「最後の山窩」

        「序」

 最初にお断りしておきますが此の物語は「山窩」というものをご存じ
 ない若い人に実在していた証拠として書き残しておくものです。
 実録そのものではお読み頂いて面白いものではありませんので、興味を
 お持ち戴くために多少脚色をいたしましたことをお許し下さい。

 これを書くにあたり「田中勝也著 サンカの研究」という著書を岡野さん
 から拝借し記憶を新たにしました。 神代時代から続く サンカという
 一定の戒律を持った自由人が、つい五十年程前まで日本全土に存在して
 いたことを知って頂ければ幸甚です。 

  註・ナデシというのは山窩(サンクワ)の一つで特に竹や藤蔓を用いた細工
  を業とする者を言います。 

     「山釣りへの道」

  私は魚釣りの好きな少年であると同時に鉱物にも興味を持っていまし
 た。 何故鉱物に興味をもつようになったのか、それは今思うに釣り道具
 屋へ行く道筋に鉱物の標本を作る作業場があったからでしょう。

 各地から送られてくる鉱物を適当な大きさに砕き、細かく仕切られたボール
 紙の箱に何種類か並べて詰められ、幼児の拳大の物は別に一ツづつ箱に入れ
 て出荷されます。

 当時の作業場は通りに面したところに土間があり、ここで鉱物が割られて大
 きさで分けられ、それらは一段高いところの板敷きの詰め手の所へ運ばれる
 単純な流れ作業で製品になるのです。

 釣り具屋に行くときの往復に暫くそこで眺めてから行きます。 今では考え
 られないことですが昔の子供は制作行程を眺めるのが好きでしたし、売るほ
 うにしても今の実演販売のように、作るのを見せながら売っていたものです。
 豆腐屋さん・焼き芋屋さん・団子やさんみんな店先で作業をしながら売って
 いました。 

 そのうち標本やさんもすっかり顔馴染みになって「兄ちゃんこんな物が好き
 なのかい」等と言って混ざり物が多く商品価値の無い物をくれます。
 今になって考えると、こんなところに私が将来採鉱冶金という人にあまり知
 られない地味な学科を専攻することになった原因があるのかも知れません。
 当時は鮒釣りに夢中になっていましたが、進学してからは地質に興味を持ち
 はじめ、鮒竿を渓流に使ってウグイやヤマメ等も釣るようになりました。

 学校が東武東上線沿線でしたので、夏休みになれば、一人用のテントを持っ
 て埼玉県の武蔵嵐山(ランザン)の槻川とか名栗川に行ったものです。 このあ
 たり当時は美しい渓谷でした。

 槻川はウグイの川ですが、たまにはヤマメが釣れ田圃で釣る鮒とは違って魚
 体も美しく食べてもたいへん美味しい魚です。
 池袋から東武東上線で武蔵嵐山で降りて川まで歩きます。

 この道は普段人は誰も通らないようで、途中に「氷」と青い字で書かれた旗
 の下の縁台にお婆さんが置物のように座っていました。 歩く道筋では汗が
 流れる程暑いのですが立ち止まって日陰に入れば案外涼しいのです。

 喉が乾いても今のように缶ジュースがあるわけではないので、ここで一休み。
 縁台に腰掛けていたお婆さんが大きな木製の冷蔵庫から氷を取り出して大き
 なカンナの上に載せ掻いてくれます。 この氷は池から切り出した天然氷だ
 そうです。

 他にはラムネの瓶が何本かがバケツの水に漬けてあるだけでお婆さんの内職
 のようなものでしょう。
 ここを出て山沿いの道を進みますと、山側に数軒の羽目板の剥がれたバンガ
 ローが幾つかありました。

 当時はまだ珍しいもので、側に「貸しバンガロー」の立て札がなければ、こ
 れが何なのかわからなかったでしょう。
 私は登山の雑誌をみていたのでバンガローというものがあることだけは知っ
 ていました。

 借り手が少ないのか、半分壊されているものもありました。
 太平洋戦争が始まって時代の変化で利用されなくなったのでしょう。
 この前の道を行くととすぐ川に出ます。

 小川のわりには河原もあり、キャンプには丁度よいロケーションでした。
 テントを張るのは止めて直ちに釣りをしてウグイを数尾釣りました。

 泊まりはバンガローの無断拝借です。 私の他誰も来なかったのも今なら不
 思議ですか、東京に近いこのあたりは戦時中なので、釣りやキャンプをする
 どころではなかったのでしょう。

