SUB:思い川

1・ 「バイク」.

 私の名前は「耶摩奈」ヤマナと申します。 今年23才の女の子、もう
 お姉ちゃんです。 よろしく。
 名前でおわかりのように私の父は釣り好き。 若い時は鮒釣りから海釣り、
 磯釣りまでやっていたのですが、母と結婚したのを機会に山釣り一筋。

 それは母の実家が山里で、始めて山女魚を釣った時に泊まった民家の娘だっ
 でした。 今、その実家はありません。 麓の町へ越してしまいました。
 私の生まれた家はダム湖の湖底に眠っています。

 今日は父と母の話しではありません。 私のボーイフレンドの話しなのです。
 のろけ話しかって。 違いますよ。 そんな話しなら良いのですが。  
もう七八年も前になりましょうか、彼が私の家へ来たのは偶然なのです。

 その日雑誌か何かを見て渓流釣りというのをやってみようかなんて思い立っ
 て、友達に教えて貰った集落の裏を流れる「思い川」へ来たんですって。
 大きなバイクで釣り竿を斜めに背負って。

 でも始めての渓流釣りで鮒釣りみたいに長いウキをつけて釣れるはずはない
 でしょ。 巫女の淵あたりでオモリを重くしてミミズの餌で、やっと一つヤ
 マメを掛けたのですって。 話しや写真で見たり聞いたりするよりも、本物
 はとてもキレイな魚だったので驚いたらしいわ。

 夕方になって帰ろうとしたらバイクの後輪がパンクしてたの。 エンジン
 とかガソリンエンコなら下り坂だから麓まで降りればスタンドも修理やさん
 もあるけれど、タイヤがペチャンコではね。

 エンジン掛けてハンドル押さえながら少しづつ下って此処まできたの。
 一時間近くもかかったっていうわ。 そして日が暮れてしまって明かりが点
 いている私の家まで来たのです。

 家では母が私と父が帰ってきたかと思って戸を開けたら真っ黒な顔をした若
 者がバイク押さえて立っていたのでビックリしたらしいわ。 でも見かけよ
 り好青年で、まるで申し訳ないというように「タイヤがパンクしちゃったも
 んで」と頭を下げて「電話貸して頂ければ修理屋さん頼もうと思うんですが」

 話し方では悪い人では無さそうなので、「そう・それは御困りでしょう。
 もうじき娘と家の人が車で戻りますから、修理屋まで連れてって貰う方が早
 いわ」
 家の母も結構お人よしなんです。

 母の差し出す石鹸で、道の向こうの山から落ちる湧き水で手や顔を洗ってい
 るときに父の軽トラに乗って父と私が帰ってきたんです。 話しを聞いて父
 がバイクのタイヤを見ると、ただのパンクでなくてタイヤの横が鋭利な刃物
 で切ったように斜めに切れていました。 タイヤって地面に当たる所は厚く
 ても横は案外薄いのね。

 「これは埋まっている石を前のタイヤで跳ね上げるとこんなふうに後ろが
 切れることがあるんだよ。 この前も乗用で来た人がこんな風にバースト
 したことがあるんだ。

 何処まで帰るのか知らないが、恐らく取り変えなければ」と考えていまし
 たが 「町の修理屋までトラックに載せていっても良いんだけれど、バイク
 の修理屋じゃあないから注文して取り寄せると明日になるだろうし、
 車は此処に置いて町まで送っても行っても良いけれど、駅へ行く終バスは
 間に合わない」

 そうです。 私が乗ってきたバスが此の先の町で折り返しの終バスです。
 何しろ一日に四本しかないのですから。
「終点の町には旅館があるけれど、どうする」

 彼が即答出来ず思いあぐねているところに母が助け舟を出しました。
 「お父さん。 今晩はここへ泊まって戴いたら。 明日は出かけなくても
 良いんでしょ、耶摩奈も日曜だから」

 その頃私は町の高校まで自転車で通っていたんだけど、部活なんかで遅くな
 るときは家へ電話してバス停まで父に迎えに来て貰うの。 家迄は殆ど登り
 坂だから夜道は危ないのね。 前に転んで怪我してから遅くなったときは迎
 えに行ってやるって父が言うもんだから何時もそうするの。

 「そうか、明日は日曜日だったな、君さえ良ければそうしたまえ、隣り町の
 バイク屋へタイヤのサイズを電話して、無ければ取り寄せておいて貰へば良
 い。 ついでにお宅にも電話しておきなさい」
 こういうときの父はいつもの癖でどんどん勝手に決めてしまうのです。
 青年は言われた通り電話したら同じサイズのタイヤは有ったそうです。

