熊本


ANAの7000円セールがあることを知り、チケットを手配し、熊本の姉宅に行く事にしました。晋は熊本は高校の修学旅行以来です。姉宅には行ったことがありません。巨樹と石造物と姉の自宅整理を手伝う予定ですが、出来るかどうかな?。晋は 2-3日前からぎっくり腰で不調ですがなんとかなるでしょう。
日時: 2023年5月10日から16日
晋 万
10日(晴)
4:45起床し 5:26の各停で出る。登戸で JR南武線に乗換。始発だったので座れた。川崎から京急、6:32の羽田行に乗る。7時前には羽田に着いた。荷物検査の前にコーヒー。2Fまで上がっていたがコンビニは B1。晋は腰痛なので万が買いに行ってくれた。47ゲートなのでコーヒーを飲んでから荷物検査を通りバスラウンジからバスに乗って別館へ行く。別館で朝食のパンを食べる。飛行機には直接乗り込める。7:50搭乗。「鬼滅の刃」の塗装の飛行機だった。カメラのメモリーが不調でここまで撮った写真がなくなってしまった。

予定通り 8:10に動き始めたが少し待って 8:35離陸。9:10コーヒーのサービスがあった。順調に飛んで 10:03着陸。バス乗り場に向かうが万が以前に来た時から建物が綺麗になって変わっていた。今年3月 OPENしたとか。10:15バス停に着く。丁度バスが出て行くところで、次の 10:25のバスに乗った。11:25熊本駅に到着。姉に TELし植木駅まで迎えに来てくれるように手配する。食事は弁当を三つ買う。「寂心さんのクスノキ」は駅からの方が近いので、見てから家に行くことにした。熊本駅発 11:45に乗って植木へ。12:00植木駅着。姉は来ていた。車は修理中で、軽を借りている。家の車は軽なのでメーカーは違うがまあ慣れている感じだ。

寂心さんのクスノキ
12:15寂心さんのクスノキ。晋は初めて見るが地元で自慢しているのも分かる。大きな公園で、四阿で昼食を食べる。見学していると結構人が見に来る。広々したところの大きなクスノキなので圧巻だ。13:05出る。

菱形の池
次は円台寺に向かう。13:15菱形の池のところの駐車場に着いた。近くに菱形の池がある。池の中に菱形に囲ったところがあり水が 2〜3か所ぶくぶく出ている。我々がお喋りするのを、隣の家で人が見ていたようで、2〜3日前からやっと湧き出たと言っていた。次に円台寺の摩崖仏群から石造笠塔婆を見に行くことにした。姉は駐車場で待っている。13:20案内板に沿って坂道から登って行く。

円台寺摩崖仏群
2-3分上がると摩崖仏群がある。下に善光寺式三尊、左横に三重層塔浮彫り、左上に如来坐像(説法印なので釈迦かな?)がある。2017年に善光寺式三尊中尊の顔と如来坐像の顔が損壊された。如来と三尊の間に弥陀立像があったが、元の位置から落とされて首が折れ、今は市で保管していいる由。700年も無事だった石仏が、自然に壊れたなら仕方ないが、明らかに人が壊したものだ。修復は不可能だし、困ったものだとしか言えないのもつらい。

笠塔婆
更に登ると舗装路に出る。登ってきた道は昔の円台寺の参道だ。進むと右に納骨堂と今の円台寺があり五輪塔群があった 13:30。五輪塔群は後で見ることにして先に進む。その先に立派な笠塔婆の石標柱があり説明板があるが笠塔婆は梅林の中なのでここからは入れない。少し先に石祠があって矢印があるが、道が定かでないので、もう少し先に行く。順路という矢印があったのでそれに従って右へ行く。少し先で右へ入ると農道になり笠塔婆の道標がある。道なりに進んでいくうちにちょっと行き過ぎたようで戻りながら林の中を見ると笠塔婆が見えた 13:40。笠塔婆は梅林の中にあった。笠は別物で銘文ははっきりしていて建久七年(1196)の紀年銘もよく見える。周囲には石仏や近世の自然石墓碑などもあった。戻る途中にも近世の自然石墓碑があった。

