医療ビッグバン

My Articles

医療情報の電子化・共有化の衝撃波

「医療ビッグバン」(日本医療企画・刊)監修・西村周三
第9章分担執筆

好評発売中、定価:本体2200円


ビッグバン

情報化のスタンスを間違えるな

マルチメディアの時代といわれて久しく、日本、いや世界の経済・産業界では、日々急速に情報化社会が進展しつつある。この中で数々の新語が生まれ、淘汰されるスピードもまた急速なもののようである。一時期流行語となったSIS(Strategic Information System:戦略情報システム)といった言葉は、その内容はともかくとして死語になった感さえある。医療の世界は、いままで「命を扱っている」「公定料金である」「規制に守られている」などという土壌のためにその「特殊性」を強調されてきた。しかし、それはあくまで業界の「特徴」であって、「技術とサービスを提供し、それにより収入を得る。人的・物的原価としての支出があり、利益により資本を形成する」というように物事を単純化して考えれば、基本的には、低成長経済の中で奮闘する一般企業と何ら変わったものではないと思われる。企業が先を争って効率化を図っているヒト・モノ・カネの管理と、情報化戦略を躊躇することなく、医療業界も取り込んでいかなければならない。今後の医療費抑制政策や規制緩和による他業種からの医療・福祉分野への参入はますます加速すると予測される。そこで、医療機関は自らの「特殊性」を捨てさり、情報化に臨むにあたっては、与えられた役割を整理し、単純化していくべきであろう。こと医療情報の問題においては、患者側のメリットや医療の質の向上ばかりが強調される。しかし、同時に病院を運営する「企業」としての業務の見直し、効率化、コスト対効果という観点も当然、重要な要素として加えるべきである。

いままでの医療機関における業務のプロセスをそのまま踏襲しただけの電子情報化は、失敗するのが目に見えているように思う。情報化にあたっては、すでにある医療の慣習、形式化した業務を原点から見直し、一度捨て去る必要がある。繰り返すが、医療の情報化は医療機関における患者側、運営側に横たわるすべての業務の見直しから始まって、必然の帰結としてなされるべきものであって、決して電子情報化のみが独り歩きするものではないという点を強調したい。いわゆるビジネス・プロセス・リエンジニアリング(BPR)の一貫として、進めていかなければならないものと考える。

情報の共有化へ向けて

医療情報は、医師と患者の間はいうにおよばず、医師と看護婦などのコメディカルスタッフ、医師同士、コメディカル同士、さらには医療者と行政などの外部機関との間で、幾重にも飛び交い、同じ情報が何度でも、その各々の間で検証されているのが現実である。情報は患者を中心として、そのまわりを取り囲むすべての医療供給者で共有すべきである。供給者ごとに入手した患者の医療情報は、何度も聞きなおしたり、何度も検査を重ねることなく、さまざまな情報網にのり、他の供給者へ瞬時に伝達されなければならない。

いままでの医療サービスは供給者個々の資質に頼っていた。つまり、サービスマインドや個人的経験や記憶にサービスの質を依存してきたが、これからは、多くの情報を共有化し合うことにより、新入職員でもベテラン職員と同様なサービスの提供を可能にしていく必要がある。つまり、「みんながあなたのことをよく知っている」という状態をつくり出すわけである。それが、ひいては信頼される医療機関としての評価を得るものにつながるに違いない。

情報の多面性 −情報に対する価値の相違

情報の共有化により、情報量は今までより大きなものとなる。そこでは、同じ情報であっても価値観の違う人にとっては、必要のない無価値な情報の山となってしまう可能性があるということを認識しておかねばならない。たとえば、看護部と栄養部の両者にとって、「給食をおいしく食べていただくこと」や「どれだけのカロリーが必要であるか」といったことは共有すべき情報である。しかし、調理器具の使用法や食材の原価管理や在庫管理などはは栄養部のみで価値のある情報となり、看護部にとっては必要のない情報となる。また、かかりつけ医としての開業医にとっての重要な情報とは患者の疾病のみならず、患者の家族や社会的背景であるのに対し、大病院の専門医では病気そのものの特性や研究価値がそれに値することが多い。すなわち、それぞれの部門や立場で、どのような情報が重要になるかは異なっているのである。

