聖書

考古学と聖書

考古学的発見の数々は聖書の記述の正しさを裏づけている


旧約聖書イザヤ書の死海写本(前3〜後1世紀)

 考古学と聖書の関連について、調べてみることにしましょう。
 世の中には、聖書に記された様々な物語は歴史的な事実に基づくものではなく、単なる"作り話"のようなものだ、と思っている人は少なくありません。しかし、聖書は例えば『千夜一夜物語』のように、単なる空想に基づいた話に過ぎないのでしょうか。
 それは歴史的事実には基づかない"寓話"で、単なる教訓的な物語に過ぎないのでしょうか。上智大学のH・クルーゼ教授は、こう述べています。
「日本では聖書そのものは大いに普及しているが・・・・知的な日本人は、西欧人に劣らず批判的である。聖書を古代の神話と、同程度に扱う傾向さえある。これは、聖書の調査研究の成果が知られていないからであろう。・・・・日本人みずからが証拠そのものを検分し、吟味することが望ましい」。
 実際、一九世紀また二〇世紀における考古学の発達は、聖書の記述の正確さを支持する数々の証拠を提出し、人々を驚かせました。聖書の歴史的叙述の正確さは、いまや考古学によって、ほぼ全面的に裏づけられるようになっています。


聖書はやはり正しい

 一八世紀頃から、人々は無神論思想の浸透に伴い、聖書は事実に基づかない作り話で、単なる教訓的な物語にすぎないと考える風潮が、強くなっていました。しかし一九世紀以降の考古学の発達は、その考えに大きな修正を与えたのです。
 著名な考古学者ウェルネル・ケラーは、彼の考古学研究の成果を、その著『歴史としての聖書』にまとめ、その序文にこう書きました。
「正しく十分に証明された圧倒的な量の事実が、正しく利用されうる現在、一八世紀以来の聖書を抹殺し去ろうとした懐疑的な批評が転倒したことを思う時、私の頭の中には、次の一文が強く響き続けている。
 『聖書はやはり正しい』」。
 また、不世出の天才と言われた考古学者W・F・オルブライトは、こう述べています。
 「理性的な信仰をさまたげうるようなものは何一つ見出されず、個々の神学上の説を誤りと断定するものも、全く発見されなかった。・・・・聖書の言語、その民族の生活と慣習、その歴史とその倫理的・宗教的な表象はすべて、考古学上の発見によって数倍も明確にされている」。
 また、
 「聖書の中の問題となっている大きな点は、全部歴史的であると証明されている」。
 と述べています。
 それでは、聖書の記事を裏づけている人類学の成果、および考古学的発見の幾つかを、見てみましょう。


世界最古の文明の発祥地はメソポタミヤ地方

 まず、世界最古の文明の発祥地について見てみましょう。今では最古の文明の発祥地は、多くの学者によって、メソポタミヤ地方であることが認められています。
 都市文明は、メソポタミヤ地方では紀元前三五〇〇年頃、エジプトでは紀元前三〇〇〇年頃、成立しました。インダス文明やエーゲ文明は紀元前二五〇〇年頃、中国では紀元前二〇〇〇年頃です。それ以外の地での文明はもっと後期のものです。
 このように世界最古の文明は、メソポタミヤ地方でおこりました。これは、聖書の記述に一致しています。
 人類の発祥地とされるエデンの園は、聖書によればチグリス・ユーフラテス地方、すなわちメソポタミヤ地方にありました(創世二・一四)。また、アダムの息子であったカインが「町」すなわち都市を建てたと、聖書に記されていますが(創世四・一七)、それはメソポタミヤ地方にありました。
 大洪水後になって、人々はメソポタミヤ地方の「シヌアル」の地に定住して文明を築いた、とも聖書に記されています(創世一一・二)。「シヌアル」の地でのこの文明により、メソポタミヤの文明はその後、「シュメール文明」とも呼ばれるようになりました。
 さらに、世界最古の碑文は、メソポタミヤ地方で発見されています。ユーフラテス川の流域にあるオベイド神殿で発見された礎石板は、それまでに発見されたものの中で、「世界最古の歴史的記録」として歓迎されました。
 この付近では、他にも多くの古い碑文が発見されており、ある所では、巨大な原始的図書館も発見されました。
 またメソポタミヤ地域は、単に文明の発祥地であるだけでなく、すべての人種や語族の中心地でもあります。地図を開いてみればわかるように、明らかにメソポタミヤ地方は、黄色人種(アジア)、白色人種(ヨーロッパ)、黒色人種(アフリカ)のそれぞれが住む地域の、"交点"に位置しています。
 ですから人類はこの地域で生まれ、後にそこから全地へ広がっていった、と考えることは理にかなっていると言えましょう。さらにこの地域は、
 牛、やぎ、羊、豚、犬、その他
 の家畜の出た地域で、また、
 りんご、桃、梨、あんず、桜桃、マルメロ、桑、すぐり、ぶどう、オリーブ、いちじく、なつめやし、アーモンド、小麦、大麦、えん麦、えんどう、いんげん豆、亜麻、ほうれん草、はつか大根、玉ねぎ、その他
 の果実や野菜の大多数の原産地でもあります。こういうわけで人類学者は、この地域が、現存する人類の全種族の初めの場所であったと考えています。


