飛騨に生きる人々と技(10)
独りで熊狩りを覚える
中路 正恒
Masatsune NAKAJI
nomadologie


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独りで熊狩りを覚える

 村上能亮(よしあき)さんから熊狩りの名人と称えられる橋本繁蔵さんは、昭和十六年生まれの五十八才である。丹生川村折敷地(おしきじ)に生まれ、育ったが、そこにダムが建設されることになり、六年前に高山市内に移った。JA飛騨の三島中(ひとし)さんの紹介で、四月のはじめ、お話を聞いた。橋本さんは、ひとつひとつとても具体的に、丁寧に教えてくれた。
 橋本さんは熊獲(と)りをもう四十年ほどやっており、仕留めた数では日本で一、二を争うという。今年は、その時までで、三頭を仕留めたということであった。


 熊は伝統的に、胆と皮が商品として売られ、そしてその他の部分は食用その他に隅々まで利用されてきたが、最近では皮はあまり売れないという。肉は時々上宝や郡上の方で買ってくれるという。
 そして胆は、「クマノイ」として、伝統的に貴重な薬とされてきたものである。橋本さんは自分で獲った熊の胆を、今、東京の方へ出しているという。熊が獲れたと連絡すると、東京から人が来て、解体するところからウィスキーに入れるところまでをビデオに収めてゆく。そうして、熊の肝エキス入りのウィスキーを、本物だということを納得してもらって、客に飲んでもらうのだそうである。こういうやり方を私は初めて聞いたのだが、今では、伝統的な干した熊の胆にも、中国から入ってきているものがたくさんあるのだそうである。熊の胆は今日でも高価な商品なのである。
 橋本さんのところには、熊の胆を、自分用にもとってある。持病の人やガンの人で希望する人があると、その自分の分を、十分の一とか二分の一とか、頒けてやるのだという。けれど薬屋にはやったことがないという。そういうことも、多分、熊狩りという、狩りの中でも特別なもの、男だけの、誇り高い仕事にかかわっていることから来るこだわりなのであろう。


 橋本さんは、たいてい独りで山に入るという。もちろん犬は連れてであるが。熊は、気の短いのやら気の弱いのやら、一匹一匹違うので、よほど段取りを組まないとやられてしまうという。二人以上でゆく時は、みなが無事に戻れることを第一に考えて段取りを組まねばならないので、とても神経を使うようである。
 そして橋本さんは、熊狩りを覚えたのも独りであった、という。もちろん、いつ眠るか等について言い伝えは人からも聞いているが、実際の狩りのための知識は、すべて自分の経験から得るのである。師匠はいなかった。私は橋本さんの話を聞いて、むしろ、父子の間でさえ必ずしも秘密を教えないこのやり方に、昔ながらの狩りの伝統の一つがあるように思った。どこに熊穴があるかということは、例えばどこに茸があるかということと同様、多分、大きな秘密なのである。

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