生命の仲間意識
日本はなぜ世界で初めて国際舞台の場で
「人種平等」を主張したか
南極で生きていたタロとジロ。
一方、その数十年後にイギリス南極隊がしたことは……
[聖書テキスト]
「その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。『救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。』……長老のひとりが私に話しかけて、『白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。』と言った。そこで、私は、『主よ。あなたこそ、ご存じです。』と言った。すると、彼は私にこう言った。
『彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです』」(ヨハネの黙示録七・九〜一七)
[メッセージ]
今日はとくに九節の、「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆」の御言葉から、「生命の仲間意識」と題して、ご一緒に恵みを受けたいと思います。
人間も動物も、生命を持っています。旧約聖書の伝道の書には、イスラエルのソロモン王が言った言葉として、
「人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と」(三・一八)
という言葉があります。今から五〇年近く前、一九五八年のことでした。日本の第二次南極観測隊が、気候の急変によって、南極の基地から大急ぎで引き上げなくてはならなくなったことがありました。そのとき、たくさんのカラフト犬まで運ぶ余裕がありませんでした。やむを得ず、犬たちを氷原に置き去りにしたまま、帰国せざるを得ませんでした。隊員たちは、あとを追う犬たちを、泣きながら振り切って、
「来年また来るまでどうか生きていてくれよ」
と叫び、祈る気持ちで基地をあとにしたのです。翌年の一月、隊員たちは、ようやく基地に戻ることができました。そのとき、南極に残された一五匹の犬のうち、タロとジロの二匹が生存しているのを発見しました。日本では有名になった話ですね。覚えておられるかたも多いでしょう。この話は、日本の国語の教科書に載ったほど、日本人にとっては感動的なことでした。
しかし、所変われば、物事の受け取り方は変わります。慶応大学の名誉教授・鈴木孝夫先生の本に、次のような話が載っています。
日本の南極観測隊の話を知ったイギリス人の間で、犬を南極の氷原に置いてくるとは、日本人とは何と残酷な民族か、という声があがったのです。そして、イギリスの犬をこんなひどい国に輸出するのは中止すべきだ、という日本非難の大合唱が起こりました。一時は、英国の国会でも取り上げられるほどの大騒ぎになったのです。
ところが、そののち一九七五年に今度はイギリスの調査隊が、南極で同じ状況に置かれてしまいました。気候の変動で、やむなく調査隊は南極の基地から引き上げなければならなくなったのです。そのとき彼らは、どうしたか。
なんと彼らは、一〇〇匹ものハスキー犬を殺したのです。その理由は何だったと思いますか。それのほうが「経済的だから」というのでした。基地を閉鎖する際に犬を輸送するのは、経費がかさむと言って、犬たちを薬物注射で殺したのです。調査隊のエリック・サモン氏はそのとき、
「犬を殺すのが一番経済的だ。犬を他の場所に移すことは経済的でない」
と語りました。日本人からみれば考えられない話と言っていいでしょう。やむを得ないそうした状況に置かれたとき、日本人ならば犬たちを殺さず、「何とか生きていてくれよ」と祈って南極に残していく。でもイギリス人は、殺してしまうという。
なぜ、そうなるのか。そこには欧米人と日本人の伝統の違いがあります。
イギリスに限らずヨーロッパ社会では、家畜などの動物は、人間の役に立つ間は大切にして、かわいがって面倒をみます。でも、ひとたび役に立たなくなれば、思い切って処分してしまう習慣があるのです。たとえばイギリスでは、競馬場で手塩にかけた大切な馬が足を折ると、すぐその場で撃ち殺してしまいます。
フランスでは、犬をペットに飼っている人が多くいます。フランスの犬はじつに行儀がいい。日本の犬とは比べものにならないほど行儀がいいです。まるで犬の種類が違うのかと思うほどです。日本人はそういう犬たちをみると、一体フランス人はどんなしつけを犬に施しているのか、と思います。じつはフランスでは、子犬が成長する過程で、人に決して迷惑をかけないよう、主人のいうことには絶対に従うようにしつけます。しかし、どうしても言うことをきかない、呑み込みの悪い犬は、どんどう淘汰してしまうのです。つまり殺してしまう。
