摂理 

摂理論3
最終末世の大患難迫害時代〜新しい世まで


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最終末世

最終末世はいつからか

 かつて原始世の最後に「父祖時代準備の時代」が約四〇〇年あった。さらに、父祖時代の最後には「選民世準備期」が約四〇年あり、選民世の最後には、「終末世準備時代」が約四〇〇年あった。
 では、終末世の最後の「最終末世準備時代」は一体何年続き、最終末世はいつ頃始まるのであろうか。もし、最終末世準備時代が、以前の各「準備時代」と同様に約四〇〇年とすれば、ルターの宗教改革から四〇〇年後は、一九一七年である。
 実際、一九一七年前後の時期は、世界が大きく変わった節目であった。
 まず一九一四年に、第一次世界大戦が勃発した。第一次世界大戦は、それまでのすべての戦争とは異なり、世界の多くの国々や民を巻き込んだ大戦であった。
 それまでの戦争は、ふつう職業軍人が戦ったのである。しかし、第一次大戦においては、一般市民も動員され、国民全員が戦闘行為を全面的に支援した。一九六四年三月一三日付の米国の雑誌「ライフ」は、第一次世界大戦について、こう述べている。
 「それは、以前のどの戦争にもまして、多くの人を殺した。一般市民、つまり国民全体を巻き込んだ戦争は、これが最初であった」。
 それは民族、また国民全体を巻き込んだ全面戦争だったのである。


1914年に始まった第1次世界大戦は、
一般市民も動員された最初の総力戦だった。

 かつて主イエスは、ご自身の再臨の時が近づいた時に見られる前兆として、世界に多くの戦争が起きること、また、
 「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がるであろう(ルカ二一・一〇)
 と語られた。第一次世界大戦は、まさにそうした全面戦争の端緒だったのである。
 第一次大戦以前、とくにヨーロッパでは、ユートピア(理想郷)思想が盛んで、人々はこのまま社会は、科学や産業の発達とともにしだいに進歩していき、真に平和で幸福な社会となっていくと楽観的に考えていた。
 一九一四年の第一次大戦が起こったとき、人々はこの戦争は「すべての戦争を終わらせる最後の戦争」になるだろう、と考えた。しかし、その戦争が終わって長くたたないうちに、さらに大規模な第二次世界大戦が起きた(一九三九年)
 また、第一次大戦の最中の一九一七年には、ロシア革命が起きている。これは無神論共産主義による最初の革命であり、以後世界は、共産主義の領土拡張主義による侵略活動に対し、戦いを余儀なくされていく。
 さらに、一九二九年には世界恐慌が勃発。世界経済はパニックに陥り、その一〇年後、世界は第二次世界大戦に突入していった。
 第二次大戦においては、第一次大戦をはるかに上回る一般市民が動員された。
 「民族は民族に、国は国に敵対して」立ち上がり、国民全体、世界全体を巻き込む巨大な全面戦争となったのである。
 第二次世界大戦が終了してまもなく、一九四八年に、イスラエル共和国が建国された。世界を一九〇〇年もの長いあいだ流浪していたユダヤ人が、パレスチナに帰還、国家を再建したのである。
 このイスラエルの回復は、聖書の預言する世の終わりの前兆のうちでも、最重要な出来事である(ホセ三・四〜五、エゼ三七・二一)。終末が間近になった時、イスラエル人は祖国に帰還して、そこに住んでいる、と預言されている(エゼ三八・八、マタ二四・一六)
 したがって、一九四八年はすでに「最終末世」に入っている、と私たちは考えることができる。
 「最終末世」は実際には、最初の全面戦争――第一次世界大戦勃発の年=一九一四年に始まった、と見るのが妥当であろう。
 最終末世は、昔から預言者たちが預言し、また主イエスが予言されたすべてのことの成就する時である。
 最終末世については、本誌「わかる組織神学」シリーズにおいて、のちに「終末論」の項で詳しく扱う。そこで、ここでは大まかなことだけを見ておこう。
 最終末世のはじめは、「大患難迫害時代」である。