      「秩父・長瀞」     

 次の年のキャンプは長瀞に決めました。 ここは観光地ですが、午後も4時
 頃になると人気(ヒトケ)が無くなります。 その頃は近くに旅館もありません
 でしたし、時節柄観光の人というのは少なかったようです。

 地質学者なら一度は訪れる有名な秩父古成層。 二億年以上も前の地層です。
 見事な蛇紋岩が深い緑を瀞に映し出して、古代の流れをそのままに、近くに
 ある石灰石岩の石切場とは裏腹に本当に美しい渓谷美を見せてくれます。

 観光客が瀞を下る船を待つ場所なのでしょうか、岸を降りて行くと板敷きの
 踊り場が花火見物の桟敷のように作られています。

 この日は人かげも見えず、ひっそりとしていて流れの音が聞こえるのみ。
 一休みするのにお誂え向きの場所です。  
夕暮れまでのひとときを、この板敷きの上に大の字に寝て、澄んだ空気を思
 う存分吸い込むと、駅からここまでの長い徒歩の疲れを忘れてしまいます。

 心地よい暖かさにウツラウツラとして、それが何十分か或いは何時間か分か
 りませんが涼しい風にフト我に返り、日差しが山の端にかかるのを見て魚を
 釣りに河原に降りました。 とりあえず今日のネグラはこの桟敷。 毛布一
 枚あればこと足りるので雨でも降らなければテントの必要もありません。

 下流長瀞の方には川下りのもやい舟がある深い瀞なので、上流の河原の広い
 所へ出て釣り餌の川虫を瀬に立ち込んで採り、すぐに釣りはじめました。
 あちこちで魚の跳ねるのも見られ、ウグイの大物が糸を鳴らします。

 夕食に適当な数を釣って石で囲った焚き火の周りに串刺しの魚を並べ、炊飯
 にかかります。
 予備の握り飯もあるのですが飯盒で炊いた飯のほうが旨いし、キャンプの気
 分も盛り上がります。

 飯の炊けるまでの一時(ヒトトキ)にいつもするようにハーモニカを吹きはじめ
 ました。
 哀愁に満ちたその音色は深い谷に吸い取られ美しい音色で旅愁を誘います。

 川上に流れを歩く音が聞こえてハーモニカを吹くのを止め、透かすように水
 音の方を見ると黒い影は河原に上がってこちらへ参ります。
 それは一人の老婆でした。 モンペの裾を両手でたくし上げ、川を渡って来
 たのです。
 
 それにしても何でこんな所に、しかもお婆さんが来るのか不思議でした。
 こちらへ近ずくのを見て、もしや川番か何かで咎められはしないか、と思い
 不審に思われるといけないのでこちらから先に軽く会釈をします。
 「こんばんは」。

 「おお若いあんさんだの 今笛吹いとったが良い音じやの」
 「ああこれ ハーモニカ」 「そか そか もっと聞かせておくれ」
「何か聞きたい曲ある?」 「なんでも良いんじゃ 唄 わからんが音が
聞きたい」

 そのとき何を吹いたのか覚えていませんが多分その頃、はやっていた、長崎
 物語とか湖畔の宿などを吹いて聞かせたのでしょう。
 左右の堅い岩盤に吸い取られるハーモニカの音色はせせらぎの音にマッチし
 て吹いている自分さえ魅了してしまいます。

 何曲か吹き終わった頃、魚の焼ける匂いがして、飯も炊けました。
 「音もよいが良い匂いもするで・・・」 ニコッと笑ったお婆さんの顔は能
 面の媼(オウナ)のような優しい微笑みです。 この人がここにいるのは前から
 決まっていたような錯覚にとらわれ何の違和感もありません。

 「おばさん食事前なんでしょ、一緒に食べませんか」 そういって私は飯盒
 の蓋に山盛りにご飯を乗せ、コッフェルで暖めたみそ汁と焼き魚に味噌を添
 えて差し出しました。