 電話が済むと、彼は父に呼ばれて書斎へはいって行きました。
 書斎と言ったって農家を改造したのですから、畳の四帖半に机と本棚・小さ
 な整理箪笥があるだけです。 それと壁には板を貼って簡単な額に入った写
 真が沢山飾ってあります。 山や渓流、それに山に住む動物の写真ばかりで、
 みんな父が撮ったもの。 ヤマメやイワナの写真もあります。

 父が釣った自慢の大物は私のお母さんだって。 今は余り行きませんが結婚
 してから母と一緒に日本中を釣り歩いたんですって。
 定職というのはありませんが自称フリーライター。 それに最近素人さんの
 出版する本の手直しや校正なんかもやっているようです。

 でも私は父の釣りに行く姿は見ても、そんな仕事をしているのは見たことが
 ありません。 畠が少し有りますし荒れ地を耕して蕎麦も作っています。
 「お前を学校を卒業させて嫁にやる位のお金が稼げれば良いんだ」と言うん
 ですよ。

 書斎で何を二人で話していたのか知りませんが、その間に食事の支度が出来
 て居間の方へ来るようにって呼びに行きました。 今日は特別に私がイワナ
 の丸揚げに野菜を沢山添えて中華風に片栗粉を溶いて醤油とゴマ油を少し入
 れた、とろみのある汁を掛けたものを作りました。 学校で鯉の丸揚げを教
 わったのをイワナでやってみたのです。

 食卓へ着くと「大和(ヤマト)巌(イワオ)君っていうのだって、大山巌のイワオ・娘
 は耶摩奈で、幻のイワナが居たという大鳥池があって、アノ山が摩耶山、
 三面(ミオモテ)川の水源にもなっている。 その摩耶を逆さに書いて耶摩。 奈
 は魚のことで酒の奈にするからサカナ、始め耶麻女にするか、と言ったんだ
 けどいくら好きだからって魚の名前そのままでは、なんて女房がいうから奈
 にしたんだ」

 食卓に指で字を書きながら説明していました。 先ず母の手打ちの蕎麦を食
 べてからご飯。 食事の支度をするとき母が、今から追い炊きしても間に合
 わないからお蕎麦でも食べてもらって、何て言っていました。

 「巌さんは釣りに来たんでしょ、釣れました?」 「ええ一匹だけ」
 「餌・毛鈎?」 「ミミズです」 巌がポケットから出した仕掛けは里の鮒
 を釣る仕掛けだったの。

 「これで良く釣れたわね」 バカにするつもりは無かったのだけれど、つい
 口から出たの。 あわてて「お父さん巌さんに釣り方教えて上げたら」
 「そうだね。 そうするか。ねえ巌君」 食事が済むと渓流釣りの講義が始
 まりました。
 
 その間に奥の部屋をかたずけて巌さんが何時でも寝られるようにして
 おきました。 釣りの話しに夢中になっている父に一緒に寝て貰えるように
 したことを告げて、母と私は先に寝ました。 二人が何時寝たのか知らな
 かった。

 翌朝、食事が済んだ頃バイク屋から電話が掛かってきて、日曜で午後から
 出かけたいので出来れば午前中に来て貰いたいと言うの。 釣りは今度と
 いうことにしてトラックにバイクを積みました。 
 
 「其のほうが良いかも知れない。 遊んでいて遅くなってお宅で心配させ
 ても悪いし」父はキットどこを釣るか考えてあったのでしょう。 少し
 残念そう。
 巌さんは母と私に向かって「大変お世話になりました。 近いうちに必ず
 お礼に参ります」と頭を下げてトラックの助手台に乗って窓をあけ、車の
 中から手を振っていたわ。 これが巌さんに会った始めでした。

  2・「二輪草」.

  翌週の日曜日の朝バイクの音とともに沢山のお土産を持って、巌さんが来
 ました。 新しい釣り竿をザックに入れて。 でも生憎父は仕上がった原稿
 を持ってお客さんのお宅へ伺う約束があって出かけなければならないの。

 私に「沢釣りを教えてあげな」って言って出かけてしまいました。
 母も「プールのイワナが少なくなったから少し釣っておいで」というので、
 その日は私が案内役。 今日の私はGパンにチェックの長袖のシャツです。
 
「プールのイワナって家でイワナ飼っているの?」 「見て行く?」

 道から少し降りた畠の途中に作ったプールに山の湧き水を引いて、ヤマメと
 イワナを飼っているのです。 それは四段になっていて四角い池を縦に並べ
 た形ですが一番下の深い池に私たちが食べる為のイワナが入っています。

