Hoelderlin/ANDENKEN

Hölderlin/ANDENKEN
ヘルダーリン:「追想」


Version: 28. Jan. 2005




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ANDENKEN
追想


この詩の試訳にあたっては
手塚富雄(河出書房新社)河村二郎(岩波文庫)濱田恂子(創文社)各氏の日本語訳を参照しています。
これらはそれぞれに優れた日本語の訳詩というべきもので、わたしもその文学的完成への高い志に強い感銘を受けています。
しかし同じ解釈をしていないところはあります。
またフリードリッヒ・バイスナーとヨッヘン・シュミットによる
Insel Verlag版の「解明」も参照しています。
これも必ずしもその解釈に従っていません。
海が記憶を奪うということ、それは水の持つ記憶ではないでしょうか。
そのこととの連関で詩人の使命を考えたいと思います。
反歌をつけておきました。

2005年1月25日
中路正恒




 Der Nordost wehet,
Der liebste unter den Winden
Mir, weil er feurigen Geist
Und gute Fahrt verheißet den Schiffern.
Geh aber nun und grüße
Die schöne Garonne,
Und die Gärten von Bourdeaux
Dort, wo am scharfen Ufer
Hingehet der Steg und in den Strom
Tief fällt der Bach, darüber aber
Hinschauet ein edel Paar
Von Eichen und Silberpappeln;


 北東の風が吹く、
それはわたしにはすべての風の中でもっとも好ましい
ものだ、なぜならその風は燃えさかる精神を
そして船乗りたちにはよき旅を、約束するからだ。
しかし今や行けそして挨拶せよ
美しいガロンヌに、
そしてボルドーの緑なす庭園に。
そこボルドーでは、切り立った岸に沿って
小道が走りそして大川の流れに
小川が高くから流れ落ちるのだが、しかしその上方には
柏と白楊の高貴な一対の林が
ちらと姿をのぞかせているのだ。

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  Noch denket das mir wohl und wie
Die breiten Gipfel neiget
Der Ulmwald, über die Mühl',
Im Hofe aber wächset ein Feigenbaum.
An Feiertagen gehn
Die braunen Frauen daselbst
Auf seidnen Boden,
Zur Märzenzeit,
Wenn gleich ist Nacht und Tag,
Und über langsamen Stegen,
Von goldenen Träumen schwer,
Einwiegende Lüfte ziehen.


そしてわたしはなおも思い出す、
楡の木の森がその広々とした頂を、
水車屋の上に、どんな風に傾けているかを、
しかし庭には一本のいちじくの木が育っている。
祝日には
褐色の女たちがそこで
絹のような地面の上をあゆむ、
三月の、昼と夜とが
等しい時のこと、
そして黄金色のさまざまな夢の中から重たく、
走りづらい板道の上を
ひとを眠りにさそうそよ風が流れてくる。

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 Es reiche aber,
Des dunkeln Lichtes voll,
Mir einer den duftenden Becher,
Damit ich ruhen möge; denn süß
Wär' unter Schatten der Schlummer.
Nicht ist es gut,
Seellos von sterblichen
Dedanken zu seyn. Doch gut
Ist ein Gespräch und zu sagen
Des Herzens Meinung, zu hören viel
Von Tagen der Lieb',
Und Thaten, welche geschehen.


 しかし誰かがわたしに
わたしが休らうことができるようにと
暗い光に満ちた、
香り高い盃を差し出してくれたらよいのだが;なぜなら
木陰の下でならまどろみも甘いだろうから。
死すべきさまざまな思いにひたって
魂をなくすのは
よいことではない。よいのは
語らいであり、
心の思いを語ること、愛の日々について
ひとの身に起った愛の業について
多くを聞くこと。

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 Wo aber sind die Freunde? Bellarmin
Mit dem Gefährten? Mancher
Trägt Scheue, an die Quelle zu gehn ;
Es beginnet nemlich der Reichtum
Im Meere. Sie,
Wie Mahler, bringen zusammen
Das Schöne der Erd' und verschmähn
Den geflügelten Krieg nicht, und
Zu wohnen einsam, jahrlang, unter
Dem entlaubten Mast, wo nicht die Nacht durchglänzen
Die Feiertage der Stadt,
Und Saitenspiel und eingeborener Tanz nicht.


 しかし友たちはどこにいる? ベラルミンと
その同行者は? 多くの者は
源泉に行くことに物怖じをする;
だが何と言っても豊かなものは海で
始まるのである。彼らは
絵描きのように、大地の美を
取り集め そして
帆を翼にした戦争をいとうことなく、また
葉を失った帆柱の下、
街の祝祭の日々が夜を照り輝かせることもなく、
弦楽の遊びも、土着の人々の踊りもないところで、
幾年にもわたって、孤独に住むこともいといはしない。

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 Nun aber sind zu Indiern
Die Männer gegangen,
Dort an der luftigen Spiz'
An Traubenbergen, wo herab
Die Dordogne kommt,
Und zusammen mit der prächt'gen
Garonne meerbreit
Ausgehet der Strom. Es nehmet aber
Und giebt Gedächtniß die See,
Und die Lieb' auch heftet fleißig die Augen,
Was bleibet aber, stiften die Dichter.


 しかし今や男たちは
インド人たちのところへ出かけた、
あの風通しのよい頂き、
ぶどうの山々のところから。そこへと
ドルドーニュは流れ下り、
そして壮麗なガロンヌとまじわり
海のような広さになって
河は流れを終える。しかし海は
記憶を奪い、そしてまた与える、
そして愛もまた、丹念に眼差しをとどめさせる、
しかしとどまるものを打ち立てるのは、詩人たちである。


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 反歌として次の一首を挙げておきたい。
 ヘルダーリンが歌っているのも「水の記憶」のことに思えるのである。

青馬の耳そばだてて風日祈(かぜひのみ)水ははるばる誰がために癒ゆ
             山中智恵子『虚空日月』「のちのかりことば」




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