SUB:「翡翠峡の岩魚」
グオーッという爆音と地鳴りがして目が覚めた。 音の消え去る彼方
にトラックが小さく見えてやがて消えた。 多分営林事業の車であろう。
川沿いに付けられた林道路脇の一段低い草むらから私は這い出した。
ロクに寝ていないのに夜明けと共に高速道を車を駆って三百余キロ。
冬季オリンピックのおかげで東京から糸魚川への道は近くなった。
穂高の山麓を通る広域農道のように四季の移り変わりを肌で感じることは
ないが、急ぐ旅にはそれも仕方がない。
日本でただ一つ、硬玉翡翠の採れる小滝川を以前訪れてから少なくても
十五年は経つであろう。 ロッククライマーの間では有名な明星山を見晴
らす展望台が出来るという噂が流れ、観光地として渓の荒れる前に一度
釣り収めておこうと訪れて以来、ここへは来てはいない。
永い付き合いの釣友が、亡くなる前に共にしたのが此処での最後の釣行
だった。
思い出せば、これまでに何人の、私より若い釣友を亡くしたことか。
此処数年、目的地を定めることなく、まるで野良猫のようにあちこちと、
山釣りの放浪の旅を続けるようになったのは、私と同行した釣友と死に
別れる度に、其の想い出を振り払うように釣り場を変えた為とも言える。
岩手への釣りを止め、木曽への釣行を断念し、青森も一部未釣の渓を残し
たままになっている。釣りの想い出というものは、元気なうちは愉しいが、
友を失う毎に年と共に悲しいものに変わって行く。
それなのに友との想い出のある此処小滝へ来たのは、近年岩魚という物の
魚体に地域的な相違があり、それが日本列島を取り巻く海流と、更に此の
国に太古より住み着き、勢力を増して行った大和民族の地域的経緯を知る
事になるのではないか。
そんな事に興味を持つようになり、渓魚の養殖に依る無差別放流で本来の
イワナの姿を失わないうちに、写真と地域の記録を残しておきたいと考え
たからでもある。
実際の処は生来の釣り士根性が、何かの意義を見つけて竿を手放すことに
抵抗し続けているのかも知れない。
小滝の集落も、山住まいの人々に変化はないが、明星登山口に向く道筋で
は少しの変化はあったようだ。
漁協員の親爺さんは、居なかったが代わりに息子さんが床屋をやっていて
入釣券を売っていた。
此処では、私の顔を覚えていてくれたのか、入釣券は売らずに釣り場の状況
を教えてくれた。 親爺さんとさして年の差のない私になにかを感じていた
のかも知れない。
最近、此処に放流は無く、放流魚が昔有ったとしても二つ目の沢より上には
及んでいないと教えてくれた。 昔は小滝の連続していた所で今は滝の代わ
りに堰堤が何基か新設された、と言う。
一応の目的を、放流魚があったとしても全く及ぶ所のない、長栂(ナガトガ)
発電所ダム上と決めてあるので半分聞き流してしまった。
それに名乗ることもなく入釣券も「良いですよ、お気をつけて」の一言
で買わず別れてしまった。 十年の旧知のように。
村内に道標は所々に立ててはあるが、枝道も多くスッキリしない細い道は
昔と変わらない。 いずれにしても此の道は、少々のロスはあっても結局
は先へ進んで翡翠峡に向かうことになる。
昔は無かったキャンプ場や釣りセンターという案内標識も出来、ここも
時代の波は来ていた。
小沢の堰堤上を捲いて本流を見下ろせる所まで来ると、明星山・翡翠峡
を見晴らせる四阿屋(アズマヤ)風の休息場が出来ている。 其の先に翡翠の
加工品や原石を売るプレハブの土産物屋もあった。
店の中にも表にも切断して平面を見せている石も有れば拳大の石もある。
五千円から十万と大きな金額が書かれているが、たかが硬玉、されど硬
玉、白地に入ったグリーンの大きさで値段が変わる。
建物の中に入れば加工品が沢山陳列してある。 グリーンの濃いものは
此処の物ではない。 中国あたりからの輸入品の軟玉で、メタ翡翠、これ
は加工し易いので値段も細工の細かい割には安くなっている。 松葉杖の
オバサンが一人で留守番をしていた。私は此処で小さな翡翠のペンダント