薬師堂・再度笠塔婆・現円台寺
戻って円台寺の薬師堂に行く 13:55。堂内には十二神将・金剛力士像などがある。厨子の中には薬師立像があった。車に戻る途中、笠塔婆の案内板をもう一度よく読むと笠塔婆がもう 1基有ることが分かり再度梅林に行く。今度は石祠のところから入った。先ほどの農道に畑仕事に来た車が停まっていて、その人に聞くと先ほどの笠塔婆の 5m位先だと言う。行ってみると、こちらは周りには何もなく、1基だけ立っていた 14:10。上から三分の一辺りで一度折れてセメントで継いである。こちらも銘文は綺麗に読め、建久四年(1193)だ。戻って納骨堂と今の円台寺の境内で五輪塔群を観察。水輪の種子はやや癖のある梵字が多かった。宝塔も少しあった。

菱形八幡
駐車場に戻り菱形八幡に行く。我々はわざわざ行かなくても良いと言ったが姉が連れて行ってくれた。少し行き過ぎて戻る。14:35駐車場に停めた。夫婦杉があり、社殿の後は窟があり上が崖で、元々は窟と崖がご神体だったのではないかと思う。大雨で崖が崩れて社殿が壊れ、建て替えたそうで、妻飾に旧社殿のものと思われる邪鬼が使ってあった。行かなくても良いと言ったが行ってよかった。

滴水のイチョウ
14:45出て 14:55-15:05滴水(たるみず)のイチョウ。自治会館の前にあって、立っている場所がやや狭いけれども立派なイチョウだ。会館の駐車場は車が停まっているので、今日は会合があるみたい。イチョウの根元に享禄 3年(1530)の自然石板碑があり線刻で仏像坐像・一対の花瓶・男子像・女子像がある。仏像と花瓶は見えにくいが男女の像はよく分かった。丁度学校の下校時間なのか、中学生が自転車を、乗ってくるが下り坂では降りて、押して来る。以前事故でもあったのかな?。場所が良かったらと思うイチョウだった。

小野泉水公園の石橋
帰りにちょっと寄り道して石橋が移築されている小野泉水公園に寄る 15:20-45。小野小町が生まれた場所と言われている。が、小町に関してはあちこちにあるよね。我々は滴水の眼鏡橋(大正時代)・正院眼鏡橋(安政 3年1856)を見て七国神社を見て、園内を一周して姉宅に行く。

公園を出て 15:50姉宅に到着。早朝に家を出てから植木での観光まで疲れたが、天気が良くて巨樹・石造としっかり見学できて良かった。


11日(晴)
6:00起床。弁当を作って 3人で出発 9:00。 今日は玉東・玉名方面の石造物を見て田原坂の予定だったが、案内の姉が勘違いをして田原坂から行く事になった。

田原坂
西南戦争の激戦地だ。下の駐車場で降りてここから歩く 9:30。すぐ銃弾の跡がある蔵がある。少し上がると鹿児島本線の方向が開ける。少し前にテレビで鉄道写真家がここから写真を撮っている番組があったが我々がいる間は電車は通過しなかった。史料館は省略。進むと薩摩・官軍の死者名の碑がある。4千人余りと言うものすごく沢山の人が亡くなったのは万は初めて知った。更に進むとクスノキの巨樹と美少年の銅像がある。上の駐車場で姉は待っていた 9:50。

田原の五輪塔
ここから万が運転する。次は田原の五輪塔だ。駐車場から田原坂を下らずに右に行く。見つかりにくいかと思っていたが、道路脇にありすぐに分かった。2-3分で到着 9:55。五輪塔と板碑だ。姉は散歩を兼ねて、隣の田原熊野神社に行く。大型の形の良い五輪塔で建治 3年(1277)。板碑は自然石で天正13年(1585)の銘があり種子は線刻の籠字だ。横に宝篋印塔の笠があり完形なら大型と思う。見終わって我々も神社に行く。この神社も西南戦争の遺跡があるようだ。拝殿の妻飾は彫刻蟇股だった。10:05出る。

豊岡の眼鏡橋、厳島神社五輪塔
戻って田原坂を下り、豊岡の眼鏡橋を見る 10:15-20。年号のはっきりした石橋では熊本県最古の享和 2年(1802)。今は通行してないが綺麗な橋だ。ここから県31を南に厳島神社に向かう。カーナビでは位置が出ないので地図を見ながら行くが左折地点が分からず行き過ぎた。少し戻って右折し細い道を上がって左に行く。人がいないかときょろきょろしてると神社の下だった 10:25。石段を上がると右に五輪塔がある。元亨 2年(1322)。肩くらいの高さ。水輪はやや角ばった感じだ。横に小型の五輪塔が 5基並んでいる。その横に板碑が 2基、どちらも自然石に舟形光背の五輪塔浮彫り。拝殿後ろの石段を上がると石造の社殿があった。境内の観音堂には、船底十一面観音立像、大永 4年(1524)。格子の隙間から覗ける。綺麗な像だった。

