ホワイトヘッドの哲学
エルネスト・ヴォルフ−ガツォー


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 以下の文章は ERNEST WOLF−GAZO が『自然哲学の古典家たち』(
KLASSIKER DER NATURPHILOSOPHIE:C.H.BECK
:1989)の中で執筆したものの試訳である。(本来なら94年に出版予定であった
が、未だ訳者に連絡がない。(^_^;) なお、試訳のため注は割愛した。



アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
(1861−1947)


T.生涯

 アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの生涯は、19世紀の後半と20世紀の前半
にまたがっている。ヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国の工業化。大英帝国の没落。ロシ
ア革命。ヨーロッパを戦場にした第一次世界大戦の惨禍。世界大戦以後のパワーポリテ
ィクスによる国際問題の解決。科学技術の急速な発展。ホワイトヘッドの生涯はこれら
の出来事と共にあった。とりわけ、ダーウィンの進化論がホワイトヘッドの世代の宗教
的世界像に与えた衝撃と、数学に基づく学問領域、特に論理学の急速な発展が彼の著作
全体に大きな影響を及ぼしている。ホワイトヘッドと弟子のバートランド・ラッセルに
よって書かれた『数学原理(Principia Mathematica)』は、数
理論理的な世界の本性を理解する上で画期的な業績であった。これらの業績によって、
アリストテレスの論理学は西欧における独占的な地位を失ったのである。これらは数学
者・論理学者としてのホワイトヘッドの業績であり、当然のことながら彼は数学者・論
理学者として有名になった。しかし、彼はまた自然哲学と宇宙論をも、プラトンを想起
させるスケールの大きな世界像の構想という形で発展させた思想家である。
 ホワイトヘッドの生涯は、英国のケンブリッジ、ロンドン、アメリカのマサチューセ
ッツ州ケンブリッジという三つの場所をめぐって展開する。それらの場所にあって、彼
が所属した研究機関は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ(1880−1910
)、ロンドン大学インペリアル・カレッジ・オブ・テクノロジー(1910−1924
)、ハーヴァード大学(1924−1947)であった。
 アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは1861年2月15日、英国ケント州の東
部、サネット島のラムズゲイトに生まれた。父アルフレッド・ホワイトヘッドは英国国
教会の牧師、母マリア・サラ・ホワイトヘッドは生まれながらのクロッグダンス(木靴
で踊る舞踏)の名手で、裕福な軍需呉服商の娘であった。当時、村の学校ではフィンセ
ント・ファン・ゴッホが教師をしていた。1875年から1880年まで、ホワイトヘ
ッドは由緒あるドーセット州のシャーボーン校に学んだ。ホワイトヘッドの伝記作者ビ
クター・ローが書いているように、この学校時代は後年、ホワイトヘッドの全生涯にわ
たって影響を与えることになった。
 1880年の秋、若きホワイトヘッドは名高いケンブリッジ大学トリニティ・カレッ
ジに数学の奨学生として入学を許された。この大学はニュートン、ヴィトゲンシュタイ
ン、G.E.ムーアの母校でもある。ホワイトヘッドは物理学者J.J.トンプソンの
静力学、電気力学の講義に出席した。彼はまた、高級談論クラブ《使徒の会》でも活動
した。この会では、若い学生の一般教養にふさわしい、哲学、文学、歴史、政治、宗教
などに関するテーマが熱心に論じられた。ホワイトヘッドの後期の著作『観念の冒険(
Adventures of Ideas)』には、《使徒の会》以来の論題の幅広さ
を見ることができる。トリニティ・カレッジの学生時代に、彼は数学の新展開について
見聞を広めるため、ドイツ旅行を企てた。1884年、ホワイトヘッドは研究をひとま
ず終え、数学のトライパス(Tripos:優等卒業試験)を受けて学士号を得た。そ
の年の10月、彼はトリニティ・カレッジからフェローの資格を与えられた。1890
年12月16日、彼は没落したアイルランド地方貴族の娘、エヴリン・ウィルビー・ウ
ェイドと結婚し、後に三人の子供が生まれた。エヴリン・ウェイドはフランスのノルマ
ンディーでヨーロッパ本土的な教育を受けた人で、ホワイトヘッドの世界観の美的・文
化的な領域に大きな影響を及ぼした。彼女は1963年、95歳で世を去っている。彼
らの末子エリックは第一次世界大戦中、フランスで戦死した。これがきっかけで、ホワ
イトヘッドは哲学・宗教の問題に真正面から取り組み始めたのであった。
 ホワイトヘッドの処女作は『普遍代数論(A Treatise on Unive
rsal Algebra)』のタイトルで1898年に公刊された。この本は、明ら
かにヘルマン・グラスマンの『延長論(Ausdehnungslehre)』と共に
、ライプニッツが夢見た『普遍学(mathesis universalis)』の
構想から影響を受けており、さらにジョルジュ・ブールの著作の影響も見られる。18
90年、バートランド・ラッセルがトリニティ・カレッジに入学した。ホワイトヘッド
はラッセルの数学的才能を見出し、その数学研究を指導した。ラッセルはその師ホワイ
トヘッドと、最初は学生として、やがて同僚、友人として10年間共に仕事を続け、有
名な『数学原理(Principia Mathematica)』を生み出したので
ある。(不当にも、ラッセルはしばしば『数学原理』の「本来の発案者、著者」として
