ステージの超新星残骸が存在するはずです。
 超新星は二五年に一度程度起こるので、その個数を計算すると、(一二〇〇〇〇―三〇〇)÷二五=四七八八個となりますが、このうちの四七%が観測可能とされます。観測可能な数は、四七八八個の四七%、すなわち二二五〇個です。
 第二ステージの超新星が、私たちの銀河内にそれだけ見いだされるはずなのです――もし進化論が正しいならば。
 一方、宇宙の創造を今から六〇〇〇年前として計算すると、どうなるでしょうか。
 この場合、存在するはずの第二ステージの超新星は、(六〇〇〇―三〇〇)÷二五=二二八個です。この二二八個のうち四七%が観測可能として、観測可能な個数は私たちの銀河内に一〇七、あるいは一〇七前後となります。
 実際には、計算に多少の誤差があり得るので、宇宙は若いと考える創造論で予期される第二ステージの超新星の数は、一〇〇〜二〇〇個程度と考えてよいでしょう。
 実際に観測されているのは、二〇〇個ですから、その範囲内と言ってよいでしょう。このように実際の観測結果と、宇宙は若いとする創造論の結果とは、よく一致しているのです。
 しかし、長い時間を主張する進化論とは、全くかけ離れています。進化論者は、この事実に関して、今も納得のいくような答えを提出することができません。

B 第三ステージの超新星
 第三ステージの超新星は、一二万年後から一〇〇万年後まで、ないしは六〇〇万年後まで続きます。
 一〇〇万年後で六五〇光年くらいの大きさになり、さらに六〇〇万年後では、一五〇〇光年くらいの大きさに広がります。
 しかしそれ以上たつと、他の宇宙空間と見分けがつかない程度に希薄になってしまいます。
 ここで、一二万年〜一〇〇万年の第三ステージの超新星の個数を計算してみましょう。
 (一〇〇〇〇〇〇―一二〇〇〇〇)÷二五=三五二〇〇個となりますが、この三万五二〇〇個のうち一四%が観測可能です。
 すなわち観測可能なはずの個数は、約五〇〇〇となります。長い時間を信じる進化論に立つと、第三ステージの超新星は私たちの銀河内に、約五〇〇〇も発見されなければならないのです。
 ところが、それは一つも観測されていません。全くないのです!
 しかし、この事実は、宇宙創造が最近であると考える創造論からは、当然予期されることです。
 聖書を文字通り解釈した場合、宇宙の年齢は約六〇〇〇年程度なので、第三ステージに入っている超新星は一つもなくて当然なのです。

 このように、超新星の第二、第三ステージの予想個数と実際の観測個数は、宇宙は若いと考える創造論モデルに基づいて計算した場合は、きわめてよく一致しています。
 しかし、宇宙は非常に長い年月を経ているという進化論モデルに基づいて計算した場合は、両者は全く食い違ってしまいます。
 超新星は、宇宙がきわめて若いと考える創造論の立場を補強する、非常に有力な証拠と言ってよいでしょう。