 「こんなババアをおばさんと言って下さるか、アリガトよ。 あんさんの分
 はあるのかい」 私は握り飯を一つ飯盒に放り込み、混ぜて「これだけ
 ありゃあ足りますよ、さあどうぞ」 「久しぶりだの、人とまま喰うなんて」
 それからご飯を食べながら、お婆さんは一人ごとのようにポツリポツリと話
 し始めました。おそらくこちらからは遠慮して聞かないと察したのでしょう。

 歩いて来た向こう岸の後ろの林を指差して「おらああそこに住んでいての、
 なげえ間一人暮らしだ。 とっつぁんも息子も娘も居るけんどな。
 なんやら太平よー(洋)戦争ってものが始まってな、俺らみたいな無国籍者
 まで御国の為だからと引っ張っていかれたよ」

 「無国籍?」「うんだ・おら達はナデシだで国籍も住所もねぇ。 山が住家
 だで」 「ナデシ?」 「ナデシ知らんかえ わけー(若い)からの ナデ
 シっていうのは山住みでの 箕とか篭とか作ったりして里へ売るもん(者)
 だ」。

 箕というのは竹で編んであって上下に振って米の籾殻を飛ばしたり、米や豆
 類の選別に使う農業の必需品です。
 「米屋で使うあの箕?」 「そだ 他にも笊やササラ、も作るぞ、それ売っ
 て藁貰って釜敷きやキコメ(気込め・米櫃を入れて保温するもの)も作る」
 「フーン器用なんだね」 「うんゃ 器用なもん(者)はな茶筅も作る」

 「むしよけで稼ぐもんもいるで」
 「何、むしよけって」 「マムシ捕りだわ」
 「そうか山で出来る仕事は何でもやるんだ」 「川守も山守もやるで」
 こんな調子でお婆さんの話しは続きます。

 私は幼いときから養子に出され、義母に育てられて母親を知りません。
 この人の話しを聞いていると、母親から昔の話しを聞かされているような気
 がしてきます。
 
 「わし等には住所がない。 日本中の山が住所だ、だから昔は戦争が始まっ
 ても召集が来んかったわ それがさ 太平洋戦争が始まって若いもんが
 おらんようになって俺達(オラ)の所にも兵隊が来ての 籍作ってやっから兵隊
 に出せ、お国の為じゃ と一升瓶二本下げて頼みに来たわ」
 
 当時を思いだしたのか、何時の間にか強い口調で話します。
 「うちのチャン(夫)はいずれこうなることを知っとったようじゃわ、
 そいでチャン始め若いもんは兵隊になり、娘は挺身隊とか云って工場へ連れ
 て行かれたさ。 何人か承知で山に逃がしたもんもいたけんど、どうなった
 ことやら」

 「それでおばさん一人で残ったの」 「うんゃ ワラシ(乳飲み子・子供)
 の居た母さと子供は残ったが、山で暮らすわけにもゆかず、里に出たわ、
 俺ら年寄りまで里に降りたらもし誰か帰ってきてもわからんでの」

 「山での暮らしようはようわかっているから残っているが、男衆の居ない山
 は寂しいで、里に手伝いに出たもんが帰らず、一人減り、二人減り、死んだ
 もんもおって今わし一人じゃ」

 焚き火の火が消えかかって目に沁みてきます。 
 「おう 悪かったのう 愚痴のような話ししてしまって、誰にも聞いて貰えん
 のも淋しいもんで・・・ すっかりご馳走になってしまって、もう帰るで、夜
 は冷え込むから風邪引かんようにな」

 「おばさん これ持っていって食べて」私は釣れないときの用意に持ってき
 た末広鰯の味醂干しや若干の食料を新聞紙に包んで渡しました。
 「アリガト、ただ貰うわけにはいかんで これあげる。 ウメガイと言って、
 山で暮らすには必要なもんじゃ、わしにはチャンのがあるで」

 そういって一本の包丁をくれました。 先が山形に尖っていて両刃の鋭利な
 刃物で、厚い木綿のような鞘に収まっていました。
 私は今でも山釣りにはこれを持って行きます。 私のたった一つのお守りで
 す。
  
