大山・町石調査


大山の町石を調べていたら蓑毛の元宿から上がる旧道を発見しました。この道は明治 6年の火災で元宿 11軒が焼失し、その数年後に蓑毛越えから下社方面への道が開かれるまで使われていた道です。そこで、蓑毛道の旧道から上がり、賽の河原に出て、追分を経て山頂へ、下りは、下社から女坂を下って町石をチェックすることにしました。カメラは、重いのですが、一眼レフを持って行きます。
日時: 2024年11月14日 (曇)
晋 万
いつもより少しゆっくり起床。準備して 6:10に乗り出発。本線は満席だったが町田で座れた。天気予報は夕方迄晴れで、多くの登山者が乗っている。秦野 7:04着。蓑毛行き 7:10のバスはもう来ていたのですぐ乗る。いつもは登山者はあまり乗っていないが、今日はそこそこ居る。蓑毛着 7:30。大日堂の仁王門前の階段で朝食にする。午前中は天気がいい予報だったが、食べているうちに、もう曇ってきた。7:50出発。

薄い踏み跡をたどる
仁王門は仁王像修理中の為通行止めで、横の道から境内に入る。不動堂に上がる石段の下に蓑毛道の起点の石がある。「従是 不動/石尊 道」(不動と石尊は二行) とある、宝暦 2年 (1752)。不動は今の下社にあった不動堂で大山寺の本堂、石尊は石尊権現で今の山頂本社を指す。奥へ入り茶湯殿を過ぎ、川の右岸を少し行く。この道は初めてだ。鹿柵を通り、古い桟道を過ぎて、右に川を渡るといつも歩く車道に出た。寺を過ぎて奥へ進む。元宿の説明板の手前に幕末の弘化 2年 (1845) の町石があるが上欠で何町目かは分からない。さらに進んで右の無番荘という民家を過ぎたところで、右に入る踏み跡が旧道入口だ 8:15。道形はしっかりわかる。今日は写真を撮ったりしながら進むのでゆっくりだ。

入ると道形はあるが、余り歩かれていないのでふかふかだ。少し入って左に入り、少しで右へ上がっていくのだが、右へ曲がるときに、ちょっと分かりにくくて真っすぐ行ってしまい、道が無くなって戻る。戻って本来の旧道に出て上がっていく。ピンクのテープがいろいろな木についているが、道の印なのか林業作業の印なのか分かりにくい。道形を辿って進むと左側の木の下に 8丁目石があった 8:25。これも弘化 2年の立派な町石だ。

植林地の中を登って行く
そこからさらに道形が続くので、行ってみるが、草が茂って分かりにくいので戻り、8丁石のところから踏み跡を上がる。尾根筋に沿って薄い踏み跡を上がると、右から来る旧道に出た。8丁石からの道形を辿るとここに出るのだろう。少し窪んだ道形に沿って進む。ジグザグに上がる旧道を辿るが、道形が無くなってしまったので左へ上がる。やぶを少し漕いで春岳林道に上がった 8:45。車が走っているみたいで、わだちがある。

正面が予定の尾根。右へ上がる古い林道があったので尾根に上がる道があるかなと思って入ってみたが駄目なので戻り正面の尾根を直登すると、又、旧道に出た 8:50。旧道を左へ少し行き右へ曲がる。じきに道は消えて又尾根を直登すると左下に旧道が見えた 8:55。降りてそちらへ行き、旧道を歩く。ピンクのテープが目印になるみたいに思える。旧道はジグザグに上がって行く。大ケヤキの横を通り過ぎる 9:00。旧道は消えたり出てきたりするので適当に辿りながら上がって行くと、前方が草地になったので、左寄りに行って草地の端を横切って植林地に入る 9:15。草地は右にトラバースして尾根を回り込んで行く。どうやらそれが旧道のようだが草が生えていて歩きにくそうなので行かずに植林地を直登する。9:25平坦になる。740m位かな?。緩く上がって 1-2分で草地に出た。赤頭杭 108のところで、右から上がってくる草地が旧道らしい。

久し振りに賽の河原に到着
ここから植林地の下の幅広の旧道をトラバース気味に進む。草が生えているところや右が落ちているところもある。少し上がり気味に進むと石仏の台座 (善光寺如来とあり) があり寛延 4年 (1751)。そのすぐ先が賽の河原 9:30。頭の落とされた六地蔵が並んでいる。六地蔵の後ろ側にも石仏の台座が転がっていた。写真撮ったりして 9:40出る。ここからは登山コースだが本当に久しぶりに歩く。

少し上がって平坦になると木道の脇に 27丁目石 9:45、8丁目石と同じ弘化 2年だ。その先が女人禁制のところで 28丁目。手前に宝暦 2年の町石がある。起点石と同年だ。普通と少し違い「是迄二十八町目」と彫ってある。その 5mくらい先に女人禁制碑がある。これも弘化 2年。登山道に面している方に「従是女人禁制」とあるが、「二十八丁目」とある方が正面。廃仏毀釈の時に削平された部分があるが、綺麗な石だ。

すぐ西ノ峠。下社への道が分岐する。ここからはごろた石の階段の登山道だ。登り坂になる手前の右側に 30丁目石 (弘化 2年) があった 9:55。町石の数メートル先に四角のほぞ穴が開いた四角い石がある。昔ここにあった木戸の土台かと言われている。次は 33丁目石だ。登って行き、左に曲がってさらに登ると右側に小さい石積みがある。昔、茶店が有ったらしい。その先で道は右に曲がり、更に上がっていく。その辺りに 33丁目石がある筈だが見当たらない。950mくらいまで上がって、ちょっと行き過ぎた感じがしたので、晋は荷物を置いて探しに戻る。万は追分で待つことにする。

