メッセージ(日本)

共栄の教え 
EU(ヨーロッパ連合)各国は共栄のために
互いに良き隣人となることを決意した。
そのEUの産みの母は一人の日本人女性(青山光子)だった!


ハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵と結婚した青山光子。
その次男リヒャルトが、EUの理論的基礎を作った。


[聖書テキスト]

 「イエスは答えて言われた。
 『ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。「介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。」
 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。』彼は言った。『その人にあわれみをかけてやった人です。』するとイエスは言われた。『あなたも行って同じようにしなさい。』」(ルカの福音書一〇・三〇〜三七)


[メッセージ]

 今日はこの箇所から、「共栄の教え」と題してご一緒に恵みを受けたいと思います。
 イエス様が語られた有名な「良きサマリヤ人のたとえ」の箇所です。エルサレムからエリコへ下る道は、しばしば強盗が出没する危険なところでした。ある人がそこで強盗に襲われた。彼は半殺し状態で、置き去りにされました。そこにユダヤ人の祭司が通りがかりましたが、見ると、反対側を通り過ぎて行ってしまいました。関わり合いになるのを恐れたか、わずらわしいと思ったのでしょう。
 またユダヤのレビ人も通りがかりましたが、同じようにしました。「祭司」も「レビ人」も、ユダヤで宗教行事をつかさどる人々です。彼らは宗教を持っているはずの人々なのに、あわれみがなかった。しかし、そこにあるサマリヤ人が通りかかりました。彼は強盗に襲われた人にあわれみをかけ、介抱してあげました。親切を施したのです。


中国人クリスチャンが描いた「良きサマリヤ人」

 サマリヤ人とは、かつての北王国イスラエル一〇部族の末裔の人たちで、異邦人と雑婚した人々でした。それでユダヤ人たちからは、さげすまれていました。ところが、そのサマリヤ人が神の御前に良いことをしたという。こんなたとえを語られたのち、イエス様は、質問をしてきたユダヤ人の律法の専門家に対して、
 「この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか」
 と聞かれています。「だれが……隣人になった」と思うか、という言葉に注意してください。隣人とは、隣りにいる人ということですが、イエス様は「隣人になる」という言葉を使われています。隣人とは、「なる」ものなのだという。
 祭司も、レビ人も、近くを通りがかり、状況を見たのですから、隣人のはずなのです。しかし、あわれみをかけずに通り過ぎたことによって、本当の隣人にはならなかった。しかしこのサマリヤ人は、隣人になった。ですから、イエス様のいう「隣人」とは、単に物理的に近い距離にあるということではなく、心を寄せることをいうのですね。
 心を寄せるとは、自分と同じように隣人も繁栄することを願う気持ちをいいます。あるいは、共栄を求める気持ちといってもよいでしょう。共栄とは、良き隣人になることです。サマリヤ地方は、ユダヤ地方の隣りにある地域でした。そのサマリヤで育ったサマリヤ人は、隣りのユダヤ地方に来ても、そこで親切をなし、自分と同じように隣り人を愛したのです。彼は民族の違いをも乗り越えて、隣人に親切をなしたのでした。これは、基本的に私たち個人個人の生活や、人生において適応されるべき教えです。しかし、きょう私は、さらにこの教えをもとに、国家間において本当の「隣人となる」とはどういうことか、みていきたいと思います。
 それによって、イエス様の教えのダイナミックさが、より分かっているでしょう。

