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「山中智恵子のキリスト教」というタイトルは、恐らく、山中智恵子の仕事を良く知っている人々にさえ、やや奇異な印象を与えることだろう。山中智恵子の主要な仕事は、作歌であり、氏はいわゆる所の、現代の「歌人」の一人として名声を得ている方である。しかしそれにとどまらず、氏の名前は、万葉、古今、新古今の歌仙らに連なる名前として、久しく歌の歴史の中にとどめられるべきものである、と私には思われるのである。
ところで、氏の本分と言うべき、その歌業においても、キリスト教との関わりは、決して主要なモチーフを形成しているわけではなく、また、その最も深い地点を形成しているわけでもない、という見解は、広く受け入れられるであろう。しかしまた、氏の歌に関わる思索においては、キリスト教との関わりは全く存在していない、というわけでもない。実際、比較的初期の頃の氏の歌業においては、キリスト教の信仰との、あるいはキリスト教的な神との、幾許かの関わりは、はっきりと存在しているのである。概略的に言って、氏の最も優れた歌の数々は、それらの初期の、キリスト教思想に近くあると同時に、また微小な「ずれ」をも伴った作品が、その「ずれ」を、微小な差異を、明確化してゆくプロセスを経て、結実して行ったものであるように見える。氏の作歌の歩みの、少なくともその最初の何歩かは、キリスト教的な思想から、自らを隔ててゆく行程をなしているのである。それゆえ、この見方が正しいものであるならば、われわれは、キリスト教的な思想からの「ずれゆき」として、氏の歌の歩みの、基本的な軌道線を見定めうる、と期待することが出来るであろう。しかし、なぜ「ずれゆかなければ」、ならないのであろうか?
この「ずれゆき」には、恐らく、大きな、そして普遍的な、意味がある。
つまり、山中智恵子の中期の歌においては、「虚空」の発見があり、この発見には、恐らく、人間の歴史の一つの決定的境位が重ね合わせられるのである。山中智恵子の「虚空」、それは単に彼女の歌にとっての問題であるにとどまらず、「歌」それ自体の問題に関わり、「歌」の存在意義の新しい規定と関わるのである。山中智恵子の「虚空」、これは一つの領域と見做されうるものであり、この領域はミシェル・フーコーが、「解釈空間の開口部」として、「極めて危険な領域」として、解釈者そのものをも消失させてしまう領域として、近代解釈学の基底において、確認する領域と、同一の領域であると思われるのである(*1)。要するに、それは、ニーチェ等による「神の死」の確認と伴に、もはや覆い隠しようもない場所として現れてしまった空白の領域なのである。このような経緯において、山中智恵子の歩みは、恐らく、ニーチェの歩みと軌を一にし、共に、キリスト教の「神の死」を確認し、また「神の死」がもたらした空白の諸地帯を「横断する」という運命を引き受けているのである。
「山中智恵子のキリスト教」というタイトルで、本稿がカヴァーしようとするのは、山中智恵子の歌における、キリスト教信仰との最初の「ずれ」から、「虚空」の発見までの歩みであり、経緯である。
ここで、幾らかの問題を先取りして言っておくと、「虚空」の発見よりも、「横断すること」の方が、より一層重要な問題である、というのは本当であろう。実際、「虚空」について、「虚空の発見」について、冗舌を繰り返すことは誰にでも可能である。しかしながら、それを「見た」者にとっては、虚空の発見についてとかくに語ることよりも、はるかに重要で、はるかに急を要する別の問題が存在するのである。それこそまさに、虚空に浸され、様々な目に見えない空白部をもつ諸地帯を、横断してゆく術を、渡り行く技術を、見付け出す、という事なのである。山中智恵子にとっても、「よし虚空に陥ちても、空を離れては在り処なき鳥の生死」(*2)の方が、「虚空の発見」その事よりも、一層緊急な問題であり、幾度も虚空に落ち、その後、その都度、改めて、飛行を続ける術を、実際に、見出す事が、彼女の第一の問題事なのである。そして歌こそが、短歌こそが、彼女にとって、飛行のための、飛行のその都度の再開のための、手掛かりであったのである。
われわれにとって、山中智恵子の歌が、この上なく重要であるとすれば、それは、彼女の歌の中に、飛行をその都度再開するための、横断をその都度再開するための、本質的な諸技術が集中されているからである。山中智恵子の歌そのものが、とりわけその拉鬼**c歌と呼ばれる歌は、横断の技術一般にとって、モデルとして役立ちうるものなのである。
当然のことながら、「横断を」なしうるためには、「横断の技術」が必要なのである。しかしこれは極めて特殊な技術である。この技術は、呼吸を可能にする技術、思考を可能にする技術等と同じように、その存在に気付くのが極めて困難な技術である。しかし、にもかかわらず、それは「生存のために」、実際不可欠な技術なのである。それは、「感情を可能にする技術」と呼びうるかもしれないような技術であり、アフェクションの最初のステージに関わり、それを形成する技術なのである。問題は、「最初のアフェクト形式」であり、触発されることの最初の形式の形成術である。なぜなら、アフェクトされることが可能になって、初めて「横断」が、「遊び」が、あしびが、移行が、可能になるからである。山中智恵子の**c歌においては、「最初のアフェクト形式」として、歌が、その調べが、その調べの緊張が、働いている。
われわれは、前置きをこの位で停めておこう。要するに、われわれがここで指摘して置きたかったことは、「虚空」の発見は、「横断の技術」の発見に伴われないならば、常に不純なものに留まる、ということであり、「神の死」から「横断の諸技術」まで、一続きの脈絡が存在している、ということである。先ずは「虚空」の発見までを、山中智恵子の歌の中に探ってみよう。
山中智恵子の最初の歌集『空間格子』に収められた歌は、多句切れによって、〈多元的対位法〉と呼びうるような技法によって、意味の多元的に共鳴する空間を構成した作品が主流を占めるが、中に時折、ストレートに情を、物の見え方を、ある根本的な決定を、叙べた作品が見出される。われわれが初めに取り上げようとする作品、
無辺際の落下にあればためらはず神と垂直にわが身を投げむ (一)
『空間格子』(わが*aしこと)
は、後者の、ストレートな叙述の歌に属するであろう。この歌集の場合、このような歌の場合には、その言わんとすることは、文脈からは、やや掴みにくいものになる。それは、直叙体の歌こそが、〈集約的な場〉をなし、いわば槍の穂先をなしているからである。この歌の手前に位置する歌二首は、
仰向けにねころべば一面のすすき原泡だちて空にのぼりゆく白さ (二)
(同前)
手を触れればほうほうとすすき吹かれゆくその絮も白き雲とは
(同前)
である。これら二首は、仰向けにねころんだ身体の位置から、上に、空のほうに視線を渡らせてゆく視覚編成において、すすきの絮を詠んでいる。しかし、ここから「無辺際の落下」の歌へは、少なくとも「視覚編成」という点では、断絶が存在している。「無辺際」の歌は、身体の位置を出発点にした視覚の編成を、歌の構成上の原理にはしていないのである。そこには視覚的なものは存在しない。
この三首の歌の間の連関を考えようとする場合、一つのありうる連関は、雲になりゆくばかりにのぼってゆく絮を、〈私〉の喩と捉える見方である。「白き雲」には化(な)れない「すすきの絮」に、〈ついには落下するもの〉の運命を読み取ることは、可能であろう。〈ついには落下すべきもの〉としての〈私〉の運命が、今空にのぼってゆく「すすきの絮」に重ねられ、また、今の〈私〉が、絮のように空にのぼりつつあるもの、として捉えられることになる。しかしその場合にも、すすきの絮の落下は、空から地面までの落下としてしか考えられず、決して「無辺際」の落下の形象化を助けるイメージにはならないであろう。雲に変成しえないこと、それゆえ空にとどまりえないこと、このような〈制約〉は、〈私・の・宿命〉として内面化されて、初めて、〈私〉を待つ、「無辺際の」落下の運命を予言しうる。つまり、「無辺際の落下」を経験しうるのは、〈人間〉であれなかれ、〈私〉に限られるのである(*3)。しかし、なぜ〈私〉でなければならないのであろうか?