人類最初の都市

 一九一八〜一九年に、大英博物館のホールおよびトムソンは、ユーフラテス河口近くの「エリドゥ」と呼ばれる地を発掘しました。そして彼等は、そこが繁栄していた文化的都市であって、「人類最初の居住地」として神聖視されていた跡であったことを、発見しました。
 もしエリドゥが、事実「人類最初の居住地」であったとすれば、エリドゥは、エデンの園を出た最初の人類が移り住んで建設した、最初の町であったということになります。実際、古代バビロニアの碑文には、
 「エリドゥの近くに園があった。そこには神秘の聖木、すなわちいのちの木があり・・・・」
 という記述があります。また、有名な「ウェルドの角柱」と呼ばれる古代の粘土製の記録には、史上最初の二人の王は、エリドゥを統治したと記されています。


現在のエリドゥ

 この「史上最初の二人の王」とは、アダムとエバでしょう。このようにエリドゥに関する様々な考古学的発見は、人類の起源や、人類発祥の地に関する聖書の記述を、裏付けるものとなっています。
 人類は、地上の一つの場所に誕生しました。そしてその場所とは、聖書の述べている通り、チグリス・ユーフラテス河の流域、すなわち、シュメールとも呼ばれ、後にはバビロニアとも呼ばれた地域、またギリシャ人がメソポタミヤと呼んだ地域であったのです。


最初の宗教は唯一神教だった

 宗教について書いた本の中には、しばしば次のような叙述がみられます。
 「宗教は、古代の精霊信仰・アニミズム(霊魂信仰)などの未開信仰や、多神教に始まった。その後、多くの神々の中からただ一つの神を拝するゾロアスター教などの"拝一神教"がおこり、また、神を唯一とし高度な倫理を持ちあわせたユダヤ教やキリスト教などの"唯一神教"が出現した」。
 宗教は未開宗教に始まり、後に高等宗教へと発展したという、こうした進化論的な考え方が、しばしば世の中ではなされてきました。しかし、最近発見された多くの考古学的証拠は、事実が全く逆であったことを、明らかにしました。
 最近の発見によると、時代を古くさかのぼればさかのぼるほど、昔の人は、より少ない神々に対して信仰を持っていました。
 たとえば、考古学上最も古い民族の一つと言われる「スメリヤ人」は、その文化の終わり頃には、五千の神々を持っていました。しかし初期には、ただ一つの神である「空の神」がいただけです。この「空の神」とは、もともと聖書でいう「天の神」と同じだったに違いありません。
 また有名なエジプトの考古学者フリンダース・ペトリー卿は、エジプトの宗教は、はじめは「一神教」だったと言っています。
 オクスフォード大学のスティーブン・ラングドン博士は、バビロニアで碑文を発見し、その研究から、世界最古の宗教が何であったかについて、言及しています。それによるとその碑文は、人類最初の宗教は唯一神の信仰であって、そこから急速に多神教と偶像崇拝に傾いていったことを、示していたとのことです(ラングドン著『セム族の神話』)。
 W・シュミット、W・コッペルスなどの有力な学者たちも、豊富な資料にもとづき、一神教こそはあらゆる原始的宗教の基本となるもので、これが後に堕落変形して、他の様々な宗教形態が生じた事実を、明らかにしています。
 これらのことは、まさに聖書の記述に一致しています。
 聖書によれば、人類最初の宗教は唯一神教でした。アダムとエバは、唯一神を信じていたのです。唯一神教は人類誕生とともにあり、その後に、堕落した宗教形態である多神教や偶像崇拝が、しだいに広まっていったのです。


