終末論

終末の時代に起こること 第1章

終末の前兆

「終末」とは、「この世」と「来たるべき世」の境界
世の終わりが間近になったしるしとは何か


軍備拡張する世界

 最近、世界の学者の間で、核戦争、環境破壊、エネルギー枯渇、人口爆発、食糧不足等の問題が盛んに取り上げられ、
 "人類には、はたして未来があるか"
 というようなことが、盛んに論議されるようになっています。
 しかも、様々な終末予言の解説書も書店にならぶようになり、人々の間に、終末問題に対する関心が高まっています。
 クリスチャンたちが信奉している聖書も、世界の終末について数多くのことを述べている書物です。
 しかし聖書の述べている「終末」とは、どのようなものなのでしょうか。それは多くの人々の思っているように、破滅が無差別的に世界とすべての人々に下る、ということなのでしょうか。「終末」が来れば、それで最後で、あとはただ死の静寂のみがある、ということなのでしょうか。


「終末」とは、この世と来たるべき世の境界

 聖書の言う「終末」「世の終わり」は、第一に、すべてのものが破滅してそれ以後は無となり、死の静寂に至る、というものではありません。
 聖書でいう「世界の終末」は、現在の天地万物にみられる事物の体制が終わりを告げ、新しい体制の中に生まれ変わる時のことを、意味しています。聖書はこの時のことを、
 「万物更新の時」(使徒三・二一)
 とも言っています。「終末」とは、現在の世界が終結し、新しい世界として始まるときのことを、意味しているのです。ですから、聖書には次のように記されています。
 「見よ。まことにわたし(神)は、新しい天と新しい地とを創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しめ」(イザ六五・一七〜一八)。
 聖書のいう「世界の終末」は、悪、苦しみ、死、病気等の悲惨に満ちたこの現在の世界に終止符が打たれ、神の完全な支配による新しい秩序の世界が始まる時を、意味しているのです。つまり、「終末」「世の終わり」は、「この世」と「来たるべき世」との境界にほかなりません。
 また第二に、終末における「破滅」あるいは「滅亡」は、すべての人に"無差別的に"起こるのではありません。「終末が来ると世界は滅び、すべての人は死に絶える」ということはありません。
 聖書の言う「終末」は、選択的です。人類の破局は、決して無差別的に起こるのではなく、選択的であり、滅びに値するものだけが滅びるのです。聖書は言っています。
 「正直な人は地に住みつき、潔白な人は地に生き残る。しかし、悪者どもは地から絶やされ、裏切り者は地から根こぎにされる」(箴言二・二一〜二二)
このように滅びは、選択的に人々に起こり、滅びに値する人々が滅びるのであって、一方、神に信頼し、その教えにかたく立つ人々が滅びることは決して神がお許しになることではありません。
 神は、キリストによって「罪の赦し」をいただいたクリスチャンたちが、この新しい世を継ぐことを、約束しておられます。
 「私たち(クリスチャン)は、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる」(二ペテ三・一三)
 のです。
 第三に、「終末」とは、神がご自分の「永遠の目的」(エペ三・一一)に従ってなされてきたみわざ、そしてそのご計画が完結するときです。それは私たちを苦しめてきた悪が、世界から一掃される時であり、また至福の神の王国が、その全き姿を、私たちの前に現わすときなのです。
 ですから、クリスチャンたちにとって「世の終わり」「終末」は、恐れるべきものではなく、むしろ待ち望むべきものです。それは聖書の言う「終末」とは、すべての悪や苦しみが世界から追放されるときであり、また神を愛するすべての人々の救いが、完成するときだからです。
 二千年前のイエス・キリストの十字架は、信じるすべての人々の罪が赦され、神の前に義と認められるために、なされました。そしてキリストを信じ、彼に従っていくすべての人々には、「神の子とされる特権」(ヨハ一・一二)と、「永遠のいのち」(ヨハ三・一六)の約束が与えられています。
 しかし人々は、神の救いの全貌を、すでに体験したわけではありません。私たちの救いは、天が開かれてキリストが再臨(再来)され、私たちのからだをご自身と同じ「栄光のからだ」(ピリ三・二一)に変えて下さるときに、完成を見ます。そのときに私たちは、文字通り死と病と罪の性質から、完全に解放されるからです。
 キリストは終わりの時に再臨されて、世の悪に終止符を打ち、ご自身の栄光の御国を地上に樹立して、ご自分を信じる者を、神の王国の市民として迎え入れてくださるのです。


