キリスト教入門講座

キリストというおかた

イエス・キリストはどんなおかたか

すべての人のために降誕されたかた

 私たちに真の幸福を教え、与えて下さるイエス・キリストは、今から約二千年前、東洋の一角――中東にご降誕されました。
 イエスが公に人々に伝道された期間(公生涯)は、わずかに三年半。しかしその三年半が、世界を変えました。イエス・キリストは、どんなかたなのでしょうか。
 イエスがご降誕された地パレスチナは、位置的にはヨーロッパ・アジア・アフリカの三大大陸の、"接点"にあたります。
 そこはまた、世界の三大人種――黄色・白色・黒色人種(または最近の分類にしたがってモンゴロイド・コーカソイド・ニグロイド)のそれぞれが住む地域の、"交点"でもあります。パレスチナを中心として、東方には黄色人種が、北方と西方には白色人種が、南方には黒色人種が住んでいるのです。
 パレスチナは、その意味では世界の中心に位置しています(エゼ五・五も参照)。つまりイエス・キリストは、いわば"万国の中心"にお生まれになりました。
 キリストがお生まれになったのは、西洋人のためでも、東洋人のためでもありません。彼は、全世界の人々のためにお生まれになったのです。
 イエスがこの地上を歩まれた約二千年前から、現代まで、悠久の歳月が過ぎました。しかし、彼の語られた言葉と、その精神は、今なお多くの人々の中に生きています。事実、イエスは今も生きておられ、その影響力は現在も世界の多くの人々に及んでいるのです。
 私たちは普段、「西暦」すなわちキリスト暦に慣れ親しんでいます。これは、イエス誕生の年を「紀元」とし、時代をB.C.(Before Christ =英語で「キリスト以前」) と、A.D.(Anno Domini =ラテン語で「主の時代」) に分けたものです。
 ですから、「イエスはいつ生まれたのか」と聞けば、本当は「紀元」と答えるところでしょう。ところが、のちに学者の計算違いが判明して、現在ではイエス誕生の年は、紀元前四年頃と言われています。


時は満ちた

 イエスの活動の舞台となった国ユダヤは、当時ローマ帝国の属国でした。ローマは、地中海の周辺世界に、史上最大の世界帝国を形成していました。
 「すべての道はローマに通ず」という言葉もあったように、ローマ帝国は各地の道を整備していました。そのため当時、交通の便はきわめて良く、人々は広大な帝国内を、自由に行き来できるようになっていました。
 ローマ帝国内の主要幹線道路は、すべてを合わせると、延べ八万五〇〇〇キロあったと言われています。これは今日のアメリカ合衆国全土をくまなく覆うインターステート・ハイウェイの延べキロ数と、ほぼ同じです。
 ローマ帝国は、広さの面ではアメリカの八割くらいの面積でしたから、いかに道路が完備していたかわかるでしょう。もちろんこれは主要幹線道路についてだけで、支線道路も含めると、その三倍以上――二九万キロもあったとのことです。
 さらに、帝国内ではギリシャ語が共通語となっていて、言葉の障壁もなくなっていました。ローマは、多くの国々を文化的に一つに統合していたのです。
 ローマは各地に総督を置き、地方行政を行ないながら、共通の文化制度を敷きました。
 こうした「交通の便」「共通語」「共通の文化制度」という条件は、そののちキリスト教が世界宗教として福音を宣教していくために、欠くことのできない素地となりました。
 事実、パウロをはじめとするキリストの使徒たちは、これらの素地があったからこそ、きわめて短期間に、ローマ帝国全土に福音を伝えることができたのです。キリストは、
 「時は満ちた」(マコ一・一五)
 と言って宣教を開始されましたが、この言葉にはそのような意味も含まれていたのです。つまり、キリストが世界のすべての人のためにお生まれになって、世界的宗教が始まるために最も適した状況が、すでにそこにできていたのです。