(A)大患難迫害時代

 大患難(だいかんなん)迫害時代は、四つの時期に分けることができる。
 はじめに前兆期。そののち、第一期、第二期、第三期が続く。


前兆期
 まず前兆期である。前兆期とは、マタイ福音書二四・三〜一四や、他の福音書の並行箇所で主イエスが語られた事柄である。
 主イエスは、ご自身の再臨や世の終わりの近づいた時代には、にせキリスト、にせ預言者、戦争、戦争のうわさ、ききん、地震、疫病、不法等が、「方々に」見られると予告された。


わたしの名をなのる者が大勢現れ、
『私こそキリストだ』と言って、
多くの人を惑わすでしょう。

 前兆期には、これらのことが世界各地に、数多く、頻繁に見られる。
 また、キリストの福音の世界宣教がなされるが、一方ではキリスト者への迫害も増す、と主イエスは予告された。
 前兆期には、これらのことが世界中で、数多く、繰り返し起こるのである。したがって前兆期は、決して数年や数十年というような短期間ではない。
 前兆期は、もっと長く続き、ある程度の長い期間ということになる(マタ二四・六)
 前兆期において、世界のもつ罪や悪は、増大していく。世界はしだいに末期症状を呈していくようになる。
 今日の世界は、神なき世界である。世界は神を拒絶し、神の支配を拒んでいる。しかし神なしでは、世界は真の幸福も、平和も、義も確立できないことが、この時代にさらに露呈していくであろう。
 人間だけでは、真の幸福も、平和も、義も確立できない。そのため、この時代に神の民は、偉大な医者であり真の改革者であるイエス・キリストの再臨を、待ち望むようになる。
 キリストが来られるとき、地上のすべての悪は一掃され、地上に真の幸福、平和、義が確立されるからである。キリストの再臨は、この世界に対する手術、また大改革の時なのである。
 前兆期も終わりに近づいたとき、さらに、ヨハネ黙示録に記された第一〜第四のラッパの災害も、起きるであろう(黙示八・六〜一二)
 この第一〜第四のラッパの預言的幻に見られる諸災害は、たとえば小惑星や彗星が地球に衝突した際に起こる災害の光景に、よく似ていると思われる。


第一期
 前兆期が終わると、大患難迫害時代は第一期に入る。これは、ヨハネ黙示録九・一〜一二の「第一のわざわい」と呼ばれる災害期間である。
 黙示録の記す「第五のラッパ」の災害は、じつは「第一のわざわい」の名でも呼ばれている(黙示九・一二、八・一三)
 すなわち、「第六のラッパ」が「第二のわざわい」、「第七のラッパ」が「第三のわざわい」である。
 「第一のわざわい」――大患難迫害時代の第一期は、「神の印を押されていない人間」に対する「五ヶ月間の苦痛」である。
 「その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げていくのである」(黙示九・六)
 この災害は、地上の草木には及ばず、ただ人間にだけ、しかも「神の印を押されていない人間」たちにだけ及ぶ。これは、何らかの恐ろしい疫病が人々のあいだに五ヶ月間流行することを、意味しているのであろうか。


第二期
 第二期は、黙示録でいう「第二のわざわい」の期間である(黙示九・一二〜一一・一四)
 それはまた、マタイ福音書では二四章一五〜二八節に相当する。
 この期間においては、人類の三分の一が死滅するという出来事が起きる(黙示九・一八)。これは核戦争を意味しているのだろうか。
 また、エルサレムが三年半のあいだ、異邦人に踏みにじられる(黙示一一・二、ルカ二一・二〇)
 そのとき、神の二人の預言者が、三年半にわたってエルサレムで預言活動をするであろう(黙示一一・三)。二人は、人々に悔改めと、神への信仰を呼びかけるであろう。


