4月30日、厚生労働省の医療制度改革推進本部・医療提供体制に関する検討チームから医療提供体制の改革のビジョン案が報告された。これは、(1)患者の視点の尊重、(2) 質が高く効率的な医療の提供、(3)医療の基盤整備の3点を中心にして将来ビジョンが提言されたものであった。(2)は本題とは離れるため、あえてコメントは避けるが、(1)の中では「医療に関する情報提供の推進」が、(3)の中では「医療分野における情報化の推進」が強く打ち出されているのである。
私たちは、「情報」を提供し、「情報」を共有しなければならないという観念にとらわれる。しかし、私たちが提供し、共有しなければならないものは「情報 Information」だけなのか「知識 Knowledge」もなのかを知る必要があるように思う。Oxford現代英英辞典によるとKnowledgeとは、「 The information, understanding and skills that you gain through education or experience 」であるという。これは、情報は五感を通して得ることができるものであり、それを教育や経験をとおして自分のものとすることによって「知識 Knowledge」とすることができるものと理解できる。すなわち、知識は情報の上位概念と考えていいものと思われる。
ITは文字通り情報技術である。情報を提供・共有することはITを用いることで十分可能である。しかし、情報を提供し、共有しても、その情報を有効に利用すること、すなわち医療の場合には患者の利益とならなければ、単なる自己満足に過ぎないものと考える。そこで、利用する者が情報を知識として自身のものとしていく仕組みが必要であると考えた。
1998年の秋、ふとある月刊一般誌の記事に目がいった。ナレッジ・マネジメントとの出会いである。そこでは、著書「
Knowledge Creating Company 」(1996、邦題「知識創造企業」)で欧米を風靡した野中郁次郎教授が紹介されていた。氏の考えこそが、情報を知識として個人、組織の中で本当のものにする大きな道具であるように思えたのである。
経営資源として「ヒト、モノ、カネ」という考え方がある。これに加えて「知識」というものがこれからの資源であると理解したい。しかも、一般的に資源は使えば減っていくものであるが、知識は使えば使うほど増えていくものであると考えたい。ならば、最高の経営資源となるはずである。
まず、知識には暗黙知と形式知があることを理解したい。暗黙知は、主観的な知(個人知)、経験知など文字や数字に表していない知であり、形式知は、客観的な知(組織知)、理性知など、教科書やマニュアルなどで学び得る知である。
ナレッジ・マネジメントの本質は知識創造のプロセスを明確にしていくことにあるようだ。すなわち、知識変換は次の4つのモード、各モードの頭文字をとったSECIプロセスにあり、このプロセスがらせん状に回転しながら上昇していくことによって個人の、そして組織の知が創造されていくものとなるという(図1)。
さて、本当に知識は管理( Management )できるのか?確実に管理できるのは、知識を創り出して、共有する環境(場)を提供することであると考える。それは、会議や委員会の設定であり、非公式なワイワイガヤガヤの場であり、ITというサーバースペースであると考える。すなわち、先のSECIプロセスを回転させ、らせん状に上昇させていくための場の設定が重要な要素となる。
そこで、病院における場として会議や委員会、さらには各種の発表会があり、多くの病院で従来からこれらを活用してきた。また、次号以降において詳述するがクリニカルパスの作成過程は、まさに専門医のノウハウを表出化するプロセスとなり、関連職種が協議を重ねることによって知識の連結化を図るものとなる。さらに、新たな知識創造の場としてITというニューフロンティアに進出することは、知識創造の新たな道具を得ることになるものと考える。
場の設定こそ、ナレッジ・リーダーシップを発揮する管理者の役割であると思う。場を設定することなく、いくら声高にナレッジ・マネジメントを唱えたところで、知識資産は増えるものではないと考える。先に述べたようにITという新たな場を設定するスペースが目の前に現れたことは、われわれにとって幸運な時期であるように思えてならない。
参考図書の紹介
1)野中郁次郎、竹内弘高著、梅本勝博訳:知識創造企業、東洋経済新報社、1996
2)梅本勝博、神野正博、森脇 要、鎌田 剛著:医療福祉のナレッジ・マネジメント、日総研、2003