「多摩川の源流」
−奥多摩湖の上流;丹波川支流から雲取山に望む−

 14年7月20日(土)海の日に小梶、小野、北林、石黒の4名で雲取山系の源流にトライ。

源流探索記(小野記;略敬称)


多摩DECの源流探索:

・2002年7月20日(土)、午前8:30にJR青梅線青梅駅ロータリーで集合。
・目的地は日原川(雲取の谷)の源流。
・参加者は石黒、小梶、北林、小野という平均年令50代の後半という堂々?の4名。


 石黒の車にて目的地に向かって出発。幸いに好天に恵まれ大いに意気あがる。 ところが、早々難関に遭遇。なんと日原鍾乳洞の手前で、先日の台風6号の影響で崖崩れのため 道路閉鎖とかでUターンを強いられてしまった。

 急遽、第1回、作戦会議。石黒、北林が検討している間、小梶と小野は周囲探索(と言ってもすぐ そばの道路脇にあった神社に行っただけ)。結局、目的地を変更し、当初案と同じ雲取山に連なる七ツ石山の中腹にある水場を目指すこと となった。時に午前9時過ぎ。急な変更のため、登山口を探し当てるのに多少 時間を要し、車は登山口到着。改めていざ、徒歩にて出発、時に午前10:10。

 石黒が持参した奥多摩の地図を見ながら歩き始めたが、すぐに急な登り。暫く急な登りが続く。 山は混んでいるわけではなく、といって全くいないわけでなく数名ずつのグループが急なせいか所々で 小休止している。我々も無理は禁物と急がずマイペースで休みを取りながら着実に歩く。 自然に、北林と石黒が先頭をきる。しんがりは小梶と小野。他の5グループ位の人達と抜きつ抜かれつしなが ら進んで行くので、その内、互いに面識が出来、互いに話すようになる。
 野鳥は歩き始めの頃は鳴き声が盛んにしていたが、ある高度に至ってからは全く聴けなくなった。 植物は多くなく、これもある高度に至ってからは殆どなかった。急な登りも途中から長ーいダラダラの登りとなり、 猛暑もあり汗ビショビショ。水を飲みながら、歩を進める。途中、案内板は時々出てくるが、水飲み場、山頂までの距離・時間は全く書かれていない。 北林が言った。「特に、今日のようにしんどい山は書いていない方が良いんだ」。 黙々と歩を進めて行くうちに、川の音が聞こえ始めた。源流探しを目的としていることもあり近付こうとするがルートがないため諦め更に歩を進める。 ふと左を見た北林が「富士山が見える」の一言。

 疲れが吹っ飛ぶ。早速記念写真撮影。雲取山から下りてきてすれ違う人に情報を求め、午後1時すぎには水場に到着の見通しを得た。富士山は 所々で大きな姿を見せる。小梶が一言。「富士山は見る人が高い所から見れば、益々高い所に見える」。

 歩を進め、水場と雲取山の分岐点(山小屋下)に到着。目的地は間もなくだ。 疲労がたまってきているので何度か目の大休止。その間、雲取山ルート方面の様子見をしてきた小野が、 頭を濡らして小さい滝がある、物凄く冷たくて気持ちが良いと戻ってきた。

  

 荷物をそのままにして早速全員で滝へ。この頃には全員滝のような汗を掻いていた ことから全員水浴び。

 

 早めに水浴びを済ませていた小野が「滝に並んでいる橋の側に源流らしき ものがある」の一言。本当だ。そこから、小さい川となっている。 源流、川、滝を写真撮影。源流か否かの確認はとれないが、これで本日の目的の一つは果たせたものとすることとした。 全員で第一源流と命名した。

  岩倉谷の初めの1滴か?

