創造論(科学的創造論) 創造科学

大洪水による環境の激変

ノアの時代の大洪水によって地球環境は大きく変化した


シベリヤで氷づけて発見されたマンモスの口と胃の中には、キンポウゲなどの青草が見つかった。
――写真は、シベリヤの氷の中から発見されたマンモスの子ども。
その肉は食べることも可能と思われるほど、みずみずしかった。


 前章「ノアの大洪水」では、大洪水以前の地球環境は現在とは大きく異なっていたこと、また世界的大洪水がいかにして起きたかについて見ました。この章では、大洪水による地球環境の激変についてみてみましょう。


大洪水は短期間の「氷河期」をもたらした

 大洪水が起きたとき、地表の様相は大きく変化しました。
 水蒸気層が大雨となって降り始めると、地表の温度はしだいに下がり、寒冷化したでしょう。地球は、ちょうどビニールを取り去られたビニールハウスのように温室効果を失い、特に北極圏、南極圏は急激に冷却し、たちまち氷原と化しました。
 この際、多くの動植物が、氷の中に閉ざされました。モリス、ボードマン、クーンツ共著『科学と創造』に述べられているように、
 「大雨は、高緯度では雪と氷の形をとり、巨大な氷河を造り、マンモスやその他の生き物を、突如として凍死に至らせた」(五二頁)
 のです。実際、シベリアで氷づけで発見されたマンモスは、その突如とした凍死を物語っています。
 今日も、シベリアには約五千万頭ものマンモスが氷づけにされていると言われていますが、マンモスはもともと極寒の地に住む生物ではなかったのです。
 マンモスは、極地に住む動物が持つ油を出す腺を、皮膚に持っていません。また氷づけで発見されたマンモスの口と胃の中には、キンポウゲなどの青草が見つかりました。
 すなわちマンモスは、進化論者が主張したように(しだいに)氷河が来て食物がなくなって死滅したのではありません。マンモスは温暖なところに住み、青草を食べていました。そしてまだ青草が口と胃にある時に、突如として大洪水に襲われ、凍結してしまったのです。
 『サタデー・イブニング・ポスト』誌は、「凍りついた巨大生物のなぞ」という記事の中で、次のように述べました。
 「(北極圏の氷原の)大部分は、厚さ一メートルから三〇〇メートル以上の、ごみの層でおおわれている。この層は、いろいろな物質の集まりであるが、そのすべては凍りついて堅い岩のようになっている・・・・そして大量の骨、および動物の死骸全体を含んでいる場合もある・・・・このごたまぜの中から、氷を解かして取り出された動物の名前を書き出せば、数ページになるであろう」。
 また述べています。
 「これらの動物の遺骸は・・・・その地域全体に散らばっていた・・・・これらの動物の多くは、まだ完全にみずみずしく、無傷であり、しかもまだ直立か、少なくとも、ひざをついた姿勢になっていたのである」。
 「我々のこれまでの考えからすれば、これは実に衝撃的な事実である。良く肥えた巨大な動物の大群が、日の当たる草地で静かに草をはみ、我々であれば上着さえいらない暖かい所で、ゆったりとキンポウゲの花をむしっていた。これらは極寒の土地に住む動物ではなかったのである。
 ところが突然に、これらの動物すべてが、表面的には何の外傷も受けず、しかも口に入れた食べ物を飲むひまなく殺され、そののち急激に凍結したのである。それらの動物の細胞は、今日までことごとく保存されていた」(一九六〇年一月一六日付 三九、八二、八三頁)
 このように、これら凍結された動物の遺骸は、環境がゆっくり変化して氷河期が来たのではなく、何かの"激変"があって氷河となったことを、示しています。そしてこの"激変"、「急激な凍結」をもたらしたのが、ノアの時代の大洪水だったと考えると、事が非常によく説明できます。
 大洪水という"激変"によって、極地は非常に冷え、比較的短期間の「氷河期」となり、多くの動植物が突如として氷の下に閉ざされたのです。


マンモスは温暖な所に住み、青草を食べていた。しかし突如
 として大洪水に襲われ、凍結してしまったのである。

 しかし、
 「氷河期は一回だけでなく、今までに何度もあったと言われているのではないか」
 と問う人もいるでしょう。
 けれども、大洋のボーリング調査の結果には「たくさんの問題」があり、氷河時代が何度もあったという説と鋭く対立しています。このことについて、アメリカ気象庁の気象学者マイケル・J・オアードは、こう述べています。
 「氷河時代は一回だけだったことを示す、強い証拠があります。……漂礫土の主な特質は、氷河時代は一回だけだったとの立場に有利です。また更新世の化石は、氷結した地域では珍しいものです。このことは、間氷期が多かったのなら本当に不思議です・・・・」(『インパクト』一一五号三ページ)。
 そして、氷河期は一回だけで、それはノアの大洪水のような激変によって生じたに違いない、と結論しています。


大洪水後、気候は変わった

 大洪水は、このように、短期間の氷河期をもたらし、またその後の地球の気候をも、大きく変えました。
 大洪水後、上空の水蒸気層による温室効果が取り去られたため、極地は極寒の地となり、また他の地域においても、夏冬の寒暖の差が大きくなりました。
 上空の水蒸気層がなくなった分、大気圧も下がり、地表の気圧は現在の一気圧程度(一〇一三ミリバール)になりました。
 こうした大気の状況の変化により、地球の各地の気象も変化しました。
 今日の世界における雨について、聖書はこう記しています。
 「彼(神)は、水のしたたりを引き上げ、その霧をしたたらせて雨とされる。空はこれを降らせて、人の上に豊かに注ぐ。だれか雲の広がるわけと、その幕屋のとどろくわけとを、悟ることができようか」(ヨブ三六・二七〜二九)。
 雨について、一般に古代人は、上空の雲から降ってきた後、地の上を流れ、川を経て海に至り、海に入ったその水は、水平線の向こうにあると考えられていた"巨大な滝"から流れ落ちていくのだと考えていました。
 現代人は、事実はそうでないことを知っています。海に入った水はそこで蒸発し、湿気を含んだ空気が生じて、雲が形成され、再び雨を降らすようになるのです。そのように水は、自然界の中で、
  雲→雨→蒸発→雲
 というように、循環をしています。


「彼(神)は、水のしたたりを引き上げ、その霧をしたたらせて雨とされる」(ヨブ36:27-29)

 ところが、聖書はこの"水の循環"について、
 「彼(神)は、水のしたたりを引き上げ、その霧をしたたらせて雨とされる。空はこれを降らせて、人の上に豊かに注ぐ・・・・」
 と見事に表現していたのです。ここには、
  水の蒸発(「水のしたたりを引き上げ」)
  濃縮(「その霧(雲)をしたたらせて」)
  降雨(「雨とされる」)
 という"水の循環"が、明確に言い表されています。
 これは今から約三千年前の記述ですが、聖書はその時すでに、現代の科学から見ても正しい記述をしていたのです。


化石は大洪水によってできた

 大洪水と「化石」との関係について、見てみましょう。
 進化論者は長い間、進化論の最も強力な証拠として、地層内に見いだされる「化石」を取り上げてきました。
 世界の地層を調べてみると、一般に、地層の深い所には単純な生物の化石が発見され、上に行くにしたがって、高度な形態を持つ生物の化石が発見されます。
 「下には単純・下等な生物、上には複雑・高等な生物」
 という原理は、ある程度まで、一般的に世界の地層に見られることです(後に見るように例外はありますが)。
 進化論者は、このことは進化の各段階を示しているのであり、この化石の配列は、生物がしだいに進化発展してきたことの証拠であると主張しました。
 しかし今では次のような事柄から、地層内の化石は、生物の進化を示すものではないことが明らかにされています。地層における化石の出来方は、進化に関係しているのではなく、むしろノアの時代の大洪水と関連していることなのです。
 まず最初に、地層が長い年月をかけてゆっくり堆積していったような場合は、化石は形成されない、という事実に目をとめる必要があります。