山田日吉神社
10:40出て、次は玉名の山田日吉神社に向かう。細い道を下り、県31との角に「船底の五輪塔」と書いた小さい道標があった。ここから入れば分かりやすかったのだ。右折して戻り眼鏡橋で左折し国208で大牟田方面へ。途中バイパス (今は国208) に入り、分からなくなった。行き過ぎたと思い左折して市街の方に入ると玉名市役所があったので行って受付で聞くと丁寧に教えてくれた。もう少し先のようだ。国208に戻り先に進む。山田の信号で右折し 600mで山田日吉神社。通り過ぎた神社裏の駐車場に車を停める 11:30。古い神社で、大きなフジがあり、山田の藤と言って県内では有名らしい。大きな藤棚も作ってある。花が咲く時期に来たら綺麗だろうね。宮司は常駐していないようだが、綺麗に手入れされている。水車・フジを見て建長の碑を見に行くが、その前に神社の十二の坊にあった小型の五輪塔が 2基覆い屋の中にあるのを見る。

建長の塔
建長の塔へは神社前から左に道標に沿って行く 11:35。少し行くと左に上がる踏み跡があったが道標も何も無いのでそのまま進み行き過ぎてしまった。戻って、万が先ほどの踏み跡を上がって見つける 11:45。建長の塔は大きくて立派な宝塔で建長 2年(1250)の紀年銘がある。これだけの大きさの宝塔は珍しい。正面に多宝、釈迦の 2尊の種子が刻まれているから法華経見宝塔品による塔だ。綺麗に手入れされている。そばに竹箒も置いてあった。

山田毘沙門天の宝塔
戻って、神社に向かって右手の階段を上がると山田毘沙門天 11:55。左脇奥の宝塔を見学。これは普通の大きさで正面は釈迦多宝の二尊浮彫り、建長 4年(1252)。右後ろにも如来像を浮彫りした石塔残欠と立派な五輪塔火輪があった。山側に六弁の大きな白い花が一杯咲いていた。クレマチスの仲間だと思う。昼になったので日吉神社でフジを見ながら昼食 12:00-12:40。それから誕生寺に向かう。

誕生寺五輪塔
日吉神社を出て南に戻り国208を横切って直進する。三叉路を右折し、小学校を過ぎて少し行って細い道に左折して入ると道なりに誕生寺の駐車場に着いた 12:50。車を停めると道路を渡った北側正面に多宝塔(平成30年築)が見える。正面左に目指す五輪塔が見えるが右側の円形の石門から入った。左に行き多宝塔の前を通り過ぎると大型の五輪塔が 2基並んで立っている。左右とも 2.5m以上の高さで九州では最大という。奈良の西大寺の塔と同じ真言律宗系の塔。その西側には五輪塔が多数集められていて、北側に皇円上人と彫った文字碑と並んでいる数基の中に応永23年(1416)と永禄元年(1558)がある。南側には壇上に数十基の五輪塔が集められていた。多宝塔の右手にある五重塔は平成 9年築の綺麗な塔で純木造。

13:05誕生寺を出て玉東町の西安寺跡(白山神社)に向かう。国208に出て、戻り、木葉(このは)駅のところから県191に入り新幹線の手前で左に入る。道なりに行きグループホームの先で左に入る筈がグループホームが分からずそのまま道なりに行ってしまった。おかしいなと思っている内に建物が見えて「pizza & cafe SOIL」とあったので行き過ぎと分かり戻る。400mくらい戻って道がゆるく左に曲がるところで右に入り 300m位で三叉路、そこに道標があった。左折して進むと三叉路があり「からおけ 村」が見つかった。大きな倉庫のような建物だ。これを目印に来る積りだったのでホッとして右折し少し行くと左側に鳥居があり目的の西安寺跡(白山神社)に着いた 13:40。苦労したね。