      「再 訪」

 あれから一週間。 今日も良い天気です。 リュックの中にはいっぱいの
 お土産。 お婆さんに会いに行くつもりで家を出ました。
 秩父荒川の此の辺りの流れには、さほど変化もなく、長瀞と呼ばれるあたり
 は青い流れに緑の山陰を写しながらゆったりと流れています。

 前に来たときの焚き火の跡もそのままに、戦時中であることを忘れさせてく
 れます。 同じ時間に電車に乗ったのに何か早く着きすぎたように思うのは
 のは前に来たときは、木漏れ日の下でウツラウツラと何時間かを過ごしてい
 たからでしょう。

 今日は目的があるので、そんなノンビリした気分になれないのです。
 時間は早いし、暇潰しには釣りをするのが一番。 川虫を採り、新調したウ
 グイ用の長竿に仕掛けを付けて早瀬が瀞に落ち込むあたりに流し込むと早速
 魚から返信があって細かいウグイが釣れました。

 雨が降らなかったのか流れの活性が無く、釣れる魚は小物ばかりです。
 いささか退屈して、餌を釣り具屋から予備に買って置いたミミズに換え、河
 原に腰を下ろし裸足になって足を流れに浸すと鮒釣りのようなノンビリした
 気分になれます。

 お婆さんの話しは未知の世界のことでした。 夢中のうちに戦争に駆り立て
 られ、自分個人というものを見失った社会では、そのなかに残されたナデシ
 達も例外ではなかったようです。

 彼らも平和を剥奪され、有無を言わせず戦争の渦に引き込み消耗品のように
 扱われました。 誰が何の為に仕掛けたのか判らないがこんなことってある
 のが現実です。

 あのお婆さんの暮らしが元に戻れるのは何時のことやら、もしかしたら永久
 にその日は来ないかも知れません。 好むと好まざとに拘わらず戦争の渦に
 巻き込まれた人々、この先どうなることか。 そんな思いを吹き払って現実
 に戻してくれたのは一本の釣り竿でした。

 ガツーンというものすごいアタリが瀞の流れを糸が引き裂いて右に左に切り
 裂いて糸が走ります。 やがて釣れたのは尺を越すウグイでした。

 何時の間にか日が落ちて谷は夕闇に閉ざされようとしています。
 日が落ちるのが平野や海より早いのは谷が峡谷で山の向こうに日が隠れてし
 まうからでしょう。

 今日は飯盒のご飯もタップリ炊いて、お婆さんが来てくれることを期待しま
 す。 炊飯の火を引いて飯盒を逆さにし蒸らして居る間にハーモニカを吹き
 ました。 曲は前と同じ湖畔の宿。 その音色は川面を滑り、きっとお婆さ
 んの耳に届くことを期待して。

「山の妖精」
  
三曲目が終わろうとしているのに流れを渡る水音は聞こえませんでした。
 おかずの魚も焼けました。 買ってきた佃煮類もたくさん用意してあります。
 でもお婆さんは来ません。 何か恋人を待つ気分。

 期待が心配に、心配が不吉な予感に変わり始めた頃にはハーモニカも吹き飽
 きて河原にひっくり返り、瞬き始めた星の数を数え始めました。
 そのときザワザワと流れをかき分ける音が耳に届き、小さい話し声も混じっ
 て一人にしては少し賑やかです。

 アレッお婆さんではないのかな? 
 やがて二人の人影が河原を踏む音と共にこちらへ近づいてきました。
 それは待っていたお婆さんともう一人。 それは若い娘さんでした。

 「笛の音がしたんで あんたが来てくれたことは分かっていたんだが・・」
 「こんばんは 私孫なんです」娘さんは自分から話し始めました。
 「長野の方の紡績工場へ連れて行かれたんですが、おなかが大きくなったの
 で帰って来たんです」
「そう それはオメデトウ」
 「いえ結婚したのではないんですけれど・・・」 そうか、いろいろ事情が
 あるんだな、あまり深く聞いては失礼になる。

 「お婆ちゃんがいろいろ御親切になったそうで・・・ハーモニカの音色が聞
 こえてからお婆ちゃんが話してくれたもんでお迎えに来るのが遅くなって」
 「お迎え?」 「ハイ今晩は私達のセブリで過ごして下さい・狭いですけど
 野宿よりマシですから」