人間の堕落

 人間はかつて幸福な美しい園に住んでいたが、不従順の罪を犯して以来、世界に様々の災いが入った、とするあの「アダムとエバの堕落」に関する聖書の記述が、単なる"神話"だと思っている人は、少なくありません。
 しかし次に述べるように、聖書に記されているような"人間の堕落"が事実あったことを示す証拠は、決して少なくありません。このことは、聖書の記述の真実性を考える上で、きわめて重要です。
 "人間は、罪が入る前は、幸福な美しい園に住んでいた。しかし、最初の人間の不従順によって、人間の世界に罪や災いが入った"
 とする言い伝えは、単に聖書の中に記されているだけではありません。
 むしろそれは、世界各地に、普遍的に見られるものです。しかも、それらは到底偶然とは言えないほどに、互いによく似ています。


アダムとエバに類する伝説は世界中にある

 たとえばペルシャの伝説によると、我々の最初の両親は、「蛇」の形をした悪霊が現れる以前は、罪がなく、美しい性格を持ち、幸福で、「不死の木」のある園に住んでいた、とされています。
 ヒンズーの伝説でも、初期の時代には、人は悪や病気にわずらわされず、欲するすべてのものを持ち、長生きであったとされています。
 中国にも、幸福な時代の伝説があって、かつて人々は豊かな食物と、平和な動物たちの中に住んでいた、とされています。モンゴルやチベット、チュートン人の間にも、同じような伝説があります。
 またギリシャの伝説によると、黄金時代における最初の人は「裸」であり、悪も労苦もなく、神々と自由に交わった、とされています。そしてある「女」の不従順によって、「病」「狂気」「老化」その他の災いが解き放たれた、ということになっています。
 オーストラリヤ原住民にも、人間は初め永久に生きるようになっていたが、ある「一本の木」に関しての「女」の不従順で、死が入ったとの伝説があります。
 バビロニアで発見された碑文には、人類最初の人は初め罪がなかったが、彼は神々を怒らせたために「死ぬ者」になり、以来人類に病気や死などの災いが入った、との伝説が記されています(ヘンリー・H・ハーレー著『聖書ハンドブック』六九ページ参照)。
 このように、ほとんど世界中に、似たような伝説があります。これらの伝説は、ときには多神教の影響を受けていますが、内容の大筋においては、ほぼ一致しています。
 すなわち、それらはみな、人類は最初幸福であったが、人の不従順によって、死や災いが入ったとしているのです。しかも多くの場合、「一本の木」に関することで入ったとしており、また、「」に始まったとしています。
では、世界各地の伝説が、これほどに似ているのは、なぜでしょうか。
 このような伝説の普遍性は、それらの伝説が、実際に過去にあった共通の事実に発している、と考える時だけ理解できるものです。
 つまり、伝説の元となった過去の実際に起きた出来事が、人類共通の記憶として、各民族に伝えられていき、今日、伝説として語り継がれているのに違いありません。
 そして各伝説間の細かな相違は、それらの伝説が長い年月をかけて語り継がれていった際に、部分的に多少変化してしまったからと、理解できます。
 各民族に伝説が語り継がれていった過程は、聖書によれば次のようでした。
 アダムとエバの堕落以後、しばらくの間、人々の居住地域はチグリス・ユーフラテス河付近に限られていました。この地域は、世界の三大人種(モンゴロイド、コーカソイド、ニグロイド)のそれぞれが住む地域の接点に当たる、世界の中心的な地域です。
 そして聖書によれば、有名な「バベルの塔」の出来事の後、人類は全世界に離散していったとされています。
 さて、バベルの塔の出来事の頃にも、神の忠実なしもべとして、堕落の出来事に関して真実を知っていた人も、幾人かはいました。
 しかし当時の大多数の人々は、偶像を拝み、真理から離れ、神のみこころを無視する態度をとっていました。ですから彼らは、命や死や罪のことについての真実を、正確に保存したとは考えられません。
 そのため、それらの民族の中で堕落に関する記憶は多少歪められ、さまざまな神話や伝説が生じました。しかしそれでもなお、共通のものがあるのは、やはり事実が背景にあったからです。
 そしてバベルの塔の出来事の後、人々は全世界に離散していき、堕落に関する物語は、それぞれの民族の中で個別に伝えられていきました。実際、宗教学者カーネル・J・ガルニエは、世界中のすべての民族は、
 「宗教上のさまざまな考えを、共通の源、もしくは共通の中心地から受け継いだに違いない」
 と述べています。
 この「共通の源」とは、どこでしょうか。
 ジョージ・ローリントン教授は、諸宗教、諸神話を調べた結果、この共通の源は、カルデヤ地方(バベルの塔のあった地方)に違いない、としています。
 このように、世界の様々な神話や伝説はバベルに起源があるということは、聖書のみならず、多くの宗教学的証拠も裏付けているものなのです。