西安寺跡五輪塔
拝殿の左側から奥に入って行く。入口の左側に三猿の、それぞれ丸彫りの、石像があり、丸彫りでこの大きさは初めて見た。奥に行くと壇上に相良氏の五輪塔が 6基並んでいる。右 3基が大きくて形が良い。その中央が一番大きな塔で正嘉元年(1257)だ。左の 3基はやや小型で寄せ集め。左端から 2基目を除き他の 5基には地輪に銘文があり鎌倉期の紀年銘がある。五輪塔の後に少し離れて板碑が 2基立っている。五輪塔迄の参道の右側にも板碑が数基あり 3基に天文の年号が見えた。拝殿に戻ると右手奥に摂社がありその前にも板碑がある。摂社の右の林の中に 2基あり永禄の板碑は 2.5m位の大型で多数の人名がある結集板碑。天正の板碑は 1.5m位、霊位、入滅の銘があり墓碑だろう。板碑は全て自然石。14:15出て、カラオケまで戻って左折し、道なりに県113に出た。菱形の池に出るつもりが道を間違って県31に出た。

帰る前に西里の方に行ってフードパルに行く 15:10。万はお茶を買った。フードパルと言うので、大きなモールだと思ったが、工場と店舗ごとの店が集まっている場所だった。それから国3に出てホンダに行き、車を受け取り軽を返した。


12日(晴)
6:00起床。今日は車を借りて二人で大牟田方面へ。三池炭鉱の遺跡と荒尾の石造物だ。姉が弁当を作ってくれて、8:40出る。昨日受け取ってから車の計器にバッテリの表示が出たりする。車のマニュアルが見つからず分からないので心配になり、姉も初めてだと言うので心配でホンダに行く 8:55。開店は 10時だったので待つのかと思ったら店の人がいてハイブリッドなのでバッテリで走るときに出るのだと教えてくれた。安心して 9:00出発。このまま国208に入り、荒尾に向かう。

賀庭寺石塔群
玉名に入り昨日通った山田を過ぎ、荒尾に入り、赤田池を過ぎたところで右折して北へ向かう。カーナビにはない新しい道だ。菜切川を過ぎて 400m程で左折、すぐ県46に出て左折、カーナビが入ったので、左側に気を付けて進み 300mでカーナビの指示通り左折する。行けるのかと思うような細い道だ。突き当たって左へ進むと賀庭寺に出た。狭いが駐車場が有るので停める 9:50。入って行くと右に小さい薬師堂があり正面に賀庭寺のお堂がある。お堂は小さいが周囲に宝塔、五輪塔などが 200基以上並んでいた。江戸末期の宝篋印塔以外は大きなものは無いが鎌倉から室町期の宝塔、五輪塔だ。板碑も少しある。google の写真を見るとお堂の後側の中央には大きな木があり、周囲にも木があったようだが今は切り倒され、石塔婆群は明るい広場に並んでいる状態だった。薬師堂には朽損した仏像が薬師像をはじめたくさん保存されていて、去年行った近江の朽損仏を思い出した。10:20出て岩本橋へ。

岩本橋
地図には賀庭寺から北に進める道が有り、そちらに向かったが、とてもじゃないが軽トラでないと無理な農道だった。賀庭寺の北側の家の入口でUターンし、県46に戻って、北へ向かう。4kmほど進み関川の橋を渡って左側に JAの売店があり、広い駐車場に停める 10:30。すぐそこに岩本橋が見えた。二連アーチの石橋だ。架橋時期は正確には不明だが慶応年間らしい。今は南岸側に接続道が無く、使われていないが、橋幅も 2間半あり、車も走れたと思い、何時頃まで実用されたのか知りたかったが、ネットでは分からなかった。10:50出て万田坑へ向かう。

万田坑
橋を渡って戻り信号で右折し県29を西へ 4kmほど走り、道標で右折するとすぐ万田坑の駐車場に着いた 11:00。建物と坑内へ下るエレベーターの櫓が見える。万田坑ステーションに行き坑内見学券を買う。案内ボランティアの人がいて出発するところだったのでお願いする。我々 2人だけだった。説明してもらいながら一回りして巻揚機室にも入った。ボタ山は無いのか聞くと三井の炭鉱ではボタは採鉱が終わった坑道の埋戻しに使うので無いとのことだった。坑内見学も無いので万はちょっとがっかり。でも炭鉱は金属鉱山と違って落盤や爆発の危険もあるから坑内見学は難しいだろう。団体が来ると言うので案内の人と別れ、もう一度見て回る。職場と言う工作場に行くと旋盤などが置いてあった。万は櫓の裏側に行くが晋は腰が痛くてやめ。12:10車に戻り昼食にし、12:45出る。

