しかし、どうも「意識」に捉えられる心的な内容は、単純な神経の刺激ではないようなのです。例えば、脳性マヒの人が体を動かそうとすると、うまく動きません。昔は、これを「脳内で神経伝達に障害があるため」と考えていたのです。
しかし、「動作法」というテクニックでトレーニングすると、緊張が取れて、体が思うように動かせることがあります。この場合は、普段意識できない「体のあり方」に気づくことが、体の状態を変えたのです。つまり、感覚・意識に現れない部分と、現れる部分は、相互作用しながら人間活動を支えているのです。
脳死にも同じことが言えないでしょうか。医師たちは「脳の機能が失われて元に戻らない」ということを、観察と理論から結論づけます。そこでは「脳の神経細胞の死」と「運動反応の喪失」が対応づけられています。しかし、上に見たとおり、この二つはつながらないかもしれない。脳死とは、そういう危うさの上に立った概念なのです。