 そう言って私のリュックを負い廻りを片付けはじめます。 「さぁさぁ」と
 言いながらお婆さんまでが焚き火の始末をしたり飯盒を持ったりして、言葉
 を挟む隙もありません。 
 歩き出したあとを足下に注意しながら着いて行くだけです。
 
セブリというのは本来は箕作りなどを職業とする人たちの集団を云うですが
 その家にあたるものはテント小屋で「ユサバリ」と云います。 ユサバリは
長い丈や丸太をXに交差させて立て、交差したところに竹を横にのせ、端末
 を後ろの山土に突き刺します。 そしてこの上に天幕(シート)を被せた最
 も簡単なテントです。

 これがこの人たちの住家でした。 
材料や仕事の関係で、いつでも簡単に畳んで人の力で移動出来る最も簡素な
 簡易住宅です。
 一つのテントの中に幾つかの畳んだシートがあるのは、かっては数人或いは
 十数人の所帯がここにあったのでしょう。

 おばぁさんのユサバリの方には囲炉裏もあって上から藤蔓のようなものが下
 がり木の枝の二股を利用した鍵の手に鍋が掛かっていました。
 後で聞くところによると、この自在鍵は「天神」と云って偉い山窩のみに許
 される格式のあるものだそうです。
 
 天神に下げられた鍋からは湯気が立ちのぼり、美味しそうな匂いがして食欲
 をさそいます。

 「あんさ、酒は飲む方かえ」 「イヤ一滴もだめなんです」「そりゃー
 残念なことじゃ、わし等の方は客にゃあ一口飲んで貰うことになっとるだが
 折角じゃ 真似事だけでも」といって出されたのは濁酒を薄めたような酒
 で、白木で作った杯に半分ほど注いで勧めます。

 少し口を付けてみましたが、アルコール分が弱いのか匂いも果汁に近く、恐
 る恐る飲み干してしまいました。 その杯をお婆さん・お孫さんの順に回し
 て飲み、これでどうやらしきたりも終わったようで早速鍋のものを戴きます。

 少し色のついたお粥に青い葉っぱと何かの肉が入った「おじや」のようなも
 の、この肉が淡泊で抵抗なく戴けました。 あとで聞くとウサギの肉だった
 そうです。

 「にいさも釣りが好きなようじゃが、この子も釣りは上手での」
 「そうですか、ウグイを釣るのですか?」
 「いやヤマメや岩魚だよ・上を見てご覧、この子が帰ってきて釣った魚だ、
 好きなだけ焼いて食べるといい」 

 ランプの灯りでは暗くて気が付きませんでしたが藤蔓の途中に藁束が括り付
 けてあり、それには食べ頃のヤマメが幾つか竹串にさしてあって、三本ほど
 抜いて囲炉裏の火を囲むようにアブリます。
 暖まったところで食べてみると薫製の味がして非常に美味しいものでした。

 「これ姉さんが釣ったの?」 「はいこの先の沢で釣れますよ」
 「どうやって釣るの、教えてくれない?」 「明日一緒に行きましょうか」
 「おなかの赤ちゃん大丈夫なの?」 おばあさんが横から口を出して、
 「もう始末してしまった。 親の判らん子だからの、これでここに帰れたの
 だから良いことにしょうや」

 これも後でお孫さんから聞いたことですが、ナデシ以外の人との結婚は許さ
 れず、それが分かると掟(ハタムラ)に依って土中に首だけ出して何日か埋められ
 る、ということです。

 「そう身体の方大丈夫なら教えて」 とんだところで約束が出来てしまい
 ました。
 
 先ほど戴いたお酒はアンニンゴ(うわみずざくら・地方名なたづか)の花穂
 から自然発酵させて作ったもので疲れが取れるのだそうです。
 その夜は御孫さんはお婆さんと一つユサバリで寝て、私は御孫さんのユサバ
 リに自前の毛布を敷き、飲んだ酒が利いたのか何も考えずにグッスリ
 と寝てしまいました。  
    
   続・山の妖精 

  「きよしさん起きてる」元気な女性の声に目をさましました。 酒のせい
 か疲れていたのか、夢も見ずにぐっすり寝込んで夜の明けたのも知りません。
夜明けと言っても山間部のこと。 ほんのり空が明るくなった程度。

