藤枝・焼津・静岡


ちょっと旅行に行きたくなりました。比較的近場で、冬場でも車でいけるところ、ということで、静岡県を考えました。伊豆箱根よりも遠くが良いが舘山寺はちょっと遠いかなと思い、真ん中あたりの焼津でかんぽの宿をとりました。泥縄で近辺の石造美術と巨樹を調べ、藤枝、焼津、静岡市駿河区を回ることにします。出かける直前に旧マッケンジー邸を見つけて、これも行くことにし、ざっとした予定を作り、一泊二日で出発です。
日時: 2022年2月1日から2日
晋 万
2月1日(晴)

いつも車で出る時間よりもすこし遅く 6:05出発(52,177km/0km)。明けの明星がよく光っている。6:25横浜青葉から東名に乗る(58,189/11.8)。大井松田の手前から正面に富士山がきれいに見えた。7:06静岡県に入る(52,252/74.3)。7:23足柄SAで休憩(52,259/82.3)。コーヒーを飲んで、コンビニで買ったパンを食べる。2階には足湯もある。ここからも富士山がきれいだ。7:50出発。7:56御殿場ICで新東名に入る。8:42-9:00静岡SAで休憩(52,348/170.7)。9:06藤枝岡部で新東名を降りる(52,357/179.5)。出たところで停めてカーナビセットと思ったらパトカーがいたりするので、県道に出たところで停め、カーナビをセット。国1を通るようなやたら遠回りが出るので、距離優先でセットし 9:10出る。県209を南に 4-500m進み右折する。道なりに進んで高速の南側を行き、高速をくぐって高速のPAの北側の道を通り少し先で右に入る。

長慶寺・遍照寺
9:18-30長慶寺(52,360/183.3)。今川泰範の五輪塔と雪斎長老の無縫塔が住職墓地の左側にあった。泰範は、遍照寺に墓のある範氏の子で氏家の弟。雪斎は今川義元を補佐して内政・外交・軍事に敏腕を発揮した人。五輪塔は室町時代の形をしている。時代的には合うと思う。無縫塔は単式で小型。でもすっきりした形だ。そばに江戸時代寛政年間の法華塔と道しるべがあった。

遍照寺はすぐ近く 9:32(52,361/184.3)。遍の字は、駐車場の脇の縁起をよく読むと、初めは真言宗で「しんにゅう」の遍だったが、曹洞宗に変わったときに「ぎょうにんべんに扁」に変わったらしい。よって今は「ぎょうにんべん」が正しいようだ。本堂に上がる石段の下、右側奥に五輪塔が 3基ある。室町時代かな。左側には小石塔がたくさんあった。ちょうどご住職がお掃除してたのでひと声かけてから、本堂左手の今川範氏、氏家墓に行く。壇があり、真ん中に五輪塔の残欠、左右に氏家、範氏の五輪塔、氏家の五輪塔の左に宝篋印塔があった。今川墓所の左側に覆い屋があり石塔が 4基並んでいる。左から文字塔、閻魔?、千手観音、薬師如来(左手に薬壷を持っているので薬師と思ったが、僧形なので、薬壷ではなく宝珠を持った地蔵かもしれない)。9:45出て藤枝市街へ向かう。

鬼岩寺
南に向かい総合運動公園の東側を通り、国1を横切って、その先で左折する。東へ向かい生涯学習センター入口の信号で左折すると鬼岩寺に着く 9:54(52,366/189.2)。入って右手が駐車場で、駐車場の東側に紀年銘のある石塔が置いてある覆い屋があり、南側に石塔の集積がある。晋は 2010年に一度来ているが万は初めてだ。石塔の場所は変わらないが、南側は、昔は家があったが、今は更地になっているので、石塔集積場所が狭いように感じる。覆い屋の石塔は埋まっていただけあってきれいだ。広い境内を一回りした。10:17出る。

若一王子神社
信号まで戻り左折して東へ向かう。洞雲寺の前で分岐を左へ一方通行の細い道に入る。100mくらいで左側に鳥居があった。そこだと思ったが通り過ぎてしまった。シルバー人材センターでUターンして戻ろうと思ったが一方通行なので南への細道に入って一旦ちとせ通りに出て右折し、次をまた右折して細道に入ると鳥居の正面に出た。ギリギリだが入れるので鳥居を通って入る。車を停められる場所はある。10:23 若一王子神社(52,367/190.2)。社殿の後ろに大きなクスノキ(目通り 5.1m)がある。根元に静岡県神社庁の御神木指定証というのが付けてあった。社殿の後ろの社叢が県指定の天然記念物だ。