ここで、前に置かれた二首の歌を離れて、「無辺際」の歌そのものの読解に向かわねばならない。先行二首との脈絡から生じる解釈条件は、大変ゆるいものであり、上の問いに充分に答えうるものではない。なぜ〈私〉でなければならないのか、という問いには、こう答えられるように思われる。つまり、それは、「無辺際の落下」とは〈私〉への落下のことであるから、である、と。ここでは〈孤〉としての〈私〉が問題なのである。つまり、「無辺際の落下」とは、〈私〉への落下であり、〈私〉における〈孤〉、〈私〉における原理的に伝達不可能な領域への落下、のことである。〈孤〉への落下、その、無意識の底に於いてまで孤児であるわれわれの、独異性、シンギュラリティへの落下、このような落下のみが、「無辺際の」落下でありうるであろう。
このような「落下」において、〈よぎられるもの〉は、共同性、コミュノテを構成し、構成しうるものの全てであり、その内には、「現実」と呼ばれるものの全てが含まれる。要するに〈伝達されうる経験〉を構成する諸形式の全てが、その全内容と共に、「落下」においてよぎられ、遠くへ退き、落下の途方もないスピードにおいて失われてゆくのである。それゆえ「無辺際の落下」は、それ自体が意味されるものの位置に立つことの決してない経験であり、意味付けられ得ない領域への落下の経験である。われわれの〈孤〉は、われわれのシンギュラリティは、決して意味されるものになることはない。これは確かに一つの空白の領域である。
山中智恵子が語る「無辺際の落下」が、まさにこのような〈孤〉への落下のことであるということを、文脈によって論証することは出来ないのであるが、〈孤〉がまさしく山中智恵子の「無辺際」の歌を囲む幾つかの歌の主題である、ということは、示すことが出来る。同じ節、つまり「わが*aしこと」の節の中から、二首を引こう。
壷の中はいつも春暮のあかるきによぢのぼるべきわが爪のびず (四)
(同前)
白き帆は海の弧に乗りみえずなりわれは泛びぬそのはての空に (五)
(同前)
これらは〈直叙体〉の歌ではないが、イメージは〈孤〉としての〈私〉に集中されている。前の歌においては〈孤〉が「壷」として、逃れ得ぬ場所として、形象化されており、後の歌においては水平線の彼方に消える「白き帆」よりも更に遙かに遠い所で、より〈不可視〉な仕方で、「泛んで」いる〈私〉が形象化されている。これらの歌の主題は〈孤〉であり、そこで〈孤〉は〈私〉の、逃れ得ぬ場所であり、かつ何びとからも不可視な場所として捉えられている。従って、これらはいずれも、われわれが解釈したような意味での「無辺際」の歌の、その磁力圏の中で構成され、形象化された歌だと考えることが出来るのである。
今やわれわれは、解釈をより先へ押し進めなければならない。「無辺際の落下」が〈孤〉への落下である時、「神と垂直に」とはどのような方向のことであろう? また、「にあればためらはず」という措辞は、どのような道筋の論理を肯定しているのであろうか? 前者の問いに対しては、それが「どういう方向であるか」、ということを正確に言うことは困難であるが、差し当たりは、この方向が、〈神に向き合う〉方向と対比される方向である、ということを押さえておことが必要であろう。つまり、「神と垂直にわが身を投げ」ようという決定は、〈神を待つ〉態度、あるいは〈神に対して身を持する〉態度と対立するのである。後者の問いは、この決定の根拠に関わる。つまり、この措辞は「無辺際の落下」を〈事実〉として言い、更にこの〈事実〉を以て、「神と垂直にわが身を投げむ」とする決定の根拠とする、ということを言う。そして、ここで最も慎重な解釈を要するのは、「ためらはず」の内に言われている、ある〈根拠の集中〉についてであろう。なぜ「ためらはず」に、そうしようと言うのであろうか? これらの問いに対して、問いを交差させながら、答えを探してゆかねばならない。
ここでまず第一に確認しておくべきことは、ここで言われている「神」が、キリスト教的な神、〈個々人を真上から貫く視線を持つ神〉であろう、ということである。そのような神のみが、〈孤〉への落下と相関する問題として論じうる神だからである。〈孤〉への落下が問題になる場合、そのような〈神〉がそのような〈孤〉の領域を貫いて〈私〉に視線を及ぼし得るか、ということが、同時に問題になりうるのであり、逆に言えば、そのような信仰の土壌の中からこそ、〈無辺際の落下が存在する〉ということが、重大な問題として立ち現れてくるのである。
ところで、〈孤〉の領域というものを厳密に体験し、厳密に思考しうる場合には、そのような、〈孤〉の領域を貫いて来る視線が存在しない、ということは明白である。しかしながら、そのような〈孤の領域の厳密な体験〉というものが、極めて稀なものであるために、幾つかの半端で、紛らわしい思想が、その周囲に生じてくるのである。ただ神のみがこの〈孤〉の領域にまで入り来る、という考え、これは〈キリスト教的な思想〉であると言いうるであろうが、それは、そのような半端な、紛らわしい思想の典型的なものである。山中智恵子が「ためらはず」と言うとき、氏は、こうした紛らわしい思想の全てを、一気に、そして一挙に、退けようとしているのである。「ためらはず」は、〈紛れ〉を一気に退ける論理である。ここで〈紛れ〉とは、厳密に伝達不可能な領域としての〈孤〉の領域の、存在を否認しようとする全ての思想的営為のことである。厳密に伝達不可能な経験としての〈孤〉の領域の経験、それを山中智恵子は、「無辺際の落下」として確認し、肯定するのである。
それとともに、〈神に対して身を持する〉態度が退けられる。われわれはここで、「無辺際」の歌を、キルケゴール的な思想と対立させてみることが出来るであろう。キルケゴールもまた、絶対的に伝達不可能な領域としての〈孤〉の領域の体験を持ち、それについての思索を持ったように見える。そしてその厳密な体験と思索から、キルケゴールもまた、神の直接的な介入によって、〈孤〉の領域が破られ、〈私〉の伝達が可能になる場が開かれる、という可能性に寄せる信仰を、はっきりと捨て去ったように見える。しかしそこから一転して、彼は「間接伝達」のようなものを考えてしまうのである。つまり彼は、神の介入のようなものは退けたが、〈神へと向かう志の純粋性〉において、伝達の別の道がある、と考えることになるのである。「キリストとの同時代性」とは、そのような〈純粋性〉の指標、あるいは判別基準となるべき〈経験の一地点〉であるように見える。比喩的に言うなら、「なぜ神は私を見捨てたのか」というイエス自身の嘆きの地点が、反復され、再び体験されるべきものとして、つまりは「間接伝達」の指標として、彼に見出されて来るのである。このような位相において、再び、神の視線を予想しつつ、神を向いて身を持する態度が生じてくる。
しかしながら、このような態度は、決して充分に深いところから生じたものではなく、それゆえ、決して充分に清潔な態度でもない。それは要するに「間接伝達」を称えることによって、多様性に対する憎悪を実践しているのである。そしてそれはまた反復そのものの本性をも歪めてしまう。というのも、厳密に言って、〈孤〉、即ちシンギュラリティには、直接・間接を問わず、伝達可能なものは何もなく、また伝達されるべきものも何もないからである。しかしまさに伝達可能なものが何もないことによって、それは反復可能なものなのである。「無辺際の落下」は反復可能な経験であり、また反復される。しかしその経験の内容は、誰も、何びとにも語ることが出来ない。重要なのは〈孤〉の領域のこの本性である。キルケゴールの場合には、反復を、「キリストとの同時代性」の反復として捉え、内容的同一性を反復されることの内に求めたのである。しかし正にそのために、反復の真の本性を見失い、またそれを損ねることになってしまったのである。山中智恵子が神と垂直の方向にその身を投げる決定を行うのは、内容的同一性に対する幻想を、すっかり捨て去った処においてである。「無辺際の落下」においては、経験内容の同一性は全く存在しない。同一性は「無辺際の落下」ということ自体の内にしか無いのである。この点で、山中智恵子の「無辺際の落下」の経験は、ニーチェの「永遠回帰の体験」と全く同一の構造を持っている。つまり、ジル・ドゥルーズが『ニーチェと哲学』などの中で繰り返し的確に説明しているように、ニーチェにおいても、その永遠回帰の思想における同一性は、永遠回帰自体の同一性であり、同一性を持ったものが永遠に回帰する、という事では全くないからである。いずれわれわれは、山中智恵子の思索とニーチェの思想との交差を、より詳細に点検しなければならないであろうが、この、反復における内容的同一性の否定において、山中智恵子は、既にはっきりと、キリスト教思想の圏域から離れているのである。