天地創造の六日間における原子核の崩壊速度ははやかった

 放射性同位元素による年代測定は、放射性物質が、時間とともに放射線を出しながら、他の元素に変わっていくことを利用したものです。そして五〇%の原子が他の元素に変わるまでの期間を、「半減期」と呼んでいます。
 たとえば、カリウム四〇の半減期は「一三億年」、ウラン二三八の半減期は「四五億年」、ルビジウム八七の半減期は「五〇〇億年」と言われています。このように、これらの放射性同位元素の「半減期」は、ひじょうに長いとされています。
 このような長い半減期をもとめることは、容易なことではありません。実際「半減期」は、ある特別な仮定のもとに求められます。その仮定とは、原子核の崩壊速度(または「崩壊定数」)は、全時代を通じて変わらず、つねに一定だったというものです。
 たとえば、もともとあった原子の一〇%が崩壊するのにある期間かかったとすると、次の同じ期間に、さらに残りの原子の一〇%が崩壊し、次にも一〇%が・・・・というように、常に同じ割合で崩壊が進んできたと、仮定されているわけです。
 このような仮定のもとに、「半減期」が算出されます。例えば、ウラン二三八の半減期が「四五億年」であることを、もちろん人が四五億年もかけて実際に測ったわけではありません。それは、わずかの年月の間測定した結果を、数十億倍にも拡大延長した推定値なのです。その際、崩壊速度一定の仮定が用いられています。
 しかし崩壊速度は、次に述べるように、天地創造の六日間においてはもっと速かった可能性があります。
 原子核の崩壊速度は、理論上、光の速度とある関係をもっていることが知られています。崩壊速度は、原子核から「放出される粒子のエネルギーに関係し」、そのエネルギーは「運動エネルギーの相対論的表現による光速に関係している」からです。
 光の速度は現在、真空中で秒速約三〇万キロメートルと言われています(水中や空気中ではもっと遅い)。しかしこの速度が、過去において、特に宇宙の創始期においても常にそうだった、という確証はありません。
 光の速度は、空間の「誘電率」と「誘磁率」によって決まる値であり、したがってそれは、宇宙空間の状態によって変化しうるはずです。実際私たちは、聖書の中に、光の速度は天地創造の六日間においてはもっと速かった、という可能性を見出すことができるのです。創世記一章には、こう記されています。
 「(神は)星を造られた。神はこれらを天のおおぞらに置いて、地を照らさせ、昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた」(創世一・一六〜一八)。
 これは星の創造についての言及ですが、神は星を造って「地を照らさせ」るようにすると、そのようになったと言われています。すなわち、神が夜空に輝く星々を造った当日に、地球ではそれらの星からの光を観測できたのです。
 夜空に見える星々(恒星)は、いったいどれだけ離れているでしょう。太陽系外の星だと、最も近い星がケンタウルス座のアルファ星で、「四・三光年」離れています。これは、現在の光の速度で四・三年かかる距離を意味します。他の星は、もっと遠いところにあります。
 要は、この四・三光年離れた星や、またはもっと遠く離れた星からの光を、それらの星が創造されたその日に、地球上で観測し得たということなのです。


星々が造られた当日に、地球では
それらの星からの光を観測できた。

 これを認めるなら、光は天地創造の週において無限、あるいは無限に近い速度をもっていた可能性があります。そして、このように光速が速かったとすると、原子核の崩壊速度にどう影響するでしょうか。
 原子核の崩壊速度は光速に依存しているので、光速が速ければ原子核の崩壊速度も速かったと、理論的に示されます。
 つまり天地創造の六日間において、原子核の崩壊速度は、現在よりも速かったでしょう。そのため、もし現在の崩壊速度を基準にして半減期を求め、またその半減期を用いて年代測定をすると、その年代測定結果は実際よりも古く出てしまうことになります。
 「四五億年」と進化論者が主張している地球の年齢も、実際はそんなに経っていないはずなのです。このように、炭素一四法以外の放射性同位元素による年代測定法も、その仮定事項の検討次第では、地球がきわめて若いことを示す可能性があります。
 放射性同位元素による方法は、しばしば、きわめて正確で、狂いがないもののように思い込まれていますが、大きく狂っている可能性があるのです。それについては、ドン・アイカー博士(進化論者)も、その著「地質年代」の中でこう告白しています。
 「何らかの予期しない系統誤差のために、放射性測定による年代表全体が、上から下まで徹底的にまちがっているかもしれない、という恐れは常につきまとう」(コリン・ウィルソン著『時間の発見』二〇〇頁)。
 またブライアン・ジョン博士(オックスフォード大)も、こう述べています。
 「細かい詮索を受ければ……重大な問題に出くわして、過去の年代測定にさらに大きな修正が必要になることも、当然あり得る」(同)。


一五〇億年前の光?

