メッセージ(日本)

ごめんなさいの心 
それはアジアから来たのではなく、
神道と古代東方キリスト教から来た


親鸞。彼は「罪」ということを非常に深く意識した人だった。
日本仏教は、景教(ネストリウス派キリスト教)の影響を大きく受けている。


[聖書テキスト]

 『わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください』。
 もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう」(マタイの福音書六章一二〜一五節)


[メッセージ]

 今日はこの箇所から、「ごめんなさいの心」と題して御一緒に恵みを受けたいと思います。
 日本人はよく「謝(あやま)る人」と言われます。謝りすぎの場合さえ、よくありますね。「ごめんなさい」「すみません」という言葉を、日本人は普段から本当によく使う。日本人が持っているこの「ごめんなさい」「すいません」の文化は一体どこから来たのか、と私はよく思います。
 欧米人も、謝る時は謝ります。数年前に、ハワイ沖でアメリカの潜水艦が急速浮上訓練のさなか、日本の民間の船に激突。たくさんの死傷者を出した事故がありました。そののち、アメリカ人艦長が日本に来て、遺族に頭を下げて謝罪しました。
 また最近では、三菱自動車が相次ぐ不祥事を起こしました。車の欠陥が原因で大事故が起き、死者が出た。三菱自動車の社長は欧州の人です。彼は遺族のところに出向き、頭を下げて謝罪しました。そのように、欧米にも謝罪の文化はあります。
 私は最近まで、謝るというのは世界共通の文化であると思っていました。ところが、色々な人の話を聞いてみますと、どうもそうではないようですね。特にアジアではそうではありません。

あるタイの日系企業で

 先日、タイに住んでいる日本人の方から、こういうことを聞きました。タイは世界一の仏教国です。微笑みの国と言われ、「ありがとう」という言葉がよく聞かれる社会です。ところが、「すいません」とか「ごめんなさい」という言葉はほとんど聞かれないという。明らかに自分の非であることが分かってしまったような場合でも、まず謝らないそうです。あるとき、日系企業の日本人上司が、タイ人の従業員のミスを指摘しました。ふつう日本人の従業員なら、
 「すみません。以後気をつけます」
 と言うところでしょう。でも、タイ人はそう言わない。明らかに自分の怠慢が原因であると分かってしまっても、決して謝りません。
 「なぜ謝らないのか。謝りさえすればいいんだよ」
 と日本人上司は問いつめたそうです。それでもタイ人は謝らない。なぜかというと、タイの企業では、謝るとクビになるそうです。自分の非を認めると無能な人間と見られるからだという。結局、そのタイ人がいつまでも謝らないので、最後に根負けして、
 「いろいろ言ってごめんね」
 と、結局、気づいてみたら日本人のほうが謝っていたという(笑い)。これは文化の違いなんですね。また、モンゴルに住んでいたかたからも、こんなことを聞きました。
 モンゴル人はたいてい純朴で、善良な人が多いです。しかし、習慣の違いからか、こんなことがあります。ふつう日本人なら、電車の中で肩がぶつかり合えば、「すみません」と言うでしょう。でもモンゴル人は、ぶつかり合っても、「うっ」と、にらみ合うだけで終わってしまうそうです。これは、いい悪いというより、単なる文化の違いと思いますが、いずれにしても所変われば習慣も変わります。

日本を侵略した韓国

 韓国ではどうでしょうか。韓国のかたも、個人的につきあうと、とても親しみやすく、いいかたが多いです。私の友人もみなそうです。ところが、国全体になると、とたんに反日的になるのは一体どういうわけでしょうか。
 これは韓国で行われている偏った教育によるものです。日本キリスト教団高砂教会(兵庫県)の手束正昭先生が、教会の月報『新しい皮袋』に、こんな文章を書いていらっしゃいます。

 「昨年の五月、高元龍牧師の案内により、妻と私は五人の教会員と共にアメリカ東海岸視察伝道旅行をした。その時に、在米韓国人の若い旅行者の社長(クリスチャン)が私達の世話をしてくれた。旅行日程が進み、段々親しさが増していったある時、彼は次のように私に向かって非難の言葉を浴びせてきた。
 『我々韓国人は日本を一度も侵略したことがないのに、何故日本は何度も我々の国を侵略し、酷い目に会わせたのか』
 と。そこで私は反論した。
 『あなたの言っていることは真実ではない。中国が「元」と言っていた時代、高麗(朝鮮)は「元」と共に日本に侵略してきた。しかし日本のサムライ達の必死の防戦と、折からの台風の襲来によって撃退された。その際、高麗は壱岐・対馬の住民を全員虐殺したのだ。ウソだと思うならば、ソウルにある「戦争記念館」を訪れてみなさい。そこには、韓国も二度にわたり日本を侵略したことがあると明記されていますよ』。


