「ヒムネン」の解明 (1)



by
masatusne nakaji & masato ando

KARLHEINZ STOCKHAUSEN:
HYMNEN für elektronische und konkrete Klänge
MG 9348/9


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ここでは《ヒムネンの解明》(1)として、主にレギオンIIを扱う。


レギオンIについては、メモ程度ですませたいと思う。

  1. 短波放送的諸価値の否定→電子音響へ
  2. 共同的価値を言い表すものとしての音 ----それの否定
  3. 否定の手続き
  4. 電子音響による自立的音楽の形成へ


◇ レギオンII



(a)レギオンIIは、〈鈴の音響〉から入るが、いわゆる〈割れるような鈴の音響〉の後の〈吸い込むような音〉までは、導入の力強さ以外の際だった意味は無いように思われる。

(b)キャーキャーというような、あるいはアヒルの鳴き声のような音響世界に対して、それの超出を実現しているものとしての強烈な高音の電子音。つまり、それによって、いわば前者が「壷の内に閉じ込められた世界」として聞きとられることになる。

(c)素朴なラッパのような音がフランス国歌を奏するところ(それは、この具体音の空間がそれを援用しようとするものとして理解されるが)そこで高音部は特に強烈になる。

(d)低音部の声が失速したところで出て来るブーという低音の電子音は、高音と同質的なものとして理解される。つまり、高音部は強度を弱め、あるいは消え、それと交替したりする。〈割れる鈴の音響〉もそれを影響しない。〈割れる鈴の音響〉は、破壊的機能を失った破壊者として再登場する。

(e)だが、全くそうというわけではない。さらによく聴いてみると、次のことが明らかにあなる。失速した具体音は全く消えてしまったわけではない。失速して残存している具体音成分がわずかに、しかも時々は最低音部に聴きとれる。それは、ここでは消しつくされない。〈割れる最強音響〉にもまさしく最低音成分は伴われている。

(f)幾秒かの具体音、電子音の共に消えた間をおいて、失速した声から低速の国歌へと具体音は、その勢力を増加させてゆく。それが国歌であることは充分感じられながら(音高の変化に対応するリズムの節があるから)その曲名の判じ難いある国歌に先だって、失速した声に前後されて、ドイツ−イギリス国歌が姿を見せる。この時、高音部電子音響は、国歌と同じ節を持つ。具体音響と電子音響との勢力関係は、前者がやや優勢となる。予感を含みつつマリンバのような音が中音、そして高音に入る。

(g)高音部成分とは異質の電子音が低音部に現われ、4回目に失墜し、ついで低速の人声が入り、異質の電子音が強度を増して、旧ドイツ国歌を導く。この時高音部の電子音響は音高を増して行き、そして消える。失速−残存状態からここまでに[(d)以降]、特殊な出来事の出来がないので、具体音の勢力復活・保持は旧ドイツ国歌によって生起したものと理解することができる。

(h)旧ドイツ国歌はここで幾回か現われるが、その意味は第一回目のそれとそれ以下とでは大きく異なる。高音部電子音響に対して具体音響の再生を可能ならしめた、その意味での理想的な国歌は、分断されながら出現し、凝固したように停止し、きわめてゆっくりと音高を高めながら中空にとり残され、そのまま消滅する。

(i)第二回目のそれは、同一の国歌を先のそれから受け継ぎ、2拍子の拍節構造をこわし、位相のずれた左右に分裂し、第1回目の国歌を中空にとり残す。そしてそれは、次のような一群の音響を導く。

ドイツの行進曲1、旧ドイツ国歌、演説の大衆、旧ドイツ国歌、ドイツの行進曲2、ドイツ連邦国歌、ドイツの行進曲2、ワーワーという声、ピ−ピ−という宇宙通信音(これはレギオンIIIとも対比して注意しておきたい)、アメリカ国歌、ワーワーという声と拍手、インターナショナル、ワーワーという声、イギリス国歌、インターナショナル、イギリス国歌、声援、・・・・・・
これらは音楽的連関に導かれてという風にではなく継起する。それらは歴史上の一時点、すなわち第二次世界大戦とその後のドイツ国家を指し示すように思われる。

(j)具体音消失後、高音部の電子音響は音色を変え、旋律的となる。そのように自己変形する。それは会話の、作曲の現在(``Es ist nur eine Erinnerung[それはただの記憶にすぎないのだよ。].''、背後のバス etc. の音)へと繋がる。

(k)総じて〈旧ドイツ国歌〉以降、高音部の電子音響は、アイロニカルなものとして働いていると思われる。多種の具体音部分では破壊的な性格を示さず、ついでは自己変形をして作曲の現在にそのまま連なり、具体音部分に対して〈フィクションとしての音楽〉という知を持っていることを示す。さらに後のアフリカ諸国の国歌では、他に対して一人だけ旋回したりする。

(l)アフリカ諸国の国歌の部分は、それの電子音による切断が後の部分を、そして再び本質的な音響を予感させる、ということの他には、一定の音響的おもしろさ以上の重要性は見られない。

(m)続く電子的に合成されたソ連国歌は、一度スイス国歌の断片が出る他は純電子音響であるため、レギオンIIの非完結性を、レギオンIIIへの継続を指し示す。あの最初の旧ドイツ国歌はとりのこされたままなのだ。


(1974.11)


(C) masatsune nakaji & masato ando 1974-2000

mnnakaji@mta.biglobe.ne.jp

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