ヨーロッパ連合(EU)の産みの母は日本人だった

 かつてヨーロッパといえば、古代から近代に至るまで戦乱にあけくれた地でした。
 ヨーロッパは多くの国が集中して存在している地域です。しかし、国境線をはさんで紛争や戦争が絶えず、第一次世界大戦も、第二次世界大戦もこの地で勃発しました。
 しかし戦後、状況は一変しました。そこはヨーロッパ史上かつてない平和と繁栄の地となったのです。それは国々の間に、強い連帯が生まれたからです。今日、ヨーロッパには、EUすなわちヨーロッパ連合というものがつくられています。これは、経済の結びつきをはかったかつてのヨーロッパ経済共同体(EC)を、さらに発展させたものです。
 今日では、共通の通貨(ユーロ)も発行され、人々は国境を越えて自由に行き来し、また経済活動、人々との交流ができるようになっています。そのためにヨーロッパはかつてなく発展し、繁栄するようになっているのです。EU=ヨーロッパ連合は、民族も言語も違う国々が連合体をつくり、共栄を目指したものです。このような国家の連帯、統合は、ヨーロッパ史上また人類史上、画期的なものといってよいでしょう。
 なぜなら、これは一つの国が周囲の国々を力で支配するという結びつきではないのです。そのようなものは今までにたくさんありました。それは垂直的な結びつきです。しかしEUはそうではなく、国と国の水平的な結びつきなのです。つまり、一つの国が他国を力で支配するのではなく、国と国が対等の立場で横のつながりで結ばれました。ヨーロッパの人々は、共栄のために互いに「良き隣り人となる」ことを決意したわけです。
 このEUの産みの親と言われているのが、オーストリアのリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵です。彼のお母さんは、日本人でした青山光子という人です。彼女の強い影響を受けて、息子カレルギー伯爵は、EUの構想を思いついたといいます。それで彼女は、「EUの母」とも言われているのです。


「EUの母」と言われた青山光子


ヨーロッパ統合の母、青山光子

 青山光子は、明治七(一八七四)年に東京の牛込で生まれました。格別な家柄というわけでもなく、当時としてはごく普通の庶民の娘です。この女性が、いかにして「EUの母」と呼ばれるまでになったのでしょうか。
 光子が一八歳のとき、ある冬の寒い日のことでした。道を行く彼女の目の前で、一人の外国人青年が落馬したのです。彼女は驚いて、
 「まあ大変! だれか来て下さい」
 と助けを呼びました。彼女自身、とっさに駆け寄り、医者を呼びました。そして医者が来るまで、とりあえずの応急手当をしました。当時は、外国人のそばに寄るだけでも、かなりの勇気がいった時代です。しかし、「苦しんでいる人を、ほおってはおけない」と、彼を助けたのでした。彼女は「良きサマリヤ人」となったわけです。
 落馬したのは、ハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵という人でした。のちにEUの構想を発表するリヒャルトの父です。ハインリヒは、大国「オーストリア=ハンガリー帝国」の駐日代理公使として、日本に赴任したばかりでした。
 ハインリヒは、オランダ系のクーデンホーフ家と、ギリシャ系のカレルギー家の間に生まれた人です。実際、彼にはヨーロッパのあらゆる民族の血が混ざっていました。ドイツ人、ロシア人、ポーランド人、オランダ人、ギリシャ人、その他多くのヨーロッパ民族の血が彼の体内を流れていました
 一方の青山光子は生粋の日本人。青年公使は光子をみて、一目で恋に落ちたと伝えられています。二人はやがて結婚しました。国際結婚の第一号です。青山光子は、クーデンホーフ光子となりました。
 二人の間に、長男のミツタロウ、次男のエイジロウが誕生してまもなく、夫の日本での赴任が終わり、ヨーロッパへの帰国が決まりました。この次男=エイジロウが、のちのリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯、つまりEUの構想を生み出した人です。彼は日本で生まれました。リヒャルトは彼の洗礼名です。
 光子にとって、ヨーロッパは地の果てでした。そこは全く違う民族が住み、日本語も通じません。そこへ行けば、二度と両親に会えないかもしれません。しかし、光子に迷いはありませんでした。彼女はこの道を行くと決意していたのです。そして、明治二九(一八九六)年、夫とともにヨーロッパに渡り、ボヘミアの古城に「伯爵夫人」として迎えられました。
 ヨーロッパ有数の名門貴族クーデンホーフ家に嫁いだのです。クーデンホーフ家といえば、ハプスブルク家の皇女エリザベートの家庭教師も出している、学問の誇り高き一族です。夫のハインリヒはなんと一八カ国語を自在に話しました。