柿の枝の黒きをみれば神にすら見せぬ素顔となりてゆくらし (六)
(同前)
この、「神にすら見せぬ素顔」とは、より正確に言うなら、〈神にすら見えぬ素顔〉のことである。あるいは、その主要な点においては、どちらの表現においても同じことが言われる。なぜなら、歌の表現から出発するならば、〈私〉が〈素顔〉を〈見せようと〉しないならば、それを見ることの出来ない神とは、〈私〉の〈意志〉によって、その〈見る能力〉を制限されるような神であり、従って、それは極めて無能力な神であり、キリスト教の神としては、もはや存在しえない神だからである。そうであれば、結局この表現によってなされているのは、〈神の視線の及ばぬ領域〉が存在する、ということの確認と、まさしく〈私の素顔〉こそがそれである、という主張である、と考えなければならない。それは要するに、〈孤〉の領域を確認することに帰着する。ここにわれわれは、「無辺際の落下」の経験の一つのエコーを認めることが出来るであろう。この歌では、その、〈孤〉という、〈ブラック・ホール〉のような領域が、「柿の枝の黒」として形象化されているのである。要するに、神のまなざしすら、〈ここ〉には及びえないと言うのである(*4)。
しかし、そうであるならば、その時、例えば〈私の素顔〉とは、どのような資格で〈存在している〉と言いうるのか、という問題が生ずる。そして、〈私の素顔〉の存在を保証するのがただ〈私〉だけであるからには、その言表不可能性(伝達不可能性)において、存在を保証するメカニズムの閉鎖性において、そして存在の希薄さにおいて、〈私〉と〈私の素顔〉が共々、消失して行かざるをえないように思えるのである。〈神の死〉とは、この〈私〉の消失の必然性をも意味しているのである。
ところで、この歌の「なりてゆくらし」においては、自らの内に、ある深い変化が生じ始めている、ということことが言われている。「無辺際の落下」の経験によって引き起こされた変化であると想定されるこの変化は、ここで、ゆっくりと同化され、その意味は、ゆっくりと自覚へもたらされようとしている。つまり、一方では、〈私〉〈意志〉〈素顔〉の概念等、幾つかの旧来の概念装置への、それらの有効性を自問することの為されないままの依存が、相変わらずに見られるのであるが、それにもかかわらず、一つの決定的な境位の変化が、普遍的な把握として、自覚へともたらされつつあるのである。つまり、先ずは私において、私が、その〈素顔〉を、神さえも見ることの出来ない〈私〉になりつつある、という変化が気付かれているが、それと同時に、この変化が、単に私一人にとどまる問題ではなく、現実に存在していると見做される、様々な、数々の〈私〉の全てにとっての運命であるとして、自覚へともたらされつつあるのである。〈私〉における〈不可視の私〉から、全ての人々における〈不可視の私〉へと、私的な問題から時代の断絶、エポックの問題へと、捉え方が進んでいるのである。
ここで「神は死んだ」という呟きが、山中智恵子の唇からこぼれてきたとしても、少しも不自然ではないであろう。しかし山中智恵子は、そうは言わない。むしろ、その代わりに、氏は、「教会はクレドに満てり」と言うのである。この「クレド」の歌は、歌集『空間格子』の巻頭に置かれている歌であるが、それは事柄の論理に即して見るならば、この歌集のアルファであるというよりは、むしろオメガなのである。アルファは、「無辺際の落下」の方である。
歌集、『空間格子』の、その巻頭の歌はこうである。
教会はクレドに満てり 風下の濡れた土手の下の羊歯の化石 (七)
『空間格子』(洪水伝説)
この歌は一つの対比を生み出しているように見える。それは、「教会」と「化石」の対比である。そして、歌にはそれぞれにそれを修飾する語が付けられている。
「教会」はクレドに満ちている。つまり、「私は信じる(credo)」と語る声々が、具体的な声になっているにせよなっていないにせよ、教会の中を満たしている。信仰のコミュノテ(共同性)が、単にそこに在るばかりではなく、そこではまさにそのコミュノテに関わる発話が、発話行為が、許されているのである。
このように読み取るとき、対比は、二項の対比ではなく、三項のそれである、ということが分かる。「教会」「化石」、そして「世間」である。「世間」においては、普段は、人は心おきなく「クレド」を〈声〉にするわけには行かないからだ。具体の〈声〉にせよ、内面の〈声〉にせよ。「クレド」の〈声〉は、世間における交換一般において、不要のものになっている。少なくとも、キリスト教信仰の意味における「クレド」は、日本においては、そうである。
それゆえ教会は、コミュノテを、信者たちが、確認し合うことの出来る特殊な場所である。そして、コミュノテの確認は、その意味においては、「クレド」の独白的な〈声〉の独白的な交換によって、為されるのである。つまり、コミュノテの確認のためには、クレーダース(君は信じる)、クレーダット(彼は信じる)などと別の人称を用いることは無意味であり、またクレーダームスと、つまり「われわれは信じる」と、一人称複数で語ることも、重要ではないのである。要するに、一人称単数の「私は信じる」を語る〈声々〉が、敷波のように折り重なることによって、初めて、教会におけるコミュノテの確認が成立し、共同性が構成されるのである。教会においては、何が行われている場合にも、常にそこにはクレドの〈声々〉が満ちている。山中智恵子の分析は、極めて的確である。
しかし、教会にクレドの〈声〉が満ちていることは、要するにそれだけのことである。それによって、信者たちが、〈聖なるもの〉と関わっているわけではなく、教会が、防波堤のように、世間という世俗から信者たちを守っているわけでもない。クレドの〈声〉も、その核心において、〈悪夢〉に付き纒われている。
クレドもまた、そのコミュノテから離れる時をもち、クレド本来の私性に立ち帰る時をもつ。その私性における、クレドの核心的な生命は、〈私は、神だけは、私を常に見ている、と信じる〉、ということの内にある。しかしこの信仰は、上の定式中の〈神だけは〉ということの真理性を、証明する手段をもたない。つまり、たとえ神が生きており、私に、私を常に見守っていることを告げたにせよ、その告知の〈声〉は、〈孤〉の領域においてしか到来せず、従って、その〈声〉は、常に、何びとにたいしても伝達することの出来ないものになっているからである。そして、そのことから帰結する決定的なことであるが、われわれは、その〈声〉が、単に〈私の神〉にすぎない者の〈声〉ではないのかどうかを、決して知ることが出来ないのである。〈私の神〉であるにせよ、〈生ける神〉にせよ、その〈声〉は、常に〈悪夢としての神〉、つまりそれが誰であるかを言うことのできない者、の〈声〉にとどまる。なぜなら、全ては〈孤〉の領域において起こることだからである。信仰によって、この〈悪夢〉から抜け出すことは決して出来ない。〈信仰〉には、そして〈生ける神〉の〈声〉にも、われわれが先に述べた、〈私〉と〈私の素顔〉の消失を押しとどめるいかなる〈力〉もないのである。信仰に出来ることは、高々、〈悪夢の神〉との対話を長引かせることだけである。