第三期
 大患難迫害時代は、第三期に至って、クライマックスに達する。
 これは、黙示録でいう「第三のわざわい(黙示一一・一四)の期間である。それはマタイ福音書では、二四章二九〜三一節に相当する。
 第三期には、「獣」と呼ばれる終末の世界的独裁者が、三年半にわたって君臨する。一方では、「大バビロン」と象徴的に呼ばれる大いなる悪の都も栄える。
 こうして、世界の悪は最高潮に達するが、その最後に神の裁きが下る。
 黙示録に「七つの鉢」で示される災害が、「獣」や、「大バビロン」に下る。人々がこれまで見たことのないような天変地異も起きるであろう。
 最後に、天が開かれてキリストが空中に出現され(空中顕現)、そのときキリスト者の復活、および携挙が起こる(Tテサ四・一六〜一七、マタ二四・三三)
 それはキリスト者にとっては、出エジプトのような大脱出、大救出となるであろう。


キリストの空中顕現とキリスト者の復活・携挙
 最終末世の大患難迫害時代の終わり頃に、キリストの空中顕現、およびキリスト者の復活・携挙がある。
 これについて、キリストの空中顕現(空中再臨)とキリスト者の復活・携挙は「患難時代の前」だ、という説もあるが(患難時代前携挙説)、本誌はこの立場をとらない。その理由は、終末論の項で詳しく述べる。が、ここでは二つだけ聖書的根拠を述べておこう。

(1) 一つは、マタイ二四・三三の次の聖句である。
 「これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい」。
 「これらのこと」とは、文脈上、大患難迫害時代の前兆期、第一期、第二期、第三期のすべてを含んでいる。また「人の子が戸口まで近づく」とは、キリストの空中顕現である。
 したがって、大患難迫害時代の第三期の終わりになって、はじめてキリストの空中顕現がある。キリスト者の復活・携挙も、そのときである。
 また、このキリストの御言葉は、異邦人クリスチャンたちをも含む「すべての人に」対して言われた御言葉であることにも、注意する必要がある(マコ一三・三七)
(2) もう一つの根拠は、Tテサロニケ五・一七の、
 「次に生き残っている私たちが、たちまち彼ら(復活したキリスト者たち)と一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会う」
 という御言葉である。空中で主と「会う」と訳されたこの御言葉の原語(アパンテーシス)は、他の箇所では常に「出迎える」「迎えに出る」と訳されている言葉である。
 たとえば「花婿を出迎える一〇人の娘」のたとえにおいて、
 「そら、花婿だ。迎えに出よ」(マタ二五・六)
 というように使われている。
 この「迎えに出る」とは、たとえば家の主人が自分の家に帰ってくるようなとき、まず家から迎えの者が道の途中まで行く。そして道の途中で主人に会うと、「お待ちしておりました」と言って主人を迎え、今度は主人と共に家に帰ってくることである。
 道の途中に七年間いるという意味ではない。お迎えしたら、すぐ家に戻ってくるのである。
 同様に、キリストはまず空中に現われなさる。そのときクリスチャンたちは携挙され、空中で主をお迎えする。そこに七年もの長い間とどまっていることはない。彼らはまもなく、主と共に地上に降りてくる。
 このように「空中で主と会う」とは、空中まで主をお迎えに行く、という意味なのである。

 このように、キリストの空中顕現、およびキリスト者の復活・携挙は、大患難迫害時代の終わり頃と考えられる。大患難迫害時代の最中、キリスト者はずっと地上にいる。
 しかし、かつて出エジプトの前夜、エジプトにいたイスラエル人は、すべての災害から守られた。かつてダニエルの三人の友も、火の中をくぐったが、火傷一つ負わなかった。
 それらの時と全く同様に、すべてのキリスト者は、大患難迫害時代の最中、神の力強い守りを受けるであろう(黙示三・一〇)
 キリスト者は、迫害を受けて殉教したり、自然死を迎えることはあっても、神の裁きを受けて死ぬことはないのである。
 キリスト者は、大患難迫害時代を地上で通過し、そののち大患難迫害時代の終わり頃になって、キリストの空中顕現の際に、空中で主をお迎えするために携挙される。