壱岐の千人塚。壱岐・対馬にこうしたものが点在
し、高麗軍による住民虐殺を今に伝えている。

 この思いがけない私の反論に、若き旅行社の社長は当惑し、押し黙ってしまった。韓国の若い人々の多くは、韓国は昔から一貫して平和主義の国だと信じている。しかし歴史を公正に見ていくならば、韓国も周辺諸国と同じように国内外の戦争を続けてきたのである。にもかかわらず、何故韓国の若い人達はそういう思い込みでいるのであろうか。それは、中学の国定教科書に於いて、次のように教えられているからである。
 『長い歴史の間に、わが民族は周辺民族の侵略により多くの困難を経てきた。それでもわが民族は周辺の他民族に不当な戦争を挑発したり、彼らを収奪したり、苦痛を強要したりしたことはない。すなわち、わが民族は、平和追求の国際関係を、平和愛護の伝統を維持してきた。これは卑屈であるからでもないし、国力が弱いからでもない。根本的に平和を愛する民族だからである』。
 しかし、この記述は明白に歴史の歪曲である。それは『元寇』一つを取り上げてみても明らかであろう。ハングル文字の創案者世宗の命によって、一四五一年に上梓された韓国人自身の手になる『高麗史』によれば、『元寇』の発端は高麗の忠烈王が元の世視(フビライ)にしきりに働きかけ、執拗に東征を勧めたことによって起こった。それ故に、元軍以上に高麗軍は、日本人に対して戦闘的であり残虐であった。

 こう手束先生は書いていらっしゃいます。かつて朝鮮半島の人々は、約一万人の大軍勢を編成して日本を侵略してきたのです。そして壱岐や対馬の住民を虐殺しました。韓国はそれについて今まで一度も謝ったことはありません。国民の多くも、その事実さえ知らないわけです。

韓国の教会の不祥事

 また数年前のことですが、韓国のソウルのある教会で不祥事が起きました。この不祥事は日本のテレビでも放映され、キリスト教のイメージがまたダウンしてしまいました。その枝教会が長野県にあります。そこでは日本人の牧師と、韓国人の牧師が共同牧会しています。私はその日本人の牧師を良く存知あげて、尊敬しています。不祥事が起きた際、日本人の牧師は韓国人の牧師に、こう言ったそうです。
 「素直に謝ればいいんだ」
 ところが韓国人の牧師は、いや、謝れないという。「どうして?」と問いつめると、
 「韓国人は親にしか謝りません」
 との返答だったそうです。このとき日本人の牧師は、口にはしませんが、「やれやれ、これだからなあ」という感じでしたね。こうして見てみると、日本人に昔からある「謝る文化」「ごめんなさいの文化」は、「捨てたものではないな」と思うのです。自分の非に対して謝ることは、とても大切なことだと思います。
 また日本人においては、相手の非に対しても、「水に流す」という文化があります。
 水に流して赦し、忘れてしまう。じつは、この「水に流す」という文化は、世界を見渡してみても、なかなかないものですよ。日本人は、恨みを後世に伝えていくということを、しなかったのです。壱岐と対馬の住民が虐殺されたことを、みなさんの多くはきっと初めて聞いたのではありませんか。どうしてでしょう。日本人は水に流してしまったからです。この「水に流す」という文化があったからこそ、日本は繁栄できたのです。

中国の反日デモの背景

 最近、中国の人々が上海で反日デモを起こして、暴徒化した事件が起きました。日本の領事館やレストランが襲われた。その際、彼らは「愛国無罪」と口々に叫んでいましたね。国を愛していれば、罪にならないと。そう言って暴力をふるいながら、誰にも謝らない。そして政府当局も放任していました。
 この反日デモに参加したのは、おもに二〇代や三〇代の人たちです。彼らは江沢民国家主席の時代に熱烈な愛国教育を受けた人たちです。ただし愛国教育といっても、中身は反日教育です。彼らは修学旅行でどこへ行くと思いますか。私たちだと、修学旅行でたいてい奈良や京都へ行きますね。
 しかし、中国では彼らは南京大虐殺記念館に行かされるのです。南京大虐殺記念館に行くと、建物の壁に大きく300000という数字が書かれています。この三〇万という数字は、日本軍が南京で虐殺した住民の数だという。こうして彼らは、そこに行かされるたびに、日本人は残虐な人間であると、教え込まれているのです。