それゆえクレドによっては、その最も深い地点においても、〈悪夢〉以外のものを見ることは出来ず、また〈悪夢としての神〉以外の者を知ることが出来ない。それゆえ、教会がクレドに満ちている、とは、最も厳密に考えた場合には、教会には、様々な〈悪夢としての神々〉への信仰が満ちている、ということを意味していることになる。これが、〈孤〉の領域の厳密、かつ明瞭な理解と重ね合わせられる時に、「クレド」の歌の前半句がもつ意味である。
しかし、それは「化石」とどのように関係するのであろうか? 歌われる化石は、「羊歯の化石」である。そして、「濡れた土手の下」とは、羊歯の生育地として、生物学的に自然な場所を名指しているように見える。従って、先ずは「風下の」という措辞が、「教会」と「化石」との関係のありようを語る言葉である。「化石」は、教会の「風下」の土手の、更に「下」に、位置している。視点を変えて、「化石」の立場から見れば、教会はその〈上の上〉に位置していることになる。歌の〈私〉を「化石」と同一視して見るとき、「教会」は〈上の上〉に仰ぎ見られることになる。そしてその場合、「化石」の意味することは、〈既に生物ではない〉ということ、〈生物としての反応を行わない〉ということ、であろうと思われる。かつては生物であったにしても。
またわれわれはここで、「クレド」と語る教会の中の人々と、歌の〈私〉を同一視するわけには行かない、ということを確認しておかなければならない。「教会は」と、掛かり助詞によって名詞が取り立てて提示される場合、短歌においては、その名詞は自ずから、一人称の〈私〉とは直ちには重なり合わない一つの項であると、見做されるのである。あるいはむしろ、「教会は…である」と言われるなら、「〈私〉はどうなのであろう」と、思考は、その名詞と対比されるべき〈私〉の方に(あるいは、場合によっては別の名詞の方に)、向けさせられるのである。要するに、「教会は」という仕方で教会が導入される場合、教会は自ずから、〈外〉から見られることになるのである。ここで、この〈外〉とは、必ずしも〈空間的な外〉のことではなく、むしろ〈系譜の上での外〉ということであるが。
教会は、〈外〉から見られ、かつ仰ぎ見られている。それは「羊歯の化石」を、「廃墟」、あるいは「叫ばぬ石」のようなもの、と見ているからである(*5)。石に関わるこれらのイメージが語っているのは、凝固し、〈語り得なくなった存在〉のことである。石はもはや〈声〉を持たず、叫びすら挙げることが出来ない。〈私〉が、石へと凝固してしまったのは、『空間格子』の脈絡の中で言えば、私が「無辺際の落下」を体験したからであり、〈孤〉としての〈私〉を発見してしまったからである。要するに、私が〈私〉を本質的に語り得なくなってしまったためである。〈私〉を語り得なくなったが為に、私は石へと凝固し、「石」に「化」したのである。〈私〉は化石であり、化石は〈私〉である。
これらは、「落下」の経験を経た者の、否定的な側面の表現と見做しうるものである。しかしながら、このような「石」への生成の内には、また別の秘儀が隠されているように見える。つまりは水と土、あるいは泥による秘儀である。「水」による「石」の「泥」への解体、そして「泥」からの再生である。山中智恵子は泥から生まれるものについて語る。そしてその秘儀を、秘密として保ち、また倫理の源とするのである。
街角ごとに鹹き海みえ泥より生れしひとりわが節制の場所 (八)
(同前)
「クレド」の歌においては、「濡れた土手」が、この「水」と「土」による再生の秘儀を暗示している。しかしそれがどのような再生なのか、何への再生なのか、という問題に関しては、『空間格子』は何も明確には語っていないように見える。ただ、「クレド」の歌の中でそれを推察するならば、それは、化石になっている羊歯そのものにおいてこそ、再生の手掛かりが存在している、と語られているように見える。「無辺際の落下」の諸体験の後に、「クレド」「クレド」と語り合い、語り続ける〈声々〉は、その風前となった命脈の炎を灯しているに過ぎないように見える。瞬後には、教会は、クレドと語る声々と共に、悪夢の神々の「洪水」に呑み尽くされるのであろう。既に教会は、「クレド」と語る声々とともに、その悪夢の神々の「洪水」に呑まれる運命を予感している。この観点からする時、「教会」もまた「化石」と重なり、「化石」として凝固する運命の下に、置かれる。山中智恵子にとっても、〈神の死〉と、そして、それに続く神と神々の悪夢への生成は、既に見出された、われわれの歴史の決定的な境位なのであり、この見方、この「洪水」は、われわれがもはやその手前に戻ることの出来ない、歴史の新しい境位なのである。
しかし、山中智恵子においても、この運命は、悲惨なことであるわけではなく、むしろ「何かたのしきこと」の始まりであるように見えるのである。
脈とられ髪しばられ準備ととのふ何かたのしきことはじまるやうに (九)
『空間格子』(牧歌)
われわれは先に出した問、即ち「神と垂直に」とはどのような方向なのか、という問いに、未だ明確には答えていない。われわれがこの問いに、今、いささかなりとも答え易くなっているとすれば、それはわれわれが、〈悪夢への神々の生成〉についての理解を深めたからである。つまり、〈神に向けて身を投げる〉ことは、〈孤〉の発見の後には、〈悪夢となった神々との果てしの無い格闘〉を続けること以外のことではないからである。そしてこの格闘のただ中においても、一人称の〈私〉は消失してゆく他はないのである。要するに、ここにおいて、神に向けて身を投げることは、自我の解離を〈果てしなく押し進めようとする〉ことにしかならないのである。内面の深みにおいて神を待つことも、そこに神を探すことも、それを続けうる限り、不可能ではないが、そこに純正な神が見出されることは、今や、絶対にありえないのである(*6)。神は〈一神〉としての首尾一貫性を失い、必当然的に悪夢の神々、若しくはシミュラークル(模像)の神々になる。そしてその時、シミュラークルの神々、あるいは神々のシミュラークルは、内面において待たれるべきものではなくなっている。なぜなら、〈内面〉においては、〈悪夢の神々〉以外のものは顕れえないからである。シミュラークルの神々は、今や、〈内面〉とは別の場所に探されねばならない。神々のための〈蜂蜜〉は、〈内面〉よりは、比喩的に言って、むしろ〈山の上〉に、供えられなければならないのである(*7)。
シミュラークルの神々が生み出され、神々が経験されうるためには、恐らくは、〈恋〉が必要である。なぜなら、〈外〉へ、そして〈高く〉へ、〈魂〉を飛び翔たせるための力が必要だからであり、また、その力を呼び集め、強め、高めさせるような経験が、必要だからである。あるいは、神々のシミュラークルこそが、魂に〈恋〉を教え、魂に飛翔の力を与える当のものである、と言いうるかも知れない。何れにせよ、〈恋の経験〉が、その苦行が、シミュラークルの経験の相関項として、それに欠かせないものなのである。
しかし、恋の経験の歩みそのものは、鈍重なものである。未だ飛び翔つ力を持たない小鳥の、躓きの数々を重ねる道程である。第二歌集『紡錘』、第三歌集『みずかありなむ』は、この躓きの、ぎこちない歩みの数々を示している。『みずかありなむ』の中の幾つかの章においては、初めて、〈飛行の感覚〉に似た何かが学ばれている。とはいえそれは、ぎこちない飛翔の試みと、その当然の結果としての墜落の繰り返し以外のものではない。歌は、未だ、地上を離れられない者の歌であり、しかも足の弱い地上歩行者のリズムを有つ歌である。しかし、このぎこちない歩みの中で、〈恋の力〉、〈飛翔の力〉は、確実に強められているのである。そして、ここにおいては、初めて、〈鳥の飛行〉が、学ばれるべきものとして、はっきりと、〈見えて〉来ているのである(*8)。