なぜ終末が来なければならないのか

 しかし、なぜ世界に「終末」が来なければならないのでしょうか。世界が「終末」を迎えることなく、このまま真の平和と幸福に満ちた世界になっていくことはできないのでしょうか。
 人間は今まで、神をぬきにして、自分たちだけで真の平和と、幸福と、繁栄の世界を築けるかのように歩んで来ました。しかし人間は、本当に真の平和と、幸福と、繁栄の世界を築き得たでしょうか。
 第一次世界大戦以前、とくに欧米ではユートピア(理想郷)思想が盛んで、人々は漠然と、科学や産業の進歩と共に人類は申し分ない平和と、幸福と、繁栄の世界に向かっていくと考えていました。第一次大戦が勃発した時、人々はこの戦争は「すべての戦争を終わらせる最後の戦争」になるだろうと考えました。


第一次世界大戦(1917年)

 そして大戦後、人々は国際連合の前身である「国際連盟」を設立し、平和のために努力しました。しかしその努力もむなしく、まもなくさらに大規模な第二次世界大戦が勃発しました。そして第二次大戦後、私たちは第三次世界大戦、あるいは核戦争の不安の中に暮らしています。
 科学は発達し、産業は興隆し、技術は進歩しました。しかし一方では、世界は今や大きな危険をはらむようになっているのです。
 原子力は、原子力発電などのかたちで人類に恩恵を与えている一方、核爆弾などのかたちで、人類を脅かしています。また私たちは、宇宙船が人類を月に送り届けたというニュースを聞く一方で、そうした宇宙船に核ミサイルが装備される可能性についての論議も耳にします。
 今日、地上に存在するすべての核爆弾を用いれば、地球を数十回滅ぼすことができると言われています。
 また、医学や遺伝子工学などの技術も進歩し、私たちはその恩恵にあずかっています。しかし一方では、専門家の指摘しているように、遺伝子工学による生命操作がもし無秩序に行なわれ、行き過ぎれば、デリケートな世界の生態系が破壊されてしまうことにもなりかねません。
 そして自然界の生命を人為的にいじくりまわすことによって、人間は神の領域に土足で踏み込むようなことをしているのかもしれません。
 こうしたことから、現代の世界に危機感を抱いている人々は、少なくありません。たとえば、平和主義者バートランド・ラッセルはこう語りました。
 「一九一四年(第一次大戦の勃発した年)以来、世界の趨勢に気づく者はみな、次第に大きくなる災厄に向かうべく予定され、運命づけられたような行進を見て、大いに悩まされてきた。多くのまじめな人々が、破滅への突入を回避する術のないことを感じとるようになってきている」。
 三木武夫・元首相も、次のように語りました。
 「世界はますます縮小しており、全人類は同一の船に乗り、運命を共にしている。・・・・もしこうした事態が存続するとすれば、遠からず我々が滅びる運命にあることは明白である」。
 またある論説家は、
 「今日、我々の生活を支配する最大の感情は、恐怖である」
 と語りました。世界は今、人類の歴史始まって以来かつてなかった危機に直面しています。今や、多くの人は、このままでは全人類の滅亡になりかねないと、考えています。
 全人類の滅亡、また全人類の自滅を防ぎ、阻止する方法はないのでしょうか。世界の多くの人々は、そのために懸命な努力をしています。しかし、はたして人類は、自らの手で破滅を回避することができるでしょうか。
 人類は懸命な努力によって、この危機を、あるいは乗り越えるかもしれません。しかし、それはおそらく一時的なものでしょう。いずれ人類はまた、同じ様な危機に直面することでしょう。そして遅かれ早かれ、行き着く所まで行き着いてしまうに違いありません。
 神がこの世界にやがて終末を来たらせ、新しい世界を確立されるということの一つの理由は、この全人類の自滅という悲劇を回避させることにあります。
 神は、私たちすべての人を愛しておられ、誰よりも私たち人類の真の平和と、幸福と、繁栄を願っておられます。もし神がこの世界に介入をなさらず、この世界を放任してしまうとすれば、人類は破滅への道をひたすら進んでいくだけでしょう。
 しかしやがて神は、その破滅への行進にストップをかけられるのです。神はこの世界に上より介入され、ご自身の栄光の御国を、地上に確立されるでしょう。そして古い世界は過ぎ去り、すべてが新しくなるのです。