だから、行儀のいい、言うことをきく犬だけが残っているという。そういうことを、フランス社会に詳しい松原秀一さんというかたが言っています。
動物さえも仲間、友
こういう社会では、なんでもかんでも人間中心に物事が進められるわけです。人間に役にたてばかわいがるが、役に立たなければ、さっさと殺してしまう。そこには、人間は特別な存在なのだ、という傲慢さがみられるようです。
もし私が犬だったら、日本人に飼われたいと思いますね。
日本人と欧米人では、生命の世界に対する感覚がずいぶん違うようです。欧米人の感覚では、人間と動物の間は断絶しています。大きな隔たりがある。鈴木孝夫先生は、これを「断絶型世界観」と呼んでいます。
一方、日本人の感覚の中では、人間と動物の間に大きな垣根はつくりません。人間と動物は連続している。鈴木先生はこれを「連続型世界観」と呼んでいます。
日本人の民族性の中では、動物たちも人間の仲間だ、友だという感覚さえあるのです。たとえば雪深い東北などには、馬と人が一つ屋根の下に家族として暮らす風習がありました。
かつてノアの時代の大洪水のとき、箱舟に乗ったノアたちは、一緒に箱舟に乗った動物たちを自分の家族のように思って生活したことでしょう。そういう感覚は、日本人にはよくわかるのです。
ノアと動物たちは箱舟の中で家族のように暮らした
またヨブ記に、
「すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、その御手のうちにある」(一二・一〇)
と記されています。同じはかない命を持っている者として、そして神の御手の中にあるということにおいて、動物たちも人間も同じです。だから人間は、動物に対しても共感の心を持ちます。さらに聖書の詩篇に、
「獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。……すべての国民よ。君主たちよ。……彼らに主の名をほめたたえさせよ」(詩篇一四八・一〇〜一三)
と書かれています。詩篇の作者は、動物にも、家畜にも、主をほめたたえることを呼びかけています。神をほめたたえることにおいては、人間も動物も仲間なんだという感覚です。生命の仲間意識ですね。
ユダヤ人は、そういう生命の仲間意識を持っていました。イエス様はあるとき言われました。
「もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです」(マタ一八・一二〜一三)
百匹のうちの一匹がいなくなったときに、「一匹くらいいいじゃないか」とは思わない。九九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに行く。そして見つければ、迷わなかった九九匹以上にその一匹を喜ぶでしょ、と言われています。
ユダヤ人は家畜を飼う上でも、一匹一匹を大切にする生命の仲間意識を持っていました。日本人にもそういう感覚がよくわかります。聖書には、来たるべき千年王国を表した予言の中に、
「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである」(イザ一一・六〜九)
と書かれています。それは人間も動物も一つの家族のように暮らす光景です。私たちは、そういう生命の仲間意識を大切にしたいものだと思います。
おかげさまで
昔、クジラを捕る捕鯨というものがよく行なわれました。でも今は、いろいろと制限されていますね。西欧の伝統的な捕鯨は、クジラから油だけを採って(ロウソク作りに使う)、あとはすべて平気で海に捨てていたものでした。ところが日本の捕鯨というのは、それとは全く違います。肉はもちろん食用にしますし、クジラのすべてを余すところなく役立てました。
その上、死んだクジラの霊を慰めるために、塚を立てて供養したのが日本人です。日本人はそういう心を持っている。
よく欧米の金持ちが、海に船を乗り出して、大型のカジキマグロを釣りに行きます。太いワイヤーの先につけた針にかかった魚と、長時間死力を尽くして格闘して、ついに引き上げます。そして大きさを測り、「どうだ!」というわけで、それをつり上げて記念写真を撮ります。しかし、そのあとは食べもせずに海に捨ててしまうのです。「無益な殺生」をする。単なるスポーツとして、動物を殺すのです。