記される。例えばラッセルの『自伝』1985におけるローの記述を見よ。)後に、ホ
ワイトヘッドは弟子であったラッセルと、基本的な世界観や生き方、哲学の違いから袂
を分かつ。ラッセルの眼からすれば、師のホワイトヘッドはあまりに形而上学に深入り
し過ぎており、それはラッセルの望むところではなかったのである。しかしながら、ラ
ッセルはホワイトヘッドの成熟した『有機体の哲学』を理解していなかったのだと思わ
れる。1900年、重要な国際哲学会が開催され、ホワイトヘッドとラッセルはそこに
参加してイタリアの論理学者ペアノと知り合った。ペアノの数理論理学の記号法は、修
正された形で『数学原理』に見出すことができる。1893年にはG.E.ムーア、1
911年にはルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインがトリニティ・カレッジに入学した
。ムーアとホワイトヘッドの親しい関係は生涯変わらなかった。1905年、ホワイト
ヘッドは『マクスウェルの電磁気理論』のテーマで博士号を得た。1906年には『物
質世界に関する数学的諸概念について(On Mathematical Conce
pts of the Material World)』が出版された。これは数学
者ホワイトヘッドの自然哲学者への移行を示す重要な論文である。そこには、ラッセル
の重要な著作『ライプニッツ哲学の批判的解説』の強い影響が見られる。ホワイトヘッ
ドは、数学者としてのライプニッツを尊敬してやまなかったのであろう。
 1910年、ホワイトヘッドはロンドンに移ることになった。1911年に、簡潔に
書かれた『数学入門(An Introduction to Mathematic
s)』が出版され、有能な教育家、教育学者としての彼の側面が明らかになる。ロンド
ン大学のインペリアル・カレッジ・オブ・サイエンス・アンド・テクノロジーで応用物
理の教授職にある間、ホワイトヘッドは近代工業社会における教育問題に直面した。彼
は理学部長として教育問題に専心した。そうした活動からまとめられたのが『教育の目
的(The Aims of Education)』である。前期の20年間、ホワ
イトヘッドは自然哲学に関する彼の理念を著作で発表した。『自然認識の諸原理(An
 Enquiry Concerning the Principles of N
atural Knowledge)』(1919)、『自然という概念(The C
oncept of Nature)』(1920)、『相対性原理−物理学への応用
−(The Principle of Relativity,with Appl
ications to Physical Science)』(1922)、など
はこの時期の著書である。
 1924年はホワイトヘッドにとって大きな意味をもつ年であった。彼は67歳にし
て(原著のミスと思われる。実際は63歳。)ハーヴァード大学の哲学教授として招聘
されたのである。これ以後、ホワイトヘッドは哲学に専念し、彼の自然哲学、宇宙論、
歴史哲学に関する著書を公刊してゆく。『科学と近代世界(Science and 
the Modern World)』(1925)、『過程と実在(Process
 and Reality)』(1929)、『観念の冒険(Adventures 
of Ideas)』(1933)、などがそうした著作である。
 1927年1月19日、ホワイトヘッドはエジンバラ大学から、後に有名になった《
ギフォード記念講義(Gifford Lectures)》の誘いを受ける。『過程
と実在−宇宙論の試み(Process and Reality−An Essay
 in Cosmology)』は、この講義の内容を敷衍し、まとめたものである。
この著作はホワイトヘッドの《代表作》に違いないが、発表当初は哲学界にいささかの
困惑を引き起こした。彼自身による新造語がちりばめられたテクストは近づき難く、英
語圏で彼の哲学が受け入れられたのは、やっと1950年代になってからだった。もっ
とも、今なお、ホワイトヘッドの全業績が理解されたわけではなく、中でも彼の教育学
と歴史哲学は相変わらず軽視されている。
 1926年から1939年の間、ホワイトヘッドは全米各地の大学で講義を続けた。
それらの講義は、『宗教とその形成(Religion in the Making
)』(1926)、『象徴作用−その意味と機能(Symbolism,its Me
aning and Effect)』(1927)、『理性の機能(The Fun
ction of Reason)』(1929)、『思考の諸様態(Modes o
f Thought)』(1938)、などにまとめられた。神学者、宗教哲学者達(
特にシカゴ大学の人々)は、『過程と実在』の《神と世界》の章、および『宗教とその
形成』を基にして、《プロセス神学(Process−Theology)》を発展さ
せた。その後、プロセス神学は、アメリカ合衆国で最も影響力をもつ神学の一派となっ
ている。
 ハーヴァードでは、ホワイトヘッドの周囲に優秀な教え子のサークルが生まれた。チ
ャールズ・ハーツホーン、ポール・ワイス、C.I.ルイス、F.S.C.ノースロッ
プ、ドロシー・エメット、スーザン・K.ランガー、W.V.O.クワインらがそのメ
ンバーであった。ホワイトヘッドは自分の学説の教条主義的な押しつけを決してしなか
った。それゆえに、彼は、師に倣って自分の力で思惟する弟子達を得ることができたの
である。1941年に、ホワイトヘッドは自伝的な覚え書き(シルプ編)の中で次のよ
うに記している。《哲学とは、宇宙の無限を言葉の有限な概念で言い表す試みである。
》1947年12月30日、ホワイトヘッドはマサチューセッツ州ケンブリッジで死去
した。