大慶寺
鳥居から出て一方通行なので左折し先ほどのシルバー人材センターで右折して又ちとせ通りに出て右折する。西に行き、信号を過ぎると上伝馬通りと名前が変わり、少し行くと左に大慶寺の駐車場があった。駐車場に行くと正面に「久遠の松」が見えた。10:30大慶寺(52,368/190.7)。立派な黒松だ(目通り 4.5m)。入っていくと支柱の建て替え工事中だったが松は良く見えた。日蓮上人お手植えの松という。大きいし、枝ぶりもよく、どの方向から見ても素晴らしい松だった。境内には 2kmほど東にあった田中城の城主、姫君、家臣の墓所があった。10:43出る。

月見里神社
駐車場から上伝馬通りに戻って左折、道なりに少し行って信号で右折し、少し行くと右に月見里神社が見えた。月見里と書いて「やまなし」と読む。鳥居の前に駐車する 10:45(52,368/191.1)。鳥居を入ってすぐ左にもクスノキがあるが、目指すクスノキ(目通り 9.1m)は社殿の右奥にある。3mくらいのところで大きく二股に分かれている。大きな木だ。元気でよい。境内の手水鉢の所には手動の井戸ポンプがあった。懐かしい。押すと水が出た。10:55出る。

須賀神社
北へ向かい生涯学習センターの信号で右折する。右折せずにまっすぐ 150m行くと鬼岩寺だ。東へ向かい、先ほど若一王子神社方向に入ったところを通り過ぎて信号で左折する。道なりに行って、ホンダのところで右折、藤枝北高校の北の角で左折、水守の信号で右折して、200mで左折、150mで左にクスノキが見えた。クスノキの手前に駐車場があったので停める。11:08須賀神社(52,372/194.7)。良く枝の張った立派なクスノキだ(目通り 10.9m)。ここにも御神木の標識があった。この木には大きな洞があって、水が入らないように補修してあった。道路側から見ると大きく広がって立派なので写真を撮る。この道路は昔の東海道だそうで、クスノキの説明板には、近くに鐙ヶ淵という場所があると書いてあった。

鐙ヶ淵・蛇柳如意輪観音堂
駐車場に戻るとお寺の住職が来て「ここは寺の駐車場だから停めては困る」とのこと。「このクスノキを見に来た」というと「それは寺のものじゃない」とのことで、「すみません。すぐ出ます」とお詫びし、出る前に「近くに鐙ヶ淵があるそうですがどこですか?」と聞くと「すぐそこだ」とのことだった。車は置いて行って良いと許してもらい、寺の左手の坂を上がって行く。坂上に蛇柳如意輪観音堂があり、下に見える駐車場が元の鐙ヶ淵で、今は説明板だけが残っていた。観音堂に戻ると左側に、合掌の石仏、如意輪観音石仏 3体、庚申塔が並んでいた。写真を撮っているとご住職がいらっしゃって、折角だから観音堂を見せてあげると、錠を開けて中に入れてくれた。如意輪観音の写真がありきれいな仏さんだった。鐙ヶ淵の絵馬もあった。堂の前には六地蔵(2体づつ 3基)があった。寺へ戻る坂道に馬頭観音が 2基、船の舳先のように三角に整形した角に観音像が彫ってある。ご住職にお礼を言って 11:25出る。

すぐ近くの「しずてつストア」に行きおかずを少し買って駐車場で万が用意してくれたサンドイッチで昼食(52,372/194.7)。12:20出る。

藤井神社
県381を南へ向かい、藤枝北高校の角を左折、南東へ行って突き当りの三叉路を左折、道なりに行くと藤井神社に到着 12:25(52,374/196.5)。神社の南西の角を左折して車を停める。クスノキ(目通り 9.5m)は社殿の裏手にある。主幹は 3mくらいでなくなり、上に幹が 2本伸びている。主幹の跡が 2-3畳の広さの洞になっていて、石祠が 5つ置いてあった。洞に入ると上は穴が開いていた。主幹はないけど、何かほっとするような良い心地のする木だった。12:34出る。