苦難の日々

 そんな家に、開国したばかりの東洋の小国から来た花嫁。どんな未開人が来るのかと、先入観と偏見の目でみられました。光子の苦労も並大抵ではありませんでした。城の中では、さっそく小姑たちの嫁いびりが始まったといいます。こうしたことはどこの国にもあるものですね。言葉の言い回し、着物の着こなしから、立ち居振る舞いに至るまで、チクチクとやられました。
 「来る日も来る日も、針のムシロに座し、イバラの鞭でなぐられるような試練と苦難の連続でした」
 と彼女は語っています。また、
 「『いっそ何もかも振り捨てて、祖国に逃げ帰ろう』と思ったことが何度あったか知れませんでした。しかし、そのたびに後ろ髪を引き留められたのは、夫ハインリヒの細かに行き届いた愛情だったのです」
 と。しかし、その夫もある日、心臓マヒで急死してしまいます。四七歳の若さでした。三一歳の光子は、たった一人になりました。
 「もう苦労して、ここで生きていくかいもない」
 と、夫のあとを追おうと、刃物を手にとった彼女でしたが、絶望の中である言葉がよみがえってきたのです。それは、かつて友人から送られた励ましの言葉でした。
 「悲しいことも、つらいこともあるでしょう。しかし、どんなときも日本人の誇りを忘れないように
 「そうだ、私が負けるなら、それは日本が負けたことになる!」と光子は思いました。こうして彼女は再び、生き抜いていく決意を固めたのです。光子は、夫の遺言に従い、クーデンホーフ家の全財産を相続し、クーデンホーフ家の家長となりました。光子は一人で、七人の子どもを育てなければなりませんでした。彼女は子ども達を「立派なヨーロッパ人」に育てるため、厳格に教育しました。それは子どもたちから恐れられるくらいだったといいます。しかし後年、立派に育った子どもたちはみな母に深い尊敬を寄せたのでした。

良きサマリヤ人

 やがて大正三(一九一四)年、第一次世界大戦が始まりました。「オーストリア=ハンガリー帝国」と「日本」という二つの祖国が、互いに敵国として戦うことになってしまったのです。光子の長男と三男も、兵士として戦場に出ていきました。にもかかわらず、「敵国」出身の光子には人々から「黄色い猿め!」との罵声がとびました。
 他の日本人はみな、あわてて別の国に行ってしまいました。しかし光子は、歯をくいしばって耐えたのです。光子は、人々のヒステリックな敵対心を自分の振る舞いでやわらげ、消して行きました。彼女には、人々との共生の心、共栄の心が根づいていたのです。それは、もとより日本にいたときに培われたものでした。
 光子は三人の娘とともに赤十字に奉仕に出ました。敵味方にかかわらず、苦しむ人々のために働いたのです。彼女はまさに良きサマリヤ人となりました。たとえ周囲が良き隣人になってくれなくても、自分は良き隣人になろうとする心を、決して失わなかったのです。彼女は共栄の心に生きたのです。
 光子は、前線の兵士が飢えていると聞くと、城の庭に畑をつくり、大量のジャガイモを収穫。それを袋詰めにして列車に積み込み、奪われないように自分が「男装」して見張りながら、無事、最前線に届けました。光子のジャガイモ作りは終戦まで続けられ、兵士だけでなく市民も救ったのです。こうしたことを通し、人々が光子を見る眼は変わっていきました。
 ある戦地で苦戦が続いていると聞くと、勇敢にも現地慰問を実行しました。最前線まで足を運び、疲れ切った兵士達を励ましました。兵士達は光子の姿をみると喜び、勇気を奮い起こしたといいます。
 彼女をののしる者はもういなくなりました。彼女の存在は、ヨーロッパで一筋の光となったのです。本当の平和、本当の共存共栄は、民族を越え、敵味方をも越えた彼女のような心にあるのではないか、人々はそう思うようになったのです。光子は、大東亜戦争が始まる数ヶ月前の昭和一六(一九四一)年八月に、六七歳でこの世を去りました。しかし、彼女の輝いた姿はヨーロッパの人々の心から消えることはなかったのです。
 彼女は晩年に、「ヨーロッパ統合の母」と呼ばれました。とりわけ彼女から深い影響を受けたのが、彼女の子どもたちでした。とくにヨーロッパ統合運動を始めたリヒャルトです。彼は、
 「母がいなかったら、私は決してヨーロッパ統合運動を始めることはなかったでしょう
 と語りました。一人の人間の内にあった共栄の心が、やがてヨーロッパ統合運動として、そこに平和と連帯と繁栄をもたらしていったのです。