ヤイロの娘をよみがえらせるキリスト


待望された救い主

 当時ユダヤの人々は、ローマ帝国の圧政によって苦しんでいました。
 ユダヤ(イスラエル)民族は、全世界のための救い主「キリスト」を来たらせるために、神が創始し、育成された民族です。
 ユダヤには、モーセ(紀元前一五世紀) 以来、神から遣わされた数多くの預言者が現われていました。しかし、最後の預言者マラキが四百年前に現われて以来、もはや預言者はユダヤに現われていませんでした。
 神はいつになったら、この国を顧みてくださるのでしょうか。いつ、世界を顧みてくださるのでしょうか。
 人々は、救い主を待ち望みました。彼らは、ヘブル語で「メシヤ」と呼ばれ、ギリシャ語で「キリスト」と呼ばれるかたの到来を待望しました。
 メシヤ=キリストという言葉の原語の意味は、「油注がれた者」です。イスラエルでは、王や大祭司の任職式で、彼らの頭に油が注がれました。つまり「油をそそがれた者」(メシヤ)とは"神から任職された者"ということなのです。
 しかし聖書では、「キリスト」(メシヤ)の語は、とくに終末が間近になった時代に現われる、特別な「救い主」を表す用語として用いられるようになりました。
 人々は、「主の日」(終末の日)が間近になった時代に現われる特別な神からの救い主を、「キリスト」と呼んだのです。
 このように「キリスト」という言葉は、人の名(固有名詞)ではなく、"称号"です。
 世の中には、いろいろな"称号"があります。昭和天皇の場合なら、「天皇」が称号で、「裕仁」が名前(固有名詞)でした。将軍・家康なら、「将軍」が称号で、「家康」が名前です。
 ほかにも「カイザル」(ローマ皇帝を表す)、「パロ」(エジプト王を表す)などの称号が、聖書に出てきます。「イエス・キリスト」は、「イエス」が名前で「キリスト」が姓、というのではなく、"キリスト(神からの救い主)なるイエス"という意味なのです。
 端的にいえば、「イエス」を「キリスト」と呼ぶのが、キリスト教です。
 人々は、神から任職された、神からの権威を持つキリストの到来を、待ち望んでいました。そのようなときイエスは、静かにユダヤの小村ベツレヘムの飼い葉桶の中で、お生まれになったのです。


キリストの到来は預言されていた

 イエス・キリストの到来は、じつはその到来の何百年も前から、旧約聖書の中に預言(予言)されていました。
 マホメットであれ、シャカであれ、孔子であれ、ソクラテスであれ、その出現が何百年も前から予言されていたわけではありません。しかしキリストに関しては、何百年も前から数多くの預言がなされていました。
 たとえば出現の時については、紀元前六世紀に、イスラエルの預言者ダニエルがこう預言していました。
 「エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六二週あることを知り、かつ悟りなさい」(ダニ九・二五協会訳)。
 メシヤ到来は、エルサレム再建命令発布の年である紀元前四五七年から数えて、「七週と六二週」、計六九週の後と預言されました。この「週」とは、原語では単に「七」という意味ですが、ここでは七年を表す、と聖書学者は考えています。
 そうすると「六九週」は四八三年となり、メシヤ到来の年は、紀元二六年となります。これはまさに、イエスが公生涯に入り、宣教を開始された年です。イエスは紀元二六年の秋に宣教を開始され、それから三年半の公生涯ののち、紀元三〇年の春に十字架にかかられたのです。
 またキリスト誕生の地について、紀元前八世紀の預言者ミカはこう預言していました。
 「ベツレヘム・エフラタ(ベツレヘムの古名)よ。あなたはユダの氏族のうちで最も小さいものだが、イスラエルを治める者が、あなたのうちから、わたし(神)のために出る。……彼は主(神)の力により、その神、主の名の威光により、立ってその群れを養い、彼らを安らかにおらせる。今、彼は大いなる者となって、地の果てにまで及ぶからである」(ミカ五・二〜四)。
 この「イスラエルを治める者」とは、キリストのことです。しかし彼は、単にイスラエル民族の支配者となるのではなく、その力は「地の果てにまで及ぶ」、つまり世界の救い主となるというのです。
 彼はユダヤの小村ベツレヘムにお生まれになる、と預言されています。事実、キリストは、ベツレヘムでお生まれになりました。
 降誕されたキリストは「その群れを養い、彼らを安らかにおらせる」でしょう。キリスト来臨の目的は、人々に真の平安を与え、尽きない幸福を与えることなのです。
 旧約聖書では、キリストの到来に関する預言は、"真に平和で繁栄した世界が到来する"との預言と、つねに一緒に言われています。キリストが来られると、世界は変わり、最終的には真の平和・繁栄・幸福がおとずれる、と言われているのです。
 この"真の平和・繁栄・幸福に満ちた世界"を、聖書は「神の国」と呼んでいます。「神の国」は「神の王国」とも訳されます(「国」の原語はバシレイアで王国の意)。
 旧約時代の預言者たちは、キリストの到来によって、最終的に至福の「神の国」(神の王国) がやって来る、と予言したのです。預言者ダニエルは、こう述べました。
 「この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず……永遠に立ち続けます」(ダニ二・四四)。
 この「永遠の国」は、もちろん地上的な国ではありません。地上的な国なら、「永遠に続く」ことはあり得ません。
 「永遠の国」は、キリストによって立てられる天的な国です。事実イエスは、
 「わたしの国は、この世のものではありません」(ヨハ一八・三六)
 と言われました。キリストの「国」は、地上的なものではなく、天的な「神の国」「神の王国」なのです。
 それは地上の王が支配する国ではありません。神とキリストを王とする国です。
 「神の王国」は、キリストにより、どのようにして立てられるのでしょうか。紀元前八世紀の預言者イザヤは、こう預言しました。
 「(キリストの) 主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる」(イザ九・七)。
 この預言によれば、キリストによって立てられる「王国」は、キリストの初来の際に、"一挙に"確立されるのではないと言えます。初来から再来にかけての期間に、キリストの「主権は増し加わって」いくでしょう。
 そして最終的にキリスト再来の際に、キリストは「王座に着いて」王国が確立するのです。「神の国」は、キリストの初来が発端となり、再来によって完成するのです。
 キリストは初来の際に、神の国の端緒をつくられました。そして再来の際に、全世界的な平和・繁栄・幸福を確立されるでしょう。かつて「ダビデ」王(紀元前一〇世紀) が神のもとに王座について、イスラエルを治めたように、キリストは最終的に、神のもとに世界の王座について、永遠の王国を治められるのです。