旭伝院
旭伝院は南方 1km。藤井神社から南へ 500m行き県30に出て左折、500mで右折して 200mで旭伝院に到着 12:38(52,375/198.2)。広い駐車場から入ると左に本堂があり、右側の墓地の中央に立派な黒松(目通り 5m)があった。幹は少し斜めにまっすぐに伸びている。本堂の反対側から見ると三角形に枝が伸びて美しい。よく見ると所々に枯れた枝がある。2012年5月に消毒作業したとの記事が焼津市の HPにあり、一時危険な状態だったが消毒作業で持ち直したとあった。松枯れ防止の薬剤を、つい先日の 1月26日に 32本注入と書いたラベルが貼ってあった。次回は 2025年だそうだ。いつまでも元気でいてほしい松だ。12:52出る。

大井神社
藤枝周辺が終わったので吉田町に向かう。途中、大井神社と大島八幡に寄る予定だ。県224に出て左折、瀬戸川を渡って右折し南下する。2kmほど進むと道路の左側に松が見える。その手前で右折すると大井神社 12:59-13:13(52,378/201.2)。境内に車を停める。すっきりした黒松だ(目通り 3.7m)。下のほうの大枝は切られたらしく、葉のある枝は頂部しか残ってない。神社の東側から富士山が見えた。境内には目通り 2mくらいのヤマモモの木もあった。

大島八幡神社
先ほどの道に戻り 2kmちょっと南下して栃山川をわたり 200mで右折して 50m先で左折すると大島八幡神社に到着。境内に停める13:19 (52,381/203.9)。ヤマモモの木は社殿の右側にある。ヤマモモとしては巨大(目通り 3.9m)。高さ 3mくらいで幹が 2本に分かれている。大きい洞があるが、元気で良い木だった。13:25出て能満寺へ向かう。

能満寺・小山城跡
先ほどの道に戻り少し南に行くとすぐT字路になるので左折する。国150に出て右折。すぐのところでガソリンを 20L入れて、これで帰るまで安心。南に走って大井川を渡り吉田町に入って 1.5km先の信号で右折する。橋を渡って進むと右前方に城が見え、すぐ広い駐車場があって小山城と書いてある。右に入っていくと能満寺。売店と大きな観光案内板のところに停める 13:47(52,389/211.4)。

お寺の参道にも、門を入ってからもソテツが植えてある。鐘楼のある前庭を通って本堂への門を入ると右に大ソテツがあった(目通り 5m)。日本三大ソテツの一つだ。ただ、ソテツはどうしても背が低いし、葉が茂っているので、幹を見るという訳にはいかず、茂った葉を含めた全体を見るので巨樹〜ぅという感じにはならない。葉の陰になっている幹をフラッシュ撮影で撮るとソテツの真ん中に大きな塊があるのがわかる。幹というよりも塊だ。支柱で支えている枝の一本一本が普通のソテツの太さだ。

寺から小山城に上がれる。登り口のお堂にお参りしている人がいたので、上までだいぶ掛かりますか?と聞くと 5分で上がれるとのことだった。安心して上がる。虚空蔵尊の正面の石段は長くて急なので、右へ女坂を上がり、虚空蔵尊の前を通ると城跡はすぐだった。天守(模擬)には登らず堀の遺構を見て歩いた。丸馬出し、三日月堀は復元。三重堀は遺構で、なかなかのものだ。城が生きているときは、三つの平行した堀は木も草も生えてなくて裸で、もう少し高くて、もう少し深くて、底がV字形だっただろうから、攻めるには中々苦労しただろう。

大井川河口
小山城から下って、一応、予定は済んだが、折角なので大井川の河口を見たい。14:21出発して吉田公園へ向かう。駐車場から広い通りに戻り、左折してすぐ右折して県34に入り南下する。片岡の信号で国150を横切り総合体育館のところで斜め左に行く。道なりに進み、ハードストック(建材の大型店)の横を通り、西の宮公園信号で県34を横切って北東に直進すると突き当たって三叉路になるので右折。道なりに行って三叉路を右折。500mで左に入って吉田公園の駐車場に着く 14:33(52,393/216.0)。

