1980年代は日本がもっとも光り輝いた時代である。世界中の金が日本に集まり、バブル景気をもたらすとともに、QCサークルや、看板方式、系列組織等、日本的経営が世界を席巻した

 10年後日本ではバブルは崩壊し、1990年代は「失われた10年」と呼ばれた。それと同時に「グローバルスタンダード」という言葉が使われるようになった。日本的な経営体質は古くて全世界的には通用しない。株式の持ち合いによる株主の利益を無視した経営や、メインバンクに借金体質と、それに基づく企業グループや系列組織。年功序列賃金、終身雇用制、企業別組合による労資協調体制。すべて日本的経営の根幹をなしてきたものが、時代遅れなものとしてとらえられ始めている。

 地域社会では自治組織が希薄なものとなり、自治会に所属していない家庭もたくさんある。家庭の中でもそれぞれの仕事や学校を優先し、一人で食事をしたり、寝る時間もバラバラだったりする。地域社会に密着した小学校、中学校の校区も一部のわがままな人間により崩壊しようとしている。

 日本においては古来より人間と人間の結びつきを大切にしてきた。村社会の協同体が戦後、企業や学校、地域社会のの協同体に取って代わり、日本は奇跡的な復興を遂げてきた。今その協同体が日本から消えようとしてる。確かに人脈や癒着、義理人情に頼らずに効率的利益を追求する考え方はすばらしいものがある。ただ、欧米の文化に根ざしたグローバルスタンダードという概念をそのまま日本に導入しても、かなり無理を生じるものと思われる。古くからある人間関係を破壊するだけになるかもしれない。今までの協同体が時代遅れになっているのであれば、時代に合わせた新しい協同体を作らなくてはならない。家庭、学校、企業、地域社会において、安心して生活できる場所が徐々に失われていると感じるのは私だけであろうか?

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