受肉して降誕されたキリスト


受肉

 聖書は、キリストは「神の言」である、と言っています。
 「初めに、言(キリスト)^があった。言は神と共にあった。……この言は、初めに神と共にあった。……すべてのものは、これによってできた。……この言に命があった。……言は肉体となり、私たちのうちに宿った」(ヨハ一・一〜一四)。
 なぜ聖書は、キリストを神の「言」と呼ぶのでしょうか。そこには、聖書の深遠な哲学があるのです。
 人間の場合、たとえば物を製作するとき、まず頭の中で「ことば」を使って、どのように作るかを考えるでしょう。
 たとえば、ある人が日曜大工で、「本棚」を作るとしましょう。彼はまず、棚の数を「何段」にするか、棚の幅や長さを「何センチ」にするか、木は「どんな木を使うか」などということを、まず「ことば」で考えるでしょう。
 その「ことば」の中には、本棚の材質、大きさ、形、色など、本棚の"本質"的な事柄が、概念のかたちで含まれています。本棚がまだ出来ていない先に、すでに頭の中では「ことば」によって、本棚の"本質"的な事柄が考えられているわけです。
 「ことば」によって、これから作る物の本質的な事柄が考えられ、その後に、目の前に実際に本棚が出来てきます。つまりここでは、
 "本質は事物に先立っている"
 のです。(もっとも無神論哲学者サルトルは、これを逆さまに言って「事物は本質に先立つ」と説きましたが、これは彼の無神論思想に基づくもので、ここでは関係ありません。)
 私たちが有神論に立つなら、"本質は事物に先立つ"と考えることができるのです。というのは聖書によれば、神が世界を創造されたとき、万物の"本質"はすべて、「神のことば」の中に先立って存在していたからです。
 神が「光あれ」と言われると、光がありました(創世一・三)。「地は植物を生えさせよ」と言われると、植物がありました(同一・一一)。光や植物の"本質"は、光や植物が実際に出現する以前に、神の「ことば」の中にすでにあったのです。
 神の「ことば」は、人間の「ことば」と違って、本質を表す"概念"を有するだけでなく、万物の"本質そのもの"を宿しているのです。それで神が「ことば」を発っせられると、そこに万物が生じました。
 「神のことば」には、無の中から存在を呼び出す力があるのです。神は力ある「ことば」によって、万物を創造されました。神は「ことば」によって活動されたのです。
 「神のことば」は、神の活動であり、神のご本質の顕現であり、その力の現われです。「神のことば」は、初めから神とともにありました。
 この「神のことば」すなわち神の活動が、至高の人格となって現われたのが、神の御子キリストなのです。「神のことば」キリストは、神による人格と、力を備えておられるのです。
 キリストは、神より出た「神のことば」であり、永遠において神より生まれ出た「神の御子」です。彼は、永遠から永遠に至るまで存在しておられ、その御力により「万物を保っておられます」(ヘブ一・三)。
 初めから神と共におられ、私たちの目には見えないこの永遠の御子キリストが、「肉体となり」(ヨハ一・一四)、人となって現われたのが、「ナザレのイエス」です。これをキリスト教では、「受肉」と呼んでいます。
 彼は、神から来られ、肉体をとって人となられたのです。そのためクリスチャンたちは、イエス・キリストは神性と人性の両方を具有しておられる、と信じています。キリストは"神・人"であるかたなのです。
 イエスにおいて、私たちは天の神のご本質を見ることができ、また人間としての最高の姿をも見ることができます。イエスは神から来られ、神と人とを結ぶ"橋渡し"となられたのです。


キリストの神性をなぜ信じるのか

 イエス・キリストは単なる"人"とは異なり、神性と人性とを兼ね備えた"神・人"であるというキリスト教の教えを、私たちはいったいどのように理解したら良いのでしょうか。
 聖書を調べてみると、聖書はキリストの神性をはっきり示していることがわかります。たとえば、新約聖書ヨハネの福音書一章一節には、
 「言 (キリストをさす)は、神であった」
 とあり、また一八節ではキリストのことを、
 「ひとり子なる神」
 と呼んでいます。
 また新約聖書ヘブル人への手紙には、こう言われています。
 「御子(キリスト)については、こう言われます。
 『神(御子をさす)よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。……それゆえ神よ。あなたの神(父なる神)は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者(キリスト者たち) にまして、あなたに注ぎなさいました』」(一・八〜九)。
 このように聖書は、いくつかの箇所でキリストを「神」と呼び、キリストを、神性を持つかたとして扱っています。