大東亜共栄圏に触発されてEU構想が生まれた

 さて、ヨーロッパ統合運動を始めたリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯は、どのような人だったでしょうか。


ヨーロッパ統合運動を進めた
リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯

 彼は、日本の良き理解者でした。たとえば満州事変(一九三一年)が起きた直後、欧米の多くの人々は日本を非難しました。けれども彼は、日本のその行動が中国の無政府状態に発した、やむを得ぬ処置であることを理解していました。また、日本の行動がソ連のアジア侵略を阻止するためであったことも、理解していました。彼は、
 「いま日本は、極東における……ロシアのボルシェヴィズム(共産主義)と、支那の無政府状態の怒濤をかぶって立つ岸壁である。日本がボルシェヴィズムの脅威を感じていることは、欧州と異なるところがない。日本はソ連邦のアジア侵略を阻止しうる唯一の強国である
 と述べ、日本に信頼を寄せたのです。そして日本と欧州との提携を呼びかけました。
 また、カレルギー伯が戦後に主張したヨーロッパ連合の理論は、日本の「大東亜共栄圏」の理想に触発されたものでした。
 歴史上すべてといっていいと思いますが、それ以前の帝国はいつも、一つの国が周辺諸国を囲い込み、力で支配することを求めてきました。ロシアの拡張主義(パン・スラビズム)、中国の朝貢冊封主義(貢ぎ物を納めさせて支配する)、ドイツのパン・ゲルマニズム、アメリカのパン・アメリカニズムなど、みなそうです。また大東亜戦争以前、アジアのほとんどの地域は、欧米諸国の植民地と化し、苛酷な搾取が続けられ、アジア人は奴隷的な地位におかれていました。これらはすべて、垂直的な支配の関係です。
 しかしそうした中、水平的な共栄を模索する思想が日本で生まれたのです。それが大東亜共栄圏の思想でした。すなわち、アジア各国が対等の立場で互いに連携し、繁栄を求める共栄の思想です。戦時中、一九四三年に重光葵外相は、こう述べました。
 「日本の戦争目的は、東亜(東アジア)の解放、アジアの復興であって、東亜民族が植民地的地位を脱して各国平等の地位に立つことが世界平和の基礎であり、その実現が、すなわち戦争目的であり、この目的を達成することをもって、日本は完全に満足する
 この重光外相の言葉は、当時の日本の行動と目的を、はっきり言い表しています。「完全に満足する」とは、この目的以外に野心はないということです。つまり大東亜共栄圏思想とは、大東亜帝国を造ろうとするものではなく、アジアの真の解放と連帯と共栄を求めたものなのです。しかし、対等で水平的な共栄を求める日本の行動は、白人によるアジア支配をもくろむ欧米諸国から、袋叩きにあいました。戦争の主な原因はそこにあったのです。
 日本はこの戦争に負けたものの、やがてその理念は多くのところで実を結んでいきます。
 カレルギー伯は、EUの構想を生み出しますが、それはもともと、大東亜共栄圏思想の元となった岡倉天心の「アジアは一つ」という大アジア主義にヒントを得たものでした。さらに彼は、大東亜共栄圏を生み出そうとする日本の奮闘を見聞きし、その「刺激的伝播」を受けて、EUの創設を着想したと語っています。EUは、ヨーロッパ版の「大東亜共栄圏」なのです。