 四角の池ですが魚が音や人影に驚いて怪我をしないように四隅を丸くして
 あります。 本当は丸い池を作りたかったのだそうです。 その方が魚が偏
 (カタヨ)らず運動不足に成らないんだって。 一番上は浅く、底に石がいれて
 あるのは孵化した魚を入れる予定の所。

 「魚の養殖までやっているの?」 「いいえ、未だ孵化までやらないの。
 そのうちに組合の人たちと話しあって一番良い方法で魚を育てたいと言って
 たわ。 今のところ稚魚を捕ってきて大きくして放しています」。 
 
 「ヤマメって川で自然に増えるんじゃなかったの」 「昔はね。 今は里の
 人が食べるよりも余所から釣りに来る人が多いでしょ。 自然に増えるだけ
 では間に合わないの」 「そうなんだ、だから幻の魚なんて言うんだね」

 「さぁ釣りに行こ」 「遠いいの」 「そうね、歩くと・・・」 「バイク
 じゃダメ」 「そうしましょうか 途中迄乗せてって」
 耶摩奈はタンデムシートの後ろに乗りシートの脇を掴むと、「ここへ手を回
 した方が危なくないよ」 男にしては柔らかい手が耶摩奈の手を握って自分
 のベルトの前の方へ回しました。

 スピードを上げず景色を楽しむようにゆっくり走りました。 怖がらないよ
 うにという私への思いやりでしょうか。
 Y字路で川に沿った林道へ入ります。 これは先日耶摩奈の父に教えて貰っ
 た川に沿う道でした。
 小沢に架かる木の橋迄来ると「ここで停めて」 橋脇の待避線へバイクを停
 めるとここから歩きます。

 「此の前はもっと先まで行ってから釣ったよ」 父から沢釣りを教えて上げ
 るように言われたので、「この橋の下の小沢で一度川へ出て川を渉った向こ
 うの沢を釣るのよ」と教えます。
 川へ出ると少し下流に向かって歩き浅い瀬で渡って更に少し降ると沢が出会
 います。

 余所から釣りに来る人は上流へ入るので、此の沢には気が付かず、良く釣れ
 る所です。 父は此の沢を「中ノ沢」と呼んでいました。
 ここでは私が先に釣って見せると巌さんは覚えが早くて上のポイントをスグ
 見つけて釣り上げます。

 私が持ってきた小さなクーラーボックスはすぐに魚でイッパイになり、予定
 より早く戻りました。 
 帰りがけに魚を二段目のプールに入れると、みんな元気です。 
「巌さんの釣った魚、腹を出しておく?」 「要らない。 今日は授業料の
 代わりに置いて行く」
 
 家へ戻ると母が「早かったのね。 お腹空いたろうから早お昼にして、済ん
 だらワラビでも採ってきて頂戴」
 焼きオニギリと佃煮の簡単な食事をしながら、私は巌さんに「どうします、
 私、山に行ってくるけど、巌さんはお土産を釣ってくる?」
 「よかったらワラビ採るの手伝わせて、山菜採りなんかしたことないんだ」

 竹で編んだ丸い籠を背負って岡を上がると、樹木の無い草原の斜面がありま
 す。 其処には種を撒いたようにあちこちに20cm程のワラビが一面に草を
 かき分けて背伸びをしています。

 「此処はワラビ畠なの?」これには思わず声を立てて笑ってしまいました。
 「ごめんなさい自然に生えたものなのよ」 「だってコレ町で売っている物
 とそっくりだもの」 「いやーね。 町で売っているのだってみんな、山か
 ら採ってきたものなの」

 片手に掴みきれなくなるとワラビを紐の代わりにして束ねて籠に入れます。
 時々背伸びしたり休んだりしながら摘んだワラビが籠イッパイになると、
 「今日はこの位にしましょうね」二人はその場に寝ころんで青空を見上なが
 ら山の生活のことや、都会の事などを話しました。

 「今何時」 「三時半」 「父が戻る頃ね、帰りましょうか」 巌さんは
 未だこうしていたいようでしたが、家で心配するといけないので岡を降り
 ました。

 途中、山の少し崩れた所の赤土に白色の小さな花が咲いているのを見つけて、
 「可愛い花が咲いているよ、耶摩奈さんみたい。 何の花だろう」
 「ああ、これはね二輪草というの。 ホラ二つづつ咲いているでしょ」

 「本当だ。 中が良いんだね」
 「あら、此処には無いけど、三輪草というのもあるのよ」
 巌は一対の二輪草を摘んで一つを私の髪に差し、もう一つをチリ紙に包んで
 ポケットへしまいました。

 この日は魚の代わりに茹でたワラビをお土産にしてバイクの音を残して帰り
 ました。 「又来るねー」
 今度は何時来るのかしら。 そんなことを思いながら手を降って姿が見えな
 くなるまで見送りました。