共有化されるべき情報が一部門の価値観のみに基づいたものである場合、その情報がいくらたくさんあっても他の部門ではまったく価値のないものとなる可能性がある。そういった意味では共有化される情報は、広く普遍的でなければならない。しかし、どの情報が普遍的であるかという判断を情報管理者に求めることはできない。なぜならば、各部門あるいは各個人の役割や価値感はそれぞれ異なるからである。したがって、あらゆる情報を取り込み、大きな患者情報ファイルを多くの部門が共同作業として完成させていくことになる。そして、その中から、自部門にとって必要なものだけを、自らの役割に基づいた価値観で抽出すればよいのである。そこでは、大きな情報から、必要で価値ある情報を抽出する優れた道具の導入が必須となっていく。

情報共有化の道具とその特徴比較

アメリカのゴア副大統領が就任時に提唱した情報スーパーハイウェイ構想は、「2000年までに、すべての教室、図書館、病院、診療所を結ぶ」というものであった。実際、情報関連機器・情報通信の発達は予想以上の急激な進歩と低価格化を促し、1年後の世の中を推測することすらも困難な状況にある。この情報の共有化の核として位置づけられるのはコンピューターによる電子化された情報である。すでに蓄積された情報を引き出し、関連づけ、加工することはコンピューターが最も得意とする仕事である。さらにその電子化された情報をいつでも、どこでも手に入れることは通信の発達とともに容易になった。これを利用しない手はない。

しかし、このコンピューターをいかなる仕組みで運用するかという点では、利用者側に確固たる思想が求められる。実際、コンピューターの立場も近年変化しつつある。今までのホスト(主人)コンピューターシステムから、サーバー(召し使い)、クライアント(お客様)システムに変化した。コンピューターの都合に業務をあわせる、コンピューターに使われるのではなく、自分の部門の役割にあった業務をより効率的に行うためにコンピューターを利用すべきである。自分の部門の役割を遂行するためには、何がしたいのかを明確に認識する必要があろう。しかも、広く汎用を求めるシステムであればあるほど、贅沢なコストをかけた研究的なシステムではなく、低コストのシステムの導入を図るという点も、極めて大きな要素となるべきであることを付記する。

ここで、われわれのサーバーとなるべき道具について、列記してみる。

  1. イントラネット(Local Area Network, LAN) −病院内でのオンライン
  2. 一医療機関内における情報の共有化の方法として、すでに多くの先進医療機関で取り入れられている。いわゆるオーダリングシステムとその延長である。医療機関内で完結する業務・サービスにたいしては、絶大なる効果を生み出していくと思われる。すなわち、患者側のメリットとしては待ち時間の削減、複数診療科情報の統合、過去のデータの蓄積などが挙げらる。一方、医療供給者側のメリットとしては処理のスピードアップによる効率化、転記作業の軽減、在庫管理など運営情報の速やかなる把握などが挙げられる。

    ここで画像情報の共有化の問題を付記する。情報通信機器の価格の低下に著しいものがあるとはいえ、大容量の画像情報を蓄積・表示し、転送するインフラには高いコストが要求される。PACS (Picture Archiving Communication System)の構築には巨額の経費負担を強いられる。やはり、コンピューター上で詳細な画像情報を求めるのか、圧縮された低容量画像情報で良しとするのか、コストとベネフィットを天秤にかけた思想の統一を図る必要がある。

  3. 専用線と公衆回線とインターネット −病院外とのオンライン
  4. 複数の医療機関等における情報の共有化の方法としては、すべての情報端末が相互に、しかもリアルタイムでつながった状態が理想であることに間違いない。そのつなぎ方にいくつかの選択肢が存在する(表1)。

    また、各機関における情報ソフトの共有化あるいは統一出力フォーマットの作成が必要とされる。すでに、遠隔地診断として、多額の公的資金を投入して、放射線画像転送の試みがなされている。これを公的資金の投入なしで、すべての医療機関に導入可能かは議論を要するだろう。これらの解決には、諸外国に比べて高額といわれる通信経費の国家的視野に立った値下げが強く望まれる。さらに、インターネットは安価という点では他を抜きん出ている。これに情報の内容と質によって選択した運用方法を検討していけば、安定性とセキュリティーに問題があげられるものの、決して蚊帳の外におくものではないということも強調したい。