 「アッそうだ、釣りに行く約束していたんだ」支度は簡単、釣り竿と魚篭、
 タオルを腰に挟んでおしまいです。 たけさん(彼女の名前です)は仕掛け
 の付いたのべ竿一本持っているだけ。

 狭いアップダウンの樵道を平地を歩くように進み3〜40分で荒川の川幅の
 5分の1も無い沢に出ました。 「ここはヤマメだけ・イワナ釣るんなら、
 もう少し歩くんだけど」しかし都会暮らしの私には若いとは言え、たけさん
 の足の早さには追いつくのがやっと。

 「うん ヤマメでいいよ」 「あらヤマメの方が釣るの難しいのよ」
 腕まくりして水中の岩をそっと持ち上げ唇を押し当てたかと思うと、白い二
 の腕に押し当てました。 その腕には川虫が張り付いています。 吸い取っ
 て腕に移したのです。 

 彼女の仕掛けは麻紐の先にテグスが少しついていて鈎が結んであります。 
 長さは一メートルちょっと、オモリ無しの全く簡単な仕掛けでした。
 「見ていてごらん」そういって背をかがめ少し歩いて大岩の後ろの左右から
 流れが集まる岩の真下のタルミへ餌を落とし糸をたるませます。

 そして静かに竿先を上げると糸が張ってきます。 又下へ沈めるようにして
 もう一度竿先をあげた時には糸の先に15cmより少し大きいヤマメが掛かっ
 ていました。

 糸をしごくように鈎のチモトまで指先を持ってきて振りながら指先を返すと
 魚はポチャン。 元の流れに戻って行きました。
 「どうしたの」 「うん小さい魚は釣らないの、大きくなるまで待ってやる
 のよ」 そう言って又石を持ち上げ川虫を吸い取り、腕にのせて私の方へ差
 し出します。 「釣ってごらん」 

 私が新調した五本継ぎの竹竿を繋ごうとすると「こんな小さな沢なら三本繋
 げばいいわ、長すぎると上の枝にかかっちゃうでしょ」 もっともです。
 三本にして糸の長さも摘めて腕から川虫を採るとくすぐったそうに笑いをこ
 らえていました。

 「大きな虫なら一つでもいいのよ」
 彼女の指さすポイントへ糸を落とすとすぐに糸が張って竿先にアタリが来ま
 す。 瞬間に会わせるとブルブルという余韻を残して糸が跳ね上がりバレて
 しまいました。 「かかったかなと思ったら糸を送って完全に喰わせてから
上げればいいの、きつく上げなくても魚が大きければ、ちゃんと釣れてるも
 のよ」

 そうか、いままでヤマメを釣るときは早く合わせなければいけないと思って
 いたけれど、あれはオモリの重みを魚が感じたからか。 糸が短ければ送っ
 てから上げた方がいいんだ。

 コツが判れば後は楽に釣れます。
 「きよしさんって覚えるの早いのね」そんなおだてに乗って五つも釣り、彼
 女も同じ位釣って「この位にしとこ」 と言うのでもっと釣りたかったので
 すが竿を納めます。

 釣った魚は笹の葉を枝ごとウメガイで切って葉先を丸めて結び枝を鰓から通
 して持ち歩けるようにしました。
 帰り道はゆっくり歩いて長野の工場の事など話してくれましたが子供のこと
 には触れませんせんし、私も聞きたくはありません。

 セブリへ着いたのは昼前でしたが婆ちゃんに魚を渡し、川の側まで降りて焚
 き火をします。 寒くもないのに何故焚き火なんかするの、と聞いても笑っ
 ていて教えてくれません。 焚き火が燃え盛ると大きめの石を幾つも放り込
 み更に薪代わりの太い枝を燃やします。

 それが済むと握り飯を作って私をさそい山へ入りました。 腰には蓋のない
 大きめの魚篭のようなものを付けて手ぬぐいを襟巻きのように巻いたのは虫
 が入ると嫌だからということです。

 山では何か判らない草を採って、これは叩いて貼れば傷に利くとか、これは
 食べられるとか、この木の枝を箸の変わりに使って中毒した話しを聞いた、
 とか教えてくれたのですが、今は一つも覚えていません。
こういう草や山菜を集めるのは子供の仕事だそうです。