魚の化石。このように群れとなって発見されることが少なくない。

 化石は、大洪水のような"激変"的過程がないと、出来ません。科学者が言っているように、
 「動植物が、崩壊しないようにすばやく葬られ、そしてその後・・・・温存されなければ」(『インパクト』五号三頁)
 化石はできないのです。もし、ゆっくり土砂が堆積していったのだとすると、生物は化石になる前に腐敗し、分解されてしまい、骨格をとどめることができません。すなわち"風化"してしまうのです。
 たとえば、犬が地面の上で死んだとき、それがゆっくり土の中に埋もれて、そのまま化石になることは絶対にありません。それは化石になる前に腐ってしまうからです。
 また魚が死んだとき、それが静かに海底に沈んで、化石になることも絶対にありません。それは化石になる前に腐敗し、分解してしまうのです。
 ですから、化石が形成されたということは、生物が何らかの激変的過程によって厚い堆積層の中に「すばやく葬られ」、空気とバクテリヤから遮断された、という事実を示しています。
 この激変的過程としてノアの大洪水は、最も適切な説明を与えます。大洪水は、様々の動植物を急激に"葬り去り"、その後それらを厚い土砂の堆積層の高圧力下に置いたからです。


化石は短期間で形成される

 読者はここで、次のように質問なさるかも知れません。
 「しかし、化石ができるには何万年、または何億年もの長い時間が必要なのではないか」。
 けれども、実際には生物の体が化石化するために、何万年、あるいは何億年もの長い時間は必要ありません。
 化石は、急激に葬り去られ、高圧力下に置かれたときにのみ出来ますが、高圧力下に置かれると、生物の遺骸は比較的短期間で化石化するのです。
 化石とは、生物の遺骸が"石"化したものですが、これは化学変化の一つにすぎません。同じ物質でも、高圧力をかけると、全く違う性質になります。
 そのいい例が人工ダイヤモンドでしょう。これは炭を高圧力で閉じこめてつくったものです。炭焼きで使う真っ黒な炭も、無色透明で輝くダイヤモンドも、同じ炭素から出来ていますが、性質の全く違うものになるのです。
 炭から人工ダイヤモンドをつくるのに、何万年もの歳月は要しません。比較的短期間で出来上がるのです。
 天然のダイヤモンドや、他のすべての宝石もそうです。それらは何億年もの歳月をかけて出来たものではありません。最近では、ピーナッツ・バターから人工ダイヤモンドをつくったり、ビーカーの中でオパールをつくることにも成功しています。
 また圧力だけでなく、土砂の中の化学物質の働きによって石化が非常に早く起きることがあります。たとえばセメントは、はじめ水に溶かしたとき液体状ですが、急速に石化していきます。これは内部の化学物質の働きによるのです。
 化石の原理も、これと全く同様です。圧力や土砂内の化学物質の働きによって、生物の体も性質が変化して、かたい石になるのです。化石ができるために、何億年もの期間は必要ありません。
 今日、世界各地に生物の化石が出土しますが、その大部分は約四五〇〇年前のノアの大洪水の時に形成された、と創造論者は考えています。
 大洪水は当時の生物を急激に葬り去り、厚い堆積層の中に閉じこめました。その際、その堆積層内の非常な高圧力と地層内の化学物質の働きのもとで、生物の遺骸は短期間で化石化したのです。


地層の形成は急激な土砂の堆積によった

 米国ミネソタ大学の水力学博士であり、ICR(創造調査研究所)総主事であるへンリー・M・モリス博士は、その研究の中で、世界の地層はながい年月をかけて形成されたのではなく、急激な土砂の堆積によって短い時間内に形成された、と結論しています。
 「明確に区分された各層は、急速に堆積しました。なぜなら、常に一定の、一群の水流が働いた状態をあらわしており、このような水流状態がながく続くことは、あり得ないからです。
 どの累層をとっても、各単層は急速に堆積したに違いありません。そうでなければ、不整合の証拠――すなわち、隆起とか浸食の期間が、異なる層との界面に認められるはずだからです」(『インパクト』五号四頁)。
 つまり地層は、一時代のうちに急速に形成された、と考えるべきです。
 読者は、ビーカーの中に水と泥を入れ、それをかき混ぜて、しばらく放置すると、やがてその水の底に土砂の水平な層ができるのを、見たことがあるでしょう。
 それと全く同じように、現在の地表をおおっている地層の水平な堆積は、大洪水によって洗われた土砂が急激に堆積して出来あがったものなのです。実際、よく知られているように堆積岩(水中の土砂や溶解物が堆積してできた岩石)は全世界に見出され、大陸部と海洋部の全域をおおっています。
 全世界を取り巻くこの堆積岩の平均の厚さは、約一・六キロであり、一方、洪水の条件下に圧縮されながら土砂が堆積する割合は、平均五分毎に約二・五センチです。そうすると、わずか二二〇日間で、全地層を形成できることになります(ノアの大洪水は三〇〇日以上続いた――創世八・一三)。


地層は大洪水によってできた(アメリカ・グランドキャニオン)

 「一・六キロ」というと、ひじょうな高さに思えるかもしれませんが、日本のどこにでもある中程度の山ほどの高さであって、地球の直径(一万二八〇〇キロ)から比べれば、微々たるものです。もし全世界をおおいつくすほどの大洪水が起きたのだとすれば、この程度の堆積があって当然でしょう。
 アメリカのグランドキャニオンは、このぶ厚い地層が非常に広範囲にわたって露出している所として有名です。そこでは、いくつもの層が、非常に広範囲にわたって水平に積み重なっています。
 もし地層が何億年、何十億年もかかって積み重ねられたとすると、こんなに広範囲にわたって水平に横たわったままであるのは、ほとんどあり得ないことだ、と地球物理学者は述べています。長い時間内に、必ず隆起とか褶曲があって、変形したはずなのです。
 また、そこには進化論者の「地質柱状図」と矛盾することが多くみられ、地層が長い時間をかけて形成されたとする考えが聞違いであることを、示しています。
 大洪水が地球をおおったとき、おそらく地球を何周もするような水流によって、地層の各層は急速に堆積していったでしょう。そのために、各層の間が不整合になることなく、水平に積み重なっていったのです。
 このように、地層が世界的大洪水によって形成されたと考えると、地層内の化石の配列は、次のように説明されます。


なぜ「下には単純・下等な生物、上には複雑・高等な生物」か

 一般的に化石は、地層の下の方には単純・下等な生物が、上に行くにしたがって複雑・高等な生物が見出されます。これはなぜでしょうか。進化論者は、
 「これは生物の進化を示している。すなわち、生物は単純・下等なものから、しだいに複雑・高等なものへと進化してきたのだ」
 と主張してきました。しかし、そうではありません。
 創造論者はこう説明します。まず、水には"ふるい分け作用"があります。細かい物は下に沈澱し、大きな物は上に沈澱します。
 大洪水の際、生物の死骸は水流によって混ざり合い、その後沈澱し、堆積していきました。そのとき一般に、細かい小さな生物は下に沈澱し、大きな生物は上に沈澱していったでしょう。
 土壌細菌等の微生物を長下層に、その上に藻類や貝類などの海底生物や、その他の海生無脊椎動物などの化石が形成されていったでしょう。魚類や両生類などは、泳ぐことができたので、その上に堆積していきました
 また鳥類や哺乳類などは、海の生物より高いところに住んでいますし、洪水前の雨の期間に次第に水かさが増していった時、さらに高い所へ移動していくことができました。ですから、それらは海に住む生物より高い所で発見されます。
 また人間は、高度な移動性と、水から逃れるための知恵を持ち合わせていたので、一般に最も高い所で発見されます