U.著作

1.ホワイトヘッド読解と研究のストラテジー

 ホワイトヘッドのテクストを攻略するためには、ストラテジー(理解するための戦略
)が不可欠である。ホワイトヘッドの主著『過程と実在』(以下PR)は、読者が「哲
学」「システム」「歴史」に関連する若干の難しさを覚悟していない場合には、哲学の
専門家にとってすら難解なテクストであり続けている。ホワイトヘッドの宇宙論への「
入口」を見つけるためには、いわば準備工作を行なわなければならないのである。(レ
クラーク、ロー、ヴォルフ−ガツォー参照。)
 「入口」として最適なものは『科学と近代世界』(以下SMW)である。この本の中
でホワイトヘッドは、彼の《有機体の哲学》の出発点となっている歴史的前提について
述べている。これはホワイトヘッドの成熟した自然哲学へつながる、よく知られた「道
標」である。(ヴォルフ−ガツォー、1985参照)ホワイトヘッドの読者はプラトン
の『ティマイオス』を想い起こすに違いない。ホワイトヘッドはプラトンのこの後期対
話篇をことのほか重視していた。なぜなら、『ティマイオス』は、「統一された、秩序
ある宇宙」という世界像の枠組を叙述しているからである。同じ理由から、ホワイトヘ
ッドはニュートンの『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア・マテマティカ)を高
く評価していた。彼はそれを、プラトンの世界像と関係づけて解釈していたのである。
ホワイトヘッドはこの二者を、西洋的自然理解における最も重要な文献として捉えてい
た。『過程と実在』は、『ティマイオス』を現代的に校訂して書き直したものだとも言
えるであろう。とりわけ、後期対話篇の「形相」論と「デミウルゴス」(世界創造者)
が、ホワイトヘッド理解のためには特に重要である。プラトンによれば、宇宙(コスモ
ス)は、「デミウルゴス」によって「統一」と「形」と「秩序」を維持し、あらゆるも
のの美的−幾何学的概念を表現している。このような構想は、ホワイトヘッドが独自の
「宇宙論」(コスモロジー)を完成させる手掛かりとして役立ったのであった。
 また、ホワイトヘッドはアリストテレスの「自然科学者」としての面を特に評価した
。しかし、アリストテレスの論理学に対して、彼はきわめて批判的な立場をとった。「
主語−述語論理」では、単に分類するだけで、「力学」を把握することはできない、と
いうのがホワイトヘッドの見解であった。アリストテレス批判をつきつめれば「実体概
念」に至る。「実体概念」は、世界を積み木細工のように記述する「主語−述語論理」
の基礎となっているからである。ホワイトヘッドにとって、世界は《有機体》として理
解されるべきものであり、「実体概念」こそが根底的な誤謬なのである。もっとも、ホ
ワイトヘッドがアリストテレスの世界解釈を正しく評価しているかどうかは、ホワイト
ヘッド研究の上でなお検討の余地が残されている問題である。(レクラーク参照。)
 ホワイトヘッドの著作の歴史的前提として最も重要なものは、ホワイトヘッドが《天
才の世紀》(SMW3章3節)と名づけた16、7世紀の「近代科学革命」との取組み
である。ホワイトヘッドは、哲学を正当に位置づけようとして、最先端の自然科学と数
学を研究した、数少ない哲学者の一人である。自然科学、宗教、芸術、哲学が相互依存
の関係にあるという確信をもっていた点で、彼はヘーゲルと共通点をもつ。
 アリストテレスの「可能態−現実態」という図式に取って代わる「新たな学問」とし
ての「力学」は、主にデカルトによって「哲学」へと仕上げられた。そして、20世紀
の現代にも「規範」としての意味を失わない、西洋で《最初の物理学的総合》(ホワイ
トヘッド)を成し遂げたのはニュートンであった。デカルトとニュートンの物理学的世
界像に対するホワイトヘッドの厳しい批判は、自然を《分割すること》に向けられてい
る。(特に『自然という概念』1章参照。)機械論的な世界像では、自然と人間を「物
質」と「精神」という構成要素に分ける。すなわち、デカルトの言う延長実体(res
 extensa)と思惟実体(res cogitans)である。ホワイトヘッド
は、「空間」「時間」「物質」とガッサンディがよみがえらせた「原子論」を、自身の
自然哲学の基本要素として再検討した。その結果、彼は17世紀の「科学革命」の成果
を斥けたのである。
 ホワイトヘッドの「科学的唯物論」批判にとって大きな哲学的意味をもつのは、聡明
な神学者リチャード・ベントレーとニュートンの間に交わされた「書簡」である。この
往復書簡の中で、ニュートンは自分の学説の神学−哲学的影響に配慮し、機械論的な世
界像を根本的に問い直している。この往復書簡が契機となり、ニュートンは、機械論的
に構成された世界と「神」を調和させるために、「パントクラトール(Pantokr