 鋭気を回復した4人、何度目かの急な登りとなった山道に歩を進め、やっと目的地直前の山小屋へ 到着。テントのテストをしている人の横で小休止。山小屋には泊まり客が5−6名、雄大な富士山が きれいに見える。

  

 再び、急な山道に歩を進めること10分。到着。水場だ。時に午後1:45。 先着の人が水を飲んでいる。我々も早速顔を洗い、飲む。その冷たいこと、滝の水の比ではない。疲れ が飛んで行くのが分かる。周囲を見ると、ここでも源流らしきところがあった。早速、北林が証拠写真 を撮る。皆で第二源流と命名した。やっと、本日の行程を計算をするゆとりが出た。登り始めてから3時間だ。石黒が言った。「ここで昼食にしよう」。 思い思いに休息をとる。北林が運び上げたビールを約3人が楽しんだ。

   その内、七つ石山の山頂が気になり始める。降りてくる人からの情報で山頂迄は30分強と分っている。 休息当初は攻撃隊1名、支援隊(即ち水場残留組)3名の意見であったが、十分な休息を得たこともあり、午後2:45、全員で 頂上をアタックする事を決定。
 急な登りを元気良くアタック開始。途中から展望が開けハイキングコースのような道となる。 七つ石山の由来は何だろうかと皆、疑問に思いつつ歩いていたのだが、あった、あった、大きな石が一つ、 二つ・・・。きっと七つ大石があるに違いないと思いながら頂上到着、時に午後3:20。 登山口から5時間。残念ながら360度のパノラマではないが180度の視野が広がり、 好天に恵まれたこともあり正面には雄大な富士山が、更に高い位置から我々に祝福を与えてくれた。
  

 出来れば今日の2箇所に認められる雪が裾野までかかっていればなーとの声があがった。 南アルプスも見えるとのことであったが、残念ながら雲が少し懸かって見ることは出来なかった。 でも、ありました。大石が。どれとどれで七つか不明だが。 内、最大の石は、推測で高さ10m、幅5m、奥行き3mほど。社が建っていた。

 帰りは2時間はかかるであろうと山頂での休息を30分とし、1758.3mの山頂碑を背景に記念写真をとる。 さあー。遅くなった。急いで帰ろう。時に午後4時45分。 あとは歩きに歩く。急な坂道で膝に負担がかかる。それでも急ぐ。 登りの時は強い日差しを遮り帽子も不要としてくれた幾層もの木々の葉が、日が落ち始めるに従い、あたりを薄暗く、 その内、暗くした。
 歩きながら、皆思った。随分歩いてきたんだな。なかなか登山口に着かない。途中、ワサ ビ採りの作業を終え帰り支度をしていた地元の土産店の若主人に会い話を聞いた。売物のワサビ のうち、茎と根をみじんぎりにしての炒めものは2年物を使うこと、根の売物は更なる年代物であり、 大きさも大きく、必ず脇から出る他の小さめの根は根としては売れず、炒め物にすること、根を擂 るときは茎を捨て、一番根に近い茎の部分から擂って使うこと、等々であった。 土産として1本ずつ大きい根をもらった。有り難う。
  

 一輪車に山のように荷を積んだこの若主人は先行していた我々が休止していたときに一輪車に鈴を付け急いで山道を降りて行った。 鈴と言えば、この若主人にすれ違う前に降りて行ったマウンテンバイク2台も付けていた。 急な坂道で石がごろごろし、薄暗くなり始め視界が悪くなり始め、 また谷側は何の保護柵もなく転んだら間違いなく大きな事故となると思われる所を推定年齢50代後半から60代 前半のライダーが降りていった。我々全員、ビックリ。

 更に歩きに歩き、見 え た!道路だ。細い道を急いで最後のつめをしている内に、 石黒が、「この道は来たときに歩いた道と違う。手前にもう一本、斜めに道が走っていた。 そっちに違いない」。皆も、そういえばそうだと急いで引き返した。あった!今朝上がってきた道が。そのまま、間 違えた道を進んでいたら30分程度到着が遅れたであろう。全員石黒に感謝。 そして着いた。もう全体的に暗くなり始めていた。時に午後6:10。帰路に2時間半かかった。 総行程8時間であった。石黒に青梅駅まで車で送ってもらった。午後7:30となっていた。
 全員で言った。ご苦労様。充実した源流探索であった。一つだけ反省。 山に詳しい石黒、北林、小梶を擁していたものの、急なルート変更もあり歩く距離・所要時間不明のまま強行したこと、 帰路に既に薄暗い場所に遭遇したことから、下り始めを1時間早めるべきであったこと。
 それでも、大いなる成果をあげられたことは間違いない。


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