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八月二十八日のことである。前日は「宮沢賢治国際研究大会」の三日目のプログラムがあり、岡澤敏男さんが賢治の詩に描かれたコースの通りに小岩井農場を案内してくれた。その特別のエクスカーションにわたしはこの研究大会の素晴らしさを満喫していた。そしてホテルで別れる時には、イヴ=マリー・アリューさんが、特別に大きな身振りをしてわたしを送ってくれたのが心に沁みた。まったく充実した三日間だったのだ。
それからわたしはレンタカーを借りて、お気に入りの鉛温泉に行った。藤三旅館。自炊部の方だ。そしてその立湯に何度も入ったものだ。入ってそれからふとんに入る。そうすると温泉の霊のようなものがわたしの身体の中でぶつぶつ、ぶつぶつという声を上げながら活躍をはじめてゆくのだ。そんな実感がとてもよく感じられる。それを実感するのは布団の中で横になっているのが一番だ。
鉛温泉まで来たのは沢内村に行きたかったからだ。もう一度なめとこ山を見て、そしてできれば大空の滝に行って、それから沢内に行きたかった。マタギの村と言われ、また『沢内年代記』という記録文書で知られる沢内村を実際この目で見ておきたかったのだ。マタギ資料で知られる「碧祥博物館」を目的地にしていた。
しかしその日は朝からとてもよい感じがしていた。朝も温泉に入っていた。それから部屋に戻る時、旅館の売店が開いていた。何か土産物でも買おうと思って、財布をもって売店に行った。柚餅子とか二つ土産物を選んだ。勘定がてら店のおばさんと話していた。ここの立湯のお湯はいいから、時間があるだけ何度でも入ってゆきなさいと言ってくれた。睫毛の深い背の少し曲がったおばさんだった。わたしもこの湯がとても気に入っていた。心が通った。九時からはまた混浴になるから入れるようになるし、時間があるならあるだけ入ってゆきなさい。十一時を過ぎても少しならだいじょうぶだから、と、そんなことも言ってくれた。実際九時からもう一度入るとなると、そうするとまた一時間ぐらいは休みたくなるので、急ぎ目にしても十一時近くになってしまう。だから億劫になってしまうものだ。だが、そのおばさんのおかげで、もう一度入ってゆくことにした。そして牛乳をもらって、部屋に戻った。
それがいいことだった。その日、幸先がいい気がしたのは、そのおばさんと心の通じる話ができたからだった。それがなければ、その日も平凡に、計画通りに終わっていただろう。そうして精算も終えて、今から車を出そうとしていた時だ。ふと、この温泉が、どんな場所の中にあるのか、少し知ってみようと思ったのだった。賢治も鉛温泉に来たことがある。鉄道の終点が西鉛という駅で、そこに保養所があって、そこに逗留していた父のところに妹の病気ことで知らせに行ったという話を何かで読んでいた。旅館の人にそのことを聞いても特に何も教えてはもらえなかった。だが西鉛駅がどこにあったのか、保養所がどこにあったのか、それを知りたいと思っていた。それで少し歩いてみることにした。
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