ator)」つまり「万物の帝王である神」を「プリンキピア」第二版に取り入れた。
(『プリンキピア』冒頭の八つの定義に対する『注解』参照。)ホワイトヘッドは、一
方では「秩序の原理」として働き、他方では人間と自然の「媒介者」として働く《二極
的な》「神」を導入する、この往復書簡の論争に触発されたのである。
 ホワイトヘッドが論理学的、数学的、自然科学的な考え方を出発点に、やがて成熟し
た「自然哲学」へと移行する端緒は、ジョージ・バークリーとの思想的対決に見てとる
ことができる。(ラップ/ヴィール所収:ヴォルフ−ガツォー参照。)バークリーのニ
ュートン批判(およびベントレーのニュートン批判)は、改めて彼を、機械論的世界像
に依拠した一連の認識理論との真摯な対決へと導いた。ホワイトヘッドの自然哲学の発
展にとって、バークリーのニュートン−ロック批判が果たした役割の重要性は、ホワイ
トヘッド研究において長い間顧みられなかった。しかし、その意義は、『科学と近代世
界』(4章)で、バークリーと関連してホワイトヘッド独自の《Prehension
》(抱握)の概念が出てくるところにある。「抱握」は、ホワイトヘッドの《有機体の
哲学》の核となる「認識論−存在論」にとって、きわめて重要な意味をもつ。バークリ
ーの知覚理論の「知覚する主体」は、ホワイトヘッドでは、意識的に、あるいは無意識
的に世界を知覚する「『抱握する』主体」に置き換えられている。ここには確かにライ
プニッツとの類似が見られる。一方、「主体−客体モデル」は、「抱握作用」(the
 prehending act)を充分に扱えない。なぜなら、「抱握作用」は世界
の「対象性」によって規定されるばかりでなく、「対象」をまず構成する「プロセス(
過程)」によっても規定されるからである。われわれの知覚作用は、デモクリトスや機
械論的知覚説が述べるような「原子」として孤立した客体の知覚ではなく、ゲシュタル
ト心理学で言う「体制化された全体(ゲシュタルト)」「パターン」「文脈」の知覚な
のである。ホワイトヘッドはゲシュタルト心理学の代表的な研究者ヴォルフガング・ケ
ーラーと親交を結び、自分の知覚理論にゲシュタルト心理学が応用できることを知った
。その結果、プラトン、ゲシュタルト心理学、ホワイトヘッドの間に、稀に見る「思想
の共生関係」が生まれた。この共生関係を視覚的に最もよく表現しているのは、M.C
.エッシャーの作品であろう。(ブルーノ・エルンスト:『M.C.エッシャーの魔法
の鏡』参照。)
 ホワイトヘッドの自然哲学が完成に近づく後期の段階では、ロックがバークリーの役
割を引き継いでいる。ロックの『人間知性論』に、ホワイトヘッドは経験の『存在論』
を完成させる可能性を見た。ロックの経験論がおよそ形而上学的でないことを考えると
、これは驚くべきことである。しかしホワイトヘッドは、ロックの著作の中の重要箇所
を取り出し、形而上学構築のために、それを独立した内容として利用すべきだと考えて
いたのである。つまり、ロックの『人間知性論』は「経験の形而上学」に変換されて現
われるのだと言える。その際、ホワイトヘッドが前提としたのは、明らかに「意識は経
験を前提とするのであり、その逆ではない。」(PR,U部Y章1節)という原則であ
る。
 ロック『人間知性論』の最も重要な章では《力について》の考察がある。この章でロ
ックは「機械論的な世界を理解するためには、われわれは《力》の概念に依拠しなけれ
ばならない」という結論に到達している。しかしながら、《力》(powerまたはf
orce)がそもそも何であるのかをロックは知らなかった。従って、ロックの思想に
対するホワイトヘッドのストラテジーは、ロック的な《力》の概念を『有機体論』の文
脈の中に埋め込むというものになった。このようにして《力》の概念は、ホワイトヘッ
ドの現代的な世界理解の中に、明確に位置づけられたのである。ここにもライプニッツ
と通じるところがある。『人間知性新論』の中で、ライプニッツは、ロックの《力》の
概念を主題として論じている。ホワイトヘッドの『過程と実在』中のロックの引用部分
が、ライプニッツが自分用として使っていた『人間知性新論』に引かれているアンダー
ラインの部分とほとんど一致するのは、偶然ではない。従って、ホワイトヘッド、ロッ
ク、ライプニッツを結びつけるのは、近代的な「力」あるいは「エネルギー」の概念で
あると言えるだろう。そして、この概念が、動的−プロセス的に理解された新たな自然
概念の出発点になったのである。
 こうした関係は、カントやドイツ観念論とホワイトヘッドの間には成立しなかった。
ただし、ヘーゲル的な概念で捉え直すことによって、ホワイトヘッドの形而上学体系が
より強固なものになる可能性はある。(ルーカス,1986参照。)
 以上、歴史的な文脈を簡単に述べたので、次にホワイトヘッドの思想を体系的に見て
いこう。