 先に第二章において、光速が秒速三〇万キロでなかったら人間はできない、と書きました。これと、天地創造の六日間における光速が速かったこと、また、原子核の崩壊速度が速かったと思われることとは、矛盾するでしょうか。
 矛盾しません。聖書によれば、天地創造の六日間においては、物理的・化学的諸法則の全体が、神の特別な関与のもとに現在とは違っていたはずだからです。聖書は、創造第七日のことについて、
 「神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、なさっていたすべてのわざを休まれた」(創世二・二)
 と記しています。神が、創造のみわざを休み、物理的・化学的法則を固定し、宇宙の運行をそれらの法則におまかせになったのは、「第七日」でした。その前日までは、神はずっと宇宙の成長に、積極的に関与されたのです。
 そのため、創造のわざをなされたその六日間において、宇宙の物理的・化学的諸法則は今日のようではなかったでしょう。
 天地創造の六日間において、神は宇宙に対して特別な関与の仕方をされました。したがってその期間、光速や原子核の崩壊速度が現在とは異なるものであったとしても、決して不思議ではありません。神は、すべてを秩序のうちに守りながら創造されたからです。
 光速が天地創造の六日間において速かったという考えは、さらに、宇宙の年齢に関する理解にも当てはめることができます。
 天文学では、最も遠方の星として、約一五〇億光年のかなたに位置すると言われるものが知られています。これは現在の光の速度で行って、一五〇億年かかる距離を意味します。そして進化論者は次のように言います。
 「あなたが見ているその星からの光は、一五〇億年前にその星を出発したものである。つまりあなたは、その星の一五〇億年前の姿を見ているのである。こうしたことから、宇宙の年齢は約一五〇億年と考えられている」。
 しかし、果たしてそうでしょうか。
 先に見たように、天地創造の六日間における光速が今よりずっと速かったとするなら(創世一・一七)、宇宙の果てに位置するその星からの光は、決して一五〇億年前に出発したものではないことになります。
 宇宙は確かに広大ですが、宇宙の果てから来ているその光は、そのような大昔に発した光ではなく、比較的最近その星を出発した光なのです。
 私たちはその星の一五〇億年前の姿を見ているのではありません。天地創造の六日間において、光速は今よりずっと速かったために、広大な宇宙空間も光は短時間に地球近くまで到達していました。それが今、地球上で見えているのです。
 宇宙の真の年齢は、進化論者が教えているよりも、ずっと若いでしょう。宇宙の年齢が、地球や月、彗星と同じく一万年以内であるとしても、決して不思議なことではありません。


創世記一章一節〜二節の解釈について

 進化論者は、宇宙の年齢は一五〇億年(または二〇〇億年)であると言い、一方、聖書は、天地宇宙の創造は今から六千年ほど前に、「六日間」でなされたと述べています。両者の見解を比べてみると、そのタイムスケールが全く違うわけです。
 ある人々は、このタイムスケールの違いを解消しようと、聖書に対する様々な解釈を試みてきました。
 しかし、それらの解釈は妥当なものだったでしょうか。それを検討してみましょう。それらの聖書解釈のうち、おもなものは次の二つでした。

@ 間隙説
 創世記一章一節と二節の間には、何十億年もの時間の経過(間隙)があった、とする説。つまり、
*創世記一・一
「はじめに神は天と地とを創造された」
 *創世記一・二
「地は、形がなく、むなしかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた」
 これら二つの聖句の間には、何十億年もの時間の経過があったとする。なお、天地創造の六日間の「日」は、地球の一回の自転時間とし、一昼夜と考える。

A 一日一時代説
 天地創造の「日」は、文字通りの「一日」(地球の一回の自転時間)ではなく、それぞれ何十億年かの長い時間を表すとする説。

 まず@の間隙説から、検討してみましょう。この説では、創世記一章一節で天地が造られ、そののち何十億年もの歳月が経過してのち、二節以降で地球の陸、海、空の形成や、植物、動物、人間等の創造がなされた、と考えます。
 この場合、二節以降の「日」は、文字通り地球における一昼夜の時間と考えます。ですから第二日の「大空の上の水」(水蒸気層)・大気・海洋の分離や、第三日の大陸の形成、また第四日以降のすべての事柄は、それぞれ文字通り一昼夜(二四時間)でなされたと考えます。
 しかし、こうした大規模な地球的変化がそれぞれ一昼夜でなされたと考えるには、やはり神の創造の力に対する信仰が必要です。
 それならば・・・・つまり六日間の地球の変化に関してそのように信仰が要求されるのであれば・・・・なぜ創世記一・一と一・二の間に「何十億年」もの時間を挿入したりして、無理に今の進化論に合わせなければならないのか、という問題が生じることになります。
 間隙説は、一部を進化論的に考え、一部を創造論的に考える中途半端な説なのです。
 また間隙説は、明らかに聖書的に無理があります。科学的に見ても、中途半端であって、問題でしょう。