移動性に優れた動物は、大洪水から逃
れるために、高い所へ移動していった。
        フォックス、ブリス『化石』より

 実際、今日あちこちで発見されている化石の大規模な墓において、私たちは大洪水の爪痕を見ることができます。ある所には、何百万もの化石が互いに積み重なり、ときには、死のもがきのまま捕えられたことを示す形で、存在しています。
 それらは魚であり、哺乳類であり、ときには混ざり合ったものです。シチリアの大量のかばの骨、ロッキー山脈の哺乳類の大きな墓、ブラックヒルやロッキー山脈やゴビ砂漠の恐竜の墓、スコットランドの驚くべき魚の墓、等々。
 これらの生物が、こうした山の上などの高所に集中して集められたのは、なぜでしょう。『創造か進化か』の著者トーマス・F・ハインズは、こう述べています。
 「水が徐々に増してくる。動物たちは、高い所へ高い所へと移動する。やがて山の頂上へ群がることとなろう。そして押し流され、多数の堆積物とともに沈澱される」(一六七頁)。
 このように、移動性に優れた動物たちは、水から逃れるために高所に移動していったので、高所で発見されます。
 したがって通常、下の層に単純な生物が見出され、複雑・高等な生物は上の層で見出されるという事実は、進化を示しているのではなく、ノアの大洪水の際の"水のふるい分け作用"と"移動性の高い動物は高所に移動していった"という事実に基づいていることなのです。


化石はなぜ急に現われるのか

 地層および化石が、ノアの時代の大洪水によって形成されたという考えは、進化論では説明できなかった数多くの諸事実をも、適切に説明します。
 たとえば進化論者は、時代を様々の「地質時代」に分け、それぞれをいろいろな名前で呼んでいますが、それらの一区分として「カンブリア紀」というのがあり、それ以前の時代は「先カンブリア代」と呼ばれています。
 そして進化論者は、「カンブリア紀」の地層には様々の化石が見出されるのに、そのすぐ下の「先カンブリア代」の地層(最も下の地層)になると、化石らしい化石が全く見出されなくなる、という事実に困惑しています。スタンフィールズ著『進化の科学』という教科書には、次のように記されています。
 「カンブリア紀に、今日知られている動物の主要なグループのほとんどすべての代表が、突然出現している。まるで巨大なカーテンが引き上げられて、そこには実に変化に富む生命の群がった世界が、姿を現わしたかのようであった。・・・・この問題は(進化論にとって)今もなお問題である」(七六頁)。
 先カンブリア代の地層には、ほとんど化石らしい化石が見出されないのに、力ンブリア紀の地層になると急に様々な種類の化石が見出されるという事実は、進化論の立場から見ると、理解しにくいことであり、「この問題は今もなお問題」なのです。
 けれども、大洪水によって化石を含む地層が形成されたとする創造論の立場からすると、このことも容易に理解されます。つまり、大洪水以前の地層(進化論者が「先カンブリア代」の地層と呼んでいるもの)の上に、大洪水による地層が堆積していったので、そこには急に多くの化石がみられるのです。
 また先カンブリア代の地層と、力ンブリア紀の地層が「不整合」になっているという事実も、非常に重要です。
 地層が同じような状態で連続堆積しているとき、それらの地層は「整合」であるといい、そうでない場合を「不整合」といいます。じつは、先カンブリア代の地層とその上にある堆積層とは、全世界にわたって「不整合」なのです。
 先カンブリア代よりも上の地層は、みな水平に横たわっているのに、その下の先カンブリア代の地層だけは、全世界にわたって山あり谷ありの状態になっています。井尻正二、湊正雄共著『地球の歴史』には、こう記されています。
 「世界各地の力ンブリア紀層をみると、カンブリア紀層は、はげしく変質したり、あるいは褶曲したりしている原生代層(つまり先カンブリア代の層)の上に、ほとんど水平に横たわっていることが観察される。・・・・カンブリア紀層と、それ以前の地層との関係は、世界中どこへいっても、両者は不整合であって、いまだかつて整合関係のところは知られていない。この事実は、いったい何を意味するのであろうか」(六一〜六二頁)。
 そう述べて、この「不整合」の事実に対する率直な疑問が提出されています。進化論の立場からは、この事実は決して説明できないからです。
 しかしこの事実は、ノアの大洪水を認める創造論の立場からすれば、全く当然のこととして理解できます。「不整合」というのは、その下の層と上の層とは連続的に出来たものではなく、時間的なギャップがあったことを示しているのです。
 進化論者が「先カンブリア代」と呼んでいる地層は、じつはノアの大洪水以前の地層です。つまり、地球誕生時に形成されていた地層です。その上に、ノアの時代になって、大洪水による地層が新たに堆積しました。
 進化論者は、これを誤って「カンブリア紀」とか、それ以降のものと呼んでいるのです。しかし、それは大洪水によって出来た地層です。これらの上の地層は水の作用によるものなので、水平に堆積しました。
 はじめに、大洪水以前の褶曲する地層が存在し、そののちその上に、地をおおった全世界的大洪水によって水平な堆積層が形成されたのです。したがって、不整合の界面の上の地層には急に様々の化石が見いだされるのに、その下の地層には化石がないという事実も、これによってよく理解できます。
 ノアの大洪水によって上の水平な堆積層が形成されたのだとすれば、"化石の急な出現"も"地層の不整合"の事実も、全く当然のこととして理解できるわけです。


大洪水は様々の事実をよく説明する

 ほかにも、大洪水は、進化論では説明できない多くの事実をよく説明します。
 例えばその一つに、木の化石があります。木の化石の中には、ときには幾つもの地層にわたって、貫いて存在しているものがあります。
 いまだにまっすぐに立ったもの、また斜めになったものや、上下がひっくり返ったもの等いろいろありますが、樹幹が幾つもの地層にわたって貫いているのです。それはまさに、氾濫する水によって捕らえられた木のまわりに、急速に堆積層が積み重ねられた、という観を呈しています。


樹木の化石の中には、いくつもの地層を貫いた状態で発見されるものがある。
これはその一つである(オーストラリアのニューキャッスルのもの)。地層が、
何万年、あるいは何億年もかけて形成されたのではなく、ノアの大洪水によっ
て一挙に形成されたことを示す強力な証拠。

 こうした事実は、進化論で言うように地層が非常に長い年月をかけてゆっくりできた、という考えでは説明できません。これは大洪水によって急速に地層が形成されたことを示す、一つの強力な証拠です。
 また進化論によれば、下の古いとされる地層からは、単純で下等な生物の化石のみが発見されるはずで、より高度な形態をもつ生物の化石が下の地層から発見されることはないはずです。
 しかし実際には、より高度な形態をもつ生物の化石が下の地層から発見されることが、しばしばあります。世界の地層の至る所に、進化論者の「地質年代表」に示された地層の順序が、転倒しているところがあります。
 しかも、順序の入れ替わったそれらの地層の界面は、不整合にはなっておらず、連続的に堆積しています。つまり、何らかの地殻変動による地層のずれがなくても、高等な生物が下の地層から発見されることが、しばしばあるのです。
 この事実は、多くの進化論者を、おおいに困惑させてきました。けれどもこのことは、大洪水によって地層ができたとする考えには矛盾しません。
 なぜなら、大洪水の際に高所に移動しそこねて、早くから水にのまれてしまった生物も、なかにはいたことでしょう。それらの生物の遺骸は、下の方の地層に捕らえられました。
 ですから、大洪水によって地層が形成されたとするならば、下の地層から、より高度な生物の化石が発見されることがあっても、おかしくはないのです。
 また進化論では、石油や石炭の起源を説明することはなかなか困難が伴うようですが、聖書に記されたような大洪水があったと考えると、説明はひじょうに単純になります。
 石油は現在、化学者によって分析された結果、昔の莫大な量の動物、とくに海中動物の遺骸が変化して出来たものであると考えられています。そのように大量の動物の遺骸が、地層内にまとまって存在するようになったことを説明できるものは、今日自然界に起こっている物事の中にはありません。
 しかし、全世界的なノアの大洪水があったと認める創造論の立場からすれば、今日世界各地で掘り出されている石油の大部分は、かつての大洪水によって葬られた大量の海中動物等の死骸が地層内で変化してできたもの、と理解されます。
 一方石炭は、大洪水の猛威のもとに倒され引き抜かれた大量の樹木が、水の力で押し流されて堆積し、地熱の影響でつくられた、と創造論者は考えています。
 このように、地層や化石に関する様々の事実は、進化論よりも大洪水の考えによって、よく説明されるものなのです。