    (表1) 各通信インフラの比較

    専用線公衆回線インターネット
    費用高額かなり高額安価
    転送速度高速速度と値段が比例まばら
    セキュリティー安心かなり安心不安

  5. ICカード −情報の携帯
  6. 現在、プラスチックカードに記憶装置であるICチップを貼り付けたICカードが注目を浴びている。すでにICカードは一部の町村における保険・福祉情報カードとして、また電子マネーとして実用化の試みがなされている。

    ICチップに格納可能な情報量は技術の進歩とともに、大容量化している。ICカードは患者本人が電子化された医療情報を格納した記憶装置を持って歩くというものである。先に挙げた「線で繋ぐ」といったインフラに比較してリアルタイムという点では劣るものの、その他の要素ではしのぐものと思われる。

    問題は、ICチップに格納できる情報容量になる。さらなる大容量化が図られれば、保健・介護情報をはじめとして、クレジットカードや電子マネーなどとの統合も考えられ、そういった意味では未来への広がりは極めて大きいものといえる。

  7. マルチメディアの未来予想図
  8. 従来の情報関連機器単体における性能の向上もさることながら、各々の機器の統合・複合化が進んでいる。たとえば、携帯端末からの通信で、容易に情報はコンピューターに連動されるし、さらに最近話題となっているテレビ放送のデジタル化により、コンピューターとテレビは統合される。このような技術と仕組みの進歩に伴い、日常のどんな機器でも情報端末となっていくものと予想される。

    医療の中で例を挙げれば、入院中の患者ベッドの傍らにあるテレビが、医療機関内でオンライン化され、ある時にはビデオやゲームを楽しむ端末となり、ある時にはインターネット端末となり、ある時には看護情報入力端末となり、またある時には医師のカルテ入力装置となる。さらに、これが医療機関内から、在宅医療の場へいくと、ケーブルテレビ回線やインターネットテレビを利用した双方向テレビと監視システムにより在宅老人の状態監視に利用される。こう考えると、超高齢化社会に突入する日本において、低コストで、かつ高レベルの医療を提供するにはなくてはならないものとなる可能性がある。それは同時に待ち時間が長い、診療時間が短いといった患者の不満に答えるやさしい医療につながるものかもしれない。

電子カルテの時代が来る

こうしたコンピューターの特性、すなわち蓄積された情報の引き出し・加工・関連付けを利用した電子カルテへの流れは、情報の共有化を軸とした患者側、医療提供者側のメリットを求めるならば、必然の帰結となることは明らかである。問診から始まって、検査結果、治療方針、治療内容、治療経過、治療結果(転帰)などのカルテ内容は、統一コードを使用して記載されていく。これにより、すべての医療の中身がコード化、電子化され、容易に分析可能となる。また、患者側、医療提供者側でそれぞれのメリットを統合させることにより、さらなるメリットも生み出されると思われる。そこでは、一医療機関内のみの業務にかかわる電子化されたカルテから、標準規格によりすべての医療機関、福祉施設、行政機関などを包括するものへと進んでいくと予測される。ここではいくつかの要素に分類し、検証を試みたい。

  1. 医療の標準化=医師の裁量権の縮小
  2. 電子化された一人ひとりの患者の訴え、所見から選ばれる検査・治療などの診療行為決定(ディシージョンツリー)の分析と、それに対する患者の転帰(病気がどうなったか)の情報の蓄積により、最も標準的なディシージョンツリーが体系的に提示される。すなわち、診療行為を決定する場面で最良と判断される診療方針が、過去のデータをもとにしてコンピューターより提示される。

    もちろん、これにコスト対治療効果の要素も加味され、患者の初診時から、最も効果的で効率的な検査、治療計画が策定される。そこでは、医師の裁量権というものは縮小される。患者側からすれば、無駄と思われる診療が削減され、これによる医療費低減効果とともに、医師の当たりはずれのリスクがなくなる。医学部を出たばかりの医師であっても、ベテラン医師と同等な意思決定ができるわけである。

    医療機関側は、国内の他の医療機関、さらには外国の医療機関との間で共通の土俵の上で診療内容を比較検討することが可能となる。これにより自らの施設における診療の質を検証し、その向上に利用する、いわゆるベンチマークテスト(効果の比較検証)を行うことができる。しかし、医師の経験と勘を十分に加味したディシージョンツリーの作製には膨大なデータの蓄積と、疾病治療にたいするポリシーの統一が必要である。さもなければ、標準化そのものが検査漬けを誘発する可能性も秘めていると言わざるを得ない。