2-30m下って発見 10:15。920m付近だ。これも弘化 2年。石積みから右に曲がって少し上のところだった。木の切り株に立てかけてあり、下からは切り株に隠れて見えない。以前は倒れていたそうだが誰かが立てかけたのだ。写真を撮って上がっていく。万は追分まで着いたが、すぐだったので、荷を置いて様子を見に下ると晋が登ってきているのに会った。10:25追分 992m。追分の大きな石碑の立っている土台下に蓑毛道終点の 36丁目石 (弘化2年) があった。結構人が休んでいるし、登ってくる人も多い。久し振りだね。こんなに多くの人がいる時間帯を歩くのは。。ここには昭和 41年設置の 16丁目の町石もある。

10:30 ここからは昭和 41年の新しい町石と、古い町石の写真を撮りながら山頂を目指す。新しい町石は 1町毎に全部確認できた。17町目には明治 7年の町石が残っている。富士見台は 20丁目。今日は富士山が見えないし、他の山も見えない。ベンチのあるところが 22丁目で町石に天狗沢展望台とある。23丁目石のある広場の奥の方に側面に「七月一日」と彫られた石が倒れていた。月日は正徳 2年の八町目石と同じだ。町石のように整形してあるが日付面の左はノミ跡面、裏面は平滑面、右は割っただけの非整形。廃仏毀釈で文字を削られた町石かな??。23丁目石の横には蓮弁のある台座があったが七月一日の石の台座ではない。

昭和の大山山頂の丁石の碑
11:00ヤビツ峠分岐。25丁目石。ここからますます登山者が増えてきた。26丁目石には来迎谷とある。銅鳥居脇に 27丁目石。今日は鳥居方面から山頂を目指す。最後の 28丁目石は鳥居の左横にあった。昭和 41年の碑は、更に「御神木」と「大山頂上本社」の二つがあり、頂上本社碑には「国定公園指定記念として大山口登山道石柱指導標三十本を建てる」とあった。ちなみに国定公園指定は昭和 40年。

11:15山頂。小屋も開いているし、人が多く、食事場所を探す。寒いが風が無いので助かる。東側で昼食。曇りで景色があまり見えない。小学校低学年くらいの子供達がたくさんいてにぎやかだが、連れてくる人 (先生かな??) も大変だね。12:00出て西側に回ったが富士山は見えない。気温は 7度だった。

帰りは追分より下の町石を写真に撮ることにして出発 12:05。まだまだ登ってくる人たちが多い。12:35追分。天狗の鼻突き石に 15丁目石、ボタン岩の少し下に 14丁目石。紅葉が綺麗だが日が差してないのが残念だ。明治 7年の 11町目石が斜面に倒れていた。そのすぐ下に昭和の 10丁目石。夫婦杉に 8丁目石。近くに明治 (多分 7年) の町石があるが上欠で何町目かは不明。下って回り込むと正徳 2年の八町目石。6丁目石は千本杉。13:10階段上に到着。天保 10年 (1839) の 2町目石がある。昭和の町石は 3丁目石で鳥居杉跡とある。

晴れていると綺麗だが、下社の紅葉
階段途中に 2丁目石があり、下って下社 13:15到着。階段下の木戸の横に 1丁目石があり、これは昭和 40年だ。下社のベンチには食事中の人が多い。階段下はケーブルカー乗り場なので、ハイヒールでも来ることが出来るのだ。階段脇の紅葉は素晴らしいが天気がいまいちなのでちょっと残念。

水 2リットル汲んで 13:20出る。トイレして 13:25女坂へ。女坂も下るのは久し振りだ。13:35 11町目、少し下に 10町目、どちらも明治 7年。13:45大山寺。お参りしている人が多い。お寺からの階段も紅葉が綺麗だが、まだ少し早い感じだ。子育て地蔵を過ぎて 3町目石、明治だが十一かな?廿一かな?年が読みにくい。弐町目石は明治 7年。13:55追分。少し下に冬桜が咲いていた。次のバスは 14:15発だ。独楽階段を下りてバス停に向かう。14:05バス停。バスはもう待っている。乗らない人がいるので混んでいるだろうと思ったが何とか乗れた。でも次々人が来て大混雑だ。時間通り 14:15発。途中で乗ってくる人もいる。14:40伊勢原駅。14:48に乗る。電車もそこそこ混んでいた。1号車に乗って老人席で COFFEEを飲みホッとする。町田で買い物し 15:55帰宅。


天気予報は良かったのですがほぼ一日曇りでした。蓑毛道の旧道は明治の初めまでは蓑毛から大山への本道だったので、残っているのは途切れ途切れですが、上手に切ってありました。が、最近はあまり使われていないので、ふかふかですし、倒木が多いし、荒れています。曲がり角には水源林の杭がありましたが、ピンクのテープがやたら多くて道の印なのか林業作業の印なのか分からないので頼りになりません。整備すれば良い道になると思いますが、この登山道がまた歩かれる日が来るでしょうか??。万は気に入りました。ただ、夏は蛭の巣になる可能性が大きそうだと思います。

(参考)丹沢・足柄古道探索団のブログ (https://tannasi1212.blog.jp/) 2021年02月の項