 では、Aの一日一時代説に立てばどうなるでしょうか。つまり天地創造の「日」を、それぞれ何十億年かの長い時間と考えることは、はたして可能でしょうか。
 しかしこの解釈も、大きな問題を生じます。聖書によると、草花や、樹木、果樹などの植物は、創造「第三日」に造られています。ところが、植物の受精には昆虫が欠かせません。昆虫が花の蜜を吸う。そのとき昆虫が花粉を運び、めしべに花粉がついて、受精が行なわれるのです。
 とくにキュウリや桑、栗などのように花に雄花と雌花とがあるものは、昆虫がいないと受精を行なえません。この昆虫は、「第五日」に造られているのです。
 つまり、もし一日一時代説に立てば、私たちは大変な難題をかかえることになります。植物は昆虫なしに、何十億年もの間、受精を続けてきたことになるのです。一日一時代説は、科学的にみて無理なのです。
 一日一時代説はまた、聖書的にもたいへん問題です
 というのは、かつてイスラエルの指導者モーセは、十戒を民に授けるとき、安息日の戒めに関して、こう説明しました。
 「六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である、あなたはどんな仕事もしてはならない。・・・・それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された」(出エ二〇・一一)。
 ここでもし、「一日」を"数十億年の長い一時代"と考えたら、一体どうなるでしょうか。私たちは、数十億年の長い歳月を六回繰り返すだけ働き続け、その後になって、ようやく休むことができるでしょう。
 一日一時代説はまた、もう一つ、聖書的に無理があります
 一日一時代説に立つと、アダム創造の前に何十億年もの年月の経過と、無数の生物の死の積み重ねがあった、と考えなければなりません。しかし聖書によれば、世界に死が入ったのは、アダムが罪を犯したからです。アダム以前に、死はなかったのです。
 アダムの堕落以前に死があったとするのは、キリスト教信仰と相容れません。このように一日一時代説は、聖書的に問題です。
 そして、科学的にみても問題なのです。私たちは聖書的、科学的の双方から、間隙説、および一日一時代説を、退けなければなりません。

B文字通り受け取る説
 つぎに、第三の解釈を検討してみましょう。第三の解釈とは、聖書を文字通り受け取るものです。
 この解釈においては、創世記一・一と一・二の間には、「何十億年」もの間隙はありません。また天地創造の「日」は、文字通り地球の一回の自転時間であり、一昼夜です。
 「はじめに神は・・・・」で始まる創世記一・一〜二の聖句は、じつは新改訳聖書の欄外注にも書かれているように、次のようにも訳せます。
 「神が天と地を創造し始めたとき、地は形がなく、何もなかった」。
 一般には、「はじめに神は天と地とを創造された」という言葉があまりにも有名になっているので、ほとんどの訳はそう訳していますが、原文のヘブル語は、全くこのようにも訳せるわけです。これはユダヤ人のラビ(宗教指導者)もそう言っています。「はじめに・・・・」が、「・・・・し始めたとき」となります。
 「はじめに神は天と地とを創造された」――この有名な一句は、まことに心に残る素晴らしい聖句です。しかし創世記一章の内容理解という点では、「神が天と地とを創造し始めたとき・・・・」の訳のほうが、原意に近いでしょう。
 どちらの訳も、神が天と地を(無から)創造された、ということでは一緒です。しかし新改訳・欄外注の訳では、創世記一・一と一・二は、一つの文章としてつながっています。
 一・一と一・二の間には、「何十億年もの間隙」はないのです。またそれは、
 "神が天地創造のわざを開始された第一日目の初期において、地球はまだ形がなく、混沌としていた"
 という意味になります。このように原文をよく調べてみると、神が天地創造のわざを始められた初期――地球が混沌とした中に存在し始めた頃から、聖書の記述が始まっているのだ、ということがわかります。
 創造第一日の開始とともに、宇宙が「無」から引き出されて、爆発的に誕生しました。そして様々な物質が造られ、地球のもととなる物体も存在し始めました。それが、
 「神が天と地とを創造し始めたとき、地は形がなく、何もなかった」
 ということです。宇宙の誕生から地球の原型の形成までは、きわめて急激な勢いで進んだわけです。
 地球の原型は、第一日目の前半が終わるころには、ほぼ出来上がっていました。すなわち第三の解釈によれば、宇宙誕生から地球の原型の形成までの期間は、"半日"でした。
 そして後に、創造第一日の後半において、太陽系の中心から光が発せられるようになりました。第二日になると、地球における上空の水蒸気層や、大気、海洋が形成されました。さらに第三日、第四日、第五日、第六日と進むにしたがい、つぎつぎに宇宙や地球、生物界の様子が整えられていったのです。
 では、この「日」は、それぞれ何十億年もの長い歳月を意味しているのでしょうか。そうではありません。宇宙は一五〇億年もの長い歳月を経ているのではなく、単に見かけ上、そう見えるだけなのです。
 私たちは、人類の始祖アダムの創造の記事を思い起こすとよいでしょう。
 アダムは、成人として造られました。もし造られたその日に、私たちが彼の姿を見ることができたとすれば、おそらく彼は二〇〜三〇歳程度に見える姿形をしていたことでしょう。しかし彼の年齢は、造られたその日には、実際にはまだ二四時間未満だったのです。