駐車場の横の少し高くなったところは津波避難用に作られた高台だ。広い芝生広場を横切って大井川に向かう。14:40大井川右岸の土手の砂利道に出た。河口方向に歩く。大井川の向こうに富士山が見える。吉田公園の海側は整備工事中でダンプが通るのでガードマンがいるが河口方面へ歩いていくのは問題ない。左側に大井川の河口を見ながら歩く。風が強く、白波が立っている。富士山はずっと見える。河口部は広い礫浜になっている。ほぼ突端部まで行くと「海抜 6.2m・大井川から 200m」という標識が堤防に打ってあった。道はまだ続くが、ここで戻る。浜に降りるのは簡単だが、帰りに上るのはちょっと苦労しそうだ。この時間、浜に釣り人はいなかった。駐車場まで戻り、お茶とおやつ。15:15出る。宿まで行く途中で、できれば焼津神社のクスノキを見ようと思う。

北に行って県31に入り、大平橋で大井川を渡る。橋の上で焼津市になった。橋からも富士山がよく見える。県31を進むと途中で国150になり、国150を北へ向かうが、そのまま行くと焼津の市街を巻いてしまうので、木屋川橋で県416に入った。道原の信号で、県416と別れて、北へ向かう。与惣次とか登呂田とか言う地名を過ぎて焼津4丁目で左折するとすぐ焼津神社だが駐車場は見当たらない。焼津中学校を通り過ぎたところで北に入り、一方通行に注意しながら焼津神社を一周するが駐車できる場所は無く、ひとまわりしただけで焼津4丁目の交差点に戻ってきて、左折し、焼津5丁目で県416に出て北へ向かう。あとで調べたら焼津神社の駐車場は神社東側の北行き一方通行の道を入るのだ。

かんぽの宿
県416を行くと焼津漁港への分岐を過ぎた先に昔泊まった船員保険保養所があった。瀬戸川を過ぎると前方上のほうに宿泊予定のかんぽの宿が見えるが県416からは行けない。浜当目で左折し、岡当目で右折し、その先で右折して東海道線の踏切を越え、上っていくと宿に着いた 16:03(52,414/236.4)。コロナのオミクロン株が流行っているので検温と消毒あり。部屋は 7階。焼津の町が見下ろせる。もう布団がひいてあった。風呂に入り、のんびりして 18:00から夕食。生ビールで乾杯。おかずは量もあり美味しかった。寝る前にもう一回風呂と言っていたが、晋は眠たくて、21:00前には寝てしまった。万はしっかり風呂に入って寝る。


2月2日(晴)

5:30起床。風呂へ行きザブっと入る。7:00朝食。おかずは 2段あり、たっぷりでおいしい。完食できるか心配したが、なんとか完食。8:25チェックアウトして、カーナビをセットし 8:30出る。今日は藤枝岡部IC付近の寺を 2か所回ってから宇津ノ谷を越えて静岡市に入り、駿河区を回る予定だ。

宿から下って国150に出て左折し朝比奈川橋を渡った先の八楠の信号を右折して県81に入る。東名焼津IC手前では追い越し車線ばかりが混んでいるので何だと思ったら、左側車線は高速に入る車線になってしまうのだった。訳ありだと思ったので追い越し車線に並んで走っていて良かった。県81を進み、国1バイパスの少し手前の仮宿で右折する。国1バイパスのガードをくぐって 800mほどで左折する。直進は県208になり、左折のほうが県81だ。県81は200mで右折する。いかにも県道という道になる。左に道を分けて県81を行くと萬松院へ上がる徒歩の参道を右に見て、少し先に右へ入る道が分かれ、角に萬松院を指す看板があった。ここを右へ入り 100mほどで「萬松院、常願寺入口」という道標がある。ここから右へ入る。道は狭くなり、又 100mほどで道標があり、右へ上がって行く。

常願寺・萬松院・長屋門
8:55-9:05常願寺(52,423/245.7)。駐車場があってトイレがある。すぐ上に大きなカヤの木(目通り 4.5m)が見えた。落雷があったそうだが、立派なカヤで元気もある。常願寺そのものは、江戸末(嘉永元年)に火災で焼けたそうで、昔の本堂の跡地と思えるところに小さな建物があるだけだった。