しかし、こういうことには多くの日本人は反感を持つのではないでしょうか。
かつて北米大陸に、旅行鳩(passenger
pigeon)という鳩がたくさん住んでいました。しかし、それがやがて急速にいなくなりました。そして一九一四年にセントルイスの動物園で死んだ一羽を最後に、絶滅してしまいました。なぜそうなったのでしょうか。じつは、鳩の群れに向かって散弾銃を撃って、誰が一番多く打ち落とせるかというスポーツが流行したからです。そういう残酷で無意味としか思えない殺戮が、ゲームとなっていました。
今日、日本人の中にも、狩猟をする人がいます。しかし狩猟がスポーツや娯楽として日本に存在するようになったのは、明治時代以後、西欧文化の影響を受けたあとからなのです。それ以前は、娯楽やスポーツとして動物を殺すことは日本にありませんでした。
聖書をみると、昔、ユダヤ人が動物のいけにえを神殿で捧げていたことが出てきます。しかし、それらのいけにえは決して捨てられませんでした。神様に捧げたあと、必ず祭司たちが食べました。無駄にしてはいけなかったのです。
無益な殺生は禁じられていました。神に捧げられたものが食物だった。食物とは神のものなのだ、ということを彼らは食べるたびに思わされたのです。だから彼らは、無益な殺生はいけないということを、いつも思わされたのです。
今日、「もったいない」という日本語が、世界に広まり始めていますね。「MOTTAINAI」という言葉は、本当にすばらしい、その観念を広めたいと言って活動している外国人がいます。それだけ、もったいないことが世界で多く行なわれているということでもあります。二〇〇四年のノーベル平和賞を受けたケニアの副環境相ワンガリ・マータイさんが、日本語の「MOTTAINAI」を世界に広めようとしてしてくださっています。
「MOTTAINAI」を世界語にしようと頑張っ
てくれているワンガリ・マータイさん
同じように、私は「おかげさまで」という日本語もすばらしいと思います。日本人は何かにつけて、この言葉を言いますね。これは生命の連帯意識、仲間意識を表した言葉です。自分一人で生きているのではない。おかげさまで生きている。自分が生きるために、一体どれほど多くの命が、恵みや犠牲をくれているかしれません。そういう気持ちを、日本人は「おかげさまで」という言葉で表してきました。
ユダヤ人も、「おかげさま」ということを「恵み」という言葉で言い表してきました。生きていられるのは「恵み」のおかげである。おかげさま、恵みがあって初めて生きられる、という心です。ときどき、「恵み」という言葉はキリスト教用語でよくわからない、という方がいらっしゃいます。でも、もしわかりにくければ、「おかげさまで」という言葉に置き換えるといいでしょう。恵みにより、おかげさまで、私たちは生かされているのです。
公認された奴隷制のなかった日本
さて、次に人間のことをみてみましょう。
日本は、世界の中でも、非常に特別な歴史を持った国です。たとえば日本は、正式に認められた合法的な社会制度としての奴隷制を、長い歴史の中で一度も持ったことがありません。これは世界で、とても珍しいことです。日本にもかつて古代に、奴婢(ぬひ)と呼ばれる一種の奴隷がいることはいました。しかし、それは合法的なものではなかった。社会的に公認されないものでした。そして、いても人口の数%以下だったのです。
これは日本の歴史の中で、世界に向かって誇ってよいことです。他の国々に比べて、日本人は昔から、人間同士の間でも人をなるべく分け隔てしない、生命の仲間意識が非常に強かった国民であることがわかります。日本にも若干の差別はありましたよ。でも他の国から比べると、無きに等しいようなものだったのです。たとえばお隣りの韓国を見てみると、二〇世紀初頭まで、韓国(朝鮮)の人口の四三%が奴隷でした。日本がかつて日韓併合によってそこを統治したとき、日本は彼ら奴隷を解放しました。
朝鮮の奴隷。人口の43%が奴隷だった。
日本は彼らを解放し、平等の「国民」とした。
中国にも、非常に多くの人たちが奴隷になっていました。異民族などが奴隷とされ、売り買いされました。
西洋でもそうです。ギリシャでもローマでもたくさんの奴隷が使われていました。映画の「ベン・ハー」にも、ローマ帝国時代の奴隷虐待の様子が出てきますね。ラテン・アメリカでも、スペイン人が大量の黒人奴隷を使っていました。アメリカ合衆国でも、大々的にたくさんの黒人奴隷が使われていました。そして、ようやく一九世紀になって、リンカーン大統領のときに廃止しました。