(B)王国形成期

 キリストの空中顕現、およびキリスト者の復活・携挙によって、「王国形成期」が始まる。
 王国形成期は、千年王国樹立に至るまでの一連の出来事が起きる時期である。キリストの空中顕現、キリスト者の復活・携挙に続いて、ハルマゲドンの戦いが起きる。
 ハルマゲドンの戦いは、人類同志の戦いや、人類絶滅戦争ではない。それはキリストの勢力 対 地上の悪の勢力の戦いである。それはまた、キリストが地上の悪の勢力に対して下される、審判である。
 終末の日、イスラエル北部のハルマゲドンと呼ばれる地に、「獣」(独裁者)や彼の同盟国の軍隊が集結する(黙示一六・一六)
 しかしキリストは、復活・携挙されたキリスト者たちを従えて、そこに集結した彼らに裁きを下し、彼らを滅ぼされる(黙示一九・一一〜二一)。キリストは、地上の悪を一掃されるのである。
 ハルマゲドンの戦いののち、サタン幽閉がある。悪の勢力の主体であるサタンは、捕らえられ、よみの最下層である「底知れぬ所」に投げ込まれる。そこに千年間しばられ、その間出てくることはできない(黙示二〇・一〜三)
 サタン幽閉に続いて、キリストの地上再臨がある。キリストは降りてきて、地上に「千年王国」を樹立される。
 キリストを大王として、聖徒たちは千年王国における指導的な立場につく(黙示二〇・三〜六)

 ここで、再び縦の対応関係を見てみよう。
 かつてアブラハムの出エジプトの頃、エジプトに災いが下った。モーセの出エジプトのときにも、エジプトの災いが下り、キリスト教国教化のときには、ローマに災いが下った。
 同様に、聖徒たちの復活・携挙という"悪世からの脱出"の際には、この地上と、大バビロンに災いが下るであろう。
 また、かつてアブラハムの増勢期には、彼が諸王を撃破した出来事があった。
 イスラエルの未統一時代には、サムエルの指導のもとにイスラエルがペリシテ人を打ち破った出来事があった。これは圧倒的な勝利で、ペリシテ人は降伏し、以後二度とイスラエルに侵略してこなかった(Tサム七・一三)
 また、中世のキリスト教王国形成時代には、襲来したイスラム軍を撃破した有名な出来事があった。七三二年、ツール・ポアチエの戦いで、カロリング家の宮宰チャールズ・マルテルがイスラム軍を撃退し、キリスト教世界を外敵から守ったのである。
 これら外敵撃退の出来事は、いずれも王国時代を形成する基となった。さらに最終末世の「王国形成期」においては、ハルマゲドンの戦いで、キリストは獣とその軍を撃破し、千年王国の基を築かれるわけである。


(C)千年王国時代

 千年王国は、この地球上における、目に見える具体的な世界である。
 地上に再臨されたキリストは、クリスチャンたちと共に支配の座について、千年にわたって地球を支配される。
 神は、万物が過ぎ去る前に、この善悪対立の歴史の中で、エデンの園の善の世界が回復した世界を、しばらくの間持つことを、よしとされた。それが、このキリストの王国――千年王国である。
 万物が過ぎ去り、新天新地が創造されたあとには、そこに永遠の神の国がある。しかし、万物が新しくなってしまう前に、現在の天地において、またこの善悪対立の歴史の中に、完全な善が実現した世界をある期間設けることは、意味のあることである。