   「 噂 」

 春も過ぎ、夏も近かずく頃、此の何軒も無い集落に町からお役人が来て色々
 調べて行きました。 耕地面積とか養魚の目的とか建物とか。
 母が言うには、多分このあたりにダムが出来るのではないか、と言うのです。

 母の生家にダムが出来て立ち退きになる前も同じようなことがあったそうで
 す。 夕方戻ってきた父に話すと、矢張りそのような噂がある。 と言って
 いました。 それから半月ほど経って村役場に呼ばれダム計画の書類と地図
 を貰ってきました。

 同意を得る、と云うより半ば決まったことを伝えると云った感じで、民家の
 多い地域には無関係の為か、誰も反対する者は無いそうです。 山林の持ち
 主も内定されている高い保証金に不賛成の者は無さそうだということでした。

 父は自分に言い聞かせるように「工事が本格的に始まるのは、お前が卒業し
 てからだから良しとするか」 こう言って此の地を離れるのを覚悟したよう
 です。  

 母は折角の安住の地を失うのを残念に思っているようですが、私は矢張り友
 達の多い町へ出たい。 いっそ都会へ出られるようならもっと良いな。 
 なんて華やかなものを想像して心の内で期待していました。

 高校最後の夏休み。 裏の小さな畠で胡瓜や茄子を摘んでいると「やまな
 さーん」と呼ぶ声に、振り向くと大きなナップザックを背負った巌さんが道
 で手を振っていました。 「釣りに来たのー」 

 「上がって来ないかー」と後ろを向いてナップザックを叩くのです。
籠に入れた野菜を片手にあぜ道を上がると、ザックの丸さからそれが西瓜で
 あることが判ります。 「西瓜ね」

 「ここに居ることが良くわかったわね。 家で聞いてきたの?」
 「いやバイクから見えたんだ・耶摩奈さんってすぐわかったよ」
 「家へ行こ」
 「お母さん、巌さんよー」 土間に野菜籠を置くとザックの西瓜を両手で受
 けて下ろし母に見せてから裏のプールに浮かべました。

 「今日は」彼は母に挨拶して「今日は小父さんは御出かけですか?」
 納屋に車が無いのです。 「ええ 村の集会へ出かけたんです」
 「そうですか・・・お話聞きたかったのですが」

 「そのうち帰ってくるでしょ、折角いらっしゃったのだから耶摩奈と川にで
 も行って遊んでいらっしゃれば、この奥のほうに滝があるんですよ」
 「そうだ巌さん滝見に行こか・イワナ釣れるかもよ」
 イワナと聞いて巌も行く気になったようです。

 「ちょっと待っててね」そう言ってバイクに戻りシュラフでも入っているよ
 うな円筒形の布袋から何か取り出して上がりがまちの所に置きます。
 「これお土産」「あら西瓜頂いたのに」「ハイこれは耶摩奈さんへ・これは
 小母さん・これは小父さん」 私にくれたのはカーボンの渓流竿でした。
 お母さんには藍染めのネッカチーフ・父には古風な魚籠です。

 「あら、すみませんね。 そんなお気遣いなさらなくっても良かったのに」
 といいながらも藍染めの布を広げていました。 絞り模様が幾つもあって、
 それが一つの模様になったシックな洒落たものです。風呂敷にもなるし襟に
 捲いてもおかしくないエンジと藍の染め分けになっていて手の混んだもので
 す。

 「わー素敵だわ お母さん」 といいながらも私も渓流竿を表に向かって
 伸ばしてみました。 長い竿なのに真っ直ぐのびて、凄く軽い。 父の
 お下がりの竿とは全然違います。

 「バイクに乗せてってくれる?」 釣り用のベストを羽織って、貰ったば
 かりの釣り竿をケースごと紐で結わえて背負えるようにしました。
 魚篭代わりの小さなクーラーボックスに冷蔵庫の缶ジュースを二本入れて、
 バイクの後ろに乗りました。

 この前降りた橋を通り過ぎ四輪なら両脇を撫でられる程の狭い道を進みます。
 待避線のある所へ来るとバイクを停めて、「この前小父さんと来た時はここ
 から歩いてあの木の脇から川へ降りたんだ」 「釣れたの?」父からは何
 も聞いていませんでした。 「うん、ヤマメとイワナがね」

 「そう、もうこのあたりはヤマメだけでしょうね。 イワナは暖かくなると
 上へ移動して行くの・滝はまだまだ先よ」 
 やがて車なら三台ほど置ける広さの所へ出ました。 ここが此の道の終点な
 のです。