を求め
「帰りに又、寄るからね」。
この先のキャンプ場やフイッシング・センターと書かれているプレハブの
ような建物を見過ごして明星山登山口へ方向へ降りると、此処からは昔の
ままの小滝川が流れていた。 然し流れの中に往時ほど白い大きな翡翠の
原石は見あたらなかった。
低い堰堤上を過ぎると、黒部第○発電所は昔のままで、この先すぐに鉄柵
のゲートが閉まっている。 脇の僅かなスペースに車を停めトランクから
折り畳みの自転車を出して組み立てて、ペタルを踏んだ。
此の自転車は営林事業の障害にならぬよう一般車を規制するためのゲート
内に徒歩で行くより早いのではないか、という妙案で最近購入したもので
ある。
然し此の案は完璧ではなかった。
たいした傾斜でもないのに、ギヤ比を変更出来ない小さな自転車には砂利
道の登りはきつかった。 乗って幾らも走らないうちに押して歩くように
なる。 この時ほど体力の衰えをひしひしと感じたことはない。。
カメラを入れた釣りのザックは自転車のハンドルに下げたので荷物には
ならないが、タバコの吸いすぎと少ない睡眠も災いしているようだ。
赤い「大菱橋」は若い時と違って遠くなってしまった。 私同様、橋も年
を経て嘗ての強烈な赤さを失い鉄錆び色に変色し、橋桁も周りの草が延び
放題に伸びて低くくなったようにさえ見える。
渡り切った所の橋桁に「おおひしばし」と浮き出て見えるが、前にこの
先で川へ降りた時に人間ほどの大きさの猿を見た。
釣友が「大きな狒狒(ヒヒ)が居るので大ひひ橋っていうんだろうか」と言っ
たのを思い出す。 あれは赤い大菱橋のようにお尻が真っ赤な大きな猿で
あった。
釣友も江戸っ子なので「ひ」と「し」の区別をしない。
今、私の指に彼の指輪がある。 彼が病床に伏し見舞いに行ったとき此の
指輪を私に握らせ、「指から抜けてしまうので預かっておいて」 事実痩
せ細った手を握り、そのまま預かったものである。 奥さんに渡すつもり
で数日後、彼の家へ行ったが家には「忌中」の半紙がさがっていた。
彼の一周忌にお参りに行ったとき、奥さんの指に彼から預かったプラチナ
と金のコンビネーションの指輪と、全く同じ指輪をしているのに始めて気
がついた。
帰りがけに、奥さんに彼の指輪を預かっていることを告げたが、「形見に
上げるものがないので、良かったら持っていて」 其の指輪は今私の指に
ある。
「黒部の職漁師オニサ」
お会いしたことは無いが、黒部では伝説になっている三俣山荘の鬼窪氏。
黒部の主と言われ、百・二百の岩魚を釣って売りに出たり、ゴルジュの通
らずを魚の鮮度を保つ為、永い歩きを避けて泳いで帰ってくる等の逸話を
高瀬川の養魚場の主人と話していて思い出した。
以前釣りの基地にしていた山小屋で老人と話した中に、「あんちゃん、黒
部の岩魚はね。 実は新潟県の小滝の魚なんだよ」 前後の脈絡は忘れて
しまったが、概容を云うと、往時は黒部中流は大滝の連続で上流に魚は棲
まなかった。
それを職漁師が自分の漁場を確保するために、連続する滝の上に魚を上げ、
何時でも必要量を調達出来るように放流した。 という話しであった。
其の種魚が此の小瀧川の岩魚だと言う。
黒部にダムの林立する以前の事であろう。
今となってはそれが此の小滝川の西俣か東俣の魚かは知るすべもないが、
西俣沢方向に細い登山道があった。 地形すら見ると、これで黒部の黒薙
川上流・北俣谷へは降りられるのではなかろうか。
オニサの話しでは「あの人は黒部の山賊の生き残り」という説もある。
此の人と釣りを共にした、藤井さんの話しも「山渓」に出ていたが面白
かった。 資料がないので記憶のみで少し書いてみる。
昭和四十四年の北ア一帯を襲った集中豪雨に黒部の川は大荒れし登山道が
分断された。 当時長野県の常駐隊員の藤井さんは仕事が無く、黒部源流
を見に行った。
形の変わってしまった流れに魚はすべて流されたであろう、と考えながら