つい最近まで奴隷を使っていた国、それがアメリカです。奴隷というのは、自分という人間と、他の人間を非常に厳しく区別する観念です。自分と奴隷の間は断絶している。奴隷となった人間は、家畜と同じ扱いを受けます。人間でありながら、家畜と同じ身分となってしまいます。役に立たない犬は殺され、足を折った競走馬は射殺されるのと同じように、奴隷は役に立たなければ容赦なく殺されました。そこでは、生命の仲間意識は踏みにじられています。人間と人間の間に、壁をつくっているのです。
しかし、日本では公認された制度としての奴隷制は一度もなかった。動物さえも仲間、友と考える日本人の間では、奴隷をつくるという発想はなじまなかったのです。
今日のアメリカには、奴隷制はありません。しかし近頃のアメリカには、ゲイテッド・コミュニティ(gated
community)というのが、たくさん出来ています。ゲイトとは門で、門のある町という意味です。これは高級住宅地ですが、周囲の全部が高い塀で囲まれています。その中に、大金持ちたちが集まって住んでいる。入り口には鉄の門があって、ピストルを持った守衛が人の出入りをチェックしています。
関係者以外は絶対一切入れません。一般社会から完全に遮断された、砦のような町です。つまり、自分たちと他の人々との間に完全に壁をつくってしまう。自分たちとは違う人間から身を守るために、自分たちを隔離してしまっているわけです。
フィリピンにもそういう町があります。高い塀で囲まれた、周囲の景色にそぐわない立派な住宅地がある。やはり、金持ちが集まって、武装した警備員に守られて住んでいるのです。フィリピンはアメリカ文化の影響が強いので、いち早くアメリカと同じものを採り入れたようです。欧米では、こういう発想は昔からあります。ヨーロッパの古代都市をみれば、すべて高い城壁で囲まれていますでしょ。ヨーロッパだけじゃありません。ユーラシア大陸の都市はみなそうです。
中国に南京という所があります。この都市は、高さ一八メートルもの城壁で取り囲まれています。一八メートルといったら、五階建てマンションくらいの高さです。そびえ立っている。下から見上げると、くらくらするほどの高さです。いや、中国全体が、万里の長城という城壁で取り囲まれていますね。自分を隔離しているのです。壁の中に住んでいる。ユーラシア大陸の都市では、住民がみなその城壁の内側に住んでいます。ところが、日本はどうかというと、奈良でも京都でも、壁をつくりませんね。
日本にも城はありますけれども、それは敵が攻めてきたとき武士だけが立てこもるためのもので、住民はいつもその外側に住んでいました。だから日本人は昔から、壁の中に住むということに違和感を感じるのです。
いや、人間同士の間に壁をつくる、ということに違和感を感じます。
一緒に食事
さて、聖書の中に、
「その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた」(黙示七・九)
と書かれています。これは、世の終わりに救われる人々のことを述べたところです。
イエス様の福音を信じて救われる人々は、一体どの民族にいるのか。どのような人たちなのか。ユダヤ人だけでしょうか。それともギリシャ人、アメリカ人? 白人の国々だけでしょうか。それとも、あの高い塀に囲まれた高級住宅街に住む人たちでしょうか。
いいえ、そうではありません。聖書は、
「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから」
救われる人々が起こされる、と言っています。神の救いに関し、民族の間に垣根はないというのです。高い塀で区別されてはいない。すべての民族の中から、またあらゆる階層から、救われる人々が起こされます! 彼らはみな「白い衣」を着ています。ある人は豪華な服を着て、ある人はみすぼらしい服というのではない。みな同じ白い服を着ています。そしてみな同じしゅろの枝を手にもって、神を礼拝します。そこには民族の違いも、階級の違いもないのです。
金持ちと貧乏人の区別もありません。一九三〇年代の中国・上海に、ラルフ・タウンゼントというアメリカ人の副領事がいました。彼が本を書いているのですが、アメリカは当時、中国に莫大なお金を援助していました。中国の貧しい人というのは、日本人が想像だにできないほど貧しいです。アメリカ人は当時、彼らに援助の手を差し伸べていました。ところが、その貧しい人たちのまわりをみれば、中国人の金持ちたちがたくさんいるのです。
