津久井湖、相模湖の上空から権現山、扇山付近を飛ぶ。山頂付近は薄っすらと雪。琵琶湖付近は雪で白い。近江八幡付近で琵琶湖を横切り瀬戸内海に出る。竹原、安芸津から音戸付近を飛び、南西に進んで大分上空を通る。九重連山は雪で真っ白だ。一旦熊本を通り越し、緑川河口でUターンし西から熊本空港に向かう。10:16熊本空港に着陸。
バス乗り場に行き、バスに乗って座って待っていると出発時間に近くなってから、後ろのバスの方が先に出ると言われ、みんな乗り換えるのでごたごたする。それでも座れたので良かった。10:35発。熊本駅には 11:30到着。駅で弁当を買い 11:45の銀水行きに乗る。植木で降りるとM姉が迎え来てくれていた。駅が停電で PASMOが使えず、駅員さんに聞くと今日植木駅が停電だということは分かっているので駅員のいる駅で申し出てくれとのことだった。
M姉宅に行き、昼食に弁当を食べてから、晋は居間でごろごろ。阿蘇山が雪を被っているのが見えた。日が当たって暖かい。
藤井八幡宮
11:00藤井八幡宮。鳥居をくぐって入ると右側に自然石の弥陀三尊板碑がある。標柱があるが説明はなく、摩滅してよくわからないのだが、勢至像に輪郭らしいのが見えるので図像板碑かもしれない。如法経塔は拝殿右手前にある。紀年銘 (弘安6、1283) は台座にあり、前に石があって上から覗きこむ感じだが、よく読めた。蓮座は力強い。胴張の塔身に如法経之塔とある。笠は比較的低く、真反りで良い形だ。請花・宝珠は後補だと思うが九州的な形だった。良い塔だ。横には石室の屋根と思われるものが置いてあった。軒の形から見て如法経塔よりは新しいが室町又はそれ以前の感じがする。石塔を見終わって参拝し、本殿を見る。三間社流れ造り、二軒平行垂木、組物は三手先。蟇股、手挟、虹梁、彫刻など、すごく凝った造りで素晴らしい。三手先なんて滅多にないし、格式の高い建物だ。彫刻の透かし彫りの感じから江戸末期だと思うが文化財に指定しても良さそうに思った。随神門も、格天井で絵が描かれているし、組物もきちんとしている。随神像と一緒に木造の狛犬もあった。11:20出る。
来民の大イチョウ
来民の大イチョウに向かうがカーナビが軽トラがやっとのあぜ道に行かせようとしたりするので途中からカーナビをあきらめ手持ちの地図を見て行く。来民の旧道に出て右折し、大光寺を過ぎ、渋団扇の栗川商店の手前で右折する。細道を入って行くと市の交流施設のところに大イチョウが立っていた 11:30。平成 9年 (1997) に落雷で焼けて主幹の上部は無くなったが、その後樹勢の回復に努めたそうで、今は葉がない時期だが、芽はしっかりと付いていた。立派な木だった。そばに京都産大の創設者の碑があった。
平重盛宝篋印塔
案内図を見てカーナビをセットし 11:45出発。旧道に出て右折するとカーナビは来民の信号迄行かせようとするので途中で左折する。ショッピングモールのある交差点を直進して県197に入り、北へ向かう。御宇田で県197を離れて西へ行く。手持ちの案内図で確認しながら進み、三叉路に突き当たって右折、すぐ左折する。道が緩く左に曲がる付近の筈なので、車を停めて晋が歩いて上がってみるが民家になる。探すにも車を停める場所も無いので、そのまま坂道を登って行くと畑地に出た。畑の脇に停められそうなので 100mほど先のT字路でUターンし、畑の脇に車を停めた。来た道を歩いて戻り、案内図を見ながら探す。寺の前を通って先ほど来た道まで出てもよく分からない。車で来た通りに歩いて戻ると、農作業の一輪車を押している人が見えた。走って行って聞くと先ほど晋が上がりかけたところを上れとのこと。民家だと言うと、その裏だとのことだった。
