国民皆保険と混合診療禁止 | 千葉大学法経学部教授 広井良典 |
DPC導入で特定機能病院はどう変化したか | 東京医科歯科大学大学院教授 川渕孝一 |
包括化の拡大と民間病院 | 赤穂中央病院院長 長尾俊彦 |
「新・予防給付」を検証する | 国際高齢者医療研究所岡本クリニック院長 岡本祐三 |
マスから個の時代へ | 恵寿総合病院理事長・院長 神野正博 |
バランスト・スコアカードと病院経営 | 日本大学商学部教授 高橋淑郎 |
医療経営の現況と今後 | 川原経営総合センター 川原邦彦 |
病院債の発行と資金調達 | 中央青山監査法人 樋口幸一 |
ジェネリック薬品とDPC | 東邦大学医学部附属大森病院院長 小山信彌 |
健康寿命を延ばす予防医学 | 東北大学大学院医学系研究科 公衆衛生学分野教授 辻 一郎 |
マーケティングの場においても、コミュニケーションの場においても、「個」に対して徹底的にかかわりを持つ戦略は、インターネットを初めとする急速なIT技術の進歩によって技術的に容易なこととなった。
すなわち、「個」に対するマーケティングとして、一人一人の生活や仕事における背景や過去に購買履歴などといった個人情報に基づいた「One to One マーケティング」が可能となり、少品種大量生産から多品種大量生産に基づいた「個」の好みに合わせた商品の供給が行われていった。さらに、優良顧客に対しては新たな提案と特典を提供していくCRM ( Customer Relationship Managemnt )が全盛となってきているのである。
また、「個」に対するコミュニケーションは、マスに対するものの対極として、携帯電話の進化やオン・デマンド配信に代表される。「個」は必要な情報を必要な時に獲得できることになると同時に、一度「個」の情報を得た事業者は「個」に対して、多くの「好み」に合いそうな(!?)情報を送ることができることになったのである。
まさにマスから「個」は、量から質への転換に他ならない。このような時代の流れはマーケッティングやコミュニケーションの分野で先行してきたものの、当然すべての社会に等しくかかってくる現象であるといえよう。医療においてもまた、量から質、すなわち、公衆の衛生から国民全体の健康を導くと言った考え方から、個人個人の健康を管理することによって国民全体の健康を導くと言った流れになってくると思われる。それは、マスの時代における「ものの豊かさ(物質文明)」から、「個」の時代における「こころの豊かさ(精神文明)」に合致する「納得の医療」につながっていくに違いないと思われるのである。
ここでは、患者としての「個」とともに、病院という組織体としての「個」についての視点で、日本の医療の行方を考えてみたい。
医学的には、個人が持つ遺伝子情報は、遺伝病のみならず、従来体質と呼ばれたものにまで対応していくことを可能にしていくと予想される。テーラーメイド医療やテーラーメイド健診と呼ばれるものである。例えば、健診の場では大腸癌になりやすい遺伝子を持つ個人に対しては、従来にも増した大腸癌検診が必要であり、その遺伝子を持たない個人に対しては、大腸癌検診の頻度を少なくすることが可能だろう。また、糖尿病になりやすい遺伝子を持つ個人とそうでない個人では、運動療法や食事療法に当然異なった指導ができるに違いない。このように、マスとしての画一的な集団検診は、個人の素因によって無駄なものを省き、重点部門は深くといった「メリハリ」のある健康管理へと移行していくものと思われる。
こういった遺伝子と同じく、人の多様性は医療に求めるもの、医療への理解がそれぞれ異なると考えなければならないだろう。この多様性の存在を理解した上での「納得の医療」を腐心していく必要があろう。
医療を取り巻く環境としては、本年4月から施行される個人情報保護法に代表される個人情報の取り扱いが大きな問題となってくる。地域の医療ネットワークによる患者情報の共有は、無駄な検査や重複投薬を防止し、また病歴聴取などの重複した時間も削減できるなど、多くのメリットが強調されている。また、本来的は院内外の多職種によるチーム医療こそが患者の安全を確保し、無駄な医療資源を使わないネットワークになるに違いない。そのために必要な個人の識別の仕組みや情報共有の仕組みと、個人情報の保護とのつばぜり合いが今後、クローズアップされてくることであろう。
個人的には、こと治療に関しては、医療チーム内では徹底的に患者個人の情報は共有されるべきであり、ここではセキュリティーは2の次であると考え、一歩チームの外に出た場合には、個人情報は徹底的に保護されるべきであると考える。
特に、この問題はIT化の進展によって、医療者の倫理面だけではなく、システム上の問題として取り上げられがちであるものの、強固なシステムも、最後はそれを扱う個人の倫理面から崩れていくものと思われる。
先に、「個」へ対応することが、価値観が多様化する現代において重要であることを示した。医療は、一般企業に比して個人情報、しかも健康情報や家族情報などを容易に得ることができる業態である。そういった情報と、健診メニューの提示や健康用品の物販、健康食品の物販とリンクし、さらにリピーターである「お得意様(=優良顧客)」に対して、優先診察や差額ベッド料金割引などのひとクラス上のサービスを提供することはマーケティングとしては、当然ありうることになるであろう。もちろん顧客である患者がこれらサービスを受けるために医療機関での情報リンクを許可する必要があるが、人から羨まれるサービスの提供を拒否する個人は少ないであろうことは容易に想像されるのである。こういったCRMの考え方が、混合診療の可否とは別に前面に出てくるように思われる。
量から質の時代は、医療においては「診療の質」を議論するが、それとともに「経営・運営の質」も考えていく必要があろう。
ある病院は、すばらしいアメニティー、豊富な人材、決め細やかな最高の安全対策を備える。しかし、大きな赤字を抱えている。・・・公的機関ならばこの赤字は税金から補填されるということなり、民間機関ならば破綻云々を考えなければならないということになる。例えこの病院が存続しているとしても、日本の医療にとっては、全く普遍的ではなく、特異なケースであると言わざるを得ないのである。この病院を「質のいい病院」とあがめるマスコミにこそ問題があるに違いない。
某自動車会社などの問題で経営の質、すなわちCSRといわれる「企業としての社会的責任 Corporate Social Responsibility」の問題がクローズアップされている。社会に迷惑をかけず、間違いは潔く正し、自主自立の精神こそが、経営の質であり、経営陣の心意気なのだと思う。
このような経営の質を確立していくためには、自らの地域社会における役割機能(ミッション)を明確にして、他の医療機関との差別化、すなわち個別性を図っていくべきであると考える。組織に「個」があってこそ、必要とされる社会資本ということになると確信する。
「医療はこうである」「医療はこうなければならない」という固定観念から脱却し、多様な価値観を受け入れる時が来ていると思う。それは、社会の趨勢を見れば明らかなのである。そういった意味では、今後の日本の医療に必要なものは、「個」の要望にいかに応えていくかという知恵なのではないだろうかと思われるのである。