  3. 情報開示と自己責任
  4. レセプトの開示に引き続いてのカルテ開示の波は、医療不信、自己負担増の流れからすれば、当然要求されてくるものであり、それを医療機関側が拒む正当な理由はないものと考える。もし、個人が自分の情報に自由にアクセスし、いつでもどこでも取り出せる仕組みを創り出すとすれば、電子化したカルテがもっとも適している。

    しかし、同時に、「ガンに限らずどんな病気でも必ず死というものと隣り合わせである」という認識をもっておかねばならない。電子カルテ以前の問題として、カルテを見せる側以上に、カルテを見る側にも自己責任が要求されてくる。すなわち、見る側に人生哲学が必要となる。「見てしまった」後における自己の責任の取り方に対して、外部からの心理的あるいは宗教的なフォローアップが不可欠といえる。しかしながら、わが国における心理的カウンセリングの環境が不十分であることや、宗教にとらわれない国民性は、すべての情報を獲得した後の心理的混乱を危惧させる。医療機関におけるカウンセリング体制の整備も、情報の開示と並行して行われるべきであると訴えたい。

  5. 連携 vs フリーアクセス
  6. もし、多施設間でカルテ情報のフォーマットが統一されたならば、電子化し格納されたカルテ情報は、情報端末がオンラインでつながっていようが、携帯された情報であろうが、情報出力装置が存在する場所においてはオープンになる。患者側のメリットとしては、既往歴や、禁忌薬剤、検査情報、治療情報などがいつでも、場所を選ばず共有されており、重複した検査や治療が避けられるという点がある。それ以上に従来の病診連携の枠を超え、患者がいつでも、どこの医療機関へ受診しても前医の治療内容が客観的に検証されるわけで、紹介状は強いて必要なく、フリーアクセスが今以上に進むこともあり得る。これと、厚生省が進める病診連携の流れとの矛盾が浮かび上がってくる可能性もある。

    これに対して、患者側のデメリットとしては、プライバシーとセキュリティーの問題が存在する。電子カルテ情報の引き出し方法をどうするのか、また、引き出し場所を医療機関に限定するのか、行政機関にまで広げるのか、さらにもう一歩進んで職場や自宅までとするのかが、今後の議論となってくると思われる。

  7. 医療機関経営上のメリット
  8. 第一に、費用請求などの管理コストの削減が挙げられる。医療機関内では、コード化された情報から容易に請求業務に結びつけることが可能となるし、その情報を即座に保険者に送信することで支払サイトの短縮化につなげることができる。また、従来の紙情報とコンピューターの記憶装置の価格を比較すれば、明らかに記憶装置のコストパーフォーマンスは優れ、その検索性の向上ということでは、まったく比較にならない。膨大な紙情報カルテの保管に必要なスペースの削減という意味でも、これに勝るものはない。

    次に、すべての診療行為が電子化されることによって、一つひとつの診療行為を分割して、その原価管理が可能となる。それは、最近の一般企業における最近の部門別管理、すなわち分社化、カンパニー制の流れと軌を一にするものであり、診療行為ごとの人的、物的原価管理により医療の効率性を高め、事業計画の見直しにつなげていくことも可能となるということである。こういった分析は、今後の日本版DRG(Diagnosis Related Groups), PPS(Prospective Payment System)などの医療費定額化の流れに適合し、医療機関が生き残っていくためにはなくてはならないものになっていくに違いない。

終わりに

情報機器の発達により電子カルテ化の問題は遠い未来の話ではない。国の医療費抑制政策、患者の情報公開要求、医療機関側の経営の効率化と、それぞれの立場における問題解決策の一つとして当然生まれるべくして生まれてくるように思う。システムそのものは決して難しいものではない。しかし、膨大な情報の運用とその考え方、情報の取捨選択には多くの英知の結集が必要となろう。情報過多の中で、情報を得る側のストレスについて、国際マネージメント協会のDavid Lewisが、「いくら仕事に興味があるといっても、そのために死ぬほどのことはない」「強いて考えると、情報を集めすぎてそれの取り扱い方法を知らないために(ストレスで)死んでしまう人がいる」と言ったのが、興味深い。

My Articles 目次に戻る