上がって行くと民家。インターホンを押すと奥さんが出てきたので、聞くと裏だとのこと。家の裏を回り込むと、宝篋印塔が三基、右に小型、中央と左に大型の宝篋印塔がある。積み方に若干錯誤があるように思えるが立派な宝篋印塔だった。隅飾に九州の地方色がある。間に置いてある小型の五輪塔も形が良かったし、右端のものは地輪に蓮弁が彫られていた。写真を撮ったりして見ていると奥さんが来たので説明したりして少しお喋り。案内図には道標があると書いてあるが?と聞くと、勝手に入ってきて、物を持ち帰ったりするので道標は外してもらい、見たい人には声を掛けてもらうようにしたとの事だった。いろんな人がいるからねぇ。困ったものだ。
お礼を言って辞し、来た道を戻ってショッピングモール (スーパー) に入り、弁当を買って、デッキのテーブルで昼食にした 12:30-13:00。次は相良寺。「あいらじ」と読むとは知らず、カーナビに「さがらじ」と入れたので出てこない。地図からセットする。少し東に行き、来民の信号で左折して県9に入る。
アイラトビカズラ
7kmほど進んで、県9が右に曲がるところでアイラトビカズラの道標に従って左に進む。500mで左に駐車場がある 13:12。階段を上がって行くと藤棚みたいにしてあって、トビカズラがある。トビカズラは大きくて、棚の上の竹藪まで生え登り、下の斜面も覆っている。花は 5月に紫色の花が房状に咲くが、藤ほど長くはならないみたいだ。日本では自生のトビカズラはここだけだ。花が咲いたときに見たいものだ。
相良寺 - 笠忠平宝塔
13:25相良寺・相良観音。大きな駐車場が有り、そこから観音まで結構距離がある。途中にも駐車場がある。本堂への階段を上がると左に先ほど見たトビカズラの棚があった。本堂前には石造の仁王や十一面観音がある。本尊は坐像の千手観音で、そこそこ参拝の人が来ている。寺の中を探したが石造宝塔はわからず、売店で聞いたらご住職が来て、駐車場の近くだそうだ。駐車場まで戻って探すが付近にはないのでもう一度資料を見直すと鐘楼から下る階段の下にあるらしい。行くと笠忠平の宝塔とあった。そのように聞けばすぐに分かったのだろう。笠は後補で、塔身だけが元の物だ。角柱の塔身で各面に梵字種子があり、角を面取りして、そこに銘文がある。珍しいやり方だ。背面の左側の面取り面に紀年銘があった。14:03出る。
妙見の楠
次は巨樹。県9を戻り国325に出て菊池方向へ向かう。内田川を渡り、県37分岐を過ぎた先で左折する。500mほど行って右折。畑の間を少し走って林の中へ下ると右に妙見の楠が見えた。左は障害者施設がある。少し先で車を停めた 14:20。素晴らしい楠だった。大きい。支柱は無い。元気。一周できる。1991年の台風で大枝が折れたらしいがそんなことを感じさせない素晴らしい楠だった。14:42出る。
妙蓮寺の楠
そのまま南に進んで国325に出て東へ。菊池の市街に入り、北原交差点を直進、3つ目の信号を左折する。200m程行った角が妙蓮寺だ。右折すると山門。脇に駐車できる場所がある。少し先でUターンして戻り山門脇に駐車する 14:50。入ると本堂右前に楠が立っている。大きな楠だ。10m上で主幹は無くなっているが太い枝が何本も出て大きな樹冠になっている。墓地側から見ても大きい。
菊池高校のチャンチャンモドキ
妙蓮寺から北に 200m程行き、三叉路を右折する。150mほど行った左前方が菊池高校で、角に将軍木 (ムクノキ) が見えた。通り過ぎて、総合庁舎の駐車場に停める 15:05。高校の方に戻るとムクノキが見えた。高校の前に拓志館、高木医院、松囃子能場がある。高木医院は今は喫茶店になっているみたいだがハーフティンバーで緑の屋根の綺麗な建物だ。菊池高校の正門に行くと中にチャンチャンモドキの木が見えた。今日は学校のある日で中へは入れないので校門から写真を撮った。
将軍木 - ムクノキ