世界の神話の起源はバベルにある。

 したがって、世界各地に普遍的に見られる堕落伝説は、バベルに発するものであり、もともとは、それ以前の実際の出来事に関する人類共通の記憶に発している、と考えることは、きわめて理にかなっていると言えるでしょう。


ソドム・ゴモラの滅亡

 聖書の記述は、ほかにはどんな事柄において、考古学の裏付けを得ているでしょうか。
 たとえば、神の審判を受け「天よりの硫黄と火によって」滅亡したと聖書に記されている、有名なソドムとゴモラの町の話についてはどうでしょうか。それも、今では考古学的な裏づけを得ています。
 ソドム・ゴモラとは、紀元前二〇〇〇年頃にパレスチナにあった町々で、そこに住む人々は、「主(神)に対しては非常な罪人」(創世一三・一三)でした。彼らの罪は、特に性的なものであったようです。
 彼らの住む地は、ひじょうに「潤った」(創世一三・一〇)地でしたが、神が、罪におぼれた彼らに対して審判を下された時、それらの町々は一瞬にして廃虚と化したのです。聖書には、
 「主は硫黄と火とを・・・・天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた」(創世一九・二四)
 と記されています。


燃え上がるソドムどゴモラから逃げるロトとその家族

 一九二四年に、W・F・オルブライト博士とM・G・カイル博士は探検隊を組織して、死海付近を探索し、
 「紀元前二〇〇〇年頃の住民が突然消え失せたことを示す証跡
 を発見しました。そこには多数の土器や火打石、その他様々な遺物が発見されましたが、それらは、その地域がその時まで、人口が密で繁栄していたことを示していました。
 そしてそこの住民は、突然消失し、以後その地方は、ひどく荒廃してしまったことを示していたのです。
 カイル博士は、
 「ウスドゥムの丘の地下には、厚さ五〇メートルの岩塩の層があって、その上に、遊離した硫黄の混じった泥灰層がある。もし神が、そのガスに点火されたなら、大爆発が起こって、塩と硫黄とが灼熱したまま天に放出され、文字通り火と硫黄とが天から降ったであろう
 と言っています。
 実際、古くからの伝説によれば、ソドムとゴモラが壊滅した時、死海の南端付近(ソドム・ゴモラのあった所)で、地勢の大変動、また大地震がおこったと伝えられています。
 この地勢の大変動によって、地中の天然ガスが天高く噴出し、それに何らかのかたちで引火して、空中で大爆発が起きたのでしょう。そして文字通り、「火と硫黄とが天から降った」のです。


