富士山


言わずと知れた日本一の山です。登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿とも言われます。万が高山病になってつらかったですが、お鉢めぐりもしました。
日時 1975年8月8日(夜行)-9日
晋 万
8日の夜、今は無き大垣行きの普通列車で富士へ向かいました。ちょうど甲子園の高校野球のときで、荒木大輔を主戦投手に擁する早稲田実業が王以来の甲子園出場で応援に行く人たちが乗っていました。

やった日本で一番高い剣が峰
東海道線の富士駅で降り、駅構内のベンチで仮眠し、始発の身延線に乗り、富士宮で下車し、合い乗りタクシーで、新五合目へ向かいました。途中、神社の涌き水の所で運転手さんが車を止めてくれて、水を汲みました。天気は曇りで心配していましたが、五合目は雲の上で、晴れ。山頂がすぐそこに見えました。

富士山山頂
下から見る美しい富士山ではなく、岩のごつごつした赤茶けた火成岩の道を登ります。富士宮口は吉田口よりはすいていますが、それでも人はぞろぞろという感じです。割に早く四時間くらいで頂上に着きました。杖と旗を買って持って行ったので、神社で杖に焼印を旗には印を押してもらいました。山頂郵便局で、両方の親に手紙を出し、我が家は記念に、スタンプ切手を買いました。

そこから最高点の剣が峰へ向かいます。急な坂をあがると気象レーダーのドームのある剣が峰でした。万はこの頃から頭痛。どうやら寝不足と疲れのため高山病になったようです。それでも晋はお鉢めぐりに向かいます。万はつらい。つらい。食事は取れません。

ズボッズボッと足が取られる砂走り

吉田口山頂をへて、御殿場への砂走りを下ります。下り始めは普通の登山道ですがじきに砂走りになります。御殿場口は二合目といいますが、あっという間に着いてしまいました。万の頭痛も治ったので、やはり高山病だったようです。やっと食事を取り、万も元気になりました。

御殿場線、東海道線と回って帰りました。