高校の西南角に将軍木 (ムクノキ) がある 15:15。ムクノキは巨樹になると大きな洞が出来て苦しい状態になっていることが多いが、この木も例にもれず大きな洞があり、放置すると倒れるので、幹がこれ以上割れないように鉄輪で縛ってある。全体に道路側に倒れそうなので支柱が沢山ある。かなり苦しい状態だが支柱や鉄輪のお陰でまあまあ元気にしているようだ。これからも元気でいて欲しい。
菊池神社
将軍木から高校の前を通り過ぎて東へ向かうと菊池神社だ。信号を渡ると参道は鎌倉八幡宮の段葛のようになっている。突き当りから階段が始まる。結構長い階段だ。上がりきると拝殿 15:30。明治に出来た神社だけど立派な拝殿だ。参拝し、右に行くと稲荷。下って戻る。
正観寺の楠
車に戻り、おやつを食べて一休み。15:45出て神社の方へ進み、神社の前で右折して南へ。立町交差点を過ぎて次の信号で正観寺に向かって左折する。地蔵堂のところまで行くが駐車できる場所がない。横の駐車場は旅館の駐車場だ。仕方がないので戻り、菊池神社の南側にある市民広場に駐車した 16:00。菊池温泉を通って正観寺へ行く。楠は見えるので地蔵堂の左を通り観音堂の後ろから上がる 16:08。寺側から見ると左側は枝が整理されているようで右に張り出している。楠の下に菊池武光の墓があり亀趺の上に立っている。日本では亀趺は少ないらしい。良い香りがするので見回すとロウバイが咲いていた。地蔵堂に戻ると周囲に昔の寺院の礎石が残されている。地蔵堂の中には大きな木造地蔵像があった。
駐車場まで戻り 16:30出発。国325から県53、国3と走って 17:00 M姉宅に戻った。
スーパーホテル山鹿
今日は我々とS姉、K弟は山鹿のスーパーホテルに泊まる予定だ。M姉は明日の準備もあるので行かない。15:20出て山鹿へ。ホテルは 1人 1部屋で予約している。15:45チェックイン。それぞれ部屋に入った。晋は山鹿は初めてなので、万が山鹿観光に連れて行く。さくら湯・金剛乗寺の石門・八千代座を回る。八千代座で万は奈落の見学できないか聞いたが、今日は映画で駄目。明日は 9時からなので無理。残念。夕食の場所を探しながらホテルに戻る 17:50。
18時頃集合して夕食を考える。天ぷら屋 (カウンターの内側で揚げて、揚がる毎に席まで持って来てくれる)、そば屋、うどん屋、ラーメン屋 (定食有)、寿司屋などあったが、寿司屋に行く事にした。すぐ近くだ 18:20-19:50。明日は 7:00から食事をし、8:30出発の予定にして自分たちの部屋に行く。20:00から風呂に行く。スーパーホテルだが温泉で風呂は 1階にある。
江田船山古墳
平山温泉に向かう途中で道の駅に寄る 15:15。我々はそばの江田船山古墳を見学。石棺の保存室はパネルに水滴がびっしりついていて石棺は殆ど見えなかった。虚空蔵塚古墳では、芝生の上で子供たちがそり滑りをして遊んでいた。16:00温泉に向かって出発。
平山温泉 - 善屋
16:20平山温泉善屋着。2階建ての旅館で我々の部屋は 1階だ。和室で 2ベッドと畳。3人は畳に布団。17:10我々は風呂に行く。露天には普通の四角い浴槽の他に 1人用の樽の風呂が 3つあり、樽には 1人でのんびり入る。露天の浴槽は少しぬるめだったが長風呂好きには良さそう。他の人は風呂は夕食後だそうだ。夕食は 18:00からにした。美味しいし、量もたっぷりあり、大満足。19:50部屋に戻る。再度風呂に入り 22:00寝る。
熊野座神社 - 磨崖梵字群、ナギ群
駅の近くに青木磨崖梵字群というのがあるのでそこに向かう。9:58熊野座神社。磨崖梵字群とナギの木群がある。磨崖梵字群は県指定、ナギの木群は市指定だ。梵字は大きくて沢山あってなかなか見ごたえがあった。ナギの木には実が成っていた。地元の人が見学中で、梵字について説明してあげると喜んでいる。