他に方法はないのか

 しかし、この古い世界が過ぎ去ることなしに、平和に至る道はないのでしょうか。この世界のままで、平和と幸福と繁栄の社会を確立することは出来ないものでしょうか。
 人間は今日まで、世界の体制を変革しようとするとき、選挙やクーデターや革命等の手段を用いてきました。例えば、フランス革命やロシア革命を例にとっても、それらは確かに何らかの変化をもたらしました。しかし、それらは永続的な幸福を、あるいは恒久的な平和をもたらしたでしょうか。
 疑いもなく、答えは「否」です。聖書の言う通り、人間の努力だけでは、
 「曲がったものを、まっすぐにすることはできない」(伝道一・一五)
 のです。この世界は、砂の上に建てられている、貧弱な材料でできた家に似ています。屋根は、はがれかけ、壁はこわれ、柱の木は虫が食っています。このような家では、家具の位置を変えたり、壁紙をはって見栄えをよくしても、一体どれほどの益があるでしょうか。
 分別のある人なら、きっとその家をとりこわして、岩のようなかたい土台の上に、良い材料で家を建て直すことでしょう。
 この世界もまた、選挙やクーデターや革命などで、この貧弱な家の修理をしようとするのですが、もともと貧弱な材料で、つぎ木をあてたり、直したりするので、たいした益はありません。
 ですから神は、この家をむしろとりこわして、ご自身という、岩のような堅固な土台の上に、良い材料で家を建て直そうとしておられるのです。
 イエス・キリストは、
 「だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば、両方とも長もちがするであろう」
 と言われました。新しい体制を古い世界にもち込んでも、うまくは行きません。新しい体制は、新しい世界に確立すべきです。ですから古い世界は滅び、過ぎ去らねばなりません。こうして滅びの後に、平和と幸福が確立されるのです。


キリストは終末のことについて多くを語られた

 その日、
 「悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐ」(詩篇三七・九)
 の聖句の通り、現在の体制の下にとどまる人たちは、滅びることでしょう。しかし、それは聖書によれば、神に属する正しい人たちを救い出すために支払わねばならない、代価なのです(箴言二一・一八、イザ四三・一〜四)。


それは" 神につくか世につくか"が問われる時

 ですから終末の時は、神の側につくか、それともこの世の欲と罪のもとにとどまるかということが、最も問われる時となるでしょう。聖書は、
世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行なう者は、永遠にながらえる」(一ヨハ一・一七)
 と述べています。神につくか、世につくかということは、私たちの生きかたに対する、神の最終的な問いです。そして私たちがどちらを選ぶかによって、私たちは、永遠のいのち、あるいは滅亡の、どちらかを選んでいるのです。
 世界の終末の時、すなわち神が世界に最終的に介入される時は、そう遠くはありません。おそらく間近でしょう。信仰をまだ明確にもっていない人は、一刻もはやく明確にしなければなりません。
 やがて地の果てから果てまでのすべての人が、神の御前に立つ時が来ます。私たちは、神に立ち帰らねばなりません。そして私たちが、神に立ち帰り、神に受け入れられるよう、道を開いてくださったかたが、私たちの救い主イエス・キリストなのです。