第四歌集、『虚空日月』においては、〈鳥の飛行術〉は完全に習得されている。雁のような鳥の、飛行の感覚が、そのすべての細部、そのすべてのニュアンス、そのスリルと嘆きと、憩いと、安らぎ、そして落下、虚空の経験において、すっかり学び取られ、学び了えられている。
ところで、その場合、〈鳥の飛行術〉は、シミュラークルとどう関係するのであろうか? シミュラークルが〈恋の力〉を呼び覚まし、呼び起こすとしても、既に〈鳥の飛行術〉が学修されるまで、飛翔力が高まった場合には、シミュラークルはどのようなものとして捉えられるようになるのであろうか? これらの問いは、確かに、本稿で考察すべき問題の範囲を越えている。しかし若干のことは、ここで答えておくべきであろう。要するに、シミュラークルは〈波〉の本性を持っているのである。波が引くとき、神々は身を〈そこ〉から身を隠して遠ざかり、人は、そして鳥も、虚空に墜ちる。しかし優れた飛翔術は、虚空に墜ちても、自らの魂の力を、波が引くように引き寄せ、鎮め、そのようにして虚空を堪える(*9)。波の〈満ち―引き〉のリズムとともに、神々は近づき、また遠ざかる。シミュラークルとは、神々の相互の、つかまることのない〈追いかけっこ〉、乃至は〈かくれんぼ〉の関係のことである(*10)。
山中智恵子は、『虚空日月』の時期において、本質的にシミュラークルの歌人となる。そのことをわれわれは、例えば、次の歌、
われはなほことばに思ふ近づかば
『虚空日月』(*b)
ひとひとり在りとしみえて茜さすなにもみえねば醒めざらましを (十一)
(虚空日月)
の内に、充分読み取ることが出来る。前者の歌においては、〈近づき―赴き―空〉の関係に充分な注意が払われる必要があり、後者の歌においては、「ひと」が既に「人」を超えており、アイヌ語の〈ピト〉につながる霊力において、把えられうるものになっている、ということに、注意される必要がある。
以上われわれは、かなり急ぎ足で、『空間格子』以降、『虚空日月』までの歩みを概観してきた。われわれが言いたいのは、この時期の歩みにおいては、〈恋〉が極めて重要な要素になっている、ということである。一方において、〈恋〉において、初めてシミュラークルの神々は、シミュラークルとして姿を顕す、という事柄自体の論理があり、他方、山中智恵子の思索の歩みにおいても、『紡錘』と『みずかありなむ』においては、〈恋の試練〉こそが真の主題になっている、と言いうる。『紡錘』の「なすな恋」から、『みずかありなむ』の「谷行といふことあり、…われもまた」まで、そこには〈恋の苦行〉があり(*11)、また実際、〈恋〉のみが、〈恋の苦行〉のみが、悪夢の神々の寄り来る〈内面〉の場所から、〈外〉へと、心を向けさせるものなのである。後に、恐らくはそのような歩みの必然性の肯定において、山中智恵子は、ヴェヌスの讃歌に頌を添え、〈恋すること〉を、限りなく讃える。
ぎりしあびと遊行の智者の謡ひしか〈戀せるものも明日は戀せよ〉 (十二)
『青章』(雪より麦へ)
ひさかたのひかりにをとめ立つものを〈明日は戀なきものに戀あれ〉 (十三)
(同前)
ここで「ひさかたのひかり」の中とは、シミュラークルの場を示している。「をとめ」は〈そこ〉で、恋に身を開く。
今やわれわれは、『空間格子』の「無辺際」歌の中で言われた、「神と垂直」の方向、とは、このような〈恋〉の経験領域を指し示し、〈恋〉への企投における〈内面性〉からの脱出が、この決定によってなされた方向転換である、と主張する。〈内面〉から〈恋〉へ、悪夢の場所から、シミュラークルの場所へ、この転換を、われわれは、山中智恵子におけるキリスト教からの脱出の軌道として、主張するのである。
ところで、『空間格子』の時期の山中智恵子の歌には、未だに〈私〉を核にする概念装置への、安易な依存が認められた。〈孤〉が思索されてはいても、〈孤〉における必然的な〈私〉の消滅、自我の必然的な解離については、思索が充分に行き届いていなかったのである。先の節で取り上げた、「神にすら見せぬ素顔」という措辞も、〈私〉概念への、安易で曖昧な依拠の、一つの例となるものである。しかし、この点での曖昧さからも、山中智恵子は、彼女に独自な仕方で、次第に脱して行く。この連関において、彼女の思索の、〈脱出〉の、あるいは〈逃走〉の、道標と見做すべきものは、第三歌集、『みずかありなむ』の中の、最初の詞書であろう。「現代短歌」の領野の中では、充分に知られている、と思われる、その詞書は、こうである。
私は言葉だった。
私が思ひの嬰児だったことをどう
して証すことができよう------ (十四)
ここには、〈私〉の〈存在〉についての思索が、〈言葉〉と〈思ひ〉の対立において、語られている。しかし、それは正確に言って、どのような思索なのであろうか? われわれはそれを、山中智恵子の思索の緊密性において、解釈してゆかねばならない。
一方において、〈私〉は「言葉だった」と言われている。しかし他方では、「私が思ひの嬰児だったことを…」と言われ、〈私〉はまた、「思ひの嬰児」でもあったのだ、と言われているのである。何れも〈過去時制〉における言表である。ここで「嬰児」とは、先ずはイェンイェンとなくあかごのことを意味しているであろうが、しかしまた首飾り、「瓔」、に連なる何事かも意味されていよう。〈私〉は、〈言葉〉であっただけではなく、また〈思ひの嬰児〉でもあった、と言われているのである。しかし、ここでこの二つの述語の内、〈思ひの嬰児であった〉こと、の方は、「証すこと」の出来ないことである、と言われている。つまり、証し得ないこと、本質的に証明不可能なこととして、言われているのである。〈私〉は〈思ひの嬰児〉で〈あった〉が、その〈存在〉を証明することは、原理的に不可能なことだ、とされているのである。
しかし、そうであるとすれば、この「私が思いの嬰児だった」の「あった」とは、何を意味するのであろうか? それは〈存在〉についての、どのような理解を含んでいるのであろうか? この詞書の中で言われている、〈ある〉についての最も基本的な主張は、〈ある〉は、〈あるもの〉が〈ある〉ということが証明され得ようと、それが不可能であろうと、その意味を変えない、という主張である。それが〈ある〉ということが、原理的に証明不可能な〈あるもの〉も、また〈ある〉、ということである。言い換えれば、〈ある〉の恵みは、存在証明の不可能な〈もの〉にまで及ぶ、という主張である。
しかし、この連関において見落としてならないのは、正に、存在証明の不可能な〈もの〉が〈ある〉、ということである。ここでわれわれは、〈存在証明〉が何によってなされるのか、という問題に直面している。そして、それに対して、われわれは、それは〈空間における位置の指定〉によってである、と答えうるであろう、と考えている。〈あるもの〉は、常に〈どこかに〉〈ある〉、とは言い得ないにしても、存在証明の可能な〈あるもの〉は、常に〈どこかに〉〈ある〉、と言いうるであろう。われわれは、その〈在処の指定〉によって、〈あるもの〉が〈ある〉ことの証明可能性を、規定しうると考えるのである(*12)。
山中智恵子において、「思ひの嬰児」としての〈私〉が、証しし得ないものであるとすれば、それはその「思ひ」の在処を、何びとも指定し得ないからであり、「思ひ」が、〈どこにあるか〉を、何びとも言い得ないからである。〈思ひの在処〉、それを指定しうるとしたら、そのための場所としては〈言表の空間〉、あるいは〈言表可能なものの空間〉以外の場所は考え得ない。「思ひ」は、〈言表の空間〉においてしか登録し得ないからである。従って、山中智恵子において、「思ひ」が本質的に証しし得ないものであるとすれば、それは「思ひ」が、〈孤〉の領域に、〈ある〉からである。この「思ひ」が、〈私〉で〈ある〉時、この「〈私〉は〈思ひ〉で〈ある〉」は、言表不可能であり、存在証明をされえない。にもかかわらず、「〈これ〉は〈私=思ひ〉で〈ある〉」という、「〈私〉と〈私の思ひ〉の〈存在〉」についての経験は存在しうる。この、〈私の存在〉そのものである、〈証しされ得ない思ひ〉こそが、〈恋〉ではないであろうか?