2.《過程と実在》のカテゴリー表

 ホワイトヘッドは主著『過程と実在』(T部U章2節)の中で、カテゴリーを四つに
分類して、そのシステムを述べている。第一は『窮極的なものの範疇』(The Ca
tegory of the Ultimate)である。この範疇は「創造性」「多
」「一」から成り、あらゆる特殊な範疇の基礎となっている。第二は八つの『存在の範
疇』(Categories of Existence)である。それらは、「現実
的実質」(Actual Entities)、「抱握」(Prehensions)
、「結合体」(Nexu ̄s:Nexusの複数形)あるいは「公的事態」(Publ
ic Matters of Fact)、「主体的形式」(Subjective 
Forms)、「永遠的客体」(Eternal Objects)、「命題」(Pr
opositions)あるいは「理論」(Theories)、「諸多性」(Mul
tiplicities)、「コントラスト」(Contrasts:現実的実質の綜
合の仕方)、の範疇である。第三の『説明の範疇』(Categories of E
xplanation)には二十七の範疇がまとめられている。その第一の範疇は、《
現実世界は過程(プロセス)であり、この過程は現実的諸実質の生成だということ。》
と定義されている。その他の説明の範疇は、第一の範疇の定義を展開したものである。
第四は九つの『範疇的拘束』(Categoreal Obligations)であ
る。それらは、『主体的統一性』(Subjective Unity)、『客体的同
一性』(Objective Identity)、『客体的多様性』(Object
ive Diversity)、『概念的価値づけ』(Conceptual Val
uation)、『概念的転換』(Conceptual Reversion)、『
変異』(Transmutation)、『主体的調和』(Subjective H
armony)、『主体的強度』(Subjective Intensity)、『
自由と決定性』(Freedom and Determination)の九つであ
る。
 三つの『窮極的なものの範疇』、八つの『存在の範疇』、二十七の『説明の範疇』、
九つの『範疇的拘束』は、ホワイトヘッドにとって、動かしてはならない確固とした枠
組であった。彼にとってカテゴリー表は《開かれた》システムを表現するものだからで
ある。このようなシステムは、自然法則に似て、常に発展し続けるカテゴリー体系と関
係づけられる。その点で、ホワイトヘッドのカテゴリー表は、アメリカの哲学者チャー
ルズ・サンダース・パースのカテゴリー体系に極めて近い。パースにおいても、やはり
「進化の思想」が重要な役割を演じている。これらのカテゴリー体系をカントの「カテ
ゴリー表」と同列に置くことはできない。なぜなら、カントは自分のカテゴリー体系が
「完全」だと確信していたからだ。ホワイトヘッドのカテゴリーは「説明」という性格
をもち、世界を最終的には「創造性」の範疇によって規定しようとする。かくして、「
創造性」は絶えずカテゴリー形成を続ける、新たな可能性の源泉となっているのである
。「存在の範疇」は「実体」の性格をもたず、関係の複雑な組織を表わす「プロセス」
に関わっている。ホワイトヘッドの哲学的「宇宙」には、「実体」は存在しない。ただ
「法則性」(すなわち《拘束》)によって結びつけられる「関係の組織」が存在するだ
けだ。こうして、ホワイトヘッドは「実体の形而上学」を乗り越えようとしたのである
。そして、ホワイトヘッドの形而上学は、開かれた自然の過程の中で常に新しく生まれ
変わる「関係の形而上学」になった。彼の哲学では、「範型」あるいは「秩序の組織」
は《永遠的客体》(eternal objects)と呼ばれるが、これはプラトン
の形相理論を強く想起させる。ただし、プラトン哲学との相違は、この「秩序の組織」
が「時間性」に従う点にある。このような性格をもつ《永遠的客体》は、ホワイトヘッ
ドを研究する上で誤解を招きやすい概念である。(エメット参照。)


3.抱握理論

 ホワイトヘッド形而上学の本質的な「核心」は「抱握理論」である。だからといって
、英語の辞書で《prehension》を引いても無駄である。実は、この語の元に
なったのは《apprehension》であり、これは《とらえる。つかむ。知覚す
る。理解する。》などの意味をもつ語だ。英語において《apprehension》
が一義的な語でないのは明らかである。この語は、ある事態を意識的に「つかむ」「把
握する」ことを意味している。ホワイトヘッドは接頭辞の《ap》を取り去り、術語と
しての《prehension》を造語したのである。ドイツ語で言えば《ergre
ifen,erfassen》(日本語の「とらえる」「つかむ」)が、おそらくこの
概念に最も近いだろう。《通常の用法では、「知覚する」(perceive)という
語には「認識に基づいた把握」(cognitive apprehension)と
いう概念が染みついている。「把握」(apprehension)という語も同じで
、「認識に基づく」(cognitive)という形容詞がなくてもその意味を消し去
れない。私は『抱握』(prehension)の語を、「認識に基づかない把握」(
uncognitive apprehension)の意味で用いる。この語によっ
て、認識に基づくものもそうでないものも含む「把握」(apprehension)
を指すことにする。》
 「抱握理論」の原型は『科学と近代世界』(4章:上の引用も同じ。)で明らかにさ
れた。前述の通り、そこでホワイトヘッドはバークリーの知覚理論について論じている
。ここに書かれている内容は、『過程と実在』(V部、《抱握の理論》)で述べられて
いる、完成された理論の「序説」(内容的にも時間的にも)と言える。
 「抱握理論」は次の前提の上に成り立っている。それは、意識は「精神」の形式、す
なわち「知性的な」形式においてのみ現われるわけではない、ということである。一言
で言えば「経験は意識に先立つ。」(experience precedes co
nsciousness)ということだ。「経験」は常にわれわれの認識の主要な源泉
でなければならない、とホワイトヘッドは確信していた。それゆえ、『抱握』は経験の
多様性、中でも「感じ」(feeling)「覚知」(sense)「情動」(emo
tion)の多様性をまとめる上位概念である。ホワイトヘッドと同じく、人間経験の
情動的側面をまともな哲学的問題として実際に取り上げたのは、マックス・シェーラー
だけであろう。ホワイトヘッドはこうした理論によって、デカルト的な「精神」と「物
体」の二元論を克服しようとした。最終的に、彼はあらゆる種類の「感じ」(feel
ing)を分類(cross−classification)しようと努力した。し
かし、この試みは部分的にしか成功しなかった。(ヴォルフ−ガツォー,1988参照
。)主著『過程と実在』には、「感じ」の類型学の「萌芽」とでも言うべきものが散見
されるだけである。
 ホワイトヘッドが探求した「経験の形而上学」の輪郭を知るためには、少なくとも、
これらの試みを概観しておくのがよいだろう。まず基礎として、「単純な感じ」と「複
雑な感じ」(simple and complex feelings)がある。「
単純な感じ」は物的な極(physical pole)に向かい、「複雑な感じ」は
心的な極(mental pole)に向かう。「単純な物的感じ」は「現実的諸実質
」(actual entities)の間に生じる。「現実的諸実質」は、プロセス
としての自然概念を形づくる、原初的な構成的諸契機を表現する。ゆえに、様々な「感
じ」は、人間を自然の中に包みこむ根本的な「構成のプロセス」を可能にする「関係の
契機」である。かくして、「自然の中の人間」に関する問いは、一つ一つの「構成のプ
ロセス」に関する問いとなる。意識が構成の一部分であるかどうかは、それに対応する
プロセスの様態に依存している。このような独自の概念の関係づけの上に、しばしば《
プロセス哲学》と呼ばれるホワイトヘッドやハーツホーンの思想が展開されるのである
。
 「複雑な感じ」は心的な極に向かい、《永遠的客体》(eternal objec
ts)を構成する。「永遠的客体」はプラトンの「形相」に似ている。ホワイトヘッド
の形而上学に特有の問題は、「単純な感じ」と「複雑な感じ」の間の弁証法的関係にあ
る。それは、ホワイトヘッドによれば、「単純な感じ」は「意識」なしに存在すること
ができるが、「複雑な感じ」はヘーゲル的な「否定」の形式において、つまり「意識さ
れる」ことにおいて、現われるからである。それゆえ、可能的な「感じ」のタイプは、
無限の多様性をもつことになる。「感じ」の領域は、自然哲学として表現される、多様
な「経験の形而上学」の予期せぬ「源泉」を、哲学に提供してくれたのである。少なく
とも、これがホワイトヘッドの根源的な意図であった。そして、ホワイトヘッドは自然
哲学につながる「認識の存在論」へ向かったのである。
 ホワイトヘッドは一つ一つの「感じ」に存在論的な位置を与えたが、それによって伝
統的な心身問題は「感じ」の「関係づけの理論」へと置き換えられた。それに対応して
、「意識」の問題も存在論的な枠組を与えられた。自然における「意識」に関する問い
は、今や特定の「感じ」に関する問いとして具体化される。言い換えれば、ある現実的
実質が構成する「関係のシステム」に関する問いになるのである。このように、「関係
」「プロセス」「出来事」について考えるところに、自然の二元論的把握を克服する可
能性がある。「関係」「プロセス」「出来事」は、自然における様々な「構造の複合体
」(結晶のような)を表わしているのである。


