厚生労働省高官のコメントとして、現実的か否かは別にして2010年一般病院病床60万床説から42万床説までが飛び出している。これは今年の8月に迫る病床区分の届出締め切りを前にして、医療経営者の危機感をあおっている現状である。
病床削減は厚労省が平成13年9月に公表した資料「21世紀の医療提供の姿」(
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2002/06/s0619-2c.html
)が根拠となっているものと見受けられる。60万床説は先進国並みの人口対病床数や平均在院日数15日が根拠であり、42万床説は平均在院日数10日が根拠となる数字であるように思われる。
一方、四病協は「地域一般病棟」という新しい病床区分を提案している。病床区分での一般と療養の間に位置する亜急性期を担う病床区分の提案である。
少子高齢化社会を迎え、患者とその家族のニーズに応えることができる亜急性期病床の必要性は、厚労省による単純な病院機能分化方針の盲点をつく提案として意義深いものであろう。しかし、ようやく病床区分を「その他病床」から、一般病床という概念を導入したばかりの厚労省に受け入れられるかという点では、いささか疑問を感じざるを得ない。
日本の現状を省みると、いわゆる亜急性期も一般病床が受け皿となっており、そのために多くの病院の一般病床の在院日数は20日を越えざる得ない状況にある。これに対して、ICUやCCU
(心臓専門集中治療室)などといった特定集中治療室管理料対象の病床が在院日数10日以内の病床ということになろう。すなわち、厚労省の示す42万床の一般病床は集中治療室そのものではないかと思われる。ならば、この際名前はどうでもいいのではないかと考える。
厚労省のいう一般病床は集中治療室、四病協のいう地域一般病棟は集中治療室以外の一般病床、そして療養病床である。この区分で在院日数と保険点数を適切に配分すればいかがなものかと考える。
集中治療室は高度医療、豊富な人員配置、在院日数短縮化とともにそれに見合うだけの経済的裏づけをつけていただく必要性がある。集中治療室以外の一般病床は、ほぼ現行の在院日数と人員配置、そして経済的には包括化やむなしと考える。
1ベッドあたりの医療従事者の人数は、欧米諸国が4〜5人なのに対して、日本は0.9人となっている。しかし、医療従事者の増員は、人件費の高騰を招き、欧米並みの医療費の裏づけがないことには実質的に不可能な問題である。
日本の製造業が空洞化し、それに変わる雇用創出のため医療サービス産業に多くの目が注がれている。医療費全体の抑制基調と雇用の創出は相反するものであるといえる。すでに、医療費全体を雇用創出という理由で上昇させることは現実的ではない。ならば、比較の対象となる欧米の在院日数10日以内の急性期を担う一般病床並に日本の集中治療室のみの医療費値上げと人員の確保を図るべきであろう。
また、日本の国民総医療費の中で、薬・検査代の占める割合が30〜40%といわれている。これは、薬・検査代が多すぎるという議論にすりかえられようとしている。しかし、逆にホスピタルコストが安すぎるという捉え方をすべきである。薬・検査代にかかるコストをいかにホスピタルコストに移管していくかが今後の問題であるといえよう。
そのためには、先に述べた集中治療室以外の一般病床(この際、呼び名はどうでもいいが地域一般病床)は医療費の包括化に移行していかざるを得ないであろう。そして、薬剤の一般名記載によってゼネリック薬の積極的使用を促す必要があろう。また、検査にかかわるコストにおいては「念のため検査」や「患者の希望による検査」に対しては特定療養費の導入や、さらにそのためには保険者にゲートキーパー的な役割を担わせることが必要になろう。
欧米、特にアメリカ医療においては先端医療ばかりがマスコミに取り上げられるが、現実は金銭的裏づけに基づく先端医療から無保険者に対する粗悪な医療まで存在すると聞く。たとえるならば、ベンツから軽四車まであるということになる。
日本のすべての国民に費用的な裏づけなしに希望を取れば全員がベンツを希望することだろう。しかし、それでは費用は天井知らずとなる。国民車とそれに上乗せは自費負担という構造にならざるをえないと考える。
いつの間にか「医療の抜本的改革」という言葉は、死語になりつつある。しかし、地域一般病床論議により、再びめりはりを持った改革議論が湧き上がることを望んでやまない。