この詞書において、「思ひだった」とではなく、「思ひの嬰児だった」と言われる場合、そこには更に、〈幼い嘆きの声〉が加わる。イェンイェンという泣き声は、幼い緑児の、その〈存在の知られぬ思ひ〉の嘆きであり、それゆえ、それは直ちに〈鬼哭〉に通じる。しかし尚も、そこには瓔が、首飾りが、揺れる。つまり、嬰とは〈存在の首飾り〉であり、「嬰児である思ひ」は、あくまで肯定に関わり、〈私の存在〉に関わる〈思ひ〉なのである。その〈思ひ〉を、〈私〉として、愛し、肯定し、集約させる働き、つまり〈恋における私の存在の肯定〉が、ここで肯定されているのである。ここで〈私〉とは、自我(実体)ではなく、一つの集約であり、その、恋における一つの集約は、肯定されることによって〈存在〉になる、ということが認められる、としての〈私〉であり〈存在〉であり、〈私の存在〉であるが。
すると、詞書はこう言っていることになろう。私は恋における一つの知られることのない思ひを、その嘆きとともに肯定し、その思ひを私の存在とした、と。要するに、「思ひの嬰児」とは、〈恋〉において、その思ひが肯定されることによって、〈孤〉の領域において生み出される、〈私の存在〉のことである。従って、ここには、〈私〉というものについての、非実体論的な把握があり、〈私〉は、様々な集約として捉えられている、と言いうるのであるが、更に、そればかりではなく、私が〈ある〉ということの、つまり〈私の存在〉の、肯定による生産、という把握が見られるのである。私の存在は肯定によって生み出される。
詞書の前半、即ち「私は言葉だった」の方は、どう解釈されるであろうか? これは言うまでもなく、私のもう一つの存在のことを語っている。つまり、〈私〉の言表された存在、私の思ひの〈言表されて−ある〉〈もの〉のことである。しかし、〈思ひが−言表されて−ある〉とは、結局、諸言表において、〈私〉の占めうる〈主体の場所〉が生産されている、ということに他ならない。先程から論じてきたように、私のかかる思ひの〈存在〉は、諸言表において〈ある〉ことを証される存在であり、従ってその場合には、それは、〈ある〉が証されうると同時に、〈どこであるか〉も必然的に言われ、指定されている、〈もの〉、あるいは〈場所〉なのである。要するにそれは言表、エノンセ(l'énoncé)における〈主体の場所〉である。〈私〉のこの〈存在〉は、様々な主体が、そこを占めたり、占めなかったりすることができる場所となり、〈私の固有の場〉として〈私だけ〉がそこを占有することは、原理的に不可能になっている場所である。従って、『みずかありなむ』という歌集に関係させてそれを翻訳すれば、「私は言葉だった」という言明は、「『みずかありなむ』という歌集が存在する」ということと、同義であることになる。「歌集」ということで、その純物質的存在とは区別される、その諸言表の全てのことが、意味されるとしてであるが。
言葉としての私の存在とは、従って、様々な〈私〉の存在のことであり、〈固有な私〉の非存在のことである。コミュノテということをここで繰り返すことも出来よう。〈私〉が、諸言表における、〈私〉が占めうる様々な〈主体の場所〉で〈ある〉とき、この〈ある〉は、〈私〉のシンギュラリティを構成しうるようなものを、何も私に提供してくれない。それは、私が〈私のための主体の場所〉を創出し得ないということではなく、仮令そのようなものを創出したとしても、一方では、その場所を、〈私だけの場所〉として独占することは、不可能だからであり、また他方では、その創出には、その場所を創出した者のシンギュラリティとの不可分の関係は存在しないからである。従って、創造的に関わるにせよ、非創造的に関わるにせよ、様々な〈主体の場所〉との関わりにおいて、〈私〉は常に本質的に〈過客〉となるのである。「私は言葉である」とは、一つの幸福であろうが、この幸福において、私は、常に〈過客としての存在〉だけを、〈私の存在〉として、持つのである。そしてこの場合、〈私〉に〈存在〉を与えるものは、もはや〈肯定〉ではなく、〈言葉〉それ自体である、と言うべきである。あるいは、生産された〈主体の場所〉の累積、あるいは〈主体の場所〉の累積の生産が、私に、一過性の様々な〈存在〉を与えるのだ、と。これが、「私は言葉である」ことの幸福である。
以上の考察から、われわれは、先に少しばかり注意を向けて置いたこと、つまり、なぜ「詞書」が〈過去時制〉で言われていたのか、を理解する。〈言葉である私〉においては、私の〈存在〉の〈過客性〉により、「私は言葉である」と、現在の言明として、言うわけには行かないからである。つまり、私が永遠にそこに留まりうるような、〈私〉に固有な、〈主体の場所〉が、現在においても、存在しないからである。〈言葉である私〉は、常に多少とも〈現在〉を避けているのである。それゆえ、〈私=言葉〉という言明は、過去において、私が過客として〈それ〉であったと見做されうる、多少とも親密な場所を指して言う場合に、そしてその場合にこそ、最も高い妥当性をもつと考えられるであろう。他方、〈私=思ひ〉という言明の方は、その〈私〉が、言表不可能性の刻印の下においてしか〈あり〉得ぬ以上、本来、いかなる時制においても、言表されるわけには行かないのである。〈私〉は、いかなる現在においても、言表し得ぬ様態において〈ある〉、のである。その過去における〈ある〉についても、その〈私〉は、想起されて〈ある〉と言うわけには行かない。その〈私〉は、想起されて〈ある〉ことはなく、想起においては〈存在〉しない。それは、ただ反復されて、しかしその場合にもやはり言表されない様態において、のみ、〈あり〉うる、のである。ところが、反復された〈私〉の〈ある〉は、またもや一つの現在における〈ある〉なのである。そうなると結局、この〈私〉は、言表において、〈主体の場所〉を占めることは、〈言表の主体の場所〉に現れて〈ある〉ことは、決してないのである。〈過去時制〉による言表が、一定の妥当性をもつとすれば、それは、それによって、この〈思ひで・ある・私〉が、一種の〈想起の空間〉の中に、予感されると見做される場合であろう。〈思ひで・ある・私〉は、〈言表されて・存在すること〉は出来ないにしても、ある〈想起の空間〉の中に、呼び招かれうる〈もの〉ではあろう。詞書においては、「証されず〈ある〉〈私〉」が、呼び招かれているのである。(あるいは単に、言及されているのである。)
〈私がある〉ということの、この二つの存在様態、それを〈私〉はどのように経歴するのであろうか? その二つの存在様態を循環するための、あるサーキットが存在するように見える。この二つの存在様態は相反し、〈私〉は、同時にそれら二つの様態を取ることは出来ない。〈私〉が〈ある〉時、〈私〉は、常に、この二つの様態の内の、どちらかの様態を取って、〈ある〉のである。然しながら、この二つの存在様態の間には、ある中間地帯が広がっているように見える。つまり、〈証されうるある〉と、〈肯定されてあるある〉の間に、〈証されてある〉こともなく、また未だ〈肯定されてある〉にも至らない、〈ある〉とは言い難い〈もの〉が処在する、広大な領域が広がっているように見えるのである。その、〈ある〉にもあらず、〈あらぬ〉にもあらぬ、〈あり方〉を、山中智恵子は「中有」と呼んでいるように見える。
