創造論(科学的創造論) 創造科学

創造論Q&A

創造論、創造科学に関する質問に答える


A、B、AB、O型の血液型は、アダムと
エバだけから生じることは可能だったか


 血液型にはA、B、AB、O型がありますが、これは最初のふたりの人間=アダムとエバから生じることが可能なのですか。


 はい、可能です。
 アダムとエバという、たった二人の人間から、これらすべての血液型が生じ得ることは、遺伝学的に証明されています。
 じつは、「A、B、AB、O」という四種類の分け方は血清学的なもので、これは遺伝学的にみると、六種類になります。
   血清学的分類  遺伝学的分類
    (表現型)   (因子型) 
     A型     AA AO
     B型     BB BO
     AB型    AB
     O型     OO
 たとえばA型は、AAとAOの二種類、B型は、BBとBOの二種類があるのです。また、AB型はAB、O型はOOで、それぞれ一種類ずつしかありません。
 親がO型×AB型の組み合わせの場合を、考えてみましょう。これは遺伝学的分類でみると、OO×ABの組み合わせです。血液型は、両方の親から因子を一つずつもらって、子供に伝わります。したがって子供の血液型は、AOか、BOになります。
 AOはA型であり、BOはB型です。これは因子Oが、因子AやBに対して劣性であるためです。それでAOはA型、BOはB型としてあらわれます。
 このように親がO型×AB型の場合、子はA型かB型になるのです。
 もう一つ、親がA型×B型の組み合わせの場合を、考えてみましょう。とくに、AO×BOの場合を見てみましょう。
 血液型は、両方の親から因子を一つずつもらって、子供に伝わります。ですからこの場合、子供はAO、BO、AB、OOの四種類の血液型となります。つまりA型、B型、AB型、O型となるわけです。
 つまりA型×B型の組み合わせの親からは、A、B、AB、Oのすべての血液型が生じる可能性があります。アダムとエバの場合もA型×B型だったかもしれません。
 聖書によるとアダムとエバは、男子カイン、アベル、セツを生んだ後も、多くの「息子、娘たちを生み」(創世五・四)ました。もしアダムとエバの血液型がA型×B型だったならば、彼らの息子・娘たちの代に、すでに四種類の血液型が見られたことでしょう。
 しかし、ほかの組み合わせの場合でも、幾つかのものには可能性があります。
 可能性があるのは、OO×AB(O×AB)、AO×AB(A×AB)、BO×AB(B×AB)の三つの場合です。
 というのは、これらの組み合わせの場合、子の代では四種類の血液型とはなりませんが、孫の代で四種類になることができるからです。
 したがってアダムとエバの血液型としては、
   A×B (AO×BO)
   O×AB(OO×AB)
   A×AB(AO×AB)
   B×AB(BO×AB)
 の四つの場合が考えられるわけです。アダムとエバの血液型の組み合わせは、これら四つのうちのどれかだったでしょう。
 他の組み合わせ・・・O×O、O×A、O×B、A×A、B×B、AB×ABの場合は、いくら代を重ねても、四種類の血液型は現われてきません。したがってアダムとエバの血液型は、これらの組み合わせではなかった、ということがわかります。
 このように血液型に関して述べましたが、そのほか、人類の肌の色、目の色、髪の色の違いなども、すべて、最初の一組の男女の組み合わせから生じ得ることが遺伝学的に知られています。



 進化論における「断続平衡説」について、どう考えるべきですか。


 進化論においては、
 「ゆっくりした変化の積み重ねによって、生物はより高等な形態へと進化してきた」
 という"漸進的(ぜんしんてき)進化論"が主流でした。しかし、この説は証拠となるべき中間化石が見いだせないことから、進化論者の間には、最近この説を捨て去る者が現われました。そして"漸進的進化"の説に代えて、"断続平衡(だんぞくへいこう)説"を説くようになったのです。
 これは、生物の進化はゆっくり起きたのではなく、比較的短期間の間に急激に起き、その後は環境に適応して変化を見せず、またしばらくすると何かのきっかけで短期間の間に急激に進化する、ということを繰り返してきたのだ、とする説です。中間化石が見いだせないのは、そのためだというわけです。
 もし漸進的進化論を、"ゆっくり坂をのぼる"ことにたとえるとすれば、断続平衡説の進化論は、"階段をのぼる"ことにたとえられるでしょう。
 断続平衡説は、生物進化が階段状の上昇線を描くように進んできた、とする理論なのです。生物が一挙に進化する時期と、安定した長い平衡状態の時期とを繰り返してきた、とする説です。
 こうした理論が生まれてきた背景には、中間化石が見いだされないという、進化論にとってはまことに都合の悪い事実があります。進化論者の間に断続平衡説が生まれた、ということ自体、中間化石がない事実を、進化論者自身が認めるようになった、ということなのです。
 では、この断続平衡説に証拠があるのか、ですが、今のところ全くありません。この説は単に、漸進的進化論がダメになったので、進化論者が代替案として提出した理論にすぎないのです。それは想像の域を出ていません。
 そればかりか、断続平衡説は、それを否定する材料があまりにも多すぎます。ある種の生物から他の種の生物が急激に生じる、というこの説は、よほど神秘的な力を信じない限り、受け入れられるものではありません。
 またそれは、今日の分子生物学の知識と完全に矛盾しています。
進化論者は、漸進的進化の説が不都合であるとわかると、そのかわりに断続平衡説を持ってきました。こうして進化論は、今やどうにもならない袋小路に入ってしまっているのです。