終末の前兆はすでに見られる

 終末が間近になった時代には、いったいどんな前兆があるのでしょうか。いくつかの前兆は、すでに現代において見られるものです。
 

(1) イスラエル国家の再建
 まず、終末が間近になった時代には、イスラエル国家が再建されます。
 ユダヤ民族は、紀元七〇年にエルサレムが破壊されて以来、世界に離散し、約一九〇〇年にわたって世界の各地を流浪していました。しかし二〇世紀になってパレスチナに帰り始め、ついに一九四八年にイスラエル共和国の独立を宣言しました。祖国を再建したのです。
 二〇〇〇年近くも国を失っていた民族が、自分たちのアイデンティティを失うことなく、再び故国の地に戻り、国を再建したなどということは、他の民族においては到底あり得ないことでした。しかし、ユダヤ民族は、それをやり遂げました。
 しかも彼らは、二〇〇〇年間「死語」であったヘブル語を復活させ、今では彼らの母国語として使用しているのです。
 このイスラエル国家の再建は、聖書の預言の成就であり、また終末が間近になったことを示す最も重要なしるしです。聖書のエゼキエル書には、終末の時代に起きることとして次のように記されています。
 「わたし(神)は、あなたがたを諸国の民の間から連れだし、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れていく」(エゼ三六・二四)。
 また、イエス・キリストはマタイ福音書二四章その他で、終末の近づいた時代の前兆について語られています。それを読むと、その時代にはすでにイスラエルは回復して、パレスチナに住んでいることがわかります。
 こうしたことから聖書預言の研究者たちは、イスラエル国家が実際に再建される何百年も前から、やがてそうなることを予告していました。
 アメリカの初期の植民地の官吏インクリース・メイサーは、一六六九年に『イスラエルの救いの奥義』と題する本を著し、やがてユダヤ人がパレスチナに帰ってきて、彼らの国家を再建すると述べていました。イスラエル国家が実際に再建される二七九年も前に、すでにそう述べていたのです。
 また、一八六六年に英国の聖書学者ジェームズ・グラントは、こう述べていました。
 「地上に千年王国を建てることを目的とするキリストの再臨は、ユダヤ人たちが彼ら自身の国に帰ってきて、さらにキリストとユダヤ人の敵が世界の各地から軍隊を集めエルサレムへの攻撃を開始するまでは、起こらない」。
 これは、イスラエルが国家となる八二年前に書かれたのです。


イスラエル国家再建(1948年)は
終末が近づいた重要なしるし

 このように、一九四八年にイスラエル国家が再建されたことは、キリストの再臨と終末が近づいたことの、重要なしるしです。


(2) 世界大戦
 終末の前兆の第二は、世界大戦や、民族間また国家間の全面戦争が多発することです。イエス・キリストは、終末が近づいた前兆の一つとして、次のように言われました。
 「戦争や、戦争のうわさを聞くでしょう。・・・・民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がります」(マタ二四・六〜七)。
 二〇世紀になって、一九一四年に第一次世界大戦が起きたとき、それは多くの民族と国々を巻き込む、最初の大規模な全面戦争となりました。一九六四年三月一三日付けの米国の雑誌『ライフ』は、第一次大戦についてこう書きました。
 「それは、以前のどの戦争にもまして、多くの人を殺した。一般市民、つまり国民全体を巻き込んだ戦争は、これが最初であった」。
 第一次大戦以前には、戦争は職業軍人が戦ったものです。一般市民は前線に出ることはありませんでした。日本でも昔サムライの時代に、たとえば関ヶ原の戦いの時など、武士たちが戦争をし、お百姓さんたちは弁当を持って山の上からそれを見学していたものです。
 しかし第一次世界大戦以降、そうした状況は世界的に変わりました。もはや単に職業軍人が戦うだけの戦争でなく、一般市民も動員され、国民全体が戦闘行為を全面的に支援する全面戦争となっていったのです。第一次世界大戦は、総力をあげて「民族は民族に、国は国に敵対」した最初の戦争でした。
 さらに第二次世界大戦では、これはもっと大規模なかたちで起こりました。世界大戦は、キリストが予言された終末の時代の重要な前兆なのです。


第二次世界大戦。「民族は民族に、国は
国に敵対して立ち上がります」


(3) にせキリスト・にせ預言者の出現
 また、終末が近づくと、多くの偽キリスト・偽預言者が現われると、イエス・キリストは言われました。
 「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたし(キリスト)の名を名乗って現われ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう」(マタ二四・四〜五)。
 実際、二〇世紀になって、多くの偽キリストが現われています。
 かつて大本教の第二代目教主・出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)は、自分を、再臨(再来)のキリストだと主張しました。彼は自分の髪を主イエスのように長くのばし、自分の風貌を主イエスに似せ、また両手の甲を着色して、
 「これは、私がかつて十字架につけられたときの傷あとだよ」
 と言って、人に見せたりしました。