中国の南京大虐殺記念館には、日本軍が殺したという
「30万人」という住民の数字が刻印されているが、これ
は中国共産党のデッチアゲだった。

 もちろん、日本軍が南京を占領したのは事実です。また戦争ですから、敵兵の死体の山が出来たのも事実です。また日本軍が、民間人に化けた敵兵(便衣兵といい、国際法違反)を処刑したことはありました。しかし、三〇万の住民虐殺はウソなのです。
 なぜなら、占領される直前の南京の人口は二〇万人しかいませんでした。当時南京に住んでいた外国の特派員が記した文書にそう記されています。二〇万人しかいないところで、どうやって三〇万人を殺せますか。また、占領された一ヶ月後に、南京の人口は二五万人に増えています。それは戦闘を避けて避難していた住民が再び戻ってきたからです。虐殺のあったところに住民が戻ってきますか。
 つまり、問題は数字にこそあります。昔から中国では、政権が代わるたびに都の住民は虐殺されてきた歴史があります。住民虐殺は中国の文化です。日本の文化ではありません
 日本軍が南京に入った際、司令官・松井大将は、一般市民を殺してはならないと厳しく命じていました。日本軍においては規律がしっかりしていたので、一般市民に対するそのようなことはあり得なかったのです。
 では、なぜ三〇万人住民虐殺などという話が出てきたのでしょうか。中国では今も一党独裁が続いています。これまで中国共産党は、中国の同国人やチベット人、さらに新疆ウイグル地区などで、虐殺を行なってきました。文化大革命や躍進の名のもとに、多くの反政府勢力を殺してきたのです。チベット人や新疆ウイグル地区の人たちに対しても、一〇〇万人単位で虐殺を行なってきた。これに同国人を殺した人数を合わせると、約二〇〇〇万人にのぼると言われています。
 ナチス・ドイツによって殺されたユダヤ人六〇〇万人という数字を、はるかに上回るのです。しかし、それに対する不満が中国国内で起きたり、また世界各国から冷たい目で見られたら困るので、目をそらすために考え出されたのが、日本による南京大虐殺という話でした。
 中国共産党はこのように、多くの同国人やチベット人、ウイグル人を殺してきましたが、謝罪したことは一度もありません。このようにアジアを見てみると、残念なことに「謝る文化」というのは、なかなか見ることができないのです。


日本軍による南京占領5日目の写真(朝日新聞)
(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手
製の日の丸の腕章をして笑っている。
 「南京大虐殺」がなかったことを如実に示す証拠写真である。

 (「南京大虐殺」のウソについての詳細は「日中戦争の真実」を参照)

ごめんなさいの文化はどこから来たか

 日本に「ごめんなさいの文化」があるというのは、アジアにおいては非常に特殊な現象です。これは非常に尊いものであると私は思います。
 では、この日本の「謝る文化」「ごめんなさいの文化」は、一体どこから来たのでしょうか。
 今までお話してきたように、それは中国から来たものではありません。また、韓国から来たものでもありません。また仏教から来たものでもありません。世界一の仏教国であるタイには、謝る文化はありません。
 謝る文化というのは、二つのところから来ました。一つは、日本古来の神道です。先日、「聖書と日本フォーラム」があった時にお会いした方で、川上姉という方がいます。この方は、神道の神官の家に育った方です。お父さんは神官ですので、毎日神棚の前に座って祝詞(お祈り)をあげていました。その祝詞を彼女も子ども心に覚えて、今も空で言えるそうです。
 どういう祝詞であったか聞いてみますと、その内容は詩篇五一篇にそっくりだった、と言うのです。詩篇五一篇は、ダビデが大きな罪を犯した後に悔改めを言った有名な詩篇です。神様に「ごめんなさい」を言った祈りの詩篇。こういうことからも、神道というのは古代ユダヤ教からきたということを本当に思います、と彼女は言っていました。
 神道の祈りは、天の神様に感謝し、天の神様の素晴らしさを讃美することから始まります。そして自分の罪を具体的に告白し、神様からの赦しを求める。また神様に赦していただいたことを感謝して生きます、ということを祈ります。これはユダヤ教の祈り、キリスト教の祈りにきわめて似ていますね。
 以前私は、『祝詞マニュアル』という本を見たことがあります。その中で、神道の祈りというのは非常にかしこまった昔の言葉で祈るものの、感謝したり、罪を告白したり、謝罪したり、悔い改めたりする。また、人のためにとりなしの祈りをし、自分の願いを具体的に述べたりします。単に「イエス様」が出てこないだけで、キリスト教の祈りとほとんど同じではないか、と思いました。