 ふたりで食べた味噌や私のあげた佃煮の入った握り飯の旨かったことだけは
 忘れられません。 帰り道に竹藪で竹を切り、二人で担いで帰りました。
 竹や蔓は箕作りや篭作りに欠かせない材料です。 これで生計を立てている
 のですから。

 帰り着くと河原より一段高い所に石で囲いを作って中に木綿のシートが敷い
 てあり、何時汲んだのか水が張ってありました。
 ここへ焚き火の中に入れた焼け石をスコップで放り込むのです。
 手で掻き回し、さっさと裸になり飛び込みました。

 これが彼らのお風呂です。 お婆さんも入ってから私の番でした。 
 見て見ぬ振りをしていたら恥じらいも見せずに立ち上がって、ピチピチと締
 まった身体を拭きながら「きよしさん 入ったら」 
 可憐な山の妖精が私を手招きします。

 風呂へ入るのはここでは女性優先のようです。
 少し温(ヌル)めですが気持ちの良い露天風呂でした。
 夕食は釣ってきたヤマメの塩焼き三匹を仮の神棚に捧げ御祈りを済ませると
 食事です。

 御飯を潰し平たくしたものを串に差して焼き、柄ゴマを潰して味噌を混ぜた
 ものを囲炉裏の周りで焼いたものが主食。 長野で覚えた御幣餅(後の
 五平餅)というので、今日は私の為に造ってみたそうです。

 婆ちゃんは、今日は良いから向こうで寝ろとたけさんに言っていました。
 婆ちゃんを残して隣りのユサバリへ二人で入ってお互いの暮らし方の違いを
 時間を忘れて話しました。

 たけさんは工場に居たので私たちの生活は知っていますが、私はここの人
 たちの生活は何もわかっていません。
 そしてたけさんの話してくれた一つ一つは、それはとても興味深いものでし
 た。

 ナデシというのは職業から出た通称でナデというのは箒のこと、それを作る
 のでナデシ(師)というのだそうです。 ここでは竹箒よりも箕作り笊作り
 が主な仕事。

 山窩は日本国中に居て、主に山を根城として特定の地域を定めずに群れを作
 って生活をしています。 穴に住んでいるのではないから「山家」というの
 が正しいのではないでしょうか。

 「きよしさん達が天皇を一番偉い人というように(その頃はそういう教育で
 した)私たちにも天皇の居ない昔から偉い人が居ましたし、それより一番偉
 いのは太陽です。

 だって人は太陽があるから生きているんですもの」
 「今は軍人とか政治家とか憲法などといろいろなことや階級があるでしょ。
 私たちはそんなもんが出来る以前からアヤタチという一番上の人がいて、そ
 の下にミスカシ次がツキサキ(此の下にいろいろな階級があったのですが、
 今の大臣とか知事・市長・町長・村長のような階級です)

 一年に一回地域の一番上の人が集まって意見を述べあってハタムラ(掟)の
 改更が行われ、下へ伝達されます。 (今の民主主義ですね)

 お婆さんの夫は地域セブリの上の人でムレコという偉い人なのです。
 ハタムラ(掟オキテ)を守らないと共同生活が出来ない人ということで、その
 監視や処罰を決められた通り行うのもムレコの役です。

 ヤライ(追放)とかカンヤリ(カムヤライ・死刑)という重罪から、軽い罪
 なら生き埋めというのもあります。 これなら一日から七日ほどで出して貰
 えます」。

 難しい単語のような物が出てくると覚え切れるものではありません。
 話しを聞いているうちに段々眠くなりました。
 一緒に山を走り廻って疲れていたのでしょう。

 「きよしさん 眠くなったの? いいよ寝て」そう言って私の側に近づき、
 優しく頭を撫でてくれます。 私は母に抱かれるように気持ちよく、顔を胸
 のあたりに埋めていつの間にか眠ってしまいました。

    「岩魚捕り」
 
 翌朝は昨日起こされた時間に目が覚めました。 これって不思議ですね。
 前の日に起きた時間を身体が覚えているんです。
 隣りに寝ていたはずのたけさんは居ませんでした。 外へ出て見ると石を組
 んだ竈で飯を炊いていました。

