機械論

  1. 機械論

     人間も含めた自然の「からくり」を「精密に組み立てられた機械」と考えるのが「機械論」です。

  2. キリスト教と「からくり」の関係

     西洋で自然科学が発展した原因は意外にも「キリスト教」にあると言われています。宗教と科学は一見、相反するもののように思われますが、キリスト教の背景には自然の秩序の探究を重視するギリシャの自然哲学があるのです。(アリストテレスの自然学はカトリック教会の公式な『科学』でした。ブレヒトの戯曲『ガリレイの生涯』を読むと、アリストテレスの影響がいかに強かったか、当時の感じがつかめます。)

    • 神が仕掛けからくりから deus ex machina

       deus ex machinaとは演劇で「いきなり問題が解決して芝居が終わってしまう」展開を指す言葉です。ギリシャの劇で機械仕掛けの神様が突然舞台に登場したことからできた言葉です。しかし、仕掛けからくりを通じて姿を現す神は、自然という「からくり」を通じて人間に力を及ぼす神と相似の存在でもあります。カトリックの教義では、神は世界の創造者であるとともに支配者でもあって、どんな問題も解決する万能の存在でした。特にルネサンス以後は、自然のからくりを研究することが神の力をよく知り、神に近づく道であると考えられるようになったのです。

  3. 力学的世界観と機械論

     こうして「自然のからくり」を研究することが公式に認められるようになり、自然科学の発展が始まりました。自然の根本原理は物理法則であり、神による世界の創造の後は、力学的な法則によって自然が動いていると考える「力学的自然観」の誕生です。これは自然を「大きな機械」と見なす「機械論的自然観」の誕生でもありました。

    • 17世紀の天才たち

       17世紀は「天才の世紀」と言われています。それは近代の科学を基礎づけた天才たちが、同時代人として、ヨーロッパ大陸のあちらこちらで活躍した世紀だからです。

      • デカルト

         デカルトは、精神と身体を二つの別々の世界に属する存在と捉えました。彼は動物を解剖して、体がまさに「機械」であることを知りましたが、精神は別世界の存在なので、精神と身体を結びつけるために、「動物精気説」を唱えました 「動物精気」(spiritus animalis,esprit animaux)とは、「生命の活力」のようなものです。東洋の「気」と似た概念であると言ってもよいでしょう。生き物の体は物質でできているけれども、それに動物精気が入ると生き生きと動きだすのです。言わばおもちゃのからくりを動かす電池なのです。「魂が抜けると体は物質になる」というよく知られた考え方も、これに関連しています。さらに、「精神のない肉体は物体に過ぎない」という考え方が「脳死」問題の原点であることも重要です。

      • ニュートン

         ニュートンは神を「パントクラトール」(万能の力をもつもの)と考えました。ただし、その力は宇宙の全ての物体に「最初の衝撃」を与えた後は、彼の発見した「運動法則」に従って発揮されるのです。こうした考え方は「理神論」(deism)と呼ばれます。神は「からくり」の中に現れているのです。現在の科学者にも、自然の精妙な仕組みを目の当たりにして「神秘」を感じる人はたくさんいるようです。(ロボット工学の森政弘氏は、生物の体を工学的に研究した結果、そこに働いている大きな力に気づき、仏教研究の道に入られています。)

      • ライプニッツ

         ライプニッツはこの時代の人としては、有機体論的な立場に立った特筆すべき人です。彼は世界を「モナド」という存在の単位の集合体として捉えました。モナドは物質的・精神的な存在の「原子」のようなものです。世界はモナドの単位の結合によってできていますが(その点では機械論的)、全てのモナドは互いを反映し合い、どの部分も全体の姿を映しています(その点では有機体−生命−的)。

         近代の科学を超えて、これからの科学や哲学が目指す方向は、この「有機体論」だと言われています。