宮原(みやのはら)坑
宮原坑は大牟田市。県29を戻り、途中で県787に入る。諏訪川を渡り、左に曲がって北へ向かう。臼井郵便局前を通って道なりに行くと宮原坑の駐車場に着く 12:50。櫓が見える。建物は修理中で見学できなかった。ここは明治大正の主力炭鉱で昭和初期には採炭が終わり排水揚げに使われた。排水路跡もあった。鉄道跡が横を通っている。建物の少ない広々した遺跡だった。一回りしてから宮原坑と三井港のビデオを見る。概要がわかったのは収穫だった。

早鐘眼鏡橋
三池港に行く前に近くにある早鐘眼鏡橋に行く。駐車場から北に行き、県3との三叉路を右折してすぐだ。2-3分で着く 13:45。車を停めて歩いていくと 100m程で眼鏡橋が見えた。大きくはないが綺麗な橋だ。延宝2年(1674)というから江戸時代も早い方で、年代が分かっている日本で最古の水路橋だそうだ。柵があってそばまでは行けないが良かった。13:55次の三池港へ向かう。カーナビが効くのでセットした。

三池港
県3を北西へ行き上官町2で左折、すぐまた左折する。延命公園の北側を過ぎてY字を右へ、白金町で左折して国389に入る。諏訪川を渡って三川町1で右折し、道なりに行くと三池港のフェリーターミナルのところに着く 14:10。三池港の内港の港口になる。駐車場の脇に閘門に使われた木材が展示してあった。港奥を見ると閘門が見えた。宮原坑でビデオをみて歴史などが分かっているので良かった。閘門のそばまで行けないかなと思い、行ってみたが、さすがに近くには寄れなかった。閘門は干潮が大きい時間帯に閉門して港内水位を保つので、開閉時間表があり、一か月の内 17-8日間の干満差の大きい時間帯に長くて 3時間半、短くて 1時間くらい閉めるようだ。今日は一日中開門だった。こういう閘門はカナダの運河には多い。駐車場そばの公園からは雲仙の平成新山が見えた。14:35出て、最後の予定地荒尾の浄業寺へ向かう。

浄業寺(じょうごうじ)石塔群
カーナビは荒尾市役所にセットして県276から国389に出て南下する。大島で左折して荒尾駅の方へ向かい、信号を右折して南下すると市役所に出る。通り過ぎたところで左折し、踏切を渡り、三叉路を右に曲がり、すぐ左に曲がると玉津島神社の鳥居の前に駐車出来る 14:45。神社に向かって左側に五輪塔群があった。一番古いものが弘安4年(1281)、天文・天正頃の戦国末期のものが多いようだ。玉東では遠江出身の相良氏の五輪塔を見たが、ここは武蔵出身の小代氏。風空輪がすべて失われているのは残念だが 70基を超える五輪塔群は形もよく、大きさも揃っていた。境内には立派なイチョウの木もあった。今日の予定はこれで終わり。

15:05出て熊本へ向かい国208を走る。途中 15:45セブンイレブンでコーヒー。16:30帰宅。


13日(雨)
一日雨。整理。片付け。
14日(晴)
朝は霧。ゴミ捨て。
15日(晴)
今日は石橋を見に行く。8:25出発。北熊本ICから高速に乗る 8:35。御船ICで降りる 8:50。国445を走り辺田見で国443に入って南下する。

小筵(こむしろ)橋
美里町に入り国218を横切るとすぐ右に駐車場がある 9:10。道の向こう側に小筵橋。軽自動車までは渡れる。国道から全体が見える。綺麗な橋だ。架橋は嘉八の作と推定されネットでは文化5年(1808)頃と文政12年(1829)と二説あり、時期がだいぶ違う。嘉八は寛政のはじめ(1790年頃)の生まれなので嘉八の作とすれば文化5年は早すぎる。史料はないそうだ。路面が車が通れるように平坦になっているので明治・大正ころに若干の修築があったのかもしれないと晋は思う。

熊延(ゆうえん)鉄道遺構
9:15出て国218を横切って戻り、橋を渡ってすぐ右折する。200mばかり行くと駐車場がある。熊延鉄道と八角トンネルの説明板がある。熊延は熊本と延岡で、その間を繋ぐ壮大な計画だったのだ。1915年に春竹(現南熊本) - 鯰間が開業し、1932年に終点になった砥用(ともち)まで開通した。1964年全区間廃線。八角トンネルへの道標があり、ここから旧線路敷を歩く。2-3分で八角トンネル。トンネルと言うがトンネルではなく切通し箇所の擁壁を補強する構造物を 7つ連続して設置したものだから明るい。通り抜けて進むと途中に稲荷があった。さらに行くと壁のようなものが見えた。鉄橋の端の橋壁で、昔はこの上を線路が走った。ここから下ると第一津留川鉄橋の円柱の橋脚があった。大きい。川まで下ると両岸に 1本づつある。全部で 4本の筈だが対岸の 1本は見えなかった。駐車場の説明板には気動車が走っている写真があったが、この上を汽車も走ったのだ。太くて高くて見ごたえがあった。