キリスト教とごめんなさいの文化

 つぎに、日本の謝る文化・ごめんなさいの文化のもう一つの起源は、キリスト教です
 キリスト教と言っても、西洋のキリスト教ではなく、東洋に伝わったキリスト教、つまり東方キリスト教です。景教、すなわちネストリウス派キリスト教です。これは日本には、一番早いところでは西暦六〇〇年頃、聖徳太子の時代に入って来ました。
 また、西暦七〇〇年頃、つまり今から一三〇〇年ほど前にも日本に景教徒が来たことが、古文書に書いてあります。その時日本には、天皇の后で光明皇后というかたがいました。光明皇后はとても心の優しい人で、ナイチンゲールやマザーテレサのような人でした。しかし光明皇后のお父さんや、おじいさんは(藤原氏)、かなり悪いことをした人たちです。
 彼女は、その悪行に心を傷めていました。そんな時に彼女はペルシャから来た景教徒たちに会ったのです。彼らは日本に来て、早いうちに天皇家から位を授けられるなどして、天皇家と親しくしていました。


悔過会(東大寺)。悔改めの行事であり、
景教(ネストリウス派キリスト教)の影響から来ている。

 以来、光明皇后は悔改めということを日本に広めていくようになります。当時は悔改めという言葉ではなくて、「悔過(けか)という言葉を使いました。過ちを悔いるという言葉ですが、悔改めのことです。メシヤの前に悔改めをする・悔過をするということを、広めていった。どのように広めたかというと、毎年、「悔過会」(けかえ)というものを奈良で開いたのです。
 悔過会とは、自分の家族や先祖の悪い行ないを悔い、赦しを乞うというものでした。光明皇后は奈良に住んでいました。現在でも、奈良の東大寺では、三月に「お水取り」という行事があります。大きなたいまつを持った人が、お堂の中を駆けめぐります。この行事は夜行われて、非常に雄壮な光の祭りとなりますね。
 また夜中に、井戸から水を汲み上げる儀式をします。そしてお坊さんが異国情緒たっぷりの踊りを披露する。この儀式は二週間にわたって行なわれます。ところがこの儀式の中心は、たいまつでもなければ、井戸から水を上げることでもありません。またお坊さんの踊りでもありません。
 祭の中心は「悔過」なのです。お坊さんたちが、自分の罪過ちを悔い、また、寺に関わりのある人たちや国民にもかわって、罪を悔いるのです。これは、光明皇后が始めた悔過会の流れをくんだもので、現在も毎年行なわれています。多くの人は、この行事は仏教の寺で行われているものだから、仏教のものと思っていることでしょう。
 しかし、先ほども述べたように、世界一の仏教国であるタイには、謝罪とか悔改めの文化はありません。仏教の教え自体を見ても、悔改めというものはありません。また、中国の仏教を見ても、性善説的な考えで、罪とか懺悔とか悔改めとかは言いません。では、なぜ日本の仏教に、罪意識や悔改めというものがあるのでしょうか。
 親鸞や法然は、罪というものを非常に意識した人です。光明皇后がいた奈良の法華寺の門柱には、「滅罪寺」と書いてあります。罪の意識や、悔い改めの観念は、光明皇后が景教徒たちとの深い交わりの中で刺激を受け、彼女の信仰によって日本に広めていったものなのです。
 主の祈りの中に、
 「天にまします我らの父よ、我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」
 とあります。まさにここに、ごめんなさいの文化の基礎があるのです。これは国においても、一個人の人生においても、大切なことです。