しかし中国人の金持ちは何もしない。まったくの知らん顔をしていると書いています。自分と違う人間との間に大きな垣根をつくってしまっている。こうしたことが世界の多くの国々の実情です。
今日アメリカに行きますと、自動車工場のレストランは、マネージャー用とワーカー用に分かれています。一種の階級社会があるわけです。しかし日本では、たとえばトヨタの社長は、ときどき自分も作業服を着て、社内のレストランに行って、作業をしている人たちと一緒に食事をするそうです。ソニーの盛田昭夫さんもそうでした。日本企業の良さがそこにあると思います。日本の企業にも生命の仲間意識が根づいています。
しかしアメリカの大会社の工場で、もし社長がそんなことをしたら、世の中がひっくり返るような大事件です。アメリカ人にとって、経営者は言葉もかけられないほど雲の上の人です。そこには大きな垣根があります。
インドに行きますと、カースト制というのがあります。厳しい階級差別が今も生きている。カルカッタの道を歩いても、貧しい人はものすごく貧しく生きていて、そのすぐ隣りで、金持ちはものすごい金持ちとして生きています。しかしお互い、まったく知らん顔です。違う階層の人とは接点も交流もありません。そういう国では、違う階層の人が一緒に食事するなんて、全くあり得ないことです。ところがこの間、とてもいいことを聞きました。インドのニューデリーに、日本のスズキ自動車の工場があるのですが、その工場でスズキの人が、
「ここの食堂では、カーストに関係なく、みんな一緒に食べるのです。最初は苦労の連続でしたが、今はそれが実現できました」
と自慢げに語っていました。すばらしいと思います。日本は単にモノを輸出するのでない。人を分け隔てしないという日本文化も輸出し始めたのだと思うと、うれしくなります。これは世界に誇る文化なのです。もっともっと輸出してほしい。
イエス様は言われました。やがてご自身の再臨のときには、
「たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます」(マタ八・一一)
と。神の救いの食卓には、東洋からも西洋からもたくさんの人が集まります。彼らは喜びながら、一緒に神の国の食事を味わう。カーストにも関係なく、金持ち、貧乏人の違いもなく、様々な階層、様々な民族から多くの人が神の救いの食卓につくのです。
聖書はそういう意味で、人間と人間の間に垣根をつくりません。イエス様ご自身が一緒に食卓にすわって皆と共に食事をし、誰に対してでも気軽に声をかけてくださるのです。
すべての人間は、アダムの子孫です。どんな民族も、どんな階層の人も、同じ救いにあずかる価値があります。あらゆる民族、あらゆる人間は本来、仲間なのです。すべての人間は本来、生命の仲間意識で結ばれているのです。
日本人は、本当はこの意味が最もよく理解できる人々なのです。なぜなら日本人の間では、人種差別ということが、他の国に比べるなら非常に少なかったからです。
かつて世界中でユダヤ人が迫害されて逃げ場を失っていたとき、日本の杉原千畝さんや、樋口季一郎さんたちは、合計何万人ものユダヤ人を助けました。彼らの心にあったのは、民族差別をしない、という信念でした。「四海同胞」、世界は本来みな同胞、仲間だという意識です。
人類の平等を
二〇世紀において、日本人が心から夢見たこと、それは何だったでしょうか。それは人種差別のない世界でした。
今から九〇年近く前、第一次世界大戦が終わった翌年の一九一九年、フランスのパリで国際会議が開かれました。パリ講和会議です。第一次世界大戦の戦後処理と、国際連盟の結成が話し合われた会議です。そこに日本は、牧野全権大使をはじめとする日本代表団を送り込みました。牧野大使は、外務省をやめるときには昭和天皇が涙を流したというほど、天皇から篤い信頼を受けた人でした。牧野大使はこの国際会議で、一つの大きな提案を用意していました。それは人種差別を世界から撤廃しようという法案でした。牧野大使は口を開き、大胆に、欧米人の代表らを前に訴えました。
「真の世界平和を達成するためには、世界から人種差別を葬り去らねばなりません。国際連盟の盟約の中に、人種平等の原則を入れることを提案します!」
牧野伸顕大使は、世界で初めて、
国際会議の場で人種平等を主張した
しかし会議は紛糾し、何日にもわたりました。
ある日、牧野大使がホテルから出かけようとすると、黒人が立っていました。アフリカのリベリアの人でしたが、牧野大使に近づき、話しかけてきました。彼は言いました。