M姉宅に戻り、姉を下ろし、我々は宇土に向かう。国3に出て南へ向かう。熊本市街を抜けるときにはバスレーンが左端車線なのでちょっと戸惑う。長六橋を渡ると少し落ち着く。南区にはいり、国3から南田尻で右折すると宇土市に入る 11:59。踏切を越えて左折、宇土駅の横を通過する。国57の下を通って突き当りを左折すると県297で、すぐ踏切。本町通りを南へ行く。本町というから宇土市の中心街なのかなと思う。本町3を直進、さらに 400mで左折する。引き続き県297。400mで信号を右へ。700mで左折。農地でビニールハウスが多い。道なりに右に曲がり突き当りを左に行くと栗崎の天神樟に到着 12:07。道が少し広がっているところに駐車する。
栗崎の天神樟
入って行くと子安観音があり、堂の裏に出ると左に鳥居があり、階段の上に大きな楠が見える。すごく立派な楠だ。3m位の高さから何本かに分岐しているので、見る方向によって色々な姿を見せる。説明板に「1本のクスが森のように見える」とあるがその通りだ。菅原神社のご神体とあるが、この楠が菅原神社そのものだ。良かった。12:25出て打越天神の楠へ向かう。
打越天神の楠
南東に進み突き当りの三叉路を右折すると広い道になる。200mほどで右折する。400mほどでY字路を右に行き、道なりに上がると正面に大きな楠が見えた。右側に老人ホームがあり、左側にその駐車場があったのでちょっと停めさせてもらう 12:30。地図で見たときには行きにくそうな場所だなと思ったのだが、意外に簡単に着いた。楠は 5mほどの斜面の上にあるので根が斜面に張り出して迫力がある。左から上がると反対側は大きな洞で、なかに御幣が立ててあり、栗崎の楠同様に、この楠自体が神社なのだ。
歳の神のクス
12:40出る。戻って広い道に出て左折。道なりに北へ進んで県297に左折、来た通りに戻り、本町3で左折する。12:47宇土市役所前を通過。道なりに進み三角 (みすみ) 線の踏切を過ぎてすぐ左折し国57に出る 12:50。西に向かうと正面に雲仙普賢岳が大きく見える。住吉駅前で左折して南へ向かう。川沿いの道になり県58だ。少し行って左折して川を渡ると県道は工事中。迂回してまた県58に戻り更に南下する。1kmほど行って右折して橋を渡り、直進すると右に歳の神のクスが見えた 13:01。手前の空き地に車を停める。大歳神社の御神木で、ここは社殿がある。楠は真ん中で二つに別れていて、主幹は無くなっている。一時樹勢が衰えたが、巻きついた蔓木を除去したり支柱を付けたりして回復に努めているそうだ。中央がぽっかり開いた方向から見ると痛々しいが角度を変えるとしっかり大木だ。
大慈寺へ向かう
巨樹は終わり、最後に大慈寺へ行く。来た道を戻り、工事中の迂回路から直進して国57に出た。出口で国道と線路の間隔が狭く、一時停止すると線路に車の後部が引っ掛かりそうで面倒だった。国501が分岐する角にセブンイレブンがあったので、おにぎりとコロッケを買い、食べる 13:29。進んで国3に出て北へ向かう。大慈寺は緑川と加勢川の間だが、国3の北行き車線から直接は行けないのかな?カーナビは杉島で左折して県50に入らせる。それにしてもカーナビの指示は酷くて、県50から加勢川を渡って川尻駅入り口から城南中学校まで行かせて国3の南行きに入らせるような指示だ。
後で地図を確認すると、そもそも杉島で左折ではなくて右折すればよかったし、野田でも、野田北でも右折できた。そうすれば山門横から入れる広い駐車場があった。