嵐を静めるキリスト(人生の嵐も静めて下さる)


キリストは礼拝を受けられた

 さらにこうした聖句とともに、キリストの神性を信じる根拠として重要なものに、キリストは弟子たちの礼拝をお受けになった、ということがあります。
 周知のように、ユダヤ人は神以外のものは、決して礼拝の対象とはしませんでした。
 「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」
 は、ユダヤ人の十戒の第一条であり、ユダヤ人たる者は、偶像や人はもちろんのこと、たとえ天使であっても、礼拝の対象としてはなりませんでした。
 実際、ある異邦人たちが、キリストの使徒たちに対して礼拝めいた事をしようとした時、使徒たちはそれを身震いして退けました。ルステラという所で使徒パウロとバルナバが伝道していた時、使徒たちのする素晴らしいわざを見て、土地の人々は、
 「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」
 と言い、神殿の祭司を連れてきて、彼らにいけにえを捧げようとしました。その時使徒たちは、「衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら」、
 「皆さん。どうしてこんなことをするのです。私たちも皆さんと同じ人間です」(使徒一四・一四〜一五)
 と言って、その礼拝を拒絶したのです。この出来事によく表されているように、ユダヤ人は神以外のものを礼拝することを嫌ったのみならず、自分たちが神のように礼拝されることも、極度に嫌いました。
 またヨハネの黙示録には、使徒ヨハネが、思わず天使を礼拝しようとした時、天使はその礼拝を拒絶し、次のように言ったと記されています。
 「やめなさい。私は、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書のことばを堅く守る人々と同じしもべです。神を拝みなさい」(二二・九)。
 このように使徒たちも、天使も、誰かが自分を礼拝することを、決して許しませんでした。
 しかしイエス・キリストは、弟子たちの礼拝を退けることはなさいませんでした。たとえば弟子のトマスが、復活されたキリストを目の前に見て、
 「わが主よ。わが神よ」(ヨハ二〇・二八)
 と言って拝した時、キリストはそれを拒絶されませんでした。むしろ、
 「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信じる者は、さいわいである」
 と言って、その信仰を励まされたのです。また他の箇所でも、
 「(弟子たちが) イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した」(マタ二八・一七)
 と記されています。キリストは、ご自身の神性に対する弟子たちの礼拝を、喜んでお受けになりました。
 イエス・キリストは、じつにその出生のはじめより、人々の礼拝の対象でした。聖書は、キリストが産声をあげて馬小屋にお生まれになった時、東方の博士たちは、来て「幼子を見、ひれ伏して拝んだ」と記しています(マタ二・一一)。そして博士たちは、「宝の箱をあけて、黄金、乳香、モツ薬を贈り物としてささげ」ました。
 女の胎内から出た者のなかで、イエス・キリストのみが、人々の礼拝を受けるに値するかたです。
 かつて、人間でありながら傲慢のために自分を「神」と主張し、人々に礼拝を強要した人物も、この長い歴史の中には幾人もいました。しかし、そうした人々は忘れ去られ、一方イエス・キリストは、今もなお多くの人々の信仰と礼拝を、お受けになっています。真実に礼拝を受けるに値するかたが、人々の間から忘れ去られることは、決してないのです。


キリストと弟子たち



キリストは神と一体なるかた

 もしキリストが神性を持つかたであり、「神」と呼ばれるかたであるならば、父なる神ヤハウェ(エホバ)との関係はどうなるのでしょうか。これについて、キリストは、
 「わたしと父とは一つである」(ヨハ一〇・三〇)
 と言われました。父なる神と、御子キリストとは一体であり、おひとりのかたなのです。複数の神がいるのではありません。御父と御子は一体で、おひとりのかたなのです。
 「一つ」と訳されたこの言葉は、原語では「同一の本質」という意味です。父と御子は、単に"目的や意図"において一つであるだけでなく、本質や存在においても一つである、という意味なのです。またキリストは、
 「わたしを見た者は、父を見たのである」(ヨハ一四・九)
 とも言われました。御子は、御父と一体であり、また「神(御父) の栄光の輝き、神の本質の完全な現われ」(ヘブ一・三)です。御子は、御父がどういうかたか具現するために世に来られたかたであって、それゆえに御子を見たことは、御父を見たことでもあるのです。
 このように御子イエス・キリストと、父なる神とは一体です。キリスト教では、このことにさらに聖霊(神の霊)との一体性を加えて、これを神の「三位一体」と呼んでいます。


三位一体とは?