 「ここから歩きましょ」 草に覆われてはいますが細い道があるので、
 「バイクじゃ行かれないの?」 「ウンだめ危ないから」
 耶摩芽の言うとおりでした。 樵道で岩が出たりアップダウンのきつい曲が
 りくねった道です。

 山が左に切れ込んだところは高所恐怖症では足がすくんで歩けなくなるよう
 な所もあり、そう云う所の先には雨が降れば滝のように水が流れ落ちると思
 われる山の切れ込みがあって立木を倒して架けた丸木を二本並べて橋にして
 あります。

 「もう少しよ」立ち止まって耳を澄ませると風の音のように瀬音が囁き、進
 む程に、それが滝の音に変わってくるのです。
 山裾を一(ヒト)曲がりすると一層激しい音に変わり目の前に幅はさほど広くは
 ないが落差ある滝が目に入りました。

 後ろに付いてくる巌さんに振り返って「あれが魚止めの滝よ」大きな声で
 言ったのですが聞き取れないようで、もう一度耳元へ口を寄せて同じことを
 言いました。 今度は判ったようで、うなずき、何か言ったようですが聞こ
 えません。 多分高いね、とでも言ったのでしょう。

 足の幅ほどの細い道を確かめながら所々立木を押さえるようにして流れ迄下
 り、流れの手前でしゃがみ込んで巌さんに釣りの支度をするようにいいます。
 滝の下の流れは大きな岩がゴロゴロしていてその岩影が良いポイントなの
 です。

 矢張り岩の横の深みから良い型のイワナが釣れたので巌さんは喜んでくれ
 ました。 滝壺は流れが急なので餌が沈まずに払い出されてしまいます。
 滝壺の裏の深みには少し届かないので、貰ったばかりの竿で私が少し流れに
 入り、巌さんと片手を繋ぎ竿を持つ手をいっぱいに伸ばしてポイントに餌を
 落とします。 繋いた手が滑りそうになるので両手で掴んでくれました。

 ここで釣れたのは40cm 程もある大きなイワナでした。
 巌さんは「未だいるかしら」 「そうね。 何匹かいるでしょうけど、もう
 警戒して釣れないんじゃない」 「そうか耶摩奈さんにやられたな」

 「此の竿は軽くて使いよいのね、此の滝の上行ってみない?」
 「エッこんなとこ上がれるの」 「捲き道があるはずだわ」
 竿をしまって少し戻り山の様子を見ましたが捲き道を見つけ先に立って道の
 無い所を手で草や木を掴みながら斜めに上がって行きました。

 捲き道とは言っても実際に道があるのではなくて、途中に岩崖などの無い傾
 斜の緩やかなところを這うようにして上がってゆくのです。
 巌さんはこんなことは始めてらしく、私の歩いたとおりにうつむいて上がっ
 て来ました。

 山裾の斜面に上がって滝上に出ます。 そして傾斜の緩やかな所を見つけて
 川へ降りました。 川の幅は広くなく小さな沢山ある岩の間を数条の流れが
 縫っています。 「少し歩いてから釣りましょ、ひと休みする?」 平らな
 岩の上に腰を下ろして両方のポケットから缶ジュースを出して一つあげまし
 た。

 「有り難う」 「喉が乾いたら流れの水を飲んでも良いのよ。 でもジュー
 スの方がいいわね」 「耶摩奈さんって何時もこんな所まで上がってくるの」
 「父に連れられて一度来ただけよ」 「こんな上に魚いるのかなぁ」

 「多分居ると思うわ 滝のすぐ上に居て上から流れる虫を待っている時も
 あるけど、大体雨が降りそうになると上流に行くわ。 魚だって危ない所に
 は居ないのよ」

 ここから100m程歩いて平たい岩の下の広い落ち込みの近くに来ると「釣る
 支度して」といって巌さんにポイントを指差して教え、這うように姿勢を
 低くして釣るように言いました。

 右と左にある流れ込みで一匹づつイワナを釣った巌さんの側に行って、釣
 れた所を見せます。 「うーん、こんなところに居たんだ」 「浅いでしょ
 だから隠れる所の無いポイントでは高い姿勢で近ずいては釣れないの」
 「うん、判った耶摩奈先生」「あらいやだ、先生じゃないのよ、父に教わっ
 たこといっているだけ」

 十も釣ったでしょうか。 「そろそろ帰りましょうか」 「こんな高い滝の
 の上にも魚が居るんだ」 「本当はね。 この滝上には魚は居なかったのよ
 私も知らなかったけれど父が下から釣ってここへ放したんだって。 三十位
 放したっていっていたわ。 今は沢山増えたから釣ってもいいよって」