駐車場から細い道をそのまま進むと萬松院に着く 9:07(52,423/246.0)。広い墓地のある立派な寺だ。本堂の左手の墓地中央に岡部氏の墓所があった。瓦屋根で扉に岡部氏の巴紋がついた高 2m程の小さな門があり、土塀で囲まれた小区画に、左に五輪塔、中央と右に宝篋印塔がある。五輪塔は岡部正綱、中央の宝篋印塔は岡部出羽守、右の宝篋印塔は岡部信綱という。信綱は今川義元の時代で、石塔の形は室町後期なので、時代的には合っていると思える。正綱はその息子だ。本堂前方には小石塔が集積されていた。萬松院からは広々とした景色が見下ろせる。

9:25出て、帰りは同じ道を下る。戻る途中、長屋門という道標があったので、見ると右手に美しい長屋門があった。道路わきに車を停めて長屋門を見に行った。安政5年の長屋門で医者の家だそうだ。藁葺で、周囲とよく調和して美しい。写真を何枚も撮った。

木和田川堰堤群
9:35出て宇津ノ谷に向かい、先ずは「蔦の細道」の堰堤群を見に行く。県81を戻り、県208に出て北へ向かい岡部宿を通り過ぎる。大旅籠柏屋は省略。廻沢口で国1に合流する。すぐ先の道の駅の駐車場の中を通り過ぎるか、駐車場の先で左折するかだったのだが、見落としてそのまま国1を進み新宇津之谷隧道に入ってしまった。トンネル出口ですぐ左に入り、一回りして下り線のトンネルに入る。今度は気を付けてトンネル出口の 100m先でUターン気味に左の道に入った。国1は交通量が多く、車は飛ばすので、脇道に入ったりするのがちょっと嫌だ。

200mくらい先に駐車場があったが、目指す堰堤群が川のどの辺りにあるのか分からない。取り敢えず蔦の細道を先に進み、橋のところまで行ったみた。案内板を見ると堰堤散策ゾーンは 500mくらい先で、林道みたいな道なのでやめて戻り、駐車場に停めた 9:57(52,432/254.9)。木和田川右岸沿いに行くとすぐに一号堰堤の標柱があり、吊橋の上から上流方向に石積みの堰堤が見えた。左岸に渡ってすぐ右からの支流には、立派な石積みの堰堤がある。川に沿って進むと水車小屋があり、その先に堰堤が見えた。二号堰堤で兜堰堤と名前がある。2003年の豪雨で崩壊、復旧した。外観は昔通りだが、コンクリート造りの土台に貼り付けの石垣になった。堰堤上で川を渡って、先ほど車で通った道を歩いて駐車場に戻った。駐車場入り口に、上がって行く道が分岐していて、旧東海道の道標があった。説明板によると、蔦の細道は鎌倉時代以前、鎌倉から明治初期までがこの旧東海道だったそうだ。

明治のトンネル・大正のトンネル
10:18出て明治のトンネルに行く。国1まで戻り、下り線を少し走って廻沢口で右折し、すぐ右に入る。県208で旧国1だ。1kmほど上がって右に入り 100mで明治のトンネル入口に到着 10:23(52,434/256.8)。トンネルの方向は車が入れないように止めてある。ちょっと広くなっているので車を停め、歩いてトンネルに向かう。トンネルは煉瓦積で長さ 209m。扁額は木の枝で読みにくいが右横書きで「宇津谷隧道」とあるようだ。トンネルを通り抜ける。宇津ノ谷側からの方が上がって来やすいようで駐車場(広場)もあった。石灯籠と石塔があったので写真を撮る。こちら側の扁額は苔で殆ど読めない。トンネルを通って戻る。

10:40出て県208に戻り、宇津ノ谷方向に進むとすぐ大正のトンネル。扁額には「昭和五年十二月竣功」とあるが大正15年に着工したので大正のトンネルと言われる。2車線の立派なトンネルだ。宇津ノ谷側の扁額は、彫り直した跡があり「昭和三十年十月竣功」とある。多分昭和29年の台風による被害の復旧工事完成の時だろうと思える。ちなみに昭和のトンネルは今の国1の上り車線、平成のトンネルは下り車線で、4代のトンネルが並んでいる。木和田川の堰堤群に行くときに、行き過ぎて昭和のトンネルを通り、平成のトンネルで戻り、明治のトンネルは歩いて通り、大正のトンネルも通ったので、トンネルは四つとも通ったことになる。

