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大野郡丹生川村の村上能亮(よしあき)さんは、千光寺の門前の近くに住んでいる。狩りもされているが、本業としてはトマト栽培を中心に農業を営んでいる方である。丹生川村が全国でも有数のトマトの産地として繁栄してきたのと、歩みを共にしてきた方である。大阪方面に出荷されるトマトのほとんどが丹生川村産のものだ、ということを、JAに勤めるわたしの友人の三島中(ひとし)さんから聞いたことがある。丹生川村は、飛騨地方で、農業で一番成功している村の一つなのである。
村上さんは、狩りをお父さんから習ったという。はじめて鉄砲を撃ったのは二十才のころで、たいそう苦労して山鳥を一羽なんとか仕留めることができたという。そして二十二才から山に入ったが、当時、昭和三十年頃は山にはキジや山鳥がたくさんいたという。村上さんは鳥撃ちを主に狩猟の経験を積んできた方だ。山鳥は、これ以上ないほど美味な鳥だという。ご自宅には、キジや山鳥の美しい剥製がある。傷ひとつ見つからないほどの見事な剥製である。もちろんご自分で仕留めたものである。
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今年の二月七日の熊狩りでは、村上さんは橋本繁蔵さんと山に入っている。軽トラックで折敷地(おしきじ)の車が入れるところまで行き、それからスノーモービルでさらに四十分ほど山に入る。もうじき日も沈むという頃、橋本さんが前から目当てをつけておいた栃の樹の根穴に熊を確認する。そしていわゆる穴熊狩りをする。この時、村上さんは、橋本さんの指示のもと、四メートルほどの長さの枝で熊を激しくつついた。穴から熊が顔をのぞかせる。すると次の瞬間、熊はサッと穴から出て身構える。それはきわめて敏速な動きだという。そこをすかさず、橋本さんが銃で仕留める。だいたいこんな様子だったようである。
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時刻のこともあり、応援を一人頼んで山から熊を曳きおろすのは、その翌日になった。重さ七十キロほどの熊だった。標準的な大きさの熊だといえるだろうか。首の部分にロープを結んで、三人でスノーモービルのところまで曳いてゆく。雪の上は曳きやすいという。熊の皮は雪の上をよく滑るからだ。
狩猟文化研究家の田口洋美さんは、秋田県の阿仁の打当(うつとう)では、長野県の秋山郷と同じく、ロープを熊の手首、足首と首の部分に結んで曳いたということを印象的に語っている。飛騨とそれらの地域とは、熊の曳き下ろしの仕方に文化的な差があるのだろうか。あるいは、それは文化的な差ではなく、飛騨でも、熊が大きい時にはそうして三ヶ所にロープを懸けたりするものなのだろうか。
電話でそのことを橋本さんに尋ねてみたところ、ロープの懸け方は、熊の大きさ、曳く人数、雪や地形などに応じて様々だ、という。例えば斜めに曳く時は、首と後ろ足に懸けるというように。結局、ロープの懸け方は、文化的な差というよりは、状況に応じるもののようである。
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