今日ひとに行くべかりしか浅き夜を草ひばり
『紡錘』(水沼)
中有に〈ある〉ものを、われわれは、〈どこに〉あるか、言うことが出来ない。この歌で、草ひばりの声が聞こえてくる〈時〉は、「浅き夜」であると言われているが、それがどこであるかということは、言われない。〈中有から聞こえてくる草ひばりの声〉、それが〈私〉の思ひに語りかけている。中有からの声を〈私〉が聞き取りうるのは、そこが〈私〉の経験領域の一部だからであり、そこが〈私〉の経験領域たりうるのは、〈私〉が〈中有の経験〉をもったからである。つまり〈私〉自身が、中有に墜ち、ありどころなく〈ある〉経験を、〈私の存在〉の経験として、もったからである。山中智恵子の用語法において、「中有」は、一方では〈ある/あらぬ〉の中間をなす、中間的な存在様態のことであり(それを以降〈あ*る〉等と表記する)、他方ではそのような様態において〈あ*るもの〉が〈あ*る〉、領域、若しくは境位のことである(*13)。
この〈中有の境位〉を、山中智恵子は、「地獄」とも、「虚空」とも呼び変える。尤も、それを「地獄」と呼ぶのは唯一度だけであり、その「地獄」も、〈生々しい生殺の場〉とは程遠いものとして、むしろ〈この上なく希薄な場所〉として、形象化されているのであるが。それは次の歌である。
黙ふかく
『紡錘』(夏)
ここで〈私〉は、「空蝉の薄き地獄」を、「帰る」べき本来の場所としている。そして、〈本来の場所〉のこの自覚とともに、山中智恵子の思索の関心は、この問題に集中されてゆく。〈中有〉という境位についての思索、〈あらざるあ*る〉についての思索、そこに落ちることの不可避性についての思索、そして、〈中有〉を本来の場所とする人間の運命についての思索、である。先にわれわれが述べた、シミュラークルの神々も、ここから生じてくるのである。というのも、シミュラークルの神々もまた、中有の中に隠れるからであり、中有の中に身を隠すからこそ、それはつかまえることの出来ない神々なのである。
囀るは二月の雲雀塵中に欠けゆくものを神と呼ばなむ (十七)
『みずかありなむ』(鳥住)
走り去る鹿の残す塵雲の中に、姿を隠すものとしての神、身を隠すことをその本質としてもつ神、あるいはより端的に言って、身を〈中有〉に隠す契機をもつがゆえに神と見做されうる〈もの〉、ここには〈神〉についてのこのような把握が一方にあり、他方で、かかる神と〈目見(まみ)ゆる〉ための条件として、「雲雀」の空中への上昇(つまり〈中有〉との隣接)が思考されている。それゆえ、『みずかありなむ』の時期において、既に、シミュラークルとしての実在把握のための準備は、全て充分に整っているのである。
われわれは、〈ある〉の二つの境位を経歴する。あるいは、そういう経歴の経験をすることがある。〈ある〉の二つの境位があり、一方の〈ある〉から出発して、進み続けるとき、一つの〈循環路〉に従って、他の〈ある〉の境位へと至り着く。しかしこの二つの〈ある〉の境位の間には、〈中有〉の広大な領野、若しくは、目に見えぬほどの微小な隙間、が広がっている。
われわれの出発点は、〈言葉におけるある〉である。〈私〉は、先ずは〈言表の主体〉の場所として〈存在〉している。この〈私〉に、存在を与えているのは言葉であり、正確に言うと、諸言表の累積された総体が開いている〈言表可能なものの総体〉であり、それと相関して可能なものとして開かれる、諸々の〈言表の主体〉の場所である。山中智恵子の「私は言葉だった」という言明は、われわれに〈私〉の存在を与える要素、その第一のエレメント、若しくは境位を、明確に言い表している。言葉というエレメントの中で、われわれは、それに気付いているにせよいないにせよ、〈過客〉として存在している。言葉がわれわれの、〈私〉の存在の、墻垣(しょうえん)、囲いであり、堡塁である。
しかし、この言葉による存在付与も十全なものではなく、限界があり、そしてその〈外部〉をもつ。これは、シンギュラリティとしての〈私〉がある、と言うのと同じ事である。〈私〉は、私の独異性において、必然的に存在の第一の境位の〈外〉に出で、言葉による存在の保証と庇護を失う。循環の必然性、あるいは、先ずは第一の境位からの外出の必然性を、山中智恵子はこのように歌う。
いづくより生れ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘 (十八)
『紡錘』(鎮石)
つまり、われわれが、言葉による庇護の内に留まり得ないのは、要するに、われわれの「たましひの鞘が薄いから」、なのである。〈外出〉の必然性が確認される。そして、この〈外出〉先のことを、われわれは先程から、〈中有〉と呼んできたのである。
ここでシンギュラリティとしての〈私〉は、「たましひ」と呼ばれている。ちなみに、「たましひの鞘」は、〈言葉〉のことになる。〈たましひ〉は〈鞘〉に留まりえず、〈鞘〉から飛び発とうとする。勿論、歌は、飛び発ったたましひが歌うものではない。そのようなことは不可能であり、また用語の矛盾でもある。ただ、飛去った〈たましひ〉の、〈中有〉における、諸経験の(悲痛な)響きの中で、たましひの、運命が、この歌では詠まれているのである。
恐らくわれわれは、〈中有〉における〈たましひ〉の諸経験を、一般的な仕方で表現する事は出来ないであろう。それはイマージュにおいて多様であり、また深さ・高さ・遠さにおいて多様であり、様々な差異をもつであろう。サーキットの図面は、様々に描かれるのである。そして、多くの図面には、〈中有〉に行き、そして戻るだけのコースが描かれている。山中智恵子においても、『みずかありなむ』迄の歌には、概ねそのようなコースしか描かれていない。『みずかありなむ』迄の歌においては、〈中有〉に陥ちる運命の、確認と受容が、多くの歌の主題となっているのである。
更に言うならば、『みずかありなむ』の中には、未だにある種の〈不徹底〉が、無いわけではないのである。それは例えば次のような歌である(*14)。
つかのまの
『みずかありなむ』(離騒)