4.プロセス的な「出来事」としての自然

 ホワイトヘッド独自の自然概念の萌芽は、既に初期の著作『自然認識の諸原理』(1
919)と『自然という概念』(1920)に見られる。そして、完成された自然概念
は1929年の主著『過程と実在』の中で示された。
 初期の著作で、ホワイトヘッドはデカルトとニュートンによって機械論的に構想され
た自然概念を批判している。しかし、ホワイトヘッドの出発点における本来の批判対象
は、アリストテレスの形而上学とその「実体概念」であった。(ヴォルフ−ガツォー所
収:G.ベーメ参照。)ホワイトヘッドはまさに「実体概念」と「自然の二元論」を、
「関係の概念」「プロセスの概念」として理解される新しい自然概念に置き換えようと
したのである。彼にとって「自然」は単に「空間」「時間」「質量」を意味するのみで
はなく、「プロセス」「変異」「関係のシステム」を通じて構成される「所与性」から
成り立っている。そこから「プロセス」または「プロセス的な出来事の総体」としての
自然像が生まれるのである。ホワイトヘッドは「実体概念」を「出来事(event)
の概念」と取り替えてしまった。こうして自然は有機的な「全体」として構想される。
そこでは、諸契機の重なりである自然の「部分」(またはパターン)が、最も小さなプ
ロセスの内に、大きなプロセスを映し出しているのである。このような《出来事の物理
学》は、有機的な「原子論」とも、「モナド論」(ただし《窓》をもつモナドである)
とも考えることができよう。
 ホワイトヘッドは、とりわけ自然科学の問題点に批判の照準を合わせているが、特に
『自然という概念』で、「自然に関する抽象的概念のみに依拠して自然に対するべきだ
」という自然科学的な主張を批判している。この主張は、自然の事実としての「出来事
」に対する明白な誤解であり、エコロジストにしてもそうした思い込みにとらわれてい
るのだ。ホワイトヘッドは「自然科学的に理解された自然」と「自然哲学的に理解され
た自然」を区別する。ホワイトヘッドの自然概念にとっては、『価値(values)
』は構成的なものなのである。この点で、ホワイトヘッドはノヴァーリス、コールリッ
ジ、ワーズワースなどのロマン派と似ており、実際、『科学と近代世界』の第5章《ロ
マン主義的反動》は、《ロマン主義的反動は、価値を護るための抗議であった。》とい
う文で終わっている。ホワイトヘッドがロマン主義的な自然概念をもっていた、と主張
するのは誇張が過ぎるにしても、ワーズワースやシェリングとの類似はやはりある。(
H.ホルツ,1980参照。)ホワイトヘッドとドイツロマン派のつながりは明白であ
るのに、その点の研究はまだなされていない。
 『過程と実在』(T部3章《自然の秩序》と4章《有機体と環境》)の中で、ホワイ
トヘッドの自然概念にとって重要な意味をもっているのが「有機体」の概念である。自
然のプロセスは「自然の脈絡」として生起する。すなわち、孤立して存在する「物」「
客体」「主体」などは本来あり得ないのである。「関係のネットワーク」は自然の諸関
係(連関、脈絡)の中で成立し、特定の関係として個別化される可能性をもつ。しかし
、それと同時に、このネットワークは自然の全体的な脈絡の中に埋め込まれている。ホ
ワイトヘッドは一つの「有機体」を形づくる現実的実質の《共同体(communit
y)》について語っている。この《共同体》は、自然の全体的な脈絡を構成するもので
あり、動的な性質をもった自己形成的な組織である。この《共同体》が自己形成的な性
格をもつのは、ホワイトヘッドによると、自然のシステムが《開いている》からである
。これを言い換えれば、自然のプロセス的な出来事は「時間の枠組」を形づくっている
ということだ。「未来」は、出来事、《共同体》、環境の自己形成にとって、常に一つ
の「契機」である。時間は自然の中で産み出される。自然の「開放性」は、ホワイトヘ
ッドにとって、有機体の発展の本質的な様態である。世界を《閉鎖系としての世界》と
解釈するか、《開放系としての宇宙》と解釈するかをめぐる議論において、ホワイトヘ
ッドは、それを絶え間なく更新が可能な「開かれた動的な世界」と解釈する側に立つ。
(コイレ参照。)
 ホワイトヘッドの自然概念におけるさらに重要な契機が「創造者」であるのは、以上
の論理的帰結である。《創造性(Creativity)》は、『過程と実在』のカテ
ゴリー図式の中では「基本的構成要素」に属する。《開かれた》宇宙は、論理的に「創
造的」でなければならない。(ラップ/ヴィール,1986参照。)自然は《未来》を
産み出すことによってその創造力を顕在化させるのであるから、一般的な「プロセス」
としての自然のあり方が可能でなければならないのである。「自然の創造性」はまた、
「一(単一性)と多(数多性)」をめぐる問題を解決する鍵でもある。様々な共同体、
あるいは関係のネットワークは、「環境(environment)」としての単一性
を具体化すると同時に、自然の多種・多様性を構成する。一方、自然の力学は、特定の
構造とパターンに従って《規範化》を行なう。言い換えれば、自然の力学は、構造的な
合法則性と結合の可能性によって自然を秩序づける。しかしながら、多数の《共同体》
が絶えず再構成され、変異することによって、新しいものが創造される可能性ももたら
されるのである。F.カプラ(『ターニングポイント』1982−邦訳 工作舎−)、
I.プリゴジン/I.スタンジェール(『自然との対話』1984−邦訳『混沌からの
秩序』 みすず書房−)などの著作に示されているように、ホワイトヘッドの自然概念
は、今日、生態学的な視点からも重視されている。