二俣橋
9:50駐車場に戻って道をそのまま進むと 1-2分で橋を渡り、道が少し広がっているところで車を停める 9:55。渡った橋は第3二俣橋。昭和 2年(1927)架橋でアーチの装飾や欄干の形など綺麗な橋だ。昔の土木技師の美的な心意気を感じる。その横が二俣福良渡(第2二俣橋、文政13年 1830)、直角に二俣渡(第1二俣橋、文政12年 1829)の二つの石橋がある。第2の方は熊本地震で破損したが修復されている。第1は冬の正午ごろ太陽の光が橋の下にハート形を映し出すので恋人の聖地として人気の由。どちらも美しい石橋だ。第1の上流側に国443(国218)の橋と並行して年祢(としね)橋がある。大正13年の石橋で 4連アーチの大きな橋だが国道の橋に隠れてよく見えないのが残念。今は車は通してないので国道に戻れば橋上に行けるが省略。

馬門(まかど)橋
二俣橋から 500mほど進み左折して国218に出る。600mほど行き、橋の手前に車が 3台停まれる駐車場がある 10:25。駐車場の横から下って行くと馬門橋。文政11年(1828)の橋だ。「車一切通べからず」に石工名として茂吉、勘五郎とあるがこの勘五郎は備前の人で有名な橋本勘五郎とは別人。横に支流から落ちる綺麗な小滝があった。いい橋だ。

大窪橋
10:40駐車場にもどり国218を進む。2kmほど進んで右折すると大窪橋 10:45-50。万は以前来たことがある。幕末の嘉永2年(1849)の架橋。中央がやや高くなった太鼓橋で横から見ると綺麗な形をしている。これも「車通べからず」の橋で、太鼓橋のままなのは近代になっても車を通さなかったのだろう。幅も車を通すには少し狭い。橋のたもとにイロハモミジの木がありプロペラ形の実がピンク色でとても綺麗だった。

霊台橋
更に国218を進み霊台橋に向かう。国道の橋を渡ってトイレの前の小さい駐車場に停めた 10:55。ここも万は 2回目。有名なだけあって綺麗なそして大きな橋だ。弘化 4年(1847)架橋。中央がやや高い太鼓橋だが明治33年(1900)に石垣を積み増して平坦にしていた。国道としての役目が昭和41年に終わった後、昭和55年の修復工事で架橋時の姿になった。対岸まで渡って下に降りたりして見る。太鼓橋になっている曲線がやっぱり美しい。水平な時期は 80年あったのだからと写真を探してみたが、西日本新聞と熊日の小さな写真しか見つからなかった。今の姿は優雅だが国道時代はガッチリして見える。

通潤橋に行く前にイチョウの巨樹を探訪に福城寺に行くことにする。11:20出て国218を300m進み、国道から離れて左上へ上がる。道なりに北へ進み橋を渡ると県321に出て左へ 12:13。100mくらい行くとガードマンが立っている。エー!県道通行止め?と思って聞くと左への分岐の方が通行止めだった。さらに 150m進んで変形 4叉路を右後ろ方向に曲がり、登って行く。道なりに 1km程上がり、甲佐嶽・福城寺と道標のあるところで左折して北へ向かう。どんどん登って行くが上の方にも家がある。左下に家のある分岐を過ぎ、右に一軒家を見て左への林道分岐を過ぎ、右へ大きく曲がると福城寺に到着した 11:35。付近には家が 2-3軒ある。

福城寺
石段を上がり仁王門を通ると右にお堂が二つ並び、正面に本堂が見える。本堂手前に宝篋印塔の残欠があり足手荒神と書いた賽銭箱がぶら下がっていた。本堂にお参り。正面の仏さまは花瓶を持っているので説明板にある十一面観音と思う。堂内には祈願の幟がかかっていて、甲子園出場祈願の幟もあった。本堂の向かって左手前に大きなイチョウがある。株立ちだが目通り 8.2m。写真を撮って一回りし、もっと大きな目通り 15.3mの大イチョウが有る筈と見渡すと本堂に向かって右手の奥にあった。これも株立ちだ。本堂前も大きいと思ったがやっぱりこちらの方がだいぶ大きい。あっちから見てこっちから見て一回りした。駐車場まで戻るとバス停があり週に 2回、午前と午後の便があるようだった。