大陸はもともと一つだった

 今日、「地球上に散在している各大陸は、かつては一つだった」という説が、科学者の間で有力になっています。
 二〇世紀の初めにドイツのウェゲナーは、地球儀をながめている時、ヨーロッパ・アフリカ大陸の西側の海岸線と、南北アメリカ大陸の東側の海岸線の形が、よく似ていることに気づきました。


大西洋の両側の大陸の線を、そのまま互いに引き寄せると、ほぼピッタリ合ってしまう。

 つまり、大西洋の両側の大陸の線を、そのまま互いに引き寄せると、ほぼピッタリ一致することに気づいたのです。また、南アメリカとアフリカで同じような化石が見つかることも、わかっていました。
 それでウェゲナーは、両大陸はもともとくっついていたのではないか、と考えました。さらにまた、いくつかの考察を加えて、全大陸はもともと一つで、その後分離して、現在の位置にまで「移動」していったという考えを発表しました(大陸移動説)。
 この考えは、一時いくつかの反論によって退けられましたが、その後再び有力な説として見直されるようになり、現在では盛んに取り上げられるようになりました。
 全大陸がもともと一つだったという考えは、聖書の記述と一致するものです。創世記一・九には、
 「神はまた言われた、『天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現われよ』。そのようになった」
 と記されており、創造当時の地球においては水は一つ所に集められ、一つの大きな海となっていたことがわかります。したがって、大陸も一つであったことになります。この「かわいた地」は、原語では単数形なのです。
 では、もともと一つであった大陸が、どのようにして現在のように分かれたのでしょうか。
 大洪水以前の大陸は、聖書によればもともと一つであっただけでなく、先に述べたように、現在よりずっと起伏(でこぼこ)がなだらかでした。しかし、大洪水が起きたことによって、地殻に様々な変化が起き、
 「山は上がり、谷は沈みました」(詩篇一〇四・八)。
 この土地の隆起(造山運動)と沈降によって、大陸の形は大きく変わったのです。大洪水以前は陸であった所が海の底に沈み、海であった所が陸になった、というようなことも起きたでしょう。
 こうして、もともと一つであった大陸は、急激に形を変え、分断されました。したがって今日、大陸が分かれているのは、聖書によれば単に「移動」によったのではなく、大洪水の際の山々の隆起や、谷の陥没によったのです。
 大洪水が大陸分離の原因であったことを裏付ける証拠は、数多く提出されています。
 例えば、米国北東部とイギリスに見られる洪水堆積層は驚くほどよく似ていて、もともとは陸続きだったことを示しています。しかし、両者を結ぶ北大西洋の海盆(海底の大きなくぼ地)には、この洪水堆積層がありません。
 これは、それらの陸地が大洪水後に分離したことを示しています。スチュアート・E・ネヴィンス博士の言っているように、
 「昔、大陸が裂けたことの原因は、ノアの大洪水の巨大な激変の際の力によって、容易に説明できるのです」(『インパクト』一六号四ページ)。
 このように、大陸はもともと一つでしたが、大洪水後の土地の変動によって、いくつかに分断されました。そしてその後も各大陸は、マントルの流体の動きやプレートの動きなどにより、年に数センチメートルずつ、互いに遠ざかりつつあると言われています(地殻は、いくつかの「プレート」と呼ばれる板に分割されていると考えられている)。
 日本列島も、わずかずつですが、ユーラシア大陸から遠ざかりつつあると言われています。このようにして大陸は、現在の形と位置におさまるようになったのです。


エルサレムは万国の中心に定められた

 ノアの大洪水の激変後の大陸分離の際には、その過程において、神の特別なご配慮が働いたようです。
 じつは、ある科学者たちが、地球上の "全陸地の中心"について調べたことがあるのですが、それによって興味深い事実が判明しました。
 "全陸地の中心"というのは、全陸地の形や位置をそのままにして、地球の球面上の陸地の中心を算出する、というものです。この研究は、アメリカの物理学者アンドリュー・J・ウッド博士を中心に行なわれました。
 その方法は、まず全陸地を多くの細かい地域に分割します。つぎに一つの分割地をとり、そこからそれ以外のすべての分割地までの距離の総和を測ります。もちろん、地球儀の上で、巻き尺を用いて測るのです。
 そうしたことをすべての分割地に関して行なって、"他のすべての分割地までの距離の総和が最小となるような分割地"を、探し求めます。その地域が、数学上、陸地の地理的中心と見なされるのです。
 地球の大陸や島などの地理は非常に入り組んでいるので、その計算にはコンピューターが用いられました。
 その結果はどうだったでしょうか。全地の中心は、パレスチナからメソポタミヤにかけての地域であることが判明しました。すなわちエデンの園、バベルの塔、ベツレヘム、ナザレ、エルサレムのある地域、つまり聖書の出来事の舞台となった地域こそ、全地の中心であったのです(『インパクト』一四号三頁)。


数学的な算出結果によれば、全地の中心は、メソ
ポタミヤからパレスチナにかけての地域と出た。

 この地はまた、別の意味でも全地の中心です。すなわちそこは、アジア・ヨーロッパ・アフリカの三大大陸の"接点"であり、また黄色・白色・黒色人種のそれぞれが住む地域の"交点"なのです。
 ところが、パレスチナが全地の中心に位置することを、驚くべきことに聖書は、何千年も前から知っていました。紀元前六〇〇年頃記された旧約聖書エゼキエル書五・五には、こう記されています。
 「神である主は、こう仰せられる。『これはエルサレムだ。わたしはこれを、諸国の民の真中に置き、そのまわりを、国々で取り囲ませた』」(新改訳)。
 同書三八・一二でも、イスラエル民族のことを、
 「地の中央に住む
 民と呼んでいます。このように聖書は、人々の地理学の知識がきわめて幼稚であった時代に、パレスチナ地方が全地の中心であると述べ、さらにそれは神のご計画によると、述べていたのです。
 しかも今引用した聖句によれば、全地の中心は単にパレスチナであるだけでなく、イスラエルの聖都、キリストが十字架の御わざをなされた地、エルサレムです。神は意図的にエルサレムを、万国の中心に置かれたというのです。
 神は、もともと一つであった大陸を分離させる際に、将来エルサレムとなる地点が全陸地の中心となるようにされました。陸地は、定められた所に分離していったのです。聖書は、大洪水後、
 「山は立ち上がり、谷は沈みました。あなた(神)が定めたその場所へと」(詩篇一〇四・八)
 と述べ、さらに、
 「あなたは境を定め、水がそれを越えないようにされました」(一〇四・九)
 と記しています。大洪水の激変による土地の隆起や陥没は、定められた海岸線をつくるように起きました。すなわち定められた地形、定められた地理をもたらすように、起きたのです。
 こうして、現在のような地形ができ、エルサレムが全地の中心に位置するようになりました
 そしてこれは、福音宣教を全地の中心エルサレムから始めて、全世界に行き巡らせるというご計画が、神のみこころの中にあったからに違いありません。
 主イエスは、公生涯の終わり頃、「私は必ずエルサレムへ行く」と言われました。そしてそこで十字架にかかり、死んで復活するのだと(ルカ九・五一、一八・三一)。
 キリストの十字架の贖いと復活のみわざを、全地の中心エルサレム以外ですることは、あり得なかったのです。
 それは、そのみわざが、全世界のすべての人々のためだったからです。