「会議では、人種問題で非常に御奮闘下さって、ありがとうございます。私たちアフリカの黒人は、白人のもとで大変苦しめられております。ぜひしっかりやって下さって、なんとしてでも人種の平等を成立させてください。我々は心から応援します」
「わかりました。日本としても全力を尽くすつもりです」
そののち、しばらくすると、今度はアイルランドの人が牧野大使を呼び止め、話があるといいます。それは婦人で、
「私の国は、昔からイギリスにひどい目に遭っています。どうか我々の苦しい境遇をお察しくださり、演説をお願いします。日本が、人種差別撤廃法案を会議に出してくれたことを本当に感謝しています。どうか頑張ってください」
といった話でした。
「わかりました。我々を応援してください」
このように、世界で初めて国際政治の舞台で人種の平等の確立を訴えた国は、日本でした。日本は、人種差別がある限り世界に平和は来ない、ということを知っていたのです。
この人種差別撤廃法案は、世界平和を打ち立てるというパリ講和会議の趣旨とも合致する提案のはずでした。牧野大使の法案には、アメリカの黒人協会も大喜びして、
「全米の黒人は日本国に最大の敬意を払う」
と賞賛しました。さらにはアフリカ、アジアの指導者たちも喝采を送りました。
紛糾する会議上で、牧野大使は、
「この法案は日本国民の揺るぎない総意である。そして、世界の真の平和と平等を願う人々すべての揺るぎない総意である」
と主張しました。法案には、イタリアやフランスも賛成にまわってくれました。しかし、イギリスはそうではなかった。植民地の利権を手放したくないイギリスは、大反対に回ったのです。また白人の国づくり、「白豪主義」をとるオーストラリアも反対にまわりました。
やがて採決が行なわれました。賛成一一、反対五。
人種差別撤廃法案は圧倒的多数で支持され、通過したと思いました。ところがその矢先、議長のアメリカ大統領トーマス・ウィルソンが声をあげたのです。
「全会一致を見なかったので、法案は不採決とします!」
なんということか。牧野大使はすぐさま立って、
「これまではみな多数決で決めてきたではないか。全会一致でないといけないとは、一体どういうわけだ!」
と詰め寄りました。こんな詭弁で、せっかくの法案を葬り去られてはたまりません。しかし大国アメリカの意見が押し通されました。当時、欧米諸国の多くは人種差別をすることで成り立っていたのです。こうして、日本が提案した人種平等案は葬り去られてしまいました。
民族の協和
このように、第二次世界大戦以前の世界は、人種差別の時代でした。民族は差別されていました。あらゆる民族を同等に扱う聖書的な思想は、当時の世界に根づいていなかったのです。
しかし日本は、その人種差別に対し、敢然と戦いをいどみました。
今日、アジアをみれば、日本以外に、韓国や台湾が経済的に大きく発展していますね。これらはいずれも、かつて日本が統治していたところです。日本は韓国や台湾に莫大なお金を投資して、そこを開発しました。それでそれらの国は今、大きく発展しています。
当時の日本人は、韓国の人や台湾の人は本来仲間なのだ、と思っていました。だから自分の国と同じく、援助を惜しまなかったのです。韓国や台湾を、日本と同じレベルにまで引き上げようとした。学校をつくり、道路や港、空港をつくり、病院をつくり、ダムをつくり、法律を整備しました。国家の基礎をつくっていったのです。それで、それらの国々は日本統治でなくなった今も大きく発展しています。
中国も発展しています。でも、それは中国自身の力ではありませんでした。中国は、かつて日本が統治していた満州をもらい受けました。もらったというより、本当は奪ったと言ったほうがいいのですけれども、ともかく、発展していた満州を自分の領土にした。そして中国は戦後、その満州の富で食いつなぎました。また満州の富を基盤に、中国は発展していきました。左翼の人たちは、満州で日本人は満州人たちを酷使したとかいいます。しかしそれは間違いです。たとえば、満州で働いていた細川栄一さんは、当時のことをこう回想しています。
満州国の繁華街。「満州は本当にいい国だった」
「満州は本当にいい国だった。『自由王国』、お互いの生活には干渉しなかった。……建国のスローガン『五族協和』は決して悪いことではなかった。まじめな日本人たちは忠実にそれを守った」
また同じく満州で働いていた安達為也さんは、こう言っています。
「日本の官僚と違い、満州国の官僚はヒューマニズムを持っていた。民族協和という理想があり、自治国家をつくるという思いがあった。みんな自分を犠牲にして働いた」