イスラエル民族の出エジプト

 また、イスラエル民族の「出エジプト」や「カナン攻略」に関する聖書の記事も、今日では様々な考古学的発見によって、その細部までかなり明確にされています。
 聖書によれば、イスラエル民族は紀元前一九世紀から一五世紀頃まで、エジプトの圧政のもとで、奴隷にされていました。しかし神は、イスラエル民族の叫びを聞き入れ、指導者モーセを立てて、彼らをエジプトの地から連れ出されたのです(紀元前一四五〇年)。
 エジプトの地から出たイスラエルの民は、その後四〇年ほどにわたって、シナイ半島の荒野をさまよいました。しかしそののち、彼らはカナンの地(パレスチナ)に入り、その地を攻略するのです(紀元前一四一〇年)。
これらが、聖書に記された有名な、イスラエル民族の「出エジプト」と「カナン攻略」です。まず、イスラエル民族の「出エジプト」について見てみましょう。
 多くの学者は、出エジプトの時のエジプトの王は、アメンホテプ2世(在位紀元前一四五〇〜一四二〇)であった、と考えています。(出エジプトの時の王は、ラメセス2世の子メルネプタ〔紀元前一二三五〜一二二〇年〕とする説もありましたが、これは聖書の記述からみると間違いです〔一列王六・一〕。また多くの考古学的証拠も、出エジプトが紀元前一五世紀のアメンホテプ2世の時であったことを示しています。ヘンリー・H・ハーレー著『聖書ハンドブック』一一一〜一一四ページ参照)。
 出エジプトの時のエジプト王アメンホテプ2世の一代前の王(トゥトメス3世)は、エジプト史上、最大の征服者で、エチオピアを従え、ユーフラテスまで統治し、史上最初の大帝国を建てていました。アメンホテプ2世は、それを継承し、エジプトを統治していたのです。
 聖書によれば、出エジプトの時モーセは、「十の災い」をエジプトに下し、エジプトの民を震感させました。そしてイスラエルの民がエジプトを出ることを、許すように王に迫ったのです。
 この時の「十の災い」の最後のものは、エジプト人のすべての長男が死ぬ、という災いでした。聖書はその時、エジプト王の長男も死んだ、と記しています(出エ一二・二九)。
 実際、アメンホテプ2世の後継者となった人物は、その長男でも法定相続人でもなかったことを示す碑文が、発見されました。このことは、聖書の記事が歴史的事実であることを裏づける、驚くべき証拠の一つです。


アメンホテプ2世の後継者となった人物は、
その長男でも法定相続人でもなかった

 また聖書によれば、イスラエルの民はエジプトで苦役を課せられ、ある時レンガを作るのに、充分なわらを与えられずに作らねばなりませんでした(出エ五・七〜八)。この過酷な労働の跡は、エジプトのピトムで発見されたレンガの中に、うかがい知ることが出来ます。
 ナビィル博士は一八八三年に、カイル博士は一九〇八年に、その地の下層からよく刻まれたわらの入ったレンガを、また中層からはわらの少ししか入っていない、根から引き抜かれた刈り株入りのレンガを、発見しました。そして上層からは、粘土だけで、全くわらの入っていないレンガを発見したのです。


イスラエル民族のカナン攻略

 つぎに、イスラエル民族のカナン攻略についてはどうでしょうか。
「アマルナ文書」と呼ばれる、当時のカナンの民がエジプト王に救援を求めた手紙には、次のように記されています。
 「ハビル(ヘブル民族=イスラエル民族)は、われらの要塞を奪取している。彼らは、われらの町を奪おうとしている。われらの統治者たちを滅ぼそうとしている。彼らは王の全土を略奪している。王よ。速やかに軍隊をお送りくださるように。もし軍隊が年内に来なければ、王は全土を失われることでしょう」。
 このカナン攻略によってイスラエルが陥落させた都市は、今や発掘によって、数多く掘り出されています。
 たとえばその一つに、「エリコ」という、城壁で囲まれていた町があります。この町は、一九二九年から一九三六年にかけて、ガースタング博士によって発掘されました。


エリコの城壁跡

 そこに見い出された土器や甲虫石、またその他多くの証拠物件は、この町が紀元前一四〇〇年頃に破壊されたことを示していました。また、カナン攻略の際このエリコの町の城壁が、聖書の述べているように「くずれ落ちた」事実を、博士は発見しています。
 城壁は外側に向かって倒れており、地震によって倒壊したようでした。外側に向かって倒れたその城壁の残骸の上を、イスラエル人はよじのぼって、町に入ったのでしょう。
 その他にも、カナンの数々の都市が発掘されました。そして、当時カナンの住民がどのように不道徳にふけり、いかに「悪が満ちて」(創世一五・一六)いたかについても、白日のもとにさらされてきます。カナンの地を発掘した考古学者は、神がなぜもっと早くこの地を滅ぼさなかったかと、驚いています。