5.ホワイトヘッドの神の概念

 『過程と実在』X部第2章(《神と世界》)には、哲学史上稀な、独自の神の概念が
述べられている。ホワイトヘッドは神について次のように説明する。《神の本性は、あ
らゆる現実的実質と同じく二極的である。神は原初的本性と結果的本性をもつ。神の結
果的本性は意識的である。それは現実世界を神の本性の統一性において、さらに神の叡
智の変換(transformation)を通じて実現することである。神の原初的
本性は概念的であり、神の結果的本性は、神の物的な「感じ」を神の原初的概念に織り
込むことである。》(『過程と実在』原著345 邦訳615)それゆえ、ホワイトヘ
ッドの「神」は、特定の役割につながる二つの性格をもっている。一方では「神」は「
秩序の原理」としてはたらき(原初的な面)、他方では「秩序の原理」と世界における
固有の「構成のプロセス」を「媒介する原理」としてはたらく。このような「神」はプ
ラトンの『ティマイオス』にある「デミウルゴス」(世界創造者)やニュートンの『プ
リンキピア』(第二版)にある「パントクラトール」(万物の帝王)と同じような役割
をもっている。ホワイトヘッドの「神」の概念は、プラトンの「デミウルゴス」とニュ
ートンの「パントクラトール」を綜合したものであると言えよう。プラトンの後期対話
篇における「デミウルゴス」は「創造神」ではなく「秩序の原理」であり、ニュートン
の「パントクラトール」は世界との直接的な関係、言い換えれば「物質世界と精神世界
を統合する役割」をもつからである。
 《神》はホワイトヘッドのカテゴリー表に登場しないにもかかわらず、ホワイトヘッ
ドによれば《神》があらゆるカテゴリーにおいて創造的に活動しているという。これは
興味深いことである。《神と世界は最終的な形而上学的真理を表現しながら対峙してい
る。それは欲求するヴィジョンと物的な享受が創造において等しく優先権を主張するこ
とである。しかし、二つの現実態を切り離すことはできない。それらは、どちらも全体
としてかけがえのないものである。このように、それぞれの時間的契機は神を体現し、
神のうちに体現される。神の本性においては、「永続性(permanence)」が
原初的であり、「流れ(flux)」は世界から派生したものである。そして世界の本
性においては、「流れ」が原初的であり、「永続性」は神から派生したものである。ま
た、世界の本性は神にとっての原初的与件(datum)であり、神の本性は世界にと
っての原初的与件である。創造が「不滅性」という最終項−世界の神格化−に到達した
時、創造は「永続性」と「流れ」の和解を達成するのである。》(『過程と実在』原著
348 邦訳621)
 英米の神学界、とりわけクレアモントのプロセス神学センターにおいて、ジョン・B
.カッブがホワイトヘッドの神の概念を、独自の《プロセス神学》にまで発展させた。
しかし、今後、自然哲学の枠組の中で重要な役割を演じるような、「自然神学」が新た
に発展する可能性もあるだろう。どちらの場合にも、ホワイトヘッドの自然概念の重要
な契機を正しく理解するために、彼の神の概念について深く考えなければならない。