12:00福城寺を出て通潤橋に向かう。来た道を下り、登って来たときには右から来て左折したところで、今度は左に下る。12:13県321に出た。少し進んで県220に入り、12:17国445に出て左折する。7.5kmほど行くと通潤橋への道標が出てくるので右折する。あとは道標に注意しながら進み 12:30道の駅通潤橋に着いた。

通潤橋
まずは道の駅で昼食。量が多く晋も万もすこし残すくらいだった。それから通潤橋へ行く。嘉永 7年(1854)架橋の水路橋。連休の後から 7月中旬までは放水が無いので橋上へは上れないが近くまで行った。近くで見るとさすがに大きい。橋上への階段は止めてあり、その脇に水路があって水が落ちてきていた。戻って、上流側の丘に向かって階段を登る。万は以前に来た時には登らなかったのでここは初めてだ。上がって広場から見下ろすと平らな通潤橋の上面がよく見えた。下に、通潤橋に水を落とす水門が見えたので行ってみる。用水路から通潤橋へは昔ながらの木の水門があり、今は閉めてあるので、水は脇水路に落ちていた。通潤橋側に水は来ていないが、通潤橋の通水管が 3つあるので通水管への水門も 3つある。水門は木の板を上げ下げする簡単なものだが、水路は石造りでがっちりしている。散策路を少し奥の方へ歩くと五老ヶ滝への散策道が分岐し、滝まで 550mとあった。普段なら行くが、晋の腰が不調で行けなかった。道の駅まで戻る途中、男女二人組が上がって来た。道の駅の売店で五老ヶ滝の近くまで車で行けないかと聞くと地図をくれて教えてくれた。100mくらい歩けばよいので行けそうだ。

五老ヶ滝、吊り橋
13:50出て道の駅から上がり休業中の国民宿舎の前を通って布田神社の駐車場に車を停める 13:55。まず神社の前から通潤橋に行く。御小屋があり、更に行くと通潤橋に下って行く階段の上で止めてあったが、橋と対岸の水門付近までよく見えた。こちら側には通潤隧道という用水トンネルの入口が見え、昭和36年竣工とあった。

駐車場まで戻って吊り橋へ向かう 14:00。道標には吊り橋迄 150mとあった。よく整備された道を 5分ほど下ると五老ヶ滝が見える。高50mの立派な滝だ。途中でさきほど通潤橋のところで会った二人とすれ違った。二人は歩いてきたのだ。滝つぼへの道を分けて、さらに下ると吊り橋 14:10。ここから見る五老ヶ滝は素晴らしい。大きな岩壁の中央を滝が落ちていて滝つぼも広い。対岸まで行って少し上がると滝の落ち口がみえた。戻って、少し上がり、分岐からは滝つぼ迄 170mだ。行きたかったが腰不調。残念ながらあきらめた。14:30駐車場まで戻った。

円形分水
来た道を戻り、道の駅を通り過ぎて国218に出る。例によってカーナビは遠回りさせるが仕方ない。国218を東に進み、聖橋を渡ったところで県141へ左折する。1.5km程行くと橋の手前に円形分水の駐車場があるがもう少し先まで行くと円形分水の横に着いた 14:40。路肩に停めて円形分水に行く。円形分水は昭和31年に出来た。川崎の二ヶ領用水円筒分水(昭和16年、直径16m)に比べて、直径 10.5mで少し小さいが、内円筒から外円筒へ溢れだす水の流れがすごく綺麗で、周囲の景色も含めて、円筒分水よりも美しい。来て良かった。

聖橋
14:50出て県141を戻る。国218に出る手前で路肩に停めて聖橋を見る 14:55。国道の聖橋と並行して石橋が架かっている。岩永三五郎の架橋で天保 3年(1832)。この地区では古い橋だが、残念ながら側面が草で覆われていて石組が見えないし、国道の橋と近すぎる。