激変説の復興

 今まで学んできたように、大洪水以前の地球は、大気の状態、気候、地形、生物の生態など、多くの点で、現在とは異なっていました。
 しかし大洪水後、大気の状態や気候は大きく変化し、地表は再形成され、生態系も変わりました。
 このような考え方は、「激変説」と呼ばれます。激変説は、今では多くの科学的証拠に裏付けられており、過去の地球の状況に関して最も適切な説明を与えるものです。
 しかも、激変説は、地球の年齢や人類の年齢に関する従来の進化論的考えに対しても、大幅な修正を迫るでしょう。
 地球、また人類が誕生してから現在に至るまでの歳月は、じつは従来進化論で考えられていたほど長くはないのです。
 これについては後述しますが、激変説は、創造論の柱ともなる大切な考えです。
 かつて激変説は、中世のヨーロッパなどではキリスト教信仰のゆえに、広く一般に受け入れられていました。しかし当時の激変説は、科学的知識に裏付けられていなかったので、きわめて漠然としていました。
 一九世紀になると、フランスの学者キュビエが独特な激変説を唱えました。彼は、地層内の化石に対する解釈として、地球上にはこれまでに「何回も」天変地異が起こり、大部分の生命はそのたびに死滅して新しい生物が造られたのだ、と唱えました。
 そして聖書の示す「ノアの大洪水」は、それらの天変地異の最後のものだと考えたのです。しかし彼の激変説は、今では科学上の様々な証拠を適切に説明するものではなく、また聖書に一致するものでもありません。
 その後キュビエの説は退けられ、「斉一説」が広まりました。
 「斉一説」とは、現在起きている物事のゆっくりとした変化の過程は、過去のいつの時代においても同様だったとするもので、激変を認めない立場です。
 斉一説の考えは、「現在は過去を知る鍵である」という言葉でよく表されます。地球の過去の歴史のすべては、現在起こっているようなゆっくりとした変化の過程で充分説明できる、とするのです。
 進化論は、この仮説に立って、地球や生命が長い時間をかけて徐々に進化してきたのだ、と説明してきました。進化論は、斉一説に立って構築されてきたのです。
 斉一説が広まった背景には、それが進化論を構築するために非常に好都合だったということと、聖書の記述を単なる神話とみなす偏見等があったようです。
 またキュビエの激変説が不完全で、説得力に欠けていたことも、斉一説の浸透を助長しました。
 近代から現代にかけて、斉一説は人々の間に力をもってきました。しかしそのことについては、驚くべきことに聖書自体が、あらかじめ予期していたことなのです。聖書はこう言っています。
 「第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり・・・・次のように言うでしょう。
 『キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか』」(Uペテ三・四)。
 「何事も創造の初めからのままではないか」――これはまさに、斉一説の考えです。斉一説がある程度力を持つようになることを、聖書は知っていました。しかし、聖書はさらに続けて述べています。
 「こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。・・・・当時の世界は、水により、洪水におおわれて滅びました」(Uペテ三・五〜七)。
 つまり聖書は、私たちが斉一説にではなく激変説に立つべきだ、と述べているのです。
 本誌で述べている新しい激変説は、はじめアメリカの科学者であり、創造論者である人々によって唱えられました。
 そして現在、斉一説の欠陥が明らかになるにつれ、しだいに多くの人々に受け入れられ、さらに研究が進められつつあります。
 ちょうど進化論が、斉一説に立って構築されてきたように、創造論は、激変説の上に立っているのです。
 地球の過去には明らかに、それまでの大気の状態や、気候、地形、生物の生態などを大きくぬり変えるような激変がありました。それをぬきにしては、地球の歴史も、生命の歴史も語ることはできません。
 そしてその激変とは、聖書に記されているノアの時代の大洪水であったに違いないのです。


聖書は恐竜に言及している

 聖書の創世紀一・二一には、神は生物創造の際に「海の大いなる獣」をも造られたと記されています。
 大洪水以前の海には、海棲哺乳類のクジラだけでなく、シーモンスターとも呼ばれる海棲爬虫類プレシオサウルスなど、様々な巨大生物がたくさん生息していました。地上にも、恐竜をはじめとする多くの巨大な動植物が、生息していました。
 聖書中、ヨブ記四〇・一五〜一九は、恐竜に関する言及と言われています。それは日本語訳では次のように記されています。
 「さあ、河馬を見よ。・・・・見よ。その力は腰にあり、その強さは腹の筋にある。尾は杉の木のように垂れ、ももの筋はからみ合っている。骨は青銅の管、肋骨は鉄の棒のようだ。これは神が造られた第一の獣・・・・」。
 この動物は、「河馬」と訳されていますが、原語のヘブル語はベヘモトで、「巨大な獣」の意味です。昔の聖書翻訳者は、中東の最も巨大な獣を「河馬」と考えて、こう訳したのです。しかし一七節に、
 「(その)尾は杉の木のように垂れ・・・・」
 と記されています。河馬の尾はあるかないかわからないくらい小さく、とても「杉の木」と比べられるものではありません。
 現在の世界で最も巨大な陸上動物であるゾウも、しっぽは細くて、小さなものです。ですから創造論者の多くは、この「ベヘモト」と呼ばれた獣は、カバでもゾウでもなく、恐竜の一種ではなかったか、と考えています。


 「(その)尾は杉の木のように垂れ・・・・」

 創造論では一般に、恐竜はノアの大洪水以前の時代から、少なくとも大洪水の少し後までは生きていた、と考えられています。
 進化論では恐竜が絶滅してから六〇〇〇万年以上たってから人類が出現した、と主張されています。しかし創造論では、恐竜と人類は同じ時代に生きていた、と考えるのです。
 大洪水の時になって、恐竜もノアの箱舟に連れてこられ、その中に入れられました。
 ご存知のように、おとなの恐竜は体が大きいのですが、卵からかえったばかりの子ども恐竜は、数十センチの大きさに過ぎません。恐竜は、年をとるごとに、形はほぼそのままで、大きさを増していきます。
 ですからノアは、箱舟におとな恐竜を入れず、子ども恐竜を入れたに違いありません。そのほうが、場所を取らなかったからです。
 大洪水後になって、恐竜はしばらくの間は、生きていました。しかし、やがて絶滅してしまいました。なぜでしょうか。
 今日、進化論者の間では、小惑星の衝突による恐竜絶滅説などがささやかれています。その証拠として、恐竜などの見つかっている地層のすぐそばから、地球にはないイリジウムという物質が多く見つかっていることなどが、あげられています。
 しかし実際は、イリジウムのピークは地層中に一度でなく、三〜四回現われるため、この小惑星衝突による絶滅説は、古生物学者たちには受け入れられていません。また、なぜ恐竜だけが絶滅して、他の動物は生き残ったのか、という問題があります。
 創造論では、イリジウムのピークが地層中に数回現われるのは、地層が大洪水によって形成されたからと考えられます。小惑星の衝突はあったかも知れないが、それは「大空の上の水」(水蒸気層)の均衡を崩し、地上に大雨を降らすきっかけになったに過ぎなかった、と考えられるのです。