ミケランジェロ画「アダムの創造」。
アダムが造られた日、彼は見た目は成人だったが、実際にはまだ誕生後24時間未満だった。

 宇宙の年齢についても同様です。
 私たちは宇宙を見るとき、そのあまりの完成度の高さに、すでに気の遠くなるほどの長い年月を経ていると、つい思いこみがちです。神が六日間の天地創造のみわざを終えられたとき、宇宙は高度に完成された姿で出現しました。しかし、そのときの宇宙の年齢は、実際はわずか六日だったのです。
 逆にいえば、宇宙は何百億年も経ていると人間の目に見えるほどの高い完成度をもって、神により、わずか六日間で創造されたのです。宇宙も地球も、単に見かけ上、長い歳月を経ているように見えるだけです。
 しかし、先に見たように、一〜一〇万年でなくなってしまうはずの彗星が今も存在すること、宇宙塵の堆積量が少ないこと、地球磁場の減衰、大気中の炭素一四やヘリウムの量、海への流入物、超新星などを考慮した結果は、地球や太陽系、また宇宙がきわめて若いことを示しているのです。


一五〇億年あっても生命は自然には発生しない

 私たちは長いこと、地球の年齢は数十億年、宇宙は数百億年と聞かされてきたので、地球が若い、または宇宙も若いという結論は、なにか奇妙に聞こえる人もいるでしょう。
 けれどもそれは、頭の中にまだ、「地球は古い」「宇宙は古い」という先入観が残っているからです。「地球は、気の遠くなるような昔に誕生し、ひじょうに長い期間を経て生命が誕生し、それが進化して、ついに人類が誕生した」という進化論の主張は、幾度となく教え込まれてきました。
 しかし、本当にそうでしょうか。ここで仮に、地球の年齢は四五億年、宇宙の年齢は一五〇億年であるとしてみましょう。そうしたら、それは生命が発生し、進化して、人類が出現するのに充分な時間だったと言えるでしょうか。
 著名な情報学者マルセール・ゴレは、全宇宙の全時代を通じて、最も簡単な生命が自然に発生する確率はどれくらいあるか、を計算しています。彼は、疑わしい要素はできるだけ進化モデルに有利に計算し、宇宙の年齢も三兆年(進化論者によって言われている宇宙の年齢のさらに二〇〇倍)として計算しました。
 それでも、その期間内に物質がうまく組み合わせられて、生命が自然に発生する確率は、一〇の二八〇乗分の一以下でした。一〇の二八〇乗と言えば、一のあとに〇が二八〇個もつく数字ですから、これはほぼゼロということです(『創造の科学的論証』六五頁)。
 この結果は、言い換えると、仮に宇宙の年齢が三兆年の一〇の二八〇乗倍あったとしても、そこに生命が発生する確率は一回あるかないかだ、ということです。
 ところが、実際はその確率はもっと低くなります。というのは、宇宙は時間がたてばたつほど、「エントロピー増大の法則」(事物は時間とともに低次の秩序形態に移っていくという法則)により、高次の秩序形態への進化は、ますますあり得なくなるからです。
 つまり、宇宙の年齢が一五〇億年であろうと、あるいはその一〇の二八〇乗倍あろうと、生命がそこに自然に発生する確率はゼロなのです。
 これは、「地球や宇宙の歴史が充分に長ければ、その間に生命が誕生しただろう」という考え自体が、間違っていることを示しています。
 私たちは、長い時間を求める必要はないのです。地球および生命が、長い時間をかけて出現したと考えるより、聖書の述べているように、最近創造されて出現したと考えた方が、ずっと理にかなっています。
 もし私たちが全能の神の存在を信じるのなら、「六日間」という時間でさえ、神にとっては長すぎるくらいです。しかしその神が"六日間もの"時間をかけて天地を創造された、ということに、じつは意味があるのです。
 多くの証拠は、地球が若く、また人類も若いことを示しています。生命の出現も最近であって、地球誕生後すぐに「種類にしたがって」(創世一・二一)創造されて出現した、と考えられます。