谷津神社
大正のトンネルから下って、国1に出てすぐ道の駅で停まり、谷津神社へのカーナビをセットする 10:48。道の駅と言ってもトイレと駐車場があるだけだ。丸子ICでバイパスを降りて本来の国1に入る。谷津神社へは結構面倒で、国1からセブンイレブンで右折し、県208へ左折する。少し先の森山歯科の看板で右に細い道へ入る。突き当たって左折し 100mくらいで右に上がると、角に地蔵堂があり丸子川の土手に出て右折する。土手の道は舗装してあるが一車線だ。気を付けて進み 400mで橋があって、対岸に大きなクスノキが見えた。谷津神社だ。工事中でガードマンが 2人いたので、橋の手前のちょっとした空き地に停めて良いか聞くと、神社に参拝するなら構わないとのことで駐車する 11:04(52,441/263.9)。

橋を渡って神社に行く。クスノキ(目通り 6.1m)は社殿の左側だ。太枝が一本切られているが元気な木だ。根張りが良い。この大きさで洞が無く、幹回りがきれいなのも良い。拝見して帰り、ガードマンさんに「良い木ですね」と言い、ちょっと巨樹についておしゃべりした。11:20出る。車を出すときに誘導してくれたので取り敢えず出て、少し先でカーナビを次の目的地の軍神社に設定した。

軍神社・法蔵寺
来た通りに戻って県208に出て、右に少し行って左折し国1に出て静岡市街に向かう。正面に富士山が見える。安倍川を渡り 11:34静岡駅前付近通過。春日一丁目の変形五叉路で右斜め前方への細い一方通行に入る。鉄道のガードをくぐって、少し先の分岐を左へ行き 300mで右に入ると法蔵寺の門が見える。手前を右折すれば軍神社の駐車場だったのだが、知らないのでそのまま進み、山門のすぐ手前から神社の境内に入った。広々しているので適当に駐車する 11:42(52,449/271.6)。広々とした境内には大きなクスノキがたくさんある。一番大きいのは社殿に向かって手前の左方に立っているクスノキだ(目通り 7.5m)。鳥居の横の木、境内中央の木も大きかった。お隣の法蔵寺にも行ってみた。幕末の大奥御中臈浜田の墓、海野晋吉の墓、馬頭観音、庚申塚などがあった。背くらべの海野厚の墓もあると有ったが探さなかった。

旧マッケンジー邸
12:00 軍神社を出て旧マッケンジー邸に向かう。カーナビはマッケンジー邸でセットした。駐車場側から出て左に行き、道なりに広い道に出て左折し、すぐに南幹線(県407)へ右折し西に向かう。小黒2丁目で産業館西通り(県384)へ左折し南へ。まっすぐな道を 4kmほど南へ走り、大谷放水路西で右折し国150へ入る。少し行くとカーナビが右折を指示する。道があるので入るがマッケンジー邸のような建物は見えない。左は空き地、右はきれいな建物(結婚式場)。戻ろうかと思ったが、何とか車の幅ぎりぎりで進めそうなので、進んで前方の道路に出た。カーナビの地図を見ながら考える。北に進んで大里東小学校の東側を通り、2車線の道(浜街道)に出て左折し、信号で左折して小学校の西側を回り込むとマッケンジー邸が見えた。乳児院の建物が昨年取り壊されて更地になっているので良く見える。

国150側の角に駐車場があり、停める 12:20(52,455/278.0)。数台停まれる。国150から右折出来ないので入りにくいのだ。赤い屋根に白壁のきれいな建物だ。築80年くらい経つ。1987年に補修したそうだが外観の壁は少し傷んでいる。入館は無料。雨漏りなどで傷んでいて入れない部屋が幾つかある。台所は電気コンロが並んでいた。太い渦巻線で、ちょっと懐かしい。冷蔵庫も懐かしい形だ。地下室に石炭ボイラーがあったそうだ。2階には畳部屋もあった。近江兄弟社(メンソレータム)のヴォーリズの設計。洗濯室・女中室などは小学校の関係で取り壊されて今はない。見ていたら管理人さんが来て色々説明してくれた。我々も近江八幡に行ったことがあるなどといろいろおしゃべりしたので時間が経った。車庫には夫人の車キャデラックが置いてあった。

