近くの神社の祭りがあって久しぶりに子供たちと一緒に行った。夜店が並ぶ風景は30年以上前のものとほとんど変わりがない。綿菓子やべっこう飴、お面や各種のくじ、たこ焼きや饅頭を売っている店がたくさんあった。売っているものも値段も昔とそれほど大きく変わらない感じを受けた。

 気がついたことは活気がないのである。昔に比べると人通りは少ないし、子供連れの家族も少ないような気がする。子供たちも夜店で売っているものを欲しがっている雰囲気もあまりない。

 まだものが豊かでない時代は、夜店で売っているものは珍しくて滅多に買えないものであった。子供たちも何日も前から夜店につれていってもらうことを楽しみにしていたものである。親たちも年に一度か二度のことだから、高いとはわかっていても子供たちに買い与えていたと思われる。

 小さな頃からものにあふれて育っている子供たちには、夜店で売っているものは大して珍しいものでもないし、おもしろいものでもない。夜店で売っているものよりも、普段食べているお菓子の方がおいしいし、輪投げや射的などのゲームよりもテレビゲームの方がおもしろいのであろう。むしろ親たちの方が一種ノスタルジーを持って、夜店を訪れているのではないだろうか?

 古くから日本の社会ではハレとケを分けて生活してきた。日常生活は我慢をして、たまのハレの日にになると普段我慢してきたエネルギーをぶつけたのである。今の子供たちを取り巻いている環境は、ハレとケの境がない。むしろ日常生活がハレで、毎日お祭り騒ぎのような生活を送っている。物質的に豊かになり、あまり我慢をしなくてすむようになった。そのことが精神的にも豊かになっているのであろうか?

 元に戻る