 「でも・・・何だか悪いな。 禁漁区にしておけば良いのに」
 「町の漁業組合の人も言っていたわ。 禁漁区にして種沢にするようにって。
 でも父は何時も言うのだけれど、川はみんなの物だって。 だから組合で種
 になる魚をプールで増殖すれば良いって」でもね、と続けて言った。 
 「いいのよ、もうじき此の下にダムが出来て、ここもどうなるか判らない
 から」 「エッ ダムが」。

 道を戻りながら、父は反対したのだが村の者は思いがけない補償金がはいる
 のを当てにして誰も反対する者も無かった、という話しなどしながらバイク
 まで戻りました。

 家に着いた頃は日も暮れかかっていましたが父は戻っていませんでした。
 電話があって巌さんが来ていることは話したので、なるべく早く戻ると言っ
 ていたそうです。

 「巌さん、ご飯食べて行くでしょ」 お母さんも側から「是非食べて行って
 頂戴 ご飯余分に炊いたから」巌さんは少し考えているようでしたが
 「そうですね、小父さんにもお会いしたいし、お言葉に甘えさせて頂きます」

 「耶摩奈さんにお願いなんだけど・・・前にご馳走になつたイワナの丸揚げ
 頂きたいな」 私思わず赤くなっちゃった。 だってあんなもの巌さんが覚
 えていてくれたなんて。 「いいわよ、材料はあるし」
 暗くなってから父は戻って来ました。

 「やあ 遅くなってごめん。 役場で正式にダム建設の話しがあってね、そ
 のことで集会所へ集まったんだ」
 「お父さん、其の話しは食事の後でもいいでしょ。 巌さんからのお土産が
 あるのよ」 そういって母が魚籠を持ってきました。

 「あ〃これは郡上籠だね。 良い出来だ。 アマゴ釣りにはこれが良いいだ
 ろうね。 有り難う。 そうだな、タラの芽とりにも使えるね」
 「今は此の籠が作れる人が少ないそうですよ」
 「そうだろうね。 此の籠にしたって鳩車にしたって、ちゃんとしたものを
 手で作れる職人は居なくなったね。 それにしても良い出来だ」

 食卓に着いても籠を側に置いて眺めています。
 「昔はね、これと似たようなものを山仕事をする人が使っていた事があるよ。
 この背板のようなものは一種の安定板だね。 弁当入れたり目印の棕櫚縄入
 れたりキノコ何かもいれたのかな。

 道の無い山歩きでは、物をしっかり身に付けていないと危ないだろ。 木や
 岩に当たったり枝に引っかけて足を踏み外すととんでもないことになりかね
 ない。
 板が無いと腰帯で下げるからブラブラしたり位置が変わってしまうだろ。」
 
 「僕は体温が魚に伝わると痛むので板を付けた、と聞きましたが」
 「裸で抱えて釣る訳じゃないんだから竹籠の中の魚が痛む程温度は変わるも
 んじゃないよ。 それより衣服が生臭くならない為にも良いんじゃないかな」

 母が側から「それで寄り合いの話しはどうだったの?」
 「なぁに、決まったことさ。 今更どうこう言ったって始まらない。 単純
 なものだよ。 水利に使うと村に水洗便所が出来るとか、井戸枯れの心配が
 無くなるとか。 自然が無くなることの方が重大な事なんだと言うことは誰
 も考えていないんだ。」
 みんな直接の被害者じゃないんだからね」 少し悲しそうな顔でした。

 「それにしても耶摩奈の学校選びの方が問題だね。 何処に住むか、それに
 依って考えなければいけない」
 補償金も知らされていないし、本決まりになるのはまだまだ先の事のようです。

  4・「雪化粧」

 秋も近くなりクルミが実のる頃、巌さんから手紙が参りました。 又一緒に
 釣りに行きたいと思うのだけど、そろそろ卒論を考えなければいけないし、
 就職の方も早めに決めておきたいので思うように出られない。 春になった
 ら又伺います。 卒業したら泊まりがけで行きますのでよろしく。

 という内容です。 私の方も卒業したら何処の学校を受けるか、決めかねて
 いる所でした。 取り敢えずは一番近い町の短大を受けるつもりで学校の方
 へ希望校として出してあります。 

 先生からは東京の大学を受けて見るように言われていますので父は其の気に
 なって引っ越すにしても麓の村にするか、もう少し交通の便の良いところに
 するか迷っているようでした。 大体、自然が好きで都会から、わざわざ
 こんな不便な山に移ってきたのですから、都会の雑踏の中へ戻ることはしな
 いでしょう。