 「おはよう」「あら もう起きたのもっとゆっくり寝ていて良いのよ」
 「でも 今日は岩魚釣り教えてくれるって」 「大丈夫教えることって無い
 わ。 ヤマメと同じでいいの。 ヤマメは外れることがあるけど、岩魚は大
 丈夫 もっとゆっくり竿を上げても、よそ見していても釣れてしまうから」

 「ご飯食べたら魚掴みにゆきましょうか」   
炊けたご飯をお婆さんの所に持って行き神棚とお婆さんに上げてから食事に
 私たちも食事です。 昨日採った山菜のおひたしも旨かった。

 「今日はどけー(どこえ)行く」 「ムレコの沢 行っていいかな」
 「おーいいとも ムシ(へび)に気ぃつけて(気を付けて)ゆっくりいけ」
  ウメガイ一つ腰に挟んで手ぶらででかけます。

 昨日の道を途中から山へ逸れて道の無い山歩きでした。 
 「いいかい 山歩きや長歩きは手を振ってはダメよ。 足下より少し先を見
 て両手を軽く握って歩くと疲れないのよ」私の為にゆっくり歩いてくれます。

 段々尾根に近ずき向こうの山が見晴らせるところまでくると腰を下ろして一
 休みします。

 「長い道歩くときは腰を下ろすと歩けなくなるの、立ったままで休む方が良
 いのよ」 こんな注意をしながらも私の隣りへ腰を下ろして道筋で摘んでき
 た笹の新芽をくれました。
 これを噛むと疲れが取れるといいます。

 ここから見る秩父連山は実に綺麗でした。 前が城峯・後ろが定峰というら
 しいのです。
 二人は草地へ寝ころんで目をつぶりました。

 「きよしさん いつまで居ていいの?」 「明日帰る」 
 「何で? 帰らなきゃいけないの」 
 「うん 学校が始まるから」
 「そう 又来る?」

 「卒業したらね」 「そうか 学生さんなんだ、でもいいや きっときて
 ね」 「うん約束する」二人は肩を寄せて小指と小指を絡ませました。

 尾根伝いに歩いてから下降します。 暫く降りるとやがて水音が聞こえてき
 ました。 ここがこの沢の水源です。 流れは山土の下に砕石で囲まれた穴
 から湧きだしていました。

 たけさんは両手で掬って私の方へ差し出し飲めというのです。
 私は其の指先に口を付けて飲みます。 冷たくて甘い水でした。
 続いてたけさんが一杯のみ、次に又私の方へ差し出す。

 喉の乾きも止まって、又下りました。だんだん沢の幅が広がると、たけさん
 は時々沢を覗き込んでいましたが、流れの幅か一メートルを越えた所で流れ
 に飛び込み、右・左の岩や淵の下に両手をいれ探サグっていました。

 やがて25cm程の岩魚を私の足下に放り投げました。
 私は昨日たけさんがしたように笹の葉を束にして丸く結び鰓から口元に茎を
 差込み下げられるようにしました。

 同じようにして岩魚を十二尾捕り、「半分はお土産よ、此処の沢はお爺ちゃ
 んが三峰の方から捕ってきた岩魚を放したの。 秘密の沢なのよ」
 「あ〃それでムレコの沢って言うんだ」 「あら 覚えていたの、それも秘
 密よ」 「うん」

 帰りがけに竹の枝を払ってそれに魚を通し直し今度は私が先に立って山を
 上がります。 踏み跡があるので間違えずに尾根まで上がり先ほど休んだ草
 地で少し休んでセブリへ戻りました。

 明くる日は朝から仕事の箕作りです。 お婆さんと一緒に竹を裂いて器用に
 編み唐箕ができあがります。
 電車の都合で三時頃別れを告げました。
 
 別れるときに「ハイお土産」と渡されたのは、今で言う郡上ビクのような魚
 篭。 荒っぽいが丈夫そうな篭に紙に包んだ焼き岩魚の串刺しが添えてあり
 ました。    これでこの話しは終わりです。

 その後たけさんに会ったかって? ハイ戦争も激しくなってなかなか行く機
 会もありませんでしたが、一度だけ行きました。 がユサバリは跡形もなく、
 人が住んでいたという形跡もありませんでした。
 ナデシというのはそういうものなのです。 完