もちろん、当時はまだいろいろひずみはありましたし、戦争中のひっ迫した経済状況もありました。それでも、そこで働いている日本人たちの多くは、「民族協和」という理想を高くかかげて働いていたのです。
一方、アジアにおいて、たとえばフィリピンは貧しいままです。なぜでしょうか。かつてそこを統治したアメリカは、フィリピンを利用しただけで、そこを開発したり発展させたりしなかったからです。あるフィリピン人は、
「アメリカでなくて、日本に統治されたらよかったのに」
と言いました。インドネシアも貧しいままです。それは、そこを統治したオランダが、インドネシア人から搾取するだけで、そこを発展させなかったからです。彼らは愚民政策をとった。民に教育を与えず、愚かなままにして、利用するだけ利用したのです。
他のアジアの国々もそうでした。かつて欧米の植民地だった国はすべて、略奪されたり、搾取されたり、利用されただけで、なかなか発展の基礎を築けませんでした。
アジアの国々は、白人の召使い、奴隷のようになっていた。私ははじめ、欧米人や日本人が動物をどうみるか、ということをお話ししました。また奴隷をどうみるか、ということもお話ししました。そして戦争前の世界は人種差別の時代だった、ということをお話ししました。
これらすべてはつながっているのです。世界に巣くった人種差別の根底に、そういう観念があります。日本が戦ったのは、そういう人種差別に対してでした。
生命の仲間意識に目覚める
かつてヨーロッパの人たちは、大きな船をつくって、アジアやアフリカに乗り出していきました。彼ら白人はそこで、はじめて黒人や、黄色人種をみました。そのとき彼らは、
「これは人間なのか、それとも動物なのか」
と思ったそうです。そして彼らが結局出した結論は、この黒い生き物や黄色い生き物は、完全な人間ではない、動物と人間の中間だ、ということでした。そして自分たちと、彼ら有色人種との間に大きな垣根をつくりました。彼らは有色人種を、ときには奴隷のように、ときには家畜のように扱いました。動物に対する見方と同じです。また、高い塀で囲まれたあの高級住宅街と同じ考え方です。
彼らにとっては、自分たちの民族と、他の民族は全く違ったのです。決して仲間とはなり得なかった。他の民族は、自分たちより下等な、程度の低い者にすぎませんでした。
かつてフランスで、フランス革命が起こったとき、「自由・平等・博愛」ということがスローガンになりました。またアメリカが独立したとき、その独立宣言の中に、「すべての人間は平等であり」と記されました。日本で、明治時代の人々は、そうしたことを本で読みました。そして思った。なんと素晴らしいことだろう、人間はみな本来、自由で、平等なのだと欧米で言われている、欧米はなんと進んでいるのだろうと、思いました。
ところが、明治・大正・昭和の時代にかけて、欧米の人々が実際にアジアの国々でやって来たことを見たとき、日本人は愕然としました。欧米の人は、アジアの国々を植民地とし、略奪し、搾取し、あるいは利用するだけで、有色人種をしいたげていました。そのとき日本人は初めて気づいたのです。欧米のいう「すべての人間は平等」の「人間」とは、単に白人のことであって、有色人種は含まれていない、ということでした。
しかし聖書は言っているのです。「あらゆる民族の中から」救われる人々が起こされます。民族の間に、人種の間に、聖書は一切の差別を設けていないのです。垣根をつくっていない。
日本人はこの意味を本当に理解できる人々です。ましてや日本人クリスチャンたちは、よく理解しなければいけません。多くの人は、これに気づいていません。しかし私はこれを思うたびに、ああ神様はこの日本に何というすばらしい恵みを下さったのだろう、と思います。神様はこの日本に、計り知れないほどの恵みをくださった。
おかげさまで、神様のおかげで、日本はここまでやって来れた。みなさんは、そういう神様の恵みの真っ直中にいるのです。
日本はかつて戦争をしました。戦争には負けましたけれども、アジアの地図を塗り替えました。戦争前に、アジアのほとんどは欧米の植民地となっていました。しかし戦争を通して日本は、その欧米諸国を元の古巣へ追いやりました。
日本は、アジア諸国の多くを独立させたのです。こうして戦争前の地図と、戦争後の地図はまったく違ったものとなりました。アジアはもはや欧米諸国の召使いではなくなったのです。アジアも欧米も、対等に話ができる時代がやって来ました。
その意味で、P・F・ドラッカーなどの思想家は、あの戦争で本当に勝ったのは日本だ、といった意味のことを言っています。