 「三位一体」とは、御父(ヤハウェ)、御子(キリスト)、御霊(聖霊)の三者すなわち三位が、一体で、おひとりの神であるということです。つまりこれら三者の間には、区別はありますが、互いに目的や思いにおいて矛盾することなく、一つの存在、一つの神となっているということです。
 このことは、神の奥義に属することなので、私たちの知性で完全に把握することは出来ないでしょう。しかし、これは明らかに聖書が示している真理であり、私たちの信ずべき事柄です。
 この真理をたとえで説明することは、常に不完全さを伴いますが、あえてそれをするならば、神の三位一体性は、ある意味では、"光の三原色"に似ていると言えるでしょう。
 よく知られているように、赤、青、緑の三色の光の組み合わせをいろいろに変えると、あらゆる色の光をつくり出せます。これが光の三原色です(絵の具の三原色は赤・青・黄)。
 これはカラー・テレビなどにも応用されています。ブラウン管の根もとには、それぞれ赤、青、緑の光を発する三つの光源があって、それらの光をうまく組み合わせて、画面上にあらゆる色をつくり出しているわけです。
 これらの三原色は、それぞれが光であり、なおかつ、それら三つが合わさって、一つの光です。ちょうどそのように、神も三位(三者)から成りながら、なおかつ、一つの神であられるのです。
 神の「三位一体」ということは、その用語自体は聖書の中に出てきませんが、その真理は、聖書の中のいたる所に見受けられるものです。たとえば、新約聖書マタイの福音書に、
 「父、子、聖霊の御名によって」(二八・一九)
 という言葉がありますが、この「御名」は、原語では単数形です。これは三位の一体性をあらわしています。また、来たるべき新天新地における状況を描いた新約聖書ヨハネの黙示録二一章には、
 「私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊(キリスト)とが都の神殿だからである。」(二一・二二)
 と記されています。この父なる神と、キリストとから成る「神殿」という言葉も、やはり単数形です。ほかにも、主語が御父と御子で、動詞には単数形が使われているという例が、聖書の中には随所にあります。
 英語などでもそうですが、こうした場合、これらの言葉は複数形にしなければならないところです。しかし、神の三位一体性のゆえに、これらの言葉には、単数形が使われているのです。


キリストが「神・人」でなかったら

 三位一体の神の中で、イエス・キリストは、肉体をとって地上に来られ、神の本質を具現する職務を果たされたかたでした。そしてキリストは、私たちに神がどういうかたなのか、示してくださいました。
 また、すべての人間の罪を背負って、代わりに十字架上で死に、刑罰を受けることによって、私たちのために"罪のあがない(贖罪)"を全うされました。"あがない"とは、"代価を払って買い戻す"という意味で、キリストは私たちのために"代償の死"を遂げられたのです。すなわちキリストは、ご自分のいのちという"代価"を払うことによって、私たちの魂を、罪と滅びの中から救い出してくださいました。
 これは、キリストが神性と人性とを合わせ持つ"神・人"であったことによって、初めて可能なことでした。
 というのは、もしキリストが単に"神"であるだけだったならば、人間の身代わりとなることは出来なかったでしょう。また単に"人"であるだけだったならば、自ら罪を持つことになり、たとえ十字架上で死んでも、それは自分の罪に対する刑罰という以上の意味は持たなかったでしょう。
 十字架上での"罪のあがない"のわざは、キリストが"神・人"であって初めて可能なことでした。私たち人間が、聖なる、きよい神に受け入れられるためには、"神・人"であるキリストの仲介が必要だったのです。
 次の話は、キリストの代償の死を理解する上で、良き例話となるでしょう。


代償の死

 作家・三浦綾子さんの小説『塩狩峠』(新潮社文庫)は、実在の人物をモデルにしたものです。明治時代に、北海道の鉄道員の中に、一人のクリスチャンがいました。
 彼は、自分の人生を主イエスにおゆだねし、常日頃から神の栄光のために生きることを第一としていました。
 ある日のこと、彼が列車に乗っているとき、列車はちょうど塩狩峠の上り坂にさしかかりました。彼は最後尾の客車に乗っていました。
 やがて、何かにぶい音がしたかと思うと、客車の速度が弱まり、続いて止まりました。すると今度は、客車が反対方向に動き出したのです。
 「おかしいな」と思って客車の外を見てみると、客車を引っ張っているはずの機関車が、目の前からどんどん遠ざかっていくではありませんか。彼の乗っていた最後尾の客車とその前の客車との間の止め金が、何らかの原因ではずれ、最後尾の車両だけが切り離されて、坂を下り始めたのです。
 坂は長く、急な所もあります。乗客は総立ちとなり、救いを求め叫ぶ有り様に、車内は騒然となりました。「大変だ」と思った彼は、すぐにその客車のデッキ上に出て、ハンドブレーキのところに駆け寄りました。
 彼は、それを力いっぱい回しました。列車は「キー、キー」とブレーキ音をたてながら、スピードを弱め始めました。しかしそのハンドブレーキは古く、また凍りつく冬の寒さのためでしょうか、完全にはききません。
 列車の速度は遅くなりましたが、完全に止めなければ、この先の急な坂でまた暴走し始めるかも知れません。彼は、この塩狩峠を何度も通ったことがあったので、その先はまた急な坂となり、カーブもあることを知っていました。そこに列車がさしかかれば、列車は転倒し、多くの死傷者が出るに違いありません。
 彼の脳裏には、とっさに、その地獄のような惨事の光景が浮かび上がりました。何かいい方法はないでしょうか。線路の上に、何かブレーキになるようなものを置くとかが、もし出来れば、列車は止まるかもしれません。しかし、それが材木のように堅過ぎれば、列車はかえって脱線してしまうに違いありません。
 彼のまわりには、適当なものはありませんでした。彼の思いの中には、最後の手段に訴えるべきだろうか、との考えが浮かびました。「なんとかしなければ」と思った彼は、ついにその最後の手段に訴えることを決意したのです。
 自分の過去の人生のこと、婚約者のこと、同僚のこと、そのほか多くのことが、一瞬にして彼の思いの中を通り過ぎました。彼の人生にはつらい時もありましたが、多くの時は幸福に満ちていました。彼は何より自分の生涯において、主イエスの愛に触れることができたのです。
 彼は、瞬間的に祈ったかと思うと、次の瞬間には自分の体を線路に投げ出していました。彼は、自分の体をブレーキにするために、線路に飛び込んだのです。
 「ガタン」という物音とともに、列車は急激にスピードを弱め、ついに止まりました。列車からおりた人々の目に映ったのは、真っ白な雪のうえに広がった、彼の鮮血でした。
 その血は、数十名の命を救った彼の愛を証ししていたのです。彼は自分の命を、人々を救うための代償としました。彼の名は長野政雄。明治四二年二月二八日のことでした。今も塩狩峠には、彼の殉職をおぼえる記念碑が立っています。