山屋のトンネル
国218に左折し東へ向かう。2.5kmほどで県320が右に分岐するところで左折する。100mで突き当り左折。50m程で右に上がって行く山道があるので近くに駐車する 15:00。山道は昔の日向往還で道形ははっきりしているが綺麗ではない。3分ほど上がると山屋のトンネル。長さ 22m、幅、高さとも 2.5mほどで、壁にノミ跡がはっきりわかる素掘りのトンネルだ。開削年は不明だが東側の入口に僧?の座像(案内板には地蔵とあるが地蔵ではない。腕を組んでいて、着物姿なので俗人に見えるが普通は俗人の像をこんな場所に置くことはない。よって不明だ。)があり台座に明治 3年(1870)とある。面白いトンネルだった。

唐傘松
15:15車に戻る。15時も過ぎたので最後に唐傘松に行って帰ることにする。国218に戻り 1.5kmほど進んで、竜宮大橋の手前で左に入る。100mで左折。角に唐傘松の道標があった。600m行って、また道標があり鋭角に右折する。少し行くと正面に唐傘松が見え、道が細くなる。名前の通り唐傘を広げたような形をしている。民家を過ぎると道がますます細くなりUターン出来るか心配になる。唐傘松の丘の下で道は左右に分かれ右に行く。普通車一台がやっとの道だ。でも道標があるので大丈夫だと信じて進む。唐傘松の裏側で丘の上に出ると舗装はしてないが砂利を敷いたちゃんとした駐車場があった 15:25。ホ!とする。綺麗に刈り払いされた丘の上を歩いて松に向かう。本当に盆栽みたいな大きな松だ。松の表側に回って少し下まで行って見上げる。全く人の手が入っていないそうだが素晴らしい。来てよかった。14:40駐車場に戻り、下って、民家の所で車を停め、もう一度振り返る。素敵だった。

国218に戻って 7kmほど西に進み、国445の手前のセブンイレブンでコーヒーを飲んで一息つき、山都署の先で右折して国445に入る。国445沿いにも幾つか石橋があるが省略し、山都中島西ICから高速に入った。高島JCTの手前に料金所があり有料になる 16:40。北に走り 16:52北熊本で高速を降り 17:00帰宅。走行距離は 141.6kmだった。


16日(晴)
午前中荷造りをして、もう一人の姉に TELする。用事を頼まれ、送る荷物の発送を兼ねて夢大地に行く。帰る途中自分たちの荷物を発送し、姉宅に戻る。11:30 姉に車で送ってもらって駅に向かう。植木駅 11:40。ちょっと早かったけどね。12:01に乗り、熊本駅 12:15着。空港行きのバスは 熊本駅前 7番乗り場 12:35発だ、乗客は乗っていなかったが、桜町バスターミナルや通町筋などから乗客が乗ってくる。阿蘇熊本空港 13:35着。チェックインは 1階。2階から乗る。昼食は姉が弁当を作ってくれたのでラウンジで食べる。県内のお土産屋・食べ物屋が店を開いている。五木の「山うにとうふ」を土産に買う。酒のつまみに美味しい。木をふんだんに使った綺麗な空港だ。

14:35頃乗る。小型で片側 3席の飛行機。通路側と真ん中の席だと思って座ったら真ん中と窓側の席だった。飛行機は ANAとソラシドのシェア便でソラシドの飛行機だ。14:55出る。15:00離陸。窓側の席なので綺麗に下界が見えた。機長は飛行コースを丁寧に説明してくれた。九十九里からぐるっと回る。戸田のボートコースが見えた。羽田 16:38着陸。16:45駐機場。バスでターミナルへ。17:00ターミナル。

バス乗り場に行くと新百合行のバスは 17:55で待ち時間が長いので鉄道にした。京急 17:07に乗って、川崎で JR 17:42に乗る。まだ仕事帰りの人が少ないので混んでなくて良かった。18:45帰宅。部屋を片付けて、夕食は大将でとんかつを食べた。


久し振りに姉に会いました。まあまあ元気そうでちょっと安心。行った場所はいたるところ竹林 (手入れ・不手入れ) があり、タケノコの産地?なんだなぁと思いました。カーナビは車を買った時からのものなので最近の道が出て来ずちょっと大変でしたが、あってよかったです。天気も良くて気になっている事も出来、まあまあの成果でした。

万田坑はボタ山が無く、坑内見学が無かったのでちょっと残念でした。鉱山の大きさの割に陸上施設が小さいのもちょっとビックリでした。巨樹・石造物は満足でした。特に石橋はね。通潤橋の上はどうなっているの?と万は思っていました。今回分かり、ホッとしています。昔の人よく考えてますね。