一億層中流社会と言われるようになって久しいが、最近は格差がどんどん広がっていると言われている。小さな政府も良いが、本当に弱者切り捨てで良いのだろうか?

 1960年代までは大学の授業料は月1000円だった。どんなに貧しい者でも、大学に行く道は開かれていた。現在は大学に支払う初年度納入金は、国立大学でも80万円を超える。私立大学との授業料のさもどんどん小さくなっている。独立行政法人になれば、もっと授業料が上がる可能性もある。

 高校生にとっては格差は見えにくくなっている。一部地域を除けば、制服を着て、弁当を持って登校する。公立の学校では授業料こそ引き上げられているが、その他の費用については、保護者の負担が極力少なくなるように考えられている。教科書や教材、模試代やPTA会費、生徒会費にいたるまで、いたるところで配慮されてる。学校現場では100円単位で、負担がなるべく少なくなるようにしている。

 高校までは奨学金や、授業料の減免制度などで、たとえ貧しくても進学できる体制が一応整っている。今の大学の授業料では国立大学でさえ、アルバイトをしながら大学へ行くことが可能なのであろうか?奨学金があったとしても、80万円と生活費をアルバイトでまかなうのは至難の業であろう。一方では親元から10万円以上、場合によっては20万円以上も仕送りをもらっている学生もいる。

 優秀な頭脳は国家の宝である。国立大学くらいもっと授業料が安くても良いのではないか?それが不平等だというのであれば、勉強して国立大学へ行けばよい。お金があって受験戦争を嫌う人は、名門と呼ばれる私立大学へ行けば良いではないか。優秀な若者を社会全体で支えた方が、きっと日本全体が豊かになるに違いない。

 

 元に戻る