乗客を救った長野政雄の殉職碑


預言されたキリストの死

 イエス・キリストがあの十字架上で遂げられた死は、この出来事に似ています。キリストは、私たちを罪と滅びから救う代償として血潮を流し、私たちの身代わりとなるために死なれたのです。
 これは紀元前八世紀に、神の預言者イザヤによって、すでに預言されていたことでした。彼は旧約聖書イザヤ書に、こう記したのです。
 「彼(キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(イザ五三・四〜五)。
 またこう記されています。
 「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの自分かってな道に向かって行った。しかし主(神)は、私たちすべての咎を彼(キリスト)に負わせた」(イザ五三・六)。
 キリストの死は「私たちの咎のため」だった、というのです。「咎」とは"とがめるべきこと"の意味で、罪のことです。
 神は「私たちすべての咎を彼に負わせ」られました。キリストは、私たちの罪に対する刑罰を、肩代わりしてくださったのです。新約聖書・福音書の記事から、そのときのことを詳しく見てみましょう。
 キリストは、ある時から、ご自分がエルサレムに行って十字架にかけられて死ぬこと、また三日後に復活すべきことを、弟子たちに予告され始めました。
 「これから私たちはエルサレムに向かっていきます。人の子(キリストをさす)について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。人の子は異邦人に渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし人の子は三日目によみがえります」(ルカ一九・三一〜三三)。
 キリストは、エルサレムで死なれること、また復活すべきことを弟子たちに予告されました。しかもそのことによって、預言者イザヤをはじめ多くの預言者たちがご自身について預言してきたことが、成就されるのだと言われたのです。
 当時は、キリストの目ざましいわざの数々により、多くの人々がキリストを信じ始めていました。一方、それを見たユダヤの宗教指導者たちは、キリストをねたみ、キリストを排除しようと、期をねらっていました。キリストはそれを知りながら、あえて彼らの多くいるエルサレムに、のりこんで行かれたのです。キリストはそこで、堂々と民衆に語られました。
 キリストは、苦しい十字架刑を、もし避けようと思えば、避けることができました。十字架の前夜、キリストを捕らえようと人々がやって来た時、弟子のひとりがそれを阻止しようとして剣を抜くと、キリストはこう言われたのです。
 「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。それとも、私が父(神)にお願いして、一二軍団(一軍団は六千人)よりも多くの御使い(天使)を、今私の配下に置いていただくことが出来ないとでも思うのですか。だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある(旧約)聖書が、どうして実現されましょう」(マタイ二六・五二〜五四)。
 あれほど多くの目ざましい働きをなされたイエス様です。イエス様には、御使いたちに命じて十字架を避けるようにすることなど、わけのないことでした。しかし聖書の預言の成就のために、また私たちの「贖い」がなされるために、キリストは自ら十字架に向かっていき、その苦しみを忍ばれました。愛が、キリストを十字架に向かわせたのです。
 キリストはやがて捕らえられ、不法な裁判にかけられて、死刑の宣告を受けました。しかしこれは、預言者イザヤが七五〇年前に預言した通りでした。
 「彼は暴虐なさばきによって取り去られた」(イザ五三・八)。
 このとき、ローマの地方総督ピラトは、キリストに罪を認めず、キリストを釈放しようとしました。しかしついに群衆の声に押し切られました。福音書に記されています。
 「ピラトは三度目に彼らにこう言った。『あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません……』。ところが、彼ら(群衆)はあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った」(ルカ二三・二二〜二三)。