 出口王仁三郎

 出口王仁三郎は昭和三年三月三日を「立て直し」の日とし、その日、白馬にまたがって信者の間を闊歩しました。彼は自分を、黙示録一九・一一に描かれた「白馬に乗っておられるかた」(キリスト)に模したのです。
 また、そのとき七人の信徒に、まわりでラッパを吹かせました。彼ら信徒を、同八・六に描かれた「七つのラッパを持つ七人の御使い」に模したのです。出口は人々から霊能者と思われていましたから、こんなパフォーマンスでも、人々は結構彼を「再臨のキリスト」と思いこんだといいいます。
 また、伝道者ビリー・グラハム博士の語ったところによると、かつて彼がアフリカのある国に訪れたときのこと、そこの政治家が「私は再臨のキリストなのだ」と語ったといいます。
 また、キリスト教の異端である韓国の統一協会の教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン)は、自分が再臨のキリストだと主張しています。彼は、旧約時代がキリストの初臨(初来)によって終了し新約時代が始まったように、新約時代はキリストの再臨によって終了し「成約時代」が始まるとしています。そのキリストは韓国に現われる人物であって、すなわち自分だと主張しているのです。
 文鮮明は現代の代表的な偽キリストですが、韓国には他にも大勢の偽キリストがいます。韓国の国際宗教問題研究所の所長・卓明煥師は、
 「韓国には『われこそは再臨のキリストだ』と自称する者が三三人いる」
 と言っています。
 日本にも、偽キリストは少なくありません。兵庫県富岡市には、盲人の「再臨のキリスト」がいて、ある日神戸新聞の記者がたずねていったとき、
 「初臨のキリストは、人類の罪を背負って死んだ。現代人はみな心の盲人だから、わしが盲目を背負ってやるのじゃ」
 と語ったといいます。
 また、森山諭牧師の語ったところによると、かつて帝国ホテルのあるマネージャーが、
 「わしは再臨のキリストじゃ」
 と手紙を書いてよこしたといいます。
 終末が近づいた時代には、人々の社会不安が増します。その不安に乗じて、自分を救い主と自称する偽キリストは、今後さらに多く現われてくるでしょう。さらに偽キリストと共に、偽預言者の活動も活発になるに違いありません。


(4) 疫病、ききん、地震、不法の増加
 イエス・キリストは、終末が近づいた時代には、
 「方々に疫病・・・・が起こる」(ルカ二一・一〇)
 と言われました。
 実際、たとえば二〇世紀になって初めて知られるようになった恐るべき疫病である「エイズ」(後天性免疫不全症候群)は、またたく間に世界に広まり、「もはや安全な国はない」と言われるまでに全世界に脅威を与えています。
 また、ききんの増加も、終末の前兆の一つです。
 「方々に、ききん・・・・が起こります」(マタ二四・七)。
 現在、アフリカをはじめとする世界の多くの国々で、依然ききんは深刻な状態にあります。FAO(食糧農業機関)の発表によれば、世界総人口の約四分の一は、深刻なききんの状態にあって、飢えに苦しんでいるとのことです。


 深刻なききんが拡大している

 地震の増加も、終末の前兆の一つです。
 「方々に・・・・地震が起こります」(マタ二四・七)。
 アメリカ沿岸測地所の資料によって過去の大地震について調べてみると、一九一四年以前の二〇〇年間に大地震は一六数えられていますが、一九一四年以降今までの間には、その約三倍もの大地震が起きています。
 不法の増加も、終末の前兆の一つです。
 「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります」(マタ二四・一二)。
 犯罪、暴力、テロリズムなどの増加は、今や世界の多くの国々で社会的問題となっています。さらに、多くの人々は利己的な幸福の追求に走り、「愛は冷え」、他の人をかえりみないようになっています。


(5) パレスチナの平和
 聖書によると、終末が近づいた時代において、「獣」と呼ばれる暴君(後述)が世界に台頭する以前のパレスチナは、一時的に平和の状態にあるはずです。
 イスラエルは、一九四八年にパレスチナに国家を建設して以来、アラブ諸国との間に四度にわたる「中東戦争」を経験してきました。イスラエルはたえず、戦争の恐怖の中に生き続けてきました。
 しかしついに、最近の一九九四年に至って、イスラエルとPLO(パレスチナ解放戦線)との間に、歴史的な和平が成立。PLOによる、パレスチナ・アラブ人の自治がスタートしました。こうした動きを、私たちは終末が近づいた時代の前兆の一つと捉えることができます。
 なぜなら、キリストの再臨が近づいた時代に、イスラエルは「安心」と「平和」のうちに住んでいる、と聖書が預言しているからです。
 「その民(イスラエル)は、多くの国々の民の中から集められ、久しく廃虚であったイスラエルの山々に住んでいる。・・・・彼らはみな安心して住んでいる」(エゼ三八・八)。