 ダム建設の方は来年秋迄に立ち退き翌年春雪解けの頃から建設にかかるらし
 いのです。 
 正月も過ぎて山も真っ白に雪化粧をして寒い日が続きます。 猫柳の膨らみ
 山吹の蕾が膨らむ頃に私は町の短大に合格し、移転先も同じ村内の、思い川
 の支流近くに土地を貰って、取り敢えずは其処に今と同じような暮らしが
 出来るようになります。

 此の川も下流は水没するのですが、山側の道がダム湖に上がる道になり、
 父はここに茶店みたいなものを作るつもりらしいのです。 スキー場でも
 出来るようになれば四季に収入があり、暮らしのほうも今に比べれば少し
 は楽になるのではないか。 という考えのようです。 家が出来るまでは
 町に借家をするということでした。

 補償も決まり私達は、家を借りるまでもなく、予定のところに移転しまし
 たが、ダム工事は一向に進みません。 バブルの崩壊とかで不急の工事は
 見直しになったそうです。

 工事はここばかりでなく此処で集めた水を離れたところにある川の水も集
 めて県境に有る大きな川のながれを加えて発電に使う予定のようでしたが、
 受け入れる大きな川の流域の住民の猛反対もあったのですね。

 何年も工事に掛かれぬままで、放ってありましたが地元への建設業者への
 言い訳のような砂防堰堤が出来ました。 このあたりの補償額は予算にし
 たら大きな金額では無かったので問題はなかったようです。

 父は取り壊されずにあった家と生け簀を大きくして養魚場を始めました。 
 下流の大きな町の漁協に加盟して此の地区の放流を任されました。
 地元の魚は地元で賄うへきで、余所の魚を使うと生態系が乱れるという父
 の持論は生かされる事になりました。
 
 一方私は新しい家から原付バイクで学校へかようようになりました。
 巌さんは商社に就職したそうです。 暫くはお逢いしていませんが、永い
 研修期間が終わってから一度釣りにいらっしゃいました。

 渉外という部署に廻って今は販売担当ですが、その内外国に常駐するよう
 になるかも知れないということです。 私には良くわかりませんが海外へ
 の出張も多くなった、ということで釣りにくる回数も少なくなりました。
 
暫く見ないうちに巌さんは今までお友達だったというイメージから好もしい
 一人の青年という感じで、名前で呼んではいけないのではないかと思いまし
 たが話しをしていると矢張り以前と変わらない巌さんです。

 会社では独身社員を外国へ派遣することが多いのだそうです。 身軽だとい
 うことでしょうか。 今の担当が宝飾品関係なのでたぶんこれの仕入れ関係
 かな何て言っていましたがやがてそれは現実になりました。

 私が学校を卒業する頃は海外の支社勤務になりまりたが、本社に三ヶ月置き
 位にこちらに帰ってきます。 
 こちらに滞在期間のうち一日は私の村に来てくれました。
 禁漁期間中でも養殖池の魚の発育状況などを見て一日遊んで帰ります。

 そのころは父も此の地区の漁業組合長になっていました。 早くから養魚
 をやっていましたので養殖技術では誰にも負けないものがあったからで
 しょう。 

 私は都会に就職したかったのですが、父も養殖の他にも仕事がありますし、
 組合のほうでは釣り人の増加もあって、此の地区外の魚の放流魚も確保する
 ように養魚池の増設の企画も考慮しているので、渉外と事務を私にやらせ
 たいようです。

 そして当分は事務担当ということで家で働くことになりました。
 私の出した条件は、パソコンを置いてくれること。 父もこれはすぐに賛成
 してくれました。 パソコンを使って校正の仕事をやれば、出張する時間
 が節約出来るのでは、と考えたようです。

 実は、私がパソコンを欲しかったのは巌さんが外国に行っていてもメール
 でお話が出来るということを聞いていたからです。
 
  5・「思川の雫」

 あれから一年経ちました。 父の仕事も順調。 ダムが出来なかったこと
 も幸いして、自然を失った都会の人々が釣りに来てくれます。
 都会の人は釣りをゲームにして愉しんでいらっしゃいます。

 釣った魚はその場で痛めないようにそっと放してしまいます。
 それを見て父は「再放流」を条件に堰堤下の区間を、そういう方々の為に
 遊釣料金を安くして特設釣り場にしようと漁協員を説得しました。

 始めは持ち帰る人があるのではないか、とか料金を安くする必要はなかろう
 とかいろいろあったよあですが、父の管理する区間を使って先ず様子を見よ
 うということになりました。

 これが大成功、口コミで遠くから来て下さる方もいらっしゃいます。
 私は巌さんにメールで頼んで海外からフライの竿やマテリアルを送って戴き
 これを券売場兼休息所で売りました。