キリストは死の際に神からの無限の隔たりに追いやられた

 十字架刑というものは、当時のローマ帝国における最も残酷な刑の一つでした。この刑は、ローマ市民には決して適用されず、ローマ市民以外の極悪人にのみ使用されたのです。
 受刑者は、まず「四〇に一つ足りないむち」を加えられました。これは四〇回打てば死ぬと言われたからで、その直前までむち打たれたのです。
 その後、受刑者は両手足を太い釘で打ち抜かれ、十字架形の材木に打ちつけられます。さらに、ロープなどで体をしっかりと材木にくくりつけられると、その十字架が丘の上に立てられました。
 受刑者は、そうやって日の下に放置されるため、ほとんどの者は数日以内に激しく苦しみながら死に絶えます。この恐ろしい刑を、罪のない清いかたであるキリストが、自ら受けられたのです。
 キリストは、十字架にかけられたときに、天を見上げて言われました。
 「父よ(神よ)、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ二三・三四)。
 何という、こうごうしい姿でしょう。キリストは、ご自分のことより、罪を犯している周囲の人々のために、神に向かってとりなしの祈りをされたのです。
 キリストは、午前九時頃十字架にかけられましたが、正午頃になると、真昼なのに空が真っ黒な雲におおわれ、夜のように暗くなりました。キリストの死の時が近づいたのです。
 キリストの死は、一般のクリスチャンたちのいわゆる"殉教の死"とは大きく異なっていました。
 たとえば、かつて豊臣秀吉のもとで起こった長崎の「二六聖人の殉教」の場合、十字架につけられた二六人のキリシタンはみな、天国の生命に生きる喜びと、殉教の死を迎える光栄に喜々として顔を輝かせ、死に就きました。
 二六聖人のはりつけは、キリシタンへの"見せしめ"としてなされたはずでした。しかしその輝かしい光景を見た周囲の民衆は、天国の実在を感じとり、その場に居合わせた民衆のほとんどがその後キリシタンになったといいます。これは、彼らキリシタンにとっては、死は"神のみそばに行く"ことだったからです。けれどもキリストにとっては、死は、神のみもとへ行くことではありませんでした。
 キリストは、死において、神からの無限の隔たりに追いやられたのです。私たちの罪咎を背負い、私たちの身代わりに刑罰を受け、神から捨てられた状態に入られたのです。
 キリストは本来、神と一体のおかたです。キリストの力、キリストの喜びはみな、神と共にいることによって得られていたものです。そのキリストが、死の際に神からの無限の隔たりに追いやられました。この神から捨てられた状態は、本来私たちが受けるべきものだったのです。
 これはキリストに、無限の悲しみと、痛みとをもたらしました。ですから、死の時が近づいたことを感じられたキリストは、正午頃、大きな声で叫ばれました。
 「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか」(マタ二七・四六)。
 「どうして……」――理由はわかっています。この死は、人々を罪と滅びから救い出すための代償の死なのです。神がそれを望まれ、自分もそれを志願したのです。
 しかし、悲しみがあまりに激しいとき、人は「どうして……」と叫ぶものです。愛する者を失った人が「どうして……」「なぜ……」と叫ぶのは、理由がわからないからでしょうか。理由はわかっているのです。けれども、悲しみがあまりに激しいとき、人は「どうして……」と叫ばざるを得ません。
 キリストは、この悲しみと、生木が裂かれるような霊的苦しみを、私たちを愛するがゆえに忍ばれたのです。