エルサレムの一時的和平

 イスラエルは、平和と安心の中に住むようになるのです。今後、たとえアラブ人との間に幾度かの衝突があったとしても、イスラエルは全体的には、アラブとの和平を実現する方向に進んでいくでしょう。
 それは、終末の近づいた前兆の一つとなるのです。


(6) イスラエル北方の軍事強国
 旧約聖書エゼキエル書の預言によれば、終末の前兆の一つに、イスラエルの北の果てに強大な軍事国家が現われる、ということがあります。預言によれば、その軍事国家は、終末の日にイスラエルに攻めいるはずなのです。
 「あなたは北の果てのあなたの国から、多くの国々の民を率いて来る。・・・・あなたはわたしの民イスラエルを攻めに上り、終わりの日に、あなたは地をおおう雲のようになる」(エゼ三八・一五〜一六)。
 イスラエルの「北の果て」のこの国とは、どこでしょうか。世界地図を広げ、イスラエルから経線を北にたどっていくと、その経線はモスクワ市内を通ることがわかります。
 すなわち、イスラエルの北の果てには旧ソ連・・今のロシアがあるのです。エゼキエル書はまた、「北の果て」の国の中心民族として「メシェク」の名をあげていますが(三八・二)、ロシアの首都「モスクワ」の名は、この「メシェク」に由来するものです。


イスラエル北方の軍事大国・ロシア

 ソ連解体後、ロシアは軍拡競争から一応身を引きました。しかし、今も強大な軍事国家であるのに変わりはありません。
 さらに、ロシアの政局は今日ますます混迷を深め、不安定さを増しています。「大ロシア」の野望をかかげ、ロシアの領土を南方に拡張しようと主張する右翼政治家も現われてきています。
 私たちは、北の強国ロシアの今後の行方を、注視しなければなりません。


(7) 今後あらわれる前兆
 これら、イスラエル国家の再建、世界大戦、偽キリスト、偽預言者、疫病、ききん、地震、不法、パレスチナの平和、イスラエル北方の軍事強国等は、すでに現代世界に見られるようになった終末の前兆です。
 聖書はさらに、今後の世界にあらわれるはずの前兆についても、預言しています。
 最も重要なのは、エルサレムにユダヤ人の神殿が再建されるということです。かつて第一神殿(ソロモン神殿)、第二神殿(ゼルバベル、ヘロデ神殿)のあったと同じ場所に、「第三神殿」が建設されるはずなのです。ユダヤ人はそこで旧約のモーセの律法に従い、犠牲をささげる儀式を再開するでしょう。
 また、世界には十か国からなる軍事的同盟国が出現します。ヨハネ黙示録が象徴的に「獣」と呼ぶ暴君も、世界に台頭するようになるでしょう。悪の勢力が世界に君臨し、世界は暗く、混沌としてくるのです。
 エルサレムが異邦人に踏みにじられる、ということも起きます。しかし、そのとき神の二人の預言者が現われて、そこで預言活動をするでしょう。
 この頃になると、数多くの自然災害も頻発するようになります。今まで人類が経験したこともなかったような天変地異も、起きるようになるでしょう。
 大戦争が起こり、世界人口はかなり減少することになるでしょう。世界はあらゆる面で、"末期症状"を呈してくるのです。
 こうした前兆ののち、天が開けて、イエス・キリストが地上に再臨(再来)されます。それは、世界の悪に終止符を打つためです。彼は世界に一種の"大手術"を行ない、地上の悪を一掃し、世界を清めて、そこに至福の「千年王国」を樹立されます。
 そして千年王国が終わると、世界は終末を迎え、現在の古い天地は過ぎ去り、万物は更新されます。新天新地が創造され、クリスチャンたちはその新天新地を継ぎます。
 そうした未来を、聖書は預言しているのです。これら、世界に今後起こるはずの出来事を、次の章から詳しく見てみることにしましょう。

久保有政

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