恐竜はなぜ滅びたか

 では、恐竜はどうして滅びたのでしょうか。これは、進化論者の間でも創造論者の間でも、まだ確かな回答がありません。
 しかし一つ想像されることは、恐竜は、おそらく適応できる環境の範囲が狭く、大洪水で地表の環境が大きく変わった際にその変化について行けなかったに違いない、ということです。
 ある説によれば、"恐竜はメスだけになって滅びたのではないか"と言われています。生物学的に恐竜に近いと思われているワニなどは、気温の低い所ではメスしか生まなくなるのです。
 もし恐竜が気候の変化についていけず、メスしか生まなくなったのだとすれば、彼らは絶滅することになります。しかし、それではなぜワニなどは生き残ったのに、恐竜は滅びたのか、という問題は依然残ります。
 もう一つ考えられる恐竜絶滅の理由は、大洪水後の生物の寿命の短縮による影響です。
 大洪水の際に、それまで上空にあった水蒸気層は取り去られ、地表には宇宙線などが多量に降り注ぐようになりました。その影響は各生物に現われ、人間の寿命について見てみても、寿命はしだいに短縮されました。
 大洪水以前に九〇〇歳前後だった人間の寿命は、大洪水を境にして急速に短くなり、ついには一二〇歳以下にまで下がったのです。
 ですから同時に、動物たちの寿命も、そのとき急速に短くなったはずです。恐竜の寿命も短くなったでしょう。
 恐竜は、年を重ねるごとに体を大きくしていきます。つまり恐竜が一般的に巨大化できたのは、長寿だったことが一つの理由です。また恐竜は、ある一定の年齢に達して、体が成熟したときに卵を生みます。
 恐竜は、卵を生めるようになる年齢がかなり高かったのではないでしょうか。そこに、寿命の短縮が襲いました。それで大洪水後、恐竜の多くは、卵を生める年齢に達する以前に老化し始め、死ぬようになったとも考えられます。
 しかし、じつは恐竜絶滅の理由は、もっとありふれた原因だったのかも知れません。
 恐竜に限らず、現在に至るまでに数多くの種類の動植物が絶滅してきました。あるものは食糧がなくなって、またあるものは、環境に適応できずに絶滅したのです。
 とくに巨大な体を持つ恐竜などは、大洪水後の厳しい気象環境の中で、食糧を充分とるのはじつに大変であったでしょう。卵を無事に孵したり、赤ん坊を無事に育てたりするのも、大変であったに違いありません。
 また、恐竜と人間が同じ時代に生きていたのだとすれば、恐竜にはもう一つの大きな敵がいました。
 人間です。人間はこれまで、数多くの動植物を絶滅させてきました。
 今日、たとえばトラは、絶滅の危機に立たされています。なぜなら多くのハンターたちが、トラを殺してしまうからです。
 ゾウも絶滅が心配されています。多くのハンターたちが、象牙欲しさにゾウを殺してしまうからです。
 人間は昔から、巨大な動物や、どう猛な動物、珍しい姿の動物などを見ると、それをハンティングの標的にしてきました。恐竜などは、その標的としては恰好のものだったでしょう。
 実際、次にみるように、恐竜と人間が同時代に生きていたことを示す数多くの証拠があるのです。


恐竜は大洪水後もしばらく生きていた

 『謎と不思議の旅』という本が二見文庫から出版されていますが、この本の中で、「恐竜土偶」というものの発見について取り上げられています。これについては、TBSテレビでも、一九九一年一二月一日に放映されました。
 メキシコのアカンバロ博物館に、たくさんの遺跡出土品が展示されているのですが、その出土品の中に驚くべき大量の"オーパーツ"(そこにあるはずのないもの OOPARTS=Out-Of-Place Artifactsを縮めて造った新造語)があったのです。
それは、科学の常識をくつがえすもので、あまりにも常識はずれのものであるため、今も倉庫の奥深くにしまいこまれており、一般には公開されていません。
 しかしTBSのスタッフは、特別に倉庫の中に案内され、恐竜土偶の幾つかと対面しました。それらの土偶(土で作った人形)は、恐竜化石を元に復元された恐竜と同じ形をしており、しかも、人間がその恐竜の上に乗ったりしているものもあります。
 これらの土偶を、無機物を測定できる最新技術である"熱ルミネッセンス(TL)法"で年代測定した結果は、いずれも紀元前二五〇〇年頃(誤差五〜一〇%)と出ました。
 つまり今から約四五〇〇年前です。これは、ノアの大洪水の直後と思われる年代です。
 進化論では、恐竜は今から六五〇〇万年前に滅びたとされていますから、この土偶はそうした考えに合わないために、進化論者にはまったく無視されています。
 しかしこの土偶が、事実今から約四五〇〇年前に生きていた恐竜の姿を当時の人々が見て作ったものであるならば、「恐竜は大洪水の後もしばらく生きていた」という創造論者の考えが、裏づけられることになります。恐竜は、少なくともその頃まで生きていたのです!
 しかも興味深いことに、アカンバロの恐竜土偶の中には、ティラノサウルスによく似たものがあります。ただ、よく復元図に見られるティラノサウルスと、この恐竜土偶との間には、一つ違いがあります。
 それは、この恐竜土偶には、明らかに"体毛"が見えるのです。馬のたてがみのような毛が、恐竜土偶の首の後ろにあります。
 今日、ティラノサウルスのような恐竜に体毛があった、という証拠はまだ見つかっていません。体毛はふつう、化石にならないからです。そのため恐竜の復元図には、体毛は描かれていません。
 しかし、恐竜の一部には体毛があった、という説も学者の間にはあります。事実、翼竜に体毛があったことは、今日では常識化しています。
 アカンバロの恐竜土偶が本物なら、ティラノサウルスのような恐竜にも体毛があった、ということになるでしょう。


恐竜と人間は共存していた

 「恐竜は、今から四五〇〇年前においても生きていた。恐竜と人間は共存していたのである」というこの考えを支持する証拠は、ほかにもあるでしょうか。
 アリゾナ州のハバスパイ渓谷にある古代の岩絵には、二足歩行をする恐竜の姿が描かれています。インドのデカン高原にあるビーム・ベトカーの岩山の岩絵には、頭部に人間のまたがった恐竜の姿が発見されています。
 また、米国テキサス州のパルクシー川流域には、干し上がった石灰質の川原に、「恐竜と人類の足跡の交差した」化石が、何か所も発見されています。
 さらに、恐竜が比較的最近まで生きていたことを示す、興味深い事実があります。一九八二年、アフリカのニジェールで、恐竜ウーラノサウルス・ニゲリエンシスの骨格が発見されました。
 しかも、発見されたこの骨は、バラバラになった状態ではなく、驚いたことに完全骨格の状態で発見されたのです。骨は非常にフレッシュな状態でした。
 すぐさま米国カリフォルニア大学、アリゾナ大学、アメリカ地質調査所、ロサンゼルス博物館、ページ博物館、東京大学の各所で、"炭素一四法"などによって年代が測定されました。その結果は、わずか約一〜七万年前のものと出ました。
 これに限らず、他の恐竜であっても、その化石を炭素一四法によって測った結果は、後述するように古いものであっても、じつは"数万年前"としかでないのです。
 しかも"数万年前"というこの炭素一四法の数字でさえ、真の年代よりも古く出てしまっていると考えるべき理由があります。後述するように、炭素一四法による測定結果は、とくに大洪水以前のものを測ったような場合は、真の年代よりも古く出てしまうからなのです。
 (一般に進化論者が主張している恐竜の年代「六五〇〇万年前」は、カリウム・アルゴン法によるものです。しかしカリウム・アルゴン法は決して正確ではなく、むしろ真の年代とは何の関係もない年代を出すことが知られています。これについても後述します。)
 恐竜は、進化論者の主張しているように大昔に絶滅したのではなく、比較的最近まで生きていたのです。