十字架上でキリストは神からの無限の隔たりに追いやられた――私たちのために


十字架の死は私たちの罪の代償

 じつは、この「わが神、わが神……」は、旧約聖書の「詩篇二二篇」という預言詩の言葉の引用です。詩篇二二篇の冒頭の句なのです。詩篇二二篇は次の言葉で始まっています。
 「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか」。
 この詩篇は、神を"恨んだ"詩篇なのではありません。この詩篇は、神に捨てられたと思えるような苦しい状況の嘆きに始まり、最後は、自分を救って下さった神への高らかな賛美と感謝に変わるのです。
 当時ユダヤ人は旧約聖書・詩篇の言葉を、暗記するほどによく知っていました。ですから、キリストが「わが神、わが神……」と言われたとき、それが詩篇二二篇の冒頭の句であることに気づいた人も多かったはずです。
 今や、詩篇二二篇に預言された「主(神)のなされた義」(二二・三一)つまり人々の救いが、成就しようとしていました。キリストは、この詩篇二二篇を、心の中で暗唱しておられたのです。
 実際キリストは、この詩篇二二篇の中から、さらに真ん中の句を引用して十字架上で口に出されました。
 「わたしはかわく」(詩篇二二・一五、ヨハ一九・二八)
 そして午後三時頃、死の間際に、
 「完了した」(ヨハ一九・三〇)
 と言われました。この言葉は、詩篇二二篇の最後の言葉「主のなされた義」の「なされた」に関係して言われた言葉です。キリストは、「これで人々の救いのわざがなされた」「あがないが完了した」「これで済んだ」という意味で、「完了した」と言われたのです。
 キリストはさらに続けて、大声で叫んで言われました。
 「父よ、わが霊を御手にゆだねます」(ルカ二三・四六)。
 こうして息を引き取られました。「この出来事を見ていた(ローマの)百人隊長は、神をほめたたえ、『本当にこの人は正しいかたであった』と言い」ました。また、そこに集まっていた群衆もみな、「こういういろいろの出来事を見たので、胸をたたいて悲しみながら帰った」のです(ルカ二三・四七〜四八)。
 キリストは十字架上で、何かの目に見える奇跡をなされたわけではありません。しかしその死の光景は、尋常のものではなく、見ている者たちに強い感銘を与えるものでした。
 キリストはあの死の時、私たちすべての者の罪を、背負っておられたのです。あなたの罪もです。彼は私たちすべての者の代わりに、神から捨てられ、神からの無限の隔たりに追いやられました。それは彼を信じるすべての者が、永遠の滅びから救われるためです。聖書には、
 「血を流すことなしには、罪の赦しはあり得ない」(ヘブ九・二二)
 と言われています。罪の赦しには、血の代価が必要なのです。キリストの血潮が、罪と滅びの中からあなたを神のもとへあがなう(買い戻す)ための、代価となったのです。
 こういう話があります。ある王が、法律をつくり、「この法律を破った者は、誰であれ片目をえぐり取る刑に処する」との、おふれを出しました。
 しばらくして、ある男が王の面前に連れられてきました。王はその男を見るなり、顔が青ざめました。なんと、その男は王の息子であったのです。王はひどく悲しみました。しかし、一度出した法律を王自身が破るわけにはいきません。
 王は家臣たちの集まっている席で、
 「この者は有罪である」
 と述べました。そして後ろを向き、ナイフを手に取って、痛みをこらえながら、王は自分の片目をえぐり出したのです。そして皆の前にさし出し、こう言いました。
 「この者の刑罰はすでに行なわれた。この者はもう無罪である」。
 神がなされたことは、これに似ています。神ご自身が、私たちの赦しのために、犠牲を払って下さったのです。キリストの血潮は、私たちを罪と滅びの中から救うための代価となりました。聖書は言っています。
 「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。……そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
 キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は自分の魂の牧者であり監督者であるかたのもとに帰ったのです」(Iペテ二・二二〜二五)。


私たちが滅びることなく、永遠のいのちを持つために

 キリストは、死の三日後に復活し、四〇日地上におられて弟子たちを訓練したのち、天に帰られました。そして、今も生きておられます。
 初代教会の時代に、クリスチャンたちは命がけで、「キリストは復活された」と伝えました(使徒一・二二)。あなたはおそらく、ローマ帝国のもとでクリスチャンたちがどんなにひどい迫害を受けたかを、聞いたことがおありでしょう。その迫害のもとで、多くの者が殉教しました。しかしそれでも、彼らは死に至るまで、
 「キリストは私たちのために死なれ、三日後に復活された」
 と宣べ伝えたのです。彼らはこのことに、命をかけました。
 人は、うそのために命を懸けることが、できるでしょうか。いいえ、うそのために命を懸けることなど、到底できません。あなたは、自分がうそだと知っていることのために、命をかけたりしますか。しないはずです。
 しかし、初代教会のクリスチャンたちは、ローマの迫害のもとで、命を懸けてキリストの復活を宣べ伝えました。それは彼らが命を懸けたものが、真実のものだったからに他なりません。キリストは事実、復活されました。
 それは、二千年にわたってクリスチャンに信じられ、私も信じています。彼は、永遠の命の体に復活されたのです。キリストはご自分の罪のゆえに死なれたのではないので、いつまでも死の中に閉じこめられている必要はなかったのです。
 そして四〇日後に、天に帰られました。キリストが天に帰られたのは、キリストがもはや場所によらず、私たちと共にいることが出来るためです。そして、信じる者は、そのことを人生の中で明確に体験できるのです。
 次の句は、聖書の中で最も有名な句であり、聖書全体のまとめとも言えるものです。
 「神は、じつにそのひとり子をお与えになったほどに、[世]を愛された。それは御子を信じる[者]が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハ三・一六)。
 これは、ひとりひとりのために言われているのです。神はじつに、そのひとり子イエス・キリストを死に渡されたほどに、あなたを、また私を愛されました。それは御子を信じる私が、またあなたが、決して滅びることなく、永遠のいのちを持つためなのです。
 この句の[ ]の部分をあなたの名前に置き換え、また「ひとりとして」を抜かして言ってみてください。私の場合でしたら、
 「神は、じつにそのひとり子をお与えになったほどに、[久保有政]を愛された。それは御子を信じる[久保有政]が滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
 これをあなたの名前でやってみてください。それがこの聖句の意味なのです。


復活後、マグダラのマリヤにご自身を現わされたキリスト

久保有政

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