悪いのは私たち白人です
一九九一年に、日本の傷痍軍人代表団が、オランダを訪問しました。オランダというのは、かつて日本が戦った旧敵国です。そのときアムステルダム市長が、こんな歓迎の挨拶をしました。
「あなたがた日本は、先の大戦で負けて勝ち、勝った私どもオランダは大敗しました。いま日本は世界一、二位を争う経済大国になりました。私たちオランダはそのあいだ屈辱の連続、すなわち勝ったはずなのに、世界一の貧乏国となりました。
オランダは戦前にアジアで大きな植民地がありました。石油などの資源で、本国は栄華をきわめていました。しかし今は、日本の九州と同じ広さの本国だけになりました。あなたがた日本は、『アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族にたいへん迷惑をかけた』と自分をさげすみ、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。あなたがたこそ、自ら血を流して東亜(東アジア)の民族を解放し、救い出す人類最高の良いことをしたのです。
あなたの国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、先の大戦の目先のことのみ取り上げ、あるいは洗脳されて悪いことをしたと自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は私ども白人が悪いのです。私どもが百年も二百年も前から競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土となし、植民地や属領にしました。これに対して日本は、長い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、ともに繁栄しようと、遠大崇高な理想をかかげて大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。
すなわち日本は、戦勝国のすべてを東亜から追放してしまった。その結果アジア諸民族はすべて独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあながたがたこそ最高の功労者です。自分をさげすむことをやめて、堂々と胸をはって、その誇りを取り戻すべきであります」。
このアムステルダム市長は、「本当は私ども白人が悪いのです」と告白しました。その謙虚な姿勢と、高い見識に、私は心から敬意を表したいと思います。こうした声が、かつて戦争で戦った旧敵国の人々から聞こえてくるのです。悪いのは、アジアの諸民族を隷属させようとした白人たちだったのだと。
まわりがみなそう思っているのに、日本人だけが自虐史観をもって、ペコペコ謝っているのは大きな間違いです。私たちは目覚めなければなりません。あの戦争はたとえ無謀な戦争であったとしても、世界の歴史を変えたのです。
アジアの諸民族をすべて独立させ、「人類の平等」を確立しました。この意義を忘れては、先の戦争の意味はわかりません。軍部の暴走だとかいうことも、国内問題にすぎません。もっと大きな世界史的観点からみないと、本当の意義はみえてこないのです。
日本人が心から夢見たこと、それは人類の平等、また民族の協和でした。
「その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた」
やがて、あらゆる民族から救われた人々が、神とキリストの前に立つようになるのです。
そこには白人や有色人種の区別はありません。アメリカ人、オランダ人、イギリス人、日本人の間に差別はありません。金持ちや貧乏人の区別もありません。身分の違いもありません。みな同じ白い衣を着、みな同じしゅろの枝をもって、神を礼拝するのです。彼らはみな、声を合わせて言います。
「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊(キリスト)にある」
彼らはもはや、「飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです」。
その日、東洋からも西洋からも大勢の人たちが、神の救いの食卓で一緒に食事をします。なごやかに、誰もがうれしそうに、共に同じごちそうを食べます。生命の仲間意識に喜びながら。
あなたも、その救いの食卓に招かれているのです。
久保有政著
日本の戦争に関する真実な歴史はこちら
|