恐竜を見た人々

 さらに、ある種の恐竜は大洪水の頃までではなく、さらにもっと最近まで生きていたと思える証拠もあります。
 人類の古い記録の中に、しばしば、恐竜としか思えない動物の目撃記録が数多く記されているのです。『恐竜のなぞ』(SAVE新日本視聴覚伝道刊)というビデオに、次のようなことが紹介されています。
 紀元前四世紀に、ギリシャのアレクサンドロス大王がインドのある町を征服したとき、大王は、その町の人々が、洞窟に棲んでいるある巨大な爬虫類を神として拝んでいるということを聞いて、その動物を調べにいきました。
 すると、それは三〇メートルもある巨大な動物で、鼻息が荒く、その姿の恐ろしさに兵隊たちも驚き、おののいたと記されています。三〇メートルもある動物といえば、ウルトラサウルスのような恐竜を思い起こさせます。
 また、一〇世紀のアイルランド人は、珍しい大きな動物に出会ったときのことを記録に記しています。その動物には、堅固なつめを持った太く恐ろしい足があって、しっぽには後ろを向いたとげがあり、また頭は馬のようであったと記されています。この姿は、ステゴザウルスにそっくりです。
 また、フランスのナールークという町の名は、昔、人々が「竜」を退治したことを記念してつけられたものです。「竜」と呼ばれたこの動物は、刀のような鋭い大きな角を持ち、牛よりも大きな体で川に棲んでいたとされており、これはトリケラトプスの特徴と一致します。
 さらに、一五〇〇年代に書かれた有名な科学の本の中にも、現実に今生きている珍しい動物として、「竜」(dragon)が紹介されています。
 同じ頃に、博物学者ユリシーズ・アルドロバンダスの記した文献にも、こんな記録が載っています。
 一五七二年五月一三日に、あるイタリヤ農民が、道で珍しい動物に出会いました。その動物は、その頃にはすでに数も少なくなっており、絶滅寸前にありました。
 首の長いその動物は、シューシューと音を立てていましたが、農民はその頭を打って、殺してしまいました。この動物は、小型恐竜の一種タニストロフェウスによく似ています。
 一方、空を飛ぶ恐竜も人々に目撃されています。
 古代ギリシャの歴史家で探検家でもあるテオドトスは、エジプトで空を飛ぶ爬虫類を見た、と書物に記しています。「へびのような体で、コウモリのような羽を持っていた」とはっきり記しているのです。これは、タンフォリンクスによく似ています。
 アメリカ・インディアンのスー族の先祖も、空飛ぶ恐竜を見たことがあるようです。スー族の先祖たちは、雷のなりわたるある日、空中で雷にうたれて空から落下するある巨大な鳥を見ました。
 数日後、そこへ行ってみると、その巨大な鳥の遺骸が横たわっていました。その鳥は、足と翼の両方に大きなつめがあり、長く尖ったくちばしを持ち、頭には長いとさかのような骨がありました。そして翼を伸ばした全長は、約六メートルもあったのです。
 この特徴は、まさにプテラノドンと完全に一致します。以後スー族の人々は、その鳥をサンダーバード(雷の鳥)と呼び、その話はインディアンの伝説として語り継がれるものとなったのです。
 そのほか、ヨーロッパのアングロサクソン年代誌にも、空飛ぶ爬虫類の目撃記録があります。一六四九年のスイスの山でも、空飛ぶ爬虫類の発見が報告されています。
 このように、恐竜は大洪水後もしばらくのあいだ生存し、ある種のものはつい最近まで生きていた、と思われます。
 中国や、スカンジナビア、また他のヨーロッパ諸国等には、「竜」伝説が数多くあります。その「竜」として描かれた動物には、様々の形がありますが、その多くは、恐竜の姿に非常によく似ているのです。
 世界の「竜」伝説の多くは、人類の恐竜の記憶をもとに、後世の人々の脚色が加わって出来上がった、と思われます。


ノアの箱舟はどのような舟だったか

 つぎに、ノアが建造した箱舟はどのような舟だったかを、見てみましょう。
 聖書によると、箱舟は長さが約一三二メートル(一キュビト=四四センチメートルとして)、幅が二二メートル、高さが一三メートルでしたから(創世六・一五)、これは今日の大型客船に匹敵する巨大な舟だったことがわかります。
 また箱舟は、航行の必要はなく、ただ浮けばよかったので、今日の船舶のような流線型ではなく、ほぼ箱型だったでしょう。長さ・幅・高さの割合は三〇・五・三で、形としては比較的細長く、また若干、平べったい舟でした。
 船体は、短いほど安定が悪く、逆に長すぎれば、大波に乗ったとき真ん中から折れる危険があります。これは幅についても同様です。さらに、高さが高すぎても安定が悪く、低すぎても具合が悪いでしょう。
 じつは、NTTの元会長であった真藤氏は、NTTに入る前には造船会社の社長をしていました。氏は大型船の理想的な形を研究するよう、研究チームに命じました。
 その結果わかったことは、タンカー級の大型船にとって最も高い安定性と強度を持つ形は、長さ・幅・高さの比率が三〇・五・三の場合である、ということでした。
 以来、造船界では、この比率は「真藤比」とか「黄金比」と呼ばれ、タンカー級の大型船の主流となったのです。
 この比率は、ノアの箱舟の比率と同じなのです。ノアは、このように理想的な船を、ろくな造船技術もない時代につくりました。そこにはまさに、神の導きがあったとしか考えられません。


ノアの箱舟は長さ・幅・高さの比率が30:5:3であり、最も高い安定性と強度を持つ理想的な形だった。

 箱舟は、上部には天窓、側面には戸口が設けられました。内部は三階構造に造られ、いくつもの部屋に区切られました。それらの区切り用に使われた材木は、箱舟を丈夫にするためにも役立っていたことでしょう。
 材木としては「ゴフェルの木」が用いられ、防水用に、舟の内と外は瀝青(ピッチ、アスファルト)で塗られました。
 このように箱舟は、大洪水に備えるために、きわめてよく設計されていました。


すべての種類の動物がそこに入ることは可能だったか

 聖書によると箱舟の中には、すべての「きよい動物」(食用にしてよい動物)の中から雄と雌が「七つがいずつ」、「きよくない動物」(食用にしてはいけない動物)の中からは「一つがいずつ」、空の鳥の中から「七つがいずつ」が入りました(創世七・二〜三)。こうして陸上動物と鳥のあらゆる種類が箱舟に入れられた、と記されています。
 しかし、今日世界に生息している動物の種類は、はなはだ多く、はたしてすべてが箱舟に入りきれたのか、という議論がしばしばなされます。
 たとえば、犬をひとつ例にとってみても、シェパード、セントバーナード、チン、秋田犬、その他さまざまな種類があります。猫や馬、牛、猿、象、また鳥などにおいても同様です。
 ですから、それらすべての種類を、箱舟に入れようとしたのでは、とうてい入りきらなかったでしょう。しかし、ノアはそのようにする必要はありませんでした。
 彼は、動物の各種類の代表だけ入れればよかったのです。生物は、おのおの自分の内に「遺伝子プール」というものを持っており、子孫が代々増え広がっていく際に、様々に「変異」していくことが可能だからです。
 先ほどのシェパード、セントバーナード、チン、秋田犬などは、外見がかなり異なってはいますが、同一の「種」に属するもので、同一の先祖からの様々な「変異」の結果であることが、生物学的に知られています。
 人の「三大人種」(黄色、白色、黒色人種)なども、人が同一の先祖から変異して分かれた結果です。
 聖書によれば、箱舟に乗った人々はノアとその妻、および三人の息子たちとその妻たちだけでした。ですから、現在の人類はすべて、ノア夫妻の子孫であることになります。
 彼らから、現在の人類、そして三大人種が出てきました。ノア夫妻の「遺伝子プール」の中には、多様な人種を生み出す要素が含まれていたのです。
 「変異」というのは、犬、猫、人など、一つの「種」内で、生物の性状が様々に変化できることを言います。しかしこの変化は、「種」を飛び越えて起きることはありません。生物は、同じ「種」の範囲内に限って、様々に「変異」することが可能なのです。
 ですからノアは、箱舟に、動物の各種類の代表を入れれば充分でした。今日の世界に見られる動物の多様性は、箱舟に入れられた代表の動物たちからの「変異」によって生じたもの、と考えることができます。
 また、ノアは箱舟に、水生動物や両生類を入れる必要はありませんでした。植物も入れる必要はありませんでした。陸生動物と、鳥だけを入れればよかったのです。
 陸生動物や鳥たちのうち、羊よりも大きなものは、全部合わせても二百数十種にすぎません。他の動物たちはみな、羊よりも小さな動物です。
 さらに、ノアは必ずしも、成体となった動物たちを入れる必要はありませんでした。スペースをとる大きな動物たちは、おとなではなく子どもを入れても、全くかまわなかったのです。とくに巨大恐竜などは、まだ若い子ども恐竜を入れてもよかったのです。
 箱舟はまた三階構造になっており、充分な床面積がありました。したがって創造論に立つ科学者は、箱舟は、すべての陸生生物や鳥の代表動物たちと食糧を入れるのに、充分なスペースであったと考えています。
 神はノアの箱舟に、長さ・幅・高さの比が三〇・五・三という、理想的な形をお与えになりました。ですから神はまた、動物たちを集めてきて箱舟に乗せる際にも、ご自身の見えない御手によって、動物たちを秩序のうちに導かれたことでしょう。
 また、箱舟内でも彼らに秩序と平静をお与えになりました。こうして箱舟によって生き残った動物たちや、ノアの家族たちから、大洪水後の生態系が新形成されたのです。