聖書の著作年代

 旧約聖書の中に、『レビ記』という書物があります。これは、イスラエルの宗教儀式について記した書物で、イスラエルの指導者モーセが紀元前一五世紀に記したもの、とクリスチャンは信じています。
 しかしかつて、聖書の史実性に対して懐疑的な人々で、いわゆる「高等批評家」を任ずる学者らは、聖書中の「P」典(レビ記に多く出てくる叙述)は紀元前五世紀に書かれたものだ、と主張していました。
 つまり旧約聖書『レビ記』は、バビロン捕囚以後の紀元前五世紀になって、後世の人々が書いたものだ、と主張したわけです。しかしこうした見解が誤りであることを示す絶対的な証拠が、のちに発見されました。
 紀元前一五世紀に記されたカナン人の「ラス・シャムラ書板」という書板に、ヘブル人の宗教儀式についての記述があり、それは明らかに当時『レビ記』が、すでに存在していたことを示していたのです。
 こうして『レビ記』は、やはり紀元前一五世紀に記されたものであることが、確認されました。ほかにも、懐疑的な学者が「後世の人々の著作だ」と主張してきた聖書の書物の著作年代が、その後の考古学的発見によって認識が改められた、という例は枚挙にいとまがありません。
 たとえば、新約聖書に『使徒行伝』という書物があります。これはキリストの使徒たちの伝道の様子を記したもので、紀元一世紀に記された、とクリスチャンは信じています。
 しかし「高等批評」の学者の一人ラムゼーは、はじめ、『使徒行伝』は紀元二世紀後半に記されたもので、信用するに足りない、と考えていました。
 ところがその後、様々な考古学的事実が発見され、彼は考えを改めました。『使徒行伝』が後世の人々の創作であるとする考えは誤りであることを、知ったのです。彼はこう書きました。
 「最近の知識の進歩を全く無視したりしない限り、使徒行伝の一連の記述がフィクションであるとする考えは、一八九〇年以来、もはや支持できないものとなった」。



イエス・キリストの実在

 今日、イエス・キリストが実在の人物であることを、否定する学者はいません。
 キリストの実在については、聖書以外にも、紀元一世紀に生きた幾人かの歴史家が記しています
 たとえばローマ人歴史家タキトゥス(一世紀)は、ローマにいるクリスチャンたちについて述べ、キリストに関してこう言及しています。
 「キリスト・・『クリスチャン』の名はこれに由来する・・は、ティベリウス皇帝の世に、州総督の一人ポンテオ・ピラトのもとで、極刑(十字架刑)に処せられた」(年代記)。
 また、新約聖書に『ヤコブの手紙』という書簡がありますが、この著者ヤコブは初代キリスト教会の指導者の一人で、イエス・キリストの「弟」でもありました(マタ一三・五五参照)。これについて、紀元一世紀のユダヤ人歴史家F・ヨセフスも、ヤコブは、
 「キリストと呼ばれるイエスの兄弟」
 である、と述べています(ユダヤ古代史)。これはイエス・キリストの存在が当時、一般的な知識となっていたことを示しています。
また一世紀のローマ人スエトニウスは、ローマにいるユダヤ人たちが、
 「民衆にキリスト(の教え)を煽動しようと、混乱をひき起こしている」
と述べています(一二人のカイザルの生涯)。


キリストの実在に関する西暦1世紀の記録もある



 以上、ここにあげた実例は、聖書の記事に関する数々の考古学的裏づけの中の、ほんの幾つかのものです。
現在、膨大な量にのぼる考古学的諸事実の中に、聖書の記述内容を確実に否定するようなものは、何一つ見い出されていません。むしろ考古学的発見の数々は、聖書の記述内容を、幾倍にも明確化することに役立っているのです。
 このように聖書は、歴史的に、また人類学的に、きわめて正確な記述をしています。そうであれば、天地創造や人類の起源に関する聖書の記述も、同様に真実を記している、と私たちは考えてよいでしょう。

久保有政

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