大岳山
前回に続き大岳山です。前回、大嶽神社から馬頭刈尾根に向かう途中で卅丁と卅二丁の丁石を見つけたので調べてみると、白倉からの登山道が大嶽神社への昔の表参道で、丁石がある事がわかりました。早速、丁石を探しながら、登ってみる事にしました。馬頭刈尾根から鋸山方向と神社方向の分岐の三叉路からは、山頂への直登ルートがあり、地図には破線路が書いてあるので、山頂へはそのルートを登ってみる予定です。下山はつるつる温泉に下るか、サルギ尾根を養沢神社に下るか、時間を見ながら考えるつもりです。
日時: 2025年7月19日 (晴)
晋 万
一の鳥居にある1丁目の丁石
稲田堤からの乗り換えは、分倍河原経由より 1本遅くても良いので、稲田堤から行く事にする。4:10起床。薄明りで、明け六つどきくらいの明るさ。4:30にはすっかり明るくなる。5時に出て駅に着くと 5:12が出て行った。京王線はいつも微妙に遅れるので、少し急いで歩けばこれに乗って分倍河原乗り換えでも行けた。つぎの 5:23は始発で遅れることは無い。稲田堤で南武線に乗り換え、5:49だ。土曜日なので結構登山者が乗っていてびっくりだが、分倍河原で京王線に乗り換える人が多い。すこし靄っているので、山は見えない。立川 6:02着。青梅行は 6:05なので、急いで乗り換える。五日市へは拝島乗り換え。始発なので、座って車内で朝食。五日市 6:44着。小岩行きのバスは 6:50発。バス停に並ぶが、登山者はそこそこいる。何処の山に行くのかな?。小岩行きには登山者は我々を入れて 5人乗車。白倉で降りたのは 4人だった 7:15。車内で準備を済ませていたのですぐに出発する。入口には大きな自然石の庚申塔があった。
割と急坂な舗装路を上がる。途中で二十三夜塔(嘉永6年)と百番供養塔(寛政5年)を見る。7:25大嶽神社里宮に参拝。境内にヤマユリが咲いていてよく香る。元禄13年という結構古い庚申塔があった。7:30出る。登山道に入って一の鳥居 7:35-40。一丁石はここだ。両側面に銘文があるが読めなかった。鳥居の左前には大きな自然石の庚申塔があり天保13年。右前には宝珠と笠の乗った石標柱があり大嶽社とある。
少し上がり、林道を横切る。登山道の入口に 二丁石。7:45左側に小堂があり中にお地蔵さんがあった。お堂の横には大山祇大神の石祠。7:55 五丁石。右側面に甚兵衛という寄進者名があり、榧倉(地名)とある。字が違うが茅倉の事だと思う。8:00 六丁石。右側の笹の中にある。寄進者は千足の人だ。その先左側に石祠の台座みたいな石が転がっているのを見て、少し上がると七丁石 8:05。トラツグミのへたくそな口笛みたいな鳴き声が聞こえる。近くでキツツキが強い声で鳴く。8:10 八丁石。これも榧倉の人で四良兵衛。8:15 九丁石。寄進者名は読めない。8:35ジグザグに上がって行くところで富士山が見えた、770-80mのところだ。松生山から浅間嶺に続く稜線の向こうに頭を出している。雪はない。
さすがに昔からの参道なので道はよくできている。急な直登は無く、ジグザグも上手にきってある。老人でもゆっくり上がれば参拝できるように作ってあるのだと思う。
富士山が見えた
8:50 十六丁石。埋もれかかっている。8:55 大きな松の木があった。9:00 十七丁石。暑い。9:10 十九丁石。千足の人が二人で寄進したようだ。少し上がると綺麗な石垣が積んであった。9:15-20 廿丁石。お茶飲む。すぐに廿一丁石。笹藪に埋もれかかっている。9:30 廿三丁石。9:35馬頭刈尾根に合流した。合流点の左 5mくらいのところに廿六丁石。右側面に「右ハ 加〇〇山」とある。あとで調べたが、加の付く山がどこかは分からなかった。一休みして 9:40出る。少し上がるとベンチの所。一人降りて来た。木の間から富士山が良く見える。
緩い登りを進んで 9:55三叉路に到着。手前の小祠は石積みの壇上にあって、山中の小祠としては立派だ。交点に猿田彦大神の石碑 (天保9年) がある。その先に卅二丁石、大沢の人の寄進。ここから左に入る。10:00トラバース道の倒木のところから上がってくる道と合う。10mも下ればトラバース道だ。我々が来た方向は木を置いて止めてあるので、ここが本来の直登ルート登り口だろう。
思っていた場所に到着
少し進むと登りになる。気持ちの良い道だ。左が植林地で右が広葉樹。ナツツバキの花が落ちていた。岩のあるところを通り過ぎて上がると左右に横切る綺麗な道がある。山頂直下を巻く道で、予想していた場所だ。越えて上がるとすぐベンチのところに出て、右が山頂 1266.4m、10:20。14-5人いた。少し早いので前回ほど混雑じゃない。富士山が見えるが、だいぶ雲が上がってきていた。同じバスの人が先着していた。「直登ルートを上がって来たが、いいルートですね」と言うと、その人もいつも直登ルートだそうだ。古里に下ると言うので「我々は前回大塚山から登って来た」と言ってちょっと話す。