でもカーナビしか無いので、指示通り加勢川を渡った。渡ったところで近道しようと川尻4で右折したら一方通行だ。前から車が来るので困ってしまい、なんとかしてUターンして県50に戻った。カーナビ指示通りに城南中学校に出て右折し国3を南に行く。又、加勢川を渡る。野田北の信号迄行って左折させてくれれば良いのに、セブンイレブンの手前で左折するよう指示され、曲がると、川沿いの狭い道を 100m行って、右の細い橋を渡らせようとする。晋が降りて、中に駐車できる場所があるかチェックする。広くはないが駐車出来るので橋を渡る。狭い橋なので神経を使った。寺の裏側 (北側) の心字池の北側だ。こんな風に大慈寺の北側 (裏側) の駐車場もろくに無いようなところに入ろうとしたら国3の南行きから左折で入らざるを得ないのは当然だが、やれやれ!!だ。
大慈寺 - 宝篋印塔
車を停めて、池の東側を回って行くと祖廟の裏側に出た。小さい裏扉が開いたので入ると祖廟の中央に祖師の宝篋印塔がある。凝灰岩でかなり風化しているが大型で、地方色的なものがない関西形式の立派な塔だった。祖師の塔の後ろ側に祖師の父母の宝篋印塔が覆い屋の中に 2基並んでいる。こちらは花崗岩で綺麗な塔だ。基礎の格狭間は、良い形で、中に蓮華の浮彫りがあり、近江によくある形だ。こんなに綺麗な塔は南北朝頃の感じがする。祖廟の前の右側にも小区画があり、台座の上に石塔が置いてあった。寄せ集めの石塔だが切石の三段の台座の上に祀ってある。入ってきた裏扉から出て墓地に行くと柔道家の木村政彦の墓があった。
- 層塔
祖廟の前の広場に出ると、祖廟に向かって右に凝灰岩の層塔がある。凝灰岩なのでかなり摩耗している。今は七層だ。(帰ってから、少し前の写真を調べると九層ある。明らかに後補と思える二層を外してしまったようだ。最上層も後補だがこれは残してあった。) 永仁5年 (1297) の紀年銘が塔身の広場側から見て背面の右側にある。祖廟に向かって左には花崗岩の層塔があり、今は十二層だが十三重塔だった筈だ。(以前の写真では十層なので増えている。右側の塔に積んであった後補の二層をこちらに移したのかな?。) 紀年銘は無いが鎌倉時代で、凝灰岩の塔より少し後だろう。塔身には弥勒、薬師、釈迦、弥陀の四仏の浮彫りがある。180度ずれて弥陀が東面 (広場側) になっていた。基礎は 2区で、良い形の格狭間がある。
- 宝塔
それから境内を回る。曹洞宗の九州総本山で立派な寺だ。山門、中雀門、仏殿、法堂と一列に並ぶ。法堂の左前には坐禅堂があり、丁度、坊さんたちが法堂から坐禅に向かっていた。石造宝塔が何処にあるかと探したら法堂の後ろ、北東側の庭にあった。以前の写真では庭木に埋もれるようにあるが、今は庭木が整理されて良く見える。正面は大日如来の浮彫りで、他の三面はタラーク・キリーク・アクの種子。塔身以外は後補。紀年銘は元号は〇仁、年は二がよく見えて下にニンニョウが薄く有りそうにも見える。干支は甲が見える。元仁元年甲申、永仁二年甲午の両説があり、元仁元年 (1224) とする人が多いようだが、晋は永仁二年 (1294) と思う。近くに寄せ集めの石塔もあった。
- 梵鐘
もう一度、表の方に戻って、梵鐘を見る。胴が膨らんでいない古い形だ。池の間に銘文があるので写真に撮って拡大して見るとちゃんと紀年銘があった。弘安10年 (1287)。梵鐘の反対側に大きな弥陀石仏がある。そばにフウセントウワタがあって、綿毛の実が成っていた。祖廟に戻り、表扉から入り裏扉から出て車に戻る。橋が狭いので晋が運転して渡り、寺を出る 15:06。
国3に出て南へ行くとセブンイレブンを過ぎた先に左に入る道があり、これを入れば、南行して来たとしても楽に寺に行けたのだ。さらに進んで杉島で右折し、又、県50に入り北へ向かう。今度はずっと県50を進み迎町で国3と合流した。熊本市街を通り過ぎ、北区に入って下硯川町でローソンに入ってコーヒー。南隣にニトリ、北隣にユニクロがあるので両方入ってみて 16:44出る。国3を進み、植木6で右折する。17:02帰宅。