V.影響

 ホワイトヘッドが哲学研究者達に見直され、哲学的な議論の中で受け入れられるまで
には、長い時間がかかった。ホワイトヘッドが経験した一世紀は、一つの世界像(物理
的世界の機械論的解釈に基づくニュートンの宇宙論)が崩壊し、もう一つの新しい世界
像(アインシュタイン、プランクらの宇宙論)に取って代わられる時代であった。彼は
、トマス・S.クーンに倣えば《パラダイム転換》と呼ぶべき科学的変革の目撃者とな
った。彼の有機体論的な自然哲学を理解する糸口をつかむためには、こうした変革の目
撃者としてのホワイトヘッドを見失わないようにすることが肝要である。彼の『科学と
近代世界』は、いわばこのような変革の《証言》として捉えることができるだろう。
 ケンブリッジ大学のG.E.ムーア、C.D.ブロードやオックスフォード大学のR
.G.コリングウッド、サミュエル・アレクサンダーらの哲学者達は、既に1920年
代に、ホワイトヘッドの新しい自然哲学がもつ哲学的な重要性を充分に意識していた。
一方、ホワイトヘッドの弟子、バートランド・ラッセルは、師と対立し、争った。ラッ
セルはホワイトヘッドの哲学をあまりに思弁的なものと理解していたのである。アリス
トテレス協会の会員達は、ホワイトヘッドの自然概念を真っ先に問題にした。ホワイト
ヘッドの初期の論文はこの会員間の活発な論争を伝えている。(1920年代の『アリ
ストテレス協会報』参照。)1924年にロンドンからハーヴァード大学へ移った後、
ホワイトヘッドは母国では忘れられたも同然だった。ホワイトヘッドはアメリカに受け
入れられ、その地でやっと彼が自然哲学に傾けた努力の「実り」を手にすることができ
たのである。
 ハーヴァードでは、哲学の様々な分野で注目すべき成果を挙げた門下生達がホワイト
ヘッドの周囲に集まった。W.V.O.クワイン、スーザン・K.ランガー、チャール
ズ・ハーツホーン、ポール・ワイス、ヴィクター・ロー、ドロシー・エメットらがそれ
である。しかしながら、ホワイトヘッドの与えた影響は主にハーヴァードのグループ内
に限定されていた。ウィリアム・クリスチャンとアイヴァー・レクラークによってホワ
イトヘッド哲学への最初の入門書が書かれたのは、1950年代のことである。そして
、1960年代になってようやく、ホワイトヘッドの公式な伝記作者ヴィクター・ロー
の著書を通じて、ホワイトヘッドは広く知られるようになったのである。
 また、ホワイトヘッドはヘルベルト・マルクーゼやT.W.アドルノなど、《フラン
クフルト学派》のメンバーにも影響を与えた。特に1960年代、つまり学生運動の時
代に、マルクーゼの著書『一次元的人間』は若い学生達に大きな影響を与えた。《大い
なる拒否》という彼の概念は、「体制」に反逆する青年の態度を表わすスローガンとな
った。マルクーゼは明らかにホワイトヘッドの『科学と近代世界』から《大いなる拒否
(The Great Refusal)》を引用し、この概念を美学的−政治的な領
域に移し換えたのである。ホワイトヘッドの提示した新しい概念は、デカルト、ニュー
トンの機械論的世界像に対するロマン主義的批判を目指すものであった。アドルノもホ
ワイトヘッドの著作から影響を受け、死後発刊された『美学論』では《芸術のプロセス
的性格》について語っている。
 1970年代に、有名な科学者達が、新しい科学的世界像について真摯な考察を始め
た。それは、とりわけ生命科学について言える。生命科学は、DNAの発見以来、飛躍
的な進歩を遂げた。ホワイトヘッドが有機体論的な自然概念に先鞭をつけたことによっ
て、こうした研究はさらに推進された。W.H.ソープ、ジョゼフ・ニーダム(後に中
国学者として有名になった)、グレゴリー・ベイトソンらの生物学者は、後々までホワ
イトヘッドの自然哲学の影響下にあった。デイヴィド・ボームのような物理学者や生化
学者イリヤ・プリゴジン(『自然との対話』1984−邦訳『混沌からの秩序』 みす
ず書房−参照。)は、自然の中に見られる運動過程がホワイトヘッド的に解釈できるこ
とを発見した。こうした解釈の可能性については目下議論が行なわれている。フリッチ
ョ・カプラ(『ターニングポイント』参照。)も機械論のパラダイムから有機体論のパ
ラダイムへの転換を一般の読者に訴えてきたが、彼の主張にはホワイトヘッドの曲解も
見られる。現代の自然科学の諸理論は、ホワイトヘッドの自然概念が科学者に受け入れ
られ、理解され、摂取されたことを明らかに示している。
 ホワイトヘッドの自然哲学は、伝統的な講壇哲学の主流ではないが、むしろ哲学的問
題に取り組む科学者達によって現在盛んに取り上げられている。それが何をもたらすか
は、今後の課題である。



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