最後の丁石の40丁
少し休んで 10:30大嶽神社へ下る。登って来る人が多い。岩場を過ぎて下り 10:40大嶽神社。拝殿前の可愛い狛犬を確認して鳥居に行くが四十丁石が見付からない。探すと鳥居の右手の岩の前にあった。岩に接しているので見えにくいのだ。施主は泉沢の人。10:45出る。10:50鎖のある岩場を過ぎる。11:05 バギー車の小屋。11:10鍋割山分岐。11:15アクバ(芥場)峠。まだ早いのでつるつる温泉にも十分行けるが、人の少ないサルギ尾根を下ることにする。その先の尾根道分岐のところで昼食にする。風が涼しい。食事中、走る人が通り過ぎて行ったが、戻ってきた。2人組が通り過ぎて行った。食事を終え 12:00出発。
すぐ先で先程分岐した尾根道が下りてきて合流。少し登りになり、上高岩山 12:10。イワウチワの保護区がありロープで囲ってある。ここから下ると岩石園。少し先が展望台 12:15。先程の 2人が休憩中。養沢に下るのかと聞くと、戻って岩石園に下ると言っていた。埼玉方面が良く見える。御嶽神社が見えた。展望台から急降下する。イワウチワがある。12:20 930m付近から左へ、890mくらいまで引き続き急降下。しばし緩い上下があり、850mくらいから登りになる 12:35。12:45高岩山 920m。振り返ると先程の展望台が見えた。
しばし痩せ尾根がある。サルギ尾根という道標が出てきた。13:05 809m。登山道と書いた矢印の道標がある。下ると正面は岩尾根になる。赤テープに従って左に巻いて下るが、巻道もそんなに良くないし、まっすぐ岩尾根を降りる方にも赤テープが見えたから巻道の赤テープを付けた人は岩場が嫌いなのかな。750mまで下りて、すこし緩む。その先、720m付近に綺麗な炭窯跡があり、ベンチもある 13:15。
養沢神社
13:30大名子の頭 670m付近。道標の根元に石が置いてあり大名子の頭と書いてあった。ここからは下り一方だ。ぐんぐん下る。最後は手すりのある急坂になった。14:00養沢神社に到着。境内から鳥居に下る石段の上の、普通は狛犬のある場所に、大きな一対の石竜がある。珍しい。車道におりてバス停を確認し、橋の袂から川に降りて体を拭く。汗びっしょりのシャツを脱いで着替えると気持ちが良い。拝殿の前でお茶とお菓子で一休みした。大岳鍾乳洞に行く車道の入口の道標に払沢の滝入口まで 8.9kmとある。鍾乳洞から更に奥へ入り、馬頭刈尾根に登って、千足に下る関東ふれあいの道を示しているのだが、すごいね。
バスは 14:53だが、増便があり 2-3分早く来た。バスは小型だ。待っていたのは我々含めて 6人だったが、バスが着いた時に鍾乳洞の方から人が来て、ほぼ満席になった。途中、バスから満開のヤマユリの群落が見えた。途中から乗る人には運転手が「すぐ定時のバスがくるからそちらに乗ったら座れる」と言っていた。
15:23頃五日市駅に到着。15:32の立川行に乗れた。車内でコーヒーと饅頭。立川で南武線 16:13に乗る。分倍河原から京王に乗り、調布で乗り換えて 17:20帰宅。
白倉からの登山道は、大嶽信仰の参拝道なので、とても綺麗な道で、上手にきってあります。大岳山に登るには一番良い道じゃないでしょうか。好きな人は好きでしょうね。我が家も気に入りました。途中富士山も見ることが出来ます。三叉路からの直登も良い道でした。サルギ尾根を下りましたが 2009年に登った時は養沢神社に大きな栃があったのですが、2011年に強剪定したら枯死してしまったそうです。
丁石は、有ることが分かっている中では、十丁と十三丁が見付からなかったので、草の茂っていない時期にもう一度行ってみようと思います。
『新編武蔵国風土記稿(多磨郡巻24)』の大嶽山を、内閣文庫本の影印版(文献出版)で読んでみました。山頂については「五六歩ノ平地アリテ奥院ヲタツ」とあり、昔は奥の院がありました。歩は坪と同じで、5-6坪は 20平米くらいですから山頂の様子とだいたい合っていますね。奥院本宮は「本社ノ西ニアタリテ山ノ巓ニアリ」とあります。愛宕社は「奥院ノ側ニアリ」、猿田彦社は「コレモ同邊ニアリ」とあります。大嶽山の図では、山頂を挟んで本社の反対側に若宮とありますので、三叉路の小社は若宮かもしれません。(注:内務省地理局の活字翻刻本がベースの雄山閣版では奥宮本宮は「山ノ麓」とあります。)