四つの平和

 自分の非・罪・過ちについては謝り、また他人の非・罪・過ちについては赦す。また、水に流す。水に流すとは、復讐はしません、あとはすべて神様におまかせします、ということなのです。私たちは平和を求めています。そのなかで、赦す、謝るということは、本当に大切なことですね。謝る必要のないものまでは謝りません。しかし、謝る必要のあるものについては謝る。また、水に流すということが大切です。
 平和には、四つのものがあります。
 第一に、国と国との間の平和。とくにアジアについて考えてみますと、いまやアジアにこそ、イエス様の教えが広まる必要があります。制度的なキリスト教が広まるということではありません。イエス様のご自身の教え、イエス様が説かれた赦しと謝罪の精神が広まらないといけません。
 第二の平和は、隣人との平和です。神様との関係の中で、隣人との平和を求めていく精神こそが、平和の基礎です。一四節を見てみますと、
 「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません」
 とイエス様が言われています。ですから、私たちは単に自分の罪を赦して欲しいと神様に願うのではなくて、さらに他人の罪を赦す心を持たなければなりません。そのときに本当に赦される。神様と同じような赦しの心、愛の心を持っていくときに、神様も喜んで私たちをを赦して下さるということです。
 私たちはとかく、いさかいがあったとき、人のせいにしてしまう弱い人間です。でも、この精神を持つ時に、本当に平和が訪れる。そして神様から祝福される。相手の人に対しても、良き導きを与えて下さるということを、信ずることが出来るのです。
 第三は神様との平和です。神様の前に悔過をする時に、神様の眼差しは優しいもの、暖かい愛に満ちたものに変わっていきます。これこそが人生の基礎です。
 第四は、自分の心の中の平和です。時に私たちは、辛いことがあったりすると心が分裂してしまい、落ち着かなくなり、平安がなくなってしまうことが多いですね。しかし、神様との関係が愛や命に満ちたものに変わっていくと、心の中に平和・平安が訪れます。神様との平和が根底にあってはじめて、自分の心の中に平和がやってくるのです。
 もし、私が神様を知らなかったなら、こんなにも平安の中に生きることができただろうかと思います。また、私の肉体に死が訪れる時、魂は陰府に下るのではなくて天国に迎え入れていただけるという平安が、あるのとないのとでは全然違います。この地上でも、神様が私の人生を導いて下さるという平安は、非常に大きなことです。神様との平和、自分の心の平和は、すべての人生の基礎になるものです。また、世界平和の基礎にもなるでしょう。

平和・平安への道

 ごめんなさいの心を本当の意味でしっかり持つ時に、まさに平和や平安への道が開けてくる、ということを感じます。三浦綾子さんというクリスチャン作家をご存じと思います。彼女は一九六四年、朝日新聞の懸賞小説に応募した作品『氷点』で、一千万円の賞金を獲得しました。
 『氷点』は大変好評で、ベストセラーになり、一年間で七〇万冊も売れたそうです。テレビドラマや映画にもなりました。ところがそんな中、ある週刊誌に、『氷点』は代作である、という捏造記事が載りました。
 「氷点は到底、素人の書ける小説ではない。本当の作者は、陰にいる。玄人でなければ書けない文章で、おそらく松本清張か、小山いと子か、誰かであろう。賞金はたぶんそれらの代作者に行っているに違いない。この事実を教えてくれたのは、朝日新聞の記者だが、その名を明かすわけにはいかない」
 と書いてありました。三浦綾子さんは、これを読んだ時に非常に腹が立ったそうです。しかし逆に考えてみるなら、自分の文章への褒め言葉であるとも言えるな、と受け取って赦す気になったそうです。その後、その捏造記事を忘れるともなく忘れかけていた頃、Sという男から電話がありました。聞き慣れない名前でしたが、
 「申し訳ありません。氷点を代作などと書いたのは私です。どうか赦して下さい
 と言ってきたそうです。相手のあまりにも恐れ入った様子に驚いて、三浦綾子さんは、
 「あなたの文章はなかなかお上手ね。なんでも書ける方ではありませんか。ペンを大事にして下さい
 と言って電話を切ったそうです。この電話以前から、三浦綾子さんがすでに心の中で赦していたから、このような会話を持つ日も来たんだと思います。自分の非については謝り、他人の非については水に流すという文化は、非常にキリスト教的なものです。イエス様の教えにかなうものと言えます。
 「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」
 皆さん、どうかこのことを自分の人生の根底に置いて下さい。人間関係の、そして家庭の根底に置いて下さい。あなたの信念の根底に置いて下さい。そうするなら、あなたの人生は祝福されたものになります。

久保有政

日本の戦争に関する真実な歴史の解説

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