伊勢神明社
あとは伊勢神明社と本覚寺でクスノキを見て帰るつもりで 13:08出る。国150を東へ行き大谷放水路東で左折して県74を北へ向かう。東名のICへ向かう信号までは片側 2車線の広い道で、過ぎると片側 1車線になる。東名の下をくぐって、大谷川を渡り、その先の信号で右折する。又、大谷川を渡り、小鹿橋東で右後方に入る。少し行って二つ池の信号で左に鋭角に曲がり、次の交差点で右に鋭角に曲がる。池の脇を通り過ぎると前方に伊勢神明社が見えた。鳥居の前に車を停める 13:20(52,460/283.0)。拝殿の右手前にクスノキ(目通り 11.4m)がある。これは大きい。洞も傷もないきれいな幹だ。枝張りも素晴らしい。元気な木だ。感激。クスノキの南側が空き地になっているので、そちらから全貌が見えた。素晴らしい木だった。

昼食
13:28出て、小鹿橋東まで戻り、鋭角に左折して、すぐ「ゆで太郎」というそば屋があったので入って遅い昼食にする。そば屋だけど晋はジャンボかつ丼、万はカレーかつ丼を食べた。量がたっぷりで満足し、14:00出る。

本覚寺・池田神社
ゆで太郎から北へ進み釣具屋のある池田島崎公園西で右折、東へまっすぐに行くと正面に大きなクスノキ(目通り 7m)が見えた。その先で停める 14:04(52,462/284.8)。クスノキは寺の塀の外側にある。すぐそばの塀の内側にも大きなクスノキ(目通り 6.3m)がある。2本並べて写真を撮るとなかなか豪勢だ。本覚寺は大きな寺だ。山門前の題目碑は本体が明和5年、台座が享和3年と読めた。山門を入るときれいな参道で、左に鐘楼がある。本堂に参り、左に本仏堂。左に進むと右側は大きな墓地だ。クスノキに向かって左へ林の中を行く。庫裏の裏側、塀のそばにクスノキがあった。元気で立派な木だった。墓地の方から出て駐車した場所に戻る。ここで終わりにするつもりだったが 400m北の池田神社にも大きなクスノキがあるので行くことにして 14:20出る。

本覚寺の墓地のところから細い道を北に向かい左折し、右折すると正面にクスノキが見えた。突き当たって左に行き鳥居を過ぎて少し先で車を停める。14:25池田神社(52,463/285.4)。クスノキ(目通り 6.0m)は社殿の右手にある。洞もなく元気な木だ。ちょっと場所が狭いので可哀そうかなと思う。これで今回の旅の訪問地は終わりにする。帰りはカーナビを設定すると清水ICから乗って東名を行くように出た。新東名のほうが楽なので目的地を新静岡ICにセットし 14:35出発。

帰る
来た方向に戻って道なりに北へ出て川を渡ると信号がある。左折して北西へ進む。700mで聖一色の三叉路に出て左折し県407に入る。南西に 250m行って池田で右折し県74に入る。片側 2車線の広い道だ。あとは県74を走り、新静岡ICから新東名に入った 14:50。15:04-15:18清水PA (52,489/312.3)。ここから晋が運転。万は疲れたのか沼津付近で少しうつらうつらしている。都夫良野トンネルを出て山北へ下っていくところも明るいので問題なく、渋滞もなく快調に走り、16:30横浜青葉で降りた(52,619/441.6)。料金所を出たところで一旦止めて万と交代し、市ヶ尾藤が丘方面に降りる。17:02帰宅(52,630/453.2)。日没は 17:10頃。明るいうちに帰れて良かった。


車を買い替えますし、コロナの中、何処かに行こうと思い、静岡県の静岡・藤枝方面の旅行を思いつきました。観光より石造・巨樹を主としました。人にも合わなくて済みますからね。結果OKでした。天気は良かったですが、風が強かったです。静岡県側から見る富士山はいつも見ている感じではなく、雪も少なく感じました。ちょっと疲れました。もう少しのんびりの旅行でもよかったかな?。