箱舟は発見されたか

 聖書によると、箱舟はアララテ山(現在のトルコ、アルメニア地方にある)に漂着しました。
 この山のふもとには、ナクスアナ、またはナキチュパンという町があり、ノアの墓だと言われています。この町名は、「ここにノアが来て住んだ」という意味です。
 ある出版物が報じたところによると、ロシア革命(一九一七年)の起きる直前に、ロシアの飛行家が、近づき難いアララテ山上の氷河に、巨大な舟の残骸を見たと発表したとのことです。
 当時のロシア皇帝は彼らの報告を受けて、探検隊を組織し、隊員は舟を発見して、大きさをはかり、作図し、撮影しました。しかしその頃、ロシア政権は無神論革命者に打倒され、それらの報告はついに出版されませんでした。
 また一九五四年に、フランスの登山家フェルナン・ナヴァラは、アララテ山の標高約五〇〇〇メートル付近の万年氷の下から、箱舟の材木の一部を切り取って持ち帰ったと主張しました。


ナヴァラは、アララテ山頂付近の万年氷の下から、箱
舟の木材の一部を切り取って持ち帰ったと主張した。

 彼はこの木材について「わたしはノアの箱舟を発見した」と題する本に発表し、話題をふりまきました。木材の年代は、マドリード山林学調査研究所、およびボルドー大学自然科学部等の調査によって、約五〇〇〇年前ないし三〇〇〇年前と推定されました(ノアの大洪水は約四五〇〇年前)。
 その後も、箱舟らしいものを撮影したという報告が、いくつか届けられました。しかし、箱舟はアララテ山に起きた地震のために、現在は地中に埋もれてしまっているのではないか、という議論をする人もいます。
 いずれにしても、多くの人々を納得させられるだけの決定的な証拠は、まだつかめていません。
 アララテ山の登山や調査には、政治的な問題もからみ、また標高五六一五メートルもあるこの山の山頂付近が常に氷に閉ざされていることが、それを困難にしています。早期に本格的な調査が行われることが期待されるところです。


八人の人々から現在の人口になるのは可能か

 世界の総人口は、一九八七年に五〇億人を突破しました。では、大洪水から現在に至るまでの期間に、箱舟によって生き残った八人の人々(ノアとその妻、三人の息子たちとその妻たち)からこの人口にまで達することは、はたして可能だったでしょうか。
 大洪水を今から約四五〇〇年前であるとして、その間に人口が八人から五〇億人に増加したとすると、人口は約一五〇年ごとに二倍になってきた計算になります。これは可能だったのでしょうか。
 世界総人口は、二〇世紀においては、一九二〇年代半ばに二〇億ほどだったものが、わずか約五〇年後の一九七四年には、二倍の四〇億になりました。また、一九六〇年に三〇億だった総人口は、わずか約四〇年後の一九九九年に二倍の六〇億人に達するであろう、と予測されています。
 二〇世紀には、二度の世界大戦があって、多くの人が戦死しました。それなのに、二〇世紀における人口増加は、このように急激だったのです。
 つまり、それ以前の時代の増加率がもっとゆっくりであったとしても、大洪水から現在までの時間は、今日の人口を生み出すのに充分な時間だったと言えるでしょう。


樹木の年齢と大洪水

 今日、地球上で最も長生きの生物は、樹木です。
 アメリカに生息するメタセコイアという巨木は、樹齢数千年におよぶものがザラです。アメリカにはこの巨木の森があって、どの木も直径が一〇メートルほど、また三〇センチもある松ぼっくりが、地面のあちこちに落ちています。その森に入ると、人間は自分が"小人"になったかのような錯覚に陥ります。それほどの巨木の森があるのです。
 樹木というものは、本来どのくらいの寿命を持っているのでしょうか。樹木には、基本的には「寿命」というものがない、とさえ言われます。生物学者は、樹木は条件さえ整えば数万年生きてもおかしくはない、と述べています。
 しかし現在の地上において、最高齢の樹木は、約四五〇〇歳です。それは米国カリフォルニア州の山麓に今も生きている、アリスタータ松です。世界中を見渡し、ドリルで抜き取った中身の年輪を数えても、これより古い樹木は存在しません。この松こそ、地上で最も古い、最長寿の生物です。
 これは考えてみると、不思議なことです。条件さえそろえばいくらでも寿命をのばすことのできる木であるのに、最高齢は約四五〇〇歳で、それ以上は存在しません。
 じつは、四五〇〇年前というと、ちょうどノアの大洪水があった時です。大洪水は全世界をおおい、すべての樹木をなぎ倒しました。ですからノアの大洪水があったとすれば、四五〇〇歳以上の生物が存在しないことは、当然のことと理解されます。
 アリスタータ松は、大洪水の直後に土中から芽を出したのでしょう。


メソポタミヤの洪水堆積層について

 ノアの大洪水について、大洪水はチグリス・ユーフラテス河流域に限られる局地的なものだったという"局地洪水説"、および全世界的なものだったという"全世界洪水説"がある、と述べました。これについて、少し補足しておきましょう。
 局地洪水説の根拠の一つは、チグリス・ユーフラテス河流域で広範囲に発見されている"洪水堆積層"です。考古学者のウーリー博士やラングドン博士は、チグリス・ユーフラテス流域の町であるウルや、キシュ、ファラ、ニネベ等を調査し、そこで厚さ数メートルの、遺物の混在しない堆積性の堅い水成層を発見しました。しかもその層の下には、別の都市の廃虚があったのです。
 その層は四八〇キロ×一六〇キロにおよぶ広範囲な大洪水によるものである、と推定されました。博士らは、これはノアの大洪水によるものに違いないと主張したのです。
 この"洪水堆積層"は、全世界洪水説の立場からは、どのように理解されるのでしょうか。全世界洪水説の考えでは、この洪水堆積層はノアの大洪水以後に、チグリス・ユーフラテス河の氾濫によって出来たものに過ぎません。
 ノアの大洪水は、上空の水蒸気層が大雨となって落下することに始まり、全世界に地層を形成しました。メソポタミヤの洪水堆積層は、ノアの大洪水によって出来たこの地層の上に、チグリス・ユーフラテス河の氾濫によって形成された堆積層にすぎません。
 ノアの大洪水がもし局地的なものだったならば、「すべての高い山々をも覆いつくす」ことは不可能だったでしょう。また、局地的なものならノアが箱舟を建造する必要は全くなく、彼は単に洪水の及ばない地域に避難すれば良かったのです。
 さらに、洪水伝説は世界中に見られること、地層の出来方や化石は大洪水の考えによってよく理解されること、などを考えあわせれば、ノアの大洪水が全世界的なものだったという考えは最も妥当であると、私たちは知るのです。

久保有政

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