脳の働き

  1. 再び機械論と機能主義が対決

       現代科学の最先端で、再び2000年来の問題がよみがえりました。それは「心は脳のメカニズムと対応しているのか、いないのか」という問題です。

       もし、機械論的な立場を取るなら、心は脳のメカニズムによって説明されるはずです。実際、脳のある領域や、ある神経繊維が、どのような精神活動や感覚に関わっているのかが次第に明らかになってきました。

       しかし、大脳の神経細胞の数は10の10乗くらいあり、これらの個別機能と、これらが連絡することによって生じる機能を全て明らかにするには、無限の時間がかかると言ってもいいでしょう。(これは銀河系を構成する星の全てについて、生物がいるかいないかを確かめる作業に似ています。映画『コンタクト』でも紹介されていますが、こうした研究は、一番可能性のありそうな対象を狙ってするものなのです。)

       そこで、機能主義の立場に立つ研究者は、観察できる「行動」や「発言」(発言も本当は言語行動)からそれを生み出すプログラムを考え、実際にコンピュータでシミュレーションをして「人間とはなにか」を研究しようとしています。

       ただ、ここにはプログラムの「効率」の問題が入ってくるので、人間と同じような作業をしても、仕組みは脳の構造とは(一見)全然関係ない、ということになります。例えば、チェスの名人カスパロフ氏がIBMのコンピュータ「ディープ・ブルー」に負けましたが、「ディープ・ブルー」はチェスの試合、しかもカスパロフ対策のために作られたコンピュータなので、他の仕事でも成果が出せるわけではありません。

  2. 古くて新しい問題

       ここに、また古くて新しい哲学的問題が現れます。「人間は科学で説明できるからくりなのか、それともそれ以上の存在なのか」

       神経科学研究者の中には、「脳さえ研究すれば人間のことは何でもわかる」と断言する人もいるようですが、人間の生き方の多様性を考えただけでも、これは難事業です。「わかるはずだ」ということと「わかった」ということとは全く別だからです。だからこそ、哲学的にこの問題を考える意味もあるのでしょう。