20世紀最後の10年日本は「失われた10年」と言われた。世界に例を見ない経済発展を遂げ、バブル期には「Japan As No.1」とまで言われたにも関わらず、現在は不良債権問題や600兆円を超える国債問題。銀行や生命保険だけでなく、公的年金や健康保険も破綻するのは目に見えている。新しい世紀に、明るい未来は見えてくるのであろうか?

 戦後日本は猛烈に働き経済的には先進国の仲間入りをすることができた。一方で対外的には様々な障壁をもうけ、自国の産業を保護しつつ、外国の消費に頼って発展を続けてきた。国内においてはまず公共事業をはじめ、特に生産者の利益が確保できるように政策が行われ、消費者の意見は無視され続けてきた。政策が時代に合わなくなると、自分から政策の変更をするのではなく、これも外国頼みで「外圧」という形で自分から責任を明確にすることなく、政策の変更が渋々行われてきた

 21世紀はライフスタイルも戦後間もない頃とは全く違っている。物はあふれ、食べ物は毎日相当な量が捨てられている。一方で父親も母親も働きに出て、子供たちは受験戦争で夜遅くまで塾に通って、家族が一緒に過ごす時間がどんどん減っている。教育現場においても「制服」や「髪の長さ」はじめとして「弁当の中身まで同じ」という平等主義の一方で、「個性の尊重」がさけばれ、明らかな矛盾をそのままにして今世紀を迎えた。

 政治・経済・教育等日本のすべての物が戦後に構築され温存されてきた。新しい世紀を迎え、生活も全く変わっているのに、戦後体制を維持するのは不可能である。日本の政治は何とかその場限りの対症療法で切り抜けて、問題を先送りにして、つじつまを合わせようとしてきた。もう問題を先送りすることはできない。改革には痛みや犠牲を伴うのは必然である。ときには増税も必要であろうし、貯金や資産も目減りすることもあるかもしれない。教育においても自分の子供のことだけを考えることは真の教育とはいえない。新しい時代は「お上」に頼むのではなくて、我々自身切り開いていかなければならない。

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