祖父谷に入ったら、そこに無数の岩魚が身体を摺り合わせるようにひしめ
いている。 出水を本能で察し此処に避難していたのである。
彼は釣り具を持ち合わせていないので、細い木を切り食事のフオークを
くくりつけヤスの代わりににして三十尾ほどの岩魚を突き上げた。
そしてオニサの居る三保山荘に持っていった所、山屋たちに白い目で見ら
誰れも食べてくれなかった。
これに続いてもう一つの話がある。 大型の岩魚をスレで掛けてしまって
毛鈎を失ったので、赤い毛糸の靴下を解き、毛髪で結んで間に合わせの毛
鈎を作り岩魚を釣ったという。
このときは山荘で、靴下の毛糸で作った鈎で釣ったと告白したが、みん
な嫌がらずに喜んで食べてくれた。 という話しである。
岩魚へ対する思いが忍ばれる。 今でも黒部では餌釣りは拒否される。
私もこの小滝川では餌を使わない。 もしかすると黒部の魚の先祖かも
知れない。 餌で釣っては先人に失礼である。 それで餌は使いたくは
なかった。 今では眼の衰えで毛鉤を捲くにもままならない。
たった一本残っていた私の好きな、イワナ用の黒毛鉤を使うことにした。
この毛鈎は実に良く釣れるので「猿でも釣れる毛鈎」と自賛しているが、
実は、釣趣に欠けるという欠点がある。 何故なら浮かせるよりも沈めて
釣る毛鈎だからである。 ハックルが異様に短く、代わりに二枚のウイン
グを付けてあり鈎は餌鈎の僅かに返しのあるものを使っている。
「指輪」
私は前に述べたように、釣友と共に釣って其の釣友が亡くなると、単独釣行
のときは、嘗て友と同行した釣り場へは再び訪れたことはない。
何故だか別に理由が有るわけでは無いが、思い出すのを自然に避けていたの
であろう。
そして、亡くなった釣友も片手の指ほどの数になってしまった。
今日此処へ来たのは黒部に住む岩魚と此処の魚が同一のものか、という興
味もある。 最近釣りに飽きて、其の土地の魚のルーツに興味を持った、
ということもある。
私は所詮は釣り竿を手放せないのであろうか。
そんなことをフト思いながら自転車を押した。 山から落ちる清水で顔を
洗い、両手で受けて飲んだ。 随所に湧き水があり、喉を潤すには困らな
い。 いざとなれば川の水も平気で飲む。
然し、残念なことに目的の場所まで後一・二キロという所で完全にダウンし
てしまった。 息は上がるし、膝は笑う。 心臓の鼓動も激しい。
年は取りたくないとものと、つくづく思い知った。
腰を降ろして一休みしながら釣り竿に黒毛鈎をセットする。
ドピーカンなので先ず岩下の暗いポイントに鈎を落とすが魚は出ない。
何度か挑戦してみたが反応は無い。
流し出されるまま竿先で鈎を追って行くと思いがけず平場で出た。
こんな所で出るのは盛夏の朝釣りに見られる位なものである。
水温は確かに低いので日の差す瀬のほうが酸素が多いのであろう。
こんな平場で出ることは予想外であった。
それから平場のみを釣って、一目で見渡せる範囲のポイントで五ツの岩魚
を得た。
たった百メートルほどの距離であったが足が滅法遅くなって釣り上がる
のに一時間余かかってしまった。 手のひらサイズ以下はすぐ放流し、
撮影用の透明ケースに入れた良い型の岩魚を写して、其の日は釣り仕舞い
にした。
帰途に新設されたダム上に立った。 釣友の形見となった指輪を指から抜
く。 そして釣りのベストの内ポケットからもう一つ同型の指輪を出し、
二つの指輪に翡翠のペンダントを添えて釣り糸で結わえ、ダム下に沈め
た。
二個の指輪と浅緑の石はキラッという輝きを残したが、すぐに深みに消え
て見えなくなってしまった。
友の指輪と、もう一つは其の奥さんの指輪である。
あるとき奥さんに会ったが彼との釣りの想い出話しをしているうちに泣か
れてしまった。 やがて涙を湛えたまま財布から指輪を出して私に握らせ
た。
それは友の指輪と同型の指輪だった。 そして私の胸に顔を埋めた。
翡翠の川に沈む二個の指輪。風の便りに奥さんは郷里に帰ったと聞いて
いる。 もう逢うこともない。
清 石