ここには、〈原罪の確認による回生〉と呼ぶべき思想が、〈罪〉の観念についての系譜学的考察を欠いたままで、〈中有〉からの回帰のコースとして、図面の中に書き込まれているのである。そして、実を言うと、〈罪の思想〉、〈人間を罪ある者として是認する思想〉、このような〈地点〉からの回生は、一方で、優れた思索者にとっては、〈肯定〉を学ぶための、最大の妨げとなるものなのであり、また他方で、〈卑しい者たち〉にとっては、自らの多くの〈卑しさ〉を、こっそりと滑り込ませうる場所になるものなのである。しかし、山中智恵子自身にとっても、このような〈罪の思想〉からの回帰のコースは、歌集の基本的な軌道から見れば、単に回帰線の一つのバリアントとして示されているに過ぎない。山中智恵子の本領は、もっと別のところにあるのであり、それは自らを〈祝福を贈る者〉の立場に持する態度なのである(*15)。そして、ある見方からすると、山中智恵子が、〈中有〉の中の〈果て〉とも言うべき地点、〈存在を与える肯定〉を見出す地点にまで、至り着き得て、そして真の〈肯定者の回帰線〉を描き得たのも、この態度の然らしめた事なのである。ここにおいて、初めてサーキットは、存在の二つの境位を循環する経路を描くようになる。
この時、歌は、〈肯定の歌〉になる。なぜなら、〈私〉は、肯定に満たされ、貫かれて、〈ある〉ということの新しい次元を経験し、その経験が、歌の本質を転換させ、歌を、肯定以外のものには根付かぬようにさせるからである。これはある意味では歌の本質の転換であるが、また他の見方からするなら、歌の〈本来的なもの〉への帰還でもあるように見える。なぜなら、〈語ること〉と〈歌うこと〉が対比されうる限り、〈歌うこと〉は常に祝福することを源泉にしている、と考えられるからである。〈祝福を贈り与える者〉としての自己アイデンティティは、その〈思ひ〉を〈嬰〉とする肯定に肯定されて、充実される。言わば、〈歌うこと〉の本質によって、選別されるのである。そうして、〈歌〉は〈歌うこと〉の本質によって貫かれるようになる。換言すれば、歌における祝福が、それまでの、〈相手〉に対する祝いから、〈生存〉に対する祝いに、変換されるのである。〈私〉は、生存を肯定し、生存を祝う者になる。山中智恵子は、この、〈歌うこと〉の本質による調教に従い、肯定者を生み出す、強制的な選別のプロセスに従う。
この転換を、われわれは、『みずかありなむ』の、巻頭に置かれた一首の内に、読み取ることが出来るであろう。そこにおいては、先程われわれが言及した〈罪による回生〉の思想は、既に背後に退き、新たに、〈かなしみ〉が、回生の原理として、見出され、歌われ、主張されている。〈生存〉の〈かなしみ〉としての把握においては、〈生存〉から、〈罪〉は完全に一掃されており、〈生存〉はその〈無垢〉が、歌において祝福されるのである。山中智恵子の作歌の歩みを辿るとき、この歌において初めて、生存に対する〈ダ・カーポ〉が、〈もう一度始めから〉が、肯定が、言われていることが分かる(*16)。歌集、『みずかありなむ』の、〈穂〉と見做すべき、その歌はこうである。
行きて負ふかなしみぞここに雪降るさらば明日も降りなむ (二十)
〈流離〉が、〈流離のかなしみ〉とともに、ここで、その必然性において、肯定されている。これが、歌集、『みずかありなむ』が到達した地点であり、ここにおいて、〈存在〉は、〈思ひの嬰〉の次元の隅々にまで、及ぶことになるのである。
このようにして、〈ある〉ことの、二つの境位を循環する、一つの経路が描かれる。そしてそれ以後、また、その、様々な経路が描かれるようになって行くのである。
本稿においてわれわれが課題としたことは、山中智恵子の歌が、キリスト教的な思想から離れ、「虚空」を見出してゆくまでの道筋を描くことであった。この課題を越えて行き過ぎないためには、われわれは、考察を、『みずかありなむ』までにとどめておかねばならない。大まかに言って、『みずかありなむ』においては、キリスト教の神の、その死の、最終的な確認が、「嘔吐」においてなされ、それと同時に、正しく「嘔吐」において、多元論的な神々の神性が、「金山毘古」を通じて見出されてくる(*17)。この後、山中智恵子は、キリスト教的な思想には、言及しなくなってゆく。そこから離れたのであるが、そう言うよりは寧ろ、キリスト教的思想の力の〈ゼロ地点〉が、はっきりと通り抜けられたのである。そして、そこから〈虚空〉が徐々に明確に自覚されてゆく。そしてまた、〈虚空〉と共に、〈虚空に陥ちることの必然性〉、〈生存のシミュラークル的仕組み〉、に対する目が開けてくる。しかし、この『みずかありなむ』迄の時期においては、〈生存の仕組み〉よりは、未だ〈恋〉の経験の私的な諸問題に、多くの関心が向けられている。しかし、正に〈恋〉を通して、〈中有〉の奥、〈虚空〉の奥深くに、思ひの〈嬰〉が見出される。〈存在を与える肯定〉が見出されてくるのである。そして遂に、『みずかありなむ』における思索の、最も深い地点において、〈存在を与える肯定〉が、その肯定によって存在を与えられた〈無垢なる生存〉と共に、〈虚空〉からの回生の、真の原理として把握されるようになって行くのである。
われわれは、〈肯定の回帰線〉の様々については、稿を改めなければならない。しかし、われわれは、ここで、『みずかありなむ』に続く歌集における諸問題について、ごく手短な案内だけは、提供しておきたいと思う。
第四歌集『虚空日月』の、「蜻蛉記」から「逍遙遊」まで、一層厳密に言って「いそのかみ」から「*b」まで、の節において、〈中有〉乃至は〈虚空〉に陥ちる必然をもつ存在の、肯定が、この上ない仕方で歌われ、なされている。ここは予告として、ただ一首だけ引いておく。
水ゆかば秋草ひたす雲離れ空に陥ちけむ声
『虚空日月』(*b)
われわれはこの期の山中智恵子の歌を、単に「日本文学史」上の頂点の一つ、と考えているばかりではなく、「日本思想史」上の頂点の一つでもあり、また「人類の思想の歴史」の中でも、貴重で希な一つの頂点をなすものと考えているのである。実際、ニーチェを除いて、〈存在を与える肯定〉のようなものを、一体誰が見出したであろうか?〈肯定の回帰線〉と言うべきものを、一体誰が引いたであろうか? そのようなものは、藤原定家によってすら見出されず、引かれていないのである。周知のように、山中智恵子は、自らの歌の最上のものの歌体を、「拉鬼**c体」と名付ける。これは確かに、定家にとってすら最も困難な歌体であった「拉鬼体」の、更に先に位置する歌体を意味しているのである。「いそのかみ」から二つの「虚空日月」を経て「*b」まで、とりわけ二つの「虚空日月」と「*b」(ヒツ)において、われわれは、間違いなく日本文学史上の最高の頂点の一つに出会っているのである。
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*a は「目偏」に「党」の旧字。『字通』は「ぼんやりとみつめる意」と説く。山中氏はこの字を『楚辞』から引いたのではないかと思われるが未詳。音は「トウ」。ここでは「くらみ」と訓むのではないかと推測される。
*b は「王偏」に「必」。「瑟」に意の通う語であると思われるが未詳。
**c は二字で「しょうこう」。「立心偏」に「尚」と「立心偏」に「兄」。『字通』は「神気にふれて忘我の状態にあることをいう」と説明する。これも『楚辞』から引いたものと推測される。