 しばしば離れ小島などに、大陸にはいない動植物などが生息していることについて、創造論ではどう考えますか。


 今日、生物というものは、ミミズやアリ等を除いては、全地球的にどこにでも分布しているようなものはない、と言われます。ほとんどの生物が、地域的な限界を持っているのです。
 とくに離れ小島などでは、しばしば大陸ではほとんど見られないような動植物が、生息していることがあります。
 たとえばハワイの島々は、地質学的には比較的最近海から突き上がって出来たものであることがわかっていますが、そこには多様な動植物が存在し、しばしば他の陸地には見られない生物もいます。
 また、ダーウィンが研究した有名なガラパゴス諸島には、多くの珍しい生物がいることも知られています。
 これらのことは、進化論を擁護するものでしょうか。いいえ、これらのことは進化論とは何の関係もないのです。これらはむしろ、創造論によってよく説明されます。
 第一に、動植物の分散というものは、しばしば私たちが想像する以上に迅速であった、という事実に私たちは目を向けるべきでしょう。
 たとえば、インドネシアのジャワとスマトラ島の間にあるクラカトア島は、一八八三年にすさまじい火山の爆発によって破滅し、生物もほとんどが死滅しました。ところが、わずか二五年後の一九〇八年の調査では、再びこの島で多様な動植物が発見され始めました。
 また動物学者フランクリン・ソル教授は、ハワイ以上に特異な生物群を持つマダガスカル島の動物群が、アフリカ大陸の北に位置するシチリア群島のものに類似している、と述べています。一三〇〇キロも離れた群島のものによく似ているのです。
 さらに彼は、このシチリア群島の動物は、インド洋を渡ったアジア本土の動物に由来する、とも述べています。このように動植物の分散は、しばしば私たちが想像する以上に迅速であったことが、わかります。
 第二に、各地に分散した動植物は、その地の環境に適応できたものはその後もそこで生息し、その地の環境に適応できなかったものは、その後その地からは絶滅したことが考える、ということです。
 こうして生物は、ある程度の地域性を持つようになったのです。



 "人類誕生の地はアフリカ"と主張する「イブ仮説」がありますが、それについては、どうですか。


 イブ仮説とは、アメリカの研究者たちが主張したもので、世界各地の様々な人種の遺伝子を比較してみたところ、全人類の"母"は、約二〇万年前にアフリカに住んでいた一人の女性だ、と結論したことから来ています。
 研究者たちは、人類の"母"であるその女性を、アダムとイブの話にちなみ、「イブ」と呼びました。「イブ」仮説によると、現在の人類のルーツは、サハラ以南に住んでいた一人の女性、のはずでした。
 ところが、この「イブ仮説」が間違いだったことが、一九九二年に判明しました。米国ワシントン大学のアラン・テンプルトン博士が、『サイエンス』誌に論文を発表し、「イブ仮説」を一刀両断に切って捨てたのです。
 「イブ仮説」は、DNA(遺伝子)の分析データをもとに、コンピュータがはじき出したものでした。しかし、どうもそのコンピュータのデータ処理のプログラムの方法に、初歩的なミスがあったようなのです。テンプルトン博士は、
 「イブ仮説は、現在の人類のルーツがアフリカだったことの証明になっていない」
 と指摘しました。この指摘を受けて、イブ仮説の提唱者たちも、あっさりと間違いを認めたのです。
 人類のルーツは、やはりアフリカではなく、聖書の述べているようにメソポタミヤ地方であったことを、多くの証拠は示しています。



 創造論が事実なら、なぜ日本の学校でいまだに進化論が教えられているのですか。


 日本の学校では、幼稚園から大学院まで、いまだに進化論が「事実」として生徒に教え込まれています。
 これは悲しむべき現実です。中世において天動説が人々の上に君臨していたように、進化論は、現代において人々の上に君臨しているのです。そして人々の思考形態を支配しています。
 しかし、創造論者は、やがて世界各地の学校で、進化説と創造説の双方が教えられるようになることを強く願っています。
 実際、アメリカの私立学校の中には、進化説と創造説の双方を、生徒に教えているところがあります。両説のそれぞれの証拠を示し、どちらが真実かは、生徒自身に考えさせるのです。
 その結果、生徒たちの学習意欲・研究意欲が非常に増した、との報告がなされています。また、進化説と創造説の双方を教えられた生徒は、進化説だけを教えられた生徒よりも、進化説に関して詳しい知識を持つようになった、とも報告されています。
 日本でもこうした教育がなされることを望むものですが、今のところ文部省は進化論の信奉者ですし、創造論を教えられる先生もまだ少ないのが現状です。しかし、創造論の普及がもっと進めば、こうした状況もしだいに改善されるに違いありません。



創造論では、恐竜についてどう考えているのですか。


 聖書は恐竜について言及しています。恐竜は、大洪水以前とその後しばらくまでは生きていました。詳しくはこちらをご覧下さい。

久保有政

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