飛騨に生きる人々と技(1)
はじめに
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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はじめに

 西暦二千年の正月を、わたしは飛騨高山で迎えた。真夜中の少し手前に外に出て、除夜の鐘つきに、そして近所の神社へ初詣に行こうとしていたとき、街中の方で花火が上がった。ほんの数発ばかりであったが、そのまどかな光の輪は、この飛騨の国の、これから始まる千年を予祝しているように見えた。これからの千年が、これまでよりも、少し明るいものであるように、と願う人々の心が、見えたような気がした。少し嬉しくなった。


 これからしばらく、この紙面で、飛騨に生きる人々や、その人々の伝えている技などについて、聞き書きしたことを連載をさせていただくことになった。はじめにその内容やねらいについて、少し述べさせていただこう。
 飛騨は山国である。日本列島でも一、二を争うような山深い国である。そして、山国というと、多くの人は、人々の行き来の少ない閉ざされた空間というイメージをもつ。しかし、わたしが明らかにしたい、と思っているのは、山国である飛騨の国が、決して閉ざされた空間ではなく、平地の空間とはまた違った形で人々の行き来があり、それとともにさまざまな文化の交流やつながりがあっただろう、ということなのである。
 ここで文化といっても、実にさまざまなものがあるだろう。たとえば赤カブやソバやヒエやコケ(キノコ類)そしてトチノミなどの栽培や採集から食用にいたるまで、といった食文化のつながりがあり、また「バンドリ(蓑)」や「編ガサ」や「ショウケ(竹ザル)」のような生活道具の伝承やつながりがあり、また「へんべとり」のような祭や神事芸能に関する文化伝承の広がりがある。そしてそれらの中には、同時に美や美味についての大変洗練された感覚が継承されているのである。


 こうした人々や文化の交流や伝承の中には、百年、二百年ほどの長さのものもあるだろう。あるいは何十年といった長さのものもあるだろう。しかし、その最も長いものには、おそらく縄文時代からの伝承を伝えているものがあるであろう。たとえばトチノミは、約七千年前の縄文前期初頭にはそのアク抜きの技術が発見されていたと見られている(長野県クマンバ遺跡)。また雪の上を歩くためのカンジキも縄文時代から使用されていたと見られている。


 しかし、その伝承の伝え来られた長さがどれほどのものであれ、そうして伝えられて来た技や形は、この山国に生きる人々によって、よりよい生活をもたらしてくれるものとして取り入れられ、そして継承されて来たものなのだ。わたしは、そうして今日飛騨に伝えられている技や形を、この地に生きた人々の、よりよく生きようとする願いの形姿として聞き取り、この欄を借りて報告してゆきたい。関心を寄せていただければ幸いである。

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