高句麗の古墳壁画

 
 2004年7月、高句麗の古墳群などがユネスコ世界遺産に登録された。高句麗古墳群は、中国の東北地方、渾江流域と鴨緑江流域、北朝鮮の平壌周辺に広く分布する。
 高句麗は、紀元前後ころ建国され、427年の平壌遷都を契機に版図を拡大した。668年新羅・唐連合軍に破れ滅亡。これに先立つ660年には百済が滅びていた。この後、唐と新羅の対立が激化し、676年には対唐戦争が終結して歴史上初めて統一国家を成立させた。
 大和朝廷は、663年、百済支援のため遠征軍を派遣するが、唐・新羅連合軍に壊滅的な大敗を喫する(白村江の戦い)。壬申の乱に勝利した天武天皇は、681年、浄御原令の編纂が命じたが、686年没した。その意志を継いだ持統天皇が689年成立させた。ここに中央集権的古代国家が成立する。このころ、国号を日本としたともいわれる。
 
五女山城と白巌城
「攻城図」(三室塚壁画))
「戦闘図」(通溝12号墳(馬槽塚)壁画)
三葉環頭大刀