これはギリシャ神話のアポロの絵だが(リヴィヤール画)
来るべき千年王国において、
このような光景が見られるであろう。
狼と小羊とは共に住むのである。

 したがって「族長アブラハムの盛期」「(イスラエル)統一王国時代」「キリスト教王国時代」はおのおの約一〇〇年続いたが、このキリストの王国は一〇〇〇年続くことを、神はよしとされた。
 一〇〇〇年が、一〇〇年にさらに聖書の完全数一〇をかけたものであることは、千年王国が人間的王国とは違って、完全なものであることを示しているのであろう。
 これに関して興味深いのは、初期のキリスト教文書の一つ『バルナバの手紙』にある記述である。
 この文書には、アダムからアブラハムまでが約二〇〇〇年、アブラハムからキリスト初来までが約二〇〇〇年であったように、キリスト教時代も約二〇〇〇年間続くであろう、と述べられている。そしてその後、一〇〇〇年にわたる安息の千年王国が来るだろうと。
 そのように初期のクリスチャンたちは考えていたのである。つまり、神がかつて六日の創造のあとに七日目を安息の日とされたのと同じく、約六千年の歴史の後の第七千年期は、至福と安息の千年王国となるであろう。
 最終末世は、まさに人類の歴史のしめくくりの時代なのである。


人々は千年にわたって、
主の恵みの時代を体験する。
(C)P.P.P.A


 千年王国の後には、次のようなことが起こる。詳しいことは終末論の項で扱うので、ここでは大まかな流れだけを見ておこう。


(D)サタン解放期

 千年王国の後、サタンはその牢から解き放たれる。
 「サタンはその牢から解き放され、地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出ていき、戦いのために彼らを召集する」(黙示二〇・七〜八)
 このように、サタンはしばらくの間――限られた一時の期間ではあるが、千年王国の後に解き放たれる。


(E)審判期

 続いて、次々に審判の行なわれる「審判期」がある。
 まず、ゴグ、マゴグが滅ぼされる。また彼らを惑わしたサタンは、火の池(地獄)に投げ込まれる。サタンはそこで、
 「永遠に・・・・苦しみを受ける」(黙示二〇・一〇)
 これは事実上、サタンの永遠の滅びである。彼がそこから出てくることは、もはやない。
 そしてつぎに、いわゆる"最後の審判"が行なわれる。これは、すべての生者と死者に対する神の最終的な評価の時、裁判の時である。
 すべての人は神の御前に立つ。そしてその神の法廷で、人々の最終的な行き先――天国(神の国・新天新地)か地獄(火の池・ゲヘナ)か――が各自に申し渡される。


(F)新しい世

 "最後の審判"と呼ばれる神の法廷の後、万物は更新される。現在の古い天地は過ぎ去り、新天新地が創造される。
 宇宙自体が新しくなるのである。現在の宇宙とは違った秩序の、新しい宇宙が出現する。それは宇宙大の「神の国」である。


 今まで見てきたように、アダム以来、歴史は一定の進行パターンを繰り返してきた。
 ただしパターンは同じようでも、「父祖時代」はアブラハム一家をその範囲とし、「選民世」はイスラエル民族を、「終末世」はキリスト教世界を、「最終末世」は全世界をその範囲として、その歴史パターンが繰り返されるのである。
 だんだん範囲が拡大され、ついには全世界が包含される。歴史の中には、良いことも悪いことも見られるが、神はその歴史を、ある一定の方向へと導いておられるのである。
 それは、漁師が地引き網を引くことに似ている。漁師が地引き網をひくとき、網の中には良い魚も悪い魚(食べられない魚)も入っている。漁師はそれを岸辺に引き寄せ、そののち岸辺で、良い魚と悪い魚とを選り分ける。


歴史は地引き網に似ている。
岸に引き上げてのち、魚を
良いものと悪いものに選り分けるのである。

 同様に神は、歴史の地引き網を、神の国に向かって引き寄せ、そののち、良いものと悪いものとを選り分ける(マタ一三・四七〜五〇)。そして良いものは神の国に引き上げ、悪いものは捨てるのである。
 これが、人類の歴史を貫く神の摂理である。

                                            久保有政著  

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