 そしてインターネットで注文も出来ることも教えてもらいました。 此処に
 は飲み物も用意し、販売はお母さんの仕事。 春になると休息所周辺は一面
 に鈴蘭の花が咲き、かすかにあの甘いふくよかな香りがただよいます。

 食堂もという案もあったのですが、其処まですると管理釣り場(釣り堀)
 と同じになるのではと、それは村の方に任せて近くの麓に食堂を作ることに
 なったそうです。
    
 春の年度代わりも過ぎたある日、巌さんから思いがけない便りがメールで
 参りました。
 「今年度から残務の整理が終わり次第国内の勤務になります。 そうした
 ら御両親に君との結婚の相談をするつもりですが君の気持ちを聞かせて」

 私もそれは考えていなかった訳ではありません。 でも海外に出て仕事を
 していらっしゃる巌さん、私のような田舎娘より沢山の素敵な方を知って
 いるでしょうし、もしかしたら外国の娘さんと、もう結婚しているのかも
 知れない。 今までメールでそれに近いことを一度も書いて来なかったの
 ですもの。

 全く思いがけないことなので嬉しい、というより何か不安な気持ちでした。
 こんな私で良いのかしら。 それともからかわれているのでは。
 返事はなかなか書けませんでした。 「あれは冗談です」なんて言われたら
 どうしょう。 未だ父母にも相談出来ません。

 二三日の間キーボードの前に座っても指がうごきません。 頭の中がうまく
 整理が出来ないのです。 なんて書いたらよいものか。
四日目に巌さんからメールがはいっていました。 「君はもう結婚している
 の??返事下さい」  

 「ウ〜ン そんなことないよ」以前ならすぐにこんなメールを書いたでしょ
 う。 でも何故か書けなかった。 いままで子供の気持ちで付き合っていた
 のに何故か私も急に大人になってしまったみたい。
 「今までに結婚の話しはありません。 あまり急なので自分の気持ちが良く
 わからないの、もう少し待って」 こう書くのが精一杯でした。
 メールをアップすると翌日には返事が来ていて、「近い内に帰ります」。
 
 然し、心待ちにして指折り数えて巌さんの来るのを待っていたのですが、
 いたずらに日は過ぎて行くだけ。 ディスプレイのメールボックスも閉じ
 たままです。

 あれから半月余りもして父は出版記念祝賀会に参加しました。 出版を
 したのは偶然ですが、巌さんの勤める会社の社長さん。
 自叙伝を残したいというので其の原稿を書き上げたのが父なんです。

 口述筆記で社長さんが話すのを書き留めるのですが、社長さんの話しを
 聞くだけでなく、関連した想い出話しを聞き出すのが上手で、それを寓話
 形式で挿入し、編集して読み手を飽きさせないようにする。

 結構難しい仕事のようでした。 祝賀の宴も終わりに近ずいた頃、父は
 紹介されていた外国からの輸入の担当の方に巌さんのことを聞いてみた
 そうです。
 「大和君をご存じなんですか。 彼が良く釣りに行くという川はそちらの
 ほうでしたね」 「ハイ、家にも良く寄ってゆかれました」

 「あぁ きいたことがあります。 山の中に偉い先生がいらっしゃると
 云われていましたが、先生の事でしたか。 彼は優秀な社員でしてね。
 残念なことです」 
 「どうかなさったのですか?」 「二週間ほど前に外国勤務を終えて帰国
 していたのですが、交通事故で亡くなったのです」

 「えっ」父の驚きがあまりにも大きかったので詳細に説明してくれたそう
 です。
 帰社して、仕事の報告の書類を整理して提出し、次の役職に就くまで一週間
 の休暇を貰い、久しぶりでバイクに乗って旅に出かけたそうです。

 「残念な事です。 向こうでの長い生活で日本の通行ルールの左側通行に
 戻りきれていなかったのでしょうね。 何か進路を変えたときに右側を
 走ってしまって対向車を除けたときに、詳しくは存知ませんが何かと激突
 しいて即死、という知らせがあったのは三日前です」 

 父は帰宅すると祝賀会の話しもそこそこに、其の話しを私と母にしてくれ
 たのです。 始めは何故か呆然と聞いていたのですが、其の意味がわかると
 私はこみ上げてくる涙を押さえきれず思わず声を上げて泣いてしまいました。
 母も涙を浮かべながら、私を抱くようにして隣りの部屋へ連れて行き、二人
 で手をとりあって泣いてしまいました。

 机の上のガラスのコップに挿してあったニリンソウの花の一つが机に
 落ちて・・・・。              

 思い川は涙も流し去る想い出川。 今も哀愁の唄を静かに奏でながら私の
 心に流れています。 

               (完)