聖書を信じて新しい科学上の発見


 聖書の記述を信じることは、しばしば新たな科学的発見をもたらします。その幾つかの例をみてみましょう。
 私たちは、海には親潮(千島海流)とか、黒潮(日本海流)、メキシコ湾流など、「海流」というものがあることを知っています。そして海流にのれば、船は早く目的地に達することができることも知っています。その海流の通り道は、船にとっては航路となり、「海路」となっているのです。
 しかし海流、海路の様子は、一九世紀のマシュー・モーリー以前には、よく知られていませんでした。彼はどのようにして海流、海路を発見したのでしょうか。じつは彼は、聖書の言葉をもとに、その存在を予測し、その後詳しい調査の上に実際にそれを発見したのです。
 聖書・詩篇八篇八節には、次のように記されています。
 「・・・・空の鳥と海の魚、海路を通うものまでも」。
 マシュー・モーリーはこの言葉から、海には「海路」、すなわちそこを通れば早く目的地に行けるような路がきっと存在するに違いない、と考えました。そして彼は、航海日誌その他の資料を念入りにチェックし、海流を調査して、ついに最短時間で目的地に行ける海路を発見したのです。
これは、聖書の記述を真実と受け取って、その結果新たな科学的発見がなされた実例です。米国バージニア州の記念碑には、こう記されています。
 「マシュー・フォンティーン・モーリィは、海路の発見者、海洋と大気から初めてその法則の秘密を引きだした天才、彼のインスピレーションは聖書から得られた。詩篇八篇八節、一〇七篇二三、二四節、伝道者の書一章六節」。
 聖書の記述から新しい科学的事実を見いだしたという例は、ほかにもあります。
 先に少しふれましたが、ラッセル・ハンフリーズ博士による天王星の地場の強さに関する予測も、そうです。
 博士は、創造論の考えに基づき、天王星は創造されてから何十億年もたっていないと考え、その磁場の強さは二〜六×一〇の二四乗Am2と概算しました。一方、このとき進化論者は、天王星の磁場はもっとずっと小さいか、全くないだろうと予測していました。
 これが実証される日が、ついにアメリカの惑星探査機ボイジャー二号によってもたらされました(一九八六年)。ボイジャー二号は天王星のそばを通過するとき、天王星の磁場が三×一〇の二四乗Am2であることを示すデータを送ってきたのです(『インパクト』一七六号)。これは、まさにハンフリーズ博士の予測通りでした。
 また、ボイジャー二号が一九八九年に海王星の近くを通過したときに送ってきた磁場データも、彼の予測とピタリ一致しました。
 このことも、聖書の記述をもとに、新たな科学的事実が予見された実例です。私は、創造論の研究がもっとなされていけば、さらに多くの科学的事実が発見されるであろうと信じています。