今もアジアに息づく大東亜共栄圏の理念

 さらに、日本が戦争に負けたのちも、大東亜共栄圏の理念はアジアで生き続けました。たとえば一九五五年のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)では、平和共存や、反植民地主義などの精神が打ち出され、その後の国際社会に大きな影響を及ぼしましたが、それは基本的には、日本の大東亜共同宣言の精神とほぼ一致するものでした。
 また、マレーシアのマハティール首相が一九九〇年に打ち出したEAEC(東アジア経済協議体)の構想なども、ASEAN、日本、中国、韓国などを集合して独自の経済圏を確立しようというもので、まさしく大東亜共栄圏の焼き直しといっていいものです。


1995年にフィリピン、マニラ市内に張られたフィリピン共和国
独立記念日のポスター。上部に英語で「大東亜共栄圏」と記
され、日本がアジアを西欧支配から解放したことが描かれて
いる。大東亜共栄圏は、侵略のイデオロギーではなく、アジア
復興の現実的力だった。

 このように、かつて日本が打ち出した大東亜共栄圏の理想は、やがてアジアだけでなく、世界の構造を大きく変革したのです。この共栄圏の思想を、「侵略を正当化するためのイデオロギーだ」などというのは、勉強不足というものです。もしくは、左翼の主張を鵜呑みにしてしまっているのです。日本が支配した地域においてなしたのは、欧米の植民地のような搾取ではなく、近代化支援でした。
 たとえば、中国の混乱を平定するために始まった日中戦争は、一九三七年〜一九四五年までの八年間といわれますが、実際には戦闘は一九三八年秋にほぼ終了していました。そして以後は、日本は莫大な投資をして、中国の約半分に及ぶ占領地の治安の確立、経済復興、産業の育成など、近代化に努めたのです。中国はかつて匪賊(強盗)の跋扈する地でしたが、日本の占領地では中国の人民は安心して暮らすことができるようになったのです。
 今日の中国人の反日姿勢は、戦後、共産党が国中で行った作為的な反日教育によるものです。しかしそうした中でも、老世代には親日的な中国人が多くいます。これは、かつての日本の占領政策をなつかしみ、親しみを感じてくれているからなのです。
 韓国でも、日本は惜しみなく近代化支援を行ないました。日本統治以前の韓国は、人口の四三%が奴隷という社会でした。しかし日本は彼らを解放し、国民を平等としたのです。そして教育、医療、衛生、産業の育成を行ないました。台湾でも、日本は惜しみなく近代化支援を行ないました。伝染病と匪賊の地だった台湾は、またたく間に近代的な国家に生まれ変わっていきました。
 実際、今日アジアを見渡して大きく発展している国といえば、日本以外ならばとりわけ中国、台湾、韓国でしょう。なぜでしょうか。それは日本の統治により近代化が推し進められ、発展の土台が築かれたからなのです。
 一方、アメリカに支配されたフィリピン、オランダに支配されたインドネシア、その他の国々が大きく出遅れているのはなぜでしょうか。それはこれらの国々を支配した欧米諸国が、近代化支援を行なわず、愚民政策と搾取を行なったからなのです。私たちはこのように澄んだ眼で歴史をみなければ、真実はみえてきません。大東亜共栄圏は、幻想でも侵略でもなく、現実的なアジア復興の力だったのです。
 日本が世界になした貢献には、はかり知れないものがあります。これを思うとき私は、日本は本当に「神に愛された国」だと思います。日本は、世界の歴史の流れを大きく変え、白人と黄色人種と黒人が対等に話せる時代、共栄の時代をもたらしたのです。
 虫メガネで見たら、日本の歴史にも悪いところはあるでしょう。しかし、こうした巨視的な、文明史的な見方でみて、初めて分かる事柄があります。「良き隣り人となる」という共栄の教えを本当に理解できるのは、じつは日本人なればこそなのです。この神の教えを実践する力のあるのが日本人です。日本人クリスチャンならば、なおさらです。世界にはほかにも、この神の御教えを本当に理解し、実践できる多くの人々がいます。
 私たちは彼らとも手を取り合って、共栄の時代を築いていきたいものです。
 「あなたも行って同じようにしなさい
 とイエス様は言われました。私たちは主のこの御教えを深く心に留めたいと思います。

久保有政

日本の戦争に関する真実な歴史の解説

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