第1〜6章までのまとめ

 宇宙は、「無から有を呼び出される神」(ロマ四・一七)によって、存在へと呼び出された。
 「最初のちり」(箴言八・二六)に始まって、宇宙空間に存在し始めた無数のチリは、地球をはじめ、その他の星々を形成した。
 また、太陽系の中心に太陽の原型、あるいは前段階のものが生まれ、光を発するようになった(第一日)。それは後に(第四日)、核融合による安定した光を供給する現在のような太陽となった。
 誕生当初の地球は、水蒸気を主成分とする膨大な量の"水蒸気大気"におおわれていた(第一日)。聖書はそれを、「大いなる水」(創世一・二)と呼んでいるが、それは地球の歴史に比べてきわめて短期間のうちに、「大空の上の水」(水蒸気層)、「大空」(大気)、「大空の下の水」(海洋)とに分立した(第二日 創世一・七)。
 海洋は、はじめ地表の全域をおおっていたが、海の中から大陸が現われ、海と陸とは分離した。当時の大陸は、一つであった。
 そののち、地表に造られた植物は、炭酸同化作用によって酸素を放出し、大気中に、遊離状態にある酸素を増加させた。また、植物は様々の有機物質から成っているため、動物や人間が食べる食物ともなった(第三日)。
 大洪水以前の地球は、上空に厚い水蒸気層があったので、地表はどこも、緯度の高低にかかわらず、ビニールハウスの中のように温暖だった。砂漠や万年氷原はなく、どこもみずみずしい植物におおわれ、恐竜をはじめとする巨大生物も存在していた。
 しかしノアの日に、水蒸気層は大雨となり、「四〇日四〇夜」地の上に降った。当時の大陸は、現在よりずっとなだらかだったので、水は地の全面をおおった。
 しかし、水面は大雨のやんだ後も上昇し続け、「水は一五〇日間、地の上に増え続けた」(創世七・二四)。これは、大洪水に洗われた地表に様々な変化が生じ、「山は上がり、谷は沈んだ」(詩篇一〇四・八)からである。
 この地殻変動は、おそらく海洋部から始まり、まず海底が隆起し、海面を上昇させ、大雨に始まった大洪水を、さらに大規模なものとした。
 しかしその後、水は「しだいに地から引いていった」(創世八・三)。それは、世界各地で山々が隆起し、谷は沈下して、地表の起伏が激しくなったからである。水は低い所にたまり、海面上に出た所が陸となった。
 現在の地表に見られる高山や、海底山脈、巨大な海溝などは、大洪水の激変の際の地殻変動によって出来たものである。またこの変動によって、もともと一つであった大陸は、現在の形のように分離した。
 大洪水によって、多くの動植物が死に絶えた。氷づけにされたマンモスや、死のもがきのまま地層内に捕らえられた多くの生物の化石が、それを物語っている。
 世界の地層の出来方は、進化論よりも大洪水の考えによって、よく説明できる。地層や地層内の化石は、進化論の説明によると多くの矛盾点や不明点が生じるが、大洪水の考えによるなら、矛盾は生じない。
 大洪水が始まったとき、一般に海底生物は最も下の層に、魚類や両生類は、泳ぐことができたのでその上の層に、また陸生動物は、海の生物より高い所に住み移動性にもすぐれていたので、さらに上の層に捕らえられた。そして人間は、高度な移動性と、水から逃れるための知恵を持ち合わせていたので、一般に最も高い所で発見される。
 大洪水によって、地層は急速に堆積し、その中には様々の化石が形成された。化石は、このような激変的過程によらなければ、決して形成されないのである。
 大洪水後、地表の様相は一変した。気候は変わり、極地は氷に閉ざされた。地表は再形成され、生態系も変わった。
 また、水蒸気層の取り去られた後の地球には、宇宙線や紫外線等の照射が強くなり、人間の寿命は短くなった。
 進化論者は、宇宙や地球の年齢、また人類の年齢をきわめて膨大なものとしているが、多くの信頼できる証拠は、地球も人類も非常に若いことを示している。
 進化論者は「長い時間」を求めた。しかし仮に、宇宙の年齢が一五〇億年あったとしても、あるいはそれ以上あったとしても、そこに生命が自然に発生する確率はゼロである。
 宇宙、地球とそこに住む生物、また人類は、聖書の述べているように最近創